2019年5月28日の朝。川崎市多摩区登戸新町、JR南武線と小田急線の登戸駅のすぐそばで、スクールバスを待つ列が刃物の男に襲われた。並んでいたのは私立カリタス小学校の児童と保護者だ。児童1人と保護者の男性1人が亡くなり、児童と保護者あわせて18人が負傷するという惨劇になった。被害の規模は戦後でも突出している。
男は現場で自分の首を刺した。搬送先の病院で死亡が確認されたので、動機を語れるはずの本人は、その朝のうちにこの世からいなくなってしまった。だからこの事件には「なぜ」だけが最後まで残る。
伯父夫婦の家で暮らしていた51歳の男
加害者の男をXと呼ぶ。1967年12月生まれの51歳で、川崎市麻生区の伯父夫婦の家に住んでいた。報道によれば、Xは幼いころに両親が離婚し、祖父母や伯父夫婦のもとへ預けられて育った経緯があるという。実の父親とは、その後ずっと連絡が取れない状態だったとされる。
近所の人の話は割れている。「この家で差別的な扱いを受けていたんじゃないか」と見る人がいた。かと思えば、「分け隔てなく育てられていたようだ」という印象を口にする近所の人もいたと報じられている。生い立ちひとつで事件を説明しきるのは乱暴なので、今は報道された食い違う証言があったことだけを置いておく。
雀荘で主任を任されていた男
中学を出たXは、横浜市内の職業訓練校の機械科へ進んだ。Xは紹介された会社に就職はしたものの長くは続かず、そのうち町田駅の近くにある雀荘へ通い始めた。そのまま店に雇われた。経営者の証言では、Xは麻雀の腕がよく、仕事への責任感も強く、主任を任されるまでになっていたらしい。
ところが雀荘は店を閉じた。そのあとは工場勤めなどを転々としたとみられ、遅くとも事件の10年以上前から定職には就いていなかった。祖父母が亡くなってからは、伯父夫婦との3人暮らし。平成10年、つまり1998年の前後からは、自分の部屋に閉じこもりがちな生活に移っていったとされる。
2019年1月、伯父夫婦はXの部屋の前に手紙を置いた。地域の精神保健福祉センターから提案を受けてのことで、中身は「今後どうしたいのか」という一文。Xは強く反発した。「引きこもりとはなんだ」と言い返し、それ以来、伯父夫婦と顔を合わせることがなくなったと報じられている。
Xには決まった収入がなく、親族から渡される小遣いで暮らしていた。それなのに事件の当日には、どこから出たのかわからない現金を約10万円も持っていた。携帯電話もパソコンもない。自宅にはインターネットの環境すらなく、そのことが後になって捜査を難しくする原因のひとつになった。
包丁4本と、4日前の下見
犯行は計画的だったとみられる。事件の3か月以上前にあたる同じ年の2月、Xはまず町田駅前の量販店で柳刃包丁を2本買っていた。別の店では文化包丁と刺身包丁を1本ずつ手に入れた。どれも新品。用意された刃物は合わせて4本で、事件のずっと前からそろえられていたわけだ。
事件の4日前にも動きがある。5月24日、登戸駅と現場の周りの防犯カメラに、Xとみられる人物が下見でもするように歩く姿が写っていた。児童の通学の様子を確かめられる時間帯を選んでいた疑いもある、と指摘された。しかも5月28日は、カリタス小学校にとって直近の通常登校日にもあたる。
十数秒のあいだに起きたこと
当日の朝7時ごろ、Xは家を出た。読売ランド前駅から電車に乗って登戸駅へ向かったが、かかった時間はわずか6分か7分ほどだったという。午前7時45分ごろ、スクールバスを待って列をつくっていた児童と保護者に、Xは背後から襲いかかった。最初に刺されたのは保護者の男性だった。ここからが本当に速い。
Xはそのまま約50メートルを動きながら、保護者の女性1人と児童17人を次々に切りつけていった。スクールバスの運転手が「何をやっているんだ」と声を上げた。それでも止まらない。さらに数十メートル移動しながら、「ぶっ殺してやる」と叫ぶXの姿が目撃されている。
ただ、この場面の伝わり方には食い違いがある。無言のまま移動したとも、終始無言で刃を振るい続けたとも書かれていて、叫び声の目撃とは合わないんだ。どちらも資料に残っている。服装は黒いTシャツに黒いジーンズで、スキンヘッドとがっちりした体格が居合わせた人の記憶に残った。両手に1本ずつ、刃渡り約30センチの柳刃包丁を握っていたとされる。
襲いかかってから自分の首を刺すまで、十数秒だったとみられている。1分にも満たない時間。そんな短い時間で、スクールバスを待っていた子どもたちと大人たちの朝が、根こそぎ壊されたわけだ。正直、この数字を書き写すだけで手が止まる。
奪われた2つの命と18人のけが
亡くなったのは2人だ。私立カリタス小学校に通う6年生の女子児童と、外務省に勤める39歳の男性職員だった。女子児童は首を刺されたことによる失血のため、男性は出血性ショックのため、それぞれ死亡が確認された。子どもの名前や暮らしぶりには一切ふれない。
男性は外務省でミャンマー語を専門にする職員だった。上皇夫妻がミャンマーを訪ねた際には何度も通訳を務め、アウンサンスーチー氏の来日でも通訳を担当したと報じられている。公的な職務の経歴だ。故人の仕事の足跡として広く報道されたもので、私生活をあれこれ探るような話とはまったく別物になる。
負傷者は18人。内訳は、いずれも女性の児童16人と保護者1人、それに男児1人だった。上半身を集中的に切りつけられた人が多く、女児2人と保護者の女性1人が重傷を負い、11人が入院した。被害を受けた子どもや遺族の個人的な生活には立ち入らず、公的機関と報道機関が明らかにした被害の事実だけを残す。
被疑者死亡のまま、手続きは閉じた
柳刃包丁で首を刺したXは、警察に確保された時点でもう意識がなく、搬送先の病院で死亡が確認された。実行した本人の口から説明を聞く道は、二度と開かなくなった。これがいちばん重いんだよな。
事件の翌日、自宅に家宅捜索が入り、私物が少なく整理された部屋が調べられた。見つかったのはテレビやゲーム機、ゲームソフト、それに20年以上前に出た猟奇事件の特集雑誌などだったと報じられた。肝心のものは出てこない。動機をじかに示す日記やメモは見つからなかったとされる。
神奈川県警は、その後も捜査を続けた。2019年9月2日、Xを被疑者死亡のまま、殺人と殺人未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反の疑いで横浜地検へ書類送検している。同じ年の11月8日には、横浜地検が被疑者死亡を理由にXを不起訴処分とし、刑事手続きはそこで終わった。裁判は一度も開かれていない。
日本の刑事司法では、被疑者が亡くなると公訴を起こせない。有罪か無罪かを裁判で確かめる手続きそのものが、その時点でまるごと成り立たなくなってしまうんだ。Xがやったこと自体は、多くの目撃証言や物的証拠から広く事実として報じられている。それでも法的には別の話だ。法的な意味での「刑事責任の確定」はされておらず、有罪確定事件や再審事件とはここをはっきり分けておきたい。
翌日から動き出した学校と国
国も自治体も、翌日から動いた。当時の安倍晋三首相は、小中学生の登下校の安全確保について、国と自治体の連携を強めるよう指示したと報じられている。川崎市内の学校では、登下校の見守りが強化された。カリタス小学校は5月31日まで、系列校も5月29日まで休校している。
6月に予定していた修学旅行は中止になった。学校にはスクールカウンセラーが派遣され、児童や保護者の心のケアにもあたっている。影響は川崎で終わらない。全国の学校でも、登下校ルートの安全点検やスクールバスを使うときの見守り体制の見直しが進んだと伝えられた。
「一人で死ね」は言っていい言葉だったのか
事件は、メディアの伝え方そのものへの論争にも火をつけた。発端はテレビ番組だ。番組の出演者が「死にたいなら一人で死んでくれ」という趣旨の発言をして、そこから反論が相次いだんだ。声を上げたのはNPO関係者や教育評論家、編集者たちだった。
「自分が大切にされていないと感じている人に、他者への配慮を求めても効果がない」という声があった。「同様の事件の連鎖を誘発しかねない」と心配する人もいる。「一人で死ねという言葉が、社会から見捨てられたと感じる人をかえって追い詰め、無敵の人を増やす」という指摘も出た。どれも重い反論だ。
その一方で、「罪のない人を巻き込むな」という怒りも広く共有されていた。これも当然の感情だ。専門家のなかには「『巻き込むな』は正論だが『死ね』は感情論だ」と、両方を分けて整理する見方もあった。その見方では、社会には「巻き込むな、しかしお前も死ぬな」という両立したメッセージが必要になるという。
無敵の人という言葉が広まった
この事件をきっかけに、「無敵の人」という言葉が一般にも一気に知れ渡った。もとはネットスラングだ。自分の命や社会的な立場を失うことを恐れない人が、抑止の効かないまま重大な犯罪に及ぶ危うさを指す。以来、似た事件が起きるたびに持ち出される言葉になった。
2008年の秋葉原無差別殺傷事件の加害者が、公判で自分を「無敵の人」と呼んでいたことはすでに知られていた。登戸の事件で、この言葉はさらに一般へ浸透していく。SNSでトレンド入りするほど広がったと報じられている。系譜自体は報道で裏づけがある。
ただ、動機は別の話だ。事件ごとの動機を安易に同じものとして扱うのは危ういので、Xとほかの加害者の動機をここで重ねることはしない。呼び名が同じでも、胸の内まで同じだという保証はどこにもない。
ひきこもりと結びつけるな、という声
もうひとつ大きかったのは、ひきこもり状態にあった人と犯罪を安易につなげる報道への懸念だった。当事者団体が動いた。「ひきこもりUX会議」が声明を出し、報道機関に短絡的な結びつけを避けるよう求めている。ひきこもりへの偏見が強まることや、「犯罪者予備軍」のようなイメージが広がることを心配する内容だった。
声明は、いわゆる8050問題への誤解を招きかねないとも訴えていた。8050問題というのは、高齢の親と中高年の子が社会から孤立してしまう問題のことを指す呼び名になる。3日後、懸念は切実になる。
6月1日、当時の農林水産省の事務次官が、ひきこもり状態にあった長男を殺害した。報道によれば、その加害者は川崎の事件を見て、自分の息子も周りに危害を加えるかもしれないと不安に思った、という趣旨の供述をした。大臣まで口を開く事態だ。根本匠厚生労働相(当時)が「安易にひきこもりと結び付けるのは慎むべきだ」と発言するところまでいったんだ。
海外の反応も大きかった。CNNやBBC、ロイターにAFPも、この事件を報じている。ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポスト、ガーディアンも取り上げた。しまいには当時のトランプ米大統領も、被害に遭った人たちへの哀悼の意を表明したと伝えられている。
ネットの動機探しと、確かめられていること
本人がすぐに亡くなったので、事件の直後からネットには「動機探し」の投稿が山のように出てきた。説はいくつもある。特定の人物への恨みだという説、お金に困ったのが引き金だという説、家族関係の破綻が動機だという説などだ。どれも匿名掲示板やSNSで語られてきたものだ。
念のため書いておく。警察も検察も、Xの動機を公式には特定していない。自宅からも、動機をじかに裏づける記録は見つかっていない。だから上に挙げた説はどれも「ネットで語られてきた未確認の推測」で、公的機関が確かめた事実とは違う。
捜査機関が公表したのは、凶器を買った時期や下見の痕跡など準備の行動と、当日の動きの時系列だった。Xの内心は含まれていない。ここを取り違えると、噂が事実の顔をして歩き出してしまう。
裁きが始まらない、という終わらなさ
事件から数年たった今も、この事件は特異な形のまま語られる。加害者が死んだことで、動機が永久に解明されないからだ。本人は現場で亡くなった。遺族や被害者が「なぜ自分たちが狙われたのか」と問うても、その答えは原理的にどこからも返ってこないんだ。
帝銀事件や下山事件は、加害者や真相そのものが争われてきた事件だった。登戸は種類が違う。刑事責任を問う手続きが、被疑者の死で最初から動かないまま終わってしまうから、終わらなさの質が別物なんだ。遺族にはどんな形の司法の決着も用意されておらず、そこがほかの未解決事件や有罪確定事件と大きく違う。
通学路の前提が変わった
事件は、学校と通学路の安全対策のあり方も問い直させた。それまでの通学路の備えは、主に「不審者からの声かけ」や交通事故を念頭に置いたものが中心だった。その前提が一変。人が集まって列をつくる通学の時間帯そのものが襲撃の標的になりうる、という前提に立った備えが要る、と指摘された。
論点も具体的。スクールバスを待つ場所をどう選ぶか、見守りの人をどこに置くか、防犯カメラの範囲をどこまで広げるか。その是非について、教育関係者と防犯の専門家のあいだで議論が続いてきた。
報道の言葉づかいまで問われた
「死ぬなら一人で死ね」論争には、もうひとつの広がりがあった。自殺や自傷のリスクがある人にマスメディアがどう言及するか、そのガイドラインの議論に火がついたんだ。参照されたのは、世界保健機関、WHOなどが示す自殺報道ガイドライン。中身はシンプルだ。扇情的な表現を避け、生きることを肯定するメッセージをあわせて伝えよう、という考え方が軸にある。
WHOの考え方が、この事件をきっかけに、ワイドショーのような一般向けの言論の場でも参照され始めたんだ。事件が残した副次的な影響として、記録しておく価値はある。ただ、限界もある。どの議論もXの内心や動機には届いておらず、社会が事件をどう受け止め、どう生かすかという次元の変化にとどまる。
動機という核心については、公的な記録がひとつもない。憶測で埋めはしない。「未解明のまま」として扱い続けることが、被害者と遺族に対していちばん誠実な向き合い方なんだと思う。
献花台の前で
事件のあとしばらく、現場の近くでは通りがかった人たちの献花が途切れなかったという。ボランティアが現場の清掃や整理を続けていたことも報じられ、カリタス小学校にも献花台が設けられた。地域が悼む姿を見せた。
被害を受けた子どもについては、名前などの個人情報や私生活にまで踏み込んだ報道も一部に出ている。それは再掲しない。亡くなった外務省職員についても、書くのは公共性のある職務の経歴だけだ。それ以外の私的なことには、最後までふれずにおく。
