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07|飯塚事件(1992年)

登校の途中で二人が消えた朝

1992年2月20日の朝。福岡県飯塚市で、小学校1年生の女の子2人が登校中に行方不明になった。いつもの通学路を歩いていたはずの子どもたちが、学校へ着かないまま、ふっつりと姿を消してしまったのだ。

翌21日、最悪の知らせが届く。2人は福岡県甘木市、今の朝倉市にある八丁峠で他殺体となって見つかった。事件の現場からは、20キロメートルほど離れた山の中だ。遺体には首を絞められた痕があり、性的暴行を受けた形跡も確認されたと記録されていて、読むだけでつらくなる。

登校中の子が忽然と消え、翌日には遠い山の中で見つかる。地域は激しく揺れた。捜査は初めのうち難航し、目撃された車の特徴などを手がかりに、捜査線が少しずつ絞り込まれていったという。

2年後の逮捕と、崩れなかった否認

事件から2年後の1994年。久間三千年、読みは「くま みちとし」という男が逮捕された。決め手とされたのは、車の特徴に関する目撃証言と、当時新しく導入されたDNA型鑑定による証拠だった。

年齢には食い違いがある。事件当時は54歳だったとする資料がある。逮捕された1994年の時点で56歳だったとする記述もある。資料によって書き方がばらばらなので、どちらか一方に寄せずに、両方の数字をこのまま並べておくことにする。

久間は逮捕の前から、ずっと無実を訴えていたらしい。起訴されたあとの法廷でも、その立場は崩さなかったとされる。ここは覚えておいてほしい。本人が逮捕の前から否認していたという点は、このあとの裁判や再審の流れを追うときにも、ずっと頭に置いておきたい前提になる。

1995年2月20日、初公判。福岡地方裁判所で、久間は起訴された事実を争う構えを見せた。車の目撃証言、繊維片の一致、当時新しく開発されたPM法によるDNA型鑑定の結果が、間接証拠として積み重ねられていく。

決め手のない証拠を積み上げた判決

1999年9月29日、福岡地裁は死刑を言い渡した。判決の組み立てが独特だ。どの証拠も単独では決定打とは言えないとしながら、積み重ねれば犯人と認められるという立場を取ったとされる。

2001年10月10日、福岡高等裁判所は控訴を棄却し、一審の判決を維持した。このときDNA型鑑定については「266人に1人の一致率」であることが指摘され、判決文自体も留保を付けていた。中身はこうだ。判決文には「これのみでは決定的な積極的間接事実とはなりえない」と書かれていた。

この一文が、のちの火種になる。再審請求のたびに、ここが大事な争点として持ち出されてきた。裁判所自身が「これだけでは決め手にならない」と書いた鑑定を、いったいどう受け止めればいいのか。

2006年10月8日、最高裁判所が上告を棄却し、死刑が確定した。そして2008年10月28日、とうとう福岡拘置所で刑が執行され、久間三千年は70歳でその生涯を終えた。報道によれば、執行の直前まで「私はやっていない」と無実を訴え続けていたとされる。胸が詰まる話だ。

元記事の年号は記録と食い違う

元記事の話もしておく。元記事は、久間氏が2008年に死刑判決を受け、2010年に確定したと書いていた。さらに2025年の時点でも福岡拘置所に死刑囚として収監されていて、刑はまだ執行されていないとまで言い切っていた。正直、首をかしげる。

年号がまるごとずれている。事件の記録と突き合わせると、話はまるで違ってくる。死刑判決が確定したのは2006年10月8日で、刑の執行は2008年10月28日だったと、事件の記録ははっきり書いている。元記事の年号には誤りが混じっている。日時や判決、捜査の流れは、公的な記録や裁判資料、警察発表、当時の報道で一つずつ確かめたい。

気になる点はまだある。元記事は、DNA鑑定の不確かさや自白の強要があったから冤罪の疑いが根強い、と書いていた。けれど事件を記録した別の資料では、久間は逮捕の前から一貫して無実を訴えていたとされていて、話がかみ合わない。

元記事が描いたタブーの空気

見立てはこうだ。元記事には、タブー扱いされる理由も書いてあった。司法の不透明さ、DNA鑑定の限界、警察の捜査手法への批判だ。この3つが重なったせいで再検証が避けられ、事件はタブー視されるようになった、というのが元記事の見立てだ。ここも元記事の主張として読んでおきたい。

地元の空気の描写もある。福岡の人たちは子どもの安全を重く見て、事件を語るのを避けているという。タブー視はいまも強く、被害者の家族は沈黙を守り、供養はひっそりと行われているとも元記事には書かれていた。

弁護団は再審請求を続けているが、新証拠が乏しく進展はない。元記事の結びはそれだった。実際の再審請求の流れを記録で追ってみると、中身はもっと込み入っていて、元記事の書きぶりとは食い違う。

執行のあとも終わらない再審請求

死刑は執行された。司法の手続きを経て確定し、実行された出来事で、そこは動かない。それでも遺族と弁護団の再審請求は執行のあとも続き、事件は決着した過去の話として片付けられずに、いまも争いの中にある。

2009年10月28日、久間の妻が福岡地裁に第1次再審請求を申し立てた。争点はネガフィルム。弁護団は、証拠として出されたDNA鑑定写真のネガに、別人のDNA型を示すバンド、つまり帯が写り込んでいると主張した。

2014年3月31日、福岡地裁はこの請求を棄却した。地裁は、指摘された帯について、鑑定の過程で生じた余分な帯、いわゆるエキストラバンドだと判断している。真っ向からの対立だ。同じネガに写った1本の帯をどう読むかで、弁護団と裁判所の結論は正反対に分かれた。

戦いは続いた。2018年2月6日、福岡高裁が即時抗告を棄却する。2021年4月21日には、最高裁判所も特別抗告を退けた。第1次の再審請求は、地裁から最高裁まですべての段階で退けられ、ここで最後の扉が閉じた格好になった。

真犯人らしき人物を見たという証言

弁護団と遺族は諦めない。2021年7月9日、新たに第2次再審請求を申し立てた。今度の新証拠は、電気工事業に就いていた男性の「真犯人らしき人物を目撃した」という証言だった。

またも棄却だ。2024年6月5日、福岡地裁はこの請求も退けている。証人が見た時刻の供述が何度も変わった点について、地裁は「特に理由を説明することもできず」と指摘したと報じられた。証言の具体的な根拠を示せていない、という判断だったらしい。目撃の時刻が揺れると、証言そのものの重みまで揺らいでしまうわけで、地裁はまさにそこを突いた形だ。

足利事件と重なるDNA鑑定の影

疑いの芯は足利事件だ。同じ時期に別件で問題になったこの事件と、飯塚事件は結びつけて語られてきた。どちらの事件でも、科学警察研究所、略して科警研による同じ種類のDNA型鑑定が使われ、同じ型が出ていた。手法も型も同じなのだから、2つの事件が比べられるのも無理はない。

その型の出現頻度は、0.83から1.7%程度とされる。100人から200人に1人の型。違う事件の違う容疑者から、統計的にめったに起きない一致が続けて出るのは不自然じゃないか、という指摘がある。声を上げているのは、支援団体や研究者の一部、それに一部の報道だ。

確かめ直すのも難しい。当時の鑑定資料は検査の途中で使い尽くされていて、残っている試料が乏しく、再鑑定で白黒をつけるのは技術的に難しいという。この事情も、疑いが消えない理由として繰り返し挙がってきた。

死刑の判決は確定し、すでに執行されている。その一方で、判決の土台になったDNA鑑定の信頼性には、遺族や弁護団、支援者がいまも疑問を投げかけ続けている。決めつけは禁物だ。確定した判決と、それに向けられた疑問の両方を並べたまま見ていくしかない。

ネットで割れ続ける冤罪論争

ネットでも議論は割れている。元記事によれば、Xでは「冤罪の可能性」「足利事件と同類」などの議論が続いているという。YouTubeでも事件を検証し直す動画が注目されているそうで、ここまでは元記事が拾ってきたネットの声になる。

議論のよりどころは、足利事件と同じ手法、同じ型のDNA鑑定が使われたという点だ。そこから「飯塚事件は冤罪ではないか」という声が長年続いてきた。5ちゃんねる、旧2ちゃんねるには「【冤罪ではない】飯塚事件」と題したスレッドが何度も立った。冤罪説を否定する立場からの書き込みも活発で、議論は一方向にまとまっていない。綱引きは終わらない。

なんJ系のまとめブログも同じ。「日本さん、冤罪で死刑執行してしまった可能性が浮上」といった見出しで話題になることがある。DNA鑑定の数字の不自然さを指摘する声が目立つ一方で、車の目撃証言などを重く見て有罪判決を支持する反論も根強い。

映画と弁護士会が投げかけた問い

次は映画の話。2023年に公開されたドキュメンタリー映画『正義の行方』が、飯塚事件を題材にした。DNA鑑定は本当に信用できるのかという科学の論点を、映画は改めて社会に突きつけた。取り返しのつかない死刑がすでに執行されてしまったという、制度の重い論点もそこに重なる。この2つを問いかける作品として、公開後に注目を集めた。

法律家も動いた。東京弁護士会などの法曹団体が、再審請求の棄却決定に会長声明を出している。司法判断の透明性はどうなっているのか、再審制度のあり方はこれでいいのか、と声明は問題を投げかけた。

筑豊の町と、DNA鑑定の黎明期

舞台は筑豊。事件の起きた飯塚市は筑豊地方の中心都市で、遺体が見つかった八丁峠は隣の朝倉市、当時の甘木市にある。通学路の町と遺体の見つかった峠は、別々の市にまたがっていたわけだ。

時代のことも外せないんだよな。1990年代の初めは、DNA型鑑定が日本の刑事司法に入ってきたばかりの黎明期だった。精度や統計の扱い方について、捜査機関にも裁判所にも、今ほどの知見や検証の体制はまだ整っていなかった。

同じ頃に起き、似たDNA型鑑定が問題になった足利事件は、2009年に再審が認められて無罪が確定している。2つはよく並べて語られる。ただ、再審が認められたかどうかも含め、司法の結末はまるで違う。同じ構図の事件だと、単純に言い切ることはできない。両事件を同じ物差しで測るのは、さすがに乱暴すぎる。

刑はもう執行された。それでも遺族と弁護団は、名誉の回復と真相の究明を求めて動き続けている。飯塚事件は、日本の刑事司法が抱える重い係争事案として、死刑の執行から年月がたった今も争いが続いている。

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