丑三つ時の三面鏡に座ったら
夜中に髪をとかすな、という話がある。丑三つ時に鏡の前でやると、とくに危ないらしく、霊が寄ってくるという尾ひれまでつく。舞台はたいてい決まっている。風呂上がりの静まり返った家、洗面台か三面鏡の前、濡れた髪に通す櫛。丑の刻は午前1時から3時ごろで、そのなかの丑三つ時は、午前2時から2時半ほどを指す。
怪談の型としては、こうなる。櫛を引くたびに、背後で衣擦れのような音がして、家の中なのに誰かが身じろぎしたように思える。ふと鏡を見ると、蛍光灯の加減で自分の顔がいつもより青白く映り、鏡の中の表情が一拍だけ遅れて動く。もう振り向けない。
家庭ではもう少し穏やかな形で伝わる。祖母や母親が、夜更かしの子どもを叱るときの言葉として出てくる。夜に髪をとかすと死んだ人が寄ってくるから、髪は明るいうちに済ませなさい、と言う。超常現象そのものより、しつけの文句として子どもの耳に残る話らしい。
出どころは、どこか。古い書物の名前がずらりと並ぶ解説は多いが、確かめられる材料は意外なほど少なかった。裏の取れる話だけ並べる。
夜櫛を投げぬもの
国立国会図書館のレファレンス事例に、櫛の俗信を載せた資料の一覧がある。その中の『俚諺辞典』に、夜櫛を投げぬもの、という項目が立っていた。縁の切れることを恐れるからだ、と理由が添えてある。櫛が縁の切れ目と結びつけて考えられていたことは、この一文から読み取れる。夜と櫛が組になった戒めは、俗信の辞典に、たしかに記録が残っていた。
けれど中身は、髪をとかすな、という話じゃない。櫛を投げるな、という戒めだ。同じ辞典には、櫛を拾うと苦を拾う、櫛を拾うと苦が絶えない、という項目も並んでいる。櫛と苦の音が通じるから忌むのか、という注釈がついていた。
語呂の話は、櫛についてまわる。別の資料は、櫛の音読が奇しに通じるところから、櫛は神秘的なものと見られてきた、と書く。櫛を人に贈ると苦を渡すのと同じだとか、櫛を捨てたら苦を捨てたと胸をさするとか、そんな習いも載っていた。大正から昭和の初めには、「櫛は縁切り」という俗謡まで流行ったそうだ。
怪異・妖怪伝承データベースにも、夜の櫛が出てくる。1938年の資料として登録された沖縄県の俗信は、こうだ。夜に櫛を縁先に置いておくと、外から悪い霊が来て、櫛を取っていく。取られると災いがあるので、夜の縁先には置いてはいけない、という戒めだった。
別の記録では、地域は分からないが、女が夜に出歩くとき、櫛を口にくわえて外出する習いがあった。魔のものを避けるためだという。夜の櫛は、霊を呼ぶ道具というより、霊に取られる物か、魔を避ける物として出てくる。手元で当たれた範囲では、そうだった。
同じデータベースに、夜に髪を櫛でとく話がひとつだけあった。ある家の下女が夜に髪をとくと、とくたびに髪の中から火焔が落ちてくる。髪から落ちる火は、蛍が飛び散るように見えて、取ろうとすると消えてしまう。
主人に話すと、物の怪だと追い出された。のちに下女は裕福な人の妻になり、子孫は栄えたという。祟りの話にならず、行き着いた先は福。
古典の名前ばかり並んだ解説記事
ネットには、この言い伝えを解説した記事がある。夜に髪をとかすと幽霊や死魂が寄る、と紹介し、古典の名前を並べていた。『古事記』と『日本書紀』には髪の霊力が、『源氏物語』には神秘的な髪梳きの場面が出てくる。『怪談老の杖』と『牡丹灯籠』には、髪をとかす幽霊が出る、とも書いてあった。名前だけの行列。
引っかかる点が三つある。ひとつめ、巻も章段も場面も示されていない。ふたつめ、死魂という言葉がどの文献から来たのか分からない。みっつめ、記事に載っていた2件の体験談は、どちらも出どころの分からない匿名の話だった。
『牡丹灯籠』に女の幽霊が出てくるのは本当だ。三遊亭円朝が寄席で語った怪談で、お露の霊が駒下駄の音を響かせて、恋しい人のもとへ通ってくる。けれど、それは夜の整髪を戒める民俗とは、別の話になる。
夜に髪をとかすと霊が寄る、という形そのままの記録は、当たれた範囲では見つからなかった。全国の女性に禁じられてきた古い習俗だ、という説明も、裏が取れない。ここから先は、確かに記録の残る材料で組み直した話だ。
イザナキは櫛の歯を折って投げた
『古事記』の黄泉の国の場面に、髪と櫛が出てくる。亡くなった妻のイザナミに会いに行ったイザナキは、左のみづらに挿した櫛の太い歯を1本折り取った。見ないでほしい、と頼まれていたのに、夫は約束を破り、その歯に火をともして殿の中をのぞいたのだ。暗がりで見たのは、頭に大雷、胸に火雷、腹に黒雷と、体じゅうに雷神が居座る妻の姿だった。
恐れて逃げるイザナキを、黄泉醜女が追う。黒御縵を取って投げると山ぶどうが生え、醜女が食べているあいだに逃げ出す。なお追われて、右のみづらの櫛の歯を折って投げると、今度は筍が生えた。髪飾りも櫛も、投げれば追っ手を止める呪具だった。命綱のような道具。
スサノオがヤマタノオロチを退治する場面では、助けたクシナダヒメを爪櫛に変えて、自分の髪に挿した。櫛は女性の魂が宿る物だという考えが古くからあった、と民具の事典にも書かれている。船霊として船に祀る例や、櫛が折れると悪いことの前触れになる、という俗信もあるそうだ。
櫛が特別だったのは、神話の中だけじゃない。福井県の鳥浜貝塚から1975年に出た赤色漆塗りの竪櫛は、およそ6000年前、縄文時代前期のものだ。9本の歯をもち、動物の角を図案にしたような飾り櫛で、ヤブツバキの一枚板から削り出されていた。祭りに使ったと推測する紹介もある。確かな用途は、分からない。
切っても腐らない髪という厄介な部位
髪はちょっと特別だ。身体の一部なのに、切り離しても腐らず、亡くなったあとの頭にも長く残る。その性質が、形見や供物、呪いや喪の場面で、独特の重みを生んだ。
怪異・妖怪伝承データベースには、1975年の資料として、人の毛髪には不思議な力がある、という記録が載る。木にかけておくと鳥が近づかず、地中に埋めても腐らない。逃げた人の髪を糸車にかけて左に回せば、その人は道に迷って戻ってくる。髪を竈にくべると狂人になる、という俗信も採られていた。球磨の武士の妻の髪が、理由もなく一夜で抜け落ち、結った形のまま枕元に落ちていた、という話もある。
人の一生の節目には、いつも髪がついてまわる。数え3歳の11月15日に、剃っていた髪を伸ばしはじめる儀式があった。髪置という。公家は2歳、武家や庶民は3歳に行うことが多く、庶民のあいだでは大正時代まで続き、七五三の3歳の祝いにも残る。小笠原流の作法では、白髪をかぶせて頭の頂におしろいをつけ、櫛で左右の鬢を3度かきなでて、無病長寿を祈るのが例だった。
反対の端にあるのが剃髪だ。髪を剃り落として僧や尼になる出家の作法で、俗世を捨てて仏弟子になる心を表すものだと説明される。古くは、女性の出家者は髪を全部は落とさず、肩のところで切りそろえた。尼そぎ、と呼ぶ。亡くなった人にも、浄土宗の枕経では剃刀を当てて、仏弟子として送る作法がある。
生まれた子の髪、僧や尼の髪、死者の髪。どこにも手を抜けない部位だった。その延長に、髪だけを祀る神社も建っている。
京都の嵯峨には、髪の神社として知られる御髪神社がある。祀られるのは、亀山天皇の時代の人で、髪結いの始祖と伝わる藤原采女亮政之。境内の髪塚には、参拝者が神職に切ってもらった髪が納められる。昭和の初めごろまで、理美容の人たちは政之の命日の17日を、毎月の休みにしていたそうだ。
髪切りが出た江戸の夜
夜道で髪を切られる怪が、江戸時代には何度も噂になった。寛保のころにまとまった説話集『諸国里人談』には、元禄のはじめ、伊勢の松坂と江戸の紺屋町で、夜道を歩く男女が元結から髪を切られた話が載る。本人は気づかない。残るのは、道に落ちた結ったままの髪。
大田南畝の『半日閑話』には、文化7年の下谷や、その前年の小日向で、商家や屋敷に仕える女たちが被害に遭った、と出てくる。正体は、狐だ、髪切り虫だ、人間のしわざだと、説が割れた。『耳嚢』には、髪切りの出た場所で捕えた狐の腹を裂いたら、髪がぎっしり詰まっていた、という話がある。
髪切り避けの守り札として、身につける札に歌を書くのが流行った。千早振る神の氏子の髪なれば切るとも切れじ玉のかづらを、という一首だ。明和8年に江戸で流行したときは、湯島の大根畑に住む飯縄の法の山伏が、髪切り除けの祈祷と札で大いに稼いだ。大善院というその山伏が、自分で髪切りを仕掛けたのではと疑われ、町奉行所に連れていかれた。杉田玄白の『後見草』は、無関係として釈放されるまでを記す。
元文2年の絵巻『百怪図巻』の髪切りは、長いくちばしとはさみの手をもつ、鳥か虫のような姿で描かれた。幕末の錦絵『髪切りの奇談』になると、様子が違う。番町の屋敷の女中が、夜に厠へ行く途中で、真っ黒なものに頭を打たれる。気がつくと、髻が二、三間離れた所に落ちていた。猫のようで、ビロードのような手ざわりだったという。
話は、明治でも消えなかった。明治7年3月、本郷3丁目の鈴木家で、「ぎん」という召使いの女が、夜に便所で髪を切られて気絶した。東京日々新聞にも出た話だ。髪は、身だしなみも立場も示す部位になる。それを気づかぬうちに断たれる怖さが、夜道と便所の話になった。
髪を五つに分けた女
髪と丑の刻をつなぐ古い話に、『平家物語』の剣の巻がある。宇治の橋姫だ。嵯峨天皇の時代、嫉妬に狂った公卿の娘が、貴船の社に7日間籠もって、生きながら鬼にしてほしいと祈った。明神は、本当に鬼になりたいなら、姿を改めて宇治の川瀬に21日浸かれ、と告げる。
娘は人気のない所で、長い髪を5つに分けて、5つの角にした。顔に朱をさし、体に丹を塗り、鉄輪をかぶって、3本の足に松明を燃やす。夜更けに大和大路を走ると、頭から5つの火が燃え上がり、見た人は肝を潰して倒れ伏した、という。眉は太く、鉄漿で歯は黒く、顔も体も赤い。さながら鬼の姿だったという。
髪は、ここでは鬼に変わるための道具だ。五つの角と、三つの火。生きながら鬼になった女は、憎い相手の縁者を、男女も身分も選ばず取り殺した。京の人々は、申の時を過ぎると門を閉ざして、人を入れず、出ることもしなかったという。
室町時代の能『鉄輪』は、この話を下敷きに、貴船へ通う女が鬼になる筋を舞台にのせた。鬼になった女が、「緑の髪は空ざまに」立つ。緑の髪は黒髪のことで、それが恨みで空へ逆立つ。後妻の髪を手にからめて、笞を振り上げる。恨みの絵は、髪から描かれた。
いま思い浮かべる丑の刻参りの姿は、白装束も鉄輪も含めて、江戸時代に完成したものだという説明がある。白装束で髪を振り乱し、胸に鏡をさげ、頭にのせた鉄輪に3本のろうそくを立てる。口に櫛をくわえる、という描き方もある。参詣の刻限は、丑三つ時に決まっていたという解説も見つかる。
けれど剣の巻の女は、藁人形に釘を打っていない。先にあったのは、鉄輪と髪と火。釘打ちの姿は、後から重なった。夜更けに髪を整える女と、鬼。この組み合わせは、剣の巻にすでにある。
お岩が櫛を入れるたびに
髪をとかす幽霊と聞いて、いちばんに浮かぶのは、お岩さんだ。『東海道四谷怪談』は、文政8年、1825年の7月26日に、江戸の中村座で、『仮名手本忠臣蔵』と組み合わせて初演された。作者の鶴屋南北は71歳。お岩を演じたのは、3代目尾上菊五郎。夫の伊右衛門は、7代目市川團十郎が演じた。
元になったのは、四谷左門町のお岩稲荷に伝わる巷説だ。江戸城の警備にあたる御先手同心、田宮又左衛門の娘お岩が、婿の伊右衛門にだまされたと知って狂乱し、行方知れずになった。その後、伊右衛門をはじめ、関わった者が残らず取り殺されたという。南北は、この話を『忠臣蔵』の世界に織り込んだ。上演は、初日と後日の2日替わりだった。
見せ場は、髪梳き。毒薬を盛られて顔が崩れたお岩が、鉄漿を塗り、按摩の宅悦に手伝わせて、櫛で髪を梳く。櫛を入れるたびに、髪が抜け落ちていく。裏切られた悲しみと恨みが、下座の音楽に乗って、じわじわ客席に回る。
抜ける髪には、仕掛けがあった。羽二重の鬘だ。3代目菊五郎の父、初代尾上松助が工夫したもので、もとは亡霊が骸骨からよみがえる場面で使われた。骸骨に肉がつき、毛が少し生えた不気味な姿を、生成りといった。お岩の髪梳きは、生きた人間が客の目の前で生成りになる怖さだ。
日常の仕草が、見る間に変貌していく。髪をとかす女と幽霊を結ぶ線は、少なくとも1825年の舞台で、太く引かれていた。大入りが続いた興行は、9月15日までのロングランになった。
乱れ髪が幽霊の制服になった道筋
幽霊といえば、長く乱れた黒髪に白い着物だ。円山応挙が足のない幽霊を描き始めた、という通説は、いまも広く知られる。弘前市の久渡寺には、応挙の『返魂香之図』が伝わる。天明4年、1784年に、弘前藩の家老が、亡くなった妻と妾の供養のために寄進した、と寺は説明する。
公開は毎年、旧暦の5月18日。その日は必ず雨になると伝わる。
けれど、始まりを応挙ひとりに結ぶのは危うい。土佐光起の足のない幽霊画の模写が伝わるため、元禄のころにすでに先例があった、という指摘がある。歌舞伎では、漏斗と呼ぶ足のすぼまった衣裳で、足のない幽霊を見せた。もとは産女の幽霊の衣裳で、蛇山庵室のお岩の亡霊は、その流れをくむという。
髪の絵には、円朝が語った応挙の逸話もある。その話では、応挙が行きつけの料理屋の主人に、病で苦しむ二十歳あまりの美女の絵を描いて授けた。右手で抜けた髪をつかみ、左手で毛を絞ると、血がしたたる図だ。逸話の中の話にすぎない。けれど、病んで乱れた髪が、そのまま幽霊の怖さに直結した感覚は、よく伝わってくる。
夜に爪を切ると親の死に目に会えない
夜の戒めは、髪だけじゃない。夜に爪を切るな、という言い伝えは有名だ。夜爪が世詰めに通じ、世を詰めるから寿命が縮む、という語呂で説明される。親より先に死ぬから、親の死に目に会えない、と話が続く。爪も髪も生きているかぎり伸び続けるから、霊的な力が宿ると考えられた、という説明も添えられていた。
別の説明もある。戦国時代の夜詰めは、城の夜の警備で、持ち場を離れられなかった。親が死んでも駆けつけられない。夜爪と夜詰めの語呂合わせが、戒めになったという。江戸時代の儒教で、爪も親から授かった体だから、暗がりで粗末に扱うのは親不孝だ、という説もある。
電灯のない時代には、小刀やはさみで爪を切った。ろうそくの灯りだけが頼りでは、刃物で手を傷つけやすく、親から授かった体に傷をつけることにもなる。夜の刃物を戒める生活の知恵が、語呂合わせの理由と結びついて広まった、という筋書きもある。時期は、特定できないらしい。
口笛も仲間に入る。夜に吹くと、蛇が出る、泥棒が来る、幽霊が出る、人さらいが来ると、地域や家で言うことが違う。古くは口笛に神や精霊を招く力があると考えられ、だから夜に軽々しく吹くな、という説明もある。近所迷惑をやめさせるための方便だ、という見方もある。夜の髪梳きがこの仲間に入っていたのかどうかは、分からない。
夜の鏡と百物語の灯心
鏡の怖がり方は、地域で違う。怪異・妖怪伝承データベースに、1998年に静岡県で採られた記録がある。夜の2時に、鏡を見る。自分の守護霊が見えるという。
合わせ鏡に自分を映す。死に顔が見えるという。13番目の顔が死に顔だ、という話も採られていた。三面鏡も、左右を内側へ向ければ、合わせ鏡の形になる。
『怪談老の杖』は、内藤新宿生まれの戯作者で狂歌師の平秩東作が書いた怪談集だ。鏡の出る話が、巻之四の「厩橋の百物語」にある。延享の初めごろ、上州厩橋の城内で、若い侍たちが宿直の夜に百物語を始めた。行灯に灯心を百筋入れ、そばに鏡を1面立てる。1話終えるたびに灯心を1本消し、鏡で自分の顔を見てから戻る決まりだった。
83番目の話を終えた中原忠太夫が、暗い廊下で白いものに気づく。天井から下がる女だった。白無垢を着て、散らし髪で、首をくくっている。
百話が終わっても消えず、夜が明けても残った。奥の中老の島川だと聞いて大騒ぎになったが、本人は体調を崩しただけで無事で、首くくりは跡形もなく消えた。後に島川は、自室で首を吊って死んだという。
夜、鏡、散らし髪の女。3つがそろう話は、たしかに『怪談老の杖』にある。けれど、夜に髪をとかすな、と戒める話じゃない。
仏壇で伸びた人形の髪
髪の怪談で、いちばん有名な物が北海道にある。岩見沢市栗沢町万字の萬念寺に安置された、お菊人形だ。寺に伝わる由来では、大正7年8月15日、鈴木永吉が札幌の大正博覧会の帰りに、妹の菊子へ人形を買った。狸小路の店で選んだ、胸の鳴るおかっぱ頭の人形だ。菊子は3歳で、毎日人形と遊んでいたそうだ。
菊子は翌年の1月24日に亡くなった。風邪をこじらせたのだ。葬儀のとき、棺に人形を入れるのを忘れた。出棺のあとで見つけたので、お骨と一緒に仏壇に祀り、朝夕に供養を重ねていると、いつともなく人形の髪が伸びだしたという。
昭和13年8月16日、鈴木家は樺太へ移ることになり、菊子と父のお骨と人形を、萬念寺に預けたそうだ。戦後、引き揚げて参拝した。納骨したときより、髪が伸びていた。永吉は人形をあらためて寺に納め、供養を頼んだという。以来、お菊人形と呼ばれる。
来歴には、異説もある。昭和37年の女性週刊誌の記事では、人形を預けたのは父の助七で、持ち主の子の名も菊子ではなく清子だった。同じ記者が昭和43年の別の雑誌に書いた来歴は、別の話になっていた。寺が出している由来は、鈴木永吉の名で書かれた文のほうだ。
深夜の家鳴りと櫛の音
夜の静かな部屋では、小さな音がよく通る。櫛を引く音。髪と服のこすれる音。そこに、家の音が混じる。
家鳴りという現象がある。木材が湿気を吸って膨らんだり、乾いて縮んだりするときに、ミシッ、パキッ、と鳴る音だ。温度差で窓のサッシや金属の部材が伸び縮みして鳴ることもあり、コンクリートの建物でも起きる。
水分を多く含んだ木材ほど鳴りやすく、湿気を吸う夏や、乾いて縮む冬に出やすい。新築の家は、とくに多い。鏡に向かった夜中の洗面所で鳴れば、背後の気配に聞こえても不思議じゃない。
誤解のないよう断っておく。これは個々の体験を嘘だと決めつける話じゃなく、再現できる超自然の因果が確認されていない、という区分にすぎない。体験した本人の怖さまで否定するつもりはない。
確かめられずに残った五つの話
裏が取れず、保留にした話は5件ある。ひとつめは、『古事記』や『日本書紀』に見える髪の霊力が、夜に髪をとかすな、という禁忌へじかにつながった、という説だ。『古事記』に髪と櫛の呪力が出てくるのは確かでも、そこから先の線は確認できなかった。『日本書紀』の側は、髪に霊力を読む記述を確かめきれなかった。
ふたつめは、『源氏物語』に霊との接続を示す髪梳きの場面がある、という主張。みっつめは、『怪談老の杖』や『牡丹灯籠』に、禁忌の起源になった場面がある、という主張だ。鏡と散らし髪の出る話はあっても、起源と呼べる場面は見つからなかった。
よっつめは、神社や寺へ髪を納める風習と、この言い伝えのあいだに、直接の関係があるのかどうか。御髪神社に髪塚があるのは確かだ。けれど、夜の整髪の戒めと結ぶ資料は出てこなかった。いつつめは、深夜に髪をとかしたあと、物音と悪夢が続いたという匿名の体験談で、出どころが分からず書けなかった。
夜の髪梳きの戒めが、いつ、どこで、誰の口から始まったのか。突き止める資料は、手元にない。現実の注意なら、足りる話だ。照明をつけて、火の気や回転する器具の近くで、長い髪を扱わない。それだけでいい。
櫛を隠した家
もうひとつだけ、沖縄県の記録を。死んだ人の髪を結うとき、櫛を渡すには、後ろ向きになって肩越しに投げてやるという。物迷いとは、神隠しのことをいう。
物迷いした者は、一度家に帰ってきて、自分の櫛を持ち、もう一度出ていく。持って出れば、二度と帰らない。だから神隠しに遭った者の家族は、すぐに櫛を隠すという。
