## 半径10キロの中で、五人の女の子が消えた
地図を開いて、栃木県足利市と群馬県太田市のあいだにコンパスを当ててみてほしい。半径10キロも広げれば、この事件の現場は全部その中に入る。こんなに狭い。
1979年から1996年までの17年間に、この圏内で五人の幼い女の子が行方不明になっている。四人は遺体で見つかった。ひとりは、いまだに見つかっていない。年齢は四歳から八歳。発生はいずれも週末か祝日。現場のいくつかはパチンコ店。遺棄は渡良瀬川や利根川の河川敷。
これを並べて並べて、「別の人間が偶然やったんです」と言われて、はいそうですかとはなりにくい。実際、最高検察庁も後年の検証で、この一連の事件が同一犯による連続事件である可能性に言及している。
ただし、この事件を語るときに必ず先に言っておかないといけないことがある。この事件には、国家がひとりの無実の人間の人生を二十年近く奪ったという事実が含まれている。だから「犯人はこいつだ」と人を指差す語り方は、この事件に限っては絶対にやってはいけない。この記事では、報じられたことは「報じられた」と書く。疑いをかけられた人は「疑いをかけられた」と書く。それ以上は書かない。
## 1979年8月、神社の境内から
一件目は1979年8月3日。栃木県足利市の八雲神社の境内で、五歳の女の子が行方不明になった。
神社の境内というのが、当時の地方都市では子どもの遊び場だった。夕方になれば子どもが何人も集まって、親は特に心配しない。カギをかける家も少ない。そういう時代で、そういう場所だ。
遺体は6日後の8月9日、渡良瀬川の近くで見つかった。リュックサックの中に入れられていたと報じられている。この「リュックに詰めて河川敷に置く」という行為の奇妙さは、後の事件と並べたときに意味を帯びてくる。
だがこの時点では、これはあくまで単発の悲惨な事件だった。連続性を疑う対象が他にないんだから当然だ。捜査は行き詰まり、五年後の1984年8月に公訴時効が成立する。当時の殺人罪の時効は15年だが、この件は適用された罪名の関係で早く打ち切られている。
皮肉なのは、その時効が成立したその年に、二件目が起きていることだ。
## 1984年11月、パチンコ店という共通項
1984年11月17日。同じ足利市で、パチンコ店から五歳の女の子がいなくなった。
ここで初めて「パチンコ店」というキーワードが出てくる。これがこの連続事件を語る上で決定的に重要なピースになる。
1980年代から1990年代の北関東は、パチンコの大型店が郊外の幹線沿いに次々とできた時期だ。駐車場が広い。店内は煩い。衛生上も今と違って、子どもを連れて入る人も普通にいた。親は台に座っている。子どもは退屈して、景品交換所のあたりや駐車場をうろついている。離れるのは一瞬だ。
遺体が見つかったのは1986年3月8日。自宅から1.7キロの地点だったとされる。失踪から一年四ヶ月以上も経っている。この件も捜査は進まず、1989年11月に時効を迎えた。
一件目と二件目は、どちらも足利市内。どちらも五歳。どちらも女の子。この時点で捜査本部が両方を結びつけて大がかりな捜査をしていたら、と思うとやりきれない。実際には、一件目はもう時効だった。時効になった事件の資料は、捜査の現場では急速に重みを失う。
## 1987年9月、公園から利根川河川敷へ
三件目は1987年9月15日、火曜日で祝日。現場は県をまたいで群馬県新田郡尾島町、今の太田市になる。公園にいた小学2年・八歳の女の子が、そのまま戻らなかった。
年齢が上がっているのがこの件の特徴だ。四歳や五歳の幼児なら声をかけて連れ出せても、八歳の小学2年生はもうちょっとした判断力がある。ここをどう読むかで、同一犯説の評価が変わる。
遺体の一部が発見されたのは、失踪から一年以上経った1988年11月27日。場所は利根川の河川敷で、白骨化していた。
この件には別の面倒な要素が絡む。後に別の連続幼女誘拐殺人事件で逮捕された人物が、この件への関与を示唆する告白文を送ってきたと報じられている。しかし裏付けには至らず、立件されなかった。なぜ送ってきたのか、本当に関与があったのか、単なる自己顕示か。この謎は未だに残っている。
時効は2002年9月15日に成立した。失踪から15年ちょうどだ。
## 1990年5月、そして間違った逮捕
四件目は1990年5月12日、土曜日。足利市のパチンコ店から、四歳の女の子が行方不明になった。これが後に「足利事件」と呼ばれる件だ。
遺体は翌5月13日、渡良瀬川の河川敷で見つかった。全裸で遺棄されていた。失踪から遺体発見までが一日というスピードは、過去三件と明らかに違う。
捜査は進んだ。1991年12月2日、当時保育園のバス運転手をしていた菅家利和さんが逮捕された。決め手とされたのは、当時最新の科学技術だったDNA型鑑定だ。
菅家さんは一度は自白し、後に否認に転じた。しかし裁判所はDNA型鑑定を重く見、2000年7月17日に無期懲役が確定している。
そして、ここがこの事件全体の股を割くところなんだよな。2009年5月に実施されたDNA型の再鑑定で、現場に残されていた試料と菅家さんのDNA型は一致しないと判明した。彼は犯人ではなかった。
2009年6月に刑の執行が停止され釈放、2010年3月26日に再審で無罪が確定した。逮捕から18年強。人生のセンターをごっそり、国に取られている。
この事実は、この事件を語るときに何度でも繰り返されるべきだ。「犯人を見つけたい」という共感しやすい善意が、どういう結果を生むかの実例がここにある。
## 「1000人に1.2人」という数字が人生を潰した
なぜこんなことが起きたのか。鍵は当時のDNA型鑑定の精度だ。
1991年当時に使われたのはMCT118法と呼ばれる手法で、いまの基準で言えばとんでもなく粗い。報じられた数字では、血液型も含めて偶然一致する確率が「1000人に1.2人」。しかも週刊朝日によれば、判決後に「千人に約5.4人」に修正されたとされる。
数字をちゃんと見てほしい。足利市の人口は当時およそ16万人。もし千人に一人弱が一致するなら、足利市だけでも百人以上が同じパターンを持つことになる。これを「あなたが犯人だ」の根拠に使ってはいけない。
もっと悪いのは、確率の誤読だ。「偶然一致する確率が0.12パーセントだから、犯人である確率は99.88パーセント」。これは統計的に完全に間違っている。でもこの誤読は直感的にスッと入る。捜査官も検察も裁判官も、人間だ。
ちなみに現在のDNA型鑑定は、4.7兆人に一人というオーダーの識別能力を持つ。地球の人口を何百倍も上回る。同じ「DNA鑑定」という名前でも、当時と今では技術として別物なんだよな。
ここから引き出せるのは、「科学的です」と言われたものをそのまま信じることの恐ろしさだ。当時の人だってバカじゃない。新しい技術の限界を、使う側が正しく見積もれなかっただけだ。同じことは、形を変えていまも起きている。
## 1996年7月7日、防犯カメラに映っていたもの
五件目は1996年7月7日、日曜日。群馬県太田市のパチンコ店で、四歳の横山ゆかりちゃんが行方不明になった。
この件が他の四件と決定的に違うのは、二つある。ひとつは、遺体が見つかっていないこと。もうひとつは、防犯カメラの映像が存在することだ。
映像には、男が女児に話しかけている様子が映っているとされている。群馬県警が2016年に公開した情報提供呼びかけの動画では、ナレーションで「女児と男が同時にパチンコ店から出た」と説明されている。
ところがここに食い違いがある。当時現地を取材したNHK関係者は、「女児は男より数分後に店を出ている様子が映っていた」と後年証言している。同時なのか、数分差なのか。たった数分の差だが、「連れ去られた」のか「あとを追った」のかで、事件の絵が全く変わる。この食い違いは、ネット上の議論でも繰り返し痛いところとして指摘されてきた。
もうひとつ見逃せないのが、この件だけはまだ時効が成立していないという点だ。2010年の法改正で殺人罪の公訴時効が廃止され、この時点でまだ時効が来ていなかった事件は永久に捜査できることになった。実際、情報提供への懸賞金がいまも掛けられている。額は数百万円規模で、増額されてきた経緯もある。
ゆかりちゃんの家族は、事件から三十年近く経ったいまも情報を求め続けている。幼児のときの写真を元に作られた年齢進行写真も公開された。生きていれば今は三十代だ。
## なぜ誰も五件を並べなかったのか――県境という壁
ここまで読んで「いや、普通並べるだろ」と思った人は多いはずだ。現場は全部近い。手口も似ている。なのに長らく連続事件として捉えられなかった。
最大の理由として指摘されてきたのが、県境だ。足利市は栃木県。太田市と尾島町は群馬県。捜査を指揮するのはそれぞれの県警で、情報の管理も人事も別。事件の管轄は発生地で決まる。
渡良瀬川と利根川に沿って、車で二十分も走れば県をまたぐ。住んでいる人の生活圏は完全に連続している。でも行政の線だけが真ん中に引いてある。取材をしたジャーナリストの清水潔は、この構造を「情報が、捜査が、指示が、ばらばらになる」と表現している。
さらに悪いことに、先に起きた事件から順番に時効を迎えていく。一件目の時効の年に二件目。二件目の時効から二年弱で四件目。時効になった事件は、組織としてはもう専任を置かない。資料は残っても、生きた情報にはならない。
そして決定的なのが、1991年に四件目の「犯人」を逮捕してしまったことだ。事件は解決済みになった。解決済みの事件を他の未解決事件と並べて考える理由はなくなる。間違った逮捕は、ひとりの人生を壊すだけじゃなく、他の事件の捜査まで止める。この二重の損失が、この事件の一番やりきれないところだ。
## ある記者が、警察より先に走った
この事件が世に知られるようになったのは、大部分がひとりの記者の仕事による。
写真週刊誌フォーカスの記者だった清水潔は、別の事件でも警察に先行して実行犯にたどりついた実績を持つ人だ。彼は後に日本テレビに移り、2007年1月から『ACTION』や『バンキシャ!』でこの一連の事件を報じ始めた。
彼が引っかかったのは、とても単純な事実だった。1991年に四件目の被疑者が逮捕されている。なのに1996年に、同じ地域で、同じような状況で、四歳の女の子がパチンコ店から消えている。犯人が拘置されているのに、続きが起きている。これはおかしい。
この違和感を起点に、彼はDNA型の再鑑定を強く訴え続けた。当時、確定判決をひっくり返せと主張するのはメディアにとっては相当リスキーな話だ。結果として再鑑定は実施され、菅家さんの無実が明らかになった。
彼はその取材を『殺人犯はそこにいる――隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』という一冊にまとめている。タイトルがもう、完全に呼びかけだ。この本は広く読まれ、ネット上のこの事件の語られ方の、事実上のベースになっている。
同時に、ここには難しさもある。報道は強力な物語を作る。物語は人を動かす。だが物語は、取材者の仮説を含む。どこまでが確認された事実で、どこからが仮説なのか。読む側はそこを分けて読む責任がある。
## 「ルパン」と報じられた人物をめぐる話
この事件のネット上の語られ方で、圧倒的にビューを集めているのがこの部分だ。だからこそ、一番慎重に書く。
報道によれば、取材の過程で、地元で「ルパン」というあだ名で呼ばれていたとされる人物に間接的な疑いが向けられたと報じられている。この呼び名は、報道上の仮名・通称として使われてきたものだ。
ここを外しちゃいけない。この人物は逮捕されていないし、起訴されてもいないし、もちろん有罪判決も受けていないということだ。法的には完全に白。報道で疑いをかけられた、という事実があるだけだ。
なのにネット上では、この仮名を使って実名を特定しようとする動きが、何度も繰り返されてきた。周辺情報を組み合わせて実名だと主張する書き込みも、プラットフォームを変えながら何度も登場している。
これははっきりやめたほうがいい。理由は二つ。ひとつは単純に、この事件はすでに一度、「こいつが犯人だと周囲が信じる」ことで無実の人間を潰しているからだ。二度目を、今度はネットの集団でやるのかという話。
もうひとつは、実害の問題だ。仮に本当に関係者だったとしても、ネットで騒げば相手は警戒するし、証拠は隠されるし、万が一将来起訴されたときに公平な裁判ができなくなる。別人だった場合は、ただの人生破壊だ。どちらに転んでもロクなことにならない。
典型的な反論も知っておこう。「報道でそこまで追っていてなぜ逮捕されないのか」という問いに対しては、五件中四件が時効で、残る一件は遺体も直接証拠もない――という答えが成り立つ。疑わしいという印象だけでは人を逮捕できない。これは制度の不備ではなく、制度が正常に働いている証拠なんだよな。もどかしいけど、そういうものだ。
## 同一犯説への反論もちゃんと聞こう
この事件を追っていると、同一犯説があまりにも魅力的で、反論を聞く気がなくなる。だからこそ、反論を並べておく。
第一に、発生間隔が不自然だという指摘。一件目が1979年で、二件目が1984年。五年空いている。二件目から三件目が三年、三件目から四件目が三年、四件目から五件目が六年。連続犯の多くは発生間隔が短縮する傾向があるとされるのに、ここでは一定していない。もっとも、間に未発覚の事件や未遂事件があった可能性、犯人が別件で収監されていた可能性などを考えれば説明はつく。
第二に、手口が揃っていないという指摘。パチンコ店が現場なのは五件中三件で、一件目は神社、三件目は公園だ。年齢も四歳から八歳と幅がある。遺棄の仕方も一致していない。これに対しては「子どもが親の目を離れやすい場所」という共通項のほうが本質だ、という再反論がある。
第三に、地域特性による見かけの集中だという反論。北関東はパチンコ店の密度が高く、大河川の河川敷が広大に広がっている。つまり、この地域で子どもが失踪すれば、犯人が別人でも現場はパチンコ店になりやすいし、遺棄場所は河川敷になりやすい。共通項は犯人の特徴ではなく地域の特徴だ、という見方だ。これはかなり強い反論だと思う。
だが、反論を全部認めても、残るものがある。五件の現場がことごとく半径10キロ圏に収まるという集中度は、地域特性だけでは説明しにくい。北関東にはパチンコ店も河川敷ももっと広い範囲にあるんだから。この座りの悪さが、何十年も人を離さない。
## ネット考察界隈がハマる場所と、外す場所
この事件は、掲示板時代から現在の動画考察まで、ずっと人気のテーマだ。語られ方にははっきりした傾向がある。
ハマるのは、まず地図だ。五件の現場をプロットして円を描くと、絵としてとても強い。このビジュアルはシェアされやすいし、見た人は一発で「同一犯だろ」と思う。ロジックではなく図形で納得してしまうのがポイントだ。
次にハマるのが、冤罪というドラマ性だ。国家が間違えた。報道が見つけた。この構図はとてもカタルシスがあるし、実際にこの部分は事実だ。菅家さんの無罪は確定している。
一方で、ネット考察がしばしば外すのはこの二点だ。
ひとつは、「菅家さんが犯人でない」ことと「五件が同一犯である」ことを、ひとつのパッケージとして扱ってしまうこと。この二つは別の命題だ。前者はDNA型の再鑑定で司法的に確定した事実。後者はあくまで推論だ。前者の強さを後者にすべり込ませると、議論が一気に雑になる。
もうひとつは、地元の人間関係やプライバシーへの想像力だ。この事件の関係者は、多くがいまも現地で暮らしている。遺族も、重要参考人として名前が出た人も、その家族も。ネットでの特定遊びは、その人たちの生活の上でやっていることになる。この感覚は、画面の向こうだとどうしても鈍くなる。
## 時効という制度が飲み込んだもの
この事件を考えるとき、制度の話を欠かすわけにはいかない。
かつて日本では殺人罪の公訴時効は15年だった。2004年の改正で25年に延び、2010年の改正でついに廃止された。この廃止は、施行時点でまだ時効が完成していない事件にも遡及適用された。
その結果、五件のうち四件は時効で消え、1996年の一件だけがいまも捜査できる。仕組みとしてはそうだ。しかし、遠い過去の四件の捜査をする制度上の根拠がないというのは、連続性を前提にした捜査をやる上ではとても大きな足かせになる。
時効制度には、2つの理屈があるとされてきた。時間が経てば証拠が劣化し公平な裁判ができなくなること。そして、時間とともに社会の処罰感情が薄れること。前者はいまでも理解できる。だが後者については、子どもを奪われた遺族に「時間が経ったから薄れましたよね」とは言えない。法改正の背景には、まさにそういう遺族の声があった。
もうひとつ、この事件が後の制度に与えた影響がある。足利事件の再審無罪は、取り調べの可視化や、証拠の保管、DNA型鑑定の運用基準をめぐる議論を一気に加速させた。今日の鑑定精度と、証拠の取り扱いルールの少なくない部分は、この事件の失敗の上に乗っている。なんの慈悲もない話だけど。
## なぜこの事件は語られ続けるのか
この事件が人を離さない理由は、いくつかある。
ひとつは、未完だからだ。四人の子の命が失われ、ひとりはいまだに行方不明。結末がない。人は未完の物語に強く惹かれる。
もうひとつは、怖さの距離が近いこと。山中でも密室でもなく、週末のパチンコ店という、あまりにも日常的な場所。親が少し目を離しただけ。自分にも起きうると思えてしまう。これは審美的な怖さではなく、生活の中の怖さだ。
三つ目に、この事件が「制度の失敗の展示場」になっていること。県境の壁。未熟な科学技術への過信。自白強要のリスク。時効という区切り。これらが全部ひとつの事件に詰まっている。事件を追うことが、そのまま日本の刑事司法を考えることになる。
四つ目に、人間の直感の歪みを見せてくること。「五件が似すぎているから同一犯だ」という直感と、「1000人に1.2人が一致するなら犯人だ」という直感。この二つは、実は同じ種類の思考のショートカットだ。後者を笑える人は、前者にも同じ慎重さを向けないとフェアじゃない。
そして最後に、一番単純な理由。子供が五人もいなくなって、だれも罰を受けていない。これは単純に、やりきれない。
## 「真犯人がひとりいる」という前提は、誰も証明していない
ここからは総括と、本文で書き切れなかった追加の考察を置いておく。
まず、この事件を語る際の一番大きな落とし穴について。多くの人はこの事件を「真犯人が野放しになっている事件」として記憶する。そのフレームは強力だし、道徳的にも正しい感じがする。だがこのフレームには、こっそり前提が混ぜられている。「真犯人がひとりいる」という前提だ。五件が同一犯であることは、司法的には一度も確定していない。最高検が連続性の可能性に言及したのは事実だが、可能性は認定ではない。この事件の正確な輪郭は、実は「同じ地域で、似た状況で、五人の女の子が失われ、四件が時効になった」というところまでだ。そこから先は、すべて推論であり、報道であり、仮説である。この区別をつけないと、必ずどこかで人を傷つける。
## 交代勤務の町で、「不審者」という概念は成立しにくい
次に、当時の地域社会の具体的な情景を補っておきたい。足利市も太田市も、東京のベッドタウンというより、それ自体が製造業で回っている町だ。太田には大手自動車メーカーの工場があり、周辺には下請けの工場が広がる。交代勤務で働く人が多いということは、平日の昼間に大人が街にいても不自然ではないということだ。不審者という概念が成立しにくい。さらに、当時のパチンコ店は工場勤務者の娯楽の中心で、週末の店内は人であふれていた。防犯カメラは防犯のためというより不正監視のためのもので、画質も設置位置も現在の基準からすれば心もとない。「カメラがあったのになぜ分からないのか」という疑問は、当時の技術水準を知ると相当トーンダウンする。
三つ目に、目撃証言や関係者の言葉をどう扱うかという問題。この事件では、報道を通じて多くの証言が世に出てきた。パチンコ店で女児を見かけたという話。現場周辺で不審な車両を見たという話。当時の警察官が後年に漏らしたとされる内部事情。どれも魅力的だ。だが、実話の弱さも知っておかないといけない。人間の記憶は、後から入ってきた情報で容易に書き換えられる。「あのとき変な男を見た気がする」という感覚は、報道を見たあとで確信に変わる。しかもこの事件の証言の多くは、発生から十年以上経ってから取られたものだ。証言の内容が魅力的であるほど、その魅力の由来を疑っておく必要がある。
## 十八年は戻らない、という話を最後にもう一度
四つ目に、冤罪のアフターケアについて。菅家さんは釈放後に会見を開き、手記を出し、国を相手に国家賠償を求めて和解に至っている。だが、失われた十八年は戻らない。拘置中に家族を失っているし、逮捕当時の報道でひとつの地域で完全に名前を知られている。無罪が確定しても、一度広がった印象は完全には消えない。これは報道被害の古典的な形だ。だからこそ、この事件をエンタメとして消費するときに、「ルパン」と報じられた人物の実名探しに盛り上がるのは、自分たちが非難しているはずのものを自分で再現することになる。ここは本当に一人ひとりが自覚すべきところだと思う。
五つ目に、この事件が現在進行形であることを忘れないでおきたい。1996年の一件は、時効がない。つまり、情報提供に意味がある。当時子どもだった人、当時その店にいた人、当時その周辺で働いていた人。三十年経って、話せる立場になった人もいるはずだ。時間は証拠を風化させる一方で、口を重くしていたしがらみを外すこともある。
最後に、読み手としてできることを考えておきたい。この事件を追っても、普通の人には犯人は見つけられない。推理ごっこに参加しても、人を傷つけるリスクがあるだけだ。でも、この事件が残した問いは自分の生活の中でも使える。「科学的」というラベルの中身を確かめること。確率の話をひっくり返して読まないこと。強い物語を見たときに、どこまでが事実でどこからが推測かを分けること。そして、名前を出す前に一拍置くこと。地味だけど、これがこの事件から学べる一番実用的なことだと思う。
四人の子どもの命が失われ、ひとりはまだ帰ってこない。そして、ひとりの男性が何もしていないのに十八年、塀の奥に入れられた。この二つを同じ重さで覚えておこう。どちらか一方だけを声高に語るのは、この事件への態度として、どうも違う気がする。
