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10|加茂前ゆきちゃん失踪事件

家の中には、飲みかけのココアが置かれたままだったという。消えたのは8歳の女の子だ。名前は加茂前ゆきちゃん。身代金を求める連絡は一度もなく、誰が彼女をどこへ連れて行ったのか、今も分かっていない。

この事件、どこで起きたのかという一番の土台からして、資料によって話が食い違う。そこがまず妙だ。だから先に、二つの伝え方を並べておく。

ランキング記事が載せた「星4つ」

最初の伝え方は、知られざる未解決事件を10件並べた記事のものだ。そこでは解明の難しさが星5つのうち4つで、理由は「目撃情報が埋もれ時効に」とだけ添えてあった。時期は1991年3月24日。場所は新潟県加茂市と書かれている。

その記事によれば、8歳の女の子が自宅の近くで姿を消し、誘拐が疑われた。当日は小さな祭りがあった。その喧騒で目撃情報が埋もれてしまったことが大きかったのではないか、と記事は見立てている。証拠は集まらないまま、事件は時効を迎えた。

犯人像についての推測も載っていた。祭りに紛れ込んだ外部の者かもしれない、という読みだ。混雑を利用して子どもを狡猾に連れ去った点から、機会をじっと待つ慎重な人物像が背景にあるかもしれない、とも書いている。

記事の締めくくりはもう少し大きな話になる。取り上げた未解決事件は、広く知られた事件ほど注目を集めなかった。それでも、どれにも解明が待たれる深刻な事情があるという。

現場の様子、地元で語られる話、犯人像の推測。そこから見えるのは、真相がまだ遠いという現実だと記事は言う。観光地での出来事や日常の中の異変が関わっているのでは、という指摘もあるにはあった。ただ、それが解決への筋道を示すところまでは、どれも届いていないという。

記事は最後に、被害者や関係者のためにいつか解明される日が来てほしいと願っていた。事件が見直されることで、真実へ一歩でも近づけばという期待も書き添えてある。ここまでが一つ目の伝え方になる。

ブログが語る、もう一つの日付と町

ところが、ネットの考察記事を横断して読むと、まるで違う姿が出てくる。はてなブログの「いつしかついて来た犬と浜辺にいる」、WONDIA、noteの「気になる話」などの独立系の書き手たちだ。これらを突き合わせると、事件は1991年3月15日、三重県四日市市の富田(とみだ)地区で起きたとする記述が共通している。

新潟県加茂市の3月24日なのか。三重県四日市市富田の3月15日なのか。どちらか片方に決めつけず、両方の伝え方を抱えたまま先へ進もう。ここから先の深掘りは、富田説を取る複数のブログの記述に沿った話になる。

午後2時半から4時までのあいだ

その日、小学2年生のゆきちゃんは、学校が午後2時頃に終わって一度家へ帰った。母親と電話でやり取りをしている。そのやり取りから、午後2時半頃までは家にいたことは間違いないとされる。

ところが午後4時、次女にあたる姉が帰宅したとき、家の中にもうゆきちゃんの姿はなかった。わずか1時間半ほどの空白だ。その短いあいだに、8歳の子がふっと消えてしまった。

そこで何度も語られるのが、例のココアの話になる。飲みかけのまま置かれていたという。三重の3月はまだ肌寒い。なのに外へ出るためのジャンパーも、ふだん乗っている自転車も、家に残ったままだったという。

もう一つ気になる証言がある。友だちからの遊びの誘いを、これといった理由もなく断っていたというのだ。消える直前の彼女の様子に何か不自然なものを見る考察は多い。

身代金の要求は一切なかった。狭い範囲で、突然、子どもが一人消えた。単なる家出や事故とは違う事件として扱われる大きな理由は、この二つにあるんだよな。

白いライトバンとパンチパーマの男

目撃情報も伝えられている。自宅から15メートルほど離れた場所で、ゆきちゃんが白いライトバンに乗ったパンチパーマの男性と話していた、という報告があったとされる。これが一つ目だ。

二つ目は、近鉄富田駅の周辺でゆきちゃんらしき姿を見たという情報だ。駅と家の近く、場所は違う。この二つが実は同じ出来事を指しているのでは、という見立てが複数の考察サイトで共有されている。

ただ、ここは断っておく。どちらも第三者を通して伝わった情報で、公的な捜査記録として確定した内容ではないと、当のブログ自身が注意を促している。噂の域だ。

3年後に届いた3枚の手紙

この事件が、ただの行方不明から「未解決の謎」として広く知られるようになったのには理由がある。失踪からおよそ3年後、両親のもとへ差出人の分からない手紙が届いたとされるのだ。いわゆる怪文書である。

複数のブログによると、怪文書は3枚あった。鉛筆でいったん下書きをして、その上からボールペンで丁寧になぞり、清書してあったという。手間がかかっている。

筆跡は、利き手でないほうの手で書いたような歪んだ字だったと伝えられる。文中には赤いインクで○印が書き込まれていたともいう。赤い丸だ。わざわざ下書きまでして整えた手紙に、赤で印をつける神経が、かえって薄気味悪い。

韃靼海峡と八寒地獄

中身はもっと奇妙だ。比喩とアナグラムをやたらに使い、富田の売春婦についての告発文のような体裁を取っていたと考察記事は伝える。一読で意味が取れる文面ではなさそうだ。

そこには意味の取れない一文が入っていたそうだ。「”股割レ”は富田で生まれた」。仏教の言葉である「八寒地獄」も出てくる。さらに詩人・安西冬衛の代表作「韃靼海峡をチョウが越えた」からの引用とみられる表現まで盛り込まれていたという。

安西冬衛といえば、「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」という一行詩で知られる人だ。子どもの失踪と、この詩。蝶が一匹、海峡を渡っていく光景と、8歳の女の子がいなくなった町とのあいだに、どんな結びつきがあるのかまるで見えない。

書いたのは誰なのか

引用の質の高さから、あるブログの筆者は、手紙を書いた人物の姿を推し量っている。見立ては二つ。文学に造詣のある、当時二十歳前後の男性の犯行ではないか。あるいは悪意のある愉快犯かもしれない、という読みだ。

ただし怪文書の話は、情報源によって細かいところが違う。片言のような日本語だから外国人が書いたのでは、という見方を紹介する記事がある。逆に日本語の文学的素養がある人物だとする見方を紹介する記事もある。正反対だ。

どちらも第三者の推測でしかない。書き手が誰なのかも、事件とつながっているのかも、確かめられてはいない。片言に見えるか、文学に見えるか、読む人によって手紙の顔が変わってしまうんだ。

2003年の電話、2006年の時効

時は飛んで2003年10月。自宅に、若い男から不審な電話がかかってきたという情報がある。男は「俺はパンチパーマだ」と名乗ったそうだ。失踪からずいぶん時がたってからの電話である。

失踪当時の目撃証言にあったパンチパーマの男と、特徴がぴたりと重なる。偶然か。だから犯人からの接触だったのでは、と見る人がいる。その一方で、ただのいたずら電話にすぎないのでは、という指摘も同じくらい出ている。

2006年、公訴時効が成立した。法の上では、たとえ真犯人が名乗り出ても罪に問えない状態になったと、複数の記事が触れている。電話からそう間を置かずに、だ。

ネットで膨らんだ四つの説

ここからが、ネットで語られてきた説の数々になる。一つ目は北朝鮮による拉致説。根拠は二つで、怪文書にカムチャッカ半島への言及があるとされること、現場が海水浴場に近い立地であることだ。そこから、工作員が連れ去ったのではないかと語られてきた。

けれど、ある考察記事ははっきり指摘している。加茂前ゆきちゃんの名前は、政府が認定した北朝鮮拉致被害者のリストに入っていない。この説を裏づけるものは乏しいとされる。海の近くという一点だけでは弱い。

二つ目は、人身売買や養子目的の誘拐という見方だ。はてなブログの筆者は、国外への人身売買という線には否定的だった。代わりに挙げたのが養子目的の誘拐の可能性で、何か事情を抱えた人物や夫婦が子どもを望んで連れ去ったという仮説になる。そのうえで、別人として生きることを本人に納得させたのではないか、という。

三つ目は愉快犯、あるいは自己顕示の説。怪文書の文学的な作り込みがあまりに巧妙すぎる、というのが出発点になる。事件に関わったかどうかは別にして、注目を浴びたい誰かが悪質な悪戯として送りつけたのでは、という見方だ。これも根強い。

四つ目は霊視の話になる。福岡在住を名乗る自称霊能者が、家族に協力を申し出たという逸話が伝わっている。家族の側が頼んだのではなく、向こうから名乗り出てきたかたちだ。

その人物は、はじめは有力な情報が得られそうだと期待を持たせた。ところが数日後、ゆきちゃんの霊を邪魔する霊が現れたと言い出し、一方的に協力を打ち切ったとされる。未解決事件にありがちな霊感商法めいた話として、慎重に受け止めておきたい。

怪文書を解読しようとする人たち

noteの考察記事は、怪文書の「カアイソウ」という言い回しに目をつけた。文面全体を暗号文とみなして、解読を試みている。筆者は文学的な引用の裏にある心理を推し量る。それでも言い切りはしない。「ではないか」という留保をいくつも重ねているのが、この記事の特徴だ。

YouTubeにも、この事件を扱った考察動画がたくさんある。「怪文書を解読したら震えが止まらない」「35年目の真実と生存の可能性」のようなタイトルが並ぶ。ゆっくり解説形式のチャンネルも含めて、10本以上が公開されている。

動画では、怪文書の一文ずつを独自に読み解いていく。とはいえ、どれも投稿者それぞれの推測だ。捜査機関の公式な見解ではない。

ブログやSNSで繰り返し見かける感想もある。身代金の要求がないのに誘拐だ、というのがまず不気味だという声。怪文書の文学的な水準の高さが、かえって不気味さを増しているという声もある。

一方で、怪文書そのものがいたずらで、事件とは無関係な線も捨てきれない、という慎重な意見も一定数ある。ネットの議論は、すっきりした結論にはたどり着いていない。不気味がる人と疑う人が、同じ手紙を前にして並んでいる。

防犯カメラのない海辺の町で

現場とされる三重県四日市市富田は、近鉄名古屋線の近鉄富田駅に近い住宅地だ。海に面した住宅地域で、駅からも海からも近いという土地柄になる。

1990年代の前半、携帯電話も防犯カメラもまだ一般に広まっていなかった。子どもが一人で出歩くことへの世間の警戒も、今ほど強くはなかった。そうした時代の空気が、目撃情報の少なさや捜査の難しさに響いたと指摘する記事が複数ある。

同じ頃、全国のあちこちで子どもの行方不明が起きていた。そのなかでこの事件は、怪文書という異様な要素のせいで、長いあいだ都市伝説や未解決事件の話題として語られてきた。怪文書が、この事件を忘れさせなかったともいえる。

ここに書いたことは、どれも報道や考察サイトをもとに整理したもので、真相を言い当てるものじゃない。加茂前ゆきちゃんは、今も行方が分かっていない。彼女の無事を、あるいは真相が明らかになる日を願う声は、いまもあちこちで上がり続けている。

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