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21|丑の刻参り――橋姫伝説・藁人形・呪釘の成立過程

深夜の境内で、釘を打つ音がする

丑の刻参りと聞いて浮かぶ絵は、だいたい決まっている。舞台は真夜中の神社だ。人気の絶えた境内に白い装束の女がひとりで現れ、顔は青白く、髪を振り乱し、口には何かをくわえている。手にした藁人形を御神木の幹に押し当てて金槌で釘を打ち込むと、その音が静まり返った森にしんと響いた。

この怪談をいちばん怖くしているのは、見られたら終わりという約束事だ。姿を誰かに見られると呪いは成就せず、かえって災いが術者自身へ跳ね返ってくると語られてきた。ここが肝心なところ。だから丑の刻参りの話は、呪う女の恐ろしさと、それを偶然見てしまった側の恐ろしさの、二重の視点で語られやすい。

目撃者は息を殺して物陰に隠れ、女が去るまでじっと待つか、運悪く目が合って必死に逃げ出すかのどちらかになる。見てはいけないものを見た。この構図があるから、丑の刻参りはただの呪術の噂話を越えて、体験した本人が主人公になる怪談へと押し上げられたわけだ。

実在する呪術の伝承なのは確かだ。深夜に白装束で神社へ行き、相手に見立てた藁人形を御神木へ打ちつける像は、広く出回っている。ただ、呪いが本当に効くのか。見られたら失敗する、7日続ければ相手が死ぬ、必ず自分に返ってくる。そういう超自然の決まりごとは、どれも確かめられていない。

今よく知られる姿は、歴史の中で少しずつ組み上がったものだ。最初から一つの話だったわけじゃない。橋姫という鬼女の物語、貴船という水の神の社、釘を打つ古い呪い、能の舞台、江戸の絵や読み物。糸は何本もあった。まあ、順にほどいていこう。

白装束の中身を、道具ごとに数える

作法の側から見てみる。まず時刻が決まっていた。丑の刻は午前1時から3時ごろにあたる。厳密には丑三つ時、午前2時から2時半ごろに行うものとされた。

ちなみに丑の刻という言い方は、昔の時刻の数え方に由来する。1日を十二支で割った2時間ずつの区切りで、丑がその2番目にあたるわけだ。丑と寅のあいだの北東は、鬼門と呼ばれる方角。鬼の出入りする口だ。

装束も細かく伝わる。白装束に身を包み、顔には白粉を塗る。頭には五徳を逆さにかぶり、その3本の脚にろうそくを立てた。胸には鏡を下げ、口には櫛をくわえ、足には一本歯の下駄を履く。手には五寸釘と藁人形を持った。

どの道具にも、いかにも意味がありそうに見える。ところが、いつ誰が決めた組み合わせなのかは、一つずつ分けて追いかけにくい。五徳は鉄輪とも呼ばれ、あとで触れる橋姫の頭上の火につながる。白装束と藁人形は、別の筋から合流した道具だった。

7夜続けて参る作法もあった。7日目の満願の夜には、黒い牛が現れる。その牛をまたげば呪いが成就する。怖がって逃げ出せば、効力は失われるという。

他人に見られると効力が失せる。呪いが人に知られると、本人へ跳ね返る。この2つの縛りは、冒頭で触れた見られたら終わりの約束事と同じ筋にある。呪術の側に課された条件だった。

貴船明神が降りた、丑の日の丑の刻

舞台になる貴船神社は、京都の北、鞍馬山の隣の谷にある。主祭神は高龗神で、水の神だ。貴船川は鴨川の水源にあたり、平安京の水を握る山でもあった。隣の鞍馬山は火と天狗の山で、水と龍の谷の貴船とは背中合わせに並んでいる。

創建は反正天皇の代にさかのぼると伝わる。玉依姫命が黄色い船に乗って川をさかのぼり、貴船川の上流で水神を祀った。社名はその黄船に由来するという。奥宮には闇龗神が祀られ、本殿の真下には日本三大龍穴の一つがあると伝わる。

絵馬の起源も、この社にからむ話だ。干ばつが続くと黒い馬を、長雨が続くと白い馬を、朝廷は貴船へ奉納して祈った。やがて生きた馬の代わりに、板立馬と呼ばれる馬の姿を描いた板を納めるようになり、それが今の絵馬の原型だという。雨を乞い、雨を止める。貴船はそういう祈りの場所だった。

丑の刻の話も、もとは祈願の側にあった。貴船明神は丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻に降臨したと伝わる。その伝承から、この時刻に参れば心の願いが叶うと考えられ、心願成就の参詣が根づいた。呪詛が目的の時刻じゃない。

恋の祈りも集まった。夫の心が離れたことを嘆いた和泉式部は、貴船に参って蛍を見つめ、魂が身から抜け出たかと詠んだ。貴船明神が応じて、2人の仲は元に戻ったと伝わる。境内の結社には縁結びの神、磐長姫命が祀られている。

深夜の貴船へ通う女の姿は、もとは恋を取り戻したい祈りだった。その祈りが、いつのまにか呪いへ裏返る。呪詛の場として転用されたという見方がある。裏返しの境目に立つ女が、橋姫だ。

橋姫が鬼になるまで

今の姿の芯にあるのは、橋姫伝説だ。平家物語の異本に、剣の巻と呼ばれる部分がある。鎌倉時代後期に書かれた屋代本にも収められた話で、舞台は嵯峨天皇の世とされる。登場するのは、嫉妬に狂ったひとりの公卿の娘だった。

娘は貴船神社に7日間籠もった。願いはただ一つ、鬼神になること。神のお告げはすさまじかった。本当に鬼になりたいのなら、姿を変えて宇治川に21日間浸かれという。

娘は言われた通りにした。髪を5つに分けて角のように結び、顔に朱を差し、体には丹を塗って全身を赤くする。三本脚の鉄輪を逆さにして頭に載せ、鉄輪に松明を3本立てた。両端に火をつけた松明は、口にくわえた。

娘は生きたまま鬼へ変じたと伝わる。最初に襲ったのは、妬んでいた女と、その縁者だった。次いで相手の男の親類に手を伸ばし、しまいには関わりのない人まで手にかけたという。恨みは、止まらなくなっていた。

腕を斬られた鬼と、宇治の橋のうた

退治役に回ったのは、源綱。のちに渡辺綱の名でも知られる武者だ。一条堀川の戻橋で女を見つけ、格闘の末に鬼の腕を斬り落とした。女は初め美しい姿で現れ、都の外まで送ってくれと綱に近づき、髪をつかんで愛宕山へ飛ぼうとしたと語られる。

この話には時代のずれがある。物語の舞台は809年から825年にあたる嵯峨天皇の世だ。ところが、登場する源頼光、渡辺綱、安倍晴明は、それよりおよそ200年あとの人物だった。伝説は、時代をまたいで継ぎ足されている。

宇治の橋姫は、もとは歌の中の女だった。平安時代前期の905年に成った古今和歌集に、さむしろに衣かたしき今宵もや我を待つらん宇治の橋姫、という一首がある。橋のたもとで男を待つ女の気配を、一首の中に閉じ込めた歌だ。

宇治橋のそばには、今も橋姫神社がある。正式な祭神は瀬織津媛とされ、橋を守る神として祀られてきた。平家物語の鬼の橋姫は、この橋の神と同じ名で呼ばれる。恋を待つ女と、鬼になる女。同じ名前に、2つの顔が重なった。

能の女は、藁人形を持っていない

室町時代になると、橋姫の話は能の舞台に取り入れられた。演目の名は鉄輪。夫に離別された女が、貴船社へ丑の刻参りを重ねる筋立てだ。ある夜、社人が夢のお告げを受ける。

社人は女に告げた。三つの脚に火をともした五徳を頭に戴き、顔に丹を塗り、怒りの心を抱けば鬼になれる、と。女は赤い衣をまとい、顔を赤く塗る。鬼になる支度は、赤い衣と火をともした五徳と丹を塗った顔の3点に絞られる。ここまでの場面に、白装束も藁人形も金槌も出てこない。

女は生霊となって、夫の枕元に立つ。呼ばれたのは陰陽師の安倍晴明で、茅で人形を作り、夫婦の名を内に籠めて祈祷した。火をともした五徳を戴く鬼女は、夫婦の身代わりに襲いかかる。だが祈られ、時機を待つと言い残して消えた。

人形が出てくるのは、呪う側ではなく、祓う側だった。この逆転が面白い。今の丑の刻参りの像は、能の女そのままではない。陰陽道の人形の祈祷と、貴船へ通う女の話が、あとから重なったと見るほうが筋が通る。

京都市下京区の堺町通万寿寺上るには、鉄輪跡と刻まれた石標が立つ。能の登場人物の男が住んでいたとされる地にちなみ、1935年に鍛冶屋町敬神会が建てた。近くには鉄輪ノ井という井戸があるが、能の本文には出てこない。

釘を打たれた人形は、奈良時代にもあった

藁人形の血筋は、橋姫よりずっと古い。人形と書いて、ひとがたと読む。人の全身をかたどったもので、紙や木、金属で作られた。平城京の人々は、穢れや災いを払うため、あるいは呪うために、この人形を使った。同じ形の道具が祓いと呪いの両方に使われた点は、あとの藁人形を考えるときの出発点になる。

8世紀の天平年間には、平城宮の二条大路北側の溝から、木製の人形が207点も見つかっている。国家の儀式の大祓に用いたものとみられる。なでたり息を吹きかけたりして穢れを移し、水に流す。人形はもとは祓いの道具だった。

呪いの記録も早い。日本書紀の587年4月の条に、中臣勝海の名が出てくる。物部守屋の反乱に呼応して、押坂彦人大兄皇子と竹田皇子の像を作り、呪詛したという。だが計画の失敗を悟ると、彦人大兄に帰服した。宮の門を出たところで、迹見赤檮に殺された。

国が呪詛を恐れたのは、記録からも読み取れる。729年、聖武天皇は人の形を用いる呪詛、厭魅を禁じる勅を出した。769年には県犬養姉女が蠱毒の罪で流され、772年には井上内親王が皇后の位を廃されている。呪いは、お上が本気で身構える罪だった。

実物の手がかりもある。奈良国立文化財研究所の所蔵する8世紀の木製人形には、胸に鉄釘が打ち込まれたものがある。島根県松江市のタテチョウ遺跡から出た木札には、女性の姿が描かれ、両乳房と心臓の位置へ3本の木釘が打ち込まれている。釘を打つ呪いは、少なくとも8世紀にはあった。

別々の糸が一人の女の姿になった

釘を打つ人形と、貴船へ丑の刻に参って鬼女になる橋姫の物語は、もともと別々の系譜だった。出発点はばらばらだ。それが江戸時代までのあいだに、文芸や芝居、口伝えの中で少しずつ結びついていく。丑の刻参りの基本の形は、江戸時代にできあがったとされる。

室町時代の物語、お伽草子にも鉄輪という題の話がある。丑の刻参りの成立を論じる解説は、屋代本の剣の巻、謡曲の鉄輪、そのお伽草子の鉄輪を、宇治の橋姫伝説を原型の一つに育った話として並べる。正直、ここまでは資料の筋がそろう。藁人形と釘が加わる最後の一手だけが、江戸の側にある。

藁人形が登場するのも、この江戸時代と同じころだと見られている。奈良時代の人形は木だった。能の鬼女は赤い衣をまとっていた。白装束と藁人形が加わって、はじめて今の絵ができあがる。

白装束に、ろうそくを立てた五徳(鉄輪)、一本歯の下駄、胸の鏡、懐の護り刀、口にくわえた櫛がそろって、あの姿になる。やたらと装備が多い。こうして組み上がったと見るのが有力な説だ。江戸時代に入ると、この呪術は主に女性のあいだで語られる話として広まったとも言われている。

裏付けになる資料もある。国立国会図書館サーチには、妬婦や藁人形、呪釘を扱って、いわゆる丑の刻参りの完成を論じた研究が登録されていた。レファレンス協同データベースで紹介されているのは、剣巻系の橋姫伝説だ。貴船へ参った女が託宣に従って鉄輪をかぶり、宇治川に浸かって鬼になる話になる。

別の調べものでは、太平記系の橋姫伝説や人形を使った資料が案内され、手がかりはほかにも広がっていた。要素を並べてみる。鬼女になること、夜の参詣、嫉妬、形代、釘、白装束。これらは最初からセットだったわけじゃない。文芸や図像、民間伝承の中で時間をかけて結びついていった可能性を、集まった資料は示している。

貴船の木に残る無数の穴

いちばん有名なのは、やはり京都の貴船神社の伝承だ。水の神を祀る古い社で、橋姫伝説の舞台としても語られるから、丑の刻参り発祥の地として全国に名が通っている。訪れた人の記録では、参道脇の木の幹に無数の穴が見つかった。五寸釘の跡だと噂される穴だ。

苔むした木の裏側。ふだん目に入らない場所で、こういう跡が見つかることもある。それが、この神社では今も丑の刻参りが続いているという噂を、じわじわと補強してしまうんだよな。見つけた側からすれば、昔話が急に今の話になる瞬間だった。

ひとつ押さえておきたいことがある。貴船神社の境内は、夜通し開いているわけじゃない。深夜に境内へ入り込んで釘を打つ絵は、物語の中のものだ。参道や周辺の木に残る跡を、どの時間帯に誰が付けたのか。そこまでは確かめようがない。

別系統の話もある。太平記に記された橋姫伝説の変わり種で、貴船とは違う筋書きのまま、嫉妬深い女が鬼と化す話として紹介される場合もある。鬼になる女の話は一本道じゃない。

呪いの杉や呪いの御神木の噂は全国の神社に点在し、地元の子どもの肝試しの定番になっている例も少なくない。ネットの中では、藁人形や五寸釘という古典的な道具立てを離れた派生まで出てきた。交流サイトやメッセージアプリで呪いを広めるという、現代版を面白がる創作だ。形が変わっても芯は同じ。呪いも時代に合わせて化ける。

肝試しの夜に聞こえた、別の足音

丑の刻参りの体験談には、型がある。深夜の貴船神社を、肝試し半分で訪れたグループの話が典型だ。月明かりの下で参道を進むうちに、木立の奥から自分たちのものとは違う足音が聞こえてくる。目を凝らすと、白っぽい装束の人影が木々のあいだを移動していた。月明かりの参道、木立の奥の足音、白っぽい人影、全力の逃走と、型の部品は驚くほど決まっている。

その影が少しずつこちらへ近づいてくる。気づいた瞬間、全員が悲鳴を上げて走り出す。参道を駆け下りる途中で足をくじきそうになり、裸足で逃げて足の裏を血だらけにした者もいた、って話だ。想像するだけで足の裏が痛い。

神社近くの橋にまつわる目撃談もある。欄干の外側を両手両足を使って猛スピードで走る女性を見てしまい、怖さのあまり寺社へ相談に行った、という話だ。いったい何を見たのか。話の中では最後まで明かされない。

境内を掃除していた氏子や参拝者が、御神木の根元に打ち捨てられた藁人形と錆びた釘を見つけてしまう話もある。それ以来、その場所に近寄れなくなった。何度も語られてきた定番の型だ。

子どものころ友人と肝試しに行き、木の幹に無数の穴を見つけた。それからは、その神社の名前を聞くだけで背筋が寒くなる。この手の述懐は、話の締めくくりによく出てくる。穴だけで十分に怖い。ただし、いずれも出どころの確かな記録ではなく、語り伝えられた怪談の型として読むものだ。

上野公園の藁人形と、松戸の神木

物としての藁人形も、博物館に収まっている。東京国立博物館には、藁と鉄でできた呪咀人形がある。東京の上野公園で見つかったもので、明治時代の資料として登録されている。長さは22.8センチ、幅は19.5センチ。

人形には鉄釘が7本打ちつけられ、いま残るのは6本だ。解説は、憎い相手の髪の毛などを人形の中に収め、深夜に釘を打ちつけたのだろうと推測している。ふつうの怪談の小道具が、確かに誰かの手で使われた跡だった。

近い例もある。2022年5月、千葉県松戸市の神社の神木に、藁人形が釘で打ちつけられる事件が起きた。被害に遭った神社は、10か所を超える。男が逮捕されたときの容疑は、器物損壊と建造物侵入だった。

神社の関係者は、ご神木に大きな穴が2つ残ったと話したという。丑の刻参りの伝承は、今の世では、まず神木と建物への損壊として扱われる。呪いの効き目を論じる前に、穴の開いた木が現実にそこへ立っている。

年末の境内から抜かれる藁人形

ネットでも丑の刻参りは人気者。掲示板やまとめサイト、交流サイトで話題が尽きず、見られると呪いが術者に返るという設定は、創作物やゲームで何度も使われてきた。どこまでが本来の民間伝承で、どこからが後世の物語や娯楽作品の脚色なのか。そこを仕分けようとする考察勢の議論も盛んだった。

気になる話がひとつある。貴船神社では年末になると、境内の清掃の一環で、木に打ち込まれた藁人形や釘を取り除く作業が行われているという。一度に百体近い藁人形を引き抜いた、という書き込みまで紹介されていた。ただし、神社側の発表で裏が取れたわけじゃない。

もし事実なら、丑の刻参りは都市伝説の中だけの存在じゃなく、今まで実際に続いている習俗ってことになる。裏を取れない以上、ここでは噂として置いておく。

掲示板では冷静な指摘も繰り返し出ていた。御神木を傷つければ文化財や自然への損壊になるし、特定の人物を狙う以上は脅迫や器物損壊といった犯罪に問われかねない。刑法の解説では、呪いそのものを、効果の見込めない不能犯の典型例に挙げる説明もある。超自然の怖さと法律やモラルの問題が同時に語られる。だからこのテーマは、ネットで長く議論されてきた。

見られたら返る、は確かめようがない

確かめられていない話も、ここで仕分けておく。念のため、正直に書いておく。一定の日数続ければ呪いが完成する、他人に見られると効き目が消える、という作法がそのひとつだ。呪いが施術者へ必ず返ってくる、霊に取り憑かれる、という代償の話も同じだった。裏は取れていない。

もとの記事が並べていた古典や近世の作品が、今の丑の刻参りの形をそのまま描いている、という主張も同じ扱いになる。今昔物語集、竹取物語、源氏物語、冥途の飛脚、怪談乳房榎がそうだ。この記事の調べでは、どの作品のどの場面が藁人形や丑の刻参りに当たるのか、確認できなかった。だから本文には書かなかった。

肝試しで藁人形と釘を見つけ、そのあと悪夢が続いたという匿名の体験談も、真偽は不明だ。特定の神社が呪い除けの護符を授けている、という一般化も確認できていない。どれも話としては面白い。

呪いの効果は確かめようがない。ただ、今これを真似すれば、話は一気に現実の問題へ変わる。神社の敷地への無断立ち入り、樹木や建物の損壊、相手を脅すような意図を示すことは、どれも洒落では済まない。だから伝承の再現はおすすめしない。

ひとつの起源では説明できない呪い

丑の刻参りは単なる創作の名前じゃなく、歴史の中に伝承も図像もちゃんと持っている。京都・貴船の水神信仰、宇治川にまつわる橋姫の伝説、能という芸能で磨かれた鬼女の物語、そして奈良時代から続く形代の呪術。時代も文脈もばらばらだ。そういう要素が積み重なって、今の形ができあがった。

起源はひとつじゃない。長い年月をかけて、人の想像力と恐怖心が寄り集まって作り上げた、日本を代表する呪いの物語だ。整理するなら、橋姫の系統、形代と藁人形、近世以後に完成した像、現代のホラー表現の四つに分けると見通しがいい。

アニメで知った世代と、古い呪いの距離

ポップカルチャーの中でも、このモチーフは何度も引用されてきた。白装束に鉄輪、口にくわえた櫛。この強烈な出で立ちは、漫画やアニメ、ホラーゲームで呪う女性の定番デザインとして使い回されている。

そのぶん橋姫伝説や陰陽道の文脈から離れ、様式美のある怖いビジュアルとして若い世代に受け止められる流れも強まった。見た目だけがひとり歩きしている格好だ。ちょっと皮肉な話。

オカルト考察系の動画やまとめサイトでは、創作での扱われ方と貴船に伝わる本来の伝承の違いを整理する回が、定期的に作られている。視聴者からの反応も多い。アニメで知って興味を持ったけど、元ネタがこんなに古い歴史を持つとは知らなかった、という声が寄せられていた。

発見報告も絶えない。掲示板では、藁人形や五寸釘らしきものを神社や公園、自宅近くの木で見つけたという投稿が、季節を問わずぽつぽつ上がる。たいていは投稿者自身が、本当に丑の刻参りなのか、ただのいたずらなのか分からない、と留保をつけていた。結局、真偽不明のまま怖い話として消費されていく。

神社関係者向けの相談事例でも、御神木への釘打ちやいたずらの被害が話題にのぼる場合がある。文化財の保護と、古くからの呪術伝承への好奇心のせめぎ合いは、令和になった今もまだ続いているらしい。

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