かつての日本には、目に見えない「穢れ(けがれ)」という恐怖が、人々の暮らしを厳しく縛っていた。とりわけ恐れられたのが、血にまつわる「赤不浄」、死にまつわる「黒不浄」、そして出産にまつわる不浄である。この観念は、女性の身体そのものを「穢れを生むもの」として扱い、月のさわりや出産のたびに、村の片隅の小屋へと隔離する掟を各地に生み出した。血を流すというだけで、人は家から追い出されたのである。
三つの不浄――赤・黒・青
民俗社会では、穢れはいくつかの種類に分けて恐れられた。「赤不浄」は血の穢れを指し、多くは月経と出産にともなう血を意味した。「黒不浄」は死の穢れ、すなわち人が亡くなったことによる穢れである。地域によってはこれに「青不浄」を加える例もあり、出産の穢れや、あるいは特定の忌みを青不浄と呼び分けた。
呼称や区分には土地ごとの差があるが、共通するのは、血と死という人間の生の根源に関わる現象を、神聖な場や日常の営みを穢す危険なものとして峻別した点である。穢れに触れた者は神事に近づけず、火を共にすることさえ避けられた。
月のさわりと、隔離される女たち
この観念が最も過酷な形をとったのが、女性の隔離である。月経中や出産前後の女性は「不浄」とされ、家族と火を共有すること(同じ竈で炊いた飯を食べること)さえ忌まれた。そこで各地に設けられたのが「忌み小屋」である。月経のための小屋は月経小屋・タヤ・ヒマヤなどと呼ばれ、出産のための小屋は産屋(うぶや)と呼ばれた。
伝承では、女はさわりが来るたび、あるいは産み月が近づくたびにこの小屋へ移り、期間が明けるまで家に戻れなかった。海辺や山村の一部では、こうした小屋が近代まで実際に残っていたことが民俗調査で確認されている。血を流す女を、共同体は物理的に隔離したのである。
なぜ「血」が恐れられたのか
血と出産への畏れは、単なる嫌悪ではなく、両義的な感情から生まれている。血は生命そのものの象徴であり、出産は新しい命を生み出す神秘だった。人知を超えた強大な力は、聖なるものであると同時に、日常の秩序を乱す危険なものでもある。制御できない大きな力を「穢れ」として囲い込み、一定の期間隔離し、やがて祓い清めて日常へ戻す――この一連の手続きによって、共同体は得体の知れない生命力を安全に扱おうとした。
塩で清める、水で禊ぐといった浄めの作法は、穢れを恐れる観念と表裏一体で発達していった。畏怖と排除は、同じコインの裏表だったのだ。
現代に残る痕跡
この古い観念は、迷信として片付けられない痕跡を今も各所に残している。神社に不幸があった際の忌中の張り紙、忌明けまで祝い事を控える慣習、そして繰り返し議論になる「女人禁制」の問題――大相撲の土俵に女性が上がれない伝統をめぐる論争は、血や出産を穢れとみなす古層の観念が、形を変えて現代社会にまで生き延びていることを浮き彫りにした。
神聖とされる場から女性を排除する構造の根には、赤不浄への恐れが横たわっている。
