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「切る」も「戻る」も禁句――冠婚葬祭を縛る言霊の力「忌み言葉」の恐るべき正体

お祝いの席で避ける言葉

結婚式のスピーチでは、「切る」「別れる」「離れる」「戻る」といった言葉を避けることがある。夫婦の縁が切れる、二人が元の状態へ戻る、と連想させるためだ。だから披露宴では、「ケーキを切る」は「ケーキに入刀する」、「宴を終わる」は「お開きにする」と言い換える。

同じ語を重ねる表現も、扱いは似ている。「重ね重ね」「たびたび」「またまた」は、結婚を繰り返すことにつながるとして嫌われてきた。普段ならむしろ丁寧なはずの「重ね重ねお礼を申し上げます」も、披露宴では別の言い方を選ぶ場合がある。

こうした特定の場で避ける言葉を、忌み言葉という。とはいえ、ひとつ口にしただけで現実に不幸が起きる、と確かめられているわけではない。大切な儀礼で悪い出来事を連想させず、出席者の気持ちを乱さないための習慣として残っている。

葬儀では「繰り返す」を避ける

葬儀でも重ね言葉を避ける。ただ、理由は結婚式と少し違う。不幸が重なる、死が再び起きる、と受け取られないためだ。ここでは「たびたび」「続いて」「再び」などが、別の表現へ置き換えられる。

直接的な言葉を避けるのは、言霊への恐れだけではない。亡くなった人の家族へ配慮し、強い言い方で傷つけないという実用的な意味もある。そして何を適切とするかは、宗教や式の形でも変わる。

たとえば、神道の葬送で仏教の言葉を使わない、キリスト教の式で「ご冥福」という表現を選ばない、といった違いがある。一つの言い換え表をどの式にも当てはめるより、遺族や式を執り行う人の案内に合わせるのが確実だ。

言葉が現実へ触れるという感覚

忌み言葉の背景としてよく持ち出されるのが、言葉には力があるという言霊の考え方だ。良い言葉を口にすれば良いことを招き、不吉な言葉は悪い出来事を呼ぶ。古くから語られてきたこの感覚が、人生の節目で言葉を慎重に選ぶ習慣へつながった、というわけだ。

ただ、現在の忌み言葉をすべて古代から変わらない信仰だと決めるのも乱暴だ。結婚式場や葬儀社の案内、マナー本、地域の習慣を通じて、後から整理されたルールもある。気にする度合いは世代によって違うし、家族だけの小さな式では厳密に言い換えない場合もある。

それでも、大事な場で不吉な表現をわざわざ選ばない、という考えは分かりやすい。言葉が超自然的な力を持つかどうかとは別に、聞いた人の記憶や気持ちには実際に影響するからだ。口にした側は忘れても、聞いた側は覚えている。

間違えても呪いにはならない

スピーチで忌み言葉を使ってしまい、会場が一瞬静かになったという失敗談は多い。話している本人だけが、その静けさの理由に気づいていない。緊張していれば、普段使っている言葉が出るのは不思議ではない。そこで結婚や葬儀の行方が決まるわけではなく、気づいたら落ち着いて言い直せばいい。

ルールを増やしすぎると、今度は話す人が言葉を失ってしまう。何が何でも避けるべき禁句の一覧として覚えるより、その場で何を祝いたいのか、誰へ気持ちを届けたいのかを先に考えたい。言い換えは、その目的を支える道具だ。

忌み言葉は、言葉だけで未来を操る呪術というより、晴れの日や別れの日を穏やかに保つ工夫として見ると身近になる。「切る」を言わなかったから二人が幸せになるのではない。二人の門出に合う言葉を選ぼうとする、その気遣いにこそ意味がある。

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