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ミステリー事件簿

オカルト総合資料館

ミステリー事件簿

記録の残る事件を中心に、確認できる事実と未確認の説を切り分けます。

214件の記事を収録しています。

七人が巻き込まれた六年間 舞台は福岡県北九州市、時期は1996年から2002年にかけてだ。7人を監禁したのは、松永太と緒方純子の二人だ。電気ショックや虐待で、被害者を支配した。殺害後、遺体を解体して遺棄した。 発覚のきっかけは、17歳の少女が逃げ出したことだ。2002年、2人は逮捕された。判決は松永に死刑、緒方に無期懲役。犯行の主導性と残虐性が考慮された。

事件の経緯 時期・場所 1988年11月―1989年1月東京都足立区 事件内容 17歳女子高生を拉致し、40日以上監禁。 暴行を繰り返し殺害後、遺体をコンクリート詰めで遺棄。 事件が残したもの 少年たちの冷酷さと遺体処理の異様さが際立つ。 解決状況 1989年に少年4人が逮捕。 判決理由 主犯らに懲役4―20年。 当時少年法適用で軽い量刑とされた。 背景 加

事件の経緯 ☆ 理由: 無差別テロの規模と影響が大きい 時期・場所 1995年3月20日東京都内地下鉄 事件内容 オウム真理教がサリンを散布し、13人死亡、約6300人負傷。 事件が残したもの 計画的な化学兵器使用と日常空間での大量被害が恐怖を呼ぶ。 解決状況 麻原彰晃ら幹部が逮捕。 判決理由 麻原ら13人に死刑。 2018年に執行。 テロの主導性が認められ

1993年の話だ。バブルがはじけたばかりなのに、世の中はペットブームで妙に浮かれていた。そんな空気のなかで、埼玉県熊谷市の周辺を舞台に、犬を売り買いする人たちの間でこの事件は起きた。単なる猟奇殺人としてより、信じていた業者に裏切られた消

二〇〇八年十月一日、難波の地下のような店で 午前三時前、大阪市浪速区難波中の個室ビデオ店で火災が起きた。 店は七階建て雑居ビルの一階にあり、約二百三十九平方メートルの中へ三十二の個室が並んでいた。試写室の区画には外へ通じる窓がなく、客は受付側にある一つの出入口を通って店外へ出る構造だった。 深夜パックを利用して眠っていた人、ヘッドホンを着けていた人もいた。

2003年6月20日、福岡市東区で暮らしていた夫婦と、二人の子どもの命が奪われた。被害者は一家四人。遺体は自宅から運び出され、博多湾で発見された。 逮捕、起訴されたのは、当時福岡で暮らしていた中国籍の男三人だった。一人は日本で身柄を確保され、二人は事件後に中国へ渡ったため、同じ事件の被告が日本と中国に分かれて裁かれることになった。日本側では死刑判決が確定し、

事件の経緯 ☆ 理由: 繁華街での突発的な攻撃 時期・場所 2008年6月8日東京都秋葉原 事件内容 25歳男がトラックで通行人をはね、ナイフで刺し、7人死亡、10人負傷。 事件が残したもの 日常空間での無差別性が恐怖を呼ぶ。 解決状況 現場で逮捕。 判決理由 死刑確定。 計画性と被害規模が重く判断された。 背景 社会への不満をネットで予告。 孤立感が犯行の

1992年3月5日の夕方から翌6日の朝にかけて、千葉県市川市幸のマンションで一家四人が殺害された。亡くなったのは四十二歳の父親、母親、八十三歳の祖母、四歳の次女。十五歳の長女も重傷を負い、長時間にわたって拘束されたが、生き残った。 犯人は捕まっている。逮捕された男は、犯行時十九歳だった。千葉地方裁判所は1994年に死刑を言い渡し、東京高等裁判所も最高裁判所も

出回っている説明を、まず並べておく まず、世の中でよく出回っている説明の方を先に置いておく。事件が残したものとして真っ先に挙がるのは、身内への長期虐待と、遺体処理の異様さが際立つところだ。解決状況の欄はあっさりしている。2012年に主犯逮捕、美代子は拘留中自殺。判決理由の欄はもっと短く、共犯者に死刑・無期懲役とだけある。 理由として添えられているのは、これだ

事件の経緯 理由は、駅構内での無差別殺人。時期は1999年9月8日、場所は東京都池袋駅。事件内容として、34歳の男が駅構内でナイフを振り回し、2人が死亡、6人が負傷した。 事件が残したものは、日常の公共空間で起きる突発的な暴力が誘う恐怖。 解決状況は、現場で逮捕となった。 判決理由の項は、無期懲役。 無差別性と被害の重大性が認められた。 背景は、社会への不満

受話器の向こうの沈黙 あの無言電話は、彼女からのSOSだったのか。それとも、まったく別の存在の仕業だったのか。 数分で消えた主婦と、大阪と米子からの電話 ミステリアス度が高いと言われる理由は、短時間での失踪と無言電話という組み合わせが、どうにも超自然的に見えるところにある。 神隠しの概要はこうだ。1998年5月3日、群馬県前橋市三夜沢赤城神社で、主婦・志塚法

1989年3月7日の朝、徳島県美馬郡貞光町、現在のつるぎ町で、当時四歳だった松岡伸矢さんが行方不明になった。徳島県警察の公開情報は、茨城県牛久市に住んでいた伸矢さんが帰省中に所在不明となり、現在も発見に至っていないと記している。 この失踪は「父親が四十秒ほど目を離した間に消えた」と語られ、神隠し事件の代表例のように扱われてきた。だが、公的に確認できる情報は驚

1991年3月15日、三重県四日市市で、当時八歳だった加茂前ゆきさんが自宅を出たまま行方不明になった。三重県警察は現在も公式サイトで情報を求めている。発生時刻は午後2時30分ごろ。水色地に水玉模様の長袖ブラウス、薄茶色のスカート、黒いビニール靴を身につけていた。警察はそう公表している。 数年後、家族のもとへ「ミユキ カアイソウ」で始まる怪文書が届いた。そう伝

最初に結論を書く 「一九八六年十一月十三日、大阪市内で女子大生がタクシーに乗った後、行方不明になった。運転手は自宅近くで降ろしたと証言したが、その後の足取りは途絶えた」 ウェブ上では、この短い話が「大阪女子大生タクシー失踪事件」として紹介されている。事件名、発生日、場所、被害者の属性を組み合わせても、確かな出どころへは届かない。警察発表、裁判記録、当時の報道

新冠町で一家四人が消えた、という話 一九七三年八月、北海道新冠町の農家から、夫婦と子ども二人が消えた。財布も通帳も家財道具も、家から持ち出されていなかった。食卓には食べかけの料理が残り、洗濯物は干したまま。出だしから不穏な空気。 家の裏には四人分の足跡があり、山林へ続いていた。捜索隊がその跡を追った。行き着いた先は大木の前。跡はそこで、突然途切れた。引き返し

「1938年ごろ、京都府の竹林寺で、深夜の勤行を終えた尼僧が姿を消した。本堂の外には草履だけがきちんとそろえて残されていた」 この短い話は、神隠しを集めたウェブ記事で紹介されている。中身はこれだけだった。夜の寺、名の分からない尼僧、戦時下の昭和、そして残された一足の草履。怪談を形作る材料は、これ以上ないほど整っている。ただ、実在の失踪事件として確認するための

空に溶けた、という一行だけ 事件の経緯として残っているのは、たった一行しかない。 「空に溶けたように跡形もない」。 これだけだ。名前もなければ町名もなく、誰が捜したのかも書かれていない。跡形もない、と書いた側の跡もない。まずはその奇妙さを頭に入れてから先へ進んでほしい。 ネットに転がっている話の全文 元になっている記述はごく短い。ミステリアス度は星ひとつ、そ

旅館の玄関先から、細い小径がのびている。そこで6歳の女の子が、ほかの宿泊客の子どもたちと虫取り網を振り回していた。荷をほどいたあとの、夕食までのほんの短い時間だ。ここまでが、出回っている筋書きの前半になる。場所は静岡県の伊豆半島。日付は

1992年5月10日、長野県北佐久郡に住む六十代の夫婦が山菜採りへ出かけた。林道には施錠された車が残り、二人分の足跡は山中で途切れていた。警察、消防団、住民が捜索したが、夫婦も持ち物も見つからなかった――。 神隠しを集めたウェブ記事で、この出来事は「長野県山中夫婦失踪事件」と呼ばれている。しかし、夫婦の氏名、住所、入山した山、車の発見場所、届け出た警察署が記

1981年6月20日、弘前市に住む三十代の男性が、一人で岩木山へ入った。夕方になっても帰らず、翌日の捜索で登山道にリュック、水筒、地図が整然と並べてあるのが見つかった。本人だけが消え、現在まで行方は分からない――。 神隠しを集めたウェブ記事は、この話を「青森県岩木山失踪事件」として紹介する。岩木山が古くから信仰を集める山であることは確認できる。登山者の遭難が

経緯として書けることが、まだ無い 経緯を確かめようと資料に当たっても、返ってくるのは該当記述なし。手がかりが無い。この話は、そこから始まる。 どんな話として出回っているのか 滋賀県の山村で、人体の一部を煮沸して作られた「人肉風呂」が発見されたとされる事件。出回っているのは、そういう話だ。この風呂は呪術や医療目的で使用されたとの記録が残るが、詳細は不明のままだ

赤子を薬にしたという、明治25年の噂 江戸時代から続く迷信が、この話の土台にある。特定の遺体には薬の効き目があるという考えが、明治に入ってもまだ生き残っていた。 焼いて、粉にして、妙薬として売る 伝わっている中身そのものは、驚くほど短い。三重県で、赤子の遺体を焼いて「黒焼き」と呼ばれる呪術的な材料や薬に仕立てた事件が報告された。骨組みはそれだけだ。 この行為

確かな経緯として書けること 該当記述なし 世間ではこう語られてきた 語られている中身はこうだ。東京の貧困層地域で、少年の臀部から肉を切り出し、スープとして調理したという事件。 事実か誇張された噂かは不明だ。 下地はある。根っこにあるのは、都市部の貧困と犯罪の増加だ。食人行為の噂が、その恐怖を煽った。 有名な話だ。明治の猟奇事件の代表例で、都市伝説としていまも

経緯を並べようとすると、何も出てこない 事件の経緯としてまとめられる記述が無い。日付順に並べたいところだが、並べるだけの材料が確認できていない。だから、ここは空欄のままにしておく。 語られているのは、こういう話だ 内容はごく短い。大阪で、切断された首を焼いて「黒焼き」にしたとされる事件。まあ、一行で言い切れる程度の情報しか出てこない。呪術や薬効を目的とした行

明治の怪奇事件を九つ並べたまとめがある。五番目が、明治三十九年の神奈川県を舞台にした「脳みそ売買事件」で、怖さの欄には星が四つ付いていた。ところが、説明は二文しかない。中身は、ほぼゼロ。三行目は、ない。一文目は、神奈川県で人間の脳が売買

経緯の欄には、何も書かれていない 事件の経緯として順に並べられる記述は、該当記述なし。年表の形で確定していることが、そもそも用意されていない。欄は空っぽだ。だから、まずは語られている話のほうから入る。 長野の山で、肝が抜かれた 長野県で、「勝太郎」と呼ばれる人物が他人の肝臓を摘出したとされる事件。話の芯はそれだけだ。肝臓は漢方や呪術で重宝された。だから狙われ

経緯を追いたいのに、追う材料がない 事件の経緯を順に並べたいところだが、そこに当たる記述が元の紹介文には一行も無い。該当記述なし、とだけ書いておく。 まとめ記事に並んでいた、たった四行 怪奇度は☆ひとつ。添えられた惹句は、火葬場での人肉売買、不気味な舞台。内容の欄はこうだ。長崎県の火葬場で、遺体から肉を切り出して売買していたとされる事件。 呪術や食糧難が背景

経緯の欄は空白のまま 事件の経緯として整理された文章は、この資料には該当記述なし。 怪奇度☆☆☆で並べられた明治の一件 怪奇度は☆☆☆。分類は歴史的事件で、怪奇性は間接的、という但し書きが付いている。内容の欄はこうだ。滋賀県大津で、ロシア皇太子ニコライが襲撃された事件。 直接的な怪奇性はない。それでも「呪われた事件」として噂された、という一行が添えられている

幕末の町を飲み込んだ騒ぎ 舞台は幕末だ。根っこにあるのは、社会の激変に対する民衆の不安だ。その不安が引き起こした現象として語られてきた。 怪奇度☆☆、集団狂乱という語られ方 怪奇度は☆☆。見どころは集団狂乱と、超自然的信仰の不気味さにある。江戸から明治への移行期に、「ええじゃないか」と叫びながら踊る集団狂乱が全国で発生。背景は神仏の加護や終末論的信仰だという

アルバイト帰りに消えた女子大生 痛ましい話から始める。2009年10月26日から11月6日にかけて、島根県浜田市で起きた事件だ。遺体が見つかったのは県境を越えた広島県北広島町、臥龍山の中だった。なぜこれが未解決の側に置かれ続けたのか。 始まりはここだ。島根県立大学1年の女子学生(当時19歳)が、アルバイト先を出た後に行方不明になった。約10日後の11月6日、

遺体も証拠も、一つも出てこない 解明難易度が高いのには、はっきりした理由がある。遺体も証拠も一切見つからず、自然なのか事件なのかさえ分からないのだ。時期と場所は2008年1月5日、岡山県新見市。なぜ未解決のまま残ったのか。 鍾乳洞の地底湖で学生が失踪し、捜索をしても痕跡が一切見つからなかった。それが原因として大きいと思われる。地元ガイドの「湖底に隠し穴がある

解明難易度☆☆、それでも犯人に届かない 解明難易度は☆☆。現場には血も物証も残り、防犯カメラにも人影が写っているのに、犯人へたどり着く一本の線が足りない。それがこの評価の理由だ。時期と場所は2009年11月1日、新潟県新潟市。なぜ未解決のままなのか。 タクシー運転手が殺害され、金が奪われた。深夜の路上。地元民しか知らない抜け道が使われたにも関わらず、現場から

始まりは金曜日の夕方。2008年5月2日、大型連休の谷間にあたるその日に、愛知県豊田市生駒町切戸地内で女子高校生が下校途中に何者かに襲われた。彼女はこの春に高校へ入学したばかりの15歳だった。そのまま、家には帰ってこられなかったんだ。現

2003年、平成15年の7月。東京都足立区西竹ノ塚に住む15歳の女子高生、高校1年生の女の子が行方不明になった。見つかったのは、茨城県猿島郡五霞町の道路脇の用水路だった。これが「五霞町女子高生殺害事件」だ。今も容疑者の特定や逮捕には至っ

事件の経緯 解明難易度は☆。理由は、頭部のみで身元は判明したものの、残りが見つからないことにある。時期と場所は2001年5月16日、静岡県静岡市。なぜ未解決に? 日本平山頂で男性の頭部が発見され、身元は判明した。それでも、残りの遺体や犯人は見つからなかった。未解決の原因は、そこが大きいと思われる。 当時、観光地の監視カメラは未整備だった。その盲点が突かれた。

派出所から拳銃だけが消えた夜 解明難易度は☆☆。大胆きわまりない犯行なのに動機がまるで見えず、そのまま時効を迎えてしまった。時期と場所は1992年2月14日、東京都清瀬市になる。 なぜ未解決のままなのか。派出所で警察官が殺害され、拳銃が奪われた。それなのに動機も足取りも掴めないまま時効に至った。その点が大きい、と思われる。 もう一つ引っかかる点がある。バレン

口論の証言だけが残った 動機が見えない。解明難易度は☆☆、理由は単純で、口論があったという証言は出ているのに動機がまるで見えてこないからだ。時期と場所は2008年6月27日の石川県金沢市。ではなぜ、この事件は未解決のまま今日まで残ってしまったのか。 独身の男性が自宅で殺害されたにもかかわらず、動機は不明で物的証拠も不足していた。原因としてはそこが大きいとみら

杉林に残されていたのは、骨と衣類だけ 2005年3月15日、栃木県塩谷町。この話が舞台に据えるのは、その日付とその土地であって、それ以外の座標はどこにも無い。見つかったのは人骨だけだった。身元も犯人も分からないまま、事件と呼んでいいのかどうかさえ決まらないまま、話だけが止まっている。手がかりが最初からほとんどない事件として、ネットの片隅でいまも語られている。

家の中には、飲みかけのココアが置かれたままだったという。消えたのは8歳の女の子だ。名前は加茂前ゆきちゃん。身代金を求める連絡は一度もなく、誰が彼女をどこへ連れて行ったのか、今も分かっていない。この事件、どこで起きたのかという一番の土台か

赤坂の一室で何が起きたのか 東京都赤坂のウィークリーマンションで、小学6年生の少女4人が誘拐・監禁された。衝撃の大きい事件だ。 主犯とされる吉里弘太郎が運営していたのは、「プチエンジェル」という名の児童買春デートクラブだった。その仕組みが、事件をきっかけに明るみに出た。 児童搾取の闇と、権力構造への不信。重なった二つが、事件のタブー視を今も色濃く残す。 ネッ

辞典を三冊ひくと、崖の高さが三通りに出てくる。日本大百科全書は約50メートルで、ブリタニカ国際大百科事典は約100メートル。世界大百科事典になると、百数十メートルまで跳ね上がる。勝浦市の案内は「数十メートル」とだけ書き、県内の観光案内に

事件の経緯 概要 徳島市でラジオ商の夫婦が自宅で殺害された未解決事件。 強盗目的と見られるが、犯人は特定されず、1967年に時効成立。 戦後の動乱期の暗い一ページ。 タブーの理由 戦後復興期の貧困と警察の捜査力不足を映し、被害者家族のプライバシーへの配慮から、地元で語られず、タブー視された。 現在の状況 2025年、事件から70年以上が経過し、進展はゼロ。

事件の経緯 概要 東京都渋谷区のマンションで、東京電力の女性社員(当時39歳)が絞殺された未解決事件。 タブーの理由 被害者のプライバシー、東京電力の企業イメージへの影響、警察の捜査力不足への批判から、詳細な議論が封印され、タブー視される。 現在の状況 2025年、殺人罪の公訴時効廃止(2010年)で捜査は継続可能だが、警視庁は新証拠がなく停滞。 渋谷区民は

出回っている話を、まず並べておく 先に断っておく。ここに書くのは、ネット上で流通している「話」のほうだ。事実の報告ではない。 山梨県甲府市で5歳の男児、城丸正人君が自宅近くで失踪した。誘拐や事故が疑われるが、遺体や手がかりは見つからなかった。そして1989年に時効が成立。未解決の悲劇として記憶される、という筋書きになっている。 現在の状況として語られる部分も

舞台は北九州市の小倉北区。そこにあるマンションの一室で、1996年から2002年にかけて監禁と虐待と殺人が続いた。事件を起こしたのは松永太(逮捕当時40歳)と、彼と内縁関係にあった緒方純子(同40歳)の二人組だった。期間にしておよそ6年

1992年2月20日の朝。福岡県飯塚市で、小学校1年生の女の子2人が登校中に行方不明になった。いつもの通学路を歩いていたはずの子どもたちが、学校へ着かないまま、ふっつりと姿を消してしまったのだ。翌21日、最悪の知らせが届く。2人は福岡県

25年たっても、犯人の名前が出てこない 東京都世田谷区で、一家4人が自宅で殺害された。夫婦と2人の子供だ。犯人はいまだ捕まっていない。未解決事件という言葉が、これほど重くのしかかる例も少ない。年の瀬の住宅街で起きたこの事件は、四半世紀が過ぎても出口の見えない場所に置き去りにされたままだ。 語りにくい事件でもある。被害者家族のプライバシーへの配慮も、この事件が

3億円が消えた朝、その後に起きたこと 東京都府中市で、現金輸送車から3億円が奪われた。日本最大の窃盗事件として、今も名前が残っている。犯人は最後まで特定されず、1975年に時効が成立した。捕まった者はいない。 2025年になっても、時効から50年近くが経ったまま、公式な進展はひとつもない。新証拠が出てこないため、警視庁の捜査は停滞している。公式の動きはゼロ。

事件の経緯 概要 江崎グリコや森永製菓への脅迫・毒物混入事件。 犯人「怪人21面相」は企業を恐喝し、青酸入り菓子を流通。 逮捕者はなく、1995年に時効成立。 犯人像の不明確さから、深掘りされにくい。 現在の状況 2025年、時効から30年経ち、公式な進展はなし。 警察は新証拠がないため捜査は停滞。 グリコや森永は事件を過去のものとして扱い、詳細な言及を避け

総理大臣経験者に手錠がかかった 米ロッキード社が田中角栄元首相らに賄賂を贈り、自社の航空機を買わせようと働きかけた。それがこの汚職事件のいちばん太い骨格になる。田中は逮捕・起訴され、1983年に有罪判決を受けた。ただし最終決着はついていない。上告中に本人が死去してしまったからだ。 それから半世紀近くが過ぎた。2025年で事件から約50年、田中の死(1993年

十年をかけて日本を壊しにきた集団 坂本弁護士一家殺害が1989年、松本サリン事件が1994年、地下鉄サリン事件が1995年。オウム真理教という一つの宗教団体が、この一連の犯罪を起こした。並べて書けば数行で済んでしまう。でも、中身の重さは並大抵じゃない。 ここまでは記録どおりだ。麻原彰晃を含む13人には死刑判決が下された。その執行も2018年に済んでいる。手続

1990年5月12日の夕方。栃木県足利市の郊外、国道沿いにあるパチンコ店の駐車場に、一台の車が停まっていた。父親はこのとき4歳の娘を車内に残したか、あるいは一緒に連れて店へ入ったとされ、そこは話が割れている。ほどなくして、女の子の姿が見

夏祭りのカレーに、ヒ素が入っていた 1998年の夏、和歌山県で夏祭りのカレーにヒ素が混入された。口にした人のうち4人が死亡し、63人が負傷している。地域の親睦行事が、いきなり無差別殺人の現場に変わった日だ。 林眞須美被告には死刑判決が言い渡され、2009年に確定した。それでも、冤罪疑惑は根強く残り続けている。死刑という最も重い判断が最高裁で確定していながら、

教室の中で、小学6年生が同級生を殺した 長崎県佐世保市で、小学6年生の女児が同級生をカッターナイフで殺害した。通称「ネバダたん事件」として知られている出来事だ。加害少女は当時11歳。処分は少年院送致だ。 この事件がタブー視される理由は、ひとつではない。加害者が少年であること、インターネット文化、つまり2ちゃんねるの影響、そして被害者家族のプライバシー。この三

語られないまま四半世紀が過ぎた 山口県光市で、23歳の主婦と生後11か月の長女が殺害された。犯行時18歳30日だった少年被告に死刑判決が下り、2012年に確定している。この一件で、少年法のあり方と死刑制度がいやおうなく注目された。 タブー視される理由ははっきりしている。少年法や死刑制度をめぐる議論の過熱、被害者遺族の強い処罰感情、そしてメディアの過熱報道への

何が起きた事件なのか 過激派組織・連合赤軍が起こしたのが、あさま山荘事件と、内部でのリンチ殺人だ。組織の内側では、それが「総括」と呼ばれていた。群馬の山岳ベースで進んだ粛清では、12人が死亡している。過激派の暗部が、そこで一気に露呈した。 なぜタブーになったのか。左翼運動の失敗という後味の悪さが、まずある。社会の動乱期を象徴する残虐性、そして組織そのものの狂

群馬の山で、仲間が仲間を殺した 重い話から始める。連合赤軍が内部で仲間を粛清し、群馬県の山中に置かれた山岳ベースで、12人がリンチ殺害された。あさま山荘事件の前哨にあたる出来事だ。過激派の狂気を象徴する事件として、名前だけは知られている。 タブー視される理由は、いくつも重なっている。過激派の闇、社会運動の失敗、そして残虐なリンチの詳細。どれもセンシティブで、

十八の闇に、あなたは何を見るか ここに並んだ事件は、被害者の無念と司法の葛藤、社会の暗部をまとめて映し出す鏡だ。起きた場所も年代もばらばらなのに、通して眺めると妙に同じ顔をしている。正直、ぞっとする。読み終えたあなたは、この闇の底に何を見るのか。 封印される理由は違う。行き着く先は同じ 権力者の影、未解決の謎、少年の罪、過激派の狂気。それぞれの事件がタブーと

そもそも事件かどうかも決まっていない この一件は、事件性すら確定していない。事故なのか、他殺なのか。そこからして不明のままだ。他殺だとすれば近親者の関与が疑われるところだが、それを裏づける証拠はない。入口の時点で足場がぐらついている話なんだと、先に言っておく。 語られている話 謎度は高い。状況が異様で、解釈のしようがない。その一点に尽きる。時期と場所は198

竹林で途切れた足取り 異常な力で刺された傷跡。そこから動機が怨恨か猟奇的かが不明。刺した相手が何を考えていたのか、そこから先は読めない。 1986年に公訴時効が成立した。捜査はそこで打ち切られた。 分かっているのは、ほとんど何もない 謎度は☆ひとつ。殺害現場の特定や動機が不明で、物的証拠も乏しい。それがその理由だ。時期と場所だけははっきりしている。1979年

手がかりが一つも残らなかった 痕跡もなければ、目撃情報もない。だから何が起きたのかという肝心の部分が、いまだに解明されないままなんだよな。失踪から30年以上が過ぎても、状況を動かすような進展は出ていない。 誘拐だったとすれば、近隣の事情を知る人物が関与していた線が浮かぶ。ただ、そこから先へ踏み込むための材料が、どこにも残っていない。 記録に残る一行 この事件

事件の経緯 時効成立後も手がかりなし。 計画的な連れ去りが疑われる。 詳細はこちら 語られている話 謎度 ☆ 理由: 痕跡がなく失踪状況が不明 時期・場所 1991年3月24日新潟県加茂市 謎の理由 8歳女児が自宅近くで失踪。 祭りの喧騒が目撃情報を埋もれさせた可能性。 謎の解明状況 未解決。 誘拐なら外部の者が祭りに紛れた可能性。 確認上の注意 この話にあ

事件の経緯 スパイなら国際的背景が。 詳細はこちら 語られている話 謎度 理由: 国際的な謎が絡む 時期・場所 1948年オーストラリア(日本との関連説あり) 謎の理由 身元不明男性が死亡し、「タマム・シュッド」の紙片と暗号が残る。 日本人スパイ説が浮上。 謎の解明状況 未解決。 日本関連は仮説に留まる。 暗号の意味や死因が不明で、真相は遠い。 確認上の注意

事件の経緯 被害者数や未発見の遺体が不明確。 1948年逮捕、死刑執行。 戦後の混乱が犯行を隠した。 詳細はこちら 語られている話 時期・場所 1945年―1946年東京都周辺 謎の理由 10人以上を殺害し遺棄。 謎の解明状況 解決済み。 異常な性的衝動を持つ単独犯とされる。 確認上の注意 この話にある日時・人数・場所・動機・判決・捜査経過は、公的記録、裁判

絡まったまま、いまだに解けない 糸が絡まっている。戦後混乱期の背景がこの事件では幾重にも複雑化していて、人も組織も時代の空気も一緒に絡み合い、どこから解こうとしても別の結び目に当たる。だから一本の線で説明しようとすると、どこかで必ず行き止まる。詳細はこの先で順に追っていくことにしよう。 謎度☆ひとつの、その中身 謎度は☆ひとつ、理由は単純で、自殺か他殺かの結

時効が来ても、犯人はまだ誰でもない 時効が成立しても、手がかりは出てこなかった。複数犯なのか単独犯なのかさえ、いまだにはっきりしない。企業への怨恨だったのか、それともただの愉快犯だったのか。動機ですら推測の域を出ないままなんだよな。 謎度は☆ひとつ、正体だけが空白 この一件に付いている謎度は☆がひとつ。理由は単純で、犯人グループの正体がまるで分からないからだ

事件の経緯 捜査は今も続いている。それでも進展はない。四半世紀という時間が、そのまま重さになって残っている。血液も指紋も足跡も衣類も、これだけ山のように残っているのに、犯人の名前だけがいつまでたっても出てこない。 怨恨なのか、それとも無差別なのか。動機の入り口すら、いまだに定まっていない。物盗りの線も恨みの線も長年語られてきたが、どちらも決め手を欠いたまま、

三分で消えた現金輸送車 計画が緻密すぎる。膨大な証拠が残されたのに、捜査は核心へ届かないまま時効が成立している。単独犯なのか組織的な犯行なのかすら、まだ分かっていない。 日常に潜む異変や、歴史の闇が関わってくる事件もある。そういうものを含めて、解明への道は険しいままだ。 白バイの男が奪った3億円 時期と場所ははっきりしている。1968年12月10日、東京都府

大みそかの朝だった。2000年12月31日は日曜日で、世田谷区上祖師谷の一軒家には、午前10時を過ぎても電話がつながらなかった。不審に思った母親の母親が、合鍵で玄関を開ける。報道によれば、午前10時40分すぎだ。家の中には、家族4人が倒

警察のトップが、自宅の前で撃たれた朝 1995年3月30日、木曜日。午前8時31分ごろ、東京都荒川区南千住四丁目で発砲事件が発生した。現場は警察庁長官・國松孝次(当時58歳)の自宅マンション前だ。出勤のため自宅マンションの玄関を出た國松孝次長官に対し、その前で待ち伏せていた人物が拳銃を4発発射した。 うち3発が腹部などに命中。國松は全治1年6か月と診断される

給料日の夜、背中から撃たれた警部 冬の札幌の話だ。1952年、昭和27年1月21日の午後7時42分頃。場所は北海道札幌市中央区南6条西16丁目付近の路上だ。札幌市警察本部警備課長・白鳥一雄警部、当時36歳。勤務を終えて自転車で帰宅する途中だった。 では、何が起きたのか。後方から自転車で接近してきた何者かに、拳銃で背後から狙撃された。心臓部に被弾し、まもなく絶

山あいの公民館で、ぶどう酒を飲んだ女性が次々に倒れた 1961年、昭和36年の3月28日の夜だった。三重県名張市の葛尾、くずおと読むこの地区の公民館に、集落の人たちが集まっていた。農村生活改善クラブ、通称「三奈の会」の総会と懇親会である。人口はおよそ110人。山あいの、住民の顔と名前がぜんぶ一致するような小さな集落だ。 その席で、男性には清酒が、女性にはぶど

浄化槽から見つかった園児2人と、25年後の無罪 1974年、昭和49年の3月。甲山事件は、兵庫県西宮市の甲山山麓にあった知的障害児施設「甲山学園」で発生した事件だ。 学園の敷地内にある浄化槽、つまり汚水槽から、園児2人の遺体が相次いで発見された。事故なのか事件なのか。見方は当初から分かれた。 捜査当局は殺人事件と断定し、当時学園に勤務していた保母、いまで言う

半世紀以上前、カリフォルニアの新聞編集部に一通の暗号文が届いた。差出人は自らを「ゾディアック」と名乗り、犯行声明とともに「もし今週の朝刊にこの暗号を一面に載せなければ、もっと大勢を殺す」と脅迫した。それから2026年の今日に至るまで、事件は一度も解決していない。犯人はおろか、本名すら分かっていない。新聞社を挑発の舞台に選び、警察を出し抜くゲームのように殺人と

ロサンゼルスのダウンタウンに、古びたホテルがそびえる。その屋上に、飲料水を溜めるための巨大な貯水タンクがある。2013年2月19日、そのタンクの中から、全裸の女性の遺体が発見された。宿泊客たちが「水が黒く濁っている」「蛇口をひねると水圧が異様に弱い」と、何度もフロントに苦情を入れた末のことだった。 遺体はおよそ19日間、誰にも気づかれずタンクの中に沈んでいた

1969年8月、サンフランシスコ・クロニクル紙をはじめとする湾岸地域の三つの新聞社に、奇妙な封書が届いた。差出人の名は「ゾディアック」。中には見慣れない記号がびっしりと並んだ暗号文が、三分割されて同封されていた。犯人はこう書き添えていた。「これを解読すれば、私の正体が分かるだろう」。 この一通の手紙こそが、アメリカ犯罪史上もっとも有名で、もっとも不気味な未解

空き地の白いものを、彼女はマネキンだと思った 1947年1月15日の朝、ロサンゼルスのレイマート・パーク。閑静な住宅街に隣接する空き地で、一人の若い母親が幼い娘の手を引いて歩いていた。雑草の生い茂る空き地の中に、白いものが横たわっている。それを見つけた彼女は、商店のショーウィンドウから捨てられたマネキン人形だと最初は思い込んだという。 しかし近づいてよく見る

死の山――氷点下30度の雪原に残された、9人分の「逃げた痕跡」 1959年2月、ソビエト連邦のウラル山脈北部。厚い雪に覆われたホラート・シャフイル山の斜面で、9人の熟練登山家からなる一隊が忽然と消えた。山の名は現地マンシ語で「死の山」を意味する。名前からして出来すぎているが、これは実話だ。 彼らは皆、ウラル工科大学に籍を置く学生や卒業生だった。当時の校名はウ

2011年から2012年にかけて、兵庫県尼崎市を震源地としてひとつの事件が発覚した。「尼崎連続変死事件」は、戦後日本の犯罪史のなかでもきわめて特異な位置を占めている。殺されたのは他人ではない。血のつながらない「家族」に取り込まれた人々が、その「家族」の名のもとに互いを殴り合い、追い詰め合い、そして死んでいった。 首謀者とされる角田美代子(当時64歳)は、逮捕

七人の死亡を一つの筋書きに押し込めない 北九州監禁殺人事件は、一人の加害者が次々に人を襲ったというだけの事件ではない。長期間の暴力と金銭的な搾取によって複数の人が外部とのつながりを断たれ、家族や身近な人同士で監視し、傷つけ、死亡させる行為まで担わされた。刑事裁判で審理されたのは、男性一人と、もう一人の被告人の親族六人、合わせて七人の死亡に関する殺人や傷害致死

三人の死亡と七件の財産犯罪 木嶋佳苗事件は、結婚相手を探すウェブサイトで知り合った男性三人に対する殺人と、別の男性たちを含む詐欺、詐欺未遂、窃盗が一つの裁判で審理された事件である。2017年4月14日の最高裁判決は、第一審が認定した犯罪を、殺人三件、詐欺三件、詐欺未遂三件、窃盗一件と整理している。通称だけを見て、交際した男性全員が殺害された事件、あるいは不審

山口県周南市金峰で起きた事件 2013年7月21日夜から22日未明、山口県周南市金峰の郷地区で、近隣に暮らす男女五人が相次いで殺害された。住宅二棟が放火された。わずか一夜の出来事。山あいの小さな集落で一晩に複数の家が襲われたため、事件は全国へ大きく報じられた。 殺人、非現住建造物等放火などの罪に問われたのは、同じ地区に住んでいた保見光成だ。事件後に姿を消し、

2008年10月1日未明、大阪ミナミの繁華街・難波で、日本の放火犯罪史に残る惨事が起きた。舞台は7階建て雑居ビルの1階。24時間営業の個室ビデオ店「試写室キャッツなんば店」で火災が発生し、16人が死亡、10人が重軽傷を負った。 逃げ場のない狭小な個室空間で、多くの客が眠ったまま煙に巻かれて命を落とした。この事件は「大阪個室ビデオ店放火事件」として今も語り継が

「福岡看護師バラバラ殺人事件」は、どこにも見つからなかった 最初に一つ、断っておく。この記事はもともと、「福岡看護師バラバラ殺人事件」というキーワードで取材依頼を受けて執筆を開始した。ところが各種報道と公的資料を確認した結果、その条件をすべて満たす事件は、信頼できる情報源では特定できなかった。 依頼にあった条件はこうだ。2010年前後に福岡県内で発生し、看護

住宅街へ流れた見えない毒 1994年6月27日夜、長野県松本市北深志の住宅街で、住民が次々に目の痛み、吐き気、けいれん、呼吸困難を訴えて倒れた。救急隊と医療機関は原因が分からないまま、多数の患者を受け入れた。後に、オウム真理教が製造した神経剤サリンを専用車両から加熱・気化させ、風に乗せて散布した化学テロだったと確定した。 当時、周辺には松本地方裁判所の裁判官

四人の失踪から明らかになった連続殺人 一九九三年、埼玉県北部で四人の男女が相次いで消息を絶った。四人はいずれも、犬の繁殖・販売業を営む「アフリカケンネル」の周辺にいた人物だった。会社の実質的な経営者だった関根元と、共同経営者の風間博子が捜査線上に浮かび、翌年末から一九九五年初めにかけて逮捕された。 確定判決では、四人は一九九三年四月から八月までの間に殺害され

1988年11月25日の夕方、東京都足立区の隣、埼玉県三郷市の道端で、自転車に乗って帰宅途中だった17歳の女子高生に、一人の少年が声をかけた。少年の名は、事件史の中で「少年A」と呼ばれることになる当時18歳の男だった。彼は「お前、ヤクザに狙われている」という、荒唐無稽としか言いようのない嘘を口にした。だが動揺した被害者はその場から動けなくなり、少年Aと共犯の

2017年10月31日、神奈川県座間市のとあるアパートの一室から、警視庁への「妹と連絡が取れない」という捜索願をきっかけに家宅捜索が行われた。捜査員が踏み込んだ部屋には、常識では考えられない光景が広がっていた。クーラーボックスや複数の箱の中から、切断された人体の一部が次々と発見されたのである。最終的にこの部屋からは、9人分の遺体の一部が見つかることになる。

1999年1月、埼玉県の大宮駅にあるゲームセンターで、一人の女子大学生が一人の男と出会った。男は「誠」と名乗り、年齢も職業も本当のことを話していなかった。先に言っておくと、この男は名前も年齢も職業も、出会った入口の時点から嘘をついている。素性を明かせば、複数の風俗店の経営に関わる人物だった。二人は交際を始める。 この何気ない出会いが、わずか10ヶ月後に二重の

序章 ― 白昼の丸の内に轟いた爆発音 1974年8月30日、午後0時45分。東京・丸の内、三菱重工業本社ビルの一階ロビー。昼休みの人波でにぎわうその場所で、突如として轟音が空気を裂いた。 爆風はビル一階部分を完全に破壊し、9階までのガラス窓をことごとく打ち砕いた。街路樹の葉は吹き飛び、衝撃波は遠く新宿にまで届いたと当時の証言者たちは語っている。 現場に居合わ

プロローグ ― 秋田県北の小さな町で 秋田県の北部、白神山地の南麓に位置する藤里町。人口4千人足らずの、静かな山あいの町だった。豊かな自然に囲まれ、夏には川遊びをする子どもたちの姿が風物詩になる。ごく平凡な地方の町だ。 その町が2006年、日本中のワイドショーとネット掲示板を席巻する凄惨な事件の舞台になる。住民の誰一人として、そんな展開は想像していなかったは

2016年7月26日未明、神奈川県相模原市緑区にある知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で、元職員の男が入所者19人を刺殺し、職員を含む26人に重軽傷を負わせるという事件が起きた。単独犯による殺人事件としては戦後日本で最多の犠牲者数を記録し、しかも犯人が「意思疎通のできない障害者は不要である」という優生思想に基づく主張を臆面もなく展開したことで、事件は単な

2019年7月18日の午前、京都府京都市伏見区にあった京都アニメーションの第1スタジオが放火された。36人が死亡し、34人が重軽傷を負っている。犠牲者の数は、明治以降の日本で単独犯による殺人事件としては最も多い。国内だけの話では終わらず、世界中のアニメファンやクリエイターが言葉を失った。 犯人は事件当時41歳の男だった。2024年1月に死刑判決を受け、翌20

2008年6月8日日曜日、正午過ぎ。休日の秋葉原は歩行者天国でにぎわっていた。電気街を歩く買い物客、アニメショップ目当ての若者、外国人観光客。その雑踏に、1台の2トントラックが猛スピードで突っ込んだ。 信号を無視して交差点に進入した車両は歩行者5人をなぎ倒し、運転していた男はそのまま車を降りると、ダガーナイフを手に無言で歩行者を刺し始めた。犯行は瞬く間に17

毎年6月8日の朝、大阪教育大学附属池田小学校の庭で、八つの鐘が鳴る。塔に下がった鐘で、鳴らすのは児童の代表だ。時刻は午前10時12分。事件が起きたころに合わせてあり、遺族も教職員も在校生も、その音に合わせて黙とうする。集いは10時10分

舞台は茨城県。2008年3月、茨城県土浦市とその周辺で、一人の青年による連続殺傷事件が発生した。犯人は「生きる目的を見失った」ことを理由に挙げ、自ら死刑になるために無差別殺人を計画・実行したと供述している。犯人の名は金川真大(かながわまさひろ)、当時24歳。 この事件は、わずか3か月後に東京・秋葉原で発生する通り魔事件の直前に起きた類似事件として、しばしば並

2008年6月8日、日曜日の昼下がりのことだった。秋葉原・歩行者天国で起きた通り魔事件は、7人の命を奪い、10人を負傷させた。 この事件が残したものは、単なる凶悪犯罪の記憶にとどまらない。「派遣切り」「格差社会」「掲示板文化」「無敵の人」。その後の日本社会を語るうえで欠かせないキーワードを、この事件は次々と生み出した。そういう象徴的な事件として記憶されている

二つの「愛犬家事件」を分けて読む 1990年代前半、「愛犬家連続殺人事件」と呼ばれる重大事件が大阪と埼玉で相次いで明るみに出た。どちらも犬を介した人間関係と金銭問題が背景にあり、遺体を見つかりにくくする工作が行われたため、現在も混同されやすい。しかし、犯人、被害者、犯行場所、殺害方法、裁判はすべて別であり、両事件の共謀を示す司法判断もない。 大阪愛犬家連続殺

先に断っておく。三浦和義氏は、ここで扱う銃撃事件について、2003年3月5日に最高裁で無罪が確定している人だ。その人をいまさら「犯人」と決めつける気は、これっぽっちもない。追いかけたいのは判決の中身と、その前後で報道がどこまで熱くなった

ロストフ州の郊外には、線路と並んで細長い雑木林が延びている。ロシア語でレソポローサ、防風林とか林帯とか訳される、あの帯みたいな森だ。冬は葉が落ちて透けるが、夏は数メートル入っただけで人の姿が見えなくなる。列車の窓から見ると、ただの緑の筋

二〇一三年五月六日の夕方、オハイオ州クリーブランドの通信指令センターに一本の電話が入った。声はうわずっていて、息が上がっていて、背後で子どもの泣き声がしていた。オペレーターが用件を訊くと、女性はこう言った。助けて、私はアマンダ・ベリー、

郵便受けを開ける。ただそれだけの動作が、町ぜんぶの恐怖のスイッチになった時代がある。舞台はアメリカ中西部、オハイオ州の小さな町サークルビル。人口一万三千人ほど。年に一度のパンプキン・ショーには四十万人が押し寄せるが、それ以外の三百六十二

##「コートはいらないよ、おばあちゃん。今夜はいらない」一九七八年二月二十四日の金曜日。カリフォルニア州北部の内陸は、雲ひとつない夜だった。空には半月。フェザー川の上流、シエラネバダの山肌には四メートルを超える吹きだまりができていた。た

十四歳の羊飼いが、夕方の牧草地で首を裂かれて死んだ。一七六四年六月三十日のことだ。それから三年間、フランス中南部の高原地帯では、同じ死に方をした人間が百人近く積み上がっていく。犠牲者のほとんどが女と子ども。国王ルイ十五世は軍隊を送り、王

一九六六年一月二十六日、オーストラリア・デーの朝。アデレード郊外ソマートン・パークの家の門で、母親が三人の子どもを見送った。九歳のジェーン、七歳のアーナ、四歳のグラント。バスで五分の海に行って、お昼までに帰ってくる。ただそれだけの約束だ

1982年9月29日、朝6時33分。シカゴ郊外エルクグローブビレッジの一軒家から、消防に通報が入った。「娘が倒れた。救急車をよこしてくれ」。父親の声だった。この一本の電話から、アメリカという国の薬棚の風景が、そして数年後には日本のスーパ

町の人はみんな、彼のことを「いい先生」と呼んでいた。話をちゃんと聞いてくれる。往診を嫌がらない。年寄りに優しい。イギリス北部の小さな町で、二十年以上そう言われ続けた男が、実は患者を殺し続けていた。しかも二百人以上。信じられない話だが、も

1974年から1991年まで、アメリカ中西部の小さな都市が、名前も顔も知らない一人の男に十七年間おびえ続けた。そして犯人が捕まったのは、最後の殺人から十四年も経った2005年のことだ。捕まえたのは執念の張り込みでも密告でもない。犯人自身

まず正直に言っておく。この事件、怖い。ただ怖がって消費するには重すぎる話でもある。死んだ八人のうち六人が子どもだ。いちばん下は五歳。だから今回は、ゾクッとする細部を全部書きながら、同時に「この人たちは実在した」という一線だけは絶対に踏み

昭和三十八年の秋から冬にかけて、この国はひとりの男の顔写真をひたすら見せられ続けた。新聞にも出た。テレビにも出た。交番の掲示板にも、駅の壁にも、町内の掲示板にも貼られた。それでも男は捕まらなかった。七十八日間、九州から北海道まで移動しな

##一九四六年二月二十二日、金曜の夜十一時四十五分その夜、テキサーカナは冷えていた。二月の南部の夜というのは中途半端に寒い。コートを着るほどでもないが、車の窓を開けっぱなしにするには気が引ける。そんな温度だ。ジミー・ホリス、二十五歳。保

一九六九年七月十日、大西洋のど真ん中で、一隻のヨットが誰も乗せずに漂っていた。帆は上がったまま。船内は片づいていて、争った跡もない。食料も残っている。救命いかだも甲板に縛られたまま。ただ、人間だけがいなかった。船の名前はテインマス・エレ

フランス東部、ヴォージュ県。モミの森が黒く立ち上がり、谷底をヴォローニュ川が音を立てて流れていく。観光ガイドなら「静かで美しい渓谷」と書くところだ。ところがこの谷の名前は、フランス人にとってまったく別の意味を持っている。1984年10月

木曽川と長良川。どちらも濃尾平野をゆったり流れる、地元の人にとっては散歩コースだったり釣り場だったり、要するに何でもない川だ。堤防にのぼると風が抜けて、対岸の灯りがぽつぽつ見えて、若い連中が夜中に集まって缶コーヒー飲みながら喋っている、

##一九九八年三月二日、月曜の朝――十歳の少女が、生まれて初めて一人で学校へ向かったウィーンの二十二区ドナウシュタットは、市の中心から地下鉄で北東へ二十分ほど走った先にある。旧市街の絵葉書みたいな石畳とは縁のない、戦後に建てられた巨大な

ドイツ・バイエルンの片田舎に、地図に載らないくらい小さな農場があった。1922年の春、そこで六人が殺された。犯人は逃げなかった。数日間その家に住み、家畜に餌をやり、パンを食べ、暖炉に火を入れていた。そして誰にも捕まらないまま、百年が過ぎ

##昭和十三年五月二十一日、午前一時四十分の闇岡山県苫田郡西加茂村。いまの津山市加茂町行重にあたる山あいの一帯に、貝尾(かいお)と坂元というふたつの小さな集落があった。事件当時の貝尾は二十三世帯、住人は百十一人。田んぼと畑と、山の斜面に

2002年8月4日、日曜日。イングランド東部、ケンブリッジシャー州の小さな町ソハム。夏の夕方の、なんでもない時間だった。町の中心からほど近い一角に、10歳のホリー・ウェルズが住んでいた。その日、親友のジェシカ・チャップマンが遊びに来てい

1968年12月10日、東京都府中市で約3億円を積んだ銀行の車が奪われた。現れたのは白バイ警官を装う男だ。行員4人を爆発の危険から逃がすふりをして、男は現金ごと車を乗り去った。わずか3分ほどの犯行は、157点とも数えられる遺留品と、解けない謎を残している。

一九七七年の秋、日本という国は、たった五日間で自分の背骨がどこにあるのかを世界に見せてしまった。舞台はバングラデシュの首都ダッカ。パリを出て東京へ向かうはずだった日本航空四七二便が、インドのボンベイを飛び立った直後に乗っ取られた。そのま

大阪の住宅街のど真ん中で、銀行がまるごと人質になり、しかも四十二時間。中で何が起きていたかを知ると、たいていの人は言葉を失う。四人が撃ち殺され、女性行員が全裸で窓辺に並ばされ、行員が同僚の耳を削がされた。これは都市伝説でも実話怪談でもな

北海道北斗市に七重浜という浜がある。函館駅から海沿いに西へ走って、国道227号から228号に出た先。いまはスーパーやドラッグストアや大型量販店が並ぶ、どこにでもある郊外の風景だ。夏場には海水浴場も開く。ビーチパラソルが立って、子どもが。

ニューヨークのミッドタウンに、口紅を立てたような形のビルがある。赤い花崗岩でできた34階建ての楕円形のタワーで、みんな「リップスティック・ビル」と呼んでいた。住所はサード・アベニュー885番地。1980年代半ばに完成したこのビルの、最。

二〇〇四年二月九日の夜、アメリカ・ニューハンプシャー州の山あいの道で、二十一歳の看護学生が消えた。事故を起こした車の前に立っているところを、通りかかった近隣住民がはっきり見ている。会話もしている。そのおよそ十九分後、警官が現場に着いた。

一九七九年七月末のアトランタは、うんざりするほど暑かったらしい。ジョージア州の夏は湿気が肌にまとわりつくやつで、道路のアスファルトは午後になると柔らかくなる。その日、市の南西部にあるニスキー・レイク・ロードという道の脇を、ひとりの女性。

石川県のほぼ中央に、日本三名山のひとつに数えられる霊峰・白山がある。その山麓には、かつて鶴来町を玄関口として河内村、吉野谷村、鳥越村、尾口村、白峰村という五つの山村が連なっていた。豪雪と深い渓谷に囲まれたこの一帯は、地元で単に「白山ろく

2018年8月12日、日曜日の夜。大阪府富田林市の富田林警察署に、強盗致傷などの容疑で勾留中だった当時30歳の樋田淳也がいた。この夜は弁護士との接見のため、面会室に入っている。話はここから転がり始める。面会室の造りは単純だ。アクリル板と

一九七一年五月二十八日の朝のことだ。場所は青森県弘前市。那須家の玄関の戸が鳴って、母のとみが出ていくと、そこには見たことのない男が立っていた。男はこう切り出したという。「驚かないでください。真犯人が名乗り出ました」とみは、ほとんど間を置

絵が一枚、三億円で売られる。それが二日後には二十億円になっていて、買ったのは大阪の繊維商社だ。誰も止めないし、銀行も止めない。ここまでなら、まあバブルだから、という話で済むかもしれない。だが同じことが百八十六回繰り返され、締めて数百億円

二〇二〇年二月二十日、東京都葛飾区南水元の木造アパートの二階から火が出た。焼け跡から見つかった遺体は、しばらく身元が分からなかった。歯型の照合と部屋の契約者情報から名前が判明したのは、五日後の二月二十五日だ。警視庁亀有署が確認した名は、

1963年12月8日は日曜日だった。赤坂のナイトクラブ「ニューラテンクォーター」の店内は、その夜も客の声でざわついていたはずだ。時刻は午後10時30分。フロアの片隅には、プロレスラーの力道山が座っていた。力道山はすっかり酔っていて、女性

金沢の図書館に、変わった絵が残っている。6枚の図幅が1組になっていて、実景を描いた絵の上へ順番に重ねて見る仕組みだ。1枚めくるごとに、海の向こうの景色が少しずつ姿を変えていく。今でいうパラパラ漫画。絵を描かせたのは、加賀藩の11代藩主、

1984年2月13日、アラスカの山上から届いた植村直己の声は、前日の夕方に頂上へ立ち、これから迎えの飛行機を頼みたいと伝えていた。これが最後の交信になる。世界初の厳冬期単独登頂を成し遂げた冒険家から、帰還の知らせが届くことはなかった。

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