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人升田(トゥングダ)――与那国の人減らし伝説と人頭税史

呼び名がひとつに定まらない

沖縄県立博物館・美術館が採録したときの題名は「人升田と久部良バリ」だった。一方、琉球新報の用語解説は「トゥング田」と書く。そこには「一升田」「人桝田」ともいう、という注記まで添えられている。同じ一枚の田の話なのに、呼び名だけで四つも五つも転がっているわけだ。

この話に出てくる「人桝田」という書き方も、異表記としてたしかに存在する。ただ、どれかひとつに寄せないと記録が進まない。だからここでは、公的な民話データベースが採る「人升田」を主表記に決めておく。表記が揺れて見えても、指しているのは同じ場所だと思ってほしい。

祖納の語り手が残した梗概

沖縄県立博物館・美術館には「ウチナー民話のへや」という民話データベースがある。そこに与那国町祖納出身、池間苗氏(1919年生)の語りが収められている。記録されたのは1997年3月12日、採録者は沖縄口承文芸学術調査団と明記されている。梗概はこうだ。

島の中央にある人升田で銅鑼を鳴らし、島中の男性を集めた。そして田に入れなかった人を「人減らし」のために殺したという。肢体の不自由な人などは、そもそも到着できなかった。女性のほうは久部良バリを跳ばされた。

引っかかるのは、語り手自身がその話を丸ごと信じていないところだ。池間氏は「妻などを跳ばせて平気だったのか」と疑問を示す。そのうえで、人頭税の辛さを伝えるための作り話ではないか、と語っている。

この採録は伝説の存在と具体的な内容を証明する、非常に価値の高い資料だ。ただし証明しているのは、そう語られていたという一点にとどまる。殺害事件そのものの証明ではない。語り手の疑いも含めて、まるごと口承の一部なんだよな。

税が人を歩かせた

八重山に人頭税が課されていたのは、1637年から1902年までのことだ。田を持たない島の住民も、米などを上納しなければならなかった。そのために遠距離通耕、つまり遠くの土地まで通って耕す暮らしを強いられた。この点は研究でも確認されている。

終わりの時期は沖縄県立図書館の年表がはっきり示している。1903年、宮古・八重山で地租条例と国税徴収法が施行され、人頭税は廃止された。実在したのは、この苛酷な租税制度のほうだ。それに伴う労働、移動、生産の負担も現実にあった。

気をつけたいのは単純化の誘惑だ。「薩摩藩が島民一人ずつへ直接課税した」と説明されることがあるが、これは不正確である。実施主体も制度も上納の関係も、琉球王府と薩摩支配を含んだ複雑な構造だった。誰か一人を悪役にして済む話ではない。

うっかり史実にしてしまう前に

1981年には『トゥング・ダ(人桝田)クブラ・バリ伝説考』という本が刊行されている。伝説をどう扱うかをめぐって、郷土史の側にも論争があった。ただ、現在の公開資料だけでは、その全論証までは確認できない。

ネットでよく見る細部を並べてみる。「15―50歳」「その場で処刑」「久部良割で人口が減らなければ導入」。こうした条件は、博物館の梗概には出てこない。後から足された飾りなのか、別系統の伝承なのかも判然としない。

障害のある人が犠牲になったという伝承は、共同体の記憶や差別史を考える材料になる。その一方で、これを史実と断定してしまえば話が変わる。与那国の人々を残酷な集団として固定化する危険が出てくるからだ。だからこそ、伝説の語り手自身の疑問を省いてはいけない。

尾ひれはどこまで伸びたか

ネットを漁ると、梗概にはない尾ひれがいくつも出てくる。銅鑼が鳴ると全島の木々が震えた、という話。法螺貝も併用され、集合の時刻はわざと短く設定されたともいう。遅れた人は田の周囲で即座に殺されたという、物騒な一節も転がっている。

現地の空気についての噂もある。田に立つと風が止まり、足音や銅鑼が聞こえるというのだ。さらに人升田という名は「人口を桝で量る」意味なのだ、と説明する版まである。

この語源説明を含めて、裏付けを欠く派生はあくまで噂として保存しておく。消す必要はないが、史実の棚へ上げてもいけない。そもそも地名や漢字表記から意味を逆算しただけでは、語源の証明にはならないからだ。

いま言い切れることの線引き

人升田は、架空だと切り捨てられる類いの話ではない。ちゃんと採録された与那国の伝説である。ただし史実として確実なのは人頭税の重圧までで、集団殺害のほうは未実証のままだ。伝説には、過酷な支配を「人減らし」という極端な像に押し込めて記憶する社会的機能がある。

銅鑼が鳴った朝の再話

与那国島、久部良集落からほど近い島の内陸部。かつてそこには「人升田(トゥングダ)」と呼ばれる一枚の田があったという。周囲を囲む石垣、湿った土、遠くに見える海。ネット怪談としての人升田は、だいたいこういう場面から幕が開く。

ある朝、前触れもなく銅鑼が打ち鳴らされる。ドラ、ドラ、ドラと、低く重い音が集落から集落へ伝わっていく。そこへ法螺貝の音が重なる。これが島の男たちへの召集の合図だとされる。

15歳から50歳までの男子は、この音を聞いた瞬間に田へ向かって走らなければならない。理由は知らされない。ただ「間に合わなければ殺される」という恐怖だけが先に立つ。

裸足のまま畦道を駆ける若者がいる。杖をつきながら必死に足を進める老人がいる。生まれつき足の悪い男が、声にならない声を上げて這うように進む。これらはいずれも、ネット上の再話でくり返し描写されるイメージである。

田のふちには役人が立ち、時間内にたどり着けた者とたどり着けなかった者を選別する。遅れた者、あるいは体が不自由でそもそも走れなかった者は、その場で命を絶たれたのだと語られる。

なぜこんなことが行われたのか。ネット怪談の文脈では「人頭税を納められない人間を口減らしするため」と説明される。人頭税は琉球王府と薩摩支配下で、八重山・宮古に課された過酷な税制度だ。田畑を持たない者にも重い上納が課された。

働けない者、生産性のない者は共同体にとって負担になる。そういう論理が、この「淘汰の儀式」の背景として語られている。再話のクライマックスでは、選別を逃れた者たちが押し黙ったまま集落へ戻る。その夜は誰も声を上げられず、眠れなかったという情景が描かれる。

そして話は現代に飛ぶ。観光客がこの田の跡地とされる場所を訪れると、風がぴたりと止まり、あたりの空気が急に重くなる。耳の奥で銅鑼の音が聞こえた気がする。そんな体験が語り継がれているらしい。

今では跡地はサトウキビ畑に姿を変え、当時の面影はほとんど残っていない。そういう説明が添えられることも多い。

この話はいつから語られたのか

直接の初出としてたどれる最も古い記録は、やはりあの口承だ。沖縄県立博物館・美術館の民話データベース「ウチナー民話のへや」に採録されたものである。語り手は与那国町祖納出身の池間苗氏(1919年生)。採録日は1997年3月12日、採録者は沖縄口承文芸学術調査団と明記されている。

この採録では、人升田と久部良バリが対になった伝説として語られている。男性は人升田へ、女性は久部良バリへ。振り分けの構図がはっきりしている。

見落とせないのは、語り手自身が疑問を語りの中に含めている点だ。「本当に妻などを飛ばせて平気だったのか」と、池間氏は言う。つまり伝説そのものが、人頭税の過酷さを伝えるための誇張であり寓話かもしれない。その可能性を、ほかならぬ伝承者自身が示唆している。

学術的な議論もある。1981年に刊行された郷土史関連書籍『トゥング・ダ(人桝田)クブラ・バリ伝説考』だ。この本の存在は国立国会図書館の書誌情報から確認できる。伝説の史実性や成立過程についての検討が、当時すでに行われていたことになる。

ただし、この書籍の全文内容は今回のオンライン調査では確認できていない。詳細な論証までは追えていない。

ネットで流通している人升田の物語には、決まった型がある。対象は15歳から50歳までの男子、合図は銅鑼と法螺貝、間に合わない者はその場で即座に処刑。この具体的なディテールが繰り返し出てくる。

こうした書き方は、探検・郷土サイト「tanken.com」の記述に典型的に見られる。オカルト系まとめサイト「最恐都市伝説の真相」(裏側ドメイン名で運営)の記事も同じ調子だ。これらが2000年代以降のインターネット上での人升田イメージの、主要な供給源になっていると考えられる。

一方で、5ch・2ch系に「人升田」単体を扱った専用スレッドは、今回の調査では発見できなかった。この話題は沖縄の心霊スポットまとめや都市伝説まとめブログを経由して拡散したらしい。掲示板発祥ではなく、読み物系怪談としての性格が強い。

版によってこんなに違う

まず表記からして複数ある。「人升田」「人桝田」「一升田」「トゥング田」「トゥングダ」。これらはすべて同一の場所と伝説を指すとされるが、サイトによって使う表記が異なる。琉球新報の沖縄コンパクト事典では「トゥング田」という表記が採用されている。

内容面でも版によって差異がある。ある版は対象年齢を「15歳から50歳の男子」ときっちり区切る。別の版では単に「島中の男」とだけ語られ、年齢の区切りが曖昧になっている。

処刑の方法についても同じだ。単に「その場で殺された」と流す簡潔な版がある。一方で「田の周囲に控えていた役人によって斬られた」「川へ突き落とされた」など、具体的な処刑描写を加えた版も存在する。合図についても、銅鑼のみとする版と、銅鑼と法螺貝の両方を使ったとする版に分かれる。

もう一つ大きな派生軸がある。この伝説を「久部良割(久部良バリ)」とセットで語るか、単独で語るかという分かれ道だ。博物館採録の口承では「男は人升田、女は久部良バリ」という対の構造が明確になっている。ところがネット記事には、人升田だけを単独で取り上げ、久部良バリへの言及を省略しているものも多い。

さらに一部の派生はこう語る。人升田で人口が思うように減らせなかった年は、久部良バリでの淘汰の規模が拡大された、と。両者を因果関係で結びつける説だ。ただしこれは元の博物館採録には存在しない。後発の創作的解釈である可能性が高い。

跡地で何かを聞いた人たち

ネット上の紀行文やオカルトブログには、人升田の跡地とされる場所を訪れた者の体験がいくつか投稿されている。たとえば与那国島を一人旅した20代女性の体験談。レンタルバイクで祖納から久部良方面へ向かう途中、地元の人から「あのあたりが人升田の跡地」と教えられて立ち寄ったという。

すると日中にもかかわらず急に風がやみ、サトウキビの葉音がぴたりと止まった。「耳がキーンとして、遠くで太鼓のような音が一瞬聞こえた気がした」と彼女は振り返る。同行者に聞いても「何も聞こえなかった」と言われ、余計に薄気味悪さが残ったと語られている。

別の体験談も伝わっている。地元在住の40代男性が、子供の頃に祖父から「あの田には近づくな、大声を出すな」と言われて育ったという話だ。理由を尋ねても祖父は多くを語らず、ただ「昔、あそこでひどいことがあった」とだけ答えたという。

この男性は大人になってから人升田の伝説を知り、「祖父が言っていたのはこれのことだったのか」と腑に落ちたと述べている。ただし祖父の実名も、具体的な発言の一次記録もあるわけではない。あくまでネット上の体験談投稿として流通している話だ。そこは留意が必要になる。

心霊スポット系のまとめには、定番の心霊写真パターンも登場する。観光で訪れたカップルが跡地付近で写真を撮ったところ、後で確認すると誰もいないはずの畦道に人影のようなものが写り込んでいた、という体験談だ。こういう投稿は久部良バリの写真投稿と混同されて語られることもある。両者の体験談がインターネット上で徐々に混ざり合っている、そんな状況もうかがえる。

掲示板ではなくまとめサイトから

専用スレッドは見つからなくても、反応そのものは拾える。沖縄の心霊スポットや都市伝説を扱うまとめサイト、個人ブログのコメント欄あたりだ。そこには人升田についての書き込みがいくつか残っている。

目立つのは知名度の低さを示すコメントである。「人頭税の話自体は史実として習ったが、ここまで具体的な処刑の話は初めて聞いた」。あるいは「久部良バリは知っていたが人升田は知らなかった」。久部良バリと比べると、人升田はまだ知られていない。

考察系のブログやYouTube動画にも、この話を扱うものがある。論点はいつも同じだ。この伝説は本当に史実なのか、それとも人頭税の苦しさを伝えるための寓話なのか。

これは前述の池間苗氏の語りに含まれる「話者自身の疑問」が、そのままネット上の論点として引き継がれている形だ。まとめサイトの立場も割れている。「伝説と史実は分けて考えるべき」という慎重な側がある。そして「これくらいのことは実際にあってもおかしくない」という断定的な側もある。両方が併存しているのが現状だ。

実際に残っているもの

人升田伝説の背景にある人頭税は、1637年から1903年まで八重山・宮古諸島に課された実在の税制度だ。田を持たない住民が遠方まで通耕を強いられる「遠距離通耕」という実際の負担も、学術研究で確認されている。そして1903年、宮古・八重山地租条例および国税徴収法の施行により、人頭税は正式に廃止された。

現在、与那国町の「DiDi与那国交流館」では人頭税に関する展示が行われている。地域の歴史教育の一環として紹介されているものだ。久部良集落のほうには久部良バリと、地蔵菩薩の祀られた供養の場所が実在する。人升田とセットで語られる「もう一つの淘汰の場」として、観光や郷土史の文脈でも言及されることがある。

肝心の人升田そのものの跡地は、現在では特定の史跡として整備されていない。周辺の農地の一角として存在していると説明されることが多い。整備された史跡が無いぶん、話のほうだけが長く残ってきた。そういう伝説なんだよな。

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