登戸橋のたもとに、婆の石碑が立つらしい
岩手県の遠野に、登戸橋という橋がある。寒戸の婆ゆかりの橋として、遠野市立博物館も紹介している。たもとには石碑も置かれているらしい。婆の話は、柳田國男が1910年にまとめた『遠野物語』の8話に載っていて、神隠しの話としてよく引かれる。
序文によれば、話はすべて遠野の佐々木鏡石から聞いたものだ。鏡石は、佐々木喜善の筆名。明治42年の2月ごろから、夜になるとたびたび訪ねてきて語るのを、柳田が筆記した。一字一句も加減せず、感じたままを書いた、と序文は断っている。
序文には、こんな一文もある。「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」。平地に暮らす人間を震え上がらせてほしい、という挑発に近い言葉だ。
8話は、こんな話だ。若い娘が、梨の木の下に草履を脱ぎ置いたまま行方知れずになった。そのまま30年あまりが過ぎたころ、親類や知り合いが家に集まっているところへ、すっかり老いさらばえた女が帰ってきたという。
どうやって帰ってきたのか、と問うと、女は、人々に逢いたかったからだと答えた。そして「さらばまた行かん」と言い残して、再び跡を留めず消えたという。その日は、風の烈しく吹く日だった。
遠野の人は、いまでも風の騒がしい日になると「きょうはサムトの婆が帰って来そうな日だ」と言う。行方知れずの30年に何があったのか、話は一言も触れない。消えた理由も、戻った理由も、語られないままだ。
ある解説によれば、遠野に寒戸という地名はない。本当の舞台は、松崎村の登戸にあった茂助の家だという。サムトという名は、柳田が聞き違えたのではなく、わざと変えたのではないか、という説が有力だと紹介されている。
国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースにも、この話の項目がある。岩手県遠野市の事例として載っていて、引用文献は『遠野物語』だ。岩本由輝の論文「サムトの婆々と佐々木喜善」が、1996年6月に『東北民俗』の通巻30号に出ている。
8話は、こう始まる。黄昏に女や子どもが家の外に出ていると、よく神隠しに遭う。柳田は、それを「他の国々と同じ」と書き添えた。神隠しは、遠野だけの話ではなかった。
今回の題材は、そんな神隠しの親戚筋にあたる言い伝えだ。「同じ道を3回通ると神隠しに遭う」。たったそれだけの条件だが、夜道を歩く人間には妙に刺さる。
出どころは、どこを探しても見つからない
先に言っておく。この言い伝えの出典は、特定できていない。3回通ると異世界へ移る、行方不明になる、といった超自然の因果も確かめられていない。ただ、笑い話で片づける気にもなれない。山や川沿いの暗がりで同じ景色を何度も見るのは、道に迷っている合図になりうるからだ。
ネットで出回っているある記事は、この言い伝えをこう紹介している。夜に同じ道や橋を3回往復すると霊に惑わされ、神隠しに遭ったり、異世界に入り込んだり、行方不明になったりする。理屈づけも派手だ。古典の名前がずらりと並ぶ。
挙がっているのは『風土記』『日本霊異記』『怪談老の杖』『稲生物怪録』『今昔物語集』。三界や三途の川といった「三」の象徴も添えられている。体験談も載っている。2010年代に川沿いの橋を3回渡った女性の話と、2000年代に関西の山村で子どもが親に止められた話だ。
ところが、古典の具体的な箇所も、話を採集した土地も、初出の時期も、その記事には1つも書かれていない。「日本全国、特に田舎で」語られているという分布も、確認できていない。
3回で異世界との境界が開く全国的な伝承が本当にあるのか、各古典に同じ道を3回通る禁忌が書かれているのか。どちらも裏が取れなかった。三界や三途の川から「3回」の規則が生まれた、という説も、同じ扱いになる。
橋を3回渡ったら音が消えて道が変わった、という匿名の体験談にも、裏づけはない。時間が飛ぶ話、同じ看板が何度も出てくる話、知らない集落に出てしまう話といった派生譚も、確認は取れていない。今回あたった資料では、同じ道を3回通る条件を記した記録は見つからなかった。『遠野物語』の8話にも、3回という回数の条件は出てこない。
鉦と太鼓は、捜索ではなく奪い返しだった
神隠しに遭った者は、神域に消えたと考えられた。探すときは、鉦や太鼓を叩いて、消えた者の名を呼ぶ。そんな呪術めいた手順を伴ったとされる。
柳田は『山の人生』で、これを「本来捜索ではなくして、奪還であった」と書いた。東京では、町内の人々が提灯を1つずつ持って集まり、夜どおし大声で子どもを呼んで歩いたという。関東では「迷子の迷子の何松やい」と繰り返し、上方では「かやせ、もどせ」と、ゆったりした悲しい声で唱えた。
迷子と神隠しの線引きも、柳田は書いている。ただの迷子なら、たいていはその日その夜のうちに消息が判明する。2日も3日も捜して見つからないのが神隠しで、昔の人は、子どもがいなくなれば最初から神隠しだと見て、それに合う手を打った。
実例も挙げている。伊豆の松崎であった例では、3日ほどして東の山の中腹に、1人で立っているのが見つかった。何度も捜す者が通ったはずの場所だったので、土地の人がのちのちまで不思議がったという。
上総の東金の近くでは、2、3日して、山の薄の叢にしゃがんでいる少年が見つかった。それから久しい間、抜け殻のような少年だったそうだ。
狐のわざと考える地方もあった。柳田は、いまは狐が人を騙して迷わせるだけだと数える田舎が増えている、と書く。夜どおし探された若い衆が、朝になって見ると、土手の陰や粟畑のまん中に、きょとんと立っていた。そんな話も昔話になりかけている、という。
『吾妻鏡』には、平繁成が生まれて間もなく行方不明になり、4年後に狐塚の中から見つかった、という伝承が載る。江戸の随筆『耳嚢』には「二十年を経て帰ってきた者の事」という題の話があり、20年後に同じ便所から現れたと伝える。
時間が飛ぶ話は、新しいものではない。サムトの婆が戻ったのも、30年あまりがたってからだった。現実の側から見れば、神隠しの正体は、迷子、家出、失踪、夜逃げ、誘拐、口減らし、事故といった顔ぶれになる。
茸狩りの帰りに、同じ池の岸へ戻ってきた
『山の人生』の柳田は、自分の体験も書いている。子どものころ、母と弟2人と、茸狩りに出かけた。遠くからいつも眺めている小山で、山の向こうの谷には、暗くて寂しい池があった。岸に下りて、しばらく休んだ。
夕日になって、また茸を探しながら、同じ山を越えた。もと登った側の山の口に出たと思ったら、どう歩いたものか、またあの寂しい池の岸に戻っていたという。
そのときも、ぼうっとしたような気がした、と柳田は書く。母のどなる声で、たちまち普通の心持ちに戻った。もし1人だったら、神隠しの例をまた1つ残したと思う、とも書いている。
『山の人生』は、1925年にアサヒグラフで連載が始まった本だ。道に迷って同じ場所へ戻る体験は、日本でも昔から書き留められてきた。100年ほど前の記録。
山鬼の路に入ると、踏み迷う
同じ本には、山の路の話もある。菅江真澄の『遊覧記』に、北秋田郡の黒滝の山中で路に迷った場面が出てくる。山頂らしいあたりに、横たわる路が見えた。喜ぶと、案内の者が笑った。
どの嶺にも、山鬼の路という嶺の通路があるものだ。この道を行けば、また何処とも知れず踏み迷うことになる。そう言って、なお峰に登っていったという。
柳田は、伊能嘉矩の話も書き留めている。陸中の遠野でも、山の頂の草原に、路らしい痕跡があるところは、山男の往来にあたると言われ、野宿の人は避けるのが普通だったそうだ。
踏み跡を信用するな、という警告は、昔の山にもあった。後で触れる知床の案内にも、同じ形の注意が載っている。
嫁入り前の娘は、戻橋に近づかなかった
橋にまつわる話は多い。京都の一条戻橋が、その代表格になる。918年、三善清行の葬列がこの橋を通ったとき、熊野で修行していた子の浄蔵が急いで帰ってきた。浄蔵が棺にすがって祈ると、清行が雷鳴とともに一時よみがえり、父と子が抱き合ったという。
『撰集抄』の巻七に記された故事。橋の名前も、ここから来ている。戻るという字が、橋の名に残った。
同じ橋には、鬼の話も残る。『平家物語』剣巻によれば、源頼光の四天王、渡辺綱が夜中に戻橋で美しい女に会う。女は、夜も更けて恐ろしいから家まで送ってほしいと頼み、綱が馬に乗せると、たちまち鬼に姿を変えた。
鬼は綱の髪をつかんで、愛宕山の方向へ飛んでいった。綱は太刀で鬼の腕を切り落とし、その場から逃げ出している。
戻橋には、風習も残った。嫁入り前の娘や縁談の関係者は、嫁が実家に戻ってきてはいけないという意味から、この橋に近づかなかった。反対に太平洋戦争中は、召集された兵とその家族が、無事に戻れるようにと渡りに来たそうだ。同じ橋を、避ける人もいれば、わざわざ渡る人もいた。
「三」はいつも、境目のそばにいる
3回という数の核にあるのは、「三」という数字だ。有名なのは三途の川。死者が渡るとされる、現世とあの世を分ける川だ。ただ、名前の「三」は、川を3回渡るという意味ではない。仏典の三悪道、地獄道・餓鬼道・畜生道に由来する、という説明がある。
別の説もある。川の渡り方が3種類あったから、というものだ。どちらの説でも、3回渡る話にはつながらない。
三界という言葉もある。欲界、色界、無色界の3つだ。欲界には、淫欲と食欲を持つ衆生が住む。色界には、その2つの欲を離れても、物質的な条件にとらわれた生き物が住む。無色界は、物質からも離れて、精神だけを持つ生き物の世界だ。
慣用句にも、3は顔を出す。「二度あることは三度ある」「三度目の正直」「仏の顔も三度」。1度や2度は偶然で済んでも、3度重なると、何か意味があるのではないかと受け取りたくなる。日本語にはそんな感覚が染みている。
『遠野物語』には、3周する話もある。62話の猟師は、山の中で小屋を作る暇がなく、大木の下で眠ることにした。そこで魔除けのサンズ縄を、木のまわりに3周引きめぐらしたという。
夜更けに物音がして、赤い衣を羽のように羽ばたかせた大きな僧形の者が、木の梢に覆いかぶさってきた。猟師が鉄砲を撃つと、中空を飛び去った。同じような不思議に前後3度まで遭い、そのたびに猟をやめると誓ったが、年をとるまでやめられなかったという。
そこへ、山道や夜道で迷って同じ景色に何度も出くわす、実際の体験が重なる。数字と体験が結びついて、「3回通ると境を越える」という形の怪談ができた。この道筋は、あくまで筆者の見立てだ。出典はない。
古典のほうは、足場がない。特定の古典の巻や章に、この規則そのものがはっきり書かれているという確証は、得られなかった。出典を、どれかの書物のどこかに求めることはできない。典拠は空白。
山で迷った女が見つけた、人のいない屋敷
遠野には、迷い込んだ先の話もある。『遠野物語』の63話に出てくるマヨイガだ。小国の三浦家の妻が、門の前を流れる川に沿って、蕗を採りに谷の奥へ登っていった。
ふと見ると、立派な黒い門の家がある。庭には紅白の花が一面に咲き、鶏が遊んでいる。牛小屋にも馬屋にも牛馬が多いのに、人の姿はない。玄関から上がると、次の間に朱と黒の膳や椀が出してあり、奥の座敷では、鉄瓶の湯がたぎっている。
人影がないので、山男の家ではないかと急に怖くなり、女は駆け出して家に帰った。後日、川上から赤い椀が1つ流れてきて、穀物を量る器に使ってみると、いつまでたっても穀物が尽きない。
原文には、マヨイガに行き当たった者は、その家の品物を何でも持ち出してくるものだ、とある。女が無欲で何も盗まなかったから、椀のほうから流れてきたのだろう、というのが語り手の見方だ。
64話は、その続きのような話だ。金沢村の婿が、実家へ行こうとして山路に迷い、同じ家に行き当たる。話を聞いた村人たちは、膳や椀を持ち帰って長者になろうと、婿を先に立てて山の奥へ探しに入った。門のあったという場所まで来ても、何も見えず、空しく帰ってきた。婿が金持ちになった、という話も聞かない。
29話には、迷った者を送り届ける男たちが出てくる。賭けで、天狗が住むという前薬師に1人で登った男が、頂上で大男3人に会った。早池峯に登ったが途中で迷った、と言うと、それなら送ってやると、先に立って麓近くまで連れてきた。眼を塞げと言われ、そのまま立っているうちに、男たちは見えなくなったという。
迷った先で、富に出会う。迷った先で、送り返される。山の中で道を失う体験は、同じ入り口から、正反対の結末へ分かれていく。
2004年の深夜、電車は駅に着かなかった
もうひとつの源流筋は、インターネットの怪談だ。2004年1月8日の深夜、2ちゃんねるのオカルト板にある実況スレッドで、1人の書き込みが始まった。名前は「はすみ」。新浜松駅から電車に乗った、と書いている。
電車は、20分以上たっても停まらなかった。やっと停まった先は、「きさらぎ駅」という聞いたことのない無人駅。周りは草原と山ばかりだった。
書き込み主は線路を歩いて、伊佐貫トンネルにたどり着いた。3時44分の書き込みを最後に、消息が途絶える。存在しない駅に降りた話として、いまも語られている。
毎日の何気ない行動が、異世界への扉になる。筆者には、きさらぎ駅と「3回通ると神隠し」が、同じ型の話に見える。電車に乗れば駅に着くはずが着かず、道を歩けば家に着くはずが着かない。
考察系のブログには、この言い伝えをきさらぎ駅の系統に連なる話として紹介するものがある。昔からある神隠し伝承と、掲示板の文化が組み合わさって、現代の語り口の怪談になった、という扱いだ。
橋、トンネル、同じ電柱。舞台は土地で変わる
いちばん基本の形は、「夜に同じ道を3回通ると神隠しに遭う」だ。舞台を道から橋、トンネル、峠道、同じ電柱、同じ看板に絞った型も、広く語られてきた。
結末にも幅がある。3回目を過ぎると、知らない集落に迷い込む。元の場所に戻ったつもりが、少し違う世界に入れ替わっている。時間が飛んで、体感よりずっと長い時間がたっている。どれも嫌な感じだ。
地域差についても、出回っている説明がある。山間部や農村部では峠道や林道が、都市部や住宅地では同じ交差点や歩道橋が、舞台に選ばれやすいという。これは出典の確かな話ではない。
語りの骨組みはどこでも同じで、舞台だけが土地の地形に合わせて姿を変える。そんな整理のされ方をしている。
数えた瞬間に怖くなる
ネット上には、実際に体験したという体裁の書き込みも出回っている。川沿いの橋を3回渡ったら周りの音が急に静まった、という筋の話がよく語られる。ただ、書き手も日時も確かめようがない。
共通するのは、回数を意識した瞬間から、静けさや時間のずれ、景色の違和感が急にくっきりしてくる流れだ。数えたとたんに怖くなる。人間の注意や暗示の働きがよく出た話、と読める。
山や夜道で「同じ景色に3回行き当たった」という書き込みには、実用的な返信がつくこともある。「それはリングワンダリングかもしれない、落ち着いて地図を確認したほうがいい」というやつだ。怪談として楽しむ声と、遭難を防ぐ呼びかけが、同じ話題の中に並ぶ。
八甲田の吹雪の中でも、人は円を描いた
登山には、リングワンダリングという言葉がある。リングワンデルングとも呼ぶ。視界を閉ざされた人が、まっすぐ歩いているつもりで、円を描くように旋回してしまう現象だ。
別の登山用語集は、ガスや吹雪、濃霧、暗夜などで方向感覚を失う状況を挙げる。まっすぐ進んでいるつもりでも、だんだん左か右へずれて、同じ所を大きな円を描いて歩き回ってしまう。広い高原や雪原のように、はっきりした目印がない地形で起きやすい。
対策は、無理に歩き回らず、その場にとどまって視界が晴れるのを待つことだと書かれている。雪の上で濃いガスに包まれると、太陽の光が四方八方から乱反射し、平衡感覚も方向感覚も乱れる。ホワイトアウトと呼ばれる状態。
日本の例では、1902年の八甲田雪中行軍遭難事件がある。青森の歩兵第5連隊は、冬にロシア軍が攻めてきて列車が不通になったとき、物資を人力のソリで運べるかどうかを調べるため、1月23日に出発した。経路は、青森から田代を通って、三本木、八戸へ抜ける。
田茂木野の村民は、行軍の中止を進言した。どうしても行くのなら、と案内役まで申し出ている。隊はこれを断り、地図と方位磁針だけで、厳寒期の八甲田山に入っていった。
小峠から鳴沢にかけて積雪が増え、ソリ隊が大きく遅れる。一行は午後8時15分、田代まであと1.5キロの平沢の森で最初の露営に入り、雪壕を5つ掘ったと伝わる。
1月24日の午前2時ごろ、行軍の目的は達成されたとして、帰営が決まる。午前2時半に出発して、3時半ごろには鳴沢付近で峡谷に迷い込んだ。途中で駒込川の本流に出てしまい、崖をよじ登ろうとして落伍する者が出た。
風速は29メートル前後、気温は氷点下20度から25度以下、深い谷の積雪は6メートルから9メートルだったと推測されている。1月27日の午前10時半ごろ、三神少尉の小隊が、大滝平付近で雪の中にたたずむ後藤房之助伍長を見つけた。
参加者210名のうち199名が亡くなり、そのうち6名は救出後の死亡だった。生存者は11名。弘前隊は同じ時期に別の経路を行軍し、参加者は37名と新聞記者1名、1月20日から2月1日までの11泊12日だった。負傷で途中帰還した1名を除いて、全員が行程をやり遂げた。
ある解説は、馬立場から鳴沢へ向かう道を外れて付近を1周してしまった、とリングワンダリングで説明する。平沢から鳴沢までは直線でわずか600メートルなのに、丸1日歩き続けたとも書かれている。
吹雪の山と夜の土手道は、むろん条件が違う。だが視界が閉ざされれば、まっすぐ歩いているつもりでも円を描く。その現象に名前がある、という点だけは押さえておきたい。
道迷いは、いちばん多い遭難だった
怪談の外へ出てみよう。令和7年6月に警察庁が公表した統計では、令和6年の山岳遭難は2,946件、遭難者は3,357人だった。そのうち道迷いが1,021人で、全体の30.4%を占めた。原因別でいちばん多い。
道迷いの次は、転倒の671人で20.0%、滑落の577人で17.2%、疲労の343人で10.2%と続く。病気は256人で7.6%、悪天候は39人で1.2%にとどまる。
令和5年も同じだ。遭難者3,568人のうち、道迷いは1,204人で33.7%。次点の滑落が617人で17.3%、転倒が604人で16.9%だから、差は大きい。
令和6年の死者・行方不明者は300人。内訳は死者265人、行方不明者35人。無事に救出されたのは1,667人で、49.7%だった。遭難者の半分は60歳以上で、40歳以上まで広げると79.8%になる。死者・行方不明者に絞ると、60歳以上が192人で64.0%、40歳以上が275人で91.7%だ。
夜や霧の中で分岐を見誤る。似た景色の続く道で、いまどこにいるのか見失う。どちらも超自然現象を持ち出すまでもなく、十分に起こる。幽霊の出番はない。
夜と霧の中では、踏み跡さえ当てにならない
環境省の知床の登山案内には、夜間や霧の中で行動するのは視界がきかず危険だ、とはっきり書いてある。背丈より高い藪の中では、まったく方向がわからない。
踏み跡をたどるのも、道迷いの大きな要因だという。シカなどの獣道の可能性があるからだ。エゾシカなどの獣道を、登山道と思い込む人が多い。6月ごろは残雪で道迷いすることもある、と案内は続ける。
視界のきかない藪や、水音のうるさい沢沿いでは、頻繁に声を出したりホイッスルを吹いたりする。登山道のない山では、等高線のある2万5千分の1の地形図とコンパスが必須の道具になる。来たルートさえわからなくなって、道に迷う例も挙がっている。
迷う材料は、ありふれている。疲れ、暗さ、霧、似た分岐、円を描く道、位置確認の不足。それが重なれば、同じ地点へ戻ってしまう。
迷ったかも、と思った時点で、もう1回目だ
怪談としては、3回通る話は魅力的だが、実地で「3回まで試してみる」のは危険だ。ここからは真面目な話になる。道がおかしいと感じたら、闇雲に進まない。安全な場所で足を止める。
出かける前の準備も大きい。登山計画と装備を整え、夜間やひとりきりの行動は避ける。それでも遭難してしまったときは、体力を温存して、警察や消防に連絡する。
警察庁の資料には、対策がはっきり載っている。地図の見方やコンパスの使い方を身につけて、常に自分の位置を確認する。「道に迷ったかも」と思ったら、闇雲に進まず、歩いてきた道をたどって正規の登山道まで引き返す。
