20年以上、犯人にたどり着けていない事件
2003年、平成15年の7月。東京都足立区西竹ノ塚に住む15歳の女子高生、高校1年生の女の子が行方不明になった。見つかったのは、茨城県猿島郡五霞町の道路脇の用水路だった。
これが「五霞町女子高生殺害事件」だ。今も容疑者の特定や逮捕には至っていない未解決の殺人事件で、捜査特別報奨金制度の対象になったこともある。
未解決事件をまとめた記事では、「解明難易度は星三つ」と評価されていた。理由は、不審な車の目撃情報があるのに、その行方を追えなかったこと。田園地帯の静けさが、捜査をいっそう難しくした、という見立てだった。
祭りの夜まで
事件の時系列を、分かっている範囲で組み直してみる。
2003年7月6日、日曜日。都立高校の通信制課程に通う1年生で当時15歳だった麻衣さんは、父親に「20時に帰る」と告げて家を出ている。報道によっては「22時」とも伝えられている。
彼女はまず、友人、同僚とも言われる相手と、埼玉県草加市内で合流した。昼過ぎに食事をとり、越谷市内で買い物を楽しんだとされる。
夕方以降、新越谷駅から電車に乗って谷塚駅で降りた。ちょうどその日、瀬崎浅間神社の夏祭りが開かれていて、彼女はそこへ立ち寄った。
かき氷屋台の呼び込み
祭りの会場で、麻衣さんはかき氷の屋台を出していた女性の店員と意気投合したという。午後8時ごろからは店の呼び込みを手伝うなど、楽しい時間を過ごしていた。
午後9時ごろ、屋台を離れた。谷塚駅前のコンビニで飲み物を買い、誰かを待っているような様子で駅前の階段に座り込んだという。
これが、公式に確認されている「最後の目撃情報」だ。
駅前の階段に、一人で座る15歳。祭りの明かりと人の流れのすぐそばで、彼女は誰を待っていたのか。その相手が分かれば、事件はたぶん大きく動く。
そのあとまもなく、午後10時ごろを境に、彼女の携帯電話はつながらなくなった。消息は、そこで途切れる。ぷつりと。
3日後、40キロ先の用水路で
3日後の7月9日、午前9時40分ごろ。現場から利根川を挟んで約40キロ離れた、茨城県猿島郡五霞町川妻の道路脇の用水路で、遺体が見つかった。
見つけたのは散歩をしていた近所の人で、若い女性がうつ伏せで「く」の字に折れ曲がった状態だったという。
この時点では、身元は分からなかった。宮崎県に帰省していた麻衣さんの家族が、テレビの報道で事件を知り、警察に問い合わせた。それで身元が判明したと伝えられている。
汚れていない、白い靴下
司法解剖の結果、死因は首を紐状のもので圧迫されたことによる窒息死、つまり絞殺だった。腕や胸には、素手で殴られたとみられる打撲の痕も見つかっている。
服装は黒いスポーツウエア。靴は、なかった。
ところが、履いていた白い靴下には、汚れがほとんどなかった。このことから、見つかった場所とは別の場所で殺され、車などで運ばれて用水路に捨てられたと推定されている。
バッグ、財布、腕時計、携帯電話。持ち物は、今に至るまで一つも見つかっていない。
靴下がきれいなまま、というたった一つの事実から、殺された場所と捨てられた場所が別だと分かる。小さな手がかりが、ここまで多くを語るんだよな。逆に言えば、それ以外の手がかりがあまりに少ない事件でもある。
空白の3日間
事件が発覚した経路は、少し変わっている。家族の捜索願と、テレビ報道をきっかけにした身元確認という流れをたどった。
行方不明になってから遺体が見つかるまでの3日間、麻衣さんがどこでどう過ごしていたのかは、今も分かっていない。この「空白の3日間」こそが、事件最大の謎とされている。
茨城県警は境警察署に捜査本部を置いた。警視庁や埼玉県警と連携して、目撃情報のあった草加市の祭り会場を中心に聞き込みを重ねていった。
捜査関係者が特に重く見てきたのは、7月6日午後9時以降の目撃情報だ。会場の近くで車に乗せられた、あるいは自分から車に乗り込む姿を見た。そういう情報の提供を、今もくり返し呼びかけている。
報奨金、時効撤廃、延べ1万7000人
事件は2007年6月、警察庁の第2回捜査特別報奨金制度の対象事件に指定された。報奨金は最高300万円。2008年7月には、民間の有志による私的な懸賞金500万円も設けられた。
2010年の刑法改正で、殺人罪の公訴時効は撤廃。この事件も時効という考え方そのものが消え、理屈の上では何年たっても立件できる状態になった。
2018年前後までに、捜査員は延べ1万7000人も動員されたと報じられている。寄せられた情報は91件。本当に途方もない数だ。それでも、決定的な犯人の特定には至っていない。
5万円の報奨金という新しい仕組み
2021年4月、茨城県警は全国で初めての「情報提供報奨金制度」を独自に導入した。この事件を含むいくつかの未解決事件が対象で、上限は5万円と、かなり少額だ。
狙いは、高額な報奨金だけでは動きにくい「ちょっとした目撃情報」を拾い上げること。県警が長く解決しない事件の風化を防ごうと、力を入れていることがうかがえる。
大金じゃなくていい。あの夜、駅前で見かけた車の色や、誰かと話していた姿。それを少しでも覚えている人がいれば、その小さな記憶が止まった捜査を動かすかもしれない。そういう切実な呼びかけなんだと思う。
ナンパ目的の若者たちの中に
考察系のブログやまとめサイトでは、犯人像についていくつかの説が交錯している。
一つ目は「ナンパ集団、ハント族説」だ。夏祭りという開放的な雰囲気の中、他県からナンパ目的で来ていた若者グループの中に犯人がいたのではないか、という見方になる。
実際、夕刊紙の記事でも「他県からナンパに来ていた連中のなかに犯人がいるのかも」という証言が紹介された。この説は、それなりの広がりを見せている。
声をかけて、車に誘い込んだ
二つ目は「単独犯、埼玉東部在住者説」だ。
麻衣さんは外向的で、よく目立つ存在だったという。土地勘のない場所で祭りを楽しんでいた。そこへ20歳前後の若い男が一人で声をかけ、言葉巧みに車へ誘い込んだのではないか、という考察だ。
なぜ40キロも運んだのか
三つ目は「越境遺棄説」。これが一番有名かもしれない。なぜ現場から40キロも離れた茨城県五霞町まで、わざわざ遺体を運んだのか。そこに目を向けた見方だ。
犯人は埼玉県内に住んでいて、当時のNシステム、つまり自動車のナンバーを自動で読み取る装置による捜査網を避けようとした。そのために、あえて利根川を越えて県境をまたいだのではないか、というわけだ。
元のまとめ記事も、犯人像を似た方向で考えていた。車で移動する外部の人間だったのではないか。用水路を隠れ蓑にして短時間で立ち去ったことから見て、計画的に動いていたのかもしれない、と。
どの説も、状況証拠からの推測にとどまっている。警察が公式に裏付けたものじゃない。そこは押さえておきたい。
ここで少し、情報の確かさについても書いておく。大事な話だ。事件そのものは実在し、独立した資料で概略を確かめることができる。一方で、まとめ記事に書かれた細部は話が別だ。日時や人数、場所、動機、捜査の経過は、公的な記録や警察の発表、同時代の報道で一つずつ確かめる必要がある。
犯人像の説も同じだ。独立した裏付けがない限り、噂や異説として読むのが筋になる。
靴下から読み解いたブログ
個人ブログ「いつしかついて来た犬と浜辺にいる」では、筆者が事件の時系列を丁寧に整理している。
注目したのは、靴を履いていないのに靴下が汚れていない、という不自然な状態だった。祭り会場からそう遠くない場所で、短い時間のうちに殺され、そのまま車で運ばれたのではないか。筆者はそう分析している。
見られても、記憶に残らなかった
同じブログには、もう一つ鋭い考察がある。
麻衣さんは祭り会場でたくさんの人と接していて、目撃者は多かったはずなのに核心に触れる情報が出てこない。
それは、犯人と一緒にいるところを見られても、ただの友だちや恋人と思われて記憶に残らなかったからではないか。そんな読み解きだ。言われてみると、ぞっとするほど筋が通っている。
「夏祭りの夜に消えた少女」
YouTubeの未解決事件考察チャンネルでは、この事件がくり返し取り上げられてきた。タイトルは「夏祭りの夜に消えた少女」「夏祭りの最中に連れ去られた女子高生」など。時系列を再現ドラマ風に紹介する動画が何本も上がっている。
コメント欄には、いろいろな声が並ぶ。「当時中学生だったが地元でこの事件のことは誰もが知っていた」。
「利根川を越えて茨城まで運ぶのは土地勘がないと難しいのでは」という声もあった。「かき氷屋台の店員さんの証言がもっと重要視されるべきだったと思う」と書く人もいる。20年以上たった今も、見る人の関心は途切れていない。
岩井市の事件と並べて
5ちゃんねる系のまとめサイトや考察ブログでは、茨城県内のほかの未解決事件と結びつけて論じるスレッドもある。「岩井市女子高生殺害事件」などだ。
県境をまたぐ土地で若い女性が被害に遭う事件がくり返されていることに、不安の声も見られる。怖い話だ。
浅間神社と、利根川と江戸川の間
事件の舞台になった埼玉県草加市瀬崎の浅間神社は、地域の人に親しまれた夏祭りの会場として知られている。毎年たくさんの人出でにぎわう場所だ。
遺体が見つかった茨城県猿島郡五霞町は、利根川と江戸川に挟まれた低い平地の田園地帯にある。県境をまたいで移動しやすい地理条件を持った町だ。
2003年という時代
2003年は、携帯電話が広く行き渡りはじめた時期だった。家族との連絡手段だった携帯電話が「午後10時ごろから応答しなくなった」ことが、事件の大事な手がかりになっている。当時の通信の事情が、よく表れている。
防犯カメラやNシステムの整備が、まだ途中だったことも大きい。犯人の足取りを追ううえで、それが大きな壁になったと指摘されている。
今みたいに、あちこちに監視カメラが付いている時代だったらどうだったか。捜査の様子は、まるで違っていたかもしれない。祭りの夜の駅前階段に座っていた15歳の足取りは、今もその先が見えないままだ。
