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ゴールデン・ステート・キラー――三つの名前を持っていた男と、家系図が暴いた四十年

カリフォルニアには、三人の怪物がいたことになっていた。ヴィセイリア荒らし、東エリア強姦魔、オリジナル・ナイトストーカー。別の郡、別の年代、別の手口。別の事件だと思われていた。
実際には、全部同じ男だった。しかも、現役の警察官だった。
それが分かるまでに四十年以上かかった。最後に掴んだのは、目撃者でも、自白でも、目撃情報でもない。足して五代前の先祖を共有する、会ったこともない親戚の家系図だった。この事件は、ミステリとしても、捜査史としても、とんでもなく重い。
## 同じ州で、三つの事件が別々に追われていた
まず、この事件のサイズ感を押さえておきたい。
確認されているだけで、殺人13件。性的暴行50件以上。侵入・窃盗は220件を超える。期間は1973年ごろから1986年まで。カリフォルニア州を北から南まで、十以上の郡をまたいでいる。
だが当時、これは三つの別件として扱われていた。
ひとつ目がヴィセイリア荒らし(Visalia Ransacker)。1973年から1975年にかけて、カリフォルニア中部のヴィセイリアという町で百件以上の侵入を繰り返した男。金目当てというより、家の中をめちゃくちゃにして、安いものをひとつだけ持ち去るという奇妙な手口だった。女性用下着を並べたり、結婚式の写真を持ち去ったりする。
ふたつ目が東エリア強姦魔(East Area Rapist)。1976年からサクラメント郡東部で連続した性犯罪。メディアがこの名前をつけ、地域はパニックになった。
みっつ目がオリジナル・ナイトストーカー(Original Night Stalker)。1979年以降、南カリフォルニアでカップルを狙って殺した犯人。なぜ「オリジナル」かというと、後にリチャード・ラミレスが「ナイトストーカー」と呼ばれたから、区別のためにこう呼ばれた。
この三つを一本につなげて「ゴールデン・ステート・キラー」と呼び始めたのは、実は警察じゃない。一人のライターだ。その話はあとでする。
## ヴィセイリアの荒らし屋が、引き金を引いた夜
1975年9月11日。ヴィセイリアで、クロード・スネリングという大学の教授が自宅で撃たれて死んだ。
何が起きたか。夜中、彼の16歳の娘が何者かに連れ去られそうになった。物音で目覚めたスネリングが飛び出して娘を取り戻そうとし、侵入者に二発撃たれた。犯人は娘を置いて逃げた。
これが、この男の最初の殺人だと見られている。それまでは家に入って荒らすだけの男だった。それが人を殺した。
さらに同年12月10日ごろ、張り込み中のヴィセイリア警察のマクゴーエン刑事が、目の前で不審な男と遭遇している。刑事が呼び止めると、男は手を上げて降伏する仕草をして、次の瞬間に発砲した。弾は刑事の懐中電灯に命中し、飛び散った破片で刑事は負傷した。命は助かった。刑事は後年、あの男は完全に落ち着いていたと語っている。パニックになっていなかった。訓練された人間の動きだったと。
この遭遇のあと、ヴィセイリアの事件はピタリと止まる。そして半年後、北へ200キロ離れたサクラメントで別の事件が始まる。当時、この二つをつなげた人間はほとんどいなかった。
## 1976年6月18日、ランチョ・コルドバ
東エリア強姦魔の最初の記録された事件は、1976年6月18日、サクラメント郡ランチョ・コルドバで起きた。
ここから三年間、サクラメント郡東部は本当に地獄だった。事件は月に何度も起きた。住民は窓に釘を打ち、散弾銃を買い、犬を飼い、自警団を作った。銃の売上が急増し、鍵屋は予約で埋まった。ニュースは連日この話題だった。
1976年12月18日の事件は、後に彼女自身が公に語っている。クリス・ペドレッティ、当時15歳。クリスマス前の夕方、一人で家にいたところを襲われた。彼女は何十年も後、自分の名前を出して語る道を選んだ。「被害は一度じゃなかった」というのが彼女の言い方で、事件そのものと、そのあとの警察の事情聴取や検査、そして周囲の目と、三重に傷つけられたと語っている。当時のアメリカには、性犯罪の被害者を守る仕組みがほとんどなかった。
もうひとつ、救いのある証言を紹介したい。1976年に襲われたローズ・トーマスという女性だ。彼女は十代の娘たちと家にいたところを、窓から入ってきた覆面の男に襲われた。彼女は後年こう語っている。化け物のように見えたと。棒のようなもので頭を殴られ、手を縛られそうになったと。彼女は抵抗し、電話で警察を呼んだ。その隙に男は窓から飛び出して逃げた。彼女はこう付け加えている。自分が死ぬのは怖くなかった、だが子供のためなら死ぬ、と。彼女の娘のスー・アリコは、恐怖だったのは襲われたことそのものより、いつまで経っても犯人が見つからないまま、事件だけが増え続けたことだった、と語っている。この感覚は、当時のサクラメント市民全体のものだったと思う。
## この男は、襲う前に必ず下見をしていた
手口の話をしておきたい。この事件が長引いた理由の半分は、この男の準備の抜かりのなさにある。
彼は思いつきで家に入らなかった。まず地域を選ぶ。中産階級の住宅地で、平屋建てが多く、学校や遊歩道、排水路などの「道路を使わない逃走経路」がある場所。自転車で移動できて、見通しの良い地形。
次に家を選ぶ。何週間も前から、対象の家の周囲をうろつく。住人の生活パターンを把握する。実際、彼の犯行の前には近隣で「覚えのない人影を見た」「野良犬が夜中に吠えた」という通報が集中することが多かった。さらに、事前に家に入って下見をしていた形跡もある。住人がいない日中に入り、間取りを覚え、武器になりそうなものを隠し、電話線の位置を確認していた。
だから、被害者が後から思い返すと「あれは変だった」という出来事が必ずある。ないはずの場所にロープが置いてあった。窓の鍵がなぜか開いていた。数日前に無言電話がかかってきた。全部、後から意味が分かるやつだ。
特に気味が悪いのが電話だ。彼は襲う前に、ターゲットに電話をかけていた形跡がある。受話器を取っても何も言わない。呼吸だけして切る。在宅確認だったのか、威嚇だったのか、その両方か。
これで分かるのは、この男が「衝動に負ける人間」ではなかったことだ。何週間もかけて準備し、タイミングを選び、逃路を確保してから動いた。だから四十年捕まらなかった。
## 皿を重ねる男、という恐怖の設計図
この男の行動で、当時の捜査官が一番不気味がったのが、被害者を心理的に支配するやり方だった。
彼は徒に暴力を振るうだけではなく、相手が動けない状況を作ることに執着した。カップルを襲うときは必ず二人を分断した。拘束に使ったのは、多くの場合その家にあった靴ひもやタオルだった。道具を持ち込まないことで、現場に残るものを減らす。
そして有名なのが、俯せにさせた男性の背中に食器を重ねて置いたというやつだ。皿がカチャリと鳴ったら全員殺す、と告げておく。監視する必要すらない。皿が鍵の代わりをする。これを思いつく頭の作りが、もう十分怖い。
さらに、彼は現場で不可解な時間を過ごしている。犯したあともすぐには逃げない。家の中を歩き回り、冷蔵庫を開けて食べ物を口にし、ビールを飲み、タンスをあさる。家の中のどこかでしばらくじっとしていて、気がすむと出ていく。この行動はヴィセイリア時代の「家をめちゃくちゃにする」行動ともつながっていると見られている。
もうひとつ、捜査上有名なエピソードがある。1978年のある事件で、犯人が「ボニー、お前が憎い」という意味のことを繰り返しつぶやいていたという。当時は意味不明だった。四十年後、逆にこれが裏付けになる。ジョセフ・ジェームス・ディアンジェロの元婚約者の名は、ボニー・ジーン・コールウェルといった。
## 電話が鳴る。「また俺だ」
この男は、電話をかけてきた。これがこの事件の中でもっとも嫌な部分だ。
記録に残っているものをいくつか並べる。1977年3月18日、彼は保安官事務所に午後4時15分、4時30分、5時と三回電話をかけている。一回目と二回目は「俺はイーストサイド・レイピストだ」とだけ言って笑い声を残して切る。三回目はこう言った。次のターゲットはもう目をつけてある、お前らには捕まえられない、と。
1977年12月10日の夜には、保安官事務所に「今夜やる。ワット・アベニューだ」と場所を指定してきている。同じ年12月には、サクラメント・ビー紙に「Excitement’s Crave」という詩を送りつけている。自分の行為を詩にして新聞社に送る。この手のナルシシズムは、サムの息子事件やゾディアックにも共通する。
だが本当に残酷なのは、被害者本人への電話だ。1977年12月9日、ある被害者のもとに「メリークリスマス。また俺だよ」という電話がかかっている。1978年1月2日には、一番最初の被害者のところに、壊れたような小声で同じ言葉を何度も繰り返す電話がかかった。この通話は録音されており、のちにFBIが公開している。声の主を知っている人はいないかという呼びかけだった。
そして極めつけが1982年のものと、2001年4月6日のものだ。2001年、つまり事件から四半世紀近く経ってから、ある被害者のところに電話がかかってきた。内容は一行だけ。あのとき遊んだのを覚えてるか、と。この男は二十五年、自分が襲った人間の電話番号を覚えていた。あるいは、調べ直した。どちらでも同じくらいイカレている。
## 1978年2月、犬の散歩中に撃たれた若い夫婦
1978年2月2日、サクラメント郡ランチョ・コルドバ。ブライアン・マジョーレとケイティ・マジョーレという二十代の夫婦が、夜に犬の散歩をしていて撃たれた。
ブライアンは空軍の軍人だった。二人は何もしていない。ただ夕食のあとに犬を連れて外に出ただけだ。おそらく、これから仕事をしようとしていた男と、ばったり遭遇した。
この事件は長らく、東エリア強姦魔の仕業かどうか議論の対象だった。彼はそれまで人を殺していなかった(と思われていた)からだ。現場には靴ひもが落ちていて、手口が一致すると見る捜査官もいた。のちに、この二件もディアンジェロの罪状に含まれる。
マジョーレ夫妻の友人だったスーザン・コネルは、何十年も経ってからテレビの取材でこう語っている。若くて、普通に人生を歩いていただけだったと。二人とも、今でも会いたいと。こういう証言を読むと、この事件が奇妙なミステリでもパズルでもなくて、具体的に人の人生を引き千切っていったことの集積だと分かる。
なお、この頃の地域の空気を表す有名なエピソードがある。1977年の住民集会で、ある男性が「自分の家でそんなことは起こさせない、手をこまねいている夫が悪い」という意味の発言をしたとされる。その後、その発言をした人物の家庭が襲われたという話が地元で広く伝わっている。このエピソードは後年、事実関係がどこまで確かなのか検証され、盛られている部分があるという指摘も出ている。だが、当時の住民がどれだけ追い詰められていたかの証言としては、十分に重い。
## 南へ。オリジナル・ナイトストーカーという別の名前
1979年、サクラメントでの事件が止まる。同じ頃、南カリフォルニアで新しい連続事件が始まる。
1979年10月1日、ゴレータでカップルが襲われたが、二人とも逃げ切った。これが南カリフォルニアでの最初の件とされている。だがここから先は違った。彼は殺すようになった。
1979年12月30日、同じゴレータで医師のロバート・オファーマンとデブラ・マニング。1980年3月13日、ベンチュラで弁護士のライマン・スミスと妻シャーレーン。1980年8月19日、ダナポイントでキース・ハリントンとパトリス・ハリントン。新婚五ヶ月の若い夫婦だった。1981年2月6日、アーバインでマヌエラ・ヴィトゥーン。1981年7月27日、ゴレータでチェリー・ドミンゴとグレゴリー・サンチェス。
そして1986年5月5日、アーバインで18歳のジャネル・クルーズが殺された。これが最後の殺人とされている。その後、この男はフッと消えた。
なぜ止まったのかは、今でもよく議論になる。捕まったのか(別件で)、病気になったのか、死んだのか、家庭の事情が変わったのか。結果から言えば、彼は普通に生きて、普通に働いて、孫のいる祖父になった。それが一番気味が悪い。
当時、北のサクラメントの事件と南のオレンジ郡・サンタバーバラ郡の事件をつなげるものはなかった。郡が違えば保安官事務所も違う。データベースも共有されていない。不審な類似を指摘する捜査官はいたが、証明する手段がなかった。
## 2001年、二つの怪物がDNAで一本につながった
転換点は2001年だった。
DNA型鑑定が古い証拠品にも適用できるようになり、サクラメントの東エリア強姦魔事件の証拠と、南カリフォルニアのオリジナル・ナイトストーカー事件の証拠が、同一人物のものだと判明した。
これは当時、捜査現場にとって衝撃だった。別の事件だと思って別々に追っていた二つのファイルが、ひとつになった。以後、この犯人は「EARONS」(East Area Rapist / Original Night Stalker)と呼ばれるようになる。のちにヴィセイリア荒らしも同一犯と見られるようになった。
この統合を進めた中心人物の一人が、コントラコスタ郡の捜査官ポール・ホールズだ。彼は十数年にわたってこの事件を追い続けた。休日に自費で証拠倉庫に通い、古いファイルを読み直し、当時の被害者に会いに行った。退職の日にもこの事件のファイルを開いていたというのは、この事件を語るときに必ず出てくるエピソードだ。
だが2001年の時点でも、問題は何も解けていない。DNAはある。だが、照合すべき相手がいない。アメリカの犯罪者DNAデータベース(CODIS)には、前科のある人間しか入っていない。この男は、前科がなかった。
## ミシェル・マクナマラという名の執念、そして突然の死
ここで、警察でもない一人の女性が登場する。
ミシェル・マクナマラ。シカゴ郊外育ちのライターで、コメディアンのパトン・オズワルトの妻。彼女は未解決事件に取り憑かれたようになり、自分のブログで古い事件を追い始めた。彼女自身の原体験として、十代の頃に近所で未解決の殺人があったということがある。
彼女が2013年、ロサンゼルスの雑誌に寄せた長編記事で、この連続犯に新しい名前をつけた。ゴールデン・ステート・キラー。カリフォルニアの愛称「黄金州」から取った。「東エリア強姦魔」という名前では地域が限定されすぎるし、何より被害者を修飾する名前だった。州全体をレンジにした事件なんだと伝えるために、彼女は名前をつけ直した。この名前が定着して、事件は全国区になった。
彼女のやり方は、当時としてはかなり新しかった。ネット上のマニアたちと連携し、古い卒業アルバムをデジタル化して検索し、オークションサイトで盗品と似たカフスボタンを探し、当時の住宅地図を重ねて行動範囲を推定した。ポール・ホールズら現役の捜査官とも直接やりとりしていた。ジャーナリストというより、共同捜査者に近い位置にいた。
そして2016年4月21日、マクナマラは自宅で睡眠中に死んだ。46歳。死因は複数の薬物の併用と、未診断だった心臓の病気とされた。彼女は不眠に苦しんでいて、事件の調査にのめり込むあまり夜に寝られなくなっていたという。
本は未完成だった。後を引き受けたのは、彼女の取材仲間だったリサーチャーとライター、そして夫のパトン・オズワルトだった。彼らは彼女の膨大なメモと原稿を整理し、2018年2月に『黄金州の殺人鬼』(原題 I’ll Be Gone in the Dark)を出版した。ベストセラーになった。
その二ヶ月後、犯人が捕まる。
## 2017年、いったん間違った男にたどり着いていた
ここ、あまり語られないが重要なパートだ。
2017年、捜査チームはY染色体の型を使った家族検索を試みた。これはDNAの男性系列を追う手法で、ゆるやかに同じ苗字の系統を拾える。その結果、オレゴン州の介護施設にいた73歳の男性が浮上した。
捜査当局は裁判所の令状を取って、この男性のDNAを採取した。本人は認知症で、何が起きているのかもよく分かっていなかったという。結果は不一致。別人だった。
この件は、遺伝子捜査のリスクをベタに示している。やっていない人間が、遠い親戚の遺伝情報だけで連続殺人犯の候補になる。しかも本人は拒めない。幸いこの方の名前は当初伏せられ、後に報道されたときも「無関係であることが確認された人物」として扱われた。だがもしこの段階で名前が漏れていたら、一人の人生が終わっていた。
ネットの考察界隈でも、この件は後に大きな議論の種になった。「結果的に捕まえたからいいだろ」という意見と、「一歩間違えばエラーの被害者を量産する手法だ」という意見。これは今も決着していない。
## GEDmatch。DNAではなく「親戚」を探した捜査
2018年3月、捜査チームは別の手を打った。
やったことは、概念だけ取ればシンプルだ。現場に残されていた犯人のDNAを、一般向けの家系図サイトのフォーマットに変換して、GEDmatchというサイトにアップロードした。GEDmatchは、自分でDNA検査を受けた人が結果を互いに照合するための、ボランティアベースのオープンな場だった。自分のルーツを知りたい人や、生き別れた家族を探す人が使う。
ヒットしたのは、犯人本人じゃない。遠い親戚。1020人前後の、五代前の先祖を共有するレベルの人々だ。普通に考えたら、こんなものは使い物にならない。五代前の先祖が共通ということは、子孫は何千人もいる。
ここで仕事をしたのが、家系図研究家のバーバラ・レイ・ヴェンターだった。彼女は元々弁理士で、退職後に趣味で家系図をやっていた人だ。彼女はヒットした親戚たちから、逆向きに家系図を立てた。国勢調査、出生記録、結婚記録、墓石のデータベース、古い新聞の訃報。最終的に、約25本の家系図と、1000人規模の人名リストができた。
そこから絞り込む。年齢(当時二十代後半から三十代)、性別、当時の居住地。カリフォルニア州に住んでいたか。サクラメントにも南カリフォルニアにも接点があるか。このフィルタをかけていくと、候補は急速に減っていく。
やがて、一人の名前が残った。サクラメント郊外のシトラスハイツに住む、退職したトラック整備士。名前はジョセフ・ジェームス・ディアンジェロ・ジュニア。72歳。
2018年4月18日、捜査官は彼の車のドアハンドルと、捨てられたティッシュからDNAを採取した。一致した。
## 2018年4月24日、庭で捕まった元警官
逆算すると、この男の経歴はひどくない。
1945年ニューヨーク州生まれ。海軍に入り、ベトナム戦争期に艦上勤務。除隊後は大学で警察学と刑事司法を学んでいる。優秀な成績だったという。
1973年5月から1976年8月まで、エクセター市警察に勤務。担当は窃盗事件だった。この時期、隣のヴィセイリアでは「ヴィセイリア荒らし」の侵入事件が相次いでいた。つまり彼は、自分を探す側の人間だった。
1976年8月から1979年7月まで、オーバーン市警察。この期間は丁度、東エリア強姦魔の活動期と重なる。同僚の評価は「目立たない」「人との距離が近すぎる」「注意されると不機嫌になる」といったものだった。
クビになったのは1979年7月。ドラッグストアでハンマーと犬よけスプレーを万引きして逮捕された。連続殺人犯としてのキャリアを終わらせたのが、金槌と犬よけスプレーの万引き。このディテールだけは、何度読んでも奇妙だ。
その後は1990年から2017年まで、ローズビルのスーパーマーケット物流センターでトラック整備士として働いていた。結婚し、娘が三人いた。逮捕時は、娘と孫と同居していた。
2018年4月24日の夕方、サクラメント郡保安官事務所の保安官たちが、ディアンジェロを自宅の側庭で拘束した。抵抗はなかった。翌日の記者会見で、逮捕のニュースは世界を回った。
拘束後の取調室で、彼は一人になったときに妙なことをつぶやいている。ジョーーという別人格にやらされた、という意味のことだ。検察側はこれを、心神喪失の主張を見据えた演技だと見ていた。
## 生存者たちの言葉と、2020年の法廷
裁判は長引くはずだった。検察は当初、十年と二千万ドル規模の費用を見込んでいた。
しかし、2020年6月29日、ディアンジェロは司法取引に応じて有罪を認めた。第一級殺人13件、誘拐13件。さらに、時効で起訴できなかった多数の性犯罪についても、法廷で事実を認めた。死刑を回避する代わりに、全部認める。そういう取引だった。
この取引には賛否両論あった。だが、症状の残った高齢の被害者や遺族にとって、何年も続く公判と控訴を待つ余裕はなかった。何より、公判で否認されることを避けられた。
量刑宣告の前に、数日間にわたる被害者陳述が行われた。これがこの事件の、最も重い部分だと思う。
何十人もの生存者と遺族が、マイクの前に立った。当時10代・20代だった人たちが、五十代後半から六十代になっていた。一生鍵を三重にかけて寝てきたという人。夕方になると化け物の影がちらつくという人。審問された自分のほうが疑われている気がしたと語る人。先に触れたクリス・ペドレッティは、この場でも、被害は一度ではなく二重三重だったと語っている。
元婚約者のボニー・コールウェルも、この事件の重要な証言者の一人だ。1970年代初頭にディアンジェロと婚約し、解消した女性。彼女は彼の支配的で執拗な振る舞いに耐えかねて別れを切り出した。彼はそれを受け入れず、銃を持ち出して結婚を迫ったとされる。彼女ははっきり断った。四十年後、彼女はテレビカメラの前で、あのとき断って本当に良かったと語り、同時に、あのとき誰かに話していたら何か変わったのだろうかとも語っている。俺はこのコメントが忘れられない。彼女が背負うべきものは何ひとつないのに。
2020年8月21日、ディアンジェロに仮釈放なしの終身刑が複数回、連続して言い渡された。彼は短い謝罪の言葉を口にした。すべての陳述を聞いた、傷つけたすべての人に本当に申し訳ない、と。多くの被害者は、その言葉を信じていない。
## DNA系図捜査が変えたものと、残した問い
この事件が犯罪史に残った本当の理由は、実はディアンジェロ本人じゃない。捕まえ方のほうだ。
2018年4月の逮捕以降、アメリカ中の未解決事件担当部署が一斉に同じ手法を使い始めた。フォレンジック・ジェネティック・ジーニアロジー(FGG)と呼ばれるこの手法は、数年で何百件ものコールドケースを解決に導いた。数十年前の未解決殺人、身元不明遺体の特定、衝撃的なことに、間違って服役していた人の無実証明にも使われている。
一方で、大きな問題も残した。
一番の争点は同意だ。GEDmatchに自分のDNAを上げた人たちは、「自分の先祖を知りたい」と思って上げたんであって、「見たこともない遠縁の親戚を警察に引き渡す」という同意をした覚えはない。しかも、自分のDNAを上げれば、上げていない家族の情報まで一緒に提供してしまう。遺伝情報とは、原理的に一人で完結しないデータなんだよな。
2019年、GEDmatchはユタ州の暴行事件をめぐってポリシーを変更し、利用者は「警察の検索対象にする」を自分でオンにしない限り含まれないことになった。すると検索対象の母集団は一気に縮んだ。その後、同サイトはフォレンジック企業に買収され、さらに議論を呼んだ。
もうひとつの問題は、ルールがないまま普及したことだ。アメリカでは連邦レベルのガイドラインはあるが、州ごとの法律はバラバラだ。どの程度の重大事件なら使っていいのか、ヒットした親戚の情報をどこまで追っていいのか、シロの人のデータをいつ消すのか。未規定のままのグレーゾーンで、技術だけが先に走った。
## ネットはこの事件をどう語ってきたか
この事件は、ネットの存在なしには語れない。
2010年代、マクナマラを含むアマチュアの追跡者たちは、専用掲示板やアーカイブサイトで膨大な資料を共有していた。事件現場の地図、被害者の居住地の分布、足跡の写真、電話の録音。レディットにも専用のコミュニティができ、スレッドは何千も積み上がった。日本語圏でも、村井理子訳で出たマクナマラの本をきっかけに語る人が増えた。
ネットで長年支持されていた主な仮説と、その結末を並べておく。
「犯人は警察関係者」説。これは当たっていた。現場での行動の訓練度、捕縄の使い方、当時の捜査手法への理解、張り込みを避ける正確さ。当時から一部の捜査官が唱えていた仮説でもあった。
「軍人だった」説。これも部分的に当たっている。だが「マーチのやり方からして海兵隊だ」みたいな細かい特定は、全部外れていた。
「複数犯」説。これは外れた。広い地域をカバーし、手口が変化することから複数説は根強かったが、単独犯だった。
「もう死んでいる」説。これも外れた。彼は普通に生きて、地元のスーパーで買い物をしていた。
逆に、ネットの集合知がうまく機能しなかった面もある。何年にもわたって、無関係の個人が掲示板で容疑者扱いされていた。顔写真や住所が流れたケースもある。最終的に事件を解いたのは、推理ではなく地道な家系図の作業だった。ネットの最大の貢献は、犯人を当てたことではなく、事件を忘れさせなかったことのほうだと思う。
## なぜ、この方法でしか捕まえられなかったのか
この事件を全部並べてもう一度眺めると、一番引っかかるのは「なぜ四十年もかかったのか」ではなく、「なぜこの手法でないと解けなかったのか」のほうだ。
従来の捜査は、容疑者を絞り込んでから照合する。目撃、アリバイ、動機、前科。しかしこの男は、すべての入口を閉ざしていた。目撃証言は役に立たない――常に覆面だったから。動機が読めない――被害者に共通点がないから。前科がない――逮捕されたことがないから。そして彼は警察内部の人間で、捜査側の行動原理を知っていた。彼の行動は、当時の捜査手法の盲点に完全に収まっていた。
DNAがあっても駄目だったのは、CODISが「前科者の名簿」だからだ。名簿に載っていない人間の名前は、何年検索しても出てこない。ここで発想をひっくり返したのがFGGだった。本人を探すのをやめて、親戚を探した。人間は登録を拒めるが、親戚の存在は拒めない。一人で生まれてきた人間は一人もいない。これは、犯罪捜査の前提を根っこから変えた発想の転換だと思う。
もうひとつ、この事件で考えさせられるのが、「制度の分断」の問題だ。1970年代のカリフォルニアには、郡をまたいだ連続犯罪を一元管理する仕組みが実質存在しなかった。サクラメント郡のファイルと、オレンジ郡のファイルは別の物理的な倉庫にしまわれていた。当時も「似ているな」と感じた捜査官はいたのに、郡の壁を越えてデータをすり合わせる手段がなかった。もし当時に全国規模の連続犯罪データベースがあれば、もっと早く「同一犯かも」となっていたはずだ。実際、この事件の反省から、アメリカでは連続殺人の広域データ共有体制の必要性が何度も議論されてきた。
そして、この事件を語るときに一番忘れてはいけないと思うのが、被害者の時間の長さだ。四十年は、人の人生の大半だ。当時15歳だった人は、犯人の名前を知ったとき55歳になっていた。その間、夜に物音がするたびに飛び起きていた人がいる。引っ越しを繰り返した人がいる。離婚した夫婦もいる。ちゃんと語れないまま亡くなった人もいる。判決は何も戻さない。戻すものでもない。ただ、名前と顔が分かった。それだけでも多くの人にとっては大きかった、というのが被害者陳述を読んだ印象だ。
ミシェル・マクナマラのことももう一度書いておきたい。彼女は犯人を特定していない。本の中で名前を当てているわけでもない。彼女がやったのは、断片的だった事件群にひとつの名前を与え、事件を忘れ去られないようにし、被害者を「事件番号」ではなく名前と人生を持った人間として描いたことだ。彼女の本のタイトルは、犯人がある被害者に向かって言ったとされる言葉から取られている。俺は最初、これは犯人のセリフだと思っていた。でも今は、このタイトルは彼女自身が自分に向けていた言葉でもあったんじゃないかと思っている。完成を見ずに死んだ人の仕事が、結果として事件を動かした。
最後に、気味の悪さの話をする。この男は1979年に警察をクビになってから、四十年近く普通の市民として生きた。トラックを直し、給料をもらい、孫を抱いた。近所の人は、彼を「ちょっと短気な年寄り」くらいに思っていた。怪物は怪物の顔をしていない。これは連続犯罪を語るときに何度でも出てくる結論だが、この事件ほど露骨な例はない。追う側の制服を着て、追われる側をやっていたのだから。
この事件が語り継がれるのは、怪物が捕まったからじゃない。捕まえ方が、この先の世界のルールを変えてしまったからだ。あなたが趣味で先祖を調べたそのデータが、会ったこともない誰かを逮捕させるかもしれない。それを良いことと見るか、怖いことと見るか。この事件は、その問いをそのまま置いていった。

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