空き地の白いものを、彼女はマネキンだと思った
1947年1月15日の朝、ロサンゼルスのレイマート・パーク。閑静な住宅街に隣接する空き地で、一人の若い母親が幼い娘の手を引いて歩いていた。雑草の生い茂る空き地の中に、白いものが横たわっている。それを見つけた彼女は、商店のショーウィンドウから捨てられたマネキン人形だと最初は思い込んだという。
しかし近づいてよく見ると、それは紛れもなく人間の、しかも若い女性の遺体だった。ロサンゼルス市警が現場に到着して判明した光景は、異様なものだった。この事件は後に、アメリカ犯罪史上もっとも凄惨な未解決事件のひとつとして語り継がれることになる。遺体は腰のあたりで完全に真っ二つに切断され、上半身と下半身が数十センチ離れた位置に並べて置かれていた。
現場の異様さは、それだけにとどまらない。血液はほとんど体内に残っておらず、皮膚は蝋のように白く変色していた。捜査官たちをもっとも戦慄させたのは、顔の傷だった。口の両端から耳に向かって切り裂かれ、まるで無理やり笑わされているかのような傷跡。今日「グラスゴー・スマイル」と呼ばれる、あの特徴的な創傷だった。
被害者の身元は、間もなく指紋照合で判明する。女優を夢見てハリウッドにやってきた、23歳の女性エリザベス・ショート。
新聞各紙は連日この事件を一面で取り上げた。彼女が黒っぽい服を好んで着ていたという噂。前年に公開された映画『青い戦慄(ブルー・ダリア)』のタイトル。この二つを重ねる形で、新聞は彼女に「ブラック・ダリア」という通称を与えた。
花のように儚く美しい若い女性が、闇の中で無残に切り刻まれて発見された。戦後間もない好景気に沸く、当時のハリウッド。その華やかさの裏側にある暗部。それを象徴する物語として、この構図はセンセーショナルなジャーナリズムに消費されていくことになる。
女優になるはずだった、23歳までの日々
エリザベス・ショートは1924年7月29日、アメリカ東部マサチューセッツ州で生まれた。幼少期は決して恵まれたものではなく、6歳のときに父親が家出同然に姿を消した。母親のフィービーが女手ひとつで5人の娘を育てる、苦しい生活が始まったとされる。
ショートは幼い頃から気管支喘息に悩まされていた。冬場は療養も兼ねて、フロリダのマイアミで過ごす時期もあったという。学業は高校2年で中断した。
彼女は映画好きの少女で、当時人気のあった女優ディアナ・ダービンに面差しが似ている。周囲からそう言われることが多かった。いつしか自分自身も銀幕のスターになることを夢見るようになったと伝えられている。
18歳になった1942年末、彼女はカリフォルニアで暮らす父親のもとへ身を寄せる。ところが、この同居は長くは続かず、まもなく彼のもとを離れることになった。その後は基地内の売店で働いたり、フロリダで陸軍航空軍の将校と婚約したりと、転々とした生活を送る。
しかし、その婚約者も1945年8月の飛行機事故で命を落としてしまう。度重なる別れと喪失を経験しながらも、ショートは女優としての成功を諦めなかったと言われている。1946年7月、彼女はついにハリウッドへと居を移した。大通り近くの安アパートの一室を借りて、ウェイトレスなどをしながら女優としてのチャンスを探る生活を始めた。
ただし、目立った出演歴が確認されているわけではない。実際にはオーディションを渡り歩きながら、夜な夜な繁華街のクラブやラウンジに出入りしていた。多くの男性と知り合っては短い交際や口約束を繰り返す、その日暮らしに近い日々を送っていたとされる。
事件直前の1月9日、彼女はセールスマンの男性とともに、サンディエゴから車でロサンゼルスへ戻る。そして1月15日の午後、ビルトモア・ホテルの前で見送られたのを最後に、その足取りは完全に途絶えてしまう。
ちなみに、ボストンから訪ねてくる姉に会いに行くと周囲に話していた、とも伝えられている。だが、その後の数時間から数日が空白だ。彼女がどこで誰と過ごし、どのような経緯で命を落としたのかは、80年近く経った今も一切わかっていない。
腰の高さで、遺体は切断されていた
先に断っておく。ここから先は、遺体の状態そのものの話になる。
1947年1月15日、午前10時頃。ベティ・バーシンガーという名の若い母親が、3歳になる娘の手を引いてレイマート・パーク地区の歩道を歩いていた。彼女の視線の先、雑草が生い茂る空き地の中に、白く不自然な塊が横たわっているのが見えた。
誰かが不用品として投棄したマネキン人形だろう。そう考えた彼女は、さして気にも留めずに通り過ぎようとした。ところが近づいてみると、それが本物の人間の遺体であることに気づく。彼女は悲鳴を上げて近隣の家に駆け込み、警察へ通報したという。
駆けつけた捜査員たちの目に映ったのは、これまでの犯罪史上でもきわめて異様な光景だった。遺体は腰の高さ、ちょうど第2腰椎と第3腰椎の間で完全に切断されており、上半身と下半身が意図的に並べ直されるようにして地面に置かれていた。
しかも全身の血液がほとんど流出しておらず、皮膚は極端に青白い。まるで丁寧に洗浄された後、ここへ「展示」されたかのような状態だった。そこから浮かぶのは、こういう筋書きだ。殺害と遺体損壊は発見現場ではなく別の場所で行われ、その後に空き地へ運び込まれて遺棄されたものと考えられている。
顔には口角から耳の方向に向かって切り込みが入れられ、右側で約7センチ、左側で約6センチにわたって皮膚が裂かれていた。これが後に「グラスゴー・スマイル」と呼ばれる、笑っているかのように見える凄惨な傷跡だった。
損傷はそれだけではない。腹部には、へそから恥骨のあたりにかけて大きな裂傷が走っていた。内臓の一部が摘出された跡があったとも報じられている。
さらに手首や足首、首には縄のようなもので縛られた痕跡が残されており、生前あるいは死の直前に何らかの形で拘束されていた可能性を示していた。乳房にも損傷が見られ、腕や胸部にはためらい傷とみられる複数の切創があった。
検死の結果、死因は顔面の裂傷による大量出血と、頭部および顔面への殴打によるショック症状だと断定されている。体内に精液は検出されなかったものの、直腸の状態から性的暴行の可能性も指摘された。
これほど複雑で几帳面な処理が施された遺体損壊は、素人の犯行にしては手際が良すぎる。そこから一つの見方が、当時の捜査線上に浮かび上がることになった。医療や解剖の知識を持つ人物が関与しているのではないか。
小説になり、映画になり、都市伝説になった
この凄惨な未解決事件は、発生から数十年を経てもなお、フィクションの世界で繰り返し形を変えて語り直されてきた。もっとも有名な派生作品は、犯罪小説家ジェームズ・エルロイが1987年に発表した長編小説『ブラック・ダリア』だろう。
エルロイ自身の母親もまた若くして殺害され、その事件は未解決のままになっている。そんな個人的な背景を持つ作家である。彼がこの小説で下敷きにしたのは、実際の事件だ。ロス市警の二人の刑事の友情と確執、腐敗した警察組織の内幕、そして被害者の過去。そこに虚実を入り混じらせた物語を、彼は紡ぎ出した。
同作は「LA四部作」の第一作として高く評価された。2006年にはブライアン・デ・パルマ監督によって映画化されている。映画版では、原作の複雑なプロットの一部が整理された。焦点が絞られたのは、刑事たちの友情の顛末と、エリザベス・ショートに酷似した富豪令嬢との禁断の関係だ。
ただし実際の事件の捜査経過そのものとは、ほとんど関係がない。あくまで「事件に着想を得たフィクション」として受け止められている。また事件発生当時から現在に至るまで、ロサンゼルスやその周辺では類似した手口の猟奇殺人事件がたびたび発生してきた。そのたびに「ブラック・ダリア事件の模倣犯ではないか」という噂が飛び交ってきた。
特に、同時期に発生した別の胴体切断事件との関連を指摘する声もある。単独犯なのか、あるいは複数の事件が連続殺人として結びついているのか。まあ、その議論は専門家の間でも意見が分かれたまま、決着を見ていない。
日本でもこの事件は、昭和・平成期から現在に至るまで繰り返し紹介されてきた。猟奇事件や未解決事件を扱う、オカルト系のテレビ番組や書籍でだ。
特にNHKの「ダークサイドミステリー」のような、未解決事件を掘り下げる番組がそうだ。遺体の凄惨な状態、新聞報道の過熱ぶり、容疑者をめぐる諸説が丁寧に紹介される。単なるゴシップとしてではなく、戦後アメリカ社会の闇を映す事件として再評価する切り口で語られることが多い。
一方で、いわゆる「調べてはいけない言葉」や「閲覧注意の都市伝説」を集めたインターネット上のまとめサイト群。そこでは遺体損壊の凄惨さやグラスゴー・スマイルという言葉のインパクトばかりが強調される。検索してはいけないキーワードランキングの定番として、繰り返し取り上げられる傾向がある。
こうしたまとめサイトの多くは、事件の背景や被害者の人生についてほとんど触れない。ショッキングな遺体の描写だけを切り取って紹介する構成になっているものが、少なくない。正直、事件の本質である「なぜ、誰が」という謎そのものよりも、猟奇性だけが一人歩きしてしまっている側面は否めない。
80年たっても犯人探しは終わらない
海外には「トゥルークライム」の愛好家コミュニティがある。そこでブラック・ダリア事件は、ケネディ暗殺やジャック・ザ・リッパー事件と並ぶ。もっとも頻繁に語られる未解決事件の代表格として扱われている。
ポッドキャストやYouTubeチャンネルでは、独自に容疑者を推理する動画が定期的に投稿されている。当時の警察資料や新聞記事を検証しながらの推理だ。コメント欄では視聴者同士が、新旧さまざまな仮説をめぐって熱心に議論を交わしている。
特に医師による関与を主張する書籍が出版されて以降は、その信憑性をめぐって肯定派と懐疑派が真っ二つに分かれている。証拠として提示された写真の類似性は、本当に犯人を示すものなのか。捜査記録の解釈は妥当なのか。そんな技術的な検証がスレッドやコメント欄で延々と交わされる光景も、珍しくない。
日本語圏でも同じだ。5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)の未解決事件板やオカルト板では、長年この事件のスレッドが立てられ続けている。「グラスゴー・スマイルの元ネタはこの事件では」といった都市伝説的な派生知識。映画『ダークナイト』のジョーカーの傷との関連を面白がる書き込み。猟奇事件としての側面だけでなく、ポップカルチャーとの接点についても盛んに語られている。
また、個人ブログやnoteといったプラットフォームでは、少し違う記事も増えてきている。事件の時系列を丹念にまとめ直したうえで、当時の新聞報道のあり方そのものを批判的に検証するもの。あるいは被害者エリザベス・ショートという、一人の女性の人生に寄り添うもの。彼女がどのような希望を抱いてハリウッドへやってきたのかを、丁寧に描き直そうとする記事だ。
猟奇性ばかりが消費されがちだった事件を、単なる怖い話としてではなく捉え直す。一人の人間の悲劇として、そして戦後アメリカの闇を映す社会的事件として。そういう視点は、近年のネット上の言説において徐々に存在感を増しつつあるように見える。
事件発生から間もなく80年が経とうとしている今も、ブラック・ダリア事件は公式には未解決のままだ。真犯人の名前は、歴史の闇に沈んだままだ。数多の容疑者が取り沙汰され、数多の書籍と映像作品が「真相」を名乗って世に送り出されてきた。だが、決定的な答えにたどり着いた者はいない。
おそらくこの事件が持つ本当の恐ろしさは、猟奇的な遺体損壊そのものではないのだろう。女優を夢見てハリウッドにやってきた一人の若い女性の人生と死が、真相の解明そっちのけで消費され続けてきた。その事実そのものにこそ、本当の恐ろしさがあるのかもしれない。
それでもなお、深夜にこの事件のことを調べ始めてしまう者は後を絶たない。答えの出ない謎が持つ、抗いがたい引力のためなのだろう。
どこまでが記録で、どこからが推測か
1947年1月、エリザベス・ショートの遺体がロサンゼルスで発見された。遺体の状態や現場をめぐる刺激的な報道が集中し、彼女は死後に「ブラック・ダリア」と呼ばれるようになった。
この呼称が本人の生前から定着していたかには、異論がある。映画『青い戦慄』の原題との連想や、新聞の造語が指摘される。被害者の実像と、事件を売るために作られた妖艶な女性像は分けなければならない。
ロサンゼルス市警は大規模な捜査を行い、多数の自称犯人や容疑者情報を検討したが、起訴に至る人物はなかった。後年、医師、警察関係者、知人などを犯人とする本が相次いだ。候補者に解剖知識があった、写真が似ている、手紙を書けたという事情だけでは、現場にいたことや殺害行為を証明しない。物証の保管状況、供述が公表された時期、著者と候補者の関係も見て評価する必要がある。
念のため書いておく。捜査資料の一部が公開されているからといって、ネット上の「未公開写真」や「警察が隠した告白」がすべて公文書とは限らない。事件番号、作成部署、日付を確認し、同時代の新聞も扇情的な記述をそのまま事実とはみなさないことが重要である。未解決事件を考察する際も、遺体画像を再掲せず、ショート本人を謎解きの小道具にしない姿勢が求められる。
