- 座敷と廊下のあいだに、細い木が1本通っている
- 「そこはお父さんの頭と同じだ」と叱られる
- うっかり踏んだ一歩が、不幸の入口になる
- 児童書7冊が並べた4つの理由
- 溝を彫った薄い木が、体重を受けつづける
- 畳の縁より先に守るのは敷居だと、宗家は言った
- 閾と書いて、しきみと読んだ頃
- 敷居を枕にすると、幽霊に踏まれる
- 敷居ごしに物を渡すのは、葬式の作法だった
- 畳の縁は、別の事情を抱えていた
- 茶室で、縁は亭主と客の境になる
- 和文化研究家が並べた4つの説
- 縁の戒めに添えられた忍びの刃
- 「敷居が高い」は、不義理の話だった
- 数ミリの高低差が、内と外を分ける
- 履物を脱いで、板の間から畳へ
- どちらが先かは、決め手がない
- 古典の名前は、ずらりと並んでいた
- 確かめられなかった話は、確かめられないまま置く
- 古い家の敷居に、いまも触れる
座敷と廊下のあいだに、細い木が1本通っている
古い家の座敷に立つと、廊下との境に細い木が1本通っている。表面には浅い溝が彫られ、襖や障子はその上を滑るように動く。名前は敷居という。ふだんは誰も気に留めない部材だ。
ところがこの木には、昔から妙な決まりごとがついて回った。踏むな。またげ。腰かけるな。理由を尋ねると、大人はたいてい少し声を落として、言葉を濁したものだった。
「そこはお父さんの頭と同じだ」と叱られる
舞台はたいてい祖父母の家か、古い親戚の家だ。遊びに来た子どもが、座敷を出入りするついでに、敷居の上をぺたぺた踏んで歩く。それを見た大人の顔つきが、その瞬間にがらりと変わる。
「敷居を踏むな、罰が当たるぞ」。語られる型では、ここで強い声が飛ぶ。「そこはお父さんの頭と同じなんだから、踏んじゃいけない」と諭す型もあって、これも導入の定番なんだよな。子どもの側には、叱られる理由がまるで見当もつかない。
説明が足されることもある。敷居を踏むと家の神様が怒る、先祖の霊が宿る場所だから踏んではいけない、と大人は言い添える。そう言い聞かされた子どもは、以来その家へ行くたびに、敷居をまたぐ足元を意識するようになる。
うっかり踏んだ一歩が、不幸の入口になる
話はそこで終わらない。踏み込んだ型では、敷居を踏んだ本人や、その家族に不幸が続く。原因の分からない体調不良が出て、家のなかが不和になり、商売や事業まで傾いていく。
最後に、誰かが口にする。あの時、敷居を踏んだせいだ。結末はたいていこの形に落ち着く。話の芯はそこにある。
仕掛けは単純だ。踏んだ。悪いことが続いた。だから敷居のせいだ。この3つを順に並べるだけで、行儀の注意が祟りの怪談に化ける。
児童書7冊が並べた4つの理由
手がかりは、図書館の記録にあった。国立国会図書館が運営するレファレンス協同データベースに、「なぜ敷居を踏んではいけないのかが書いてある児童書が読みたい」という質問と、その回答が載っている。答えた図書館は、7冊の本を挙げていた。
挙がった書名の一部を書く。『「日本人」を知る本5』は岩崎書店から2004年に、『礼儀と作法』は集英社から2009年に出た。『みんなのマナーとルール5』は学研の2008年版で、『行儀作法の教科書』は岩波書店の2010年版にあたる。
残りの3冊は、梓書院の『寺子屋』(2019年)と、小学館の『楽しく遊ぶ学ぶにっぽんの図鑑』(2015年)。あすなろ書房の『着物のえほん』(2009年)も入っていて、着物の絵本にまで敷居の話が載っているのは、ちょっと意外だった。回答には該当ページも添えてあり、いちばん手前が『着物のえほん』の12ページ、いちばん奥が『寺子屋』の130ページだ。
回答に出てくる理由は4つある。踏めば重みで下がって、建てつけが悪くなる。家の主人の頭を踏みつけるのと同じ。畳のへりや敷居は、神さまがやどる神聖な場所。歩くときは、できるだけ音を立てない。
4つを並べ替えると、層が見えてくる。重みで下がるのは、物理の話。家の主人の頭は、たとえ話。神さまがやどるのは信仰の領分で、音を立てないのは礼儀の領分に入る。ひとつの決まりごとに、性質の違う理由が同じ列で並んでいるわけだ。
意外な点が、ひとつある。この4つのなかに、祟りの話は入っていない。病気も貧乏も出てこず、出てくるのは、建物の傷みと、人への敬意と、静かに歩く作法だけだ。
溝を彫った薄い木が、体重を受けつづける
敷居の仕事は、建具の通り道になることだ。上の鴨居と対になり、襖や障子を左右に滑らせる溝が、その案内役を務める。溝を持たない無目敷居もあるが、引き戸のための敷居は、溝つきが一般的だという。
材には松が一般的で、栂や桜、檜も使われるという。『日本大百科全書』は、檜や杉を用い、厚さは4センチから5センチほど、幅は柱に合わせると書く。江戸時代の『匠明』という書物には、厚さを柱面の10分の3とする決まりがある、と同じ辞典は紹介している。
すり減る場所には、手当てがある。『改訂新版世界大百科事典』によれば、摩耗を防ぐために、樫や桜のような堅い木が使われる。それだけ、敷居は削れやすい部材なのだ。
体重をかけつづけると、何が起きるか。数十キロの体重が一点にかかるので、木の繊維が傷み、溝の底や角が削れていく。溝が浅くなれば、戸は外れやすくなる。敷居が沈めば、きれいな長方形だった枠がゆがんで、平行四辺形に近づく。土地家屋調査士の解説は、建てつけが悪くなる仕組みをそう説明している。
畳の縁より先に守るのは敷居だと、宗家は言った
礼法の流派に、小笠原流がある。その31世宗家が、2016年にプレジデントオンラインの記事で語っていた。畳の縁を踏まずに和室のなかを移動すること自体に、無理があるという。
宗家が挙げた理由は具体的だった。畳の幅は90センチと決まっているのに、人は体格に合わせた歩幅で歩く。膝をついて進む膝行や膝退の最中に、縁をよけるのはまず不可能だ。
宗家が守るべきとしたのは、別のほうだった。敷居や閾を踏まないことで、敷居は家を支える部分だから、踏めば変形し、引き戸が動かなくなり、ゆくゆくは建物全体に響く。縁は張り替えが利くが、敷居の傷みは直しにくい。
閾と書いて、しきみと読んだ頃
敷居の名前をさかのぼってみる。辞書によれば、もとは門の内と外を区切るもので、「閾」や「敷見」と書いて、しきみと呼んだ。部屋の境に敷く、建具の溝つきの横木も、やがて同じ名で呼ばれるようになった。
『日本国語大辞典』の語源欄は、少し違う。「敷き藺」の意とも、「敷き居る」の意からとも書く。この辞典の語義には、床に敷いて座るござやむしろの類、という項もあって、座る場所そのものを敷居と呼んだ時代があったことになる。
心理学の「識閾」にも、同じ「閾」の字が使われている。境目をまたぐか、またがないか。言葉の根っこには、はじめから境の感覚がある。
敷居を枕にすると、幽霊に踏まれる
民俗の側から見ると、敷居の話は一気に濃くなる。『改訂新版世界大百科事典』の敷居の項には、種々の俗信や儀礼が伴うと書かれている。一般に、踏んだり枕にしたりすることは嫌われた。
地方によっては、敷居を枕にすると幽霊に踏まれ、早死にするとまで言った。ここに座る者は雷に打たれる、という地方さえある。祟りに近い言い伝えは、この項に出てくる。
かつては、敷居の下に胞衣や、間引いた子を埋める風習もあったと、同じ項は記す。胞衣とは、出産のときに出る後産のことだ。花嫁が聟の家に入るときには、敷居のところで、死と再生を象徴する儀礼がよく行われた。
どれも、民俗の記録に残る言い伝え。地方によって、言い回しはだいぶ違うらしい。踏んだ人に実際に幽霊が出た、早死にした、と確かめられた話じゃない。
敷居ごしに物を渡すのは、葬式の作法だった
同じ項には、もうひとつ記述がある。敷居ごしに物をやりとりするのは葬式の作法にあたるので、ふだんは忌まれた、という。日常では避けることを、弔いの場ではわざと行う。敷居をはさんだ受け渡しは、ふつうの暮らしと弔いの場とを分ける動作だったのかもしれない。
畳の縁は、別の事情を抱えていた
敷居と並んで、畳の縁にも同じ種類の戒めがつく。縁の役目は、畳と畳を網目のようにつなぎ、隣り合うい草がこすれて傷むのを防ぐことだ。草木で染めた縁は、踏むとすぐ色が薄くなったという。縁は畳の表面より少し分厚く、豪華な糸で織った縁ほど段差が大きい。つまずきやすいので、子どもが転ばないためのしつけでもあった、という解説がある。
昔の縁は、身分を映した。辞書の説明では、高麗縁は白地の綾に黒く紋を織り出した縁だ。紋の大きなものを大紋、小さなものを小紋と呼び、大紋は親王や大臣が、小紋は公卿が使った。
いちばん上の格は、繧繝縁。天皇や上皇が使い、神仏の像にも用いられた。位が下がると紫や黄の縁に変わり、無位の者の畳には縁がなかった。1420年の『海人藻芥』に、畳の使い分けを述べた古い規定がある、と有職故実の解説は引いている。
いまも、縁の格の違いを見られる場所はある。大紋高麗縁は神社や寺で目にでき、小紋高麗縁は京都御所などに残る。どちらも、ふだんの暮らしではまず見かけない縁だ。
江戸時代の武家に加わったのは、家紋を織り込んだ縁だ。茶の湯の解説には、家紋の入った縁を踏むのは、ご先祖や親の顔を踏むのと同じだと説かれてきた、とある。「家の主人の頭」と、言い回しがよく似ているんだよな。
茶室で、縁は亭主と客の境になる
茶の湯の世界では、縁をもう少し別の目で見る。聖と俗を隔てる結界であり、亭主と客を分ける境界線でもある、と茶道の解説は説く。踏まないという所作は、その区切りへの敬意を表す。縁には動植物の柄も多かった。それを踏まずに歩くのが、心優しく静かに歩くしつけにもなった、と同じ解説は説く。
縁には、意外な使い道もあった。茶席で懐紙がないとき、菓子を縁に置いたという記述が、礼法の解説にある。踏む場所ではなく、物を預ける線として使ったことになる。ちなみに、小笠原流では膝行で進むとき、縁を踏んでもかまわないという。宗家の言葉と、きれいに重なる話だ。
和文化研究家が並べた4つの説
和文化研究家の解説は、敷居を踏まない理由を4つに分けている。1つ目は、身を守る戒め。忍びが敷居や畳縁のすきまから漏れる光で位置を確かめ、刃を刺した。その死を避ける教えが、和室の作法になったという。
2つ目は、家や家人の象徴を尊ぶ説だ。「敷居をまたぐ」と言うとおり、敷居は家そのものを代表する。踏むのは家人を踏みつけるのと同じで、畳縁に家紋が入るなら、ご先祖の顔を踏むことにもなる。
3つ目は、空間の秩序。敷居は世間と家、部屋と廊下を隔てる結界の役を担う。踏めば区切りが崩れる、という考え方だ。4つ目は家への配慮で、敷居がすり減ったり、建てつけが歪んだりするのを防ぐ。
同じ解説は、座布団にも触れている。かつて座布団を使えたのは高貴な人だけで、客をもてなす象徴でもあった。だから踏めば、もてなしの心を踏みにじることになる。にじって座る、挨拶のときは座布団から降りる、勝手に位置や向きを変えない。そうした作法も、解説には並んでいた。
縁の戒めに添えられた忍びの刃
1つ目の説は、よく聞く話だ。畳のすきまから漏れる光で、床の上の人の居場所が分かる。そこへ刃を突き立てられるから、武士は縁を避けた、という筋になる。
おもしろい話ではある。ただ、裏づける史料は、調べた範囲では見つからなかった。いくつもの解説が同じ筋を書くのに、出どころを示したものはなかった。
武士の座る場所が、家格によって縁を境に決まっていた、という解説もある。縁が席次の線になっていたなら、踏むなという戒めとは相性がいい。こちらも、出典は示されていなかった。
「敷居が高い」は、不義理の話だった
敷居は、言葉のなかにも住みついている。「敷居をまたぐ」は、家に入ること。「敷居が高い」は、入りにくいこと。
本来の意味は、相手に不義理をして、行きにくくなる、というものだ。借りを返していない相手や、顔向けできないことをした相手の家には、敷居をまたぐ足も重くなる。高級すぎて入れない、は新しい使い方にあたる。段差としての敷居が薄れても、気持ちの上の境として、敷居という言葉は使われつづけている。
文化庁の国語に関する世論調査では、2009年3月の回で、本来の意味で使う人が42.1%、新しい意味の人が45.6%だった。両方の意味だと答えた人も10.1%いた。調査の有効回収は1,954人にのぼる。
年代で見ると、40代以下は新しい意味のほうが多く、とくに30代以下で差が大きい。50代以上になると、本来の意味が上回る。後の調査では、差がさらに開いた。本来の意味は29.0%に落ち、新しい意味は56.4%に上がり、13.1ポイントも減ったことになる。
数ミリの高低差が、内と外を分ける
「敷居を踏む」と題した展覧会に、建築を論じたエッセイが寄せられている。題は「日本家屋のわずかな高低差が意味するもの」だ。日本家屋の敷居がつくる高低差は、数ミリ程度で、段差と呼ぶのもためらうほどの高さになる。それでも「敷居をまたぐ」という言い方は、家に入ることを指す。
敷居は、柱と柱のあいだに立てる建具を受ける。その仕組みは「柱間装置」と呼ばれ、季節や天気に合わせて、風や光を調節する。縁側は敷居の外側にあって、家族ではない訪問者と顔を合わせる場にもなった。数ミリの木が、内の人と外の人の位置を決めている。
履物を脱いで、板の間から畳へ
境目は、敷居だけじゃない。民俗学者で国立歴史民俗博物館の名誉教授が、國學院大學のサイトの記事で、玄関と敷居の成り立ちを書いている。日本は高温多湿の島国で、湿気を逃がしやすい高床の構造が選ばれた。玄関の段差と、靴を脱ぐ習慣は、そこから生まれたという。
そこに、外と内を分ける観念が重なった。貴族や武家の屋敷には玄関があり、庶民の長屋にはなかった。敷居をまたぎ、履物を脱いで、板の間から畳の部屋へ上がる。その形式は、こうして固まっていく。玄関は家の顔とされ、絵や花、人形で飾られる。
図書館にも、似た質問が載っている。靴を脱ぐ習慣は結界の考えと関係があるのか、というものだ。『インテリアと日本人』(晶文社、2000年)の72ページには、沓脱文化の項がある。日本人は古来、大地を穢れと考え、家を神聖な場と見ていたという。結界の装置には垣根、門、敷居、玄関があり、なかでも沓脱石がいちばん大切だった、と同書は書く。
別の本もある。『高取正男著作集4』(法蔵館、1982年)には、「民家に残る日本人の信心」と題した一編があり、住まいで穢れを慎む感覚と、気候に合わせた履物の発展が語られる。『対訳日本人のすまい』(市ヶ谷出版社、1998年)は、靴を脱ぐ習慣が弥生時代から続くと見て、床に座る文化と清潔さへの気づかいを結びつける。
『日本人の生活文化事典』(勁草書房、1983年)は、土間を家の内と外の境界領域と位置づけ、そこが接客の場になったと記す。『下駄神のはきもの』(法政大学出版局、2002年)は、板の間や畳を汚さないための工夫として、下駄が広まった経緯を書く。紹介された内容を見るかぎり、どの本も祟りを説く本ではなく、住まいの境目の話として敷居や玄関を扱っている。
どちらが先かは、決め手がない
建具を守る理由、人を敬う理由、神さまの理由。どれが先に生まれたのか。調べた辞書や図書館の記録では、いちばん古い出どころを突き止められなかった。
初出が分からないから、順序を決める材料もない。児童書の回答も辞書の項も、性質の違う理由を同じ説明のなかに並べている。どちらかが後付けだと言い切れる記録は、手元にない。
4つの理由のうち、目で確かめられるのは建てつけの話だけだ。動かない事実は、ひとつだけある。敷居は踏めば実際に傷む部材で、傷めば家の建てつけが狂う。踏んだ家に病気や貧困が続くという筋は、辞書にも図書館の記録にも出てこなかった。
古典の名前は、ずらりと並んでいた
ある解説記事は、敷居を踏むと家神や祖先の霊が怒り、病気や貧困や家庭不和を招く、と紹介している。『日本書紀』『風土記』『甲子夜話』『徒然草』『枕草子』の名を挙げ、敷居は内と外を分ける霊的な結界だと説明する。
載せられた逸話は2つ。2010年代に敷居を踏んだあと、家族が体調を崩した女性の話。2000年代に、親から「家の神様が怒る」と言われて、踏むのをやめた子どもの話。
肝心なものが抜けている。古典の巻も、条文も、章段も、どこにも示されない。祖先の霊が敷居に宿る、という全国共通の説も、辞書や図書館の記録には出てこなかった。
確かめられなかった話は、確かめられないまま置く
裏づけの取れなかった主張を、並べておく。『日本書紀』や『風土記』に、敷居と家神の禁忌があるという主張。『甲子夜話』に、敷居を踏んで怪異が起きた話があるという主張。『徒然草』や『枕草子』が、敷居を踏むことを神への不敬にしていると読む主張もある。どれも、確認は取れていない。
匿名の体験談も同じだ。敷居を踏んだあと、家族が次々と体調を崩した。そう語る話は、出どころも日付も追えない。体調不良と敷居を結ぶ因果は、判断のしようがない。
異説も3つ見かける。敷居に祖先の霊が宿る説、踏むと家運が下がる説、踏むと縁が切れる説だ。どれも、調べた辞書や図書館の事例には出てこない。
語源にも、辞書に載らない説がある。敷居は本来「鴫居」と書き、鴨居と対になる水鳥の名で、火事から家を守る願掛けだった、というものだ。建具の解説や神道のブログで見かけるが、歴史の文献は示されていないし、辞書の語源欄にも見当たらなかった。正直なところ、おもしろい説だけに、確かめられないのが惜しい。
古い家の敷居に、いまも触れる
作法そのものは、いまも生きている。古民家や寺社、文化財、人の家では、所有者の案内に従って、敷居も建具も丁寧に扱えばいい。踏みつづけると沈みや歪みにつながるのは、先に書いたとおりだ。
小さな段差には、気をつけたい。つまずかないことも大事で、体の状況によっては、無理に大きくまたぐ必要はない。霊的な説明と実用的な説明は、どちらかに寄せず、並べたまま置いておく。
戸の滑りが悪くなったら、溝を見る。ごみがたまっていないか、溝が摩耗したり変形したりしていないか。軽い症状なら、敷居テープやシリコンスプレー、蝋を塗る手当てで滑りがよくなる。重い症状は、専門の業者に任せる。
滑りの悪さには、建物全体の歪みが絡むこともある。戸車はごみや髪の毛を巻き込むと動きが悪くなり、建具の重さで変形したり、すり減って車輪が小さくなったりもする。下のレールが要らない吊り戸に替える手もある。溝にたまったごみを、指先で取る。
