1992年3月5日の夕方から翌6日の朝にかけて、千葉県市川市幸のマンションで一家四人が殺害された。亡くなったのは四十二歳の父親、母親、八十三歳の祖母、四歳の次女。十五歳の長女も重傷を負い、長時間にわたって拘束されたが、生き残った。
犯人は捕まっている。逮捕された男は、犯行時十九歳だった。千葉地方裁判所は1994年に死刑を言い渡し、東京高等裁判所も最高裁判所もその判断を維持した。判断は三審とも死刑。死刑は2017年12月19日に執行された。
短い事件紹介には、事実と違う記述が少なくない。「知人一家との口論から殺害した」「現場へ放火した」「少年だったため無期懲役になった」と書かれることがあるが、どれも裁判経過と合わない。未成年の被害者が受けた性被害を、必要以上に描く記事もある。
先に言っておく。確かめるべきなのは、刺激の強い場面じゃない。一人の加害者が以前からの犯罪を隠し、金を奪うために家族の生活へ入り込んだ経過と、その責任を裁判所がどう判断したかだ。
五人家族のうち四人が奪われた
事件現場は、市川市南部の集合住宅だった。住んでいたのは両親と二人の娘、それに祖母の五人。3月6日の朝、警察官が室内へ入り、四人の死亡と長女の負傷を確認した。
「一家四人殺害」という呼び名だけを見ると、四人暮らしの家族が全員死亡したようにも読める。本当は五人家族で、長女が生存した。長女はただの目撃者にとどまらない。事件前から被告による犯罪の被害を受け、事件当日も重い暴力と拘束を受けた当事者だった。
生存したことを、「一人だけ助かった」という幸運の物語へ変えることはできない。彼女は家族四人を一度に失い、自身も負傷し、その後の捜査と裁判で記憶を語らなければならなかった。事件後の暮らしや今の所在を探し回る行為は、知る権利でなく二次被害につながる。
事件前から始まっていた被害
接点は事件前にあった。被告と一家の接点は、親しい交際でも家族ぐるみの付き合いでもなかった。公判で審理されたのは、事件のおよそ一か月前に被告が長女に対して起こした別の犯罪だ。その被害から、被告は長女の住まいや家族の状況を知った。
動機は金だった。事件当時、被告は金銭を必要としていたと認定されている。報道では、飲食店で働く女性を店外へ連れ出したことをきっかけに関係者から多額の支払いを迫られ、その金を用意しようとした経緯が伝えられた。被告は一家から金を奪うことを考え、3月5日、長女を利用して住宅へ入った。
この経緯を「暴力団に脅されたから仕方がなかった」と読むことはできない。支払いを迫られた事情があったにせよ、無関係の家へ侵入し、金品を奪い、人を殺す選択とのあいだには大きな隔たりがある。裁判所も、金銭事情を責任を免れさせるものとは認めなかった。
言葉選びも問題だ。長女と「顔見知りだった」という一語も、関係の実態を覆い隠す。長女は以前から被害を受けていた側で、対等な友人や交際相手とは違う。この言い換えは、加害者が作った接点を被害者側の人間関係に見せかねない。
帰宅する家族を待つという選択
被告は住宅に入ったあと、金を探してすぐ立ち去りはしなかった。家族が順に帰宅する状況を利用し、室内に留まり続けた。帰りを待つ格好だ。父親、母親、祖母、幼い次女が、いつもどおり自宅へ戻るたびに被害が広がった。
一晩がかりの犯行。この時間の長さは、量刑を考えるうえで重要だった。突然の衝突で一瞬にして我を失った、という種類の事件とは違う。立ち去る機会があり、家族が増えるたびに行為を止める機会もあった。それでも被告は、金を得ることと、先の犯罪や侵入を隠すことを優先し、四人を殺害したと認定された。
奪ったのは金品。被告は室内から現金や品物を奪った。被害者の一人に現金を用意させようとする行動もあったという。強盗殺人は、財物を奪う過程で人を殺す犯罪だ。単に殺害後に物を持ち去っただけなのか、金を奪う意図と殺害が結びついていたのかは、適用罪名と刑の重さに関わるので、公判で詳しく検討された。
暴力の細部を並べない
ここは慎重に書く。この事件を扱うネット記事には、使われた凶器や傷の位置、室内で交わされた言葉まで逐一並べたものがある。確定判決の量刑理由を理解するには、次のことを知れば足りる。犯行が長時間に及び、複数の凶器が使われ、被害者ごとに殺害行為が繰り返されたことだ。
とりわけ長女への性暴力を、読者を引きつけるための場面として再現するのは避けなければならない。被害者が未成年だったこと、法廷で証言が必要になったことを考えてみてほしい。詳細を繰り返したところで、記録が正確になるわけじゃない。
形容詞は要らない。犯罪の残酷さは形容詞の数でなく、四人が死亡し、一人が家族を失ったという結果に表れている。被害者の恐怖を想像で補い、会話をこしらえ、加害者の視点で場面を演出すると、事実の記録が娯楽へ近づいてしまう。
発覚と逮捕
事件が表に出たのは朝。3月6日の朝、警察への連絡を受けて事件が発覚した。被告は現場におり、長女とともに事情を聴かれたあとで犯行を認め、逮捕されたと報じられている。
公判で審理されたのは、一家四人への犯罪だけじゃない。長女に対する事件前の犯罪や、そのほかの傷害、恐喝、窃盗なども対象になった。一晩だけ突然現れた暴力でなく、それ以前から他人を傷つけ、金品を得ようとする行動が続いていたことが、被告の責任を考える材料になった。
犯人探しの謎は無い。現場にいたこと、被害者の証言、奪われた物、供述、室内の客観的状況が結びつき、犯人が誰かが長く未解決のままになった事件とは違う。後年、「真犯人が別にいる」とする噂はほとんど定着しなかった。被告と犯行を結ぶ証拠が早い段階で集まり、本人も大筋を認めたからだ。
放火は行われていない
一部の要約には「証拠隠滅のためマンションへ放火した」とある。これは誤りだ。市川一家四人殺害事件の罪名にも裁判経過にも、放火は含まれていない。現場となった住宅を焼いたという公的な記録も、確認できない。
一家が襲われた事件のなかには、放火を伴うものがいくつもある。1966年の静岡県清水市の一家殺害事件、のちに再審無罪となった袴田事件では、みそ製造会社の専務宅が放火された。別事件の説明を、共通する「一家四人」という言葉から取り込んだのかもしれない。
違いは大きい。放火の有無は、小さな違いで済む話じゃない。現場の証拠が火災で失われたか、放火罪が起訴されたか、犯人がどう発覚を防ごうとしたかが変わってくる。事件紹介を転載するときは、印象の似た犯罪を混ぜず、事件番号や判決年月日まで照合しなければならない。
第一審が死刑を選んだ理由
一審の結論は死刑。千葉地方裁判所は1994年8月8日、被告に死刑を言い渡した。犯行時十九歳の被告への死刑判決は、当時の少年事件の量刑を考えるうえで、大きく報じられた。
理由はいくつもある。裁判所が重く見たのは、四人が死亡したという結果、金銭目的、犯行が長時間続いたこと、以前の犯罪の発覚を防ぐ意図、被害者ごとに行為を繰り返したことなどだった。幼い子どもと高齢者が含まれ、家に戻ってきただけの家族が順に被害を受けた点も重大だった。
反対側の主張もある。弁護側は、犯行時の年齢や生育環境、精神的な未成熟さ、更生の可能性などを挙げた。少年の人格は成長途上にあり、成人より可塑性があるという考えは、少年法の土台にある。それでも、年齢は量刑を決める要素の一つであって、被害結果や計画性を自動で打ち消すものではない、と判断された。
被告が法廷で謝罪や反省を述べたかどうかだけで、内面を確定することもできない。裁判所は、供述の変化や被害者への向き合い方、犯行後の行動などを合わせて評価する。反省という言葉を口にしたか、涙を見せたか。その一場面だけを切り取ると、量刑判断を誤って単純化する。
控訴審と最高裁
東京高等裁判所は1996年7月2日、弁護側の控訴を棄却し、千葉地裁の死刑判決を維持した。被告側は最高裁へ上告し、十九歳という年齢や更生可能性を踏まえれば死刑は重すぎる、と主張した。
次の舞台は最高裁。最高裁判所は2001年12月3日、上告を棄却した。事件番号は平成8年(あ)第864号。これで死刑が確定した。事件発生から約九年九か月、一審判決から約七年四か月がたっていた。
上告の棄却は、少年という事情を見なかったという意味とは違う。年齢を有利な事情として考慮してもなお、犯行の性質、四人という被害者数、動機、態様、遺族への影響を総合すれば、死刑を避ける理由にはならないとしたわけだ。
少年法と死刑の関係
前提を押さえたい。1992年当時、二十歳未満は少年法上の少年だった。だから十九歳の被告も、最初から成人とまったく同じ手続きで扱われたわけじゃない。家庭裁判所の手続きを経てから、刑事処分が相当として検察官へ送致され、地方裁判所で起訴された。
線引きは十八歳。当時の少年法には、犯行時十八歳未満の者に死刑を科すべき場合は無期刑にする、という規定があった。被告は十九歳だったので、この死刑回避規定からは外れていた。「二十歳未満なら死刑にならない」という理解は、はっきり言って誤りだ。
2022年4月、民法の成年年齢引下げとともに少年法も改正され、十八歳と十九歳は「特定少年」と呼ばれる区分になった。ところが、この制度は1992年の事件当時には無い。今の用語を過去へさかのぼらせて「特定少年の事件」と書くと、当時の手続きを誤解させる。
少年法が保護と更生を重んじることと、一定の重大事件で刑事裁判や死刑を認めることは、法律の中で併存している。本件は、その境界がいちばん重い形で問われた事件の一つだった。
永山基準は点数表ではない
死刑を選ぶかどうかでは、1983年の最高裁判決が示した考慮要素が参照される。犯行の罪質、動機、態様、とりわけ手段の執拗性、結果の重大さ、被害者数。それに遺族感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の事情などだ。一般に永山基準と呼ばれる。
これは、被害者が何人なら自動的に死刑、十九歳なら何点減らす、という計算式とは違う。同じ被害者数でも、計画性や役割、責任能力、自首、共犯との関係などで量刑は変わる。本件では、四人への殺害が一晩のうちに続き、強盗と口封じが結びつき、立ち去る機会が何度もあったと評価された。
年齢は、明示された考慮要素のひとつだ。十九歳だったことを無視すべきではないが、それだけで判決を説明することもできない。「少年なのに死刑」という驚きだけを見出しにすると、どうなるか。四人の被害と、裁判所が検討したほかの事情が、背景へ押しやられる。
実名報道と匿名の境界
少年事件では、本人を特定できる記事の掲載を少年法が制限してきた。事件当時、多くの報道機関は被告を匿名で伝えた。やがて流れが変わる。ところが死刑判決のあとや死刑確定のあとには、事件の重大性や社会的関心を理由に、実名を報じる媒体も現れた。
2017年の死刑執行を法務省が公表したときには、氏名も示された。今は公的な発表や確定判決の資料で氏名を確かめられる。だから加害者名を記すこと自体は、未確認情報にあたらない。ただ、実名を知ることと、親族の氏名や住所、今の生活まで探すことは話が別だ。
長女の話は別だ。生存した長女は被告でなく被害者であり、少年法の実名報道論とは違う配慮が要る。旧姓や結婚、居住地、仕事を推測する投稿に、公益性はない。加害者の実名が公表されたからといって、被害者の私生活まで公開されてよいことにはならない。
2017年12月19日の執行
法務省は2017年12月19日、関光彦と松井喜代司の二人に対する死刑を執行したと発表した。関は東京拘置所で執行され、四十四歳だった。ここで注目されたのが年齢だ。犯行時少年の死刑確定者に対する執行として、大きく報道された。
確定から約十六年。死刑確定は2001年だったので、確定から執行まで約十六年を要した。その間の処遇や再審請求、本人の心境を扱う書籍や雑誌記事も出た。獄中の手紙や面会時の発言は資料になり得るけれど、取材者との関係や発言時期によって内容は変わる。そこから「本当は反省していた」「最後まで反省しなかった」と、内面を一語で決めるのは難しい。
法務大臣は執行後の会見で、関が犯行時少年だったと認識したうえで個々の事件に慎重な検討を加え、執行を命令したと説明した。これは執行する側の公式説明であって、死刑制度の是非に決着をつける答えとは違う。
犯行時少年への死刑執行は、更生可能性をどこまで考慮するか、長い収容のあとで刑を執行する意味は何か、という議論を改めて呼んだ。同時に、制度論を語るときにも、四人の被害と生存した長女の存在を抽象的な材料にしてはならない。
「無期懲役になった」という誤情報
念のため書いておく。この事件の確定刑は死刑で、無期懲役じゃない。第一審、控訴審、最高裁のすべてで死刑判断が維持され、2017年に執行された。
誤りが生じる理由は、いくつか考えられる。犯行時少年だったため死刑にならないと思い込んだ、少年事件で無期懲役となった別事件と混同した、弁護側が求めた減刑を確定結果だと読み違えた、というあたりだ。
「無期懲役」と「無期刑」にしても、仮釈放が必ず付く終身刑という意味とは違う。けれど本件では、その違いを論じる前に刑種そのものが違う。判決年月日と執行の発表を確かめれば、訂正できる情報だ。
加害者を怪物にして終わらせない
四人を殺害した行為は、この上なく重大だ。それでも、加害者を生まれつき人間でない怪物だったと描けば、どうなるか。事件前にあった危険な兆候や、被害が拡大した選択の連続が見えなくなる。
被告には傷害、恐喝、窃盗など複数の問題行動があり、長女は一家殺害の前から被害を受けていた。かといって、将来必ず殺人を犯すと予測できたと、後知恵で断定することもできない。事前の犯罪に適切に介入し、被害者を保護し、再接触を防ぐ仕組みがどこまで働き得たのか。それを考えるほうが、怪物という呼び名より現実的だ。
環境の話もある。生育環境を調べることにも意味はあるが、原因を親の養育だけに押しつけるのは単純すぎる。同じ環境で育った人が、同じ犯罪を行うわけじゃない。環境は理解の材料であって、加害者本人の意思決定を消すものにはならない。
生存者の言葉を消費しない
刑事裁判で長女の供述は、犯行の経過を明らかにする重要な証拠になった。加害者と事件前から接点があった理由、住宅へ入られた経緯、家族が帰宅した順序。それを説明できる生存者は、彼女だけだった。
けれど、証拠として重要だからといって、供述のすべてを一般向けの記事へ転載してよいことにはならない。性被害や家族の最期に関する証言は、法廷で必要な範囲と、事件を知りたい読者の好奇心を満たす範囲とで、役割が違う。
事件後の人生を「壮絶なその後」と題して追う記事もある。公に語っていない生活を、同姓同名や年齢、地域の一致だけで探すのは危険だ。誤認された無関係の人にも被害が及ぶ。生存者が自ら発信していない事柄は、不明のままにしておくべきだ。
怪談や未解決事件ではない
市川一家四人殺害事件には、超常現象や犯人不明の余地を示す公的資料はない。ちなみに、現場のマンションを心霊スポットとして扱う投稿があったとしても、それは事件後に作られた噂だ。刑事事件の記録とは別物になる。
集合住宅には今の住民がおり、部屋番号や建物の外観を突き止めて訪ねる行為は迷惑になる。亡くなった場所を娯楽目的で撮影し、反応があったと称する動画は、被害者を怪談の登場人物に変えてしまう。
この事件に残る問いは、幽霊の有無じゃない。以前から被害を受けていた少女を、どう守れたか。少年の年齢を量刑でどう評価するか。被害者の尊厳と公開裁判の記録を、どう両立するか。どれも現実の問いだ。
記録から確認できる到達点
発生は1992年3月5日夕方から6日朝。被害者は五人家族のうち四人で、長女が生存した。被告は犯行時十九歳で、金品を奪う目的と、以前の犯罪の発覚を防ぐ意図を伴って一家を襲ったと認定された。現場への放火はない。
千葉地裁の死刑判決は1994年8月8日、東京高裁の控訴棄却は1996年7月2日、最高裁の上告棄却は2001年12月3日。法務省は2017年12月19日に死刑を執行した。
事件は解決済みで、刑事裁判も刑の執行も終わっている。それでも残るのは、犯人探しでなく記録の読み方だ。被害者を数字にせず、加害者の年齢だけで判決を語らず、別事件の放火や刑罰を混ぜない。そうして初めて、四人の生命と一人の生存者が負った被害を、作り話にせず受け止められる。
