## 三連休の初日、山の中から7歳が消えた
2019年9月21日。土曜日。世間は三連休の初日で、山梨県南都留郡道志村のキャンプ場はどこも家族連れで埋まっていた。空は曇り。標高700メートル前後の谷あいは、9月下旬でもう半袖だと少し肌寒い。道志川のせせらぎと、あちこちのサイトから漂うバーベキューの煙。よくある、いい休日だったんだよな。
その日、椿荘オートキャンプ場に集まっていたのは、千葉県成田市を中心とした知人同士の7家族、大人と子どもを合わせて27人ほどのグループだった。そのなかに、千葉県成田市に住む小学1年生・小倉美咲さん、7歳がいた。母親のとも子さんと、姉と一緒だった。朝7時ごろに成田の自宅を出て、中央道を経由して、昼過ぎに到着。テントを張って、飯盒の準備をして、子どもたちは早々に走り回っていた。
そして午後3時40分ごろ、美咲さんは川へ向かう子どもたちの後を追って歩き出し、そのまま帰ってこなかった。7年近く経った今も、彼女がその20分間に何を見て、どこへ行き、何が起きたのかを説明できる人間は誰もいない。骨は見つかった。靴も見つかった。それでも、真ん中がぽっかり空いたままなんだ。この事件がずっと引っかかり続けるのは、たぶんそこだ。
## 12時15分から17時まで――あの日を分刻みで並べてみる
記録と各社報道、そして家族側が公開してきた説明を突き合わせると、当日の流れはかなり細かく再現できる。
12時15分ごろ、小倉家がキャンプ場に到着する。荷下ろし、テント設営。子どもたちは川べりに下りたり、広場で追いかけっこをしたりして遊んでいた。午後1時から3時ごろまでは、大人たちが見える範囲での自由時間だ。この時間帯、子どもたちは広場の裏手の森にも入って遊んでいる。つまり「森に入ること自体」は、その日すでに何度も起きていた普通の行動だった。ここが地味に大事なポイントで、美咲さんにとって森は初めて足を踏み入れる未知の領域ではなかった。
午後3時35分ごろ、おやつの時間になる。子どもたちが集められて、お菓子が配られた。ここでじゃんけん大会みたいなことをやっていて、美咲さんは負けた。だから食べ始めるのがいちばん最後になった。何でもない、微笑ましい場面だ。でもこの数十秒の遅れが、結果として彼女を「ひとりで後を追う子」にしてしまった。
午後3時40分から45分ごろ。先に食べ終えた子どもたちが、川のほうへ遊びに出ていく。美咲さんは慌てて後を追った。数人の子が、彼女がT字路を左へ曲がっていくのを見ている。これが最後の目撃だ。
午後4時ごろ、大人が子どもたちを呼び戻す。戻ってきた列のなかに、美咲さんだけがいなかった。ここから20分ほど、大人たちがキャンプ場内とその周辺を必死に探し回る。見つからない。午後5時ごろ、110番通報。日没が午後5時半前後だから、もう時間との勝負だった。午後7時、警察犬が投入される。だが、これといった反応は出なかった。
最後に姿が確認されてから通報までが約80分。山の遭難としては、正直かなり早い部類の初動だ。にもかかわらず、その夜も、翌日も、翌週も、彼女は出てこなかった。
## 「T字路を左に曲がった」――最後の背中を見た子どもたち
この事件の一次証言のなかで、いちばん重く、そしていちばん扱いが難しいのが子どもたちの目撃だ。
同行していた子どもたちの証言を突き合わせると、こうなる。美咲さんは、先に行った子たちを追いかけて小走りで進んだ。途中のT字路で左へ曲がった。声をかけた子もいたし、かけなかった子もいた。ある子は「後ろから来ていた」と言い、別の子は「途中で見えなくなった」と言った。当時、いちばん年少に近い子どもたちが多く、時刻の感覚も距離の感覚も曖昧だ。しかも聞き取りが行われたのは、大人たちが顔面蒼白で走り回っている、極度に混乱した状況の後だ。子どもの記憶がこういう環境で汚染されやすいのは、心理学の世界では散々言われてきたことなんだよな。
それでも、この「T字路を左」という一点だけは複数の子から出ている。左に曲がると何があるか。川へ下るルートと、林道の方へ上がるルート。この分岐の解釈が、後の捜索範囲を大きく左右した。捜索の主軸は「川へ下った」方向だった。子どもたちが向かった先が川だったからだ。理屈としては当然だ。7歳が、みんなと逆の、しかも登り坂の方向へひとりで進むと考えるほうが不自然だから。
しかし2022年、骨が見つかったのは川ではなかった。キャンプ場の東およそ600メートル、山道の脇。しかも当初の重点捜索エリアの外側だった。この一点だけで、「T字路を左」の解釈がまるごとひっくり返る。
もうひとつ、ネット上で長く議論になった証言がある。捜索初期に「足跡のようなものが10個くらいあった」という話が出回った。ただ、これは出所が不明瞭なまま拡散したもので、警察が公式に位置や状態を説明したわけではない。こういう「あったらしい」情報が固有名詞みたいに一人歩きするのが、この事件のややこしさを何倍にもしている。
## 夜の道志川に響いた名前と、反応しなかった警察犬
21日の夜、現場は真っ暗になった。道志村は街灯がほとんどない。谷が深いから、日が落ちると本当に何も見えなくなる。ライトを持った大人たちが、川沿いと林道を「みさきー」と叫びながら歩いた。返事はない。あるのは水の音だけだ。
警察犬が入ったのは午後7時。だが、決定的な反応は出なかった。ここが後々ずっと議論の的になる。ネット上では「橋の手前で犬が止まった」「そこから先の匂いが取れなかった」という説明が広く出回ったが、これも警察が公式に詳細を説明したものではない。犬の反応がなかった理由として現実的に考えられるのは、いくつもある。当日は大勢の子どもが同じ場所を何往復もしていて匂いが飽和していたこと。夕方から夜にかけて気温が下がり、匂いの残り方が変わること。川の水音と湿度。そもそも彼女がそこを通っていなかった可能性。どれも否定できない。
翌9月22日の早朝から、捜索は本格化する。約80人体制。キャンプ場から半径5キロを目安に、警察、消防、地元の消防団が入った。5日目からは陸上自衛隊も加わり、ヘリコプターとドローンによる空からの捜索も始まった。ボランティアも次々に集まってきた。連日、道志みちに車がずらりと並んだ。
それでも出てこない。斜面を落ちた子どもなら、普通は数百メートル圏内で見つかる。衣服の色は目立つ。持ち物もある。にもかかわらず、痕跡がひとつも出てこないという状況が続いた。この「何も出ない」という異常さが、事故説以外の説を膨らませていく最初のガソリンになった。
## 16日で終わった大捜索と、そこから始まった親の捜索
大規模捜索が打ち切られたのは、失踪から16日目、10月6日だった。延べ人数で1,700人規模。それだけ人を投入しても、髪の毛一本ぶんの手がかりも出せずに終わった。
ここから先が、この事件の空気を決定づけていく。捜索本部は解散しても、親は終われない。とも子さんは、週末になるたび成田から道志村へ通った。片道およそ200キロ。自分でチラシを作って配り、ボランティアの受け入れ窓口を作り、家族としてのホームページを開設し、YouTubeにも情報提供を呼びかける動画を出した。山梨県警の公式チャンネルでも呼びかけが行われた。
雨の日も、雪の日も、彼女は山に入った。落ち葉をかき分け、沢を覗き込み、崖の下を見る。もし自分の子どもがそこにいたら、と考えると、正直、想像するのがしんどい作業だ。しかも探しているのは、見つかってほしいものであり、同時に絶対に見つかってほしくないものでもある。
この「母親が動き続けた」という事実が、後にとんでもない副作用を生む。目立つ人は叩かれる。日本のインターネットの、いちばん醜い法則だ。それについては後で書く。
## 2年7ヶ月後、ボランティアの手のひらに乗った白いかけら
2022年4月23日。失踪から2年7ヶ月が過ぎていた。
この日、単独で山に入っていた40代の男性ボランティアが、キャンプ場から東へおよそ600メートルの山道の脇で、白いものを見つけた。骨だった。子どもの頭蓋骨の一部。斜面の上のほう、落ち葉に半分埋もれるような形であったと報じられている。
そこから、堰を切ったように出てくる。4月28日、右足用の運動靴。サイズ20センチ、エメラルドグリーン、ローマ字で「SYUNSOKU」。子ども靴の定番中の定番、あの瞬足だ。翌4月29日、左足用の靴と靴下。5月4日、肩甲骨。5月11日、右腕と左足の骨。
5月12日、ミトコンドリアDNA型鑑定の結果が出る。とも子さんと親族関係にあることが判明した。そして5月14日、山梨県警が「小倉美咲さんのもの」と断定する。
この発表があったのは、美咲さんの誕生日の直前だった。TBSの取材に対し、とも子さんは「10歳の誕生日の前日に、言葉にならない」という趣旨のことを話している。生きていれば10歳。ランドセルを背負って4年生になっている年齢だ。
2年7ヶ月ぶりに戻ってきたのが、骨と靴だった。やりきれないなんて言葉じゃ足りない。
## エメラルドグリーンの「SYUNSOKU」が突きつけた違和感
ここから議論が一気に加速する。理由は、靴だ。
発見された運動靴の状態が「良すぎる」という指摘が、専門家からもネット上からも噴出した。犯罪ジャーナリストの小川泰平氏をはじめ、複数の元捜査関係者がこの点に疑問を呈している。考えてみてほしい。2019年9月から2022年4月まで、およそ950日。その間、道志村の山中では、夏の豪雨も、台風も、冬の積雪も、春の雪解けも起きている。落ち葉が何度も積もり、腐葉土になり、微生物と虫と雨に晒され続ける。布と樹脂でできた子ども靴が、そこに950日置かれていたら、普通どうなるか。
それから、骨の分布だ。頭蓋骨、肩甲骨、右腕、左足。これらが数百メートル圏内にバラけて出た。逆に言えば「一箇所にまとまった遺体」としては出ていない。
この2点が、事故説と、それ以外の説の分水嶺になった。「靴の状態がおかしい」「骨がバラバラに散っている」――ここから、いくつもの説が枝分かれしていく。
ただし公平を期すために書いておくと、この「状態が良すぎる」という評価自体、報道写真と伝聞で語られている部分が大きい。現物を手に取って鑑定した専門機関の詳細な所見が公開されているわけじゃない。山中の物体の劣化は、直射日光が当たるかどうか、水が流れる場所かどうか、落ち葉に埋もれているかどうかで、驚くほど差が出る。落ち葉の下は意外なほど紫外線が届かない。だから「ありえない」と断言するのも、また急ぎすぎなんだよな。
## 事故説――斜面をひとつ間違えただけ、という説明
いちばん素直で、いちばん多くの捜索関係者が支持してきたのが事故説だ。
ストーリーはこうなる。美咲さんは先に行った子どもたちを追いかけたが、途中で見失う。焦って探しているうちに、道を間違える。子どもは「戻る」より「進む」を選びがちだ。しかも山の中では、来た道が来た道に見えなくなる。落ち葉に覆われた斜面は、下りは簡単で登りは絶望的に難しい。一度下ってしまうと、7歳の脚力では戻れない。
道志村の山は、標高こそ高くないが傾斜がきつい。杉と檜の植林地が続き、下草が少なく、見通しがきくようでいて、尾根をひとつ越えると自分がどこにいるかまるでわからなくなる地形だ。しかも枯れ沢が無数にある。枯れ沢は歩きやすく見えるから、迷った人間はつい沢筋に入る。そして沢筋は下流に向かって落ちていく。
発見場所が「林道より上」だったという指摘は、この説にとって逆風に見える。7歳が登り方向へ600メートル進むか、と。だが実は、迷った人間が無意識に高いほうへ登るのは珍しくない。上に行けば見晴らしがきくと本能的に思うからだ。山岳遭難の記録には、体格の小さい子どもが大人の想定を超える距離を移動した例がいくつもある。パニックで走った子どもは、平地の感覚より遥かに遠くへ行く。
そして骨の散逸。これは事故説でもきれいに説明がつく。山で亡くなった小動物や中型動物が、数ヶ月で骨だけになり、その骨が広範囲に散らばるのは、山を歩く人間なら誰でも知っている当たり前の現象だ。
## 動物搬送説――山には運び屋がいる
事故説の補助線として、そして単独の説としても語られてきたのが動物搬送説だ。
道志村を含む丹沢・道志山塊には、ツキノワグマ、イノシシ、ニホンジカ、タヌキ、キツネ、テン、そしてカラスやトビがいる。これらは全部「運び屋」になりうる。特に骨のような軽いパーツは、小動物が咥えて数百メートル動かすことがある。カラスに至っては数キロ運ぶ。頭蓋骨の一部が斜面の上にあり、他の骨が別の場所にあった、というバラけ方は、動物の関与を考えればまったく不自然じゃない。
靴についても同じことが言える。靴が動物に咥えられて移動し、たまたま落ち葉の下や岩陰に入り込んでいれば、紫外線と雨から守られる。950日でも布地が保たれる可能性は上がる。逆に、動物に運ばれたあと最近になって表に出てきたのなら、「なぜ3年近く誰も見つけなかったのか」への説明にもなる。
ただ、この説には限界がある。動物が運んだのだとしたら、「元の場所」がどこかにあるはずだ。そしてその元の場所は、いまだに特定されていない。動物搬送説は、骨と靴の位置を説明はするが、彼女がどこで、どうやって亡くなったのかについては何ひとつ答えを出さない。結局、真ん中の穴は埋まらないままなんだ。
## 第三者関与説――誰も潰しきれない、いちばん重い可能性
そして、いちばん重たい説。人が関わっていたという可能性だ。
元大阪府警の中島正純氏は、テレビ番組などで「何らかの形で、動物、もしくは事件として誰かが持ってきたと考えるのが相当」という趣旨の見方を示している。当初の重点捜索エリアから外れた場所に、後になって遺留品が現れる。この構図自体は、遺棄事案でよく見られるパターンだからだ。
この説を後押しする状況証拠として挙げられるのは、まず、あれだけの人数で16日間探して何も出なかったこと。次に、キャンプ場の前を国道413号――通称「道志みち」――が走っていて、車の出入りが自由だったこと。道志みちは山中湖と相模原を結ぶ道で、ツーリングライダーには全国区の人気ルートだ。土曜日の午後、この道には常に見知らぬ車とバイクが流れている。そして、目撃証言が一切残っていないこと。
だが、この説にも決定的な弱点がある。証拠が何もない。不審車両の特定もされていないし、防犯カメラの決定打も公表されていない。動機のある人物も浮かんでいない。何より、7歳が誰かに連れ去られるなら、それは大人が至近距離にいる状況で起きたことになる。27人のグループが騒いでいるキャンプ場の隣で、無音のうちに、という条件はかなり厳しい。
ここで絶対に踏み外しちゃいけない線がある。この説を語るときに、実在の誰かを名指しして「こいつだ」とやることだ。この事件では、それが実際に起きた。そして人が裁かれた。後述する。
## 掲示板とYouTubeが作った「もうひとつの捜査本部」
この事件は、日本のネット考察文化がひとつの完成形に達した事例でもある。
5ちゃんねるのスレッドは失踪直後から立ち、何十スレも消費された。有志が地形図と航空写真を持ち寄り、キャンプ場の南の森、西の森、椿林道、椿沢の堰堤、枯れ沢の位置関係を細かくマッピングした。個人サイトには、想定される複数のルート仮説――枯れ沢直登ルート、登山道ルート、椿沢堰堤ルート、椿林道終点ルート、発見場所への直行ルート――が、それぞれの所要時間と難易度つきで検証された資料が置かれた。正直、警察の資料より読み込まれているんじゃないかというレベルのものもある。
YouTubeには、現地に行って実際に歩き、カメラを回す人が大勢現れた。「7歳の脚で本当にここまで来られるか」を体を張って検証する動画。「警察犬が反応しなかった地点」を辿る動画。そのなかには、真面目な地形検証として価値のあるものもあった。
一方で、それが暴走したものも山ほどあった。霊視、透視、占い。「見える」と言い出す人たち。すでに探し尽くされた場所に「ここに埋まっている」と断言する動画。そして最悪なのが、家族を犯人と決めつけるコンテンツだ。再生数が稼げるからだ。
ネット考察の功罪は、この事件にきれいに二極化して現れている。地形分析という功と、無関係の人間を吊るし上げるという罪。同じ「知りたい」から出発しているのに、着地点はまるで違う。
## 母親に向かった刃――「募金詐欺」「臓器売買」というデマ
これは書いておかないといけない。
捜索のために表に立ち続けたとも子さんに対して、ネット上で信じられない量の誹謗中傷が浴びせられた。内容がひどい。「募金詐欺だ」「人身売買・臓器売買に関わっている」「自分で我が子を殺した犯人だ」。それが、長女や夫の実名まで晒す形で拡散された。
主犯格だったのは70代の男性、野上幸雄という人物だ。彼の手口が悪質で、掲示板で複数の人物になりすまして1人5役を演じ、自分で書いた投稿を「他人の証言」として自分のブログで引用して拡散する、という自作自演を繰り返していた。取り調べに対して彼が語ったとされる言葉が残っている。「私の信念は、正義は見て見ぬふりをするな。法律があっても自分が法律だ」。
2020年8月に脅迫罪で男が、10月に名誉毀損で男が逮捕されている。2021年4月、とも子さんは発信者情報開示を求める裁判を起こし、8月2日、大阪地裁が投稿者情報の開示を命じた。野上には2021年12月、名誉毀損罪で懲役1年6ヶ月・執行猶予4年の判決が出た。東京高裁も一審を支持し、確定。だが彼は法廷で謝罪しなかった。判決言い渡しの場で「納得いかないよ俺!」と声を荒らげたと報じられている。
野上は2023年9月、心不全で死亡した。それでも、とも子さんは民事訴訟をやめなかった。相続人を相手に訴訟を続けている。理由をこう語っている。「罪を認めてくれていたら終わることができた」「子どもが悪いことをしたら親が謝る。誰かに罪を認めて謝ってもらいたい」。そして、こうも言っている。「加害者は目立つ人を標的にする。たまたま私だっただけで、次は別の誰かを狙う。どこかのタイミングで『それは間違っている』と伝える必要があるなら、私がやろう」。
娘を探しながら、同時に自分を犯人扱いする人間と裁判を戦う。そんな数年間を、ひとりの母親が過ごした。この国のインターネットが何をやったかの記録として、これは残しておくべきだと思う。
## 道志村という土地、道志みちという一本道
最後に舞台の話をしておきたい。
道志村は山梨県の東端、神奈川県との県境にある。人口は1,500人前後。村の中心を道志川が流れ、それに沿って国道413号が一本だけ通っている。この道が「道志みち」だ。山中湖から相模原へ抜けるルートで、カーブが連続する快走路として、バイク乗りやドライバーには全国的に知られている。
村は「水源の郷」を名乗っている。道志川の水は横浜市の水道水源林として長く守られてきた歴史があって、だから村の山は手入れが入っている一方、村域の大半は急峻な山林だ。標高差が大きく、谷が深い。キャンプ場は道志川沿いに数十軒が点在していて、首都圏から2時間ほどで来られるアクセスの良さから、週末は都会の人間で埋まる。椿荘オートキャンプ場も、そのひとつだった。
この「都会からすぐ来られる、深い山」という組み合わせが、この事件の背景として効いている。キャンプ場の敷地と本物の山が、フェンス一枚なしで地続きになっている。管理棟から数十メートル歩けば、そこはもう遭難できる山だ。子連れキャンプが空前のブームだった2019年、同じ構造のキャンプ場は全国に無数にあった。だから多くの親がこのニュースを見て、背筋が寒くなった。「うちも同じことをしていた」と。
## なぜこの事件は、7年経っても人の心に引っかかり続けるのか
理由は3つあると思う。
1つめ。距離感が近すぎる。密室殺人でも、猟奇犯罪でもない。三連休に子どもを連れてキャンプに行った、それだけだ。誰でもやる。誰でもやってきた。あの日、あのキャンプ場にいたのが自分の家族でもおかしくなかった。恐怖の輪郭がはっきりしすぎているんだ。
2つめ。答えが半分だけ出たこと。行方不明のままなら「わからない」で終わる。全部わかれば「そうだったのか」で終わる。だがこの事件は、骨と靴だけが返ってきて、経緯だけが返ってこなかった。人間の脳は、9割埋まったパズルの残り1割にいちばん強く執着する。だからネット考察が止まらない。
3つめ。母親が戦い続けたこと。もし家族が沈黙していれば、この事件は数年で風化した。とも子さんが顔を出し、声を出し、山に入り続けたから、事件は現在進行形であり続けた。そして皮肉なことに、その可視性こそが中傷を呼び寄せた。彼女は娘を探すコストと、自分の名誉を守るコストを、同時に払わされている。
道志村の山は、今日も静かだ。落ち葉が積もり、雪が降り、また溶ける。答えはたぶん、まだあの斜面のどこかにある。もし人が関わっていたなら、答えを知っている人間がどこかで普通に暮らしている。どっちにしても、それを知っている誰か、あるいは何かが、まだあそこにいる。それが、この事件がいつまでも気持ち悪い理由だ。
## 不可解さを三つの層に割ってみる
ここまで書いてきて、改めて一本の線で整理し直したい。
この事件の核心にある「不可解さ」は、実は3層に分けられる。第1層は「なぜ20分でいなくなったか」。第2層は「なぜ1,700人で16日探して出なかったか」。第3層は「なぜ2年7ヶ月後に、あの場所からあの状態で出たか」。ネット上の議論は、この3つをごちゃ混ぜにして語ってきたから、いつまでも噛み合わなかったのだと思う。
第1層は、実のところ、そこまで不可解じゃない。子どもが数十メートル先で見失われることは日常的に起きる。山では、それが致命的になるというだけだ。7歳の視野は狭く、判断は場当たりで、パニック時の行動は大人の予測を裏切る。「みんなを追いかけたら、いなくなった」――この一行に、超常的な要素は何もない。
第2層が、実は最大の謎だ。捜索工学の話になるが、山岳での行方不明者捜索は「捜索確率」の掛け算で成り立っている。どこにいる確率が高いかを推定し、そこに人を集中投入する。この推定を誤ると、いくら人数を増やしても発見率は上がらない。今回、捜索の重心は「川へ下った」方向にあった。理由は明確で、他の子どもたちが川へ向かい、彼女もそれを追ったはずだからだ。極めて合理的な推定だった。だが遺留品は、キャンプ場の東600メートル、林道より上の枯れ沢方向から出た。つまり推定が外れていた。1,700人が16日間、確率の低いエリアを丁寧に潰していた可能性がある。ネット上でよく言われる「『こっちじゃねえだろうな』と思いながら探してたら、そりゃ見つからん」というのは、身も蓋もないが捜索の本質を突いている。人間は、期待していない場所では物を見落とす。心理学でいう非注意性盲目だ。
第3層、つまり靴と骨の状態と分布については、正直、決定的な結論を出せる材料が公になっていない。ここが議論の膠着点だ。「靴がきれい過ぎる」派は人為的な介在を疑い、「山ではありうる」派は落ち葉の遮光効果と動物搬送を挙げる。どちらの主張も、現物の詳細な鑑定所見なしには検証できない。そして山梨県警はその中身を公表していない。捜査中の案件だから当然だが、その空白が想像力の温床になった。
ここで一歩引いて考えたいのは、「なぜ我々はこの空白を埋めたくてたまらないのか」という問題のほうだ。人間は原因のない結果に耐えられない。7歳が消えて骨だけ戻ってきた、という出来事に「意味」がないと、世界が制御不能に見えてしまう。だから物語を作る。誘拐犯を想定すれば、少なくとも「悪意という原因」がある。悪意は憎めるし、逮捕できるし、対策もできる。だが「山で迷って死んだ」だと、原因は偶然だ。偶然は憎めない。裁けない。防げない。だから人は、偶然より悪意を選びたがる。
この心理が最悪の方向に暴走したのが、母親への中傷だった。あれは「犯人を見つけたい」という欲求が、いちばん手近で、いちばん反論しにくい対象に着地した結果だ。とも子さんが「加害者は目立つ人を標的にする」と語ったのは、まさにこの構造を正確に見抜いている。標的は誰でもよかった。可視化されていた人が選ばれただけだ。そして2020年から2023年にかけて、刑事でも民事でもその行為に司法の判断が下された。名誉毀損は成立し、有罪判決が確定し、被告が死亡した後も民事は続いている。これは日本のネット中傷史における重要な判例群になった。プロバイダ責任制限法の改正による発信者情報開示の迅速化が進んだ時期とも重なっていて、事件はその実務のショーケースにもなっている。
制度面でもうひとつ触れておくべきは、キャンプ場と山林の境界問題だ。この事件以降、全国のキャンプ場で子どもの行動範囲を示す掲示や、区画の明示、緊急時の点呼ルールの整備が進んだ。行政も、キャンプ場の安全管理指針を見直す動きを見せた。子連れアウトドアが爆発的に増えた時期に、「敷地の外は本物の山である」という当たり前が可視化されていなかった。その盲点を、この事件が最悪の形で突きつけた。
最後に、たぶんいちばん大事なこと。この記事を含め、外野が何を語ろうと、当事者にとっては議論のネタではなく人生そのものだということだ。骨が返ってきた日、母親は「10歳の誕生日の前日に、言葉にならない」と言った。この一言の重さの前では、どのルート仮説も、どの陰謀論も、ずいぶん軽い。
道志村の山には、今も答えの残りが埋まっている。誰かがいつか掘り当てるのかもしれないし、永遠に落ち葉の下かもしれない。ただ、この事件を語るときに最低限守るべきラインだけは、もうはっきりしている。証拠なしに人を犯人にしないこと。遺族の生活を見世物にしないこと。そのうえで、忘れないこと。それくらいしか、部外者にできることはない。
道志村・小倉美咲さん行方不明事件――7歳の足跡は、なぜ600メートル先で途切れたのか
