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名古屋闇サイト殺人事件 ― 見知らぬ3人が掲示板で結託した末の理不尽な殺人

刑務所を出たばかりの男の書き込み

2007年8月16日、携帯電話で見る掲示板に短い書き込みが載った。

先に言っておく。被害女性の最期を、生々しく書くつもりはない。

書いたのは当時40歳の男で、刑務所を出たばかりだと名乗り、東海地方で一緒に何か組まないかと呼びかけている。

のちに自首する「山下」は、この男だ。

名は「闇の職業安定所」。

犯罪の仕事仲間を探す人間が集まる携帯向けのサイトで、職業安定所の名のとおり、求人と求職の欄まで備えていた。

2008年1月に参議院へ出された質問主意書が、書き込みの例を引いている。

たとえば「仕事あります、低い、低リスク、報酬五十万」。

リスクが一段上がると、報酬は百五十万に変わる。

みな、金に困っていた。

40歳の男は仕事と住まいを失い、車の中で寝泊まりしている。

32歳の男は、同居していた女性の金を使い込んで、その年の3月に家を追い出された。

36歳の男と40歳の男は、闇サイトを使った詐欺で、すでに執行猶予付きの有罪判決を受けていた。

裁判の記録を整理した記述によれば、3人の借金は数十万円から数千万円まで開きがある。

最初に返信したのは、偽名「杉浦」を名乗る29歳の男。

8月20日には32歳の男が、拉致して預金を引き出させるという趣旨のメールを送った。

捜査報告書に残る文面は「こづかい稼ぎですが、(人を)拉致して金を出させます(預金引き出し)」。

同じ日、36歳の男も、貧乏すぎて強盗でもしたい、と書き送っている。

念のため、書き込みの日付や文面は、報道ごとに少しずつ違う。

8月21日の朝9時、40歳の男と32歳の男が、ファミリーレストランで初めて顔を合わせた。

互いの素性は知らない。

見栄を張り、暴力団とのつながりをにおわせ合ったと記録にある。

夜には36歳の男が加わり、自分は元暴力団員で覚醒剤の入手先も知っている、と自己紹介した。

顔合わせから犯行まで、わずか3日。

三日で四つの計画が潰れた

最初の狙いは、パチンコ店の常連客。21日のことだ。

大金を持ち歩く男を駐車場で待ち伏せ、財布を奪う算段で、自宅まで尾行したが、途中で車を見失って終わった。

その晩は、知人宅への空き巣も試している。

飼い犬に吠えられ、入れない。

翌22日は、同じ常連客を高級マンションまで追った。

駐車場には防犯カメラが多数あり、この日も断念している。

18時ごろに合流した「杉浦」は、強盗殺人は無期か死刑しかないからやりたくない、と告げたと捜査報告書は記す。

殺す話は、すでに出ていた。

ダーツバーの経営者宅の下見も、隣家の明かりに気づいて見送っている。

23日には、包丁を万引きして、薬局の店員やガソリンスタンドを襲う計画を立てた。

だが、タイミングがつかめないまま閉店時刻を過ぎている。

どれも実行できない。

計画が潰れるたびに、年下の「杉浦」は下っ端扱いへの不満をためていったという。

24日の0時15分、「山下」が以前勤めていた会社の事務所に、「杉浦」が窓ガラスを破って入った。

手提げ金庫を狙ったが、見つからない。

「山下」はその間に車で走り去り、取り残された「杉浦」は0時55分、公衆電話から110番して自首した。

3時20分ごろ、建造物侵入と窃盗未遂の疑いで緊急逮捕される。

取り調べで彼は、掲示板で1週間前に知り合った共犯者がいる、と話した。

ところが、この供述が特捜本部に伝わったのは、8月27日。

事件を整理した記述には、名東署から特捜本部へ、「闇の職業安定所」を使った事件があったと知らされたのが、その日だと書かれている。

女性は、もう殺されていた。

11月20日、名古屋地裁は「杉浦」に懲役2年、執行猶予3年を言い渡している。

春里町の暗い道

24日の午後3時、残った3人は、名古屋市緑区鳴海の店の駐車場に集まった。

32歳の男が、今週中に30万円ほど要る、と言い出す。

36歳の男は、前の日に出ていた案を持ち出した。

若い女性を拉致し、カードを奪って暗証番号を聞き出す案。

続けて「最後は殺しちゃうけど、いいよね」と念を押し、ほかの二人は、いいですよ、と応じたと認定されている。

この返事の時刻を、裁判所は二度、違うふうに判断した。

一審の名古屋地裁は、ファミリーレストランを出た午後7時ごろに、殺害の共謀が成立したと見る。

二審の名古屋高裁は、返事をした午後3時ごろだと直している。

どちらにせよ、拉致より前だ。

女性を連れ去る前から、殺す話はできあがっていた。

標的の条件は、帰宅途中の若い会社員風の女性で、できれば一人暮らし。

狙いは、預金を下ろした直後の人。

3人は、高級住宅街の多い地下鉄東山線の沿線を、車で流した。

覚王山、本山、一社、本郷と回っている。

32歳の男は、街灯が少なくて暗く、道幅も狭い本山と覚王山のあたりがいい、と言ったと記録にある。

23時10分ごろ、名古屋市千種区春里町2丁目の路上を、一人の女性が歩いていた。

当時31歳の会社員。

32歳の男が道を尋ねるふりで近づき、後ろから口をふさぎ、車内へ押し込んだ。

自宅の市営住宅まで100メートルほどの場所だったと、母親は講演で語っている。

彼女は8月末に勤め先を辞めて、料理関係の仕事に移る予定だった。

現場のある自由ヶ丘学区は、千種区の中でいちばん犯罪の少ない学区だった、と事件を整理した記述にはある。

ここから先は、筆者の見立てだ。

治安のよさは、夜に人通りが少なく、街灯もまばらな住宅地の裏返しでもある。

犯人たちが車の中から選んだのは、人目のない道の条件。

判決は、被害女性を全く関係のない通りがかりの一般市民と認定している。

事件の翌26日以降、現場の小学校の周りでは、地元の自主防犯パトロール隊が巡回の回数を増やしている。

千種区でいちばん犯罪の少なかった学区の、夜の見回り。

いつ誰が同じ目に遭うか分からない、という不安が、報道で広がっていった。

夜道の不安は、町に残る。

暗証番号は2960だった

車は西へ走った。

止まったのは、愛西市佐屋町の屋外駐車場。時刻は、25日の午前0時を回ったころ。

そこで現金およそ6万2千円と、キャッシュカードを含む持ち物が奪われた。

男たちは包丁を示し、暗証番号を言わなければ刺す、と脅している。

長い沈黙のあと、彼女は4桁の数字を口にした。

数字は、2960。

運転席の男が、0時45分に携帯電話へその番号を打って控えた。

嘘の番号。

男たちは、本物だと思い込んだ。

2008年12月8日、名古屋地裁の法廷に、母親と、被害女性と交際していた男性が証人として立った。

二人は、数字の語呂合わせをよくする人だったから、あの番号は「憎むわ」の意味だと思う、と証言している。

19年後の2026年、母親は民放局のインタビューで、何かに自分の気持ちを託したのかなって、と語った。

あの子の絶対に許さない気持ちだと受け取り、「かたきは取ってやる」と思ったという。

男たちは番号を本物と信じ、顔を見られたからと、午前1時ごろ女性の命を奪った。

判決は、必死の命乞いにも耳を貸さなかった点を、戦慄を禁じ得ないと断じている。

そのあと3人は、奪ったカードで預金を下ろそうと回った。

午前2時56分の小牧の現金自動預払機は、取り扱い時間外で動かない。

遺体を岐阜県瑞浪市稲津町の山林へ運んだのは、午前4時40分ごろ。

9時10分の知立の銀行支店でも、10時35分の名古屋市南区のコンビニでも、嘘の番号は通らなかった。

口座にあった預金は、報道によって額が違う。

母親の話では約800万円、検察の上告趣意書を引いた記述では合計約890万円。

母親は、その金が自分に家を建てるための貯えだったと、娘の交際相手から聞いて知った。

嘘の番号が守ったのは、その金だ。

午後1時半の電話

預金が下ろせないとわかった3人は、その夜も名古屋駅の近くで別の女性を拉致すると決めて解散した。

8月25日の午後1時30分、40歳の男が愛知県警本部に電話をかけている。

女性を拉致して金を奪い、岐阜県に埋めた、と話した。

当直の警察官は、その場にとどまるよう伝える。

14時17分、緑警察署の警察官7人が男の身柄を押さえている。

男は遺体を遺棄した山林まで警察を案内し、19時10分ごろ、自供どおりの場所で女性の遺体が見つかった。

同じころ、残る2人の居場所も割れていた。

36歳の男は19時10分ごろ、32歳の男は22時ごろに、警察に取り押さえられている。

特捜本部が事件を発表したのは26日の0時で、3人の逮捕は4時過ぎ。

9月14日、3人は死体遺棄で起訴され、同じ日に強盗殺人などの疑いで再逮捕された。

自首をどう見るかは、裁判の大きな争点になった。

弁護側は、事件の直後に良心の呵責に耐えられず電話した、と主張している。

検察は、保身だと反論した。

一審の名古屋地裁は、短時間の自首で捜査機関が初めて犯行を把握し、残る2人の逮捕と解決につながった点を評価する。

それで、40歳の男だけが死刑を免れた。

一審で死刑を免れたあと、男は民放の記者との面会で、3人一緒に死刑だと思っていたから驚いた、と話している。

同じ面会で、悪いことはばれなければいいという気持ちは今も変わらない、とも語ったと報じられた。

正直、この言葉を読むと、自首の意味をどう受け止めればいいのか迷う。

裁判所は、自首が次の犯行を止めたと見た。

母親は後年、人を募った男が自首で減刑されたことに、強い憤りを感じたと語っている。

被害者が一人でも死刑になるのか

死刑を選ぶときの物差しは、1983年7月の最高裁判決。

連続4人射殺事件の判決が示した、いわゆる永山基準だ。

動機、残虐さ、遺族の感情、前科などを総合して決めるが、「殺害された被害者の数」には「ことに」と強調がついている。

そのせいで、被害者が一人の事件は無期懲役になることが多かった。

日本弁護士連合会が把握した統計では、基準が出てから被害者一人で死刑が確定した事件は25件。

起訴から初公判までは、約1年かかっている。

公判前整理手続が2007年12月から2008年9月まで続いたからで、初公判は2008年9月25日だった。

母親は、その待ち時間のさなかの2008年3月、法務大臣に手紙を出して早い公判開始を訴えた。

弁護側は、見栄を張り合う中で起きた場当たりの犯行で、計画性はないと主張している。

検察は、3人の刑事責任は同等だと反論している。

2009年1月20日、検察の論告求刑があった。

求刑は、3人全員に死刑。

闇サイトで集まった者の犯罪は発覚しにくく、まねもされやすい、というのが論告の柱だった。

遺族が集めた署名は、証拠としては採用されていない。

検察は冒頭陳述や論告で、繰り返しその存在に触れている。

2009年3月18日、名古屋地裁は36歳の男と32歳の男を死刑、40歳の男を無期懲役とした。

裁判員制度が始まる前の裁判で、職業裁判官だけが裁いている。

判決は、掲示板で集まった集団が短期間で凶悪犯罪をやり遂げる型の犯罪に、厳罰の必要性は誠に高いと述べている。

全国紙は判決を一面で扱い、刑法学者の間には異例の厳しい判断だという見方が少なくなかった。

一方、各紙の社説は、おおむね支持する内容だった。

36歳の男は、捜査段階の供述で、人を殺した以上、謝っても責任を取ったことにはならない、と述べたと報じられている。

自分で作ったルールに従って生きる、殺人への抵抗感はない、とも話している。

一方で、自首した男を恨み、留置場にいる相手へ脅すような手紙を送った。

判決は、真摯な反省の態度を見せているとは到底言い難い、と評している。

36歳の男は、4月13日に自分で控訴を取り下げている。

死刑が確定する。

理由として本人は、殺したければ早く殺せ、という思いを挙げている。

ネットや週刊誌に出た交際相手への中傷も、背中を押したという。

弁護人は取り下げは無効だと争ったが、最高裁が2011年3月に退けた。

残る2人の控訴審は、2011年4月12日に判決が出た。

名古屋高裁は、32歳の男への死刑を破棄して、無期懲役にしている。

理由は、計画は綿密でなく矯正可能性もあること、役割が36歳の男と同等とはいえないこと、被害者が一人であること。

死刑にするにはためらいがある、と裁判長は述べた。

自首した男の無期懲役は、そのまま支持されている。

一審と二審でいちばん割れたのは、ネットで集まったことの重さ。

一審は、素性を知らない者同士の犯罪は凶悪化しやすく、発覚も難しく、まねされるおそれが高いと見た。

二審は逆に、通話やメールの履歴が残るから、発見が格段に難しいとは言い難いと述べている。

意思疎通が不十分で、失敗しやすい面もある、とも指摘した。

刑法学者の見方も割れた。

従来の死刑の基準にかなった判断だと評価する学者がいる。

元検察官の学者は、事件の特色を過小評価して、極刑を避けた感が否めない、と批判した。

意見は割れたままだ。

筆者の見立てでは、二審が崩したのは、ネットで集まったという新しさの重みだ。

残ったのは、何人殺したかという古い物差し。

検察は、32歳の男への判決に上告した。

2012年7月11日付で、最高裁第二小法廷は上告を棄却している。

決定は、動機に酌量の余地はなく、犯行は計画的で残虐だと述べた。

そのうえで、被害者が一人であることなどを重く見た二審を、甚だしく不当だとはいえないと結論づけた。

7月18日、無期懲役が確定。

無期が確定した16日後に

無期懲役が確定した2012年7月18日から16日後の8月3日、32歳だった男は別の事件で逮捕された。

1998年6月28日、愛知県碧南市のパチンコ店の店長夫婦が殺され、金品を奪われた事件だ。

男は、当時の仕事仲間2人とともに、強盗殺人の疑いで捕まった。

闇サイトの事件の、9年前。

名古屋地裁は2015年12月15日に死刑を言い渡し、名古屋高裁は2016年11月8日に控訴を棄却している。

最高裁が上告を退けたのは2019年7月19日で、死刑が確定したのは8月8日だった。

3人のうち一人は執行され、一人は死刑が確定した。

残る一人は、無期懲役で服役中と2019年の時点で報じられている。

結末は、三つに割れた。

闇サイトの事件の二審は、重大な前科がないことを、死刑を避ける理由に挙げていた。

その前提を、後から出てきた余罪が揺るがした、と母親は講演で訴えている。

母親は2013年の講演で、3人が初めて会って3日で犯行を計画し実行した点を挙げた。

人の命を奪うことに躊躇がないなら、犯罪傾向は進んでいると見るのが普通ではないか、という疑問だ。

被害者が一人だから、そこを見てもらえなかった、と母親は感じたという。

33万2806人の署名

母親が最初にしたのは、手記を出すことだった。

通夜の8月28日、報道各社に向けて、犯人たちを絶対に許さないと書いた手記を出している。

そのあと、見知らぬ人から手紙が届いた。

一人の被害者では、日本の司法では、なぜか死刑にはならないだろう、という一節があったと、母親は後に書いている。

それまでは、3人とも当然死刑になると思っていたという。

事件から20日ほどたった9月半ば、母親は姉と二人で署名活動を始めた。

封書で署名用紙を送る宛名書きは、毎晩2時、3時まで続き、手首が腱鞘炎のように痛んだという。

9月22日にホームページを立ち上げ、用紙を印刷できるようにした。

9月の末には、名古屋駅の周辺で、4日間、1日2時間の街頭署名にも立っている。

目標は、初公判までに30万人。

初公判の直前、2008年9月の時点で、28万4000人分が集まっていた。

署名が終わったのは2012年8月で、数は33万2806人になる。

事件から5年の命日まで、一度もやめようと思わなかった、と母親は書いている。

死刑を求める内容にもかかわらず、大勢の人が寄り添ってくれたことが支えになったという。

代償も大きかった。

母親は仕事を辞め、30年住んだ住まいを離れている。

署名用紙を求めて見知らぬ人が訪ねてくるほど、住所が知られてしまった。

死刑を求める活動をしながら、傍聴で闇サイトに集まる人間の考え方を知り、怖くて住み続けられなかったと講演で話している。

被害者参加制度が始まったのは2008年12月で、この裁判の初公判はその前だった。

母親は、弁護士の費用を制度に頼らず自分で負担している。

2013年の講演では、被害者側に国選弁護人がつく条件が、現金と預貯金で150万円未満の人に限られている点を挙げた。

もう一つ、壁があった。

判決のたびに、検察に上訴をお願いするための意見書を書いたのだという。

加害者には上訴の権利があり、被害者にはない。

忘れたいはずの殺害の状況を、公判記録で読み返す作業だったと、母親は書いている。

2015年6月25日、36歳だった男の死刑が、名古屋拘置所で執行された。

44歳だった。

この日は、被害女性の月命日にあたる。

弁護人が抗議集会で紹介した最後の言葉は、命をもって償います、という趣旨だった。

母親は、嫌なことを思い出させたくないから、天国の娘には知らせない、と産経新聞に話している。

それから11年後の2026年9月、母親は民放局のインタビューで、執行を知ったときの気持ちを語った。

嬉しいという気持ちは全然なくて、と母親は言った。

これでもう考えなくて済む、と思うと、ほっとしたところもあったという。

2020年には、日本放送協会の取材班が、遺族の12年を『娘を奪われたあの日から』という本にした。

母親は書評に、人は存在を忘れ去られたときに二度目の死を迎える、と書いている。

闇の求人はどこへ行ったのか

事件のあと、掲示板がどうなったのか、確かな出どころは見つからなかった。

閉鎖されたと書くサイトはある。

だが、母親は2013年の講演で、いまだに闇サイトは何の法的規制もされずに存在すると話している。

事件から15年の2022年夏には、中日新聞が「闇の求人」が今もネットにあると報じている。

2008年1月、参議院に出された質問主意書は、サイトの題名や求人の欄、報酬を示した書き込みから、この掲示板は職業安定法に触れるのではないか、と政府に問うた。

内閣の答弁書は、募集に当たるかどうかは個々に判断する必要があり、一概には答えにくい、というものだった。

明確な答えは出ていない。

総務省の検討会の資料には、通報窓口の数字が残っている。

窓口は、警察庁の委託で2006年6月に、通報の受け付けを始めている。

2007年中に受けた通報は8万4964件で、うち1万2818件が社会的法益を侵害する情報と判断された。

後年、闇バイトという言葉が広まると、通報窓口の対象は広げられた。

2023年2月15日、重要犯罪と密接に関わる情報が、窓口の扱う有害情報に加わっている。

犯罪対策閣僚会議は、ネット上で実行犯を募る手口への緊急対策プランも決めた。

まあ、これは筆者の見立てだが、名前が変わっても、書き込みと返信で人が集まる仕組みは、2007年から続いている。

報道の側にも、記録が残る。

事件直後、中日新聞、読売新聞、毎日新聞は社説で、ネットの匿名性が悪用される危険を指摘した。

中日新聞は2009年の社説で、この事件を現代社会の体感治安の悪化を示す事件と位置づけている。

名古屋の民放局が2012年に放送した「心に残るニュース50選」では、事件部門の8位に入った。

母親は娘の蓄えを、娘の希望どおりに使ってあげたいと考え、マンションを買って引っ越した。

娘は、一度も来ていない。

それが残念だけれど、娘が私に託したものだから私が管理する、という気持ちで住んでいる、と母親は話している。

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