愛知県西尾市の鳥羽神明社では、神男と奉仕者が竹と茅で組んだ二基の大松明へ入り、神木と十二縄を取り出して神前へ供える。豊凶を占う火祭り。その年の実りや天候を読む、旧正月から受け継がれた行事だ。
勝負で取り出すのは中心の神木と根元の十二縄で、東の乾地と西の福地は、それらを神前へ供える速さを競ってきた。速さを競う点が面白い。炎に飛び込む瞬間だけを切り取ると、何を持ち帰る競争なのかが見えなくなる。
山の材料を集め、松明を作り、神男が籠もって身を清める。海での禊と祈祷を経て、ようやく火へ向かう段階になる。その場面を支える、地域の長い準備だ。
舞台は愛知県西尾市の鳥羽神明社
鳥羽神明社は西尾市鳥羽町西迫にあり、公式サイトは旧暦一月七日の神事が二月第二日曜日へ移ったと説明していた。舞台は愛知の鳥羽。三重県の鳥羽と取り違えず、その年の時刻や観覧区域を開催案内で確かめたい。
神社の案内は、大同年間の創建と約千二百年前からの祭りを伝えたが、由緒の記録が焼失し、起源は不詳とも記していた。伝わった始まりの話だ。今の所作がいつ整ったかという記録とは、分けて考えられる。
大同年間は八〇六年に始まる。遠い由来を語る年号と、今の松明の高さや役割がいつ整ったかは、同じ話ではない。すずみを作り、神男を送り出す形には、時代ごとに引き継がれた人々の工夫も重なる。
乾地と福地が競う理由
神社の脇を流れる宮西川を境に、東が乾地、西が福地となる。二つの地区は、それぞれ一基のすずみを作る。神男を中心に、火へ入る奉仕者たちを組織する。
乾地と福地は、ともに同じ神社へ奉仕し、各一基のすずみを作って競争してきた。二地区が一つの祭りを作る。名前を吉と不吉の序列へ置き換えるより、両方が準備を引き受ける関係を見たい。
完成した二基は、神男が神前で引くくじによって割り当てられ、作った地区がそのまま使うと決まっているわけではなかった。神前のくじ。公式サイトは公平を期すためと説明し、競争の前へ神前の決定を置いていた。
神男は火へ入る前に籠もる
神男は乾地と福地から一人ずつ選ばれ、神社の案内は二十五歳の厄男という資格を挙げていた。国の解説には選び方の変化もある。年齢を原則として依頼する形へ変わったと記されていた。
公式サイトによると、神男は三日前から神明社へ籠もり、自分で食事を煮炊きし、境内を掃除して、一日二度の冷水で身を清める。日常を離れる準備。火へ入る力だけを求めた役ではなく、神事を勤めるための潔斎だった。
国の解説は、籠もる期間が七日から三日へ変わり、前年の神男が「ソエボウ」として補佐することも記していた。長い歴史の中の変化だ。初めて勤める人だけに任せず、前の年の経験も引き継いできた。
神男一人の英雄譚にすると、支える家族や奉仕者が背景へ消える。材料を整え、装束を用意し、禊と火の現場を見守る人がいる。潔斎を支える人々も、祭りの担い手だ。
すずみの高さは資料によって違う
公式サイトは高さ七メートルほどのすずみを紹介したが、神社の詳しい案内と国の解説には、十六尺、約五メートルと記されていた。資料ごとの高さの違い。同じ名の祭具でも、紹介した時点や測る対象を添えて読みたい。
中央には、公式サイトが栃の木と呼ぶ神木を入れる。笹付きの青竹六十本ほどで囲み、中に茅を詰め、外側を藤蔓で締め上げる。市の広報はアベマキを地元のトチノキと説明しており、植物の名と地域の呼び名を分けて読む必要がある。
公式サイトは、根元の十二縄が一年の月数を表し、平年は十二巻き、旧暦に閏月を含む年は十三巻きになると説明していた。名前と巻数に注目したい。十二縄と呼んでも、必ず十二にそろえるわけではなかった。
神社の準備一覧は、青竹も一基につき平年六十本、閏年六十一本とし、ゆすり棒に使う黒松の長さにも違いを記していた。暦を編み込んだ祭具。材料を数えるところから、月の巡りを形へ移していた。
すずみの神木、竹、茅、藤蔓、縄には置き方があり、材料を選んで束ねる仕事が、燃える順番や取り出し方へ関わってきた。地域が受け継ぐ製作の技術。大きな焚き火という見た目だけでは、その仕組みまで伝えきれない。
神木と十二縄は、奉仕者が火中から取り出し、外へ運んで神前へ供える目標物として、すずみに納められた。焼き尽くせば終わり、ではない。二地区は、祭具を神前へ届ける速さを競い合った。
山の材料を絶やさない
竹、茅、藤、神木の材料は地域の山林から集められ、毎年使うために、翌年にも採れる状態を保つ仕事が続いてきた。山も祭りを支える。材料のある場所も、祭りの一部として見ることができる。
公式サイトは材料を絶やさないための植林活動を紹介し、神社の案内には、各戸が茅を一荷ずつ納める準備も載っていた。火へつながる一年の仕事。採取、加工、組み上げを引き継ぐ人々が、当日の大松明を作ってきた。
材料を市販品へ置き換えれば、姿は似ていても燃え方や山との関わりは変わるかもしれない。自然素材だから、採り続けてもよいというわけではない。形を守る仕事は、材料の育つ場所を守る仕事ともつながっている。
海の禊で二地区が受け渡すもの
公式サイトが紹介した奉仕者は、晒の下帯、鉢巻、白足袋姿で神男を先頭に隊列を組み、二月の浜へ向かった。海での塩垢離。冷たい海へ入り、身を清めてから火の神事へ戻る所作だった。
海では福地の神男が御幣を付けた竹棹を投げ、乾地の神男が拾い、再び隊列を組んで神社へ帰った。東西の受け渡し。火の競争より前に、一つの所作をつなぐところが面白い。
冷たい海では体が冷えたり波に足を取られたりする危険があるので、経験と役割分担のある神事を見物人が真似しないでほしい。清めと安全は別に考える。火傷を防ぐ装備や、救護の備えも欠かせない。
古い幟が「ネコ」になる
夕方に着る胴着と頭巾は古い幟から作られ、装束の「ネコ」という名は、それを着た奉仕者も指していた。猫の仮装をいうのではない。布が奉納された場所から、人が火へ入る場面へ移る。
神社の案内には、奉仕者が頭から水をかぶってすずみへ入る所作が記されていた。濡れた布の装束。炎、煙、火の粉、倒れる竹にさらされるので、現代の耐火服と同じ性能を保証する説明には使えない。
幟を衣へ作り替えると、神社へ奉納された布が、祭りの火へ向かう人を包む装束としてもう一度使われる。これは一つの読み方だ。厚さや縫い方、頭巾の覆い方、濡らし方も、受け継がれてきた技術になる。
火打石の種火から、神木の奉納へ
公式サイトが描いた流れでは、拝殿でお祓いと祈祷を受けた神男と奉仕者が、火打ち役を先頭にすずみへ向かった。始まりは火打石の種火。その小さな火が、二基の大松明へ渡された。
火が茅と竹へ回り、炎と火の粉が上がる中で、奉仕者はすずみへ飛びつき、揺すり、燃えた材料を崩して中心へ近づいた。神木への道を開く所作。市の広報は、ゆすり棒を入れる段階も追って記録していた。
写真や映像で炎に人が隠れて外へ出る一場面だけを見ると、誰が揺すり、誰が祭具を運ぶのかという役割が見えにくくなる。切り取りの外にも仕事がある。その手順は、行事全体の流れと合わせて読むとわかりやすい。
公式の説明は、神木と十二縄を先に神前へ供える勝敗と、すずみの燃え具合から、天候や作付け時期、豊凶や吉凶を占うとした。農の一年へつなぐ勝負。取り出せた瞬間で話が終わるわけではなかった。
占いの結果と、農の一年
神社の案内は、福地の勝ちから山間部の豊作や雨を、乾地の勝ちから干天などを読む言い伝えを紹介している。二地区の名が、これから迎える農の季節と結び付く。どの火祭りにも通じる占いではなく、鳥羽の土地と暮らしに根ざした読み方だ。
祭りの占いは、まだ見えない一年へ農の願いを託す場でもある。雨や実りを案じる気持ちが、二つの地区の勝負へ重なる。結果を気象予報や農業統計のように受け取らなくても、その年を思う人々の祈りは読める。
先に出た祭具と火の燃え方を見ながら、その年の雨や実りを思う。占いの後にも、田畑の仕事と天候を気にかける日々は続く。年末の収量だけを振り返るより、祭りの夜に何を願ったのかを考えると、勝負の先にある暮らしが見えてくる。
農作物の出来には、気温、雨、台風、病害虫、品種、作付面積も関わる。一致した項目だけを選ぶと、ほかの条件が消えてしまう。祭りの予祝と農業の知識を、勝ち負けの関係へ持ち込まないほうがいい。
勝った地区が優れ、負けた地区が劣るという序列にもならない。翌年も二地区が準備を分け、同じ神社へ奉仕する。競争が続く一方で、協力も毎年結び直される。
国が保存するのは、炎の瞬間だけではない
国指定文化財等データベースには、二〇〇四年二月六日の重要無形民俗文化財指定と、保護団体「鳥羽区」が記されている。保存の対象は、目を引く炎だけにはとどまらない。火の一夜へ地域が関わる仕組みも、この神事の大切な姿だ。
同データベースは、火中から神木と十二縄を取り出す競争とともに、塩垢離や材料の調達、製作へ地域を挙げて関わる特色を記していた。個人の勇気を越えた保存の対象。神男を中心とする仕事が、火へ入る人の周囲にも広がっていた。
林の管理、祭具作り、潔斎、祈祷は、次の世代へ渡す仕事になる。消防、救護、観客の誘導も、祭りを安全に終えるための現実の課題だ。火へ入る人を支える知識まで残してこそ、翌年の開催につながる。
傷を霊験の証に変えない
火へ近づく場面には、火傷、煙の吸入、転倒、竹や火の粉による負傷の危険がある。海の禊では寒さへの備えも要る。経験や信仰が深くても、身体が火と冷水の影響を免れるわけではない。
火傷を名誉や神に近づいた証だけで説明すると、事故や治療、その後の暮らしを話しにくくしてしまう。傷を負った人の生活は続く。危険を記録して備えることも、祭りを受け継ぐ仕事に入る。
見物人は指定区域を越えず、すずみへ近づかないでほしい。風が変われば煙と火の粉の向きも変わる。子どもの肩車や前列への押し合い、落ちた縄や灰へ走る行動は、周りの人も危険にさらす。
公式サイトは、駐車場に限りがあるため公共交通機関の利用を求めている。周辺道路を塞げば、救護や消防の移動も妨げかねない。写真の位置より、現地の誘導を優先したい。
「奇祭」という言葉からこぼれるもの
公式の紹介にも「天下の奇祭」という名が使われ、炎へ入る迫力を伝えていた。強い呼び名だ。そこだけに目を奪われると、潔斎と農耕の祈りが見えなくなってしまう。
ネコは地域の経験の中で受け継がれた装束であり、濡れた布を着れば誰でも火へ入れる、という説明へ置き換えると危険だ。見物の先へ踏み込まない。一般の人が真似したときの安全を保証するものとしては扱えない。
炎へ入る姿だけからは、古代の人身供犠や火刑を思い浮かべる人もいるかもしれない。けれど、神社や国の解説が伝える神事では、神木と十二縄を火から運び出し、神前へ納める。焼き尽くすことではなく、取り出して届けることに、勝負の決着がある。
すずみに組み込まれた山と暦
すずみの姿は、高さだけでは捉えきれない。神木の呼び名や長さ、竹の本数、茅の量、藤蔓、十二縄の巻数と、見どころは細部にもある。採ってきた土地や旧暦の閏年との関わりを知ると、大きな松明に山と暦が一緒に組み込まれているように見える。
植林地の木も、竹林や茅場も、祭りの一日だけで育つわけではない。材料が足りなければ、どこから補い、何を替えるかを考える必要がある。年ごとの違いには、同じ火を次へつなごうとする仕事が表れる。
神木を置き、竹を並べ、茅を詰め、藤蔓を締める順序にも技術がある。外形だけを眺めていては、火の中でどこを崩し、どう取り出すのかまで見えてこない。組み上げる手順を知ると、奉仕者が揺すって中心への道を開く場面も、前とは違って見えてくる。
神木が納まった後も祭りは続く
装束を縫う人、水を用意する人、禊の海を見守る人がいる。神社で祈る人、火を管理する人、負傷者を救護する人もいる。火へ入るネコの姿の後ろには、家族と地域の働きが重なっている。
火へ入る人を、恐れを知らない英雄としてだけ見ると、その人を案じる家族や支える側の姿が見えにくくなる。熱さや煙、火傷への不安を抱くことがあっても不思議ではない。終わった後にどんな思いが残るのかも、本人の言葉に耳を傾けたい。
見物人も、救護の場所を塞がず、役を終えた人の休息を妨げないでほしい。写真のために顔へ近づくより、神木と縄が納まるまで見届ける。勝負の後に残る作業だ。
神前の祈りを終えても、残火の消火と片付けが待っている。装束を解き、役を終えるところまでが、火祭りの一日だ。翌年も同じ場所で神事を迎えるための奉仕は、勝負の後にも続いていく。
鳥羽の火祭りで気になるのは、奉納の速さを競いながら、目標物を焼き尽くさず火中から持ち帰るところだ。山の材料を火へ変え、二地区が競い、最後は祭具を神前へ戻す。炎の強さだけを眺めていると、この帰ってくる動きが抜け落ちる。
