オカルト総合資料館
ミステリー事件簿
記録の残る事件を中心に、確認できる事実と未確認の説を切り分けます。
189件の記事を収録しています。
七人が巻き込まれた六年間 舞台は福岡県北九州市、時期は1996年から2002年にかけてだ。7人を監禁したのは、松永太と緒方純子の二人だ。電気ショックや虐待で、被害者を支配した。殺害後、遺体を解体して遺棄した。 発覚のきっかけは、17歳の少女が逃げ出したことだ。2002年、2人は逮捕された。判決は松永に死刑、緒方に無期懲役。犯行の主導性と残虐性が考慮された。
事件の経緯 時期・場所 1988年11月―1989年1月東京都足立区 事件内容 17歳女子高生を拉致し、40日以上監禁。 暴行を繰り返し殺害後、遺体をコンクリート詰めで遺棄。 事件が残したもの 少年たちの冷酷さと遺体処理の異様さが際立つ。 解決状況 1989年に少年4人が逮捕。 判決理由 主犯らに懲役4―20年。 当時少年法適用で軽い量刑とされた。 背景 加
事件の経緯 ☆ 理由: 無差別テロの規模と影響が大きい 時期・場所 1995年3月20日東京都内地下鉄 事件内容 オウム真理教がサリンを散布し、13人死亡、約6300人負傷。 事件が残したもの 計画的な化学兵器使用と日常空間での大量被害が恐怖を呼ぶ。 解決状況 麻原彰晃ら幹部が逮捕。 判決理由 麻原ら13人に死刑。 2018年に執行。 テロの主導性が認められ
確認できること確認できる記録がある。事件・人物・制度の存在確認には使えるが、この話の細部・動機・霊視・陰謀説まで裏付けるものではない。語られている事件概要怖い理由 信頼関係を悪用した殺人と遺体処理の非情さが際立つ。解決状況 1995年に逮捕。判決理由 主犯に死刑。殺害の計画性と残虐性が重く判断された。真相の裏側 金銭トラブルが動機だが、犯人の異常な自己中心性
二〇〇八年十月一日、難波の地下のような店で 午前三時前、大阪市浪速区難波中の個室ビデオ店で火災が起きた。 店は七階建て雑居ビルの一階にあり、約二百三十九平方メートルの中へ三十二の個室が並んでいた。試写室の区画には外へ通じる窓がなく、客は受付側にある一つの出入口を通って店外へ出る構造だった。 深夜パックを利用して眠っていた人、ヘッドホンを着けていた人もいた。
2003年6月20日、福岡市東区で暮らしていた夫婦と、二人の子どもの命が奪われた。被害者は一家四人。遺体は自宅から運び出され、博多湾で発見された。 逮捕、起訴されたのは、当時福岡で暮らしていた中国籍の男三人だった。一人は日本で身柄を確保され、二人は事件後に中国へ渡ったため、同じ事件の被告が日本と中国に分かれて裁かれることになった。日本側では死刑判決が確定し、
事件の経緯 ☆ 理由: 繁華街での突発的な攻撃 時期・場所 2008年6月8日東京都秋葉原 事件内容 25歳男がトラックで通行人をはね、ナイフで刺し、7人死亡、10人負傷。 事件が残したもの 日常空間での無差別性が恐怖を呼ぶ。 解決状況 現場で逮捕。 判決理由 死刑確定。 計画性と被害規模が重く判断された。 背景 社会への不満をネットで予告。 孤立感が犯行の
1992年3月5日の夕方から翌6日の朝にかけて、千葉県市川市幸のマンションで一家四人が殺害された。亡くなったのは四十二歳の父親、母親、八十三歳の祖母、四歳の次女。十五歳の長女も重傷を負い、長時間にわたって拘束されたが生き残った。 逮捕された男は犯行時十九歳だった。千葉地方裁判所は1994年に死刑を言い渡し、東京高等裁判所、最高裁判所もその判断を維持した。死刑
出回っている説明を、まず並べておく まず、世の中でよく出回っている説明の方を先に置いておく。事件が残したものとして真っ先に挙がるのは、身内への長期虐待と、遺体処理の異様さが際立つところだ。解決状況の欄はあっさりしている。2012年に主犯逮捕、美代子は拘留中自殺。判決理由の欄はもっと短く、共犯者に死刑・無期懲役とだけある。 理由として添えられているのは、これだ
事件の経緯 ☆ 理由: 駅構内での無差別殺人 時期・場所 1999年9月8日東京都池袋駅 事件内容 34歳男が駅構内でナイフを振り回し、2人死亡、6人負傷。 事件が残したもの 日常の公共空間での突発的な暴力が恐怖を誘う。 解決状況 現場で逮捕。 判決理由 無期懲役。 無差別性と被害の重大性が認められた。 背景 社会への不満が動機。 精神的な不安定さが犯行を誘
受話器の向こうの沈黙 あの無言電話は、彼女からのSOSだったのか。それとも、まったく別の存在の仕業だったのか。 数分で消えた主婦と、大阪と米子からの電話 ミステリアス度が高いと言われる理由は、短時間での失踪と無言電話という組み合わせが、どうにも超自然的に見えるところにある。 神隠しの概要はこうだ。1998年5月3日、群馬県前橋市三夜沢赤城神社で、主婦・志塚法
1989年3月7日の朝、徳島県美馬郡貞光町、現在のつるぎ町で、当時四歳だった松岡伸矢さんが行方不明になった。徳島県警察の公開情報は、茨城県牛久市に住んでいた伸矢さんが帰省中に所在不明となり、現在も発見に至っていないと記している。 この失踪は「父親が四十秒ほど目を離した間に消えた」と語られ、神隠し事件の代表例のように扱われてきた。だが、公的に確認できる情報は驚
1991年3月15日、三重県四日市市で、当時八歳だった加茂前ゆきさんが自宅を出たまま行方不明になった。三重県警察は現在も公式サイトで情報を求めている。発生時刻は午後2時30分ごろ。水色地に水玉模様の長袖ブラウス、薄茶色のスカート、黒いビニール靴を身につけていたとされる。 この失踪は、数年後に家族へ届いたとされる「ミユキ カアイソウ」で始まる怪文書によって、ネ
最初に結論を書く 「一九八六年十一月十三日、大阪市内で女子大生がタクシーに乗った後、行方不明になった。運転手は自宅近くで降ろしたと証言したが、その後の足取りは途絶えた」 ネット上では、この短い話が「大阪女子大生タクシー失踪事件」として紹介されている。しかし、事件名、発生日、場所、被害者の属性を組み合わせても、確かな出どころへは届かない。警察発表、裁判記録、当
新冠町で一家四人が消えた、という話 一九七三年八月、北海道新冠町の農家から、夫婦と子ども二人が消えた。財布も通帳も家財道具も持ち出されていなかった。食卓には食べかけの料理が残り、洗濯物は干したまま。 家の裏には四人分の足跡があり、山林へ続いていた。捜索隊がその跡を追うと、大木の前で突然途切れた。引き返した跡も、別の方向へ曲がった跡もない。まるで、家族全員が森
「1938年ごろ、京都府の竹林寺で、深夜の勤行を終えた尼僧が姿を消した。本堂の外には草履だけがきちんとそろえて残されていた」 この短い話は、神隠しを集めたウェブ記事で紹介されている。夜の寺、名の分からない尼僧、戦時下の昭和、そして残された一足の草履。怪談を形作る材料は、これ以上ないほど整っている。ただ、実在の失踪事件として確認するための材料は、ほとんどない。
空に溶けた、という一行だけ 事件の経緯として残っているのは、たった一行しかない。 「空に溶けたように跡形もない」。 これだけだ。名前もなければ町名もなく、誰が捜したのかも書かれていない。跡形もない、と書いた側の跡もない。まずはその奇妙さを頭に入れてから先へ進んでほしい。 ネットに転がっている話の全文 元になっている記述はごく短い。ミステリアス度は星ひとつ、そ
1989年8月13日、伊豆半島の温泉旅館へ家族旅行に来ていた六歳の女児が、玄関先で遊んでいる間に姿を消した。家族、旅館の従業員、消防団、警察が山と海を捜したが、履物一つ見つからなかった――。 神隠しを集めたウェブ記事では、そう紹介されている。日付、年齢、地域がそろっているため、実在の未解決事件を短く要約した文章に見える。しかし、女児の氏名、旅館名、市町村、警
1992年5月10日、長野県北佐久郡に住む六十代の夫婦が山菜採りへ出かけた。林道には施錠された車が残り、二人分の足跡は山中で途切れていた。警察、消防団、住民が捜索したが、夫婦も持ち物も見つからなかった――。 神隠しを集めたウェブ記事で、この出来事は「長野県山中夫婦失踪事件」と呼ばれている。しかし、夫婦の氏名、住所、入山した山、車の発見場所、届け出た警察署が記
1981年6月20日、弘前市に住む三十代の男性が、一人で岩木山へ入った。夕方になっても帰らず、翌日の捜索で登山道にリュック、水筒、地図が整然と並べてあるのが見つかった。本人だけが消え、現在まで行方は分からない――。 神隠しを集めたウェブ記事は、この話を「青森県岩木山失踪事件」として紹介する。岩木山が古くから信仰を集める山であることは確認できる。登山者の遭難が
経緯として書けることが、まだ無い 経緯を確かめようと資料に当たっても、返ってくるのは該当記述なし。この話は、そこから始まる。 どんな話として出回っているのか 滋賀県の山村で、人体の一部を煮沸して作られた「人肉風呂」が発見されたとされる事件。出回っているのは、そういう話だ。この風呂は呪術や医療目的で使用されたとの記録が残るが、詳細は不明である。 背景にあるのは
赤子を薬にしたという、明治25年の噂 背景にあるのは、江戸時代から続く迷信だ。それが影響し、特定の遺体に薬効があるとの考えが残存していた。 焼いて、粉にして、妙薬として売る 語られている内容そのものは短い。三重県で、赤子の遺体を焼いて「黒焼き」と呼ばれる呪術的材料や薬とした事件が報告された。 この行為は、当時の漢方や民間信仰に由来するとされる。明治の怪奇事件
確かな経緯として書けること 該当記述なし 世間ではこう語られてきた 語られている中身はこうだ。東京の貧困層地域で、少年の臀部から肉を切り出し、スープとして調理したとされる事件。 事実か誇張された噂かは不明である。 背景にあるのは、都市部の貧困と犯罪の増加だ。そして食人行為の噂が恐怖を煽った。 明治の猟奇事件の代表例であり、都市伝説として語り継がれている。 こ
経緯を並べようとすると、何も出てこない 事件の経緯としてまとめられる記述が無い。日付順に並べたいところだが、並べるだけの材料が確認できていない。だから、ここは空欄のままにしておく。 語られているのは、こういう話だ 内容はごく短い。大阪で、切断された首を焼いて「黒焼き」にしたとされる事件。まあ、一行で言い切れる程度の情報しか出てこない。呪術や薬効を目的とした行
明治三十九年、いまの神奈川県で人間の脳がひそかに売買された。火葬場から持ち出された脳は、西洋医学の研究材料、あるいは難病に効く薬として買われた。関係者はいたが、真相は闇に消えた――。 「脳みそ売買事件」という題名を見れば、だいたいこんな筋書きが浮かぶ。ところが、元になったウェブ記事が記しているのは、たった数行だ。「神奈川県で人間の脳が売買されたとされる」、「
経緯の欄には、何も書かれていない 事件の経緯として順に並べられる記述は、該当記述なし。年表の形で確定していることが、そもそも用意されていない。だから、まずは語られている話のほうから入る。 長野の山で、肝が抜かれた 長野県で、「勝太郎」と呼ばれる人物が他人の肝臓を摘出したとされる事件。話の芯はそれだけだ。肝臓は漢方や呪術で重宝された。だから狙われた、という筋に
経緯を追いたいのに、追う材料がない 事件の経緯を順に並べたいところだが、そこに当たる記述が元の紹介文には一行も無い。該当記述なし、とだけ書いておく。 まとめ記事に並んでいた、たった四行 怪奇度は☆ひとつ。添えられた惹句は、火葬場での人肉売買、不気味な舞台。内容の欄はこうだ。長崎県の火葬場で、遺体から肉を切り出して売買していたとされる事件。 呪術や食糧難が背景
経緯の欄は空白のまま 事件の経緯として整理された文章は、この資料には該当記述なし。 怪奇度☆☆☆で並べられた明治の一件 怪奇度は☆☆☆。分類は歴史的事件で、怪奇性は間接的、という但し書きが付いている。内容の欄はこうだ。滋賀県大津で、ロシア皇太子ニコライが襲撃された事件。 直接的な怪奇性はない。それでも「呪われた事件」として噂された、という一行が添えられている
幕末の町を飲み込んだ騒ぎ 背景にあるのは、社会の激変に対する民衆の不安だ。その不安が引き起こした現象として語られてきた。 怪奇度☆☆、集団狂乱という語られ方 怪奇度は☆☆。見どころは集団狂乱と、超自然的信仰の不気味さにある。江戸から明治への移行期に、「ええじゃないか」と叫びながら踊る集団狂乱が全国で発生。神仏の加護や終末論的信仰が背景とされる。明治の都市伝説
アルバイト帰りに消えた女子大生 2009年10月26日から11月6日にかけて、島根県浜田市で起きた事件だ。遺体が見つかったのは県境を越えた広島県北広島町、臥龍山の中だった。なぜこれが未解決の側に置かれ続けたのか。 島根県立大学1年の女子学生(当時19歳)が、アルバイト先を出た後に行方不明になった。約10日後の11月6日、広島県北広島町の臥龍山で切断された遺体
遺体も証拠も、一つも出てこない 解明難易度が高いのには、はっきりした理由がある。遺体も証拠も一切見つからず、自然なのか事件なのかさえ分からないのだ。時期と場所は2008年1月5日、岡山県新見市。なぜ未解決のまま残ったのか。 鍾乳洞の地底湖で学生が失踪し、捜索をしても痕跡が一切見つからなかった。それが原因として大きいと思われる。地元ガイドの「湖底に隠し穴がある
解明難易度☆☆、それでも犯人に届かない 解明難易度は☆☆。証拠は残っているのに、犯人特定に至る手がかりが足りない。それがこの評価の理由だ。時期と場所は2009年11月1日、新潟県新潟市。なぜ未解決のままなのか。 タクシー運転手が殺害され、金が奪われた。地元民しか知らない抜け道が使われたにも関わらず、犯人の足取りが掴めなかった。それが未解決の理由として大きいと
確認できること確認できる記録がある。事件・人物・制度の存在確認には使えるが、この話の細部・動機・霊視・陰謀説まで裏付けるものではない。語られている事件概要解明難易度 ★★★★☆ 理由: 証拠はあるが動機や犯人像が不明 時期・場所 2008年5月2日 愛知県豊田市 なぜ未解決に?女子高生が自宅近くで殺害され用水路に遺棄されたが、証拠があっても犯人像が絞り込めな
確認できること確認できる記録がある。事件・人物・制度の存在確認には使えるが、この話の細部・動機・霊視・陰謀説まで裏付けるものではない。語られている事件概要解明難易度 ★★★☆☆ 理由: 不審車の目撃情報があるが追跡不能 時期・場所 2003年7月9日 茨城県五霞町 なぜ未解決に?15歳女子高生が用水路で遺体となり、不審な車が目撃されたがその行方が追えなかった
事件の経緯 解明難易度 ☆ 理由: 頭部のみで身元判明も残りが見つからず 時期・場所 2001年5月16日静岡県静岡市 なぜ未解決に? 日本平山頂で男性の頭部が発見され身元は判明したが、残りの遺体や犯人が見つからなかったことが原因が大きいと思われる。 当時監視カメラが未整備だった観光地の盲点が突かれた。 詳細はこちら 語られている話 地元の地理に詳しい者であ
派出所から拳銃だけが消えた夜 解明難易度は☆☆。大胆きわまりない犯行なのに動機がまるで見えず、そのまま時効を迎えてしまった。時期と場所は1992年2月14日、東京都清瀬市になる。 なぜ未解決のままなのか。派出所で警察官が殺害され、拳銃が奪われた。それなのに動機も足取りも掴めないまま時効に至った。その点が大きい、と思われる。 もう一つ引っかかる点がある。バレン
口論の証言だけが残った 解明難易度は☆☆、理由は単純で、口論があったという証言は出ているのに動機がまるで見えてこないからだ。時期と場所は2008年6月27日の石川県金沢市。ではなぜ、この事件は未解決のまま今日まで残ってしまったのか。 独身の男性が自宅で殺害されたにもかかわらず、動機は不明で物的証拠も不足していた。原因としてはそこが大きいとみられている。住民か
杉林に残されていたのは、骨と衣類だけ 2005年3月15日、栃木県塩谷町。この話が舞台に据えるのは、その日付とその土地だ。見つかったのは人骨のみで、身元も犯人も分からないまま止まっている。手がかりが最初からほとんどない事件として語られている。 杉林で人骨と衣類が発見された。ただ、身元は判明せず、証拠も乏しかった。未解決のまま残っている理由は、そのあたりが大き
確認できること同名または十分に近い独立資料を今回の照合では確認できなかった。この話の記述・伝説・噂として保留する。語られている事件概要解明難易度 ★★★★☆ 理由: 目撃情報が埋もれ時効に 時期・場所 1991年3月24日 新潟県加茂市 なぜ未解決に?8歳女児が自宅近くで失踪し誘拐が疑われたが、当日の小さな祭りの喧騒で目撃情報が埋もれたことが原因が大きいと思
赤坂の一室で何が起きたのか 東京都赤坂のウィークリーマンションで、小学6年生の少女4人が誘拐・監禁された。衝撃の大きい事件だ。 主犯とされる吉里弘太郎が運営していたのは、「プチエンジェル」という名の児童買春デートクラブだった。その仕組みが、事件をきっかけに明るみに出た。 児童搾取の闇と、権力構造への不信。重なった二つが、事件のタブー視を今も色濃く残す。 ネッ
確認できること確認できる記録がある。事件・人物・制度の存在確認には使えるが、この話の細部・動機・霊視・陰謀説まで裏付けるものではない。語られている事件概要概要 千葉県鴨川市のおせんころがしで、母子3人を含む連続殺人事件が起きた。犯人は捕まらず、未解決のまま1966年に時効成立。戦後の混乱期に起きた悲劇として、薄暗い記憶に。タブーの理由 戦後間もない貧困と混乱
事件の経緯 概要 徳島市でラジオ商の夫婦が自宅で殺害された未解決事件。 強盗目的と見られるが、犯人は特定されず、1967年に時効成立。 戦後の動乱期の暗い一ページ。 タブーの理由 戦後復興期の貧困と警察の捜査力不足を映し、被害者家族のプライバシーへの配慮から、地元で語られず、タブー視された。 現在の状況 2025年、事件から70年以上が経過し、進展はゼロ。
事件の経緯 概要 東京都渋谷区のマンションで、東京電力の女性社員(当時39歳)が絞殺された未解決事件。 タブーの理由 被害者のプライバシー、東京電力の企業イメージへの影響、警察の捜査力不足への批判から、詳細な議論が封印され、タブー視される。 現在の状況 2025年、殺人罪の公訴時効廃止(2010年)で捜査は継続可能だが、警視庁は新証拠がなく停滞。 渋谷区民は
出回っている話を、まず並べておく 先に断っておく。ここに書くのは、ネット上で流通している「話」のほうだ。事実の報告ではない。 山梨県甲府市で5歳の男児、城丸正人君が自宅近くで失踪した。誘拐や事故が疑われるが、遺体や手がかりは見つからなかった。そして1989年に時効が成立。未解決の悲劇として記憶される、という筋書きになっている。 現在の状況として語られる部分も
同じ話を裏づける独立資料は出てこなかった 同名、あるいは十分に近い内容の独立資料は、今回の照合では確認できなかった。だからこの話は、記述・伝説・噂のひとつとして保留する。 何が起きたと語られているのか 福岡県北九州市で、松永太と緒方純子が7人を監禁し、虐待し、殺害した。詐欺や恐喝を繰り返しながら、被害者を心理的に支配していったとされる。事件が発覚したのは20
確認できること確認できる記録がある。事件・人物・制度の存在確認には使えるが、この話の細部・動機・霊視・陰謀説まで裏付けるものではない。語られている事件概要概要 福岡県飯塚市で小学生女児2人が誘拐・殺害。久間三千年氏が逮捕され、2008年に死刑判決(2010年確定)。DNA鑑定の不確実性や自白の強要から冤罪疑惑が根強い。タブーの理由 司法の不透明性、DNA鑑定
25年たっても、犯人の名前が出てこない 東京都世田谷区で、一家4人が自宅で殺害された。夫婦と2人の子供だ。犯人はいまだ捕まっていない。未解決事件という言葉が、これほど重くのしかかる例も少ない。 被害者家族のプライバシーへの配慮も、この事件がタブー視されてきた要因のひとつになっている。 2025年になっても、警視庁は専従捜査班を維持している。DNA鑑定の進化を
3億円が消えた朝、その後に起きたこと 東京都府中市で、現金輸送車から3億円が奪われた。日本最大の窃盗事件として、今も名前が残っている。犯人は最後まで特定されず、1975年に時効が成立した。 2025年になっても、時効から50年近くが経ったまま、公式な進展はひとつもない。新証拠が出てこないため、警視庁の捜査は停滞している。 Xでは「完璧犯罪の真相」「犯人は生き
事件の経緯 概要 江崎グリコや森永製菓への脅迫・毒物混入事件。 犯人「怪人21面相」は企業を恐喝し、青酸入り菓子を流通。 逮捕者はなく、1995年に時効成立。 犯人像の不明確さから、深掘りされにくい。 現在の状況 2025年、時効から30年経ち、公式な進展はなし。 警察は新証拠がないため捜査は停滞。 グリコや森永は事件を過去のものとして扱い、詳細な言及を避け
総理大臣経験者に手錠がかかった 米ロッキード社が田中角栄元首相らに賄賂を贈り、自社の航空機を買わせようと働きかけた。それがこの汚職事件のいちばん太い骨格になる。田中は逮捕・起訴され、1983年に有罪判決を受けた。ただし最終決着はついていない。上告中に本人が死去してしまったからだ。 それから半世紀近くが過ぎた。2025年で事件から約50年、田中の死(1993年
十年をかけて日本を壊しにきた集団 坂本弁護士一家殺害が1989年、松本サリン事件が1994年、地下鉄サリン事件が1995年。オウム真理教という一つの宗教団体が、この一連の犯罪を起こした。並べて書けば数行で済んでしまう。だが、中身の重さは並ではない。 麻原彰晃を含む13人には死刑判決が下された。その執行も2018年に済んでいる。手続きの上では、事件はすでに閉じ
事件の経緯 概要 栃木県足利市で4歳女児が殺害された事件。 菅家利和氏が逮捕され、17年服役後、DNA鑑定の誤りが判明し、2010年に再審無罪。 真犯人は未特定。 タブーの理由 司法の誤審、DNA鑑定の問題、警察の捜査力不足が露呈し、制度批判を避けるためタブー視される。 被害者家族のプライバシーも要因。 現在の状況 2025年、菅家氏は賠償を得て社会復帰した
夏祭りのカレーに、ヒ素が入っていた 1998年の夏、和歌山県で夏祭りのカレーにヒ素が混入された。口にした人のうち4人が死亡し、63人が負傷している。地域の親睦行事が、いきなり無差別殺人の現場に変わった日だ。 林眞須美被告には死刑判決が言い渡され、2009年に確定した。それでも、冤罪疑惑は根強く残り続けている。 この事件がタブー視される理由は、ひとつではない。
教室の中で、小学6年生が同級生を殺した 長崎県佐世保市で、小学6年生の女児が同級生をカッターナイフで殺害した。通称「ネバダたん事件」として知られている出来事だ。加害少女は当時11歳。処分は少年院送致だ。 この事件がタブー視される理由は、ひとつではない。加害者が少年であること、インターネット文化、つまり2ちゃんねるの影響、そして被害者家族のプライバシー。この三
語られないまま四半世紀が過ぎた 山口県光市で、23歳の主婦と生後11か月の長女が殺害された。犯行時18歳30日だった少年被告に死刑判決が下り、2012年に確定している。この一件で、少年法のあり方と死刑制度がいやおうなく注目された。 タブー視される理由ははっきりしている。少年法や死刑制度をめぐる議論の過熱、被害者遺族の強い処罰感情、そしてメディアの過熱報道への
何が起きた事件なのか 過激派組織・連合赤軍が起こしたのが、あさま山荘事件と、内部でのリンチ殺人だ。組織の内側では、それが「総括」と呼ばれていた。群馬の山岳ベースで進んだ粛清では、12人が死亡している。過激派の暗部が、そこで一気に露呈した。 なぜタブーになったのか。左翼運動の失敗という後味の悪さが、まずある。社会の動乱期を象徴する残虐性、そして組織そのものの狂
群馬の山で、仲間が仲間を殺した 連合赤軍の内部粛清で、群馬県の山岳ベースで12人がリンチ殺害された。あさま山荘事件の前哨にあたる出来事だ。過激派の狂気を象徴する事件として、名前だけは知られている。 タブー視される理由は、いくつも重なっている。過激派の闇、社会運動の失敗、そして残虐なリンチの詳細。どれもセンシティブで、深掘りされにくい。 2025年の時点で、事
十八の闇に、あなたは何を見るか ここに並んだ事件は、被害者の無念と司法の葛藤、そして社会の暗部をまとめて映し出す鏡だ。起きた場所も年代もばらばらなのに、通して眺めると妙に同じ顔をしている。読み終えたあなたは、この闇の底に何を見るだろう。 封印される理由は違う。行き着く先は同じ 権力者の影、未解決の謎、少年の罪、過激派の狂気。それぞれの事件がタブーとして封印さ
そもそも事件かどうかも決まっていない この一件は、事件性すら確定していない。事故なのか他殺なのか、そこからして不明のままだ。他殺だとすれば近親者の関与が疑われるところだが、それを裏づける証拠はない。入口の時点で足場がぐらついている話なんだと、先に言っておく。 語られている話 謎度は高い。理由は、状況が異様で解釈不能という一点にある。時期と場所は1989年1月
竹林で途切れた足取り 異常な力で刺された傷跡から、動機が怨恨か猟奇的かが不明。刺した相手が何を考えていたのか、そこから先は読めない。 1986年に公訴時効が成立し、捜査は打ち切られた。 分かっているのは、ほとんど何もない 謎度は☆ひとつ。殺害現場の特定や動機が不明で、物的証拠が乏しいというのがその理由だ。時期と場所ははっきりしている。1979年9月28日、京
手がかりが一つも残らなかった 痕跡もなければ、目撃情報もない。だから何が起きたのかという肝心の部分が、いまだに解明されないままなんだよな。失踪から30年以上が過ぎても、状況を動かすような進展は出ていない。 誘拐だったとすれば、近隣の事情を知る人物が関与していた線が浮かぶ。ただ、そこから先へ踏み込むための材料が、どこにも残っていない。 記録に残る一行 この事件
事件の経緯 時効成立後も手がかりなし。 計画的な連れ去りが疑われる。 詳細はこちら 語られている話 謎度 ☆ 理由: 痕跡がなく失踪状況が不明 時期・場所 1991年3月24日新潟県加茂市 謎の理由 8歳女児が自宅近くで失踪。 祭りの喧騒が目撃情報を埋もれさせた可能性。 謎の解明状況 未解決。 誘拐なら外部の者が祭りに紛れた可能性。 確認上の注意 この話にあ
事件の経緯 スパイなら国際的背景が。 詳細はこちら 語られている話 謎度 理由: 国際的な謎が絡む 時期・場所 1948年オーストラリア(日本との関連説あり) 謎の理由 身元不明男性が死亡し、「タマム・シュッド」の紙片と暗号が残る。 日本人スパイ説が浮上。 謎の解明状況 未解決。 日本関連は仮説に留まる。 暗号の意味や死因が不明で、真相は遠い。 確認上の注意
事件の経緯 被害者数や未発見の遺体が不明確。 1948年逮捕、死刑執行。 戦後の混乱が犯行を隠した。 詳細はこちら 語られている話 時期・場所 1945年―1946年東京都周辺 謎の理由 10人以上を殺害し遺棄。 謎の解明状況 解決済み。 異常な性的衝動を持つ単独犯とされる。 確認上の注意 この話にある日時・人数・場所・動機・判決・捜査経過は、公的記録、裁判
絡まったまま、いまだに解けない 戦後混乱期の背景が、この事件では幾重にも複雑化している。だから一本の線で説明しようとすると、どこかで必ず行き止まる。詳細はこの先で順に見ていくことにしよう。 謎度☆ひとつの、その中身 謎度は☆ひとつ、理由は単純で、自殺か他殺かの結論がいまだに出ないからだ。時期・場所は1949年7月5日東京都足立区、国鉄総裁が轢死体で発見された
時効が来ても、犯人はまだ誰でもない 時効が成立しても、手がかりは出てこなかった。複数犯なのか単独犯なのかさえ、いまだにはっきりしない。企業への怨恨だったのか、それともただの愉快犯だったのか。動機ですら推測の域を出ないままなんだよな。 謎度は☆ひとつ、正体だけが空白 この一件に付いている謎度は☆がひとつ。理由は単純で、犯人グループの正体がまるで分からないからだ
事件の経緯 捜査は今も続いている。それでも進展はない。四半世紀という時間が、そのまま重さになって残っている。 怨恨なのか、それとも無差別なのか。動機の入り口すら、いまだに定まっていない。 外部から侵入した人物による犯行とみられている。そして、その人物の行動が、とにかく異常だった。 ここから先で、その中身を順にたどっていく。 語られている話 謎度は星ひとつ。理
三分で消えた現金輸送車 計画の緻密さが、とにかく異様だ。膨大な証拠が残されたのに、捜査は核心へ届かないまま時効が成立している。単独犯なのか、組織的な犯行なのかすら、いまだに分かっていない。 日常に潜む異変や、歴史の闇が関わってくる事件もある。そういうものを含めて、解明への道は険しいままだ。 白バイの男が奪った3億円 時期と場所ははっきりしている。1968年1
本記事は、警視庁(成城警察署特別捜査本部)や新聞各社の報道など公開情報にもとづく取材記事です。本事件は2026年7月時点で時効の適用がなく、警視庁により捜査が継続中の未解決事件です。実在の個人を、根拠なく犯人として名指しする記述は一切行っていません。ネット上で語られる外国人犯行説・軍関係説などはあくまで「憶測・仮説」として扱い、確定した捜査結果とは明確に区別
警察のトップが、自宅の前で撃たれた朝 1995年3月30日、木曜日。午前8時31分ごろ、東京都荒川区南千住四丁目で発砲事件が発生した。現場は警察庁長官・國松孝次(当時58歳)の自宅マンション前だ。出勤のため玄関を出た國松に対し、待ち伏せていた人物が拳銃を4発発射した。 うち3発が腹部などに命中。國松は全治1年6か月と診断される重傷を負い、一時は生死の境をさま
給料日の夜、背中から撃たれた警部 1952年、昭和27年1月21日の午後7時42分頃。場所は北海道札幌市中央区南6条西16丁目付近の路上だ。札幌市警察本部警備課長・白鳥一雄警部、当時36歳。勤務を終えて自転車で帰宅する途中だった。 そこで何が起きたか。後方から自転車で接近してきた何者かに、拳銃で背後から狙撃された。心臓部に被弾し、まもなく絶命した。使われたの
山あいの公民館で、ぶどう酒を飲んだ女性が次々に倒れた 1961年、昭和36年の3月28日の夜だった。三重県名張市の葛尾、くずおと読むこの地区の公民館に、集落の人たちが集まっていた。農村生活改善クラブ、通称「三奈の会」の総会と懇親会である。人口はおよそ110人。山あいの、住民の顔と名前がぜんぶ一致するような小さな集落だ。 その席で、男性には清酒が、女性にはぶど
浄化槽から見つかった園児2人と、25年後の無罪 1974年、昭和49年の3月。甲山事件は、兵庫県西宮市の甲山山麓にあった知的障害児施設「甲山学園」で発生した事件である。 学園の敷地内にある浄化槽、つまり汚水槽から、園児2人の遺体が相次いで発見された。事故なのか事件なのか。見方は当初から分かれた。 捜査当局は殺人事件と断定し、当時学園に勤務していた保母、いまで
半世紀以上前、カリフォルニアの新聞編集部に一通の暗号文が届いた。差出人は自らを「ゾディアック」と名乗り、犯行声明とともに「もし今週の朝刊にこの暗号を一面に載せなければ、もっと大勢を殺す」と脅迫した。それから2026年の今日に至るまで、事件は一度も解決していない。犯人はおろか、本名すら分かっていない。新聞社を挑発の舞台に選び、警察を出し抜くゲームのように殺人と
ロサンゼルスのダウンタウンに、古びたホテルがそびえる。その屋上に、飲料水を溜めるための巨大な貯水タンクがある。2013年2月19日、そのタンクの中から、全裸の女性の遺体が発見された。宿泊客たちが「水が黒く濁っている」「蛇口をひねると水圧が異様に弱い」と、何度もフロントに苦情を入れた末のことだった。 遺体はおよそ19日間、誰にも気づかれずタンクの中に沈んでいた
1969年8月、サンフランシスコ・クロニクル紙をはじめとする湾岸地域の三つの新聞社に、奇妙な封書が届いた。差出人の名は「ゾディアック」。中には見慣れない記号がびっしりと並んだ暗号文が、三分割されて同封されていた。犯人はこう書き添えていた。「これを解読すれば、私の正体が分かるだろう」。 この一通の手紙こそが、アメリカ犯罪史上もっとも有名で、もっとも不気味な未解
空き地の白いものを、彼女はマネキンだと思った 1947年1月15日の朝、ロサンゼルスのレイマート・パーク。閑静な住宅街に隣接する空き地で、一人の若い母親が幼い娘の手を引いて歩いていた。雑草の生い茂る空き地の中に、白いものが横たわっている。それを見つけた彼女は、商店のショーウィンドウから捨てられたマネキン人形だと最初は思い込んだという。 しかし近づいてよく見る
死の山――氷点下30度の雪原に残された、9人分の「逃げた痕跡」 1959年2月、ソビエト連邦のウラル山脈北部。厚い雪に覆われたホラート・シャフイル山の斜面で、9人の熟練登山家からなる一隊が忽然と消えた。山の名は現地マンシ語で「死の山」を意味する。名前からして出来すぎているが、これは実話だ。 彼らは皆、ウラル工科大学に籍を置く学生や卒業生だった。当時の校名はウ
2011年から2012年にかけて、兵庫県尼崎市を震源地としてひとつの事件が発覚した。「尼崎連続変死事件」は、戦後日本の犯罪史のなかでもきわめて特異な位置を占めている。殺されたのは他人ではない。血のつながらない「家族」に取り込まれた人々が、その「家族」の名のもとに互いを殴り合い、追い詰め合い、そして死んでいった。 首謀者とされる角田美代子(当時64歳)は、逮捕
七人の死亡を一つの筋書きに押し込めない 北九州監禁殺人事件は、一人の加害者が次々に人を襲ったというだけの事件ではない。長期間の暴力と金銭的な搾取によって複数の人が外部とのつながりを断たれ、家族や身近な人同士で監視し、傷つけ、死亡させる行為まで担わされた。刑事裁判で審理されたのは、男性一人と、もう一人の被告人の親族六人、合わせて七人の死亡に関する殺人や傷害致死
三人の死亡と七件の財産犯罪 木嶋佳苗事件は、結婚相手を探すウェブサイトで知り合った男性三人に対する殺人と、別の男性たちを含む詐欺、詐欺未遂、窃盗が一つの裁判で審理された事件である。2017年4月14日の最高裁判決は、第一審が認定した犯罪を、殺人三件、詐欺三件、詐欺未遂三件、窃盗一件と整理している。通称だけを見て、交際した男性全員が殺害された事件、あるいは不審
山口県周南市金峰で起きた事件 2013年7月21日夜から22日未明、山口県周南市金峰の郷地区で、近隣に暮らす男女五人が相次いで殺害され、住宅二棟が放火された。山あいの小さな集落で一晩に複数の家が襲われたため、事件は全国へ大きく報じられた。 殺人、非現住建造物等放火などの罪に問われたのは、同じ地区に住んでいた保見光成である。事件後に姿を消し、警察は周辺の山林を
2008年10月1日未明、大阪ミナミの繁華街・難波で、日本の放火犯罪史に残る惨事が起きた。舞台は7階建て雑居ビルの1階。24時間営業の個室ビデオ店「試写室キャッツなんば店」で火災が発生し、16人が死亡、10人が重軽傷を負った。 逃げ場のない狭小な個室空間で、多くの客が眠ったまま煙に巻かれて命を落とした。この事件は「大阪個室ビデオ店放火事件」として今も語り継が
「福岡看護師バラバラ殺人事件」は、どこにも見つからなかった 最初に一つ、断っておく。この記事はもともと、「福岡看護師バラバラ殺人事件」というキーワードで取材依頼を受けて執筆を開始した。ところが各種報道と公的資料を確認した結果、その条件をすべて満たす事件は、信頼できる情報源では特定できなかった。 依頼にあった条件はこうだ。2010年前後に福岡県内で発生し、看護
住宅街へ流れた見えない毒 1994年6月27日夜、長野県松本市北深志の住宅街で、住民が次々に目の痛み、吐き気、けいれん、呼吸困難を訴えて倒れた。救急隊と医療機関は原因が分からないまま、多数の患者を受け入れた。後に、オウム真理教が製造した神経剤サリンを専用車両から加熱・気化させ、風に乗せて散布した化学テロだったと確定した。 当時、周辺には松本地方裁判所の裁判官
四人の失踪から明らかになった連続殺人 一九九三年、埼玉県北部で四人の男女が相次いで消息を絶った。四人はいずれも、犬の繁殖・販売業を営む「アフリカケンネル」の周辺にいた人物だった。会社の実質的な経営者だった関根元と、共同経営者の風間博子が捜査線上に浮かび、翌年末から一九九五年初めにかけて逮捕された。 確定判決では、四人は一九九三年四月から八月までの間に殺害され
1988年11月25日の夕方、東京都足立区の隣、埼玉県三郷市の道端で、自転車に乗って帰宅途中だった17歳の女子高生に、一人の少年が声をかけた。少年の名は、事件史の中で「少年A」と呼ばれることになる当時18歳の男だった。彼は「お前、ヤクザに狙われている」という、荒唐無稽としか言いようのない嘘を口にした。だが動揺した被害者はその場から動けなくなり、少年Aと共犯の
2017年10月31日、神奈川県座間市のとあるアパートの一室から、警視庁への「妹と連絡が取れない」という捜索願をきっかけに家宅捜索が行われた。捜査員が踏み込んだ部屋には、常識では考えられない光景が広がっていた。クーラーボックスや複数の箱の中から、切断された人体の一部が次々と発見されたのである。最終的にこの部屋からは、9人分の遺体の一部が見つかることになる。
1999年1月、埼玉県の大宮駅にあるゲームセンターで、一人の女子大学生が一人の男と出会った。男は「誠」と名乗り、年齢も職業も本当のことを話していなかった。先に言っておくと、この男は入口から嘘をついている。実際には彼は複数の風俗店の経営に関わる人物だった。二人は交際を始める。 この何気ない出会いが、わずか10ヶ月後に二重の悲劇へ発展することになるとは、当時誰も
序章 ― 白昼の丸の内に轟いた爆発音 1974年8月30日、午後0時45分。東京・丸の内、三菱重工業本社ビルの一階ロビー。昼休みの人波でにぎわうその場所で、突如として轟音が空気を裂いた。 爆風はビル一階部分を完全に破壊し、9階までのガラス窓をことごとく打ち砕いた。街路樹の葉は吹き飛び、衝撃波は遠く新宿にまで届いたと当時の証言者たちは語っている。 現場に居合わ
プロローグ ― 秋田県北の小さな町で 秋田県の北部、白神山地の南麓に位置する藤里町。人口4千人足らずの、静かな山あいの町だった。豊かな自然に囲まれ、夏には川遊びをする子どもたちの姿が風物詩になる。そういう、ごく平凡な地方の町だ。 その町が2006年、日本中のワイドショーとネット掲示板を席巻する凄惨な事件の舞台になる。住民の誰一人として、そんな展開は想像してい
2016年7月26日未明、神奈川県相模原市緑区にある知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で、元職員の男が入所者19人を刺殺し、職員を含む26人に重軽傷を負わせるという事件が起きた。単独犯による殺人事件としては戦後日本で最多の犠牲者数を記録し、しかも犯人が「意思疎通のできない障害者は不要である」という優生思想に基づく主張を臆面もなく展開したことで、事件は単な
2019年7月18日の午前、京都府京都市伏見区にあった京都アニメーションの第1スタジオが放火された。36人が死亡し、34人が重軽傷を負っている。犠牲者の数は、明治以降の日本で単独犯による殺人事件としては最も多い。国内だけの話では終わらず、世界中のアニメファンやクリエイターが言葉を失った。 犯人は事件当時41歳の男だった。2024年1月に死刑判決を受け、翌20
2008年6月8日日曜日、正午過ぎ。休日の秋葉原は歩行者天国でにぎわっていた。電気街を歩く買い物客、アニメショップ目当ての若者、外国人観光客。その雑踏に、1台の2トントラックが猛スピードで突っ込んだ。 信号を無視して交差点に進入した車両は歩行者5人をなぎ倒し、運転していた男はそのまま車を降りると、ダガーナイフを手に無言で歩行者を刺し始めた。犯行は瞬く間に17
2001年6月8日の午前10時過ぎ、大阪府池田市にある大阪教育大学附属池田小学校の校舎に、一人の男が出刃包丁を手に侵入した。授業中の教室を次々と襲い、抵抗する術を持たない低学年児童8人の命を奪った。児童13人と教職員2人に傷を負わせた、戦後の学校教育史上類を見ない惨劇である。 犯人は当時37歳の宅間守(たくままもる)。奇しくもこの事件は、7年後に東京・秋葉原
2008年3月、茨城県土浦市とその周辺で、一人の青年による連続殺傷事件が発生した。犯人は「生きる目的を見失った」ことを理由に挙げ、自ら死刑になるために無差別殺人を計画・実行したと供述している。犯人の名は金川真大(かながわまさひろ)、当時24歳。 この事件は、わずか3か月後に東京・秋葉原で発生する通り魔事件の直前に起きた類似事件として、しばしば並べて語られる。
2008年6月8日、日曜日の昼下がりのことだった。秋葉原・歩行者天国で起きた通り魔事件は、7人の命を奪い、10人を負傷させた。 この事件が残したものは、単なる凶悪犯罪の記憶だけではない。「派遣切り」「格差社会」「掲示板文化」「無敵の人」。その後の日本社会を語るうえで欠かせないキーワードを、この事件は次々と生み出した。そういう象徴的な事件として記憶されている。
二つの「愛犬家事件」を分けて読む 1990年代前半、「愛犬家連続殺人事件」と呼ばれる重大事件が大阪と埼玉で相次いで明るみに出た。どちらも犬を介した人間関係と金銭問題が背景にあり、遺体を見つかりにくくする工作が行われたため、現在も混同されやすい。しかし、犯人、被害者、犯行場所、殺害方法、裁判はすべて別であり、両事件の共謀を示す司法判断もない。 大阪愛犬家連続殺
1984年から85年にかけて、食品会社を狙う脅迫事件が相次いだ。犯人側は「かい人21面相」と名乗り、企業、警察、報道機関を巻き込むように文書を送り続けた。グリコ・森永事件と呼ばれるこの一連の事件は、最後まで実行者が特定されず、公訴時効を迎えている。 社長誘拐から企業脅迫へ 始まりは1984年3月、江崎グリコ社長の誘拐だった。社長は自宅から連れ去られたが、数日
1983年6月、東京都練馬区の住宅で一家5人が命を奪われた。事件の背景には、不動産競売で取得された家をめぐる立ち退き交渉があった。ネットでは発生年や生存者の続柄が変わり、未解決事件のように語られることもある。だが実際には加害者が逮捕され、裁判を経て刑が確定している。 競売物件をめぐる対立 事件が起きたのは1983年6月27日。被害に遭ったのは、練馬区大泉学園
2007年8月、名古屋市で帰宅途中の女性が見知らぬ男たちに連れ去られ、命を奪われた。男たちは事件の少し前、犯罪の仲間を募る匿名掲示板を通じて知り合っていた。名古屋闇サイト殺人事件は、顔も本名も知らない者同士が短期間で結びつき、現実の犯罪へ進んだ事件として大きく報じられた。 面識のない三人が集まった 三人の男は「闇の職業安定所」と呼ばれた掲示板で接点を持ち、2
「ロス疑惑」という呼び名は有名だが、名前だけが先に歩くと大事な線引きが抜け落ちる。三浦和義氏は、妻が銃撃されて亡くなった事件について、日本の裁判で無罪が確定している。一方、別の暴行事件では有罪判決を受けた。二つを混ぜて「全部無罪だった」「結局は犯人だった」と片づけることはできない。 ロサンゼルスで起きた二つの事件 1981年11月、三浦氏と妻の一美さんはロサ
1989年11月、横浜市で坂本堤弁護士と妻の都子さん、幼い長男の龍彦ちゃんが自宅から姿を消した。当時、坂本弁護士はオウム真理教をめぐる相談を受け、家族や元信者を支える活動に取り組んでいた。一家の行方がわかったのは約6年後。教団による事件だったことが、関係者の供述と捜査で明らかになった。 教団と向き合っていた弁護士 坂本弁護士のもとには、家族が教団へ出家した、
1996年5月、富山県に住む19歳の女性二人が、車で出かけたまま行方不明になった。二人は心霊スポットとして知られていた坪野鉱泉へ行くと家族に話していたが、車も見つからず、長いあいだ失踪事件として扱われた。2020年、二人の車は富山新港の海底で見つかった。 坪野鉱泉へ向かった夜 5月5日の夜、二人は氷見市を車で出発した。懐中電灯に使う品を購入し、魚津市方面へ向
2014年12月、名古屋市内で暮らしていた当時19歳の大学生が、知人の77歳女性を自宅に招き、命を奪った。加害者が口にしたとされる動機は大きく報じられたが、刺激の強い言葉だけを抜き出すと、被害者が一人の生活者だったことも、事件がどのように裁かれたかも見えにくくなる。 集会で知り合った二人 二人が知り合ったのは宗教団体の集会だった。2014年12月7日、加害者
2019年5月28日の朝、川崎市の登戸駅近くで、スクールバスを待っていた児童と保護者が男に襲われた。児童1人と保護者1人が亡くなり、児童や保護者ら18人が負傷した。男も現場で自らを傷つけ、搬送先で死亡したため、裁判は開かれず、動機も確定していない。 通学の列が襲われた朝 現場では、カリタス小学校の児童と保護者がスクールバスを待っていた。男は列に近づき、短い時
2007年から2013年にかけて、近畿地方で高齢男性への殺人と殺人未遂が続いた。裁判で責任を問われたのは筧千佐子。結婚相談所などを通じて知り合った男性に青酸化合物を飲ませ、財産を得ようとしたとして、3件の殺人と1件の殺人未遂で有罪となった。 交際相手の死から捜査が広がった 捜査が大きく動いたきっかけは、2013年12月に交際相手の男性が亡くなったことだった。
「鳥取連続不審死事件」という呼び名から、六つの殺人が一度に裁かれたと思われがちだ。実際に強盗殺人として起訴され、有罪が確定したのは二人の男性の死亡についてである。周辺で確認された別の死まで同じ事件として断定すると、捜査と裁判が引いた線を越えてしまう。 詐欺事件から始まった捜査 2009年11月2日、鳥取県警は当時36歳の女性を詐欺容疑で逮捕した。交友関係や金
戸塚ヨットスクール事件は、「厳しい教育だったのか、行き過ぎだったのか」という曖昧な話ではない。訓練中の暴力によって生徒が亡くなり、指導者らの刑事責任が認定された事件である。保護者が入校に同意していても、教育を名乗っていても、生命や身体を傷つける行為は正当化されない。裁判が19年かけて示した線引きは重い。 ヨット教室から更生施設へ 戸塚宏が愛知県美浜町にスクー
1994年6月17日、金曜の夕方。アメリカ人の多くはNBAファイナルを見ていた。ヒューストン・ロケッツ対ニューヨーク・ニックス、第5戦だ。その中継が、なんの前触れもなくロサンゼルスの高速道路の空撮に切り替わる。
トスカーナの丘は、写真で見るとほんとうに綺麗だ。糸杉の並木、ブドウ畑、夕方になると空がオレンジから紫に変わる。その同じ丘で、十七年にわたって、車の中にいた若いカップルが撃たれ続けた。撃った銃はずっと同じ一挺だ。犯人は捕まっていない。
マンチェスターの東に、サドルワース・ムーアという高地がある。泥炭とヒースに覆われた、風ばかり強い場所だ。晴れた日はちゃんと美しい。ただ、地元の人間はここを「美しい」とだけでは呼ばない。
山形県新庄市。一月の新庄は特別豪雪地帯で、午後四時を回ればもう外は青黒い。屋根から下がったつららが街灯にぼんやり光って、除雪された雪の壁が歩道の両側にそびえている。神室連峰から吹き下ろす風が、校舎の窓をカタカタ鳴らす。
ミルウォーキーという街の名前を聞いて、まずビールを思い浮かべる人と、まず一九九一年七月の匂いを思い浮かべる人がいる。後者にとってこの街は、いまだに終わっていない話だ。十七人が殺され、そのうち何人かは、助かるはずだった。
ノルウェー第二の都市、ベルゲン。町を囲む七つの山のうち、いちばん高いウルリーケンの北面に、イースダーレンという谷がある。意味はそのまま「氷の谷」。
一九六八年、昭和四十三年の二月の終わり。静岡県の内陸、大井川をどこまでもさかのぼった先にある寸又峡温泉という小さな湯の集落に、日本じゅうの報道機関が集まった。集落といっても大げさなものじゃない。
二〇一三年の夏、住民わずか十数人の山あいの集落で、一晩のうちに五人が殺された。窓に貼られた一枚の川柳が全国に拡散して、この事件は「平成の八つ墓村」と呼ばれるようになる。
ボストンのフェンウェイ地区に、ヴェネツィアの宮殿をそのまま持ってきたような建物がある。中庭には一年中花が咲いていて、上の階の壁には世界的な名画が掛かっている。そのうち何枚かは、中身のない額縁だけが掛かっている。
夜明け前の海辺に、女の悲鳴が響いた。二〇一〇年五月一日、ロングアイランドの南岸にあるオーク・ビーチという小さな集落でのことだ。住民は五十世帯ほど、道は行き止まり、外から来る人間はまずいない。
一九七〇年代のアメリカ西海岸で、若い女性が次々と消えた。共通していたのは、犯人像がまるで「怖くなかった」ことだ。目撃された男は身なりがよく、話し方が丁寧で、腕をギプスで吊っていたり松葉杖をついていたりした。
シカゴの北西、ノーウッドパーク・タウンシップという名前の、地図の上ではどうということもない住宅地がある。一九七〇年代、そこのサマーデイル通り八二一三番地には、みんなが「いい人」と呼ぶ男が住んでいた。
フロリダの真ん中を、州間高速道路75号線が南北に貫いている。東側には95号線が海沿いを走り、その二本を横糸のようにつなぐかたちで、国道19号線だの州道だのが果てしなく伸びている。
##その夏、ニューヨークの女たちは鏡の前で髪を切った一九七七年の夏、ニューヨーク市の美容室には妙な行列ができていた。注文はだいたい同じだった。短くしてほしい、それから色を変えてほしい。長い黒髪の女性が肩より上まで切り落とし、明るい髪の女
ロストフ州の郊外には、線路と並んで細長い雑木林が延びている。ロシア語でレソポローサ、防風林とか林帯とか訳される、あの帯みたいな森だ。冬は葉が落ちて透けるが、夏は数メートル入っただけで人の姿が見えなくなる。列車の窓から見ると、ただの緑の筋
二〇一三年五月六日の夕方、オハイオ州クリーブランドの通信指令センターに一本の電話が入った。声はうわずっていて、息が上がっていて、背後で子どもの泣き声がしていた。オペレーターが用件を訊くと、女性はこう言った。助けて、私はアマンダ・ベリー、
アメリカには「ホッファはどこにいる」という決まり文句がある。誰かが行方不明になったとき、荷物が届かないとき、探し物が見つからないとき、とりあえずこう言っておけば場が持つ。それくらいこの名前は骨の髄まで染み込んでいる。でも、その冗談の元に
##二〇〇〇年七月一日、彼女は「海に連れて行かれる」と言い残したその日の東京は、梅雨明け前のじっとりした土曜日だった。ルーシー・ジェーン・ブラックマンは二十一歳。イングランド南東部ケント州セブンオークスの出身で、少し前まで英国航空の客室
##湖のそばの家で、あの夜は静かに始まったまず時計を一九五四年七月三日の夜まで巻き戻す。舞台はオハイオ州クリーブランドの西のはずれ、エリー湖に面したベイビレッジという小さな町だ。人口は当時で一万人ちょっと。湖沿いのレイクロードには、医者
##鹿撃ちの初日、町の金物店から灯りが消えなかった一九五七年十一月十六日、土曜日。ウィスコンシン州の中部にある小さな村プレインフィールドは、その日、朝から人の姿が少なかった。鹿猟の解禁初日だったからだ。中西部の田舎町にとって、この日はほ
郵便受けを開ける。ただそれだけの動作が、町ぜんぶの恐怖のスイッチになった時代がある。舞台はアメリカ中西部、オハイオ州の小さな町サークルビル。人口一万三千人ほど。年に一度のパンプキン・ショーには四十万人が押し寄せるが、それ以外の三百六十二
##昼過ぎに出た路線バスが、翌朝には全国生中継の的になっていた二〇〇〇年五月三日、ゴールデンウィークのど真ん中。佐賀の街をいつも通りの時刻に出発した高速バスが、その日の深夜には広島県の山あいのサービスエリアで、報道各社のカメラの砲列に囲
白い都市が建つ前、シカゴの六十三丁目はまだ泥の道だった 一八九三年のシカゴと聞いて、まず思い浮かぶのはたぶん「白い都市」だ。ジャクソン・パークの湖畔に、真っ白な列柱と円蓋の建物群がずらりと並ぶ。夜になれば電灯の光が水面に映った。世界コロ
##一九四三年四月十八日、四人の少年は「見なかったこと」にして森を出たその日のハグリー・ウッドは、たぶん気持ちのいい日だったと思う。四月半ばのイングランド中部、ウスターシャー。冬の湿り気がやっと抜けて、下生えのブルーベルが色を出しはじめ
##一九八二年七月十五日、川に浮いていたのは十六歳の少女だったワシントン州キング郡を流れるグリーンリバーは、名前のとおり緑がかった水の色をした、どこにでもあるような川だ。カスケード山脈のふもとから流れ出して、ケントやオーバーンといった郊
##十三人が死んだ五年半と、犯人が「安全だ」と感じていた理由イングランド北部、ウェスト・ヨークシャー。1975年から1980年までの五年半で、13人の女性が殺された。生き延びた人が少なくとも7人いる。犯人はずっと同じ男だった。ピーター・
##「コートはいらないよ、おばあちゃん。今夜はいらない」一九七八年二月二十四日の金曜日。カリフォルニア州北部の内陸は、雲ひとつない夜だった。空には半月。フェザー川の上流、シエラネバダの山肌には四メートルを超える吹きだまりができていた。た
十四歳の羊飼いが、夕方の牧草地で首を裂かれて死んだ。一七六四年六月三十日のことだ。それから三年間、フランス中南部の高原地帯では、同じ死に方をした人間が百人近く積み上がっていく。犠牲者のほとんどが女と子ども。国王ルイ十五世は軍隊を送り、王
一九六六年一月二十六日、オーストラリア・デーの朝。アデレード郊外ソマートン・パークの家の門で、母親が三人の子どもを見送った。九歳のジェーン、七歳のアーナ、四歳のグラント。バスで五分の海に行って、お昼までに帰ってくる。ただそれだけの約束だ
1982年9月29日、朝6時33分。シカゴ郊外エルクグローブビレッジの一軒家から、消防に通報が入った。「娘が倒れた。救急車をよこしてくれ」。父親の声だった。この一本の電話から、アメリカという国の薬棚の風景が、そして数年後には日本のスーパ
一八二八年のエディンバラで、二人の男が十か月ちょっとの間に十六人を殺した。動機は怨恨でも狂気でもない。一体につき八ポンドから十ポンド。それだけだ。買い手は街で一番人気の解剖学講師で、死体の出どころを一度も訊かなかった。この話が怖いのは、
町の人はみんな、彼のことを「いい先生」と呼んでいた。話をちゃんと聞いてくれる。往診を嫌がらない。年寄りに優しい。イギリス北部の小さな町で、二十年以上そう言われ続けた男が、実は患者を殺し続けていた。しかも二百人以上。信じられない話だが、も
東京のど真ん中で、人がひとり消えた。しかも、次の大統領になるかもしれないと言われていた男が、である。1973年8月8日、午後1時19分。千代田区飯田橋一丁目一番一号、ホテルグランドパレスの地下駐車場から、一台のスカイライン2000が滑り
1974年から1991年まで、アメリカ中西部の小さな都市が、名前も顔も知らない一人の男に十七年間おびえ続けた。そして犯人が捕まったのは、最後の殺人から十四年も経った2005年のことだ。捕まえたのは執念の張り込みでも密告でもない。犯人自身
##十一月一日、丘の上の街で時計が止まったイタリア中部ウンブリア州、ペルージャ。石畳の坂と中世の城壁でできた、人口十六万ほどの小さな街だ。だがこの街には妙な二重構造がある。地元の暮らしがある一方で、外国人大学と国立大学が毎年何千人という
まず正直に言っておく。この事件、怖い。ただ怖がって消費するには重すぎる話でもある。死んだ八人のうち六人が子どもだ。いちばん下は五歳。だから今回は、ゾクッとする細部を全部書きながら、同時に「この人たちは実在した」という一線だけは絶対に踏み
昭和三十八年の秋から冬にかけて、この国はひとりの男の顔写真をひたすら見せられ続けた。新聞にも出た。テレビにも出た。交番の掲示板にも、駅の壁にも、町内の掲示板にも貼られた。それでも男は捕まらなかった。七十八日間、九州から北海道まで移動しな
##一九四六年二月二十二日、金曜の夜十一時四十五分その夜、テキサーカナは冷えていた。二月の南部の夜というのは中途半端に寒い。コートを着るほどでもないが、車の窓を開けっぱなしにするには気が引ける。そんな温度だ。ジミー・ホリス、二十五歳。保
一九六九年七月十日、大西洋のど真ん中で、一隻のヨットが誰も乗せずに漂っていた。帆は上がったまま。船内は片づいていて、争った跡もない。食料も残っている。救命いかだも甲板に縛られたまま。ただ、人間だけがいなかった。船の名前はテインマス・エレ
フランス東部、ヴォージュ県。モミの森が黒く立ち上がり、谷底をヴォローニュ川が音を立てて流れていく。観光ガイドなら「静かで美しい渓谷」と書くところだ。ところがこの谷の名前は、フランス人にとってまったく別の意味を持っている。1984年10月
木曽川と長良川。どちらも濃尾平野をゆったり流れる、地元の人にとっては散歩コースだったり釣り場だったり、要するに何でもない川だ。堤防にのぼると風が抜けて、対岸の灯りがぽつぽつ見えて、若い連中が夜中に集まって缶コーヒー飲みながら喋っている、
一九七〇年三月三十一日の朝、羽田空港は普通に混んでいた。春休みの終わりで、家族連れがいて、出張のサラリーマンがいて、学会に向かう医者がいた。日本航空三五一便、羽田発福岡行き。機材はボーイング727、機体記号JA8315、愛称は「よど号」
##一九九八年三月二日、月曜の朝――十歳の少女が、生まれて初めて一人で学校へ向かったウィーンの二十二区ドナウシュタットは、市の中心から地下鉄で北東へ二十分ほど走った先にある。旧市街の絵葉書みたいな石畳とは縁のない、戦後に建てられた巨大な
十七年間、アメリカで最も探された男には顔がなかった。指紋も出ない。目撃者もほとんどいない。動機すら読めない。爆弾は大学の研究室に届き、航空会社の社長の家に届き、パソコン屋の駐車場に置かれ、そのたびに誰かの指が飛び、目が潰れ、そして三人が
1969年8月9日の朝、六〇年代が終わった ロサンゼルスに住む人間の多くは、1960年代が1969年8月9日に終わったと思っている。作家のジョーン・ディディオンが、そういう意味のことを書き残している。シエロドライブで何があったかという知
オーストリアの地方都市に、どこにでもある三階建ての家があった。通りに面し、下宿人を置き、庭には子供用のプールがあった。その床下に、二十四年間だれも入れない空間があった。この事件の不気味さは、結局のところ「一見して普通だった」という一点に
##生きていれば、今年ちょうど100歳になるフランク・リー・モリスは1926年9月1日生まれだ。つまり2026年の今年、9月が来れば100歳になる。もし生きていれば、の話だけどな。この「もし生きていれば」が、60年以上経った今もまだ生き
資産家が自宅の寝室で死んでいた。死因は急性覚醒剤中毒。三か月前に五十五歳年下の女性と結婚していた。この三行だけで、日本中のワイドショーが一年以上食べていけるだけのカロリーがあった。だが裁判は、世間が浮かべていた絵とは全然違うところへ着地
ドイツ・バイエルンの片田舎に、地図に載らないくらい小さな農場があった。1922年の春、そこで六人が殺された。犯人は逃げなかった。数日間その家に住み、家畜に餌をやり、パンを食べ、暖炉に火を入れていた。そして誰にも捕まらないまま、百年が過ぎ
カリフォルニアには、三人の怪物がいたことになっていた。ヴィセイリア荒らし、東エリア強姦魔、オリジナル・ナイトストーカー。別の郡、別の年代、別の手口。別の事件だと思われていたんだよな。 実際には、全部が同じ男の仕業で、しかもその男は現役の
##昭和十三年五月二十一日、午前一時四十分の闇岡山県苫田郡西加茂村。いまの津山市加茂町行重にあたる山あいの一帯に、貝尾(かいお)と坂元というふたつの小さな集落があった。事件当時の貝尾は二十三世帯、住人は百十一人。田んぼと畑と、山の斜面に
2019年9月21日。土曜日。世間は三連休の初日で、山梨県南都留郡道志村のキャンプ場はどこも家族連れで埋まっていた。空は曇り。標高700メートル前後の谷あいは、9月下旬でもう半袖だと少し肌寒い。道志川のせせらぎと、あちこちのサイトから漂
地図を開いて、栃木県足利市と群馬県太田市のあいだにコンパスを当ててみてほしい。半径10キロも広げれば、この事件の現場は全部その中に入る。こんなに狭い。1979年から1996年までの17年間に、この圏内で五人の幼い女の子が行方不明になって
大分市六坊町。いまの六坊南町にあたる一帯に、「みどり荘」という名前のアパートがあった。学生や若い社会人が住む、どこにでもある二階建てのアパートだ。1981年6月28日の午前0時40分過ぎ。外出先から帰ってきた姉が、部屋の台所で仰向けに倒
この事件の話をするとき、どこから始めるかでいつも迷う。だから、いちばん信じられない瞬間から行く。2000年1月28日、午後1時30分。新潟県柏崎市の住宅街にある、どこにでもある2階建ての一軒家に、12人の大人が集まっていた。医師を含む医
2002年8月4日、日曜日。イングランド東部、ケンブリッジシャー州の小さな町ソハム。夏の夕方の、なんでもない時間だった。町の中心からほど近い一角に、10歳のホリー・ウェルズが住んでいた。その日、親友のジェシカ・チャップマンが遊びに来てい
「早く出して」と亡霊が言った、という一文が二十年以上ネットを回り続けている。大久保清事件の留置場で語られた悪夢と、群馬の各地に生まれた心霊スポットの五十年を、どこまで辿れて、どこから先が辿れなくなるのかで仕分けし直していく。
占領下の日本には、いくつもの解けない事件が残された。だがそのなかでも別格の重さを持つのが、下山事件になる。1949年、昭和24年の7月。発足してわずか二か月足らずの日本国有鉄道で、その初代総裁が出勤途中に消えた。そして翌日の未明、常磐線
1995年3月20日、月曜日。東京の朝は、いつもと変わらない通勤ラッシュから始まっている。営団地下鉄、いまの東京メトロの霞ケ関駅は、首都の心臓部とも呼べる駅だ。中央官庁の職員や周辺企業のビジネスパーソンが、乗り換えのために行き交う。その
この話は、終わりのほうから始めたほうがいいような気がする。1997年7月29日、福井市。福井駅の近くに、カウンターだけの小さなおでん屋があった。こういう店には、当然のように常連がつく。そのなかに、よくしゃべる中年の女性客がいた。酒を飲む
1968年12月10日、東京都府中市。師走のよく晴れた朝に、たった3分の出来事が起きた。奪われたのは当時の金額で約2億9430万7500円になる。誰も殺されていない。誰も殴られていない。拳銃は一発も撃たれなかった。それなのに、この事件は
1986年3月19日の夜、福井市の市営住宅で、中学3年の女子生徒が自宅で殺害された。その日は多くの生徒にとって卒業式である。新しい生活を思い描いていていい季節に、彼女の未来だけが断ち切られた。母親が仕事に出たあと、彼女は一人で家にいた。
その夜、ストックホルムの歩道には雪解けのぬかるみが残っていた。2月の終わりの、いかにも北欧らしい湿った寒さ。時刻は23時21分30秒。一国の首相が、護衛もつけずに妻と並んで歩いていた。映画の帰りだった。背後から男が近づき、至近距離で一発
インディアナ州の真ん中に、人口三千人にも満たない小さな町がある。デルファイ。トウモロコシ畑と運河跡と、郡庁舎のある広場。町の名前を全米が知ることになったのは、二〇一七年二月一四日のことだ。前日から行方がわからなくなっていた二人の少女が、
一九五七年二月のフィラデルフィア。北東の外れにある雑木林で、段ボール箱がひとつ、ゴミの山の脇に転がっており、ふたは開いていた。中には、裸の男の子が入っており、その子には名前がなかったのだ。正確に言えば、名前はあったはずなのに、誰もそれを
一九七七年の秋、日本という国は、たった五日間で自分の背骨がどこにあるのかを世界に見せてしまった。舞台はバングラデシュの首都ダッカ。パリを出て東京へ向かうはずだった日本航空四七二便が、インドのボンベイを飛び立った直後に乗っ取られた。そのま
雪の斜面に、三角屋根の建物がぽつんと立っており、標高は千メートル少々。窓のガラスはほとんど割れ、白い壁には黒い穴があいている。周囲を埋めているのは、青いヘルメットと、装甲車と、湯気の立つ紙のカップだ。1972年2月28日の夕方、日本中の
飛行機がまるごと一機、消えた。乗っていた115人も一緒に消えた。それが1987年11月29日の話で、いまが2026年。三十八年以上たった。なのに遺体はひとかけらも家族の手に戻っていないし、機体も正式には引き揚げられていない。犯人とされる
大阪の住宅街のど真ん中で、銀行がまるごと人質になり、しかも四十二時間。中で何が起きていたかを知ると、たいていの人は言葉を失う。四人が撃ち殺され、女性行員が全裸で窓辺に並ばされ、行員が同僚の耳を削がされた。これは都市伝説でも実話怪談でもな
1998年7月25日。和歌山県和歌山市の園部地区は、いつもどおりの夏だった。地元自治会が毎年やっている「園部夏祭り」の日で、公園には櫓が組まれ、屋台が並んでいたのだ。子どもたちは金魚すくいと花火に夢中だった。名物のひとつが、住民が持ち回
1963年11月22日、金曜日。アメリカ合衆国第35代大統領ジョン・F・ケネディは、テキサス州ダラス市を訪れていた。翌年の大統領選挙を見据えた政治活動の一環である。テキサスは民主党内でも保守派と革新派の対立が根深い土地だった。ケネディに
1993年8月10日、山梨県甲府市。甲府信用金庫の本店に一本の電話が入った。相手は地元の月刊誌の記者を名乗る。その年の春に入ったばかりの新人職員を取材したい、という申し出だった。名指しされたのは内田友紀さん、当時19歳。信用金庫に勤めて
2014年3月8日の未明。マレーシアの首都クアラルンプールにある国際空港から、一機の旅客機が北京へ向けて出発した。マレーシア航空370便。機材はボーイング777-200ER型機で、機体記号は9M-MRO。搭乗していたのは乗客227人と乗
北海道北斗市に七重浜という浜がある。函館駅から海沿いに西へ走って、国道227号から228号に出た先。いまはスーパーやドラッグストアや大型量販店が並ぶ、どこにでもある郊外の風景だ。夏場には海水浴場も開く。ビーチパラソルが立って、子どもが。
ニューヨークのミッドタウンに、口紅を立てたような形のビルがある。赤い花崗岩でできた34階建ての楕円形のタワーで、みんな「リップスティック・ビル」と呼んでいた。住所はサード・アベニュー885番地。1980年代半ばに完成したこのビルの、最。
二〇〇四年二月九日の夜、アメリカ・ニューハンプシャー州の山あいの道で、二十一歳の看護学生が消えた。事故を起こした車の前に立っているところを、通りかかった近隣住民がはっきり見ている。会話もしている。そのおよそ十九分後、警官が現場に着いた。
一九七九年七月末のアトランタは、うんざりするほど暑かったらしい。ジョージア州の夏は湿気が肌にまとわりつくやつで、道路のアスファルトは午後になると柔らかくなる。その日、市の南西部にあるニスキー・レイク・ロードという道の脇を、ひとりの女性。
一九七六年から七七年にかけての十三か月、アメリカ・ミシガン州デトロイト北郊のオークランド郡で、四人の子どもが消えた。そして数日から十九日という「空白」ののち、道端や駐車場や雪の吹きだまりに、遺体となって戻ってきた。四人とも体をきれいに。
一九八五年の夏、南カリフォルニアの家々から、ある習慣が消えた。窓を開けて寝る、というだけの、当たり前すぎて誰も意識していなかった習慣だ。
1971年、昭和46年の3月から5月にかけて。約二か月のあいだに、群馬県内で女性八人が相次いで殺害された。戦後日本の犯罪史に残る連続殺人になる。加害者は当時35歳の大久保清という男だった。大久保が乗り回していたのは、白いマツダ・ファミリ
