奇怪千万からのお願い

このサイトの記事が面白かった、役に立ったと思って頂けたら、一つお願いがございます。
Amazonで何か買う予定があるとき、その前に下のボタンから入って頂いて買い物をしていただくと
サーバーの運営費と心霊スポットやパワースポットの取材費になります。

ここから入って買い物をすると、金額の数%が紹介料として私に入ります。
貴方様の支払いが増えることは一切ありません。買う物も何でも構いません。
記事をもっとたくさん増やしたいので、ご協力をお願いします。

当サイトではアマゾンアソシエイト以外のアフィリエイトは使用しません
(記事が見づらくなるから・・・)

「炉のわきに死人を立てかけると鉄がよく湧く」――中国山地のたたら場を支配した女神、金屋子神と、その異様すぎる禁忌のすべて

たたら場の神さまは、女神だ。しかも、とびきり気難しい。

女が嫌い。犬が嫌い。麻が嫌い。蔦も嫌い。ここまでなら、まあ、日本の職能神にはわりとある話ではある。神さまが何かを嫌うというのは、要するに「これをやると失敗するぞ」という現場の経験則が、神の好き嫌いというかたちに翻訳されたもの。そのくらいに読んでおけば、だいたい外さない。

問題はこの先だ。

この神は、死の穢れを忌まない。忌まないどころか、好む。

日本の神は、たいてい死を嫌う。というか、死を嫌うことが神の神たるゆえんみたいなところがある。鳥居の内側に葬列は入らない。喪中は参拝を控える。神職は死に触れたあと身を清める。そういう感覚が、たぶん読んでいるあなたの体にも薄く残っているはずだ。

なのに、この神だけは違う。

中国山地のたたら場では、こう言い伝えられてきた。鉄の出が悪いとき、炉のわきに死人を立てかけると、鉄がよく湧く、と。

冗談でも怪談でもない。真顔で、しかも技術上の助言として語られてきた。名前を金屋子神という。読みは「かなやごがみ」。中国地方を中心に、およそ千二百社を数えるとも言われる金屋子神社の、その総本社は島根県安来市の山奥にある。

日本の民俗のなかでも、この神はかなり異様な部類に入る。今日はこの神の話をする。縁起から、たたら場の実際の作法から、あの死人の伝承の読み方まで、腰を据えて。

そもそも金屋子神って何者なんだ

まず身も蓋もないことを言うと、この神の素性はよくわからない。

『古事記』にも『日本書紀』にも出てこない。『出雲国風土記』にも載っていない。『延喜式』の神名帳にもない。古代の公的な記録が、そろって沈黙している。総本社とされる安来の社ですら、いつ創建されたのか確たることがわからない。度重なる火災で古記録が焼けてしまったからだ。

つまりこの神は、国家の神話体系の外側で育った神ということになる。中央の朝廷が編んだ神々のリストではなく、山の中で炉を焚いていた連中のあいだで、口から口へ、写本から写本へ受け継がれてきた。

面白いのは、鉄の職人たちが、自分たちの神の名をあまり口にしなかったという話が伝わっていることだ。畏れ多いから言わない。だから記録に残らない。残らないから、ますます輪郭がぼやける。

性別についても、実は諸説ある。一般には女神とされている。というか、禁忌の中身が「女を嫉妬して嫌う」なので、女神でないと話が成立しない。ただ古い資料には男神として語る系統もあるし、男女一対の神として祀る土地もある。神仏習合の影響で、三宝荒神の姿で描かれた掛軸が金屋子神社に伝わってもいる。三つの顔を持つ、あの荒ぶる姿だ。

系譜の説明も一定しない。金山彦命と金山姫命の子とする説。山の神と海竜王の姫とのあいだに生まれた金山姫命だとする説。石見銀山の佐毘売山神社の「佐毘売」がこの神の別名ではないかという説。天目一箇神と同一視する説。どれも決め手がない。

要するに、素性不明なのだ。素性不明の女神が、鉄という当時最強の物質の生産現場を支配していた。この時点でもう、じゅうぶん怖い。

縁起――白鷺に乗って、桂の木に降りた

素性は不明でも、縁起はある。しかも、かなり物語として整っている。

金屋子神社に伝わる祭文、あるいは各地のたたら場で写し伝えられた縁起書。細部は写本ごとにけっこう揺れるのだが、大筋はこうだ。

あるとき、播磨国の志相郡岩鍋というところが、ひどい旱に見舞われた。今の兵庫県宍粟市千種町岩野辺のあたりだと言われている。田は割れ、稲は立ち枯れ、村人は雨乞いをしていた。

祈りに応えて、高天原から神が降りた。雨とともに降りてきた。

村人は当然、驚く。あなたはどなたですか、と聞く。

神は名乗る。われは金山彦、天目一箇神なり、と。

そして村人に、鍋や釜の作り方を教えた。だから、その地は岩鍋と呼ばれるようになった。地名の由来までセットになっているのが、いかにも縁起らしい。

ところが神は、そこに留まらない。

われは西方に縁のある神である。西へ行き、鉄を吹き、道具を作ることを多くの人に教えよう。

そう言い残して、白鷺に乗った。

ここが好きなのだ、この縁起の。白い鳥に乗って、西へ飛ぶ。旱の村を救った神が、ふっと去っていく。

白鷺は西へ西へと飛び、出雲国能義郡黒田奥比田の山林に着いた。今の安来市広瀬町西比田。標高四百五十メートルほどの、山に囲まれた小さな盆地だ。

そこに、桂の大木があった。神は、その桂の枝で羽を休めていた。

見つけたのは、狩をしていた男だった。縁起では安部正重という名で伝わっている。獲物を追って山に入り、桂の木の下に、見たこともない気配を見た。

正重は驚いて、朝日長者と呼ばれる地元の富裕な家に告げた。長者は社を建てた。それが金屋子神社のはじまりとされる。

そして神は、自ら村下となった。

これがこの縁起の白眉だと思う。村下というのは、たたら製鉄の技師長、現場の最高責任者のことだ。神が、ただ祀られる存在ではなく、自分で炉の前に立って、火を見て、砂鉄をくべる指揮を執る。技術者としての神。

さらに縁起は続く。神には七十五人の子神がいて、その子神たちが七十五種の道具を作った、と。数字がやたら具体的なのも、この手の職能縁起の特徴だ。七十五という数は、たたらに使う道具の数として語られてきた。

いま金屋子神社の境内には、桂が神木として立っている。奥出雲の菅谷たたら山内にも、高殿のわきに大きな桂がある。あれは飾りではない。神が最初に降りた木の再現なのだ。たたら場を作るときには桂を植える。神が休む場所を用意しておく。そういう作法だった。

境内には、日本一と讃えられる高さ九メートルの石鳥居が立っている。山奥の、けっして交通の便がいいとは言えない場所に、あの規模の鳥居がある。それだけの富が、鉄から動いていたということでもある。

三日三晩――たたら場が動いている、その夜の話

禁忌の話に入る前に、現場の空気を書いておきたい。これがわからないと、禁忌の切実さも伝わらないと思うから。

たたら製鉄の一回の操業を「一代」と呼ぶ。いちだい、と読む。

高殿と呼ばれる建物のなかに、粘土で築いた炉がある。長さは二メートル半から三メートルほど。地面の下には、驚くほど手のこんだ構造が埋まっている。石と砂と粘土を層にして、水を抜き、熱を逃がさないための地下構造。本床と呼ばれる炉の直下の空間、その両脇に小舟と呼ばれる空洞。これを掘って作るのに、月単位の時間がかかる。

炉の両側にはふいごがある。天秤式のふいごを、番子と呼ばれる男たちが足で踏む。三人一組で交代しながら、ひたすら踏む。「代わりばんこ」の語源がこれだという説があるくらいで、とにかく交代し続けないと体がもたない。

火を入れる。

一日目。炉を乾かしながら、少しずつ砂鉄を入れはじめる。まだ静かだ。

二日目。砂鉄と木炭を、三十分おきに投入する。三十分おきというのは、つまり誰も寝られないということだ。炉の中で鉄が育ちはじめる。ノロと呼ばれる不純物のスラグが、炉の穴から流れ出る。この流れ方の色と粘りで、村下は炉の中の状態を読む。

三日目。砂鉄の量を増やし、風を強くする。炎の色が変わっていく。村下は炉の前から離れない。炎の色を見る。音を聞く。砂鉄が煮える音を聞く、と職人は言う。温度計もない、成分分析もない。五感だけで、粘土の箱の中で起きている化学反応を制御する。

そして四日目の朝。

炉を壊す。

叩き壊した粘土の中から、灼熱の巨大な鉄の塊が現れる。ケラと呼ばれるものだ。砂鉄と木炭をそれぞれ十トン前後放り込んで、出てくるケラは二トン半くらい。そのうち日本刀に使える最上質の玉鋼となるのは、一トンにも満たない。

現代の製鉄からすれば、笑ってしまうほど効率が悪い。でも、この方法でしか作れない鋼がある。だから今も、島根県奥出雲の日刀保たたらでは、毎年一月中旬から二月初旬にかけて、この操業が続いている。三昼夜、不眠不休。年に三代。全国およそ二百人の刀鍛冶の材料は、ここから出ている。

七十時間、火を絶やさない。七十時間、誰かが炉を見ている。冬の山奥で、屋根の下だけが真っ赤に光っている。

その光の中に、神がいる。

そういう場所の話をしているのだ、これから。

禁忌その一――女

金屋子神は、女を激しく嫌う。

たたら場は女人禁制だった。これは近代まで、かなり厳格に守られている。

理由として語り継がれてきたのは、身も蓋もない話だ。金屋子神は女神で、器量がよくない。だから女に嫉妬する。女がたたら場に入ると、神が機嫌を損ねて、鉄が湧かなくなる。

もう少し丁寧な言い方をする土地もある。神は美しい女神だが、それゆえに嫉妬深い。あるいは、職人が気を散らして仕事を失敗するのを防ぐための掟だった、と。この最後の説明は、後世の合理化っぽい匂いがする。

徹底ぶりがすごいのは、禁忌が高殿の中だけで終わらないことだ。操業中は、家で待っている女房も化粧をしなかったという。夫が炉の前にいるあいだ、妻は紅も白粉もつけない。何キロも離れた家の中の身支度まで、神の視線が届いていると考えられていた。

ここで書いておかなければいけないことがある。

この禁忌は、女性が実際に穢れているとか、女性がいると鉄ができないとか、そういう事実にもとづくものではない。当たり前だが。これはあくまで、そう語られ、そう守られてきたという事実の記録だ。禁忌の内容を今の価値観で正当化する筋合いはまったくない。

そのうえで、民俗として見たときに興味深いのは、この禁忌の「理由づけ」の生々しさだと思う。多くの女人禁制は、月経や出産にともなう血の穢れを理由にする。ところが金屋子神の場合、しばしば理由が「神が嫉妬するから」になる。穢れ論ではなく、感情論なのだ。

神が、人間の女に嫉妬する。

これは神格としてはかなり低い。というか、人間くさい。この神は、清浄をつかさどる高みから見下ろしているのではなく、同じ地面に立って、こちらを睨んでいる。そういう手触りがある。

ちなみに、たたら場に女がまったくいなかったわけではない。山内という集落には家族が住んでいたし、炊事や炭運びに女の手は当然入っていた。禁制の対象は高殿の内部、つまり炉のある聖域だ。境界がどこに引かれていたかは土地によって差がある。このあたりを一枚岩で語ると、たぶん実態を見誤る。

禁忌その二――犬

犬も嫌う。

理由が、これまた説話として語られている。

金屋子神が犬に追いかけられたことがあった。逃げて、蔦につかまって木に登ろうとした。ところが蔦が切れて、落ちた。落ちたところを犬に咬まれた。

だから犬を嫌う。ついでに蔦も嫌う。

この説話の何が面白いかというと、神が完全に負けていることだ。

普通、神が何かを嫌う説話では、神はその何かを打ち負かすか、少なくとも威厳を保つ。ところがこの神は、犬に追われて、逃げて、蔦につかまり損ねて、落ちて、咬まれている。かっこ悪いことこの上ない。

でも、そのかっこ悪さが、そのまま禁忌の強度になっている。恨みがましいのだ。理不尽に恨む。神が理性的な裁定者ではなく、痛い目に遭ったことを根に持つ存在として造形されている。

たたら場では、犬を入れなかった。近寄らせなかった。犬の毛一本でも、という言い方をする土地もある。犬を飼っている者は操業中は近づけない。山内で犬を飼うこと自体を避けたところもあると伝わる。

現実的に考えれば、火と炭と鉄を扱う現場に犬が走り込むのは、単純に危ない。作業の邪魔になるし、事故のもとだ。実務上の禁止事項が神話の衣をまとった、と読むのはたやすい。

ただ、それだけだと「蔦も嫌う」の説明がつかない。蔦は別に危なくない。神話の側にしか根拠のない禁忌が、実務上の禁忌と同じ強さで守られていた。ここが民俗の面白いところで、実用と非実用の見分けを、当事者は基本つけない。全部まとめて「金屋子さんの嫌いなもの」なのだ。

禁忌その三――麻

麻も嫌う。

理由。金屋子神が麻でつまずいて転んで、死んだから。

……死んだ。

神が死ぬ。しかも、麻に足を取られて転んで死ぬ。

このあっけなさが、この神の伝承のなかでもかなり異様な部分だと思っている。転倒して死ぬ神。日本神話にも死ぬ神はいるが、たいていはもっと劇的な死に方をする。カグツチは斬られるし、イザナミは火に焼かれる。金屋子神は、麻でつまずく。

そして、この「神が死んでいる」という一点が、あとで効いてくる。

麻の禁忌は、たたら場ではかなり具体的なかたちで守られた。麻の繊維を使った衣類、麻縄、麻でできた履物。それらを高殿に持ち込まない。麻の紐で結ばれた荷物は解いてから入れる。麻を扱う仕事をしている者は近づけない。

蔦のときと同じで、実用的な説明はつけようと思えばつく。麻縄は火に弱いから、といった話にはできる。でも、たたら場では藁も木綿も使うわけで、麻だけを特別扱いする実務的理由は弱い。

やっぱりこれは、神話の側の理屈だ。神が麻で死んだから、麻を入れない。

好むものも伝わっている。桂は神木。藤は好む。みかんも好む。禁忌のリストに比べると、好物のリストはずいぶんのどかだ。藤の花とみかんが供えられる。

禁忌その四――死穢を、忌まない

ここからが本題だ。

日本の神道的な感覚では、穢れには大きく二種類ある。血の穢れを赤不浄、死の穢れを黒不浄と呼び分ける言い方がある。神はどちらも嫌う。とくに死は徹底して避ける。

金屋子神は、血の穢れを極端に嫌う。ここは普通だ。産の穢れも嫌う。出産があった家の者は、たたら場に入れない。

ところが、死は嫌わない。

嫌わないどころか、好む。

これがどれだけ異常なことか、もう一度確認しておきたい。日本列島の民俗宗教の基層は、ものすごく大雑把に言えば「死を遠ざけることで清浄を保つ」という発想でできている。喪中、忌明け、清めの塩。全部そうだ。その基層のど真ん中に、死を歓迎する神が一柱、鎮座している。

なぜなのか。縁起はちゃんと説明を用意している。

金屋子神が旅をしていたとき、宿を乞うた。

最初の家では、断られた。その家では、ちょうど産が行われていた。子が生まれるところだった。産の穢れがあるから、と断られたのか、単に取り込み中だったのか、伝えによって差がある。とにかく、神は追い返された。

次の家では、快く迎えられた。その家では、人が死んでいた。喪中だった。それでも、家の者は神を招き入れて、宿を貸した。

この経験から、神は産を嫌い、死を好むようになった。

……理由が、恩と恨みなのだ。

犬の説話と同じ構造だ。この神は、自分にひどいことをしたものを嫌い、よくしてくれたものを好む。神学的な清浄の論理ではない。人間関係の論理で動いている。

だからこの神は怖い。抽象的な聖性ではなく、具体的な機嫌で動くから。機嫌は読めないし、こちらの都合とは関係ない。

そして、この「死を好む」という性格が、たたら場でどう実践されたかという話になる。

「死人を立てかけると鉄が湧く」――伝承の中身

伝承には、いくつかのかたちがある。

ひとつは、棺を回す話。鉄がうまく出ないとき、村下の死体を入れた棺桶を、たたら場のまわりをぐるりと回すとよい、という言い伝え。

ひとつは、柱に縛る話。冬の操業中に村下が死んだとき、金屋子神が「その死骸を高殿の柱に縛りつけて鉄を吹け」と告げた。そのとおりにしたら、それまでにない上等な鉄ができた、という縁起。

ひとつは、炉のわきに立てかける話。死体を壁に括りつけて操業すると、上質の鉄が取れる、という語り。

どれも、同じ核を持っている。死体を、炉の近くに、立てた状態で置く。そうすると鉄がよく湧く。

念のため断っておくが、この記事はこれを手順として書いているのではない。伝承として、噂として、そう語られてきたという記録の話をしている。実際にそういうことが行われた確かな証拠は、少なくとも私が追えた範囲では出てこない。出てくるのは、ずっと「そう言われている」という語りのほうだ。

でも、その「語られていた」という事実自体が、けっこうな重みを持つ。

なぜなら、これは怪談として語られていないからだ。

怖い話としてではなく、技術上の教えとして語られている。鉄の出が悪い。どうする。こうする。そういう文脈に置かれている。それが不気味なのだ。

この伝承をどう読むか、いくつかの説と、その反証

さて、ここからは解釈の話をする。

読み方はいくつもある。順番に見ていこう。ただし、どれも決定打ではない。そこは先に言っておく。

まず、鉄と血を結びつける読み方。

鉄と血は、赤い。錆びた鉄は血の色だ。人間の血が鉄を含んでいることを近代科学が明らかにするずっと前から、鉄と血が同じものだという直感は世界中にある。血を求める鉄、生贄を求める炉。そういう発想は日本に限らない。

この読み方でいくと、死体は鉄の材料の象徴的な補充ということになる。生命を炉に与えて、鉄を得る。等価交換だ。

もっともらしい。でも、弱点がある。金屋子神は血の穢れを極端に嫌うのだ。赤不浄はだめで、黒不浄はいい。もし鉄と血の親和性が根っこにあるなら、血をこそ好むはずだ。ところが逆になっている。この説では、赤と黒の非対称を説明しきれない。

次に、産と死の対立で読むやり方。

産は「新しく生まれる」ことで、死は「終わる」ことだ。ふつうの共同体では、産は祝福で死は忌避される。ところが、たたら場では逆転する。

なぜか。ひとつの読み方は、鉄の生産そのものが「死からの再生」だからというもの。山を削り、木を焼いて炭にし、炉を壊してケラを取り出す。たたら製鉄は、破壊のうえにしか成り立たない。木は死に、山は削られ、炉は毎回叩き壊される。生き残るものが何もない現場で、生まれるのは鉄だけだ。

死のほうが、この現場の理屈に合っている。

これはわりと説得力があると思う。ただ、これも証明はできない。後づけの解釈として整いすぎている、という批判は成り立つ。

三つめ。共同体の外側にいることを示す標識として読む。

鍛冶や製鉄の職人は、農村共同体とは別のルールで生きていた。山を移動する。定住しない。田を作らない。租税の系統も違う。彼らは村の隣にいながら、村の一員ではなかった。

そういう集団が、自分たちのアイデンティティを主張するとしたら、村の禁忌をひっくり返すのがいちばん手っ取り早い。村が死を忌むなら、こちらは死を歓迎する。それは差別に対する反転でもあり、自己防衛でもある。うちの神さまは、あんたらの神さまとは違うんだ、と。

この読み方も面白いが、注意が必要だ。特定の職能集団を「特別な人々」として語ることは、かつての差別の言説とすぐ地続きになる。金屋子神を信仰していた人々の子孫は今も暮らしているわけで、その人たちを異形の集団として消費するのは、率直に言って趣味が悪い。だからこの読み方を使うときは、あくまで職能集団と農耕共同体の関係の話として、抽象度を保つ必要がある。

四つめ。もっとそっけない読み方。

たたら場では、人が死んだ。

七十時間ぶっ通しの操業。一酸化炭素。粉塵。灼熱。炉の前で炎の色を見続けた村下は、目をやられた。番子は足を潰した。山内は山奥で、医者は遠い。事故も病気も、日常だった。

操業中に人が死んだとき、遺体をどうするか。麓に降ろすには時間がかかる。そして操業は止められない。火を落としたら、それまでの数日が全部無駄になる。数トンの砂鉄と木炭と、何十人分の労働が消える。

止められないのだ。

だから、遺体を高殿の中に置いたまま、操業を続けた。

そういうことが実際にあったとしたら。そして、そのとき、たまたま鉄の出来がよかったとしたら。

「死人を置いておくと鉄が湧く」という言い伝えは、そこから生まれたのではないか。

この読み方には、もうひとつ機能がある。慰めだ。仲間が死んだ横で仕事を続けなければならない人間に、「これは神の御心にかなっている」という物語を与える。神が死を好むのなら、あの日のあの選択は、不敬ではなく敬虔だったことになる。

私はこの説がわりと好きだ。ただし、好きなだけで、証拠はない。

そして、どの説にも共通する反証がひとつある。

そもそも、本当に行われたのか。

伝承の記録はある。伝承の記録は、伝承が語られていた記録であって、行為が実行された記録ではない。「こういう話がある」と「こういうことがあった」のあいだには、深い川が流れている。

民俗の怖い話には、この川を飛び越えたがる力が働く。話が強ければ強いほど、聞き手は事実であってほしいと思う。金屋子神の死体伝承は、その力が最大限に働いた例だと思う。

だから、こう言うのが正確だ。中国山地のたたら場では、死人を炉のそばに立てかけると鉄がよく湧く、と語られてきた。それが真顔で語られていた。その事実が、いちばん怖い。

語りの記録から――三つの話

伝承がどんな顔をして語られてきたのか、記録に残るかたちで三つ紹介する。どれも特定の個人を名指しするものではなく、複数の土地で似たかたちで採集されてきた語りの型として読んでほしい。

ひとつめ。宿を乞うた神の話。

これは金屋子神の性格を説明する縁起として、たたら場のあった地域に広く伝わっている。

神が旅をしている。日が暮れる。宿を借りようとする。最初の家の戸を叩くと、中から声がする。今日はいけません、うちは産があります、と。産屋に籠もっている女がいて、家中が忌に入っている。神は追い返される。

雨だったとする語りもある。神は濡れたまま、次の家へ向かう。

次の家の戸を叩く。今度は、中から重い声がする。うちは今日、人が死にました、と。それでも、どうぞお入りください、と言う。

神は入る。死者の横で一夜を過ごす。

朝になって、神は言う。われは死を厭わぬ。産を厭う。以後、われを祀る者は、そのように心得よ。

この語りは、たいてい「だからうちらの神さんは死を嫌わんのだ」という説明として締められる。子どもに話して聞かせる形式で伝わっているところもある。ここで注目したいのは、断った家が悪者として描かれていないことだ。産の忌みを守るのは正しいことなのだ。ただ、この神には合わなかった。それだけ。神と人間の倫理が、単純にすれ違っている。この静かなすれ違いが、この伝承の底冷えするところだと思う。

ふたつめ。冬の操業で村下が死んだ話。

こちらは縁起書の系統に属する。冬、操業のさなかに村下が急に死んだ。

一代の途中である。火は入っている。炉は生きている。ここで止めれば、全部無駄になる。かといって、責任者の遺体を前に、仕事を続けるわけにもいかない。

一同が途方に暮れていると、神託が下る。あるいは、誰かに神が憑いて告げる。その死骸を、高殿の柱に縛りつけよ。そのうえで鉄を吹け。

言われたとおりにした。

すると、その一代で、これまでにない上等の鉄が出た。

語りはそこで終わる。教訓めいた説明はつかない。よい鉄が出た、で終わる。この終わり方が、たまらなく気持ち悪い。話が閉じていない。読み手のなかに、じくじくと残る。

この話の変種として、死んだ村下の棺を、たたら場のまわりを回すという型がある。柱に縛るのが激しすぎるので、少し穏やかな形に変わったのかもしれないし、逆かもしれない。伝承は往々にして、両方向に変形する。

みっつめ。化粧を控えた妻の話。

これは禁忌の実践側の記録だ。たたら場のあった土地では、操業のあいだ、家にいる女房が化粧をしなかった、という伝えが複数の土地で採られている。

亭主が山に籠もる。三日三晩、帰ってこない。そのあいだ、妻は紅を差さない。髪も飾らない。近所の祝いごとがあっても、身なりを整えない。

なぜかと聞かれると、金屋子さんが妬みなさるから、と答える。

亭主は何キロも先の高殿にいる。妻の顔なんて見ていない。それでも、神は見ているのだ。

この語りが伝えるのは、禁忌が空間的な境界を持たなかったということだ。高殿の中だけでなく、そこに関わる人間の生活圏まるごとが、神の管轄下にあった。三日三晩、集落全体が息を詰めている。

そして、この禁忌はほぼ女の側にだけ課されている。神が女を妬むという設定のせいで、負担が一方に寄る。ここは記録として、はっきり書いておくべきところだと思う。禁忌の正当性の話ではなく、誰が負担していたかという話として。

村下という職業について

金屋子神の話をするなら、村下の話をしないわけにいかない。

村下は、たたら操業の技術責任者だ。読みは「むらげ」。縁起では、金屋子神自身がこれを務めたことになっている。神と同じ役職に就く人間、ということになる。

村下の仕事は、判断だ。

いつ砂鉄を入れるか。どれだけ入れるか。風をどう送るか。炉の穴の位置と角度をどう変えるか。それを、炎の色と、音と、流れ出るノロの様子だけで決める。

マニュアルはない。数値もない。全部、体に入っている。

そしてその知識は、世襲で、秘密裏に伝えられた。村下の家に生まれた者が、村下になる。他の職人は、自分の持ち場のこと以外を知らない。番子はふいごの踏み方を知っているが、砂鉄の投入タイミングは知らない。知らされない。

「一釜、二土、三村下」という言い方が伝わっている。成否を決めるのは、まず炉、次に粘土、その次が村下だ、という意味だと解釈されるが、逆に言えば村下が三番目に来るくらい、炉と土が大事だということでもある。

村下は目をやられた。炎を見続けるからだ。何十年も炉の前に立って、赤熱した鉄を見つめて、視力を失う。片目が特に悪くなることもあったという。ここは、あとで一つ目の鍛冶神の話をするときに、また出てくる。

労働環境は苛烈だ。番子は三人一組で交代しながら、七十時間ふいごを踏み続ける。足がおかしくなる。のちに水車を使った送風が導入されたのは、慢性的な人手不足のためだったと言われている。

そういう仕事をしている人間が、神を頼らないわけがない。

現在の日刀保たたらでも、村下は同じことをしている。火をよみ、風をよみ、砂鉄が煮える音をよむ。最新の科学でも及ばない、と現役の村下が言っている。そして操業が無事に終わると、関係者は手を合わせる。すべては金屋子さんのおかげだ、と。

千年近く、同じ神に、同じ理由で手を合わせている。

山内の暮らし――百人か二百人の村

高殿のまわりには、集落ができた。山内という。

規模は百人から二百人ほど。鉄師と呼ばれる経営者が、谷間の清流沿いに独立した集落を作った。高殿があり、元小屋という事務所があり、大銅場という鉄を砕く施設があり、職人の家が並ぶ。

家は狭い。十坪から十三坪ほど。三十三平方メートルくらいのところに、職人と家族が住む。

規則が厳しい。締合と呼ばれる集落の掟があった。喫煙と火の扱いの厳格な制限。これは当然だ。木炭が山積みになっている場所で火を出したら終わりだから。

無断欠勤の罰則。二日続けて休むと、米の支給が減らされる。賭博の禁止。子どもも例外なし。外来者や商人の出入り制限。病人が出たときの共同看護の義務。風呂に入る順番まで、身分の順に決まっていた。

給与は、米の日給と現金の組み合わせ。一人あたり一日一升五合ほどの米に、職種によって額の違う現金が加わる。

炭を焼く山子という職種がある。炭窯をひとつ作るのに四十人役かかり、ひとつのたたら場を回すには二十基くらいの窯が要る。山は三十年周期で輪伐した。切って、焼いて、また育てて。ブナの森が残ったのは、この輪伐のおかげでもある。

つまり、たたらというのは炉だけの話ではない。山ひとつ、村ひとつを動かす総合的なシステムだった。

その中心に、金屋子神を祀った小さな社があった。高殿の中にも神棚があり、境内には桂が植えられていた。操業のたびに拝み、無事に終わればまた拝む。

例大祭には、片道十キロの道のりを裸足で歩いて参拝する「裸足参り」が行われてきた。今も続いている。

鉄穴流し――山を削って、田を作った

もうひとつ、この土地の記憶として外せないのが鉄穴流しだ。

砂鉄をどうやって集めるか。山を崩すのだ。

砂鉄を含む風化した花崗岩を、山から切り崩す。水路に流す。流れているあいだに岩は砕けて、土砂と砂鉄に分かれる。それを洗場に流し込む。

洗場には池が段階的に並んでいる。大池、中池、乙池、洗樋。上流から下流へ流しながら、そのつど水を足してかき混ぜる。比重の違いを使った選鉱だ。軽い土砂は流れ、重い砂鉄が残る。最終的に純度八十パーセント以上まで上げる。

原始的に見えて、原理は現代の選鉱と同じだ。そして、規模がとにかく大きい。

山が消えた。

斐伊川流域の地形は、この作業で大幅に書き換わった。削られた土砂は下流に流れ、堆積して、平地になった。出雲平野も安来平野も、この土砂の上にある。斐伊川が天井川になったのも、無関係ではない。

そして、削ったあとの山をどうしたか。放置しなかった。

水路と溜池を引き直して、田にした。奥出雲の棚田の多くは、鉄穴流しの跡地だ。今そこで穫れる仁多米は、砂鉄を採ったあとの土地から出ている。

さらに面白いのが、削り残された小山だ。鉄穴残丘という。

なぜ残ったか。そこに墓地や祠があったからだ。

鎮守の杜と墓は、削らなかった。金屋子神は死を忌まないが、それは炉の話であって、村人の墓を潰していいという話ではない。棚田のなかにぽつんと盛り上がった丘があって、そこに木が茂って、祠がある。あれは、線引きの跡だ。

砂鉄への欲望と、死者への配慮が、地形として並んで残っている。この景色は、金屋子神の二面性をそのまま風景にしたようで、私はけっこう鳥肌が立つ。

農閑期の制限もあった。鉄穴流しは川を濁らせるので、下流の農業と衝突する。だから秋から春までの農閑期に限る、という取り決めが結ばれた。結果として、農民にとっての農閑期の副業になり、いい現金収入になった。

環境破壊と地域振興が同じ作業の裏表になっている。今の言葉で言えば、そういう構図だ。

他の土地の鍛冶神と並べてみる

金屋子神がどれだけ変わっているかは、他の鍛冶神と並べるとよくわかる。

まず天目一箇神。あめのまひとつのかみ。

こちらは記紀の系統にちゃんと載っている。『古語拾遺』『日本書紀』『播磨国風土記』に登場する。天津彦根命の子とされ、筑紫や伊勢の忌部氏がその後裔を称した。別名が十以上あり、天之麻比止都禰命、天津麻羅などと呼ばれる。『古事記』の岩戸隠れの場面で鍛冶をしていた天津麻羅と同神とされることが多い。

名の「目一箇」は、片目のことだ。

なぜ片目か。ふたつの説明が繰り返されてきた。ひとつは、鍛冶が鉄の色で温度を見るとき、片目をつぶるから。もうひとつは、片目を失明するのが鍛冶の職業病だったから。

村下が炎で目をやられた話と、まっすぐつながる。

そして柳田国男の一つ目小僧論。柳田は、妖怪とは零落した神である、という枠組みでこれを論じた。山の神は眇である、つまり片目が不自由だという各地の伝承に注目し、一つ目の妖怪の起源を山の神霊に求めた。

さらに柳田は、古い神祭りにおける生贄の存在を示唆した。神に供される者は、あらかじめ片目や片足を損なわれていた。逃げられないように、あるいは印をつけるために。その記憶が、片目の異形神のイメージに残ったのではないか、と。

この線を延ばすと、鍛冶と片目と生贄が一本につながる。天目一箇神と一つ目小僧と、たたらで目を潰した村下が、同じ線の上に並ぶ。

さて、ここで金屋子神に戻る。

金屋子神は、片目ではない。目の伝承がほとんどない。

そのかわりに、死体がある。

同じ鍛冶神でも、東の系統は身体の欠損に怖さが集約され、中国山地の系統は死穢の受容に集約された。これは面白い分岐だと思う。

もっとも、金屋子神は自ら「われは金山彦、天目一箇神なり」と名乗ったことになっている。縁起のなかで、両者は接続されている。同じ神格の、地域による変奏と読むこともできる。

鉱山系では、金山彦命と金山姫命がいる。石見銀山の佐毘売山神社は鉱山の守護社で、この「佐毘売」が金屋子神の別名ではないかという説がある。ただ佐毘売山神社は各地にあり、祭神の理解も一様ではない。

全体として言えるのは、金属に関わる神は、記紀の主流からずれた場所に固まっているということだ。国家の神話に組み込まれた鍛冶神は片目になり、組み込まれなかった鍛冶神は死体を求める。どちらの怖さを取るか、という話でもある。

この伝承は、どうやって残ったのか

記録の話をしておきたい。

金屋子神の伝承が今に伝わっている経路は、大きく三つある。

ひとつは、祭文と縁起書の写本。たたら場や鉄師の家に伝わった文書だ。金屋子神の縁起を語り、祀り方を記す。写本ごとに内容がかなり違う。降臨地が播磨だったり、別の土地だったり。神の名乗りも一定しない。写す人が、自分の土地の事情に合わせて書き換えていったのだろう。

ふたつめは、口頭伝承。これがいちばん量が多く、いちばん散りやすい。たたら場が消えれば、語る人もいなくなる。菅谷の高殿が最後に火を落としたのは大正十五年、一九二六年の五月五日だ。産業としてのたたらは、そこでほぼ終わっている。

みっつめは、民俗学の採集。ここが大きい。

島根の民俗学者、石塚尊俊は、たたらと金屋子神をめぐる民俗を長く追った人だ。國學院で柳田国男の講演を聞いて民俗学に入り、戦後は柳田が設立した民俗学研究所の研究員になり、のちに島根県教育委員会で文化財行政に携わった。山陰民俗学会を作り、長く代表理事を務めている。牛尾三千夫との共同研究として『菅谷たたら』が一九六八年に出ている。柳田から「タタラのことは石塚に聞け」と言われたと伝わるくらいの人だ。

金属と民俗をつなぐ大きな見取り図を描いたのは谷川健一で、『青銅の神の足跡』や『鍛冶屋の母』が知られている。若尾五雄は、鬼の伝説と金属の関係を追った。この二人あたりから、金属民俗という分野の輪郭がはっきりしてくる。

そして、金屋子神信仰そのものを正面から扱った研究として、二〇〇四年に鉄の道文化圏推進協議会が編んだ『金屋子神信仰の基礎的研究』がある。五百ページを超える大部で、祭文や縁起の系統整理を含んでいる。

つまり、この伝承が今も読めるのは、たまたまではない。産業が消えたあと、消えかけていた語りを追いかけて記録した人たちがいたからだ。

そして、その記録があるからこそ、我々は「これは実際にあったことか」を問うことができる。記録がなければ、問いを立てることすらできない。

現代の受け止め――スクリーンのなかのたたら場

金屋子神の名を知らなくても、たたら場の映像を見たことがある人は多いと思う。

一九九七年の『もののけ姫』だ。

作中のタタラ場は、菅谷たたら山内の高殿が造形の下敷きになっていると言われる。あの木造の巨大な屋根、地面に掘り込まれた炉、暗がりで踏まれるふいご。実在の建物が元になっている。

ただ、決定的に違う点がある。

映画のタタラ場では、女たちがふいごを踏んでいる。

史実では、たたら場は女人禁制だ。女がふいごを踏むことはなかった。あれは、宮崎駿による意図的な改変だと考えていい。

面白いのは、この改変が単なる無知ではないことだ。あの作品は、共同体の外に弾き出された人々が集まって鉄を作る場所として、あのタタラ場を描いている。禁忌をひっくり返すことが、作品のテーマそのものになっている。金屋子神が女を排除した場所に、女を立たせる。

主人公サンの造形についても、金屋子神との関連を指摘する見方がある。金屋子神が二尾の白い狐に乗った美しい女神として描かれる図像があり、山犬に乗るサンの姿と重なる、と。これは推測の域を出ないが、面白い符合ではある。

現代の創作では、金屋子神はまだそれほど広く消費されていない。刀剣を題材にした作品でときどき言及される程度で、ニッチな存在にとどまっている。天照大神や須佐之男命に比べれば、知名度は圧倒的に低い。

でも、私はそれでいいような気もしている。

この神は、有名になることを望んでいなかった節がある。職人たちが、畏れて名を口にしなかったから記録に残らなかった、という伝えが本当なら、この神は最初から沈黙のなかにいることを選んでいる。

で、なぜこの神はここまで怖いのか

最後に、整理しておきたい。

金屋子神の怖さは、三つの層でできていると思う。

第一の層は、価値観の反転だ。死を忌まない。我々が当たり前に共有している「死は遠ざけるもの」という感覚を、この神は共有しない。共有しないだけでなく、逆にする。ここでまず足元が抜ける。

第二の層は、感情の生々しさだ。この神は理由が全部「気分」なのだ。犬に咬まれたから犬が嫌い。麻でつまずいたから麻が嫌い。女に嫉妬するから女が嫌い。宿を貸してくれたから死が好き。全部、人間の恨みつらみと同じ構造をしている。

抽象的な聖性なら、まだ距離が取れる。太陽神が太陽だから偉い、というのは理解できる。でも、転んだ恨みで麻を禁じる神は、理解できてしまう。理解できてしまうことが、怖い。

第三の層は、実効性だ。この神の禁忌は、絵空事ではなかった。実際に守られていた。何百年も、何千人もの生活を規定していた。女は高殿に入れず、妻は化粧をせず、犬は追い払われ、麻は解かれた。

そして、その禁忌のリストのいちばん奥に、死人の話がある。

「鉄が出ないときは、死人を立てかけよ」

これが、他の禁忌と同じ列に、同じ調子で並んでいた。犬を入れるな、麻を入れるな、女を入れるな、死人を立てかけよ。並列で語られていた。

そこがいちばん怖い。

異常なことが、異常でない顔をして、実務のリストに紛れ込んでいる。誰も悲鳴を上げていない。みんな真顔だ。真顔で、そういうものだと思って、仕事をしていた。

怪談は、悲鳴のあるところには意外と住まない。悲鳴がなく、全員が納得している場所にこそ、いちばん深いものが沈んでいる。

安来の山奥、標高四百五十メートルの小さな盆地に、九メートルの石鳥居が立っている。桂の木がある。神木として。

三日三晩、火を絶やさなかった連中が、あそこまで裸足で歩いて拝みに行った。

行ってみるといい。今も、静かだ。

いちばん誠実な答えは、たぶんいちばんつまらない

ここからは、本文で書ききれなかったことを、もう少し踏み込んで書いておく。

まず、この伝承をめぐる最大の問題から。

「死人を立てかけると鉄が湧く」という言い伝えについて、いちばん誠実な態度は何かというと、「そう語られていた、以上のことは言えない」だと思う。

この言い方は、たぶんつまらない。読者としては、実際にあったのかなかったのか、はっきりさせてほしいと思うだろう。私だってそう思う。でも、はっきりさせられないのだ。

考えてみてほしい。もし実際に行われていたなら、どこかに痕跡があるはずだ。行政の記録、寺の過去帳の異常、事件として処理された事例、告発、批判。近世の日本は、意外なくらい文書が残る社会だ。

でも、そういうものは出てこない。出てくるのは、常に「そう言われている」という形の記録だけだ。

これは、たぶん偶然ではない。この伝承は、最初から伝承として生まれた可能性が高い。

じゃあ、なぜそんな話が生まれたのか。

私はここで、「順序が逆なのではないか」と考えている。

つまり、こういうことだ。まず「金屋子神は死穢を忌まない」という信仰があった。この部分は、たぶん古い。産穢は忌むが死穢は忌まない、という非対称は、単純すぎて後から作りにくい。逆にすれば普通の神になるのに、わざわざ捻ってある。

で、その「死穢を忌まない」を、どう説明するか。人間は、規則の理由を知りたがる。理由がわからない規則は、伝えるのが難しい。

だから説明が作られた。宿を乞うた話がそれだ。産の家に断られ、死の家に迎えられた。これで理由がついた。

ところが、それでも足りない。「忌まない」だけでは、なぜ忌まないのかがまだ弱い。忌まないというのは消極的な性質で、印象に残らない。

そこで、もう一段進む。忌まないどころか、好む。好むなら、供えれば喜ぶ。喜べば、鉄が出る。

論理としては、じつに素直な発展だ。神が何かを好むなら、それを供えるという発想は、日本中どこにでもある。米を供える。酒を供える。魚を供える。この神は死を好む。だったら。

ここまで来て、はじめて「死人を立てかける」が出てくる。

つまりこれは、信仰の内的な論理が、いちばん端まで行き着いた結果として生まれた語りではないか。実際の行為が先にあって伝承ができたのではなく、伝承の論理が自走して、行為の可能性にまで到達した。

そう考えると、この話が「怪談」ではなく「技術上の助言」の顔をしている理由も説明がつく。だってこれは、供物の話だから。供物の話は、怖い話ではなく、正しい作法の話なのだ。

そのうえで、実際にそれに近いことが起きた可能性も、私は捨てていない。

さっき本文で書いたとおり、たたら場では人が死んだ。そして、操業中に死んでも、火は落とせなかった。

これは推測ではなく、構造の問題だ。一代の操業には数トンの砂鉄と数トンの木炭がかかっている。人件費も、事前の炉作りの手間も、全部乗っている。途中で止めれば全損だ。近世の鉄師にとって、これは莫大な損害になる。

だから、止めなかっただろう。少なくとも、簡単には止めなかったはずだ。

そうなると、遺体は高殿の中か、そのすぐ外に置かれることになる。冬なら、腐敗の心配も薄い。金屋子神社の縁起で村下が死ぬのが「冬」なのは、たぶん偶然ではない。冬は操業の季節だし、遺体を置いておける季節でもある。

そして、たまたまその一代の出来がよかったら。

人間は、そういう偶然を絶対に見逃さない。とくに、原因のよくわからない現象を扱っている人間は。たたらの成否は、村下の腕だけでは決まらない。砂鉄の質、粘土の質、天候、湿度、風向き。制御できない変数が多すぎる。

制御できない領域が大きいほど、そこに神が入り込む。うまくいったときの理由を、人は必ず探す。あのとき何が違ったか。ああ、あのとき、あの人が。

こうして、経験と信仰が握手する。

順序としては、信仰の論理が先に「死は吉」という枠を用意していて、そこに偶然の経験がはまった、というのがいちばんありそうだと思う。枠がなければ、遺体があった一代の出来がよくても、誰もそれを結びつけない。枠があるから、結びつく。

もうひとつ、考えておきたいことがある。

なぜ「立てかける」なのか。

伝承では、遺体は寝かされていない。柱に縛りつけられ、壁に括りつけられ、立てられている。

これは、日本の葬送の常識から外れている。日本の死者は、基本的に寝かされる。座棺に納める地域もあるが、それでも座位だ。立たせるという発想は、ほとんどない。

立っている死者。

これは、死者を死者として扱っていないということだ。労働の姿勢のまま、現場に置いている。

こう考えると、あの伝承の異様さの正体が少し見えてくる。あれは、死者を供物として捧げる話ではないのかもしれない。死者を、まだ働いている者として扱う話なのかもしれない。

村下が死んだ。でも、一代はまだ終わっていない。だから、村下はまだ持ち場にいる。

そう読むと、あの話の後味の悪さが、少し変わる。恐怖から、もっと重いものに変わる。

棺をたたら場のまわりに回すという型も、同じ方向で読める。あれは、遺体を運び出しているのではなく、最後にもう一周、現場を見せて回っている。引き継ぎのようでもあり、別れのようでもある。

もちろん、これは私の読みでしかない。伝承にそう書いてあるわけではない。ただ、「立たせる」という細部が、なぜここまで一貫して伝わっているのかを説明するには、供物説より仲間説のほうが収まりがいいと思っている。

次に、女人禁制について、もう一度。

本文でも書いたが、この禁忌の理由づけは、他の女人禁制と少し毛色が違う。

一般的な女人禁制は、血の穢れを根拠にする。月経、出産。これらが神域を汚すとされた。理屈としては、清浄の論理だ。

ところが金屋子神の場合、しばしば理由が「嫉妬」になる。神が女に嫉妬する。だから女を入れない。

これは、清浄の論理ではない。感情の論理だ。

そして、感情の論理のほうが、たちが悪い場合がある。清浄の論理なら、清めれば入れる可能性がある。実際、多くの禁忌には解除の手続きがある。ところが嫉妬には、解除の手続きがない。女であることは清められない。

一方で、この理由づけには奇妙な平坦さもある。神が嫉妬するから、というのは、女性そのものを汚れた存在だと断じているわけではない。むしろ、神のほうに問題があるとも読める言い方だ。神さんが妬くけん、しょうがない。そういうニュアンスで語られていた面はあると思う。

もちろん、だからといって禁忌が正当化されるわけではまったくない。結果として排除されたことに変わりはないし、家で化粧を控えるという形で女性側にだけ負担がかかっていたことも、記録として残しておくべきだ。ここは擁護する話ではない。

ただ、民俗を読むときには、禁忌の内容と、その禁忌が語られたときの温度を、分けて見る必要がある。同じ「女人禁制」でも、清浄の論理で貫かれたものと、神の気分として説明されたものとでは、共同体のなかでの意味が違う。金屋子神のそれは後者に寄っていた。それは事実として押さえておく価値がある。

三つめ。この神が、なぜここまで細かい好悪を持っているのかについて。

犬、蔦、麻、女、産。好きなものは、桂、藤、みかん。

このリストの具体性は、他の神と比べても異様だ。天照大神が何を嫌うかなんて、誰も知らない。八幡神の好物も聞いたことがない。ところが金屋子神は、みかんが好きだ。

なぜこんなに具体的なのか。

答えはたぶん単純で、この神は現場の神だからだ。

現場の神には、現場の細かさが要る。抽象的な加護では役に立たない。今日この炉で、何をしてよくて何をしてはいけないかを、具体的に教えてくれないと困る。

だから、リストが伸びる。あれもだめ、これもだめ。そのつど「金屋子さんが嫌いなさる」という説明がつく。

そして、リストは伸びる一方で、縮まない。禁忌は追加されるが、撤回されない。撤回する権限を持つ人間がいないからだ。神が言ったことになっているものを、誰が取り消せるのか。

こうして、数百年かけて禁忌は積み上がっていく。

その積み上がった山の頂上に、死人の話が乗っている。いちばん上に乗っているものがいちばん異様なのは、たぶん偶然ではない。極端なものほど、伝承としては強い。強いものは残る。残ったものが、いちばん上に来る。

最後に、この神をどう扱うべきか、という話をして終わりにしたい。

金屋子神は、いまも祀られている。安来の総本社には人が来るし、奥出雲では今年も操業が行われ、村下は手を合わせている。裸足参りも続いている。生きている信仰だ。

そして、この信仰を受け継いでいるのは、実在の人たちだ。土地があり、家があり、名前がある人たちだ。

だから、この神の異様さを面白がるとき、線を引く必要がある。

伝承の異様さを語ることと、その伝承を持つ土地や人を異様な存在として扱うことは、まったく別のことだ。前者は民俗への敬意になりうるが、後者はただの差別になる。

たたら製鉄に従事した人々を「特殊な集団」として神秘化する語り口は、過去に何度も差別と地続きになってきた。金属民俗をめぐる議論には、そういう危うさが常につきまとう。面白い話ほど、そこを踏みやすい。

私がこの記事で書きたかったのは、そういう話ではない。

冬の山奥で、七十時間眠らずに火を見続けた人たちがいた。彼らは、制御しきれないものを制御しようとしていた。うまくいく理由も、失敗する理由も、完全には分からないまま、それでも毎回炉に火を入れた。

その分からなさの真ん中に、女の神がいた。気難しくて、恨みっぽくて、死を怖がらない神が。

死を怖がらない神が要ったのは、たぶん、死が近い場所だったからだ。

炉のそばで人が死ぬ。それを穢れとして排除する神だったら、たたら場は一代ごとに機能停止する。誰かが死ぬたびに、火を落として、清めて、日を改める。そんなことをしていたら、鉄は作れない。

だから、この神は死を受け入れる神でなければならなかった。

そう考えると、あの異様さは、優しさの裏返しにも見えてくる。

死んでも、追い出されない。死んでも、まだここにいていい。むしろ、いてくれたほうが鉄がよく湧く。

そんなことを言ってくれる神は、他にいない。

安来の山の桂の木の下で、この神は千年近く、そうやって立ち続けている。

怖い神だ。でも、あの現場に必要だったのは、たぶん、この怖さだったのだと思う。

タイトルとURLをコピーしました