怖いしきたり92–103|産育・身体・子ども

子どもが「この世の人」になるまで

現在、出産は病院や助産院で行われ、出生届を出せば子どもの名と身分が公的に記録される。

しかし、医療と行政の仕組みが整う以前、誕生はもっと不安定な出来事だった。

母親は出血や感染で命を落とすことがあり、生まれた子も無事に育つとは限らない。家族は喜びながらも、産婦と赤子を災いから守り、少しずつ共同体へ迎え入れなければならなかった。

そのため、出産の場所を分ける、胎盤を特別な場所へ納める、七日目に名を披露する、歯が抜けたら決まった方角へ投げる、といった習わしが各地に生まれた。

現代から見ると、身体を穢れとみなす差別、根拠のない迷信、子どもを人間扱いしない残酷な制度に映るものもある。

実際に、女性を強制的に隔離し、教育や生活の機会を奪った例は軽く扱えない。一方、別室で産婦を家事から離し、女性同士が世話をする空間になった例もある。

同じ名の習俗でも、場所と時代、本人の選択、家の力関係によって意味が変わる。

胞衣納めから抜け歯投げまで十二の産育習俗を、怖い話へ一括りにせず見ていく。

胞衣納め――胎盤と臍帯をどこへ置くか

出産後に排出される胎盤や臍帯は、「胞衣」と書いて「えな」と呼ばれた。

現代の医療機関では感染性廃棄物として適切に処理されるが、かつては子どもとつながっていた特別なものとして、家族や専門の業者が納める地域があった。

床下、入口、便所の近く、山野、辻など、場所は一様ではない。容器へ入れて埋める場合もあれば、特定の人に処理を任せる場合もあった。

さらに、「大勢に踏ませれば子が丈夫になる」とする所と、「人に踏ませると子の運が悪くなる」とする所がある。入口の下へ納める行為一つをとっても、踏まれる力で鍛えるのか、家の内側で守るのか、説明が逆転する。

この違いを無理に一つへまとめる必要はない。

胞衣は、身体から離れた後も子どもの一部と考えられた。粗末に扱えば本人に災いが及び、正しく納めれば成長を守る。そうした感覚が、地域ごとに異なる規則を生んだ。

床下の胞衣から座敷童子が生まれる、家を建てる時に子どもを殺して埋めた名残だ、といった怪談もある。しかし、胞衣の埋納と人身供犠は別の問題であり、同じ地下にあるというだけで結びつけることはできない。

民俗研究では『日本産育習俗資料集成』などに各地の例が集められ、近代以降の胞衣処理業者の研究もある。怖い由来を決めるより、誰が、何に入れ、どこへ置いたかを地域別に確かめる方が実態へ近づける。

産屋――保護の部屋か、穢れの隔離か

産屋は、出産のために母屋とは別に設けられた小屋や部屋である。

出産に伴う血を忌み、神棚や竈、家族の生活空間から産婦を離す目的があったと説明される。地域によっては、出産後も一定期間そこで過ごし、決められた清めを終えてから母屋へ戻った。

この習俗を「母親と赤子を不浄として追い出した」とだけ書けば、穢れ観が持った圧力は見える。しかし、出産期の女性が普段の炊事や農作業から離れ、経験のある女性に支えられる場所になった例は見えなくなる。

反対に、「昔の産屋は女性だけで休める理想的な空間だった」と美化すれば、本人の意思に反する隔離、劣悪な衛生、寒さ、家族と離される苦痛を消してしまう。

産屋の評価は、建物の存在だけでは決まらない。

誰が入ることを決めたのか。食事や火、水は十分だったか。助産に誰が関わったか。退出まで何日かかり、本人はどう語ったか。そこまで見なければならない。

産屋習俗を扱う歴史民俗学の研究では、産の忌みだけでなく、籠もりの空間、月経小屋との関係、女性同士の支援が検討されている。

一つの施設に、保護と隔離、休息と差別が同居することがある。その矛盾を消さないことが大切だ。

月経小屋・他屋――休息という説明だけでは足りない

月経中の女性が母屋を離れ、別棟で過ごす習俗は、月経小屋、他屋などと呼ばれた。

血を神事や火、水から遠ざける穢れ観が背景にあり、食器や食事、家族との接触まで分けた地域もある。

後世には、「女性が家事を休める場所だった」という再評価も語られる。確かに、重い労働から一時的に離れ、女性同士で過ごせた場合はあっただろう。

だが、休息という一語で正当化はできない。

本人が選べず、寒い小屋へ入れられ、学校や仕事を休まされ、共同体の重要な場から排除されたなら、それは強制隔離である。使っていた女性の証言と、外から見た機能は一致しないことがある。

また、月経小屋が「昔の日本女性すべてに共通する制度」だったわけではない。実在した地域、利用時期、廃絶の過程を特定せず、全国へ広げるのは誤りだ。

「小屋を出た女性は祟られた」「禁を破れば村が滅ぶ」といった話も、具体的な出典を確認する必要がある。禁制を守らせるための語りと、実際に起きた出来事は分けなければならない。

月経をめぐる信仰と社会制度を記録しつつ、当事者が受けた負担を薄めない。それが、この習俗を扱う最低限の姿勢である。

産後の忌み――日数が違う理由

出産後の女性は、一定期間、竈、井戸、神棚、田畑、寺社参詣などを避けるとされた。

七日、三十日、三十三日、五十日など、日数は地域と対象によって異なる。炊事へ戻れる日と神社へ行ける日が同じとは限らない。

これをすべて「産婦の休養のため」と説明すると、血を穢れとした信仰上の理由が消える。逆に、すべてを差別とだけ見れば、産後の身体を休ませる現実的な効果が見えない。

出産直後の体には回復が必要で、感染や出血の危険もある。水仕事や長時間労働を避けることは、結果として産婦を守る場合があった。

ただし、民俗上の日数が医学的な安全基準として設計されたわけではない。伝統の期間を守れば合併症が治る、短ければ危険、という単純な話ではない。

現代では産後の体調について医療者の指示を優先し、発熱、強い痛み、大量出血などがあれば受診する必要がある。

昔の忌みは、信仰、生活の役割分担、身体の回復が重なったものだ。そのどれか一つだけを「本当の理由」と決めない方がよい。

お七夜と命名――七日目に家族の名を得る

お七夜は、出生から七日目に子どもの名を披露し、家族や産神へ誕生を報告する祝いである。

命名書を掲げ、祝い膳を囲み、臍の緒を保管する。現在も形を変えて続く家庭がある。

なぜ、生まれた日にすぐ大きく祝わず、七日を待つのか。

乳児死亡率が高かった時代、誕生直後は母子ともに不安定だった。七日間を越えたこと自体が、小さな節目になった。名を公にすることは、子どもを家と地域の一員として迎える行為でもある。

「七日までは人間ではないから名をつけなかった」という説明は極端である。出生直後から愛情を向けた家族と、社会的な儀礼の時期は別に考える必要がある。

また、「本名を早く呼ぶと鬼にさらわれるので幼名で隠した」という説話も各地にあるが、お七夜のすべてを魔除けだけで説明できない。

命名、初宮参り、食い初め、初誕生、七五三は、子どもを一度で完成した成員とするのではなく、成長の段階ごとに迎える儀礼として連なっている。

一つ節目を越えるたび、家族は無事を祝い、次まで生きることを願った。

三つ目のぼた餅――三日目に米を配る

出産後三日目などに、ぼた餅や餅を作って親族や近所へ配る習俗がある。「三つ目のぼた餅」などと呼ばれる。

日数、食べ物、配る相手、名称には地域差がある。

小豆の赤色を魔除けとし、母乳がよく出るよう願う説明、母子の無事を近隣へ知らせる祝いとする説明がある。米と小豆は日常食より手間のかかる晴れの食で、誕生の喜びを共同体へ分ける働きを持つ。

母親へ大量の餅を食べさせれば母乳が増えるという言い伝えもあるが、現代の栄養・授乳支援では、特定の食品だけで母乳量が必ず増えるとは言えない。

食べ物の習俗と医学的効果を混同しないことが必要だ。

三日目という早い時期に食を配るのは、祝いであると同時に、出産があったことを地域へ知らせ、助けを得る合図にもなっただろう。

現在、ぼた餅を作らなくても、出産報告や内祝いが同じように社会的なつながりを作っている。

産飯――生まれた子のために炊く飯

産飯は、出産時または出生直後に飯を炊き、産神、子ども、家族へ供える習俗である。

膳の数、箸の置き方、誰が食べるか、いつ下げるかは地域によって異なる。

生まれたばかりの子は固い飯を食べられない。それでも子の分を用意するのは、食事を分け合う共同体へ迎えたことを示す。

神へ供えた飯は、無事な出産への感謝と、これからの成長を願うものになる。

産飯を「赤子の魂を米に封じる呪術」とだけ説明するのは刺激的だが、食の共有という現実的な意味を見落とす。

米は、家の労働と一年の収穫を凝縮した食べ物だった。その飯を新しい子のために炊くことは、家の資源と関係を分け与える宣言でもある。

三つ目のぼた餅と産飯は、どちらも米を使うが同じ行事ではない。時期、供える相手、配る範囲を区別して記録する必要がある。

「七つ前は神のうち」の本当の怖さ

「七つ前は神のうち」、または「七つまでは神のうち」という言葉がある。

明治神宮の解説では、七歳までの子どもは、まだこの世に命が定着しておらず、神に近い存在と考えられたとされる。七五三の成長祝いとも結びつく。

この言葉から、「七歳までは殺しても罪にならなかった」というネット上の説明が作られることがある。

しかし、ことわざだけで法制度や社会全体の容認を証明することはできない。子殺しや間引きが実際に存在した歴史と、すべての幼児を人間と認めなかったという断定は別である。

神に近いという表現には、幼児の無垢さをたたえる面と、いつ死者の側へ戻るか分からない不安定さを表す面がある。

子どもの死が多かった時代、家族は悲しまなかったのではない。深く愛しても失う可能性が高いから、成長の節目を何度も祝った。

この言葉の本当の怖さは、子どもを殺してよいという秘密の規則ではなく、七歳まで生きることが当然ではなかった現実にある。

魔除けの幼名――悪い名で災いを欺く

子どもを鬼や邪霊から隠すため、あえて醜い、卑しい、ありふれた名をつけるという習俗は、世界各地に見られる。

高貴で愛らしい名を呼べば、悪いものに目をつけられる。価値のない子に見せれば、連れ去られない。そうした逆転の発想である。

日本の幼名や「捨」「拾」などを含む名も、この文脈で説明されることがある。

ただし、歴史上の幼名すべてが魔除けだったわけではない。家の慣例、出生順、成人後の改名制度など別の理由もある。

特定の人物の幼名を見て、「親に嫌われていた」「病弱だった」と断定することもできない。

幼名の研究では、誰が、いつ、どの場で呼んだかを確認する必要がある。後世の本名と、幼少期の家族内の名、通称が複数存在する社会では、名が一人に一つとは限らない。

悪い名は虐待の証拠ではなく、守るための名である場合があった。その逆説に、子を失うことへの恐れが表れている。

捨て子の拾い直し――運命を一度捨てる

病弱な子を道端、辻、橋、寺などへ一度捨てる形を取り、別の人に拾わせて育て直す儀礼があったとされる。

実際に養育を放棄する遺棄とは違い、拾う人をあらかじめ決め、儀礼として行う例である。

一度「この家の子」としての悪い運命を切り、拾い親との新しい縁で生まれ直す。名に「捨」「拾」を用いることも、この考えと結びつけられる。

しかし、儀礼的な拾い直しを語ることで、歴史上の本当の捨て子を美化してはいけない。

貧困、病気、婚外出生、家の事情で実際に捨てられ、命を失った子もいた。寺社や地域が保護した例もあれば、人身売買や労働搾取へつながった例もある。

同じ「捨て子」という言葉でも、予定された運命転換の儀礼と、生存を脅かす遺棄は分ける必要がある。

拾い直しは、医学的治療が乏しい中で、何とか子の運を変えたいという家族の行動だった。効能が科学的に証明されたわけではないが、親が子を見放した儀礼とは限らない。

虫封じと疳の虫――子どもの苦しみを「虫」と呼ぶ

乳幼児の夜泣き、癇癪、ひきつけなどを「疳の虫」が起こすと考え、寺社、行者、家庭で祈祷やまじないが行われた。

護符を受ける、手に文字を書く、加持を受ける、特定の唱え言葉を使うなど、方法はさまざまである。

「虫」は、実際の昆虫が体内にいるという解剖学上の説明ではない。原因の分からない子どもの不調へ、名前と姿を与える民俗的な理解である。

虫封じの実演後、手のひらから白い糸のようなものが出るという話がある。写真や動画では、これが疳の虫の実体と紹介される。

しかし、繊維、皮脂、汗、塩分、塗布した物質などで糸状のものが生じる可能性があり、医学的に体内の虫が出た証拠とはされていない。

祈祷で親子が安心し、周囲の支援を得ることはありうる。それと、病気の診断や治療は別だ。けいれん、発熱、呼吸困難、意識の異常などがあれば、虫封じだけに頼らず医療機関へつなぐ必要がある。

昔の信仰を笑うのではなく、現代の安全を優先する。それが両立する読み方である。

抜け歯投げ――新しい歯を正しい方向へ呼ぶ

乳歯が抜けると、上の歯は床下へ、下の歯は屋根へ投げる。

新しい歯が、投げた方向へまっすぐ伸びるよう願う習俗である。地域によっては、上歯を雨だれの落ちる所へ埋め、下歯を便所や屋根の上へ投げるなど違いがある。

鼠、鬼、雀などに「丈夫な歯と取り替えてくれ」と頼む唱え言葉も伝わる。

国立国会図書館のレファレンス協同データベースには、上歯を縁の下、下歯を屋根へ投げる例だけでなく、別の場所へ納める地域差が紹介されている。国際的な研究でも、抜けた乳歯を投げる、隠す、埋める、動物へ渡すなど、多様な習俗が世界にある。

歯の生え替わりは、子どもの成長が目に見える節目である。小さな体の一部が抜け落ちるため、適当に捨てず、次の歯への願いを込めた。

現代の集合住宅では屋根や床下へ投げられず、箱に保管する家庭も多い。場所が変わっても、抜けた歯を成長の記念として扱う気持ちは続いている。

屋根へ投げれば歯並びがよくなるという医学的根拠はない。永久歯の状態は、遺伝、顎の発達、口腔習慣、むし歯など多くの要因に左右される。心配があれば歯科医へ相談したい。

残酷さだけでは読めない産育習俗

胞衣を埋め、女性を別の小屋へ入れ、子どもへ悪い名をつけ、一度捨てる。

言葉だけ並べれば、昔の産育習俗は残酷な迷信に見える。

実際に、穢れ観による差別や強制隔離はあった。病気を祈祷だけで済ませ、救えなかった命もあっただろう。伝統という理由で被害を隠してはいけない。

一方、これらの行為の多くは、母子を災いから守り、出生を地域へ知らせ、成長の節目を祝うためにも行われた。

医学も福祉も乏しい状況で、人々は食、名、場所、神、共同体の縁を使って不安へ向き合った。

一つの習俗が、ある人には休息を与え、別の人には隔離の苦痛を与えることもある。地域差を消し、「昔の日本では全員こうだった」と書けば、その複雑さは失われる。

怖さを感じたら、誰がその規則を決め、誰が利益を得て、誰が負担したかを確かめたい。そして、何を恐れたために、その習わしが必要になったかを見る。

産育習俗の奥にある最大の恐れは、鬼や祟りだけではない。

母と子が無事に朝を迎えられないかもしれない、という現実である。

主な確認資料

奇怪千万からのお願い

この記事が少しでも面白かった、役に立ったと思ってもらえたなら、ひとつお願いがあります。Amazonで何か買う予定があるとき、その前に下のボタンから入ってもらえると、私の調査の足しになります。

ここから入って買い物をすると、金額の数%が紹介料として私に入ります。あなたの支払いが増えることは一切ありません。買う物も何でも構いません。

(*´σー`) いただいた紹介料は、現地調査のガソリン代や撮影機材、古い郷土史料の購入に使います。夜のスーパーカブを走らせ続ける燃料だと思って、協力してもらえたら嬉しいです。

※当サイトはAmazonアソシエイト・プログラムの参加者です。適格販売により収入を得る場合があります。

タイトルとURLをコピーしました