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数字の4は死を招く――「四/死」の同音と忌数文化

エレベーターのボタンが3から5へ飛ぶ

3の次が5だ。古いビルのエレベーターに乗ると、4のボタンだけが最初から無かったように抜けている建物がある。階数の表示も3階の次は5階になっていて、上がっても下がっても4という数字には一度も会わない。理由を書いた張り紙は、ほとんど見かけなかった。

説明は要らなかった。4は「し」と読めて、「し」は「死」と同じ音になる。それだけで、たいていの人は理由の見当がついてしまうし、わざわざ口に出して確かめる人もいない。音の連想は、それほど手早く働く。

4階が無い建物の外観。外から階を数えれば確かに4つ目の階はそこにあって、人が働き、人が暮らしていたのに、表示だけが5へ飛んでいた。階数の表示は事実の記録でなく、見る人への気づかいの形をしていた。番号の付け替え。

ここで一つ断っておく。4階を飛ばす建物ばかりが街に並んでいるわけでない。4階を普通に使うビルも同じくらいたくさんあって、避ける建物のほうが目立つから、数が多く見えるだけの話だ。

避けるか避けないかは、建物ごとの考え方に任されているし、全国で共通の掟は、どこにも無い。あるのは言葉の響きに引っかかる気持ちと、その気持ちを気づかって番号を飛ばす、持ち主や管理者の判断だ。

この記事で追いかけるのは、4という数字が危険かどうかでない。なぜ人は音の同じ言葉に引っかかり、そこから暮らしの決まりごとまで作ってしまったのか。その道筋を、身近な場面から順にたどる。

四という字には読みが二つある

数字の4には、読み方が二通りある。「し」と「よん」だ。前者は漢字の音読みで、後者は日本語本来の数え方に近い読みになる。この二つが、場面によって静かに入れ替わっている。

昔の人は、物を数えるとき「ひい、ふう、みい、よう」と声に出して数えた。この「よ」の系統が、「よつ」「よっつ」「よん」へとつながっている。「し」を口にしたくない場面では、頼りになる読みだった。

読みの切り替えは、日常の中にすっかり入りこんでいる。4時は「よじ」、4月は「しがつ」。4人は「よにん」で、4日は「よっか」と読むし、同じ4でも言葉ごとに決まった読みがあって、誰も迷わずに使い分けている。

四角は「しかく」、四季は「しき」。こうした言葉は「し」と読むのが当たり前で、不吉だと感じる人はまずいない。避けられるのは、数としての4を「し」と読ませる場面に限られる。

気にされているのは、数字そのものでない。「し」という音が、頭の中で「死」に切り替わる一瞬のほうだ。音が同じだから起きる連想にすぎず、4という数が何かを招くわけでは、もちろんない。

数え歌の調子。指を折って数える子どもの声には、「いち、に、さん、し」と「し」が自然に混ざっていて、誰も怖がらなかった。怖さは数え歌の中でなく、大人の頭の中に生まれる。同じ音、別の文脈。

音読みと訓読み。漢字が日本へ入ってきたとき、中国から来た音と日本に元からあった言葉とが、一つの字に重なって居座った。四の字が「し」と「よん」を両方持つのは、その名残だ。だから読みの選び方に、昔の人の工夫が残る。

九は苦、四十二は死に、四十九は死苦

4と並んで避けられやすい数字が、もう一つある。9だ。読みは「く」で、「苦」と同じ音になる。9時は「くじ」、9月は「くがつ」と読み、苦しみを連想させるので、病気や療養の場では特に嫌われてきた。

ここに語呂が重なる。42は「しに」と読めば「死に」になるし、49は「しく」と読めば「死苦」になる。読み替えた先が、そのまま不吉な言葉だった。二桁の数字にまで、連想の網は広がっている。

こうして縁起を気にして避ける数字を、忌数と呼ぶ。読みは「いみかず」だ。数が持つ性質で決まるのでなく、人の側の感じ方で決まる区分で、決めているのは数字でなく見る人の頭の中だった。

だから顔ぶれは、言葉によって変わる。同じ音の悪い言葉が無い数字は、避ける理由が生まれにくいからだ。4と9が目立つのは、日本語の音がたまたまそう重なったにすぎない。

死や苦に結びつく音を、わざわざ口にしたくない。その程度の感覚が、長い時間をかけて数字の扱いにまで広がった。迷信と呼ぶには、あまりに生活に近い習慣だ。

二つの仕掛け。数字を言葉に読み替える遊びは、語呂合わせとして昔から親しまれていて、日付や電話番号にもよく使われた。11月22日の「いい夫婦の日」も、その一つだ。4や9にも、同じ仕組みが働いた。

悪い語呂の側。語呂合わせは、良い言葉に読めれば縁起になり、悪い言葉に読めれば忌みになるという、どちらにも転がる仕組みでできている。4が嫌われたのは、運悪く悪いほうへ読めたからだ。数字の側の落ち度でない。

4219は「死に逝く」と読まれる

車のナンバープレートは、この感覚がよく見える場所だ。希望ナンバー制度では、好きな数字を選べるし、選ぶ人の気持ちが、そのまま数字に出る。

避けられやすい並びが、いくつか挙がっている。4219は「死に逝く」、4215は「死に行こう」と読める。9696は「苦労苦労」と読めてしまうので、これも敬遠された。

42や49も、避ける傾向が強い数字だ。販売店で希望番号を申し込むとき、相談を受けることもあるという。それでも、陸運局が4や42の使用を禁じているわけでなく、扱いは本人の好みに任されている。

禁止でなく避ける人が多いだけという線引きは、4をめぐる話の全体にそのまま当てはまる。決まりがあるように見えても、よく見れば人の気持ちが積み重なった結果だ。

良い言葉に読める並びは、むしろ人気が出たし、4141は「よいよい」、4649は「よろしく」と読める。同じ4が並んでいても、良い言葉に化けるなら、喜んで選ぶ人がいる。

選ぶ側の事情。ナンバーは、車が廃車になるまで毎日自分の目に入るし、街を走れば他人の目にも入り続けるので、気になる人は慎重に選んだ。数字を買うというより、気持ちの安心を買う感覚に近い。高い買い物だけに、念を入れたくなる。

縁起を担ぐ、手軽な形。数字の並びは自分で選べるぶん、気持ちの置き場所として使いやすく、4を外して好きな数字を入れる人も少なくなかった。外すだけで安心できるなら、それは安い工夫だ。

駐車場の4番と9番はどうするか

マンションや月極の駐車場でも、番号の問題が起きる。区画に1番から順に番号を振っていくと、4番と9番が必ず出てくるからだ。避けて通れない数字だった。

ある不動産会社は、4番と9番を避けた駐車場が全体の6割ほどという印象を語っている。統計でなく現場の肌感覚だが、迷うオーナーが多いことは、この話からよく分かる。

新しく駐車場を作る個人のオーナーから、「4番と9番をどうすべきか」という相談がよく寄せられるそうだ。飛ばせば番号と区画の数がずれてしまうし、残せば気にする人が出るかもしれない。板挟みになる。

その会社が勧める案は、番号でなく別の記号で区画を分けるやり方だった。アルファベットで振れば、飛ばした印象を与えずに済むし、費用も抑えられて、利用者の混乱も防げる。

数字を避けるか、数字そのものをやめるか。選び方は二通りあっても、どちらも「相手が気にするかもしれない」という前提から出発している。気にする人がいる。その事実だけで、番号は動く。

管理する側の悩み。区画の番号は、契約書にも看板にも載るものだから、一度決めると後から振り直すのは手間になり、最初の決め方が大事だった。手間と気持ちを天秤にかけて決める。判断は管理者の手の中にある。

4階の欠番は全国共通の決まりでない

病院やホテルで、4階や4号室を欠番にする例はある。療養中の人や泊まり客の不安を少しでも減らしたいと考えて、番号を飛ばす判断をする施設は、確かに存在する。十分にありえる話だ。

病院では、9も苦を連想させるからと避けられやすい。病室の番号は、そこで過ごす人がいちばん長く目にする数字なので、気にする人にとっては小さな問題でなかった。

マンションの販売でも、4階や404号室が売れ行きに響くと語る業者がいる。買う人の気持ちが、そのまま価格に出る場面だ。数字の響きは、軽く見られない。

一方で、4階や4号室を普通に使っている施設もたくさんあるし、欠番はあくまで建物ごとの方針だ。「病院では必ず4を使わない」「ホテルに4階はない」といった標準は、全国のどこにも無い。

欠番を見つけたら、「ここでは利用者の感じ方を優先したのかもしれない」と受け取ればいい。4号室が普通にあるなら、「管理のしやすさを優先したのかもしれない」で十分だ。どちらにも理由がある。

表示と実際の階。4階を欠番にしても、建物の高さは変わらないので、実際には4つ目の階がちゃんとあって、表示のほうだけが5階へ飛ぶ。階数の表示は、事実の記録でなく見る人への気づかいだった。欠番は、数字の上だけの工夫。

施設ごとの違い。同じ敷地の建物でも、棟ごとに方針が違っていて当たり前で、そこに統一の決まりを求めても、答えは返ってこなかった。管理者の数だけ、考え方がある。揃っていないことが、自然な姿だ。

4個、4万円、4枚のお祝い

贈り物の場面でも、4は避けられてきた。品物の個数、お金の額、商品に振られた番号。どれも、受け取る人の目に入る数字だ。贈る側は、そこに気を配る。

結婚のお祝いでは、4万円や9万円を避ける習わしがある。偶数は割り切れて別れを連想させるとして嫌う考え方もあり、4万円は二重に外されてきた。金額の選び方にも、言葉の連想が入りこんでいる。

大事なのは、贈る側が数字の力を信じているとは限らない点で、信じていなくても、受け取る人が気にするかもしれず、その可能性だけで、避ける理由は十分に足りた。

避けているのは災いでなく、相手が感じる小さな引っかかり。数字を飛ばすのは、手間のかかる気づかいの形をしている。見えないところで働く礼儀だ。

相手の年代や土地の習慣によって気にする度合いは違うので、贈る側は相手の顔を思い浮かべながら、個数や額を決めていく。数字の選び方に、人付き合いの温度が出る。

贈る側の想像力。お祝いの品を選ぶときは、受け取る人が箱を開けた瞬間にどう感じるかを思い浮かべるので、個数にまで気が回るのだった。数字を気にするのは、相手を思う気持ちの表れだ。小さな、しかし確かな礼儀。

梨は「ありの実」、するめは「あたりめ」

4を避ける感覚は、数字だけに限った話でない。同じ音から悪い意味を連想して、その言葉を避ける文化は、日本語の中にいくらでもある。こうした言葉は、忌み言葉と呼ばれている。

結婚式では「切れる」「別れる」という言葉を使わず、葬儀の場では、「重ね重ね」「たびたび」のように同じ言葉を重ねる言い回しを避ける。不幸が繰り返されるのを嫌う気持ちが、そこにある。

病院へのお見舞いに、鉢植えを持っていかない習わしもあるし、根が付くのは「寝付く」に通じるからだ。病気が長引くという連想を、贈る前に先回りして消した。

食べ物にも例がある。梨は「無し」に通じるので「ありの実」と呼ぶようになり、するめは「する」を嫌って「あたりめ」に、すり鉢は「あたり鉢」になった。どれも言い換えで、音のほうを逃がしている。

夜に爪を切るなという戒めも、昔からある。夜は「世を詰める」に聞こえるというのだ。これも、音が先にあって、意味があとから付いた例。

受験の場でも、「滑る」「落ちる」を口にしない人がいるし、合格を願う気持ちが、言葉の選び方を変えてしまう。理屈で割り切れなくても、願かけとしては筋が通っていた。

言い換えの知恵。言い換えは、悪い音を消すだけでなく、縁起の良い響きを足す工夫でもあって、「あたり」には当たりくじの明るい響きがあった。マイナスをプラスへ変える言葉遊びだ。庶民の知恵の結晶。

言葉に霊力を見た国

音を恐れる感覚の根は、かなり深いところにある。昔の日本人は、言葉に霊力が宿ると考えた。口に出した言葉が現実を動かす力を持つ、という見方で、これを言霊と呼ぶ。

万葉集には、日本を「言霊の幸はふ国」「言霊の助くる国」と詠んだ歌がある。言葉の力が国の幸いを支える、という誇りがこめられていたし、良い言葉を口にすれば、良いことが起こると信じたのだ。

裏を返せば、悪い言葉は災いを呼ぶ。だから、不吉な音は口にしないに限る。この考え方が、結婚式の忌み言葉にも、4を避ける習慣にも、薄く流れ込んでいる。

とはいえ、今の人が言霊を本気で信じて4を避けているとは限らない。信じる信じないより先に、「縁起を担ぐ」という習慣のほうが、体に染みついている。

縁起担ぎは、気休めに近いが、気休めの積み重なりが人の気持ちを支えるなら、まるごと笑い飛ばす必要もない。数字を避けること自体は、害のない遠慮だ。

声に出す怖さ。声に出した言葉は取り消せないと考えれば、人は不吉な言葉を避けるし、避けることで安心して日々を過ごせたのだった。口の中に留めておくだけで、心は軽くなる。それが昔の人の処世術だ。

45円のお賽銭と末広がりの八

数字は、良い方向にも読まれてきた。5は「ご縁」に通じるので、お賽銭に5円玉を選ぶ人は多い。25円なら「二重にご縁」、45円なら「始終ご縁」になると受け取る人もいる。

ここでは、4が味方になっている。「しじゅう」には「いつもずっと」という意味もあるからだ。同じ「し」の音が、場面によって死にも縁にもなる。この振れ幅が面白い。

語呂合わせの国。日本語は同じ音の言葉がとても多いので、数字や文字を別の言葉に読み替える遊びが昔から盛んで、縁起担ぎとも相性が良かった。同音語の多さが、4の不運を生んだ。音の豊かさの裏返し。

8は「末広がり」と呼ばれ、縁起が良い数字とされてきたし、漢字の八が、下に向かって広がる形をしているからだ。字の形から良い意味を見つけた例で、音でなく見た目が理由になっている。

4は音で嫌われ、8は形で好かれたが、どちらも数字の中身とは関係がない。人がどう見るかで、数字の評判は決まってしまった。

そう考えると、4だけが悪者にされる理由は、数字の側には何も見つからない。たまたま「し」と読める。それだけで、長い間損をしてきた数字とも言える。

お賽銭の額に、願い事を重ねる人は昔から多く、金額を選ぶ手間さえも、祈りの一部になっていた。財布の小銭を探す、ささやかな儀式。そこに気持ちがこもる。

四十九日は49日目の区切り

49という数字には、もう一つ重い響きがあって、それが四十九日だ。人が亡くなってから49日目に営む法要で、忌明けの区切りになる。

仏教では、亡くなった人が次の行き先へ向かうまでの間を、七日ごとに区切って見守る。その節目が7回続き、最後の節目が49日目に当たる。

だから49には、「死苦」の語呂に加えて、葬送の記憶が重なるし、数字を見て、死にまつわる儀式を思い出す人もいる。

ただ、四十九日の法要は、遺された人が故人を見送るための大切な行事だ。49が不吉だから生まれたものでない。語呂の話と法要の話は、別の筋として並んでいる。

混ざって見えるのは、同じ数字が違う場面で顔を出すからだ。数字は一つなのに、受け取る意味は何通りにも増える。その増え方が、忌数という感覚を厚くしてきた。

7日ごとの節目。初七日から数えて七日ごとに法要を重ねる考え方があって、7回目の節目が四十九日に当たり、忌明けを迎えるのだった。49は、死の記憶と区切りの安堵が同居する数だ。重さの正体はそこにある。

四つ葉のクローバーは幸運の印

4には、良い顔もある。四つ葉のクローバーは、見つけると幸運が訪れると言われる。珍しい形だから、探して見つけた喜びが縁起につながった。

四季は、春夏秋冬の巡りを表す言葉。四方といえば、あらゆる方角を指す。4には「全体」「ひとめぐり」という広がりを表す使い方がある。

数字の読み替えも、前向きな方向に働く。4649はよろしく、4141はよいよい。語呂は悪いほうにも良いほうにも転ぶ。どう読むかを選ぶのは、人の気分しだいだ。

もし4が本当に災いを呼ぶ数字なら、四つ葉のクローバーを喜ぶ文化と両立しない。同じ数字が、場面しだいで幸運にも不吉にも読まれている。数字でなく言葉の側に、理由がある証拠だ。

4そのものに、良し悪しが付いているわけでなく、読み方と使われ方が、良し悪しを決める。数字は静かなまま、人の連想だけが動いている。

葉の枚数が決める運。普通は3枚の葉が付くクローバーの中に、まれに4枚の葉を持つものが混じっていて、見つけた人は幸運だと感じてきた。珍しさが縁起を呼ぶ。4の評判は、場所しだいで逆さまになる。

避けてもいいし、使ってもいい

実際の場面では、選び方がいくつか並ぶ。縁起が気になる人への配慮として、番号を避ける道があるし、管理の分かりやすさを優先して、連番のまま使う道もある。

贈り物なら、相手の文化や気持ちを考えるのが基本だ。数字だけを理由にして、現実の危険を判断するのは筋が違うし、階数や部屋番号は、安全の目印でない。

どちらの選択にも、それぞれ理由があるし、4を気にする人へ無理に押しつける必要はない。4番を選んだ人に災いが起きると怖がらせる必要も、同じようにない。

番号と死亡率を結びつける因果は、別の問題だ。4階の病室で人が亡くなったとしても、病室が4階だったからでない。病状と治療の結果であって、数字は関係しない。

欠番にも連番にも、それぞれの事情があって、どちらを見ても、「正しい」「間違い」と決めつける必要はない。場面ごとの気づかいとして、静かに受け止めておけばいい。

決め方の目安。迷ったときは、使う人が不安になりそうかどうかを基準にして、避けるか使うかを決めればよかった。どちらを選んでも、間違いでなかった。

迷信というより、言葉と感情の文化

4を避ける習慣は、同音から生まれた不吉な連想が、人間関係の配慮や施設の運用にまで広がった例だ。数字の呪いでなく、言葉と感情の習慣と考えたほうが実態に近い。

だから欠番を見つけても、「やっぱり4は危険だ」と考える必要はない。「ここでは利用者の感じ方を優先したのかもしれない」と見るのが自然だ。4は文化的に避けられることがある数字で、物理的な危険因子でない。

記憶の癖。人は、印象に残った出来事だけを拾い集めて、あとから筋の通った物語に仕立てるので、偶然の重なりが法則のように見えてくる。4の日の悪い出来事だけが、記憶に残る。いつの間にか、数字のせいになっている。

4番の部屋で不安になった。4を見た日に悪い出来事があった。そうした経験があっても、それだけで数字が原因とは判断できない。

不吉だと意識している数字ほど、目に留まりやすい。何でもない日に4を見ても忘れるのに、悪い出来事のあとでは「あの日も4を見た」と思い出す。心理学で確証バイアスと呼ばれる働きだ。

あとから出来事と結びつけて覚えやすい、という人間の記憶の癖が、数字の不吉さを育ててきた。気持ちへの配慮と、現実の因果関係は、分けて考えたほうがいい。怖がりすぎず、場面に合わせて付き合えば十分だ。

沈黙する数字。4階の病室も4号室の客室も、そこにある数字は番号札でしかなく、中で起きる出来事を決める力など最初から持っていなかった。怖いのは数字でなく、数字を見て膨らむ想像のほうだ。それだけは、はっきり言える。

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