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骨噛み――九州・琉球の葬送習俗と故人との結びつき

確認できること

民俗資料で確認できる葬送習俗

何が語られているか

火葬後の遺骨を遺族が噛む「骨噛み」を、故人の力・魂を受け継ぎ、別れを受け入れる九州の葬送儀礼として紹介する。この話では秘密の儀式、祟り、骨から声がするという怪談も付加する。

独自調査

民俗学文献の検討では、九州・琉球列島に死者の骨を噛んだという採集例があり、熊本・大分・薩南などの事例や、葬式を示す地域語「骨かじり」「骨こぶり」などが論じられている。したがって習俗の存在自体を架空とはできない。

ただし、全九州で一様に行われた儀礼ではなく、誰が・どの骨を・どの場面で噛むかは地域・家・時代で異なる。愛情、死者との一体化、霊力の継承、別れの表現など複数の解釈があり、ひとつの宗教教義から説明し切れない。

語られている「骨を噛まないと故人があの世へ行けない」「夜に骨から声がした」「神社で清めた」という話には固有の採集資料が示されず、実在習俗へ怪談を重ねた可能性が高い。現代の葬儀で無断に遺骨を口にする行為を推奨する資料でもない。

異説・ネット上の噂

  • 故人の強さや性格を受け継ぐために噛む。
  • あまりに別れ難いので遺骨を食べたいほど愛おしむ表現。
  • 噛まなかった家に祟りが起きる。

前二者は民俗解釈として論じ得るが、祟りの個別談は未確認。

記録上の結論

「怖い奇習」として消費するより、死者との距離が現代より近かった地域葬制の一例として扱う。現在の実施状況は地域ごとに確認が必要。

語り直し――かつて、骨は「食べるもの」だった

九州から琉球弧にかけて伝わってきたとされる「骨噛み」の話を、伝承の形に沿って再構成してみる。ある集落で、年老いた家長が息を引き取る。近隣・親族が集まり、通夜、そして火葬が行われる。荼毘に付された後、骨あげの場に集まった血縁者は、まだ熱の残る骨のかけらを一つずつ手渡され、口に含んで小さく噛む。子や孫だけでなく、少し離れた親戚にも骨は回される。

ただし、誰にどの骨が渡るかは家によって決まりがあり、故人ともっとも近い血筋の者には「真肉親類(マツシシオヱカ)」と呼ばれる本骨が、より遠い縁者には代用として用意された肉――後の時代には豚や牛の肉――が「脂肪親類(ブトブトーオヱカ)」として振る舞われたとされる。噛んだ者は、その場で泣き崩れることもあれば、逆にどこか晴れやかな表情を見せることもあったという。

理由を問われれば、老人たちは決まって「そうすることで、あの人の強さや魂の一部が、残された者の中に還ってくるからだ」とだけ答えたと語られている。

発祥・分布をたどる――琉球弧に残る具体的な地名と言葉

この習俗について比較的具体的な記録が残っているのは、琉球弧と呼ばれる南西諸島の島々である。宮古島、国頭(沖縄本島北部)、糸満、八重山(西表島・与那国島を含む)、石垣島、池間島、新城島、徳之島、沖永良部島など、広い範囲にわたって骨や肉を噛む・分け合う慣行が記録として残されている。地域ごとに葬式へ参列することそのものを指す独特の言い回しが生まれている点も興味深い。

徳之島では葬儀に行くことを「シシカミに行く」と表現し、宮古島では骨をしゃぶる行為そのものを「プニシズ」と呼んだ。八重山では「ピトカンナ(人を噛みに行く)」という、字面だけ見ると物騒な響きの言葉が葬儀参列の意味で使われていたと伝わる。

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