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郵便受けを開けるのが怖い町――『サークルビルの手紙』、独房の男にも一通届いた半世紀の迷宮と、いまだ差出人が分からない理由

郵便受けを開ける。ただそれだけの動作が、町ぜんぶの恐怖のスイッチになった時代がある。

舞台はアメリカ中西部、オハイオ州の小さな町サークルビル。人口一万三千人ほど。年に一度のパンプキン・ショーには四十万人が押し寄せるが、それ以外の三百六十二日はきわめて静かな農業の町だ。

その町に、一九七七年の春から、差出人のない手紙が降りはじめた。全部が大文字。角ばった手書き。消印はいつも三十キロほど北のコロンバス。そして中身は、受け取った人間が誰にも言っていないはずのことを、名指しで書いていた。

半世紀近くたった今も、誰が書いたのか確定していない。有罪判決を受けた男は一人いる。だがその男が刑務所の独房に入れられ、ペンも紙も取り上げられている間も、手紙は届き続けた。しかも、その男自身のところにも一通届いた。

ここから先は、そういう話だ。

静かな町に、最初の三通が落ちてきた

まず押さえておきたいのが、最初の一通の宛先だ。

多くの再話では「バス運転手のメアリー・ギリスピーに脅迫状が届いた」から始まる。だが記録上いちばん古い手紙は、彼女宛てではない。一九七七年三月二日、コロンバスの消印で、ウェストフォール高校気付、宛名は「マッシー校長」。差出人の署名はない。返信先住所もない。

中身を要約すると、こうなる。自分の恋人から聞いた話だと、あなたは何度も彼女をデートに誘っている。ほかの女性バス運転手も同じように誘っている。あなたの立場と彼女たちの雇用を考えれば、それはやってはいけないことだ。すぐにやめないなら教育委員会に手紙を書かざるを得ない、そんなことはしたくないのだが。おれの女たちに手を出すな。

論調は妙に丁寧だ。義憤にかられた市民、という顔をしている。

ところが二日後の三月四日、同じコロンバスの消印で、今度は教育委員会あてに二通目が届く。内容はさらに具体的で、複数の女性運転手が上司との「関係」に苦しんでいる、断っても断っても言い寄られる、独立して調査してほしい、という趣旨。同じ日に三通目が、別の学区の教育長あてに投函されている。

この三日間の詰め方が、この事件のすべてを予告している。一通目を受け取った人間に、対処する時間を与えていないのだ。校長が事情を整理して上司に説明する余裕もないうちに、上司の机に同じ告発が乗る。

つまり書き手は「やめさせたい」のではない。「終わらせたい」のだ。ある人物の社会的な立場を、二日で崩す設計になっている。

そして注目すべきは、手紙が書いた告発の中身が、事実かどうか誰も検証できないまま、町の空気だけを変えていったことだ。ここは慎重に書く。手紙にはそう書かれていた、というだけの話であって、その内容が真実だったと確認された記録はない。この事件を語るとき、この線を踏み越えると、それは加害者側に立つことになる。

「お前の家を見ている。子どもがいるのも知っている」

三月のある寒い日、メアリー・ギリスピーは自宅から郵便受けまでの長い道を歩いた。家はブルックス・ミラー・ロード沿いの、周りを農地と木立に囲まれた一軒家。いちばん近い隣家まで何キロもある。郵便受けまで数百フィート、歩いて七分もかからない道のり。雨と雪の混じる日で、たぶんそれは一日のうちで数少ない、一人になれる時間だった。

その日、郵便受けに入っていたのは、消印コロンバス、返信先なしの封筒だった。中には一枚。傾いた角ばった字で、こう書かれていた。

マッシーに近づくな。聞かれたときに嘘をつくな。お前がどこに住んでいるか知っている。お前の家を見張っていた。子どもがいることも知っている。これは冗談ではない。真剣に受け取ってくれ。関係者全員に通知済みだ。すぐに終わる。

道端に一人で立ってその文面を読んだときの感覚を、想像してほしい。開けた田舎道で、風景の中に自分しかいない。なのに、たった今、誰かがずっとこちらを見ていたと知らされる。手紙を握りしめて家に戻る足が速くなったはずだ。屋根の下に入るまでの数百フィートが、それまでとまったく違う距離に感じられたはずだ。

メアリーは黙っていた。誰にも言わなかった。一週間ほど後、同じ筆跡の二通目が届いた。それでも黙っていた。

この沈黙は、匿名の加害がいちばん効く条件をそのまま満たしてしまっている。声を上げれば「火のないところに」と言われる。黙っていれば、書き手は次を書く。どちらに転んでも、書き手が勝つ構造だ。

夫の郵便受けにも同じ字が届いた日

均衡が崩れたのは、夫のロン・ギリスピーにも手紙が届いたときだった。三十五歳。妻とは高校時代からの恋人同士で、二人の子ども、娘のトレイシーと息子のエリックがいる。町の誰に聞いても「ロニー以上の人間はいない」という評判の男だった。

彼のところに来た手紙は、妻宛てのものより露骨だった。あなたの妻はマッシーと会っている。二人が一緒にいるところを押さえて、二人とも殺すべきだ。あの男は生きている価値がない。

別の一通は、もっと具体的な期限を切ってきた。ギリスピー、お前は二週間もらって何もしていない。彼女に真実を認めさせ、教育委員会に報告させろ。やらないなら、市民ラジオでも、ポスターでも、看板でも、真実が出てくるまで放送し続ける。

さらに、書き手はこう付け加えた。お前の赤と白のトラックでのドライブ、せいぜい気をつけろ。

これがどれだけ怖い一文か。車種でも色でもなく、その家の駐車スペースにいつも停まっている一台を、外から見た人間の目線で書いている。手紙は「知っている」と主張しているのではない。「見ている」と告げている。

ギリスピー夫妻は、この件を三人にだけ打ち明けた。ロンの姉であるカレン・スー、その夫ポール・フリーシェ、そしてポールの姉妹だ。

ポールはアンハイザー・ブッシュの工場で管理職をしていた男で、元は刑務官。一九六八年のオハイオ州立刑務所暴動では三十時間の人質になった経験がある。陸軍の退役軍人で、大学を出て、後に修士号も取っている。犯罪歴はない。この時点では、ただの頼れる義兄だった。

四人は相談し、ある行動に出る。メアリーには心当たりがあった。以前、自分に言い寄ってきた同僚のバス運転手がいた。振られた腹いせではないか、と。そこでポールが代表して、その人物に手紙を書いた。おれたちはお前が何をしているか知っている、やめろ、という趣旨のものを四、五通。暴力的な文言は入れなかった、と後にポールは語っている。

そして手紙は、実際に止まった。数週間、何も来なかった。

この「効いた」という経験が、後にとんでもない意味を持ってくる。四人の側にも、匿名で手紙を送った事実ができてしまったからだ。

一九七七年八月十九日、電話が鳴った

夏になっても、町の空気は元に戻らなかった。今度は手紙だけではなくなった。町のあちこちに、手書きの看板が現れるようになったのだ。しかもその内容は、校長とギリスピー家の十二歳の娘を結びつける、正視に堪えないものだった。

ロンは早朝に車を出し、娘の目に触れる前に看板を剥がして回っていた、という証言が残っている。夜明け前の田舎道を、自分の家族についての中傷を剥がしながら走る父親。この情景一つで、この事件の質が分かると思う。

八月十九日は金曜日だった。メアリーは義理の姉妹と車でフロリダに向かっていた。留守番はロンと子どもたち。夜、家の電話が鳴った。ロンが出た。通話の相手は、お前の家を見ている、お前のトラックがどんなものかも知っている、という趣旨のことを言ったとされる。

ロンは激怒した。声に聞き覚えがある、と家族に言った。手紙の主が誰か分かった、これから会いに行く、と。銃を持って家を出た。二二口径のリボルバーだった。

そこから先が、この事件の最大の空白になる。

午後十時二十五分ごろ、自宅から十キロほど離れたファイブ・ポインツ・パイクで、彼の一九七一年型フォードのピックアップは、緩いカーブを曲がりきれずに直進した。路肩を三十七フィートほど滑り、正面から木に激突した。シートベルトはしていなかった。

運転席は前面ガラスを突き破り、屋根は空き缶のようにつぶれ、運転席側のドアはねじれた鉄板になって路上に転がった。ロンは車外に半身を投げ出されていた。十時三十分に通報。五分後に保安官事務所の車両が到着。救急車が続いた。おそらく即死で、二十六分かけて運ばれたバーガー病院で死亡が確認された。

血中アルコール〇・一六という数字が背負わされたもの

この死をめぐって、いまだに町が二つに割れている争点がいくつかある。

一つ目。血中アルコール濃度は〇・一六パーセントと記録された。当時のオハイオ州の基準からすると、明確な酒気帯びの上、かなり上だ。身長百七十センチ、体重七十キロ弱の男が、その日の夜十時までに四杯以上飲んでいた計算になる。だが家族と友人は口を揃えて、ロンは酒飲みではなかったと言った。あの数字には驚いた、というのが、当時取材した記者たちに共通する証言だ。

二つ目。遺体の下から、一度だけ発射された痕跡のあるリボルバーが見つかった。いつ、何に向けて撃たれたのか、ついに説明がつかなかった。手紙の主に向けて撃ったのか。誰かと接触したのか。それとも家を出る前に空に向けて撃ったのか。捜査当局はこの点を重視しなかった。

三つ目。検死官は解剖も検死審問も不要と判断した。「不審または異常な状況で発見された」と自ら書きながら、遺体を実見し、周囲の状況と関係者の話を総合して、その必要はないと結論している。死因は頭部と体幹の重度の外傷、車がコントロールを失って木に衝突、以上。

公平を期して、反対側の読み筋も書いておく。

金曜の夜、妻は旅行中、子どもは寝ている、自分は数か月にわたって家族への中傷を剥がして回っていた。ビールを何本か飲んだ、というのは、まったく不自然ではない。そこへ神経を逆撫でする電話が来る。判断力はすでに落ちている。土地勘のある道のはずが、暗い夜道で曲がり角を間違える。速度を出して戻ろうとする。カーブを見落とす。シートベルトはしていない。事故の再現としては、これで筋が通ってしまうのだ。現場に高速追跡の痕跡はなく、車体に弾痕もなかった。

つまりここは、明らかな殺人が事故として処理されたとも、単なる飲酒運転事故が陰謀論に育ったとも、どちらとも断言できない。断言できないまま四十九年たった、というのが正確な言い方だ。

そして事故から間もなく、町の住民たちの郵便受けに、新しい手紙が入りはじめる。保安官がロンの死を揉み消している、という内容のものだ。さらに別の便では、メアリーと校長こそがロンを殺した、と書かれていた。書き手は、遺族が最も殴られたくない場所を、正確に選んで殴っていた。

未亡人になった女と、消えなかった消印

ロンの死後、メアリーはバス運転手の仕事を続けた。町にとどまった。そして、校長との関係を、今度は公然と持つようになる。彼女は一貫して、関係が始まったのは夫の死の後だと主張している。手紙が言い立てていた「不倫」は、少なくとも彼女の説明では、手紙が先で関係が後だった、ということになる。

この順序の問題は、事件の性格を決定的にする。

もし彼女の説明どおりなら、匿名の書き手は、存在しない事実を告発することから始めて、告発された側の生活を壊し、結果的に告発内容の一部を後から現実にしてしまったことになる。噂が現実を作った、というやつだ。逆に手紙が先に何かを掴んでいたのだとすれば、書き手はギリスピー家の生活動線を、家族と同じ精度で把握していたことになる。どちらに転んでも、書き手が「近い」人物であることは動かない。

一方、ポールとカレン・スーの夫婦仲は壊れていった。離婚協議は泥沼化する。カレン・スーは家を失い、娘たちの親権も失い、最終的にメアリーの敷地に置かれたトレーラーに住むことになる。義理の兄弟姉妹という関係が、資産と怨恨で複雑にねじれていく。この人間関係の図を頭に入れておかないと、後の展開が理解できない。

その間も手紙は増え続けた。宛先は広がる一方だった。地元紙、選挙で選ばれた役職者、学校、商店、役所、そして何の関係もない一般家庭。告発の内容は横領、家庭内暴力、不倫、そして殺人まで。ある推計では、南部オハイオ一帯に千通以上がばらまかれた。政治的な腐敗を告発するものも多数あった。

書き手は、町という町の私生活を全部ひっくり返して、下から出てきたものを見て回っているようだった。

そして書き手は独特の書式を持っていた。全部が大文字のブロック体。文末に句点ではなくコロンを打つ癖。文法はやや不安定で、綴りの間違いもある。同じ癖が十七年間、何百通にもわたって続く。この一貫性が、後の鑑定合戦の焦点になる。

一九八三年二月七日、午後三時三十分

一九八二年十二月、メアリーのところにクリスマスカードが届いた。差出人はもちろん例の書き手だ。裏面には、これから娘についての看板を出す、という予告が書かれていた。

年が明けて、予告どおり、彼女のスクールバスの経路沿いに看板が出はじめた。

二月七日、午後三時三十分。子どもたちを迎えに行く前の、空のバスを運転しているときだった。ファイブ・ポインツ・パイクへ左折しようとして、彼女は柵に取り付けられた手書きの看板を見た。書かれていたのは、十三歳になる娘についての、口にするのもはばかられる文言だった。

彼女はバスを停め、降りて、看板を引き剥がそうとした。そこで手が止まる。

看板は柵に紐で結ばれていて、その紐の先には、柵の支柱に固定された箱があった。二重の細工がしてある。彼女は看板と箱をバスに運び入れ、そのまま自宅に持ち帰った。そして箱を開けた。

中には小口径の拳銃が入っていた。装填済みで、看板を引くと発砲するように仕掛けられていた。

ここでは、その仕掛けの構造を具体的に書かない。書く必要がないからだ。押さえておきたいのは二つだけ。一つ、それは人を殺す目的で作られていたこと。二つ、それは不発だったこと。

もし作りがもう少し丁寧だったら。あるいはメアリーが看板を別の角度で引いていたら。この記事はまったく別の記事になっていた。四十三年間、町がこの一件を忘れられない理由の半分は、この作動しなかったという偶然にある。町の人々は、誰かが実際に隣人を殺そうとして、そして運だけでそれが失敗した、という事実と一緒に暮らすことになった。

削り取られた番号が指し示した名前

メアリーはその箱を保安官事務所に持ち込んだ。ピカウェイ郡保安官ドワイト・ラドクリフの部下たちは、すぐにそれが殺人用の仕掛けだと判断した。銃のシリアルナンバーは削り取られていた。ただし、削り方が素人だった。

オハイオ州捜査局の技術者が、金属の内部に残った歪みから番号を復元した。番号は登録経路をたどり、まずアンハイザー・ブッシュの従業員ウェズリー・ウェルズに行き着いた。ウェルズは、その銃を三十五ドルで同僚に売ったと証言する。買ったのはポール・フリーシェ。

ロンの姉の夫であり、メアリーの義兄であり、そして誰よりも「ロンは殺されたんだ」と保安官に食い下がり続けていた男だった。

捜査員が訪ねたとき、ポールは驚くほど協力的だった。弁護士を呼ばなかった。質問に全部答えた。銃が自分のものであることをあっさり認めた。ただし、数週間前にガレージからなくなっていた、いつなくなったかは分からない、と言った。家宅捜索も車の捜索も許可した。筆跡の見本まで提出した。

問題は、その筆跡の取り方だった。

二月二十五日、ラドクリフ保安官はポールに筆跡テストを受けさせている。方法はこうだ。本物の脅迫状を見せて、封筒の宛名をできるだけそっくりに書き写させる。手紙の本文も、読み上げながら書き取らせる。

これは筆跡鑑定の手続きとして成立しない。人は手本を見せられれば、その字に寄せて書いてしまうからだ。後に鑑定人たちが出した結論も、「ポールが書いた」ではなく「ポールが書いた可能性がある」だった。だがその区別は、法廷の外ではほとんど誰にも伝わらなかった。

ポールは嘘発見器の検査で不合格とされた。三月四日、火器加重の付いた殺人未遂で大陪審の起訴を受ける。保釈金は現金五万ドル。保釈された後、彼は自ら精神保健センターに入院している。自分の状態を検査してほしかった、と後に語っている。

三十九通が法廷に入った日

裁判は一九八三年十月二十四日、ピカウェイ郡裁判所で始まった。裁判長はウィリアム・アンマー判事。起訴内容は殺人未遂であって、手紙の作成ではない。ポールは、あの何百通、何千通の手紙について、一度も起訴されていない。この点は何度でも強調しておきたい。

にもかかわらず、法廷の空気を支配したのは手紙だった。

検察は、看板と仕掛けに書かれた文字と、匿名の脅迫状の文字が同じだ、という筋で押した。弁護側は、手紙は本件と無関係だと反対したが、判事は三十九通の証拠採用を認めてしまう。

最初の証人は被害者のメアリー本人だった。仕掛けを見つけた経緯を証言し、弁護側の異議を押し切って、長年受け取ってきた手紙についても語らされた。陪審の目の前に、あの角ばった大文字と、娘への性的な中傷と、殺すという予告が並んだ。

この時点で、法廷が裁いていたのは「二月七日の午後に誰が柵に箱を括ったか」ではなくなっていた。「この町を十年壊してきた人でなしは誰か」になっていたのだ。

州側は州捜査局の筆跡鑑定人を立てた。仕掛けの文字、脅迫状、ポールの筆跡見本を比較して、同一人物のものと考えられると述べた。もう一人、もともと弁護側が雇っていた鑑定人まで、検察側の証人として、ポールが書いた可能性が高いと証言した。自分で呼んだ専門家が相手側に回る。弁護側にとって、これ以上ない打撃だ。

そして元妻カレン・スーが証言台に立つ。彼女は、自宅で隠された手紙を見つけたことがある、便器の中に破って捨てられた一通もあった、と語った。ただし、その手紙は一枚も保全されていない。当局に持ち込まれてもいない。彼女がその話をしたのは、仕掛けが発見された後のことだった。

状況証拠も並べられた。ポールは二月七日に仕事を休んでいた。仕掛けに使われた大型のチョーク箱は、彼の職場で簡単に手に入るものだった。

だが、決定的なものが欠けていた。指紋である。仕掛けからも、箱からも、銃からも、ポールの指紋は出ていない。現場周辺で彼を見た人間もいない。彼には十二時三十分から午後四時三十分まで自宅にいたというアリバイがあり、家の工事に来ていた作業員を含む複数の証人がそれを裏付けた。

ポール本人は証言台に立たなかった。生涯後悔することになる選択だ。

陪審は二時間半で戻ってきた。十月二十八日、有罪。三日後、殺人未遂の法定上限である七年から二十五年の不定期刑に、火器加重の三年が加算された。

陪審を責める気はない。彼らは証拠を全部聞いたわけじゃないんだから。ただ、信じられなかった。本当に呆然とした。後にポールはそう語っている。

誰も追わなかった黄色いエルカミーノ

ここで、裁判では一切出てこなかった一枚の報告書の話をしなければならない。

後年、私立探偵として事件を洗い直したマーティン・ヤントが、保安官事務所のファイルの中から見つけたものだ。

仕掛けが発見される二十分ほど前、同じ経路を走っていた別のスクールバス運転手が、まさにその交差点を通過している。彼女はそこに黄色いエルカミーノが停まっているのを見た。車のそばに、大柄で砂色の髪をした男が立っていた。バスが近づくと、男は背を向け、立ち小便をしているような格好をした。顔を見られまいとしている、という印象を彼女は持った。

この目撃情報は、メアリー自身が保安官に伝えている。にもかかわらず、追跡捜査は行われなかった。裁判でも出てこなかった。

そして問題は、その男の人相がポール・フリーシェとまったく一致しないことだ。ポールは髪が黒い。しかも彼にはその時間帯の裏付けのあるアリバイがある。

ヤントはさらに、この事件の別の関係者の兄弟が、当時まさに黄色いエルカミーノを所有していたことを突き止めている。追いかけるべき糸は、確かにそこにあった。誰も引かなかっただけだ。

独房に届いた一通

有罪判決の後、町は安堵した。書き手はついに檻の中だ。これで終わる。誰もがそう思った。

終わらなかった。

ポールが収監されたのは、サークルビルから百九十キロ以上離れたリマの施設だった。彼が服役を始めてほとんど間を置かずに、手紙が再開した。数百通。宛先は中部オハイオ一帯に散り、地元紙の記者、私人、役所、そして事件を書いた記者たちに届いた。消印は、いつもどおり全部コロンバスだった。

保安官が繰り返し抗議し、刑務所側は本格的な調査を行った。ポールは独房に入れられた。ペンも紙も取り上げられた。手紙は厳格に検閲された。身体検査も繰り返された。調査は二度、おそらく三度行われた。それでも手紙は止まらなかった。しかも、当時の刑務所内では使えなかったはずの光沢のある切手が、外の手紙には貼られていた。

最終的に、刑務所長は結論を書面にした。宛先はポールの家族で、内容はこうだ。自分の見るかぎり、フリーシェがこの施設の中から手紙を書いて発送することは不可能である。

それでも、外の判断は変わらなかった。

一九九〇年十二月、ポールは仮釈放の審査を受けた。七年間、模範囚だった。にもかかわらず却下される。理由は、手紙がいまだに大量に送られ続けていること。彼が書けないという刑務所長の書面があってなお、彼が書いているという前提で不許可になった。ここまで来ると、もはやカフカである。

そして審査の数日後、ポール本人あてに一通が届いた。全部大文字、コロン区切り、あの書式だ。

フリーシェ。お前はいつになったら、そこから出られないと信じるんだ。二年前に言っただろう。おれたちが仕掛けたものは、仕掛けたままだ。まるで聞いていないのか。誰もお前に出てほしくない。誰もだ。笑わせる。この手紙のことは誰にも言うな。新聞は見た。素晴らしい知らせだ。保安官も喜んでいたぞ。さあ、これで信じるか。

書き手は、獄中の男に対して、自分が仕掛けた側であることを明言している。少なくとも、そう読める文面を送ってきている。もしこれが真犯人の手によるものなら、これは司法制度そのものへの嘲笑だ。もし本人か協力者による自作自演なら、それはそれで異様な執念だ。どちらにしても正気ではない。

法的な救済も動かなかった。一九八六年、直接控訴は棄却。一九九〇年、連邦第六巡回区控訴裁判所は、獄中に手紙が続いたことを新証拠とする人身保護請求を退けた。理屈はこうだ。手紙が続いたことは、裁判で使われた証拠の強度を実質的に損なうものではないし、証拠採用された当時の手紙を別人が書いたことの証明にもならない。一九九二年にはオハイオ州最高裁でも敗れた。

全国区になった夜

一九九三年十二月、事件は町の外に出る。アメリカの犯罪番組の金字塔『アンソルヴド・ミステリーズ』が、サークルビルを取り上げると決めたのだ。ロバート・スタックがトレンチコートで霧の中に立つ、あの番組である。

ところが、撮影が始まる前に、番組事務所に一枚の絵葉書が届いた。

サークルビル、オハイオのことは忘れろ。ラドクリフ保安官を傷つけるようなことは何もするな。オハイオに来たら、お前ら異常者どもは代償を払うことになる。署名、サークルビルの書き手。

制作陣は行った。番組は一九九四年十一月十一日に放送された。取材に応じたのは、五月に仮釈放されたばかりのポール・フリーシェだった。ラドクリフ保安官とメアリー・ギリスピーは取材を断っている。

画面の中でポールはこう訴えた。誰かにこの事件を、手紙の部分をきちんと見直してほしい。誰が書いたのか突き止めてほしい。それと、義兄の死についても、もう一度ちゃんと調べてほしい。

放送の効果は劇的だった。ただし、事件を解決する方向にではない。この放送を境に、あれほど止まらなかった手紙が、ぱたりと止まったのだ。

もっとも、完全な終幕ではなかったという記録もある。放送の後、番組の私書箱あてに、書き手を名乗る絵葉書がもう一度届いたと伝えられている。全国放送で顔のない怪物として紹介されたことへの、最後の合図のようなものだ。それが本当に同一人物だったのか、便乗した誰かだったのかは、これも確定していない。

止まった理由も分かっていない。飽きたのか。全国の目が集まったことに怯えたのか。それとも、ちょうどそのころ書き手が死んだのか。あるいは、ポールが出所したから、書く必要がなくなったのか。この最後の解釈が、彼の名誉を四十年以上縛り続けている。

証言のなかの事件

「アンクル・ポール」と呼んでいた女性の話

パム・スタントンは、フリーシェ家と一緒に育ったような立場の女性だ。ポールのことをアンクル・ポールと呼び、二人目の父親のように思っていたと語っている。だからこそ、逮捕の報を聞いたときの反応は明快だった。信じられなかった、と。

彼女の証言でいちばん胸に残るのは、人物評の部分だ。アンクル・ポールは、あんな残酷で冷淡な、人を殺したがるような人間ではなかった。ばかげている。そう彼女は言う。

感情的な擁護と切り捨てることはできる。だが同時に、この事件の関係者の中で、彼女は「加害者とされた男の日常」を継続的に見ていた数少ない人間でもある。

判決の日のことを尋ねられたとき、彼女は何十年もたっているのに泣いた。家に帰ったら、みんな抜け殻みたいになっていた。泣いている人もいた。全員が打ちのめされていた。そう語りながら、言葉が途切れた。

有罪判決というのは、被告人一人に下るものではない。その人を信じていた全員の生活に、同じ判決文が届く。彼女の涙は、その事実の証拠のようなものだ。

彼女はまた、ポールが何を求めていたかを繰り返し語っている。彼はロンの死の真相を知りたがっていた。手紙を誰が書いているのかも知りたがっていた。

ここに、この事件のいちばん皮肉な構図がある。義兄の死を殺人ではないかと最も強く疑い、保安官に食い下がり続けた人物こそが、最終的にこの一連の犯罪の犯人として名指しされたのだ。

新聞社のフロアにいた記者の話

ロビン・ヨーカムは、当時コロンバス・ディスパッチ紙の事件記者だった。今はミステリー小説を書いている。仕掛けが発見されたという第一報が編集局に入った日のことを、彼は鮮明に覚えている。

新聞屋の目線で言えば、あれは飛び切りのネタだった。何年も脅迫状を送りつけられてきた女性が、通勤路の柵で自分を殺すための仕掛けを見つける。小口径の拳銃つき。どの記者だって書きたがる。彼はそう率直に振り返っている。

だが同時に、彼は裁判の進行を追いながら、腑に落ちないものを抱えていた。指紋はどこだ。物証はどこだ。彼が使った言葉は「お粗末」に近い。ポールが仕掛けの首謀者として起訴されているはずなのに、公判のほとんどが手紙の話に費やされていた。それは彼の目に、明らかに順序が転倒して見えた。

ヨーカムはまた、町の心理を的確に言語化している。あいつを手紙と結びつけ、仕掛けと結びつけ、地域社会から追い出して刑務所に入れる。そうすれば全部が元に戻る。町はそう考えたのだ、と。ただし、と彼は続ける。戻らなかった。手紙が止まらなかったからだ。

そして彼は、ポールへの取材で聞いた一言を、三十六年たっても暗唱できる。おれが死んで墓に入っても、人はおれがあの手紙を送っていると思い続けるだろう。

ヨーカムはその予言について、こう締めくくった。残念だが、ポールは死んだ。だから我々には永遠に分からない。

町で育った姉妹の話

ジャネット・キャサディとジューン・ホワイトヘッドの姉妹は、ピカウェイ郡で育った。彼女たちの証言は、事件そのものより「その前」を教えてくれる点で貴重だ。

いい町だった、と彼女たちは言う。それなりに平穏だった、あの一件が始まるまでは。そう言って笑う。

この笑いの中に、匿名の手紙が奪ったものの正体がある。奪われたのは安全ではない。安全だと思い込める気楽さだ。

姉妹は、若いころのメアリーの卒業アルバムの写真を今も出してくる。彼女はミス・ジャクソンだったのよ、と。取材者が「きれいな人ですね」と応じると、そうよ、と即答する。

町の側から見ると、この事件の当事者は「事件の登場人物」ではない。同じ学校に通った、顔と名前が一致する隣人なのだ。だからこそ手紙は効いた。

ロンについても、彼女たちの言葉は短くて強い。ロニー・ギリスピー以上の人間なんて見つからない。そして事件の核心について尋ねられたとき、ジューンははっきりこう答えている。大がかりな隠蔽があったと思う。

半世紀近く前の出来事について、町の人間がいまだにこの温度で語る。それが、この事件がまだ終わっていないことの何よりの証拠だと思う。

数千ページを読み込んだ女の話

マリー・メイヒューは、ポッドキャストのためにこの事件を掘った制作者だ。彼女の作業量は尋常ではない。十年分の警察記録、数百ページの公判記録、そして手紙そのもの。何年も公開されていなかったものを含めて読み込み、投函経路を追いかけた。

彼女が繰り返し言うのは、書き手の情報精度についてだ。サークルビルの書き手は、全員のことを知っていた。全員の秘密を知っていた。彼女はそう表現する。小さな町には、刈り込まれた芝生の下に大きな秘密が埋まっている、という言い方もしている。

そして彼女は、この事件の記録のなかで最も落ち着かない事実を掘り当てた。ポールが服役中に消印を押された手紙のうち、およそ十二通から、ポール自身の指紋が検出されていたのだ。捜査ファイルの奥に眠っていた記載である。

これをどう読むかで、事件の見え方が反転する。あらかじめ大量に書き溜めておいて、外部の誰かに投函させていた、という説明は可能だ。だがそれでは、獄中の彼が知りようのない時事的な話題に触れた手紙の存在が説明できない。彼女自身、そこは説明できないと認めている。事実だけが残り、解釈がついてこない。この事件の縮図のような発見だ。

なお彼女は、元妻を犯人視する見立てに対しては明確に否定的だ。都合のいい悪役にされている、と表現し、仕掛けと彼女を結びつける根拠は薄いと言い切っている。

三十年追い続けた探偵の話

マーティン・ヤントは、元はオハイオの新聞記者で編集者だった。一九九一年に報道機関を離れ、冤罪の調査に人生を振った人物だ。彼の調査が関わった事案では三十人以上が無罪を勝ち取り、うち二人は死刑判決を受けていた。冤罪をテーマにした著書は、アメリカの主要紙がこの問題に関する最重要書の一つに挙げている。

その彼が、ポール・フリーシェの弁護のために雇われた。結果として二つのことが起きた。一つ、有罪判決の土台に疑問符が付いた。二つ、この事件が全国区になった。

彼が指摘した綻びは具体的だ。筆跡テストの取り方が間違っていること。鑑定人が言えたのは「書いた可能性がある」までだったこと。黄色いエルカミーノの目撃情報が握り潰されたこと。ロンの血中アルコールの数値に周囲が驚いていること。撃たれた一発の説明が誰にもできないこと。

同時に、彼は自分の限界にも正直だ。手紙を最初に受け取った校長本人が、その後どうしたのか、家族が何を知っているのか、記録にはほとんど残っていないと彼は言う。私が調べていた一九九二年ごろは、傷がまだ生々しすぎて誰も口を開かなかった。今はもう昔話になってしまった。

その二つの時期の間に、証言を取れる窓があったのに、誰も開けなかった。この悔いが、彼の語り口の底に常にある。

誰が書いたのか――説を一つずつ、反証と一緒に

説その一 判決どおり、彼が書いていた

いちばん公式に近い立場だ。ピカウェイ郡保安官事務所は現在も、この事件を終結扱いにしている。

二〇二一年以降にCBSの報道番組が依頼した文書鑑定人ビヴァリー・イーストは、一九七七年から九〇年代までにまたがる四十九通と、ポールの私信を比較し、はっきりと結論を出した。すべて同一人物の筆跡であり、その人物はポール・フリーシェである、と。聖書に手を置いて法廷で証言してもいい、とまで言っている。

彼女が挙げた根拠は、大文字のGが数字の6のような形になる特徴的な癖、そして郵便番号の3が2と見分けがつかなくなる書き癖。同じ癖が、彼が獄中にいた時期に投函された手紙にも出ている、という。さらにポールの指紋が服役中の消印の手紙十二通ほどから出ているという記録もある。そして何より、手紙は彼が出所した年に止まった。

反証。まず、鑑定の入り口が汚染されている。一九八三年に取られた筆跡見本は、本物の脅迫状を見ながら書き写させたものだ。人は手本に引きずられる。この方法で得た資料と本物を比べれば、似ていて当たり前で、当時の鑑定人も「書いた可能性がある」以上のことは言えなかった。イーストは私信を使ったと述べているが、彼女自身、匿名の手紙の中にはポールの癖と合わない書き方の部分があることを認めている。

次に、獄中の物理的条件。独房、ペンと紙の没収、検閲、身体検査、刑務所内で入手できないはずの切手。刑務所長が不可能だと書面で断じている。そして、獄中で知りようのない直近の出来事に言及した手紙が存在する。指紋についても、それが彼が書いた証拠なのか、彼が過去に触った紙が使われた証拠なのか、区別する手立てがない。

最後に、有罪が確定したのは殺人未遂であって、手紙の作成ではない。彼は生涯、手紙については一度も起訴されていない。ここを混ぜてはいけない。

説その二 元妻による仕立て上げ

弁護側が法廷で示唆し、その後の論者の多くが繰り返してきた見立てだ。

当時、ポールと元妻は激烈な離婚係争の最中だった。弁護人は陪審にこう問いかけている。ポールを陥れたいほど憎んでいたのは誰か。離婚の取り決めを読めば、ポールが有罪になり刑務所に行った場合、誰が経済的に得をするのか。

実際、彼女は夫が使っていたガレージにも銃にも近づける立場にあった。捜査の初期に「夫が書き手だ」と最初に名指ししたのも彼女だ。しかも、隠された手紙を見つけたと証言しながら、それを一枚も保全せず、当局に届けたのは仕掛けが見つかった後だった。仕掛け現場付近で目撃された大柄で砂色の髪の男は、当時彼女が交際していた男の外見に近いという指摘もある。

反証。彼女は一度も正式に被疑者として扱われていない。事件を最も深く読んだ調査者の一人は、彼女を都合のいい悪役と呼び、仕掛けと彼女を結ぶ線は薄すぎると評している。交際相手に似た外見の男が、彼女の身内が所有していた車種に似た車のそばに立っていた、というだけでは、何も証明していない。

加えて、彼女には決定的な動機の穴がある。手紙は一九七七年、つまり離婚問題が起きるはるか前から始まっている。仕立て上げ説は一九八三年の仕掛けを説明できても、その前の六年間を説明できない。そして最大の反証は、彼女の弟が死んでいることだ。仕立て上げの筋書きに、実の弟の死をどう組み込むのか。誰も答えを出せていない。

説その三 書き手は一人ではなかった

現実的で、しかも救いのない説だ。

十七年、千通以上、宛先も筆致も揺れがある。一人の人間の継続力としては異常だ。ならば、複数の人間が違う時期に、違う動機で、同じ書式を模倣していたのではないか。最初の三通を書いた「校長を追い落としたい誰か」と、後年ギリスピー家に執着した誰かは、別人かもしれない。

実際、獄中に手紙が届いた事実は、少なくとも「有罪判決を受けた人物以外に書ける人間がいた」ことを示している。元FBIプロファイラーも、二月七日の仕掛けについては、手紙の書き手ではない誰かが状況に便乗した可能性があると述べている。書き手はあれだけ匿名性に神経を使っていたのに、現場に姿を晒す仕掛けを自ら設置するのは行動として一貫しない、という理屈だ。

反証。文書鑑定と行動分析という、立場の異なる二人の専門家が、そろって単独の書き手と判断している点は無視できない。書式の一貫性、全部大文字、コロンの多用、独特の言い回し、同じ罵倒語。これが十七年間ほぼ崩れないというのは、模倣にしては精度が高すぎる。複数犯説は、なぜ全員が同じ癖で書き続けられたのかを説明できない。

さらに、複数人が共謀していたなら、四十九年のうちに誰か一人は喋る。町を割り、隣人を苦しめ、人を刑務所に送った秘密を、複数の人間が半世紀完全に保持するというのは、経験則に反する。

説その四 校長の身内が書いた

最初の三通の宛先を素直に見れば、この事件は「校長を職から引きずり下ろす作戦」として始まっている。二日間の畳みかけ方も、教育委員会という急所の選び方も、学校組織の内部を知る人間の手つきだ。ならば、校長家庭の内側に、彼の失脚を望む理由を持った人がいたのではないか。後年の手紙のいくつかに、その家族の名前が署名として使われていたという指摘もある。この説は、初期の手紙の異様な学校事情への詳しさを、いちばん自然に説明する。

反証。まず、署名は誰でも書ける。むしろ実名が使われていることは、書いていない人間に罪を着せる典型的な手口とも読める。次に、範囲の問題がある。書き手はギリスピー家の勤務先も、バスの車両番号も、乗っている車の色も、子どもの年齢も、家にいる時間帯も知っていた。校長家庭の内側にいる人物が、他家の生活動線までそこまで把握できるだろうか。

加えて、この説が想定する期間には時系列上の齟齬もある。手紙が始まる半年前に、この家庭の離婚申し立ては取り下げられている。そして最も重い反証は、この人物が当時まだ若く、そして生きている可能性があるということだ。証拠のない名指しは、それ自体がもう一通の匿名の手紙になる。

説その五 振られた同僚が始めた

メアリー本人が最初に疑ったのは、以前に自分へ言い寄ってきた同僚のバス運転手だった。だからこそ、四人は彼に向けて警告の手紙を書いたのだ。そして、実際に手紙は一時的に止まった。この止まったという反応は、宛先が当たっていたことを示唆する、と読むことはできる。動機も分かりやすい。拒まれた執着が、正義の告発という仮面をかぶって噴き出した、という筋書きだ。

反証。手紙が止まったのは偶然かもしれない。あるいは、書き手が別の誰かで、脅迫が来たことでいったん様子を見ただけかもしれない。何より、捜査当局はロンの死の直後にこの人物を含む容疑者を一度洗い、嘘発見器の結果を根拠に除外している。その除外が妥当だったかは別として、公的には否定された筋だ。

そして倫理的な問題がある。この人物は後年まったく別の事件で名前が出ており、そのイメージを本件に流用するのは、資料に基づく推理ではなく感情の転用にすぎない。証拠がない以上、ここでは名前を書かない。

説その六 標的自身の自作自演

テレビのコメディ番組がふざけ半分で提示し、なぜか一部で生き残ってしまった説だ。

バス運転手なら、毎日子どもたちを乗せている。子どもは家庭の話を無防備に喋る。町中の私生活情報が、あの運転席には流れ込んでくる。だから彼女こそ全員の秘密を知り得た、という理屈。仕掛けについても、疑いを逸らすための自作という解釈が付けられている。

反証。まず、これは彼女を二度被害に遭わせる説だ。手紙の内容の中心は、彼女自身への性的な中傷と、彼女の未成年の娘への殺害予告である。自作自演のために、自分の子どもを殺すと書いた紙を町中に配る親を想定するのは、あまりに無理がある。

そして事実関係が合わない。彼女は一貫して警察に相談し、記録を残し、証拠として手紙を保管し、法廷で証言している。加害者が最も避けたい行動ばかり取っている。最後に、決定的なのは投函だ。手紙は十七年、コロンバスの消印で送られ続けた。彼女がバス運行と家事のかたわら、その全部をこなしていたと考えるのは現実的ではない。

この説は説として扱う価値が薄い。挙げたのは、事件が消費されるときに何が起きるかの見本として、だ。

説その七 捜査側の不作為が生んだ影

町の一部には、当局が事件の一部を意図的に見なかった、という強い感覚が今も残る。根拠はゼロではない。

ロンの死は解剖も検死審問もなく処理された。撃たれた一発は説明されないまま残った。目撃報告書は裁判に出てこなかった。刑務所長の不可能という書面があっても、仮釈放は手紙を理由に却下された。書き手自身が「保安官を傷つけるな」という葉書を番組に送っている。そして半世紀近く、誰も手紙について起訴されていない。町の人間が大がかりな隠蔽があったと言うとき、それは陰謀論というより、これらの事実の集積に対する率直な感想に近い。

反証。ただし、不作為と隠蔽はまったく別物だ。一九七〇年代の郡の保安官事務所に、千通規模の匿名文書事件を捌く体制はない。解剖の省略は、当時の田舎の検死実務としては珍しくない。目撃情報の未追跡も、悪意ではなく能力と人員の限界で説明がつく。

何より、隠蔽説には守るべき秘密の中身がない。誰の何を守るために、どの機関が四十九年間口を閉じたのか、その像を誰も描けていない。動機なき陰謀は、陰謀と呼ばない。それに、当時の保安官は四十八年、十二期を務めた人物だ。彼のキャリアを終わらせるほどの醜聞を抱えていたなら、告発する動機を持つ人間は町に何十人もいたはずだ。

匿名の手紙は、なぜ町を壊せるのか

ここからは、事件そのものから少し引いた話をしたい。この事件がいまも人を引きつける理由は、犯人が分からないからだけではないと思う。手紙という古典的な道具が、共同体を壊すのに驚くほど適していた、という発見があるからだ。

匿名の手紙の第一の力は、非対称性にある。書き手は反論されない。訂正もされない。読み手は反論も訂正もできない相手の言葉を、自宅の中で、一人で読む。しかも、家に届いたという事実そのものが「相手はここを知っている」という情報を運んでくる。文面が脅迫でなくても、届いた時点でもう脅迫なのだ。

第二の力は、拡散の方式だ。この書き手は極めて賢く、告発を必ず第三者に送っていた。校長には校長宛て、教育委員会には教育委員会宛て、夫には夫宛て、そして最終的には町の全員宛て。

噂というものは、当事者だけが知っている間は噂にならない。外側の観客が増えた瞬間に、噂は現実の圧力に変わる。書き手はこの仕組みを本能的に理解していた。

第三の力が、いちばん残酷だ。反証不能性である。「していない」ことの証明は原理的にできない。メアリーは関係を否定した。校長も否定した。だが、否定は否定として消費されるだけだった。そして時間が経ち、夫の死後に二人が実際に交際を始めたとき、町は「ほら見たことか」と言った。順序が逆でも関係ない。手紙は、後から自分を正しくさせる装置として機能してしまった。

第四に、匿名の加害は共同体の内部に疑いの網を張る。手紙を受け取った人は、誰が書いたのかを考える。考えれば、必ず身近な人の顔が浮かぶ。スーパーのレジで後ろに並んだ人。郵便局で目が合った人。教会で隣に座った人。

つまり手紙は、町の人間関係そのものを容疑者名簿に変えてしまう。実際に当時のサークルビルでは、書き手は男か女か、町に住んでいるのか、という会話が日常になっていた。信頼という共有資産が、一通ずつ削られていったのだ。

そして第五に、この種の加害は、終わっても回復しない。犯人が捕まっていれば、共同体は「あいつだった」という物語で傷を閉じられる。ところがサークルビルでは、その物語が二重に壊れている。犯人とされた男は手紙については起訴されておらず、彼が入獄した後も手紙は続いた。だから町は、閉じるための物語を手に入れそこねた。傷口の縫合糸が、四十九年たっても垂れ下がったままなのだ。

現代的な射程も書いておきたい。この事件が起きた一九七七年、匿名で他人の私生活を町中に配るには、切手と便箋と、郵便局まで行く手間が必要だった。書き手はその手間を千回以上払っている。今は、その手間がゼロになった。同じ悪意が、同じ規模で、一秒で拡散する。サークルビルの手紙が読み継がれるのは、それが過去の田舎町の怪談ではなく、技術が変わっただけで構造がまったく同じ現象だからだと思う。

なぜ半世紀たっても終わらないのか

最後に、この事件が終わらない理由を、事実の側から整理しておく。

第一に、証拠が両側に効いてしまう。手紙がポールの出所と同時に止まった、という事実は、彼を犯人だと考える最強の材料だ。同時に、彼が獄中にいる間に手紙が続いた、という事実は、彼が犯人ではないと考える最強の材料でもある。同じ時系列が、正反対の結論を等しく支える。この構造の中では、新しい情報が出るたびに議論が進むのではなく、両陣営の弾薬が同時に増える。

第二に、専門家の判断が割れている。文書鑑定人は四十九通すべて同一人物、それはポールであると言い、行動分析の専門家は同一人物だがその人物はポールとは別だと言う。二人とも同じ資料を見ている。二人ともキャリアに裏打ちがある。門外漢が判定できる差ではない。

第三に、物証が中途半端に残った。服役中の手紙十二通ほどに彼の指紋がある。しかし仕掛けからは指紋が出ていない。あるはずのところになく、ないはずのところにある。この配置を無理なく説明する仮説を、誰もまだ作れていない。

第四に、追える線が全部枯れた。手紙は一九九四年に止まった。止まったということは、新しい消印も、新しい筆跡も、新しい紙も出てこないということだ。捜査は動く対象があってはじめて動く。有罪判決を受けた男は二〇一二年に亡くなった。長く郡を率いた保安官も二〇二〇年に亡くなった。当時の関係者の多くが世を去り、残った人は口を閉じている。

第五に、制度が扉を閉めた。控訴審も連邦の人身保護請求も州最高裁も、それぞれの理屈で救済を拒んだ。連邦控訴審の論理は明快で、獄中に手紙が続いたことは、裁判に出された証拠の強度を実質的に損なわない、というものだった。法的にはそれで完結する。だが常識の側からは、まったく完結していない。この乖離が、事件を制度の外側で燃やし続けている。

第六に、そして最も重いのが、名誉の問題だ。ポール・フリーシェは、手紙を書いたという罪では一度も起訴されていない。にもかかわらず、彼はサークルビルの書き手として四十年以上扱われ続けた。彼自身、それを予言していた。おれが死んで墓に入っても、人はおれが手紙を送っていると思い続けるだろう、と。実際そうなった。

彼は殺人未遂で有罪となった人物であり、それは司法の結論として動かない。だが、有罪が確定した罪と、確定していない「真の差出人」は、別の問題だ。この二つを混ぜたまま語り継ぐことこそが、この事件が生んだ最後の被害なのかもしれない。

そして一つだけ、確実なことがある。この町の郵便受けから始まった話は、ロン・ギリスピーという三十五歳の男の死で最初の頂点を迎え、十三歳の少女への殺害予告で二度目の頂点を迎え、そして誰も納得しないまま静かになった。四十九年間、その静けさは解決ではない。ただ、書く手が止まっただけだ。

半世紀分の材料を並べ終えて、まだ引っかかっていること

ここまで書いてきて、改めて引っかかるのが「情報の質」の問題だ。

この事件について語られるとき、たいていは「書き手は町のすべてを知っていた」という一行で片づけられる。だが記録を丁寧に見ると、書き手の知識には濃淡がある。そして、その濃淡こそが最大の手がかりだった可能性がある。

書き手が異様に正確だったのは、限られた領域だ。学区のバス運行に関わる事情。特定の運転手の車両識別番号。誰が誰に言い寄ったかという職場の空気。ギリスピー家のトラックの色。子どもの人数と年齢。家に誰がいる時間帯。

この組み合わせは、町全体を知っている人間の知識ではない。学校の運行部門と、その周辺の人間関係の内側にいた人間の知識だ。

一方で、手紙が後年ばらまいた横領や政治腐敗の告発は、精度がぐっと落ちる。名指しはするが、裏づけの手触りがない。つまり書き手は、狭い井戸を深く掘れる人物であって、町全体を俯瞰できる人物ではなかった。

この見立てが正しいなら、捜査が最初に絞るべき母集団は、町の一万三千人ではなく、学区の運行に関わる数十人だったことになる。実際にそこが集中的に洗われた形跡は、公開されている範囲では見つからない。

次に、時系列の切り替わりを再確認したい。

最初の三通は、標的が校長ただ一人だ。文面は建前上、女性運転手を守るという体裁を取っている。ところが数か月のうちに、標的は完全に入れ替わる。守るはずだった側の一人であるメアリーが、最も激しい攻撃対象になる。

この転換を、多くの再話は「書き手が暴走した」で済ませてしまう。だがこれは、動機の質そのものが変わったことを意味しているのではないか。校長への攻撃は地位の剥奪を目的にしていた。メアリーへの攻撃は人格の破壊を目的にしている。要求から嗜虐へ。目的から快楽へ。

プロファイラーが「人を傷つけること自体を楽しんでいた」と評したのは、後期の手紙群のことだ。だとすれば、前期と後期をまったく同じ動機で説明しようとする試みは、最初から無理筋だったのかもしれない。

三つ目に、あの仕掛けの位置づけをもう一度考えたい。行動としてあまりに不整合なのだ。

書き手は十七年間、匿名性を完璧に守った。筆跡を変え、消印を分散させず一貫してコロンバスから出し、指紋も残していない。そこまで慎重な人物が、真っ昼間の道路脇で、目撃される危険を冒して、物理的な細工を柵に取り付ける。しかも、その細工に自分と結びつく銃を使う。合理性がまったくない。

ここから導ける読み筋は三つある。書き手が我慢の限界を超えて破綻した。書き手とは別の誰かが、十年続いた恐怖の物語に便乗した。あるいは、その細工は殺すためではなく、誰かを犯人に見せるために置かれた。

三つ目は不快な仮説だ。だが、削り取ったシリアルナンバーが結局復元できる程度の削り方だったこと、そして復元されればまっすぐ一人の男に行き着く銃がわざわざ選ばれていることを考えると、完全には捨てられない。もっとも、これも証拠のない読み筋であることは強調しておく。

四つ目。獄中の指紋という事実を、もう少し丁寧に扱いたい。

服役中に消印された手紙のうち十二通ほどに、ポールの指紋があった。この事実は、単純に読めば彼の関与を示す。だが、指紋はその紙にいつ触れたかを教えてくれない。

彼は逮捕前の段階で、実際に届いた脅迫状の実物を家族と一緒に読んでいる。保安官のもとで実物を見ながら書き写しもさせられている。彼自身、警告のために四、五通の手紙を書いたことも認めている。つまり彼の指紋が付いた紙は、事件の初期に何枚も存在していた。それが後年、誰かの手で再利用された可能性を、物理的に否定する材料はない。

逆に、この可能性を検証した記録も見当たらない。四十九年の間に、この一点をきちんと詰めた人間がいなかったこと自体が、この事件の捜査の性格を物語っている。

五つ目に、この事件がメディアによって延命した事件であることも指摘しておきたい。

一九九四年の全国放送は、事件を全米に知らしめた。同時に、手紙を止めた。ここには強い示唆がある。書き手は、自分の作品が地元という舞台で消費されている限りは書き続けられたが、全国の視線に晒された途端に手を引いた。

これは注目を求める愉快犯の行動としては逆だ。承認欲求で書いていたなら、全国放送は最高の舞台になる。手を引いたということは、書き手にとって匿名性の維持が、注目より優先されたということだ。つまり書き手は、身元が割れると失うものが大きい立場にいた。地元に留まり続ける必要がある人物、あるいは町の中で相応の顔を持っていた人物。この推論は、書き手が町の外部の異常者ではなく、内部の隣人だったという見方をさらに強める。

六つ目。この事件は、日本の読者にとって遠い話に見えて、実はかなり近い。

匿名の投書、怪文書、掲示板の書き込み、地域の噂。日本にも同じ構造の事件はいくらでもある。共通するのは、加害者が匿名であること、被害者が「していない」ことを証明できないこと、そして共同体が真偽ではなく面白さで情報を流通させることだ。

サークルビルで起きたのは、手紙という媒体を使った、共同体の免疫不全だった。町は外から攻撃されたのではない。内側から、自分たちの相互不信によって腐った。だから犯人が捕まらないのだ。犯人はたしかに一人か数人だが、事件を成立させたのは、手紙を回し読みし、噂を広げ、被害者を横目で見た町全体だったからだ。この点で、この事件には犯人が二百人いる、という言い方すらできる。

七つ目に、被害の総量を数えておきたい。

三十五歳の男が死んだ。その死は事故として処理され、遺族は納得しないまま四十九年を過ごした。十三歳だった少女は、自分についての性的中傷が町中の柵に貼られる思春期を送った。母親は職場と近所と町中の視線に晒され続けた。校長は職業人生の後半を、証明も反証もされない告発とともに歩いた。ある男は十年間服役し、出所後も「あの手紙の男」として死んだ。その息子は二〇〇二年に亡くなっている。ある女性は「元妻」というだけで四十年間、犯人説の主役にされ続けた。

誰一人として、この事件で得をした人間がいない。金銭も奪われていない。誰も勝っていない。ただ、書き手だけが、自分の作った物語が半世紀語り継がれるのを、どこかで見ていたかもしれない。それが最も不快な想像だ。

八つ目。それでも、書ける範囲で書いておかなければならない線がある。

有罪が確定したのは殺人未遂であり、手紙の作成ではない。手紙については、誰一人として起訴されていない。だから「サークルビルの書き手」という呼び名を、実在の誰かの名前と等号で結ぶことは、記事としても倫理としてもやってはいけない。

この事件がわれわれに残した最大の教訓は、迷宮入りの妙味などではない。名前のない告発が、名前のある人生をどれだけ簡単に潰せるか、その実演だ。四十九年前に郵便受けに落ちた紙一枚が、ここまで届いている。

そして最後に。もし書き手が当時三十代だったなら、今は八十代だ。生きているかもしれない。町のどこかで、あるいはまったく別の州で、この事件がドキュメンタリーやポッドキャストになるたびに、自分の作品の批評を読んでいるのかもしれない。あるいは、とっくに死んでいて、墓石の下でこの騒ぎとは無関係になっているのかもしれない。

どちらにせよ、確かなことは一つだけある。あの町の郵便受けはもう静かで、そして誰も、その静けさを解決とは呼んでいない。

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