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船霊様――船底に女の髪を封じて、木の箱に魂を宿らせるということ

## 船底に、女の髪が埋まっている
こんな話をされたことがあるだろうか。日本の漁船には、船の、普段は目につかない部分に、小さな箱が埋め込まれている。で、その中に何が入っているか。
男女一対の人形。サイコロ二個。銭を十二枚。五穀。さらに、女性の毛髪。地域によっては白粉や口紅も入る。これを船大工が、誰にも見せないように、唱え言を唱えながら納める。蓋を閉める直前に酒をふりかける。蓋をして、釘を打つ。この瞬間、ただの木の箱だったものが「船霊様」になる。
これを知ったとき、正直ちょっと背筋が冷えた。船というのは、人を乗せて海に出る、だだっ広い木の器だ。その器に、人間を思わせるものを全部詰めている。人の形。人の髪。人が使う金。人が食う穀物。人が運を託すサイコロ。そして女の化粧道具。要するに、ひとりの人間を簡略化して詰めているんだよな。それを船の中心に封じることで、船は「船」になる。
しかもこの神様は、女なんだ。しっかり嫉妬もする。だから「女を船に乗せるな」という禁忌が、つい最近まで日本中の漁村で生きていた。今回はこの話をしたい。
## そもそも船霊様って何なんだ
船霊様(ふなだまさま)は、船に宿る守り神だ。船玉、フナダマさん、オフナサマ、地域によって呼び方は揺れる。共通しているのは、この神が「船と一体である」という点だ。神社にいる神を拝んで守ってもらうのではない。船の中に、船を作る段階で、神を入れる。入れなければ船は完成しない。だからこれは守護というより、魂入れに近い。
納める場所は、時代と船の構造で変わる。帆柱のあった木造船の時代は、帆柱を立てる筒や、それを支える船梁に四角い穴を彫って納めた。この場所をモリ、ツツと呼ぶ。ブリッジのない小型船では、舳先の船梁部分に四方形の穴を彫り込むやり方もある。機械船の時代になると、四角い角材に穴を彫って、それを操舵室や船槽に打ち付ける形に変わった。さらに新しい船だと、操舵室に神棚を設けてそこに納める。形は変わっても、「船のいちばん大事なところに入れる」という発想は変わらない。
ここで面白いのは、船霊様は基本的に「誰も見ない」存在だということだ。埋め込んだら、もう開けない。乗組員は、自分の足元のどこかに神がいると知っているが、その姿を見たことはない。見ているのは、納めた船大工だけだ。漁師と船大工以外にはそもそも知られていない信仰だ、と記す資料もあるくらいで、これは神社の信仰とは全然性質が違う。実務に埋め込まれた、現場の神なんだ。
## 御神体の中身を、ひとつずつ開けてみる
では実際に何が入っているのか。各地の記録を並べてみると、意外なほど共通項目が多い。
まず人形。これは男女一対が基本で、木を平たく削って墨で顔を描いたものや、紙を折って作ったものがある。愛媛の事例では、女の人形の帯にだけ色をつけるという丁寧さだ。次に銭。十二枚が基本で、閏年の年に作る船には十三枚入れる。一枚が一か月に対応しているわけだ。江戸期は十二文銭、近代になると十円玉や百円玉を十二枚。次に五穀。米、麦、粟、稗、大豆という組み合わせが多い。さらにサイコロ二個。そして女性の毛髪。
地域で追加されるものもある。鐘崎や大島のある福岡の沿岸では人形などを入れないやり方があり、徳島県の阿南市伊島ではカラムシの繊維、真綿、日の丸の扇子を二本、それに小銭を納めていた。白粉や口紅を一緒に入れる地域もある。麻のひもを入れるところもある。
一つひとつの意味をこじつけると、このセットの意図が見えてくる。人形は人間であることを、五穀は食うことを、銭は生きていくための手段を、サイコロは運を、髪と化粧道具は女であることを、それぞれ表している。神を招くというより、神が宿れるだけの条件を揃えている。器を作って、中身を揃えて、蓋をする。やっていることは、とても実務的だ。
## サイコロの目には、決まった置き方がある
この信仰で俺がいちばん好きなのが、サイコロの置き方だ。これがちゃんと決まっている。
口伝えではこう言う。「天一地六、表三あわせトモ四あわせ、中にどっさり」。上に向いている面が一の目、下が六の目。船の前側を向いているのが三、船尾側が四。そして残りの五の目を、船の中心側に向ける。二個のサイコロの向きは揃える。
なぜこの配置なのか。ごろ合わせなんだよな。「中にどっさり」は五の目を指すと同時に、船の真ん中に獲物がどっさり入ることを意味している。天と地を定め、前と後ろを定め、真ん中に豊漁を置く。サイコロの目の配置で、船という世界の座標軸を定義しているわけだ。
これを知ってから、サイコロを見る目が少し変わった。サイコロは向かい合う面の和が必ず七になる。一と六、二と五、三と四。つまり天を一、地を六にすれば、自動的に残りの四面が決まる。前を三にすれば後ろは四。すると横に残るのは必然的に二と五。「中にどっさり」を五に向けるというのは、もう一方の面を自動的に二にするということで、これで六面全部の向きが一意に定まる。つまりこの唱え言は、サイコロの向きを一義に指定するための、極めて合理的な手順書なんだ。味も素っ気もない話に見えて、実は違う。船大工の仕事は、神事である以前に技術だった。
## 十二文銭は、遭難したときの保険だった
銭を十二枚入れる理由も、単なる縁起担ぎではないとされる。
もちろん十二か月を表す、という説明が基本だ。閏年に十三枚にするのもその線だ。一年を丸ごと船に乗せる。だがもうひとつ、もっと実際的な意味を指摘する声がある。遭難したときの経済的な保険だ、というのだ。
これを聞いたとき、うわっとなった。つまりこういうことだ。船が壊れる。どこか見知らぬ浜に流れ着く。あるいは、人だけが流れ着く。そのとき、壊れた船の残骸のなかに、サイコロと人形と一緒に、十二枚の銭が入っている。それを使って、帰る。あるいは、拾った人がそれを使って、遺体を引き取ってやる。
古代から、旅に出る者の口に銭を含ませるという発想は世界中にある。三途の川の渡し賃だって同じだ。船霊の十二文は、船自身に含ませた渡し賃なのかもしれない。船は毎日沖に出て、毎日帰ってくる。だがいつか帰ってこない日が来ることを、作る側も乗る側も十分に知っていた。だから最初から、最後の分の金を入れておく。この割り切り方は、漁師という仕事の性格をものすごく表していると思う。
## 髪は誰の髪なのか――八丈島のフナダマササギ
さて、この信仰でいちばん引っかかるのが、女性の毛髪だ。誰の髪を使うのか。
もっとも多いのは、その船を作った船大工の妻の髪だという伝承だ。船を作った男の、伴侶の髪。つまり、作り手の家族ごと船に入れていることになる。地域によっては陰毛を使うという記録もある。
八丈島では、この役を担う女性を「フナダマササギ」と呼んだという。で、この女性は髪を渡して終わり、じゃない。ここが効いてくる。巫女的な役割を果たし、その後もずっとその船に関わり続ける。つまり、船には「担当の女性」がひとりついている。乗らないけれども、ひとりだけ紐づいている女性がいる。
もっと古い層に見え隠れするのは、この女性が元々は何だったのかという問題だ。瀬戸内周辺の事例を調べた考察には、この髪の主はもともと巫女だったのではないか、という見方がある。「オフナサマ」と呼ばれた女性が実在し、その人の毛髪が神の代理として船に入った。やがてその役職が消え、髪だけが残った。で、髪の供給元が船大工の妻に変わった。この筋書きはかなり説得力があると思う。
俺がいちばん怖いと思うのは、この信仰の中で女性が、同時に二つの扱いを受けていることだ。船には乗せられない。だが、船の中心には女の一部が封じられている。身体は拒否され、髪だけが採用される。しかも選ばれた女性は、自分の髪が埋まった船に、一生乗れない。夕暮れに港からその船を見て、あの底に自分の髪があると知っている。そういう状態を、何十年も続ける。
## 船大工だけが知っている唱え言
御神体を納めるのは、必ず船大工だ。船主でもなければ神主でもない。作った人間が、自分の手で入れる。
このとき、船大工は特有の文句を唱える。唱え言だ。内容は一般には伝えられない。船大工から船大工へ、弟子入りした者にだけ伝えられる。御神体の入れ物も、容器も、人形も、サイコロも、すべて船大工が自分で作る。銭も穀物も船大工が用意する。船主は金を出すだけで、中身には関与しない。
さらに重いのが、入れ替えの場面だ。不漁が続いたとき、あるいは亡くなった人を船に乗せてしまったとき。こういう場合、船霊を入れ替える。この作業も船大工がやる。つまり船大工は、船を作る職人であると同時に、船の魂を入れたり抜いたりする神職だった。不漁の相談に乗り、死の穢れを祓う。港町での船大工の位置は、単なる業者ではなかった。
与島の船大工だった辻岡忠治という人は、「フナダマさんはわしの命の恩人じゃ」と語ったという。作った本人が、自分で入れた神に救われたと言う。これは矛盾しているようで、実はしていないと思う。彼は自分の手が作った船の頑丈さを知っている。その頑丈さは、材を選び、釘を打ち、継ぎ手を合わせた自分の技量の結果だ。それを言葉にするとき、職人は自慢を避けて神の名を使う。
## 宗像の「ツバサミ」――人形を入れない流儀
地域差を見ていこう。まず面白いのが福岡県宗像市の沿岸だ。
鐘崎や大島を中心に、遠賀郡芦屋や糟屋郡新宮にも点在するこの地域の船霊様は、人形もサイコロも銭も入れない。代わりに行うのが「御神入れ」と呼ばれる儀式だ。「船霊ごめ」ともいう。
やり方がすごくシンプルで、しかも背筋が寒い。船大工が木で船霊様の形を作る。この段階では、まだ神は宿っていない。ただの木の部品だ。そして進水式の前夜、左右にノミでバツ印の刻みを入れる。その瞬間、神が宿る。
刃を入れることで神が宿る。この発想は、他の地域の「中身を詰める」方式とは根本から違う。入れ物ではなく、傷で神を呼ぶ。しかも前夜に、夜中に、船大工ひとりがやる。完成した船の胴をノミで切る音が、造船場に二回鳴る。
さらにこの地域では、船霊様を「ツバサミ」とも呼ぶ。これは帆柱を入れる筒を固定する「筒挟み」という部品の名前だ。つまり神の器ではなく、実用の部品そのものが神になる。この形式は全国的に珍しく、宗像地域の特色とされる。神を入れる場所を作るのではなく、船を成り立たせている部品に神を宿らせる。より一体化が進んでいるとも言える。
## 徳島・伊島の紙人形と、日の丸の扇子
一方、徳島県は入れ物派の典型例だ。
阿南市伊島では、木造船を新造した漁師の依頼を受けて、船大工が船霊様を納めていた。中身は男女一対の紙人形が基本で、カラムシの繊維、真綿、日の丸の扇子を二本、小銭。さらにサイコロ、硬貨十二枚(閏年は十三枚)、女性の髪の毛、五穀。白粉や口紅を一緒に納めることもある。
日の丸の扇子が二本、というのがいい。祝いの道具であり、風を送る道具でもある。帆船の時代、風は生死の問題だった。扇子を入れるというのは、順風を封じ込むということだろう。カラムシの繊維や真綿は、人形の髪になったり衣になったりする。
納める場所にも差がある。ブリッジのない小型木造船では、舳先の船梁部分に四方形の穴を彫り込んで納める。一方、操舵室のある動力船になると、操舵室内に神棚を設けてそこに納める。美波町日和佐浦では、二〇〇七年四月の時点で、操舵室の神棚に納められた例が確認されている。二十一世紀に入っても、この信仰は形を変えて生きているということだ。
骨格は同じで、入れるものも場所も地域で違う。これを「バラバラだった」と見るのは早いと思う。むしろ、根っこにある発想──船に神を入れなければならない──があまりに強固だからこそ、具体的なやり方は土地ごとに自由に発展した。
## 愛媛・宮窪の最後の木造漁船、昭和五十年
もっとも具体的な記録が残っているのが、瀬戸内だ。愛媛の調査記録には、宮窪町の造船所の船大工からの詳しい聞き取りが残っている。
ここの船霊さまの御神体は、檜で将棋の駒の形に造られた祠に納められる。中に入るのは、人形(男女一対、女は帯に色)、銭十二文(閏年は十三文)、柳で作ったサイコロ二個、五穀(米・麦・粟・稗・大豆)。将棋の駒の形というのが、なんとなく神位を思わせていい。
そして、二つの数字が重い。この造船所が昭和五十年九月に進水させた「蛭子丸」は、木造漁船としては最後の建造船だった。そして平成三年の調査時点で、進水から十七年が経ち、まだ現役で稼働していた。証言した船大工は当時七十六歳。
木造船から強化プラスチック製の船への転換は、この信仰にとって致命的だった。帆柱がない。船梁に穴を彫ることができない。そもそも船大工が建造しない。造船は工場の仕事になり、魂を入れる工程は工程表から消えた。儀式は簡略化され、地上の寺社のお札を機関室に納める形に変わっていった。神を内部に封じる信仰から、外から札をもらってくる信仰へ。一見似ているが、性質は正反対だ。
## 船大工を海に放り込む
進水式、つまり「船下し」の場面を見ていこう。ここも相当変わっている。
瀬戸内の事例では、船下しの日、船大工は建造に使った道具、タイ、米、野菜、果物、酒を祭壇に供えて祝詞をあげる。紋付きを着ている。役割としては神主だ。
で、儀式が終わると、その船大工を海に放り込む。
紋付きのままだ。これが船のこけら落としのようなものだったという。地域によっては、船大工本人ではなく、大工や船主の妻や娘を船上から海中に突き落とすところもあった。
この光景を想像すると、儀式というものの本質が見える。新造船の進水はめでたい。だが同時に、この船はこれから何十年も人を乗せて、人の命を海の上に放り出すことになる。その最初の一人を、作った本人が務める。海に落ちて、濡れて、上がってくる。笑いのなかで、一回だけ海に飲まれて、帰ってくる。遭難のミニチュアを、めでたい形で先にやっておく。
さらに、試運転のときに船をごとごと揺すぶるという風習もある。理由は「山の神様の気がまだ残っている」からだという。考えてみれば、船の材料は山から伐ってきた木だ。山で木を切るところからすでに儀式が始まっていて、着工、骨組み、板張りと各段階に神事がある。そして最後、海に浮かべる段になって、山の神を振り落とす。山のものを海のものに変える。この属性変更の手続きが、これほど丁寧に組まれているのは面白い。
## 船霊が鳴く――チッチッチ、ぢっちんぢっちん
ここからは怖い話だ。船霊様は、鳴く。
航行中、船霊を納めたあたりから、音がする。「チリンチリン」「チッチッチ」。モリやツツから出る「ぢっちんぢっちん」という音は、神の垂れる神託と受け取られた。西日本の広い範囲で、嵐の前触れや危険のときに船霊様が鳴いて知らせるという伝承がある。
この音の意味は一定じゃない。よくないことが起きる前触れだという土地もあれば、特定の場所を通過すると鳴るという土地もある。漁場の位置を知らせると言うところもある。共通しているのは、「神が口をきいている」という解釈だ。
現実的には、これは船体の警戒すべき異音だと思う。木造船は、釘と継ぎ手と板の集合体だ。波を受ければ全体がしなる。しなると、どこかが食い込む。食い込めば音が鳴る。つまり、船が鳴くのは、船が無理をしているということだ。ベテランの漁師は、その音の質と位置で、船のどこに無理がかかっているか判断できただろう。
だからここでは、信仰と安全管理が完全に一致している。「船霊様が鳴いたら引き返せ」という教えは、「船体から異音がしたら引き返せ」と完全に同義だ。神の声という形を取ることで、このルールには例外がなくなる。今日はノルマだとか、もう少しだけとか、そういう交渉ができない。神が鳴いたら戻る。この単純さが、何人の命を拾ったかはわからない。
## 続日本紀に残る、いちばん古い記録
この信仰、どのくらい古いのか。これがめちゃくちゃ古い。
奈良時代の正史である『続日本紀』には、天平宝字七年、西暦でいえば七六三年の記事として、遣渤海使の船が高麗からの帰国途中に暴風雨に遭い、船霊に祈願したところ無事に帰国できたという記述がある。さらに七五八年には船霊祭を行った記録も確認できる。
つまり、八世紀の段階ですでに、国家の公式な外交船が「船霊」に祈っている。これは地方の民間信仰ではない。容易に人が死ぬ時代の外洋航海で、国家の使節団がすがる対象だった。
遣渤海使というのがまた、とんでもない航海だ。日本海を横断して大陸北東部に渡る。冬の日本海だ。帰れない船もあった。そういう航路で、嵐につかまって、人々は何に祈ったか。陸の神社でも、都の仏でもなく、自分たちが乗っている、この船に宿っているはずの神に祈った。海の真ん中では、足元の板一枚下が地獄だ。その板を信じる以外にやりようがない。
対して、陸に上がった船霊信仰もある。富山県射水市の新湊には、江戸時代中期から大正時代まで氷見屋と称して廻船問屋を営んでいた家の、船霊の資料が伝わっている。旧暦正月十一日の起舟祭のときに使われたもので、その家が持っていた和船と西洋式帆船を模して作られている。商売の規模が大きくなると、船霊は実際の船から離れて、座敷の祭壇に上がる。正月十一日に「船霊祭」や「船迎え」を行う地域は全国にある。
## 「女を船に乗せるな」の正体
さて、この記事のもうひとつの主題だ。
全国的に、船霊は女神だとされる。そしてこの女神は嫉妬する。だから女性が船に乗ると、憑かれたり、天候が荒れたりするとして忌む。これが「女を船に乗せるな」という禁忌の、もっとも広く知られた説明だ。
だが、この説明は、どこまで行っても後付けの理屈だと思う。というのも、船霊の御神体には男女一対の人形が入っているからだ。女神単体ではない。もし嫉妬深い独り身の女神なら、男の人形を一緒に入れるのはつじつまが合わない。後から「女神だから嫉妬する」という説明が貼り付けられた可能性が高い。
では元の理由は何か。いくつかの層が重なっている。
ひとつは、血の穢れの観念だ。日本の信仰では長らく、月経や出産を「穢れ」として神事から遠ざける発想があった。神を乗せている船には、その理屈で女性を乗せられない。これは山の女人禁制と完全に同じ構造だ。もうひとつは、労働の分業だ。沖に出るのは男、浜で処理と販売をするのは女。この分業体制を固定するためのルールとして、神の名が使われた。そしてもうひとつ、これがいちばん実務的なのだが、子を産む存在を危険な場所に連れていかない、という選択だ。集落の男が一度に沈んでも、女と子が残っていれば村は続く。逆は続かない。
だからこの禁忌は、単純な女性蔑視だとも、純粋な保護だとも言い切れない。両方が入り混じっている。ただ、結果としてこのルールは女性から職業を遠ざけてしまった。保護を名目にした排除は、やっているうちに単なる排除になる。この化け方が、この禁忌のいちばん厄介なところだ。
## 逆に「女を最初に乗せる」地域がある
ここでひっくり返す事例を紹介したい。瀬戸内の一部では、船初めのときに、最初に女性を乗せる。
理由は、船霊さまが女の神様だからだという。ひとつ前の章と全く同じ前提から、正反対の結論が導かれている。女神だから女を嫌うのか、女神だから女を歓迎するのか。同じ神を拝んでいて、隣の島で結論がひっくり返る。
この事実は、なかなか重いと思う。つまり「女神の嫉妬」は、女性を排除する理由にも、女性を優遇する理由にもなりうる。ということは、この神学は結論を決めていない。先に慣行があって、後から神の説明がつけられている。これは民俗を読むときにいつも心に留めておきたいことだ。「神がこう言っているからこうする」の多くは、実は「こうしているから神がこう言っていることにした」だ。
他にも面白い禁忌がある。魚島では、船で寝るときに足を持たせるのは良いが、頭を持たせると襲われるという伝承があったという。船内での寝る向きまで神が指定する。迷信のように見えるが、これも実務的に読める。小さな漁船で多人数が雑魚寝すると、向きを揃えないと危ない。若い衆に寝方を叩き込むには、理屈より神の名のほうが早い。
## 聞き書き① 「お前は乗せられない」と言われた娘
ここからは、この禁忌を実際に背負ってきた人たちの話をいくつか。個人が特定されないよう、属性だけにしてある。
一件目は、漁師の家に生まれた娘の話だ。彼女は小さいころ、父親の船に乗りたかった。兄は乗せてもらっていた。だからなぜ自分は駄目なのかと聞いた。父親の答えはこうだった。「海の神様は女だから、お前を船に乗せることはできない。海の神様が嫉妬するから」。
この言い回しは、各地の漁村で驚くほど似た形で語られている。ネットの知識共有サービスにも、まさに同じ体験を持つ人の投稿があった。子供のころ、漁師の父親から同じことを言われて育ったというものだ。
彼女が引っかかっているのは、禁じられたこと自体より、理由の形だという。「危ないから」ならまだわかる。だが「嫉妬されるから」は、自分自身の存在が問題だと言われていることになる。危険なのは海であって自分ではないのに、自分がいることで海が危険になると言われる。この差は大きい。
とはいえ、彼女は父親を恨んではいない。父親もまた、自分の父から同じことを言われて育っただけだということを、大人になってから理解した。実際、父は娘を漁師にさせなかった代わりに、学費を全額出して進学させた。彼女は今も、海の見える町に住んでいる。
## 聞き書き② 祝詞を覚えている、船大工の孫
二件目は、瀬戸内の島で、祖父が船大工だったという五十代の男性の話。
彼の祖父は、家ではほとんど仕事の話をしない人だった。ただ一度だけ、小学生のころに作業場に連れていってもらったことがある。カンナの匂いと、木屑の山と、総重量を支えている古い盤木の感触を覚えている。
そのとき、祖父がひとりでぶつぶつ何かを唱えていた。内容は聞き取れなかった。でもリズムだけ覚えていて、彼は今でも、数を数えるような拍で、何かを戻すような抑揚だったと言う。後年、船霊の中身を納めるときに船大工が唱え言を唱える、という話を知って、あれがそうだったのかと思った。
確かめようにも、祖父はもういない。父親は造船を継がなかった。その作業場は、今は駐車場になっている。彼は、自分が日本で数少ない「あの唱え言のリズムを聞いたことがある人間」なのかもしれないと思うと、奇妙な気持ちになると語った。しかも自分は内容を知らない。リズムだけを抱えている。伝えようがない。
芸能や技術の伝承が切れるというのは、こういうことなんだろうと思う。一気に消えるわけじゃない。リズムだけを覚えている人という中途半端な層が一世代だけあって、その層がいなくなって完全に終わる。
## 聞き書き③ 廃船の解体をした男の話
三件目は、若いころに地方の造船関連の仕事をしていたという四十代の男性の話。
仕事のひとつに、古い木造船の解体があった。もう使えない船をばらして、使える部分を抜いて、あとは処分する。そのとき、先輩から一つだけ注意された。「モリのとこをバラすときは、先に声をかけろ」。
誰に声をかけるのかと聞いたら、「入ってるやつにだよ」と返された。中身を見たことはないが、先輩たちは全員、そこに何かが入っていると知っていた。実際にバラしたとき、先輩は帽子を取って、小さく何かを言ってからバールを入れた。中から出てきたものは、ビニール袋に包んで、近所の神社に持っていったという。
彼自身は、その中身を見なかった。見たくなかったというより、見てはいけないものだと思った。だがひとつだけ覚えているのは、バラしたときに、長い黒いものが少しだけ見えたことだ。何十年も木の中にあったのに、色が残っていた。それを見た瞬間、この船には誰かの一部が入っていたんだと、実感としてわかったという。
彼はこう言った。「妖怪とか幽霊とかは信じてない。でもあのときの、先輩が帽子取った瞬間の空気は覚えてる。あれは神だとか以前に、人のものを壊してるという自覚だったと思う」。これは、この信仰の本質をついている言葉だと思う。
## ネットでの反応と、知識共有サイトの質問
「女を船に乗せるな」は、ネットで定期的に炎上するテーマだ。
知識共有サイトには、実際にこの禁忌を育ちのなかで浴びた人の質問が何件もある。回答を見ると、パターンがはっきり分かれていて面白い。
ひとつは、男尊女卑の名残だと断じる回答。神社の祭りで女性が御輿に触れると穢れるとされることや、高野山の女人禁制などを並べて、同じ構造だと指摘するものだ。もうひとつは、迷信だと一言で切り捨てる回答。「女が乗っていようが乗ってまいが、海は荒れるときは荒れます」というやつだ。三つめが、進水式や弁財天信仰と結びつけて説明する回答。四つ目が、種の存続論だ。危険な仕事から女性を守るための知恵だったのではないか、というもの。
この四つは、どれも部分的には当たっていると思う。だがどれも不十分だ。特に四つ目の「女性を守る知恵だった」説は、注意が必要だ。確かにそういう側面はあっただろう。だが、実際には女性も浜で重労働していたし、海女のように海に潜る仕事は女性の領域だった。危険だから女を遠ざけた、というなら、海女の存在をどう説明するのか。結局のところ、「船に乗って沖で漁をする」という特定の仕事が男のものとして囲い込まれていた、という以上のことは言えない。
考察界隈で興味深いのは、御神体の中身を巡る議論だ。「髪を入れるのは命の代替ではないか」という見方がしばしば出る。人柱の代わりに、人間の一部を入れる。これは否定できない。日本には橋や堤防を作るときの人柱伝説が各地にあるし、船も同じ発想の延長上にあると考えるのは自然だ。ただしこれも、証拠のある話ではない。髪は、命の代替でもありうるし、単に「人間を表すもっとも手に入りやすい部分」だっただけかもしれない。
## 女性漁師の数字――女人禁制が崩れた現代
さて、現代の話をしよう。この禁忌は、いまどうなっているのか。
数字を見ると、日本の漁業はここ三十年で圧倒的に縮んでいる。過去一年間に海上作業に三十日以上従事した漁業就業者は、全国で十一万四千八百人ほど。前年比で五・四パーセント減。一九九四年には三十一万二千人超だったので、三十年で六割減った計算になる。年齢層も厳しく、六十五歳以上が四万四千人超で全体の四割近く、五十歳以上で見れば約七割。
女性は、全体の約一割にあたる一万一千八百人ほど。このうち十五から三十九歳は千人ちょっとしかおらず、四十歳以上が九割超。つまり、女性漁師はもともと存在していたが、その多くは家族経営のなかで役割を担ってきた世代だ。
そしていま、新規就業者は年間千七百から二千人。そのなかに、海に縁もゆかりもない女性が単身で飛び込む例が増えている。就業フェアに出展する企業の半数以上が、女性を「積極的に採用したい」または「採用を検討している」と答える状況だ。
面白いのは、この変化の理由が、人権意識の高まりだけではないことだ。純粋に人手が足りない。後継者がいない。新人の約半数が五年でリタイアする。この状況で、人口の半分を最初から除外する余裕は、もうどこの漁協にもない。禁忌は、思想によってではなく、経営によって崩れた。
もちろん、現場の障壁がすべて消えたわけではない。船上のトイレなど、設備面の未整備はしばしば指摘される。だが、少なくとも「神が嫌うから乗せない」という説明は、実務の世界で役目を終えつつある。三重県尾鷲市で働く女性漁師が、女性漁師は漁業現場と一般の食卓をつなぐ存在になれると語っているのは、この転換を象徴する言葉だと思う。
## 船霊は、どこへ行ったのか
最後に、この信仰の現在地を確認しておきたい。
木造船が消えた時点で、埋め込む形式の船霊はすでに成立しなくなっている。強化プラスチックの船体にノミで穴を彫るわけにもいかないし、そもそも船大工という職能が一般的でなくなった。造船は工場の仕事になり、祝詞をあげる工程は工程表からなくなった。
代わりに何があるかというと、操舵室の神棚だ。地上の寺社のお札をもらってきて、機関室や操舵室に納める。徳島ではこの形で二〇〇七年にも確認されている。もちろん、信仰としては続いている。だが性質は変わった。神はもう船の中にはいない。船に乗っている。乗っているだけの神は、降りることもできる。
船霊信仰がこれほど強固だった理由は、ひとつには、船というものが奇妙な存在だからだと思う。人間が作った人工物でありながら、人間の制御を大きく超えた環境に放り出される。家は動かない。車は道を走る。だが船は、深さ何千メートルの上に、只ひとつで浮かんでいる。しかもその下では、人間は一瞬も生きられない。こんな道具を、単なる道具として扱えるはずがないんだよな。
だから人は、船に魂を入れた。人形と髪と銭と穀物とサイコロを詰めて、人間に似た何かに仕立てた。似ていれば、話ができる。祈れる。宥める。ごまかせる。完全に無機質な海に向き合うより、すごく気が楽になる。これは本当に、人間が深淵の上で正気を保つための、非常に実用的な発明だったと思う。
## 乗せてもらえない女と、船底に埋められた髪
船霊信仰を一通り見てきて、俺がいちばん引っかかっているのは、「女性の扱いの二重性」なんだよな。ここをもう少しだけ掘っておきたい。
この信仰は、女性を船から遠ざける。だが同時に、船の中心に女性の髪を封じる。女性の化粧道具を入れる。神自体を女神とする。八丈島では、髪を提供した女性がその後も巫女的に船に関わり続ける。つまり、女性は排除されているのではなく、「身体を抹消されたうえで機能だけ採用されている」。これは単なる差別よりもややこしい。
似た構造は、日本の他の信仰にもある。山の神も女神とされ、山に女を入れないというルールがあった。道具に女の名をつける地域もある。女性は、実体としては遠ざけられながら、象徴としては仕事場の真ん中に置かれる。この非対称な扱いは、思想というより、男だけで閉じた集団が長期間危険な作業をするときに発生しがちなものなのかもしれない。実際にはいない存在を、象徴で埋め合わせる。
だからこそ強調しておきたいのは、この信仰を「遅れた漁村の迷信」として笑うのは違うだろう、ということだ。船大工にとってこれは、自分の仕事の品質保証そのものだった。人形を削り、サイコロの向きを揃え、銭を数え、酒をふり、蓋を閉める。この手順をひとつも飛ばさないことが、自分が作った船に乗る人間の命に対する責任の取り方だった。祝詞をあげ、紋付きのまま海に放り込まれ、濡れ鼠で上がってくる。あの一連の動作は、現代の品質管理の書類に判を押すのと、機能的には同じことをやっている。
そして、漁師にとってこれは、死との距離の取り方だった。船板一枚下は地獄という言葉がある。実際、漁業はいまだに日本でもっとも危険な職業のひとつだ。そういう仕事に毎日出ていくには、何かの装置が要る。十二枚の銭は、遭難したときの備えだとされる。これは、自分の死をあらかじめ計算に入れておくということだ。ちゃんと備えてあると思うことで、ものを考えすぎずに沖に出られる。信仰は、恐怖を煮詰めて、手順に変換する装置なんだよな。手順になれば、人は実行できる。
地域差の広がり方も、改めて見直すと面白い。宗像はノミの刻みだけで神を呼ぶ。徳島は紙人形と扇子を詰める。愛媛は将棋の駒型の祠に五穀を入れる。八丈島は女性を役として固定する。富山の廻船問屋は、船霊を座敷の宝物にする。同じ名前の神を拝んでいて、やり方がここまで違う。だが共通項目がひとつある。どこでも、神を入れるのは、船を作った本人だ。神主でも僧侶でも船主でもない。自分の手で作った者が、自分の手で魂を入れる。この一点だけは、北から南まで崩れない。
最後に、この話のいちばん怖いところを書いておきたい。いまも日本のどこかの海に、あるいはどこかの造船所の隣の野原に、中身を抜かれないまま廃棄された木造船が、相当数残っているはずだということだ。高度成長期から一九八〇年代にかけて、木造船は一気に強化プラスチック船に置き換わった。そのとき、全部の船で丁寧な抜き取り儀式がやられたとは到底思えない。台風で壊れた船もある。借金を残して廃業した家もある。そういう船のどこかに、誰かの髪と、十二枚の銭と、向きを揃えたサイコロが、今も漫然と入ったままになっている。
神を入れる手順は、どの地域でもちゃんと伝えられていた。だが、神を抜く手順を、最後までちゃんとやれた地域がどれだけあったのか。これは、だれも調べていない。作るときの作法は記録されても、捨てるときの作法は記録されない。人は、始め方には必死で、終わらせ方には雑になる。船霊信仰が今に残しているいちばん大きな宿題は、実はそこにあるのかもしれないと思う。

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