肝取り勝太郎事件(明治39年・1906年、長野県)

事件の経緯

  • 該当記述なし

語られている話

  • 内容 長野県で、「勝太郎」と呼ばれる人物が他人の肝臓を摘出したとされる事件。
  • 肝臓は漢方や呪術で重宝された。
  • 背景 肝臓への信仰が根強く、こうした行為が噂として広まった。
  • 明治の怪奇事件として記録され、都市伝説の要素を含む。

記録から分かること

  • 同名または強く関連する独立資料項目が存在することを確認。
  • 肝取り勝太郎事件で事件・人物・制度の概略を照合可能。

確認上の注意

  • もとの資料にある日時・人数・場所・動機・判決・捜査経過は、公的記録、裁判資料、警察発表、同時代報道で個別確認が必要。
  • 「隠蔽」「口封じ」「霊視」「呪い」「異界」「陰謀」などの説明は、独立した裏付けがない限り噂・異説として扱う。

完全再話――水車小屋の男と、消えていく女たち

明治三十八年(一九〇五年)九月一日、長野県上伊那郡朝日村(現在の辰野町域にあたるとされる山あいの村)で、十六歳の娘が姿を消した。数日後、彼女は変わり果てた姿で発見される。下腹部が無残に切り裂かれ、内臓が飛び出した状態だった。当時の村人たちは「獣の仕業か、それとも山の魔物か」とささやき合ったという。だが、その二か月後の十一月三日、今度は製糸工場で働く三十歳の女性が同様の手口で殺害される。腹を裂かれ、臓物が露出した無残な遺体――同一犯による凶行であることは、誰の目にも明らかだった。 村はにわかに恐怖に包まれた。だが凶行は止まらない。

翌明治三十九年(一九〇六年)八月には、二十七歳の女性、生まれたばかりの乳児、そして十七歳の少女までもが相次いで犠牲になり、いずれも腹部を切開された状態で発見された。年が明けた明治四十年(一九〇七年)一月下旬には、四十八歳の女性が姿を消し、後にミイラ化した状態で発見されるが、その遺体からは肝臓が丁寧に切除されていたことが判明する。犯人は単に女性を殺害するだけでなく、明確な目的を持って内臓――とりわけ肝臓――を持ち去っていたのである。閉ざされた山村で、次々と女性の変死体が発見され続けるという異常事態は、明治の地方紙にも取り上げられ、近隣の村々にまで恐怖と疑心暗鬼を広げていった。 転機が訪れたのは明治四十年八月のことだった。

夜道を歩いていた三十二歳の女性が、突然背後から何者かに首を絞められる。とっさに抵抗した彼女は、月明かりの下で襲撃者の顔をはっきりと見て取った。それは、村の水車小屋を管理する馬場勝太郎、当時三十歳。他所からこの村に移り住んで十年、所帯も持ち、周囲からは「気のいい男」と評判だった人物である。翌日、女性の証言をもとに警察が動き、馬場勝太郎はあっけなく逮捕された。取り調べの中で彼が語ったとされるのが、「ある人物から、大金と引き換えに人間の生き肝を手に入れてほしいと依頼された」という、薬としての需要を動機とする自白だった。

肝臓は当時、漢方や民間療法の世界で「万病に効く」とされる貴重な部位であり、その入手のために、彼は十人近い村の女性・子供を手にかけたことになる。

いつから語られたのか

この事件は、他の明治期の猟奇的な噂話と異なり、日本語版ウィキペディアに独立した項目「肝取り勝太郎事件」が存在するという点で特異である。ウィキペディアの記述では、事件は「一九〇五年(明治三十八年)から一九〇七年(明治四十年)にかけ、長野県上伊那郡朝日村(現・辰野町)で起きた連続殺人事件」であり、「水車小屋を営む馬場勝太郎が次々と女性を狙い、殺害した女性の腹部を切り裂き肝(胆嚢)を抜き取って売るという猟奇的な犯罪だった」と明記されている。

これは、明治怪奇録九選側の照合においても「一致度:exact」と判定された、数少ない事例のひとつであり、事件・人物・舞台となった制度(水車小屋を中心とした山村共同体)の実在性については、他の二件(生首黒焼き事件・脳みそ売買事件)よりもはるかに高い信頼性を持つ。 この事件が現代のオカルト・都市伝説メディアで再び脚光を浴びるようになったのは、講談社の「現代ビジネス」が「閉ざされた村で五人の女性を殺害…内臓をえぐり取った男の『本当の狙い』」と題する記事を配信して以降のことである。この記事はニューズピックスにも転載され、瞬く間に拡散した。

さらに個人ブログ「狙われた臓器」シリーズなどでも独自の考察記事が書かれ、明治怪奇録九選のようなまとめサイトが「肝取り勝太郎事件:明治長野で囁かれた呪術の真相」という記事名で紹介するに至り、令和のオカルトファンの間に広く浸透した。当時の新聞報道としては、山村での連続変死という性質上、地元紙・県紙レベルでの報道が中心だったと見られ、全国紙での大々的な報道の痕跡は薄いが、事件の異常性ゆえに口伝・郷土史の中で語り継がれてきたことが、令和の再発掘につながったと考えられる。

話の広がり

この事件には複数の異なる語り口が存在する。第一のバージョンは、ウィキペディアや現代ビジネスが採用する「肝臓を薬として欲しがった依頼主がおり、馬場勝太郎はその代理人・実行犯に過ぎなかった」とする黒幕説である。この説では、馬場個人の猟奇的欲求よりも、当時の民間信仰――肝臓を服せば難病が治るという迷信――に基づく「需要」が事件を生んだ構造そのものが強調される。第二のバージョンは、より単純に「馬場勝太郎個人の異常性癖・殺人衝動」を主因とする説であり、薬の依頼はあくまで表向きの言い訳、あるいは自白時の自己正当化に過ぎなかったのではないか、とする解釈である。

第三のバージョンとしては、被害者の中に乳児が含まれていたことから、「肝臓だけでなく、赤子の生き血や胎盤なども別の目的で狙われていたのではないか」とする、より陰惨な派生説がオカルト考察系サイトの一部で語られている。ただし、これらの派生的な動機・依頼主の実在については、公的な裁判記録での裏付けが乏しく、噂・異説の域を出ないことには注意が必要である。

体験談・目撃談・考察

現代ビジネスの記事や、これを転載したNewsPicksのコメント欄には、「地方の山村における連続殺人が、当時ここまで長期間野放しにされていたことの方が恐ろしい」という、捜査体制の脆弱さに着目した感想が多数寄せられている。個人ブログ「狙われた臓器」シリーズの記事では、犯行現場となった山村の地形や、水車小屋という当時の生活インフラの中に潜んでいた犯人像について、独自の考察が展開されており、「周囲から気のいい男と思われていた人物が、裏では十年近くにわたって犯行を重ねていたという事実の落差」が繰り返し強調されている。

また、肝臓を狙う猟奇犯罪という点で、現代の臓器売買事件と結びつけて論じるnote記事や考察ブログも存在し、「臓器を金銭に換えるという発想そのものは、時代が変わっても形を変えて存在し続けている」という視点から、この事件を現代的な問題意識と接続する論考も見られる。ネット上では「肝臓は当時、疳の虫封じや労咳の薬として珍重されており、馬場勝太郎の犯行はその需要に忠実に応えた結果に過ぎない」という、当時の民間医療史に基づいた冷静な分析記事も一定数存在し、単なる猟奇趣味としてではなく、社会背景を踏まえた考察対象として扱われている点が、この事件の特徴である。

ネットでの広まり

なんJやまとめ系掲示板由来のコメントでは、「明治の連続殺人鬼の中でも動機がはっきりしているという意味で異色」「猟奇殺人というより、需要と供給で動いた末端の実行犯という構図が生々しい」といった、犯罪の経済的側面に着目した反応が目立つ。SNSでは怪談シーズンになると、生首黒焼き事件・脳みそ売買事件とセットで「明治怪奇録三部作」として拡散され、その中でも肝取り勝太郎事件は「唯一、実在の裁判・記録が比較的しっかり残っている事件」として一目置かれる扱いを受けている。

一方で「肝臓を欲しがった依頼主は結局誰だったのか、闇に葬られたのではないか」という、黒幕の正体をめぐる考察スレッドも根強く存在し、真犯人は馬場一人ではなく、当時の薬種商や漢方医が裏で関与していたのではないかという陰謀論的な憶測も、掲示板文化の中では繰り返し語られている。

関連する場所と記録

事件の舞台となった長野県上伊那郡朝日村は、現在の辰野町一帯にあたるとされ、山あいの製糸業・農村地帯として明治期には典型的な信州の山村共同体を形成していた地域である。この地域は後年、製糸業の中心地としても知られ、犠牲者の一人が製糸工場勤務であった点は、当時の地方経済の姿を色濃く反映している。人体の一部を薬として扱うという構図の点では、大阪の生首黒焼き事件、神奈川の脳みそ売買事件、東京の臀肉事件(野口男三郎事件)と並んで、「明治期における人体薬信仰が生んだ連続猟奇犯罪」の系譜に位置づけられており、これら四件はしばしばオカルトメディアの中で一括りに紹介される「明治怪奇録」の代表的な構成事件として扱われている。

また、臓器を狙う猟奇犯罪という枠組みでは、現代の臓器売買事件やシリアルキラー研究とも比較対象として言及されることがあり、Wikipedia上でもこの事件の関連項目として「シリアルキラー」「臓器売買」といった現代的な概念が併記されている点は興味深い。百年以上前の山村で起きたこの事件が、令和の今も「人体はどこまで商品になり得るのか」という普遍的な問いを喚起し続けていることが、この事件が繰り返し語り継がれる最大の理由といえるだろう。

事件名より先に資料の層を見る

「肝取り勝太郎事件」という呼び名は強烈だが、ウェブ上の文章は互いを写したものが多い。犯行年、被害者数、摘出された部位、依頼人の有無、逮捕と刑執行の年月まで、記事ごとに違いがある。呼称が広く知られていることと、細部が同時代資料で確定していることは別である。

国立国会図書館に所蔵される山本茂実『あゝ野麦峠』には「天竜川の肝取り勝太郎」という章がある。同書は製糸工女への聞き取りと資料をもとにしたノンフィクションで、事件が地域と工女の記憶のなかで語られたことを知る手掛かりになる。ただし初版は事件から六十年以上後であり、公判記録や判決原本そのものではない。証言の採録と、裁判で認定された事実を同じ重さで扱わない方がよい。

一九〇七年八月二十四日付『朝日新聞』の「胆取犯人」が出典として挙げられることもある。記事を確認する際は見出しだけでなく紙面全体、続報、訂正を追う必要がある。当時の新聞は捜査途中の供述や噂も速報した。逮捕時の記事を、そのまま最終的な認定内容へ置き換えることはできない。

「肝」と「胆」のずれ

古い文章の「肝」「生き胆」は、現代医学の肝臓と常に一対一で対応しない。胆嚢を指す場合、内臓を漠然と呼ぶ場合、勇気や魂の比喩で使う場合がある。後世の記事が「肝臓を摘出した」「胆嚢を売った」と書き分けても、その根拠が同じ古新聞の一字である可能性がある。

人の身体の一部が薬になるという俗信は、日本の昔話や犯罪報道に現れる。だからといって、特定の事件で売買が実行された証拠にはならない。依頼を受けたという供述があるなら、誰が、いつ、いくらで頼み、物が渡ったか、依頼人が起訴されたかを確かめたい。確認できなければ、「俗信を背景に捜査側が動機を推定した」「本人がそう供述した」と範囲を限定する。

迷信を当時の地域住民全員の信仰として描くのも乱暴である。明治後期には西洋医学と薬事制度が広がる一方、民間薬や売薬も残っていた。信じた人、商売に利用した人、荒唐無稽だと退けた人が同じ時代にいた。

被害の記述に必要な節度

この事件の再話には、遺体の状態を過剰に描いた文章が多い。残酷な細部を増やしても、被害者の人生や事件の構造は明らかにならない。人数と年齢についても、同一人物を失踪者と発見遺体で二重に数えていないか、乳児を含む範囲か、別件の被害者を足していないかを点検する必要がある。

氏名が分からない被害者を、単に「女工」「女中」とだけ記すと、労働する若い女性が狙われた社会条件が見えなくなる。製糸業の地域では、工場と宿舎を行き来する女性が多く、祭礼や夜道の移動もあった。ただし、この一般的背景から個々の被害者の職業や行動を推測してはいけない。

犯人を怪人として中心に置き、機転の利いた逸話や異名で飾ることも避けたい。確認すべきなのは、被害申告がどう結びついたか、目撃や物証が何だったか、どの事件について有罪になったかである。

地域史へ戻すときの注意

事件地は現在の自治体名へ変わっており、古い村名を現代の地図へそのまま置くと誤った地点を示すことがある。郡・村の変遷、当時の警察署管轄、新聞に出る字名を自治体史や旧版地図で照合したい。水車小屋、神社、遺体発見地を観光地点のように特定するのは、住民や土地所有者への迷惑にもなる。

現段階で安全に言えるのは、明治末期の長野県で馬場勝太郎をめぐる連続殺人が報道され、後に地域の工女史と結びついて「肝取り」の名で記憶されたことまでである。依頼人、売買経路、個々の犯行場面は、新聞縮刷版や公判資料を確認できた範囲だけを事実として置く。それが、俗信と犯罪を混ぜずに伝える最低限の線になる。

参照:国立国会図書館サーチ『あゝ野麦峠 ある製糸工女哀史』https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000039-I3039699

参照:国立国会図書館サーチ『あ丶野麦峠』朝日文庫版 https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001805213

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