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戸塚ヨットスクール事件――「体罰は善」と叫び続けた男と、19年に及んだ裁判

戸塚ヨットスクール事件は、「厳しい教育だったのか、行き過ぎだったのか」という曖昧な話ではない。訓練中の暴力によって生徒が亡くなり、指導者らの刑事責任が認定された事件である。保護者が入校に同意していても、教育を名乗っていても、生命や身体を傷つける行為は正当化されない。裁判が19年かけて示した線引きは重い。

ヨット教室から更生施設へ

戸塚宏が愛知県美浜町にスクールを開いたのは1976年。当初はヨット選手の育成が目的だった。1977年にテレビ番組で、不登校の子どもが訓練によって改善したという趣旨の話をしたことで、施設の役割が変わっていく。不登校や非行、家庭内暴力に悩む家庭から入校希望が集まり、「厳しく鍛えれば立ち直る」という評判が広がった。

当時は青少年問題への不安が強く、追い詰められた保護者にとって、その説明は魅力的に聞こえたのだろう。入校金は300万円と高額だったが、全国から子どもたちが送られた。スクール側は難病まで改善するという医学的根拠のない主張もしていたとされる。しかし、そこで行われていたのは科学的な治療ではなく、強い身体的負荷と暴力を伴う訓練だった。

失われた生徒たちの命

1979年から1982年にかけて、生徒の死亡や行方不明が続いた。1980年11月には、訓練中に暴行を受けたとされた21歳の青年が死亡。裁判では外傷性ショックが死因と認定された。フェリーから海へ入った後に行方不明となった生徒の事案もあった。

1982年12月には、自分の意思で入校した13歳の少年が、わずか8日後に亡くなった。訓練中に暴行を受け、体調が悪化しても十分な治療につながらなかったとされた。ここで大切なのは、苦痛の様子を細かく描くことではない。立ち直りや成長を願って預けられた若者が、安全を守られるべき施設で命を失ったという事実である。

1983年、スクールのコーチらが別の暴行事件を起こしたことをきっかけに、本格的な捜査が進んだ。同年6月に戸塚が逮捕され、複数のコーチも逮捕された。死亡事案は、単なる海難事故ではなく、暴力による傷害致死などとして裁判に持ち込まれた。

19年かかった刑事裁判

名古屋地方裁判所が一審判決を出したのは1992年7月27日。戸塚には懲役3年、執行猶予3年が言い渡された。起訴後の勾留が非常に長かったことなども量刑で考慮された。弁護側は、保護者の同意があり、更生を目的とした正当な業務だったと主張したが、裁判所は暴力の正当化を認めなかった。

検察と弁護側の双方が控訴し、名古屋高等裁判所は1997年3月12日、一審を破棄して戸塚に懲役6年の実刑判決を言い渡した。訓練は教育や治療と呼べるものではなく、生徒の人権を無視した行為だったと認定した。最高裁判所は2002年2月25日、二審判決を支持し、有罪が確定した。1983年の起訴から19年が過ぎていた。

保護者の同意は、子どもの身体を傷つけてよいという許可にはならない。「本人のため」という目的を掲げても、行為の危険性と結果が消えるわけではない。この判断は、体罰と教育の境界を考えるときの大事な基準になった。

いまも続く言葉への違和感

戸塚は服役後も「体罰は教育である」という持論を撤回せず、近年も動画などで発信している。スクールも存続したが、2006年以降にも関係する死亡事案が報じられている。現在の活動内容を過去の事件と同一視することはできない一方、刑事裁判で認定された暴力と死亡をなかったことにもできない。

一部には、厳しい指導でしか子どもは変わらないという支持も残った。だが、これは「甘やかしか、スパルタか」という二択ではない。必要な支援と、生命を危険にさらす暴力は別物だ。亡くなった生徒と遺族にとって、事件は教育論の題材ではなく、取り戻せない被害である。その視点を外さずに読むと、「子どものため」という言葉が免罪符にならない理由がはっきりする。

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