2019年5月28日の朝、川崎市の登戸駅近くで、スクールバスを待っていた児童と保護者が男に襲われた。児童1人と保護者1人が亡くなり、児童や保護者ら18人が負傷した。男も現場で自らを傷つけ、搬送先で死亡したため、裁判は開かれず、動機も確定していない。
通学の列が襲われた朝
現場では、カリタス小学校の児童と保護者がスクールバスを待っていた。男は列に近づき、短い時間のうちに次々と人を襲った。具体的な傷や凶器の使い方を細かく再現することは、被害者の尊厳を傷つけ、模倣の危険もあるため避けたい。
亡くなったのは小学6年生の女子児童と、子どもを見送っていた39歳の男性だった。男性は外務省職員として通訳などを担当していたことが報じられている。ほかにも多くの児童と保護者が負傷し、学校と地域には長く続く衝撃が残った。
事件後、学校は休校し、児童と保護者への心理的な支援が行われた。現場や学校には多くの花が寄せられた。数字だけでは見えにくいが、被害を受けた子どもたちは事件後も生活を続け、家族や学校もその回復を支える時間を重ねている。
準備の形跡と、わからない動機
男は事件の数か月前に複数の刃物を購入し、数日前には現場周辺を歩いていたとみられている。防犯カメラなどから、通学時間帯や場所を確認していた可能性が指摘された。警察は自宅を捜索したが、動機を直接示す日記やメモは見つからなかった。
男は親族宅で暮らし、長く定職に就いていなかったと報じられた。家族関係や孤立した生活を事件の原因とする記事も出たが、本人が理由を説明する機会はなく、警察も動機を特定していない。生い立ちや仕事の有無だけから、内心を決めつけることはできない。
2019年9月、警察は男を被疑者死亡のまま書類送検した。検察は同年11月、被疑者死亡を理由に不起訴とした。目撃証言や物的証拠から実行した人物とみられているが、刑事裁判で有罪を認定する手続は行われていない。この違いは記録しておく必要がある。
「ひきこもり」と犯罪を結ばない
事件後、男が親族とほとんど顔を合わせず暮らしていたという報道から、ひきこもり状態と犯罪を結びつける言説が広がった。当事者団体は、ひきこもりの人々を「犯罪者予備軍」のように見る偏見が強まるとして注意を求めた。
孤立や生活上の困難を抱える人は多いが、その大半は他人を傷つけない。事件を一人の生活状況だけで説明すると、動機を確認できないまま無関係な人々へ疑いを広げることになる。「無敵の人」というネット上の言葉も、事情の異なる人を同じ型に押し込めやすい。
「死ぬなら一人で」という趣旨の発言をめぐる論争も起きた。被害者を巻き込む行為への怒りは当然だが、自殺を促すような言葉は別の人を追い詰める。事件を防ぐための議論と、孤立している人への支援を対立させる必要はない。
被害者を中心に残す記録
ネットでは男の家庭環境、所持金、趣味、過去の雑誌などから動機を推理する投稿が続いた。しかし、どれも警察が確認した動機ではない。別の事件と並べて共通の犯人像を作ることも、事実の確認にはならない。
事件後、通学路やスクールバス乗り場の見守り、防犯カメラ、待機場所の安全について議論が進んだ。完全に防げる方法が見つかったわけではないが、子どもが集まる場所をどう守るかを見直すきっかけにはなった。
残すべきなのは、男の内面を想像した物語ではなく、朝の通学時間に2人が亡くなり、多くの人が傷ついたこと、動機は確認できていないこと、そして被害を受けた人々の生活が事件後も続いていることだ。
