連休の谷間、帰り道で消えた15歳
始まりは金曜日の夕方。2008年5月2日、大型連休の谷間にあたるその日に、愛知県豊田市生駒町切戸地内で女子高校生が下校途中に何者かに襲われた。彼女はこの春に高校へ入学したばかりの15歳だった。そのまま、家には帰ってこられなかったんだ。
現場の道が寂しすぎる。伊勢湾岸自動車道の側道にあたる一方通行の農道で、街灯も少なく、まわりは水田と用水路が入り組んだ地域だった。犯行時刻は、司法解剖などの結果から午後7時から9時ごろの間と推定されている。夕方から夜にかけての2時間ほどの幅だ。
当日の彼女は普段通り学校を終え、自宅へ向かって歩いていたとみられる。でも、帰ってこない。夜になっても娘は戻らず、家族は付近を捜して歩き、警察にも相談したという。日をまたいだ翌5月3日、彼女の遺体は自宅からそう遠くない水田脇で、変わり果てた姿で見つかった。
状況は凄惨そのもの。首には工事現場で使うタイプの黒いビニールテープ、幅3.8センチほどのものが幾重にも巻き付けられていた。口に押し込まれていたのは白いタオルだ。顔には殴られた痕があり、制服は泥でひどく汚れていた。
争った跡も生々しい。司法解剖の結果、死因は窒息死とみられている。殴られて出た鼻血が気道を塞いだのではないか、という可能性まで指摘されていて、読んでいて息が詰まる。所持品の一部が持ち去られていたことも分かった。
15キロ先の土手に置かれたカバン
ここで妙な話が出てくる。遺体の発見とほぼ同じころ、彼女の学生カバンが岡崎市稲熊町の小呂川の土手で、散歩中の主婦に見つけられた。現場から直線距離で約15キロメートルも離れた場所だ。歩いて運べる距離じゃない。
資料では、このカバンの発見が事件発覚のきっかけだったと書かれている。犯人が遺留品を車などで遠くへ運び、そこで処分したのかもしれない、という見方がここで一気に浮かんだ。単なる通り魔的な犯行とは違い、ある程度の土地勘や移動手段を持つ人物の仕業だという見方が強まった。車を使える人間ってわけだ。
357件の情報と、300万円の報奨金
県警の動きは早かった。愛知県警は豊田警察署に特別捜査本部を置いた。発生直後の1か月だけで357件もの情報が寄せられ、1年間の累計では700件を超えたと伝わっている。数だけ見れば、決して少なくない。
捜査本部は周辺の防犯カメラ映像を集め、聞き込みを重ねた。捜査の軸に据えられたのは、犯人がこのあたりの地理に詳しい人物ではないか、という見立てだったらしい。土地勘の線だ。
2009年5月には、新しい事実が明かされた。犯人のものとみられるDNA型の一部や、手袋の痕跡が、実は現場から複数見つかっていたというんだ。遺留物からの照合作業は、その後もずっと続けられてきた。証拠は、あるんだよ。
2008年12月10日付で、事件は警察庁の捜査特別報奨金制度の対象に指定された。上限は300万円。有力な情報を寄せた人にはそれだけの額が支払われる仕組みで、それでも決定的な手がかりには届かなかった。2022年5月、発生から14年の節目を迎えても、被疑者は検挙されていない。
愛知県警による正式な呼び名はずいぶん長い。豊田市生駒町地内における女子高校生強盗殺人事件、というのがそれで、この事件は強盗殺人事件として扱われている。名前に強盗の2文字が入る。
18年たっても消えない呼びかけ
時は流れて2025年前後。この頃の報道によると、捜査本部の署長級幹部が「君もいずれ逮捕される」という趣旨のメッセージを発信したという。報奨金の期限を延長して、情報提供を呼びかける形だった。東海地方のテレビ局が、その様子を報じた。
愛知県内には、同じ時期に名古屋市内で主婦が殺害された別の未解決事件もある。呼びかけのたびにその事件も引き合いに出されていて、県警はふたつの事件を並べながら粘り強く情報を求めてきた。事件から18年前後がたった近年も、共同通信などが改めて情報提供を呼びかける記事を配信した。風化させまいとしてるんだ。
「夜に人影を見た」という噂
解明の難しさは星4つ。未解決事件を紹介するある記事は、この事件をそう格付けしている。理由として挙げられているのは、証拠はあるのに動機や犯人像がまるで見えてこない、という点だ。自宅近くで殺害されて用水路に遺棄され、証拠があっても犯人像を絞り込めなかったことが大きい、と記事は見ている。
ちなみに、この記事は遺体が用水路に遺棄されたと書いている。ほかの資料では見つかった場所を水田脇としていて、書き方が食い違っているから、ここは両方をそのまま並べておく。場所の話は揺れている。
地元には噂もあった。「夜に人影を見た」というものだ。ところがその噂は、犯人へたどり着く手がかりにはならないまま、結局のところ捜査に結びつかなかった。
同じ記事は、犯人像についての考察も載せている。近隣に住んでいて、夜に出歩いて徘徊する癖のある人物なのかもしれない、というのがひとつめの読みだ。用水路の暗さを利用して隠そうとした点から見て、衝動的な行動が根っこにあるのかもしれない、という見立ても添えられている。どちらも推測だ。
犯人像をめぐる三つの説
考察はネットにもあふれている。事件当時の状況証拠から、いくつもの犯人像が推測されてきた。考察系ブログや掲示板で繰り返し出てくるのは大きく分けて三つの説で、どれも現場の状況証拠を出発点にしている。
ひとつめは期間工説。きちんと書けば工事関係者・期間工説で、凶器に使われたテープが建設現場や工場の工事用テープだったことを根拠にしている。周辺で働く作業員か、当時の豊田市に多く滞在していた期間工や季節労働者の犯行ではないかという見方だ。
ふたつめは衣類フェチ・快楽目的説。根拠は、被害者の衣類の一部が持ち去られていたという点にある。金品目当ての強盗とは違い、性的な衝動や収集癖を持つ人物が突発的にやったのではないか、という考察だ。気味の悪い話だ。
公式の呼び名は強盗殺人なのに、持ち去られたものは資料によって所持品とも衣類とも書かれる。書き方が揃わない。どちらが正しいかをここで決められるだけの材料はないので、両方の書き方をそのまま残しておくしかない。
みっつめは遠方からの来訪者説。カバンが15キロも離れた場所で見つかったことを重く見る説で、犯人は地元の住民じゃないと考える。車で移動する形で犯行に及んだ、外から来た人間だという見方だ。
地元の噂は別の方向を向く。近所に住んでいて夜間に徘徊する癖のある人物じゃないか、という噂が根強く語られてきた。でもこれは、あくまで住民の間で流れた噂の域を出ないもので、捜査によって裏付けられた話じゃない。
いちばん危ういのはここから。一部のブログや掲示板には、学校関係者のような特定の職業の人物を名指しする憶測まである。どれも公式に立件された事実とは違うし、根拠のない風説として扱うべきもので、真に受けるわけにはいかない。
小呂川の土手を歩いた人の記録
現地を歩いた人もいる。note上のブログで、著者は岡崎市稲熊町のカバン発見現場を訪れ、伊賀川から小呂川への分岐点のすぐそばだと確かめている。著者によれば、ちょうどマンションの駐車場前あたりだという。
著者の見立てはこうだ。崖から転げ落ちたというより人の手で置かれたように見えるので、ここが遺棄地点そのものではないか、と記している。あくまでブログ著者の推測として書かれたものだ。
同じ取材の中で、著者は豊田市駅前まで足を延ばし、私服の警察官らしき人物に接触を試みている。「犯人を知っているというブログがあったが、記事が削除されたようだ」と、その人物に尋ねてみたそうだ。明確な答えは得られなかった。
現場には今も、情報提供を求める看板が設置されている。献花も絶えない。その様子からは、地域の人たちの記憶のなかにこの事件がいまも深く刻まれ続けていることがうかがえる。
その一方で、苛立ちを隠さない考察ブログもある。「2019年を最後に新しい情報公開がない」として、ほかの未解決事件と比べて情報発信が乏しいことに不満をぶつけている。気持ちは分かる。
当日の書き込みは本物か
気になる話がもう1件。個人ブログの中には、事件当日の被害者のものとされるSNS投稿を引用しているものがある。そこには「気持ち悪い」「なんかこわいんだけど」と不安げな書き込みがあったという。でもこれは一次資料で完全に裏付けられた話じゃなく、ネットで広まった逸話として慎重に扱うしかない。
もし本当なら、話は広がる。事件より前から、周辺で見知らぬ人物の気配があったのではないか、という考察につながっていくからだ。バイクに乗った人物による声かけや、追跡めいた事案が複数回あったのではないかという話まで出ている。それが事件の「前兆」だったのでは、と議論されてきた。
5ch系のまとめサイトや考察系ブログでは、今も議論が割れている。断片的な情報をつなぎ合わせたうえで、顔見知りとは違う通りすがりの人物による衝動的な犯行だとする意見が出ている。土地勘があって計画的に遺留品を処分した人物の犯行だ、とする意見もある。結論はまだ出ていない。
期間工の町と、ガラケーの時代
工場の多い町だ。現場の豊田市生駒町のあたりは、トヨタ自動車の企業城下町として知られる工業都市の郊外にあたる。当時は自動車関連工場で働く期間工や派遣労働者の出入りが多い土地柄だった。カバンが見つかった岡崎市稲熊町も同じ西三河地域にあって、伊勢湾岸自動車道でのアクセスがいい場所だ。
愛知県では2008年前後に、名古屋市内の主婦殺害事件など、ほかにも複数の未解決事件が起きている。県警はそれらをまとめて広報し、情報提供を呼びかける取り組みを続けていて、この事件もその列に並んでいる。並ぶ数が多すぎる。
時代も絡んでくる。全国的に見ると、2000年代はガラケーやSNS黎明期のブログが通信手段として普及し始めた時期だった。被害者や関係者のわずかなネット上の書き込みが、後年になって考察の材料として再発見され、読み直される土壌が生まれた時代でもある。
この事件も、当時の断片的な記録がくり返し取り上げられてきたひとつだ。2010年代以降、まとめブログや動画サイトの考察コンテンツがそれを何度も拾い直し、風化に抗うように語り継いできた。未解決だから、なおさらだ。
