1969年8月、サンフランシスコ・クロニクル紙をはじめとする湾岸地域の三つの新聞社に、奇妙な封書が届いた。差出人の名は「ゾディアック」。中には見慣れない記号がびっしりと並んだ暗号文が、三分割されて同封されていた。犯人はこう書き添えていた。「これを解読すれば、私の正体が分かるだろう」。
この一通の手紙こそが、アメリカ犯罪史上もっとも有名で、もっとも不気味な未解決事件の幕開けだった。舞台は1960年代末から70年代初頭のカリフォルニア州北部、サンフランシスコ湾岸のヴァレーホやナパ郡一帯。そこを震わせた連続殺人事件「ゾディアック事件」は、単なる猟奇殺人にとどまらない。
犯人は自分から新聞社に手紙を送りつけ、警察やメディアを挑発し、暗号という知的なゲームを世間に突きつけ続けた。後の劇場型犯罪、あるいはメディアを利用する快楽殺人者の元祖ともいえる存在になった。公式に確認されている犠牲者は5人、生存した負傷者は2人。だが犯人自身は、手紙の中で「私はこれまでに37人を殺した」と豪語している。真偽は不明のまま、半世紀以上が過ぎている。
星座と十字線を重ねた不気味なシンボルマークは、今もホラー映画やドキュメンタリー、都市伝説サイトで繰り返し引用されている。事件そのものが、一種のポップカルチャーと化してしまった。犯人の正体は結局特定されず、時効も成立した。事件は永久に「未解決」というラベルを背負ったまま、人々の記憶に刻まれ続けている。ここからが、その半世紀の話だ。
血に濡れた四つの現場――1968年の冬に始まった連鎖
まあ、落ち着いて時系列を追ってほしい。
すべての始まりは、1968年12月20日の夜だった。カリフォルニア州ベニシア近郊、レイク・ハーマン・ロードという寂れた田舎道。地元の若者たちが車を停めて語らう、いわゆる「ラバーズ・レーン」として知られていた。高校生のデービッド・ファラデー(17歳)とベティ・ルー・ジェンセン(16歳)は、その夜が初めてのデート。人気のない砂利道に、二人は車を停めていた。
そこへ一台の車が近づき、ライトを消して停車する。何が起きたのか、正確なところは分からない。ただ、二人は車外に引きずり出され、22口径の拳銃で撃たれた。逃げようとしたジェンセンは、背後から複数発撃たれて即死した。もう一人、ファラデー。
頭部を撃たれ、病院に運ばれる途中に息を引き取った。田舎道での何の変哲もないデートが、突如として理不尽な処刑の現場に変わった瞬間である。この事件はしばらくの間、痴情のもつれか強盗目的の犯行として処理され、連続殺人事件の第一章であることに誰も気づかなかった。
半年後の1969年7月4日深夜、独立記念日の花火の余韻が残るヴァレーホ市で、再び銃声が轟いた。現場はブルー・ロック・スプリングス・パークの駐車場。車の中にいたのは、ダーリーン・フェリン(22歳)とマイケル・マジョー(19歳)。そこへ懐中電灯を持った男が近づいた。二人を眩しい光で照らしたかと思うと、いきなり拳銃を乱射した。
車の中では逃げようがない。フェリンはその場でこと切れた。マジョーは複数の銃創を負いながらも、奇跡的に一命を取り留めた。さらに恐ろしいのは、犯行から間もなく、犯人本人と思われる男がヴァレーホ警察に電話をかけてきたことだ。落ち着いた声で犯行を淡々と報告し、半年前のレイク・ハーマン・ロード事件も自分の仕業だと告げて電話を切った。
警察も市民も震撼した。この犯人は単なる殺人者ではない。恐怖そのものを演出し、世間の反応を楽しむ「観客」を求める人格。愉快犯的に自ら通報するという行動が、それを強烈に印象づけた。
そして1969年9月27日、事件はさらに劇場的な様相を帯びる。舞台はナパ郡のベリエッサ湖畔。大学生のブライアン・ハートネル(20歳)とセシリア・シェパード(22歳)が、ピクニックを楽しんでいた。そこへ、黒い頭巾をすっぽりと被った男が近づいてきた。頭巾には四角い覗き穴が開けられ、目元にはクリップ式のサングラスまで取り付けられていたという。
胸には白い円に十字線を重ねた記章が縫い付けられていた。照準器を思わせる不気味な意匠、ゾディアックのトレードマークである。処刑人めいたその男は、まるで儀式のように二人をロープで縛り上げた。そのうえで、静かにナイフを取り出す。そして無言のまま、滅多刺しにした。
ハートネルは6箇所を刺されながらも一命を取り留めた。生き延びたのは彼だけだ。シェパードは10箇所もの刺し傷を負い、二日後に病院で息を引き取った。犯人は立ち去る前に、被害者の車のドアに黒いフェルトペンで過去の犯行日時を書き記す。異様なまでに冷静で、演出的な行動まで見せている。
黒い頭巾、覗き穴、胸の記章。この扮装と儀式性は、後にゾディアックを単なる殺人者から「都市伝説的なモンスター」へと押し上げる決定的な要素になった。最後に確認された殺人は1969年10月11日。舞台はサンフランシスコ市内のプレシディオ・ハイツ地区。タクシー運転手のポール・スタイン(29歳)が乗客を乗せて走行中、後部座席から突然頭部を至近距離で撃たれ、即死した。
ここで犯人が見せた落ち着きが、また不気味なんだよな。犯人はスタインの財布と、血のついたシャツの裾を切り取って持ち去った。この現場では犯人の指紋とみられる痕跡や、複数の目撃者による人相の証言が得られ、後の捜査における重要な手がかりとなった。だが結局、この指紋と一致する人物は特定されないまま今日に至っている。
犯人は後日、切り取ったスタインのシャツの一部を新聞社に送りつけ、これが本物の証拠であることを誇示した。これ以降、ゾディアックを名乗る人物による確定的な殺人は途絶える。ただし手紙による挑発は、1974年頃まで断続的に続いた。
「私を捕まえてみろ」――暗号という名の挑発状
ゾディアックを他の連続殺人者と決定的に分けたのは、その圧倒的な自己顕示欲である。そして、知的ゲームとしての暗号を武器に使った点だ。1969年7月31日、犯人は三つの新聞社に暗号文を送りつけた。サンフランシスコ・クロニクル、サンフランシスコ・エグザミナー、ヴァレーホ・タイムズ=ヘラルドの三紙である。それぞれ異なる断片からなる、合計408文字の暗号文だった。
「この暗号を一面に載せなければ、週末にさらに大量殺人を行う」。そんな脅迫状が付いていた。新聞各社はやむなく暗号を掲載する。これを見た一般市民が、わずか数日で独自に解読に成功する。カリフォルニア州セイリナス在住の、ドナルド・ハーデンとベティ・ハーデン夫妻。
暗号の中身は猟奇的な独白だった。「人間を狩ることは、森で野生動物を撃つよりもずっと危険で刺激的だ」。「私が死んだ後、天国で私に仕える奴隷たちが集まってくるだろう」。プロの暗号解読者ではなく、一般市民が解いた。その事実も含め、この一件はゾディアックの名を全米に知らしめる決定打となった。
犯人はその後の手紙で自ら「ゾディアック」と名乗り始め、挑発の色をさらに強めていく。「これは私、ゾディアックが話している」という決まり文句。被害者の血染めの遺留品を証拠として同封する演出、警察やメディアへの直接的な脅し文句。犯人は殺人そのものよりも、恐怖を「拡散」させることに執着しているようにさえ見えた。
一方で、1969年11月8日にはもう一つの暗号文が送られてきた。通称「340暗号」。408暗号よりもさらに複雑な構造を持ち、専門の暗号解読機関やFBI、NSAまでもが解読を試みた。それでも実に51年間にわたって、誰にも解けなかった。
ところが2020年12月、状況は大きく動く。アメリカのソフトウェアエンジニア、デービッド・オランチャク。オーストラリアの数学者サム・ブレークと、ベルギーのプログラマー、イアール・バンアイケ。
この三人の民間アマチュア暗号解読者からなる国際チームが、独自に開発した解読プログラム「AZdecrypt」を駆使した。そして半世紀にわたって未解決だった340暗号の解読に成功したと発表、FBIもこれを認めた。解読された文面が、また強烈である。
「死ぬのは怖くない。この世で暮らすよりガス室で死んだほうが、すぐに天国に行けるから、むしろ楽しみだ」。そういう趣旨の、犯人の異常な死生観が綴られていた。世界中のメディアがこのニュースを取り上げ、日本のオカルト系サイトやSNSでも「ついに解けた」と大きな話題を呼んだ。
もっとも、これで犯人の身元が判明したわけではない。あくまで暗号の「文面」が判明したに過ぎない。さらに厄介なのが、1970年4月に送られた13文字からなる別の暗号「Z13」だ。犯人自身は「これに私の名前が書いてある」と豪語した。それにもかかわらず、2026年現在も未解読のまま残されている。
この最後の暗号こそが、事件を永遠に終わらせない最大の鍵として、今も世界中のアマチュア暗号解読者たちを引きつけている。
名指しされ、それでも立証されなかった男たち
捜査開始から半世紀以上が経過した現在まで、この事件では複数の人物の名前が「有力視された容疑者」として挙がってきた。だが、いずれも起訴や有罪確定には至っていない。中でも最も広く報道され、書籍や映画でも大きく扱われてきたのが、アーサー・リー・アレンである。元教師で、性犯罪歴を持つとされる人物だ。彼が疑惑を持たれた根拠は複数ある。
知人は1971年、こう証言した。事件が起きる前からアレンは「人を殺したい」と口にし、「ゾディアック」という呼称すら使っていた。ベリエッサ湖の襲撃があった時期、アレン自身も現場付近にいたと認めている。ただし釈明は「スキューバダイビングをしていた」というものだった。同じ日に血のついたナイフを所持していたことも認めている。
説明は「鶏を絞めるために使った」というものだ。生存者のマイケル・マジョーは1991年の写真面通しで、アレンを識別した。1991年の家宅捜索では、ゾディアックの手紙に使われたとされるタイプライターと同型のロイヤル社製の一台が発見された。身の回りの品も引っかかる。ゾディアックの腕時計を愛用し、被害者の足跡と同じ10.5インチのサイズの靴を履いていた。
状況証拠だけを並べれば、確かに疑わしさは際立つ。だが決定的な物証は、最後まで得られなかった。2002年、手紙の封筒に付着した唾液でDNA鑑定が行われたが、検出されたDNAはアレンのものと一致しなかった。筆跡鑑定の専門家も「彼の筆跡はゾディアックのものとまったく似ていない」と結論づけている。
さらに、犯人を目撃したとされる警察官はこう証言した。「アレンより体重が45キロ近く軽く、顔の輪郭も違っていた」。事件発生当夜に通報を受けた交換手も「聞いた声と一致しない」と述べている。アレンは一度も起訴されることなく、1992年に心臓発作で死去した。2010年にはサンフランシスコ市警の捜査官自身が、「彼に対する証拠は結局のところ否定的なものだった」と認めている。
容疑者はアレンだけではない。ロス・サリバン、ローレンス・ケーン、リチャード・マーシャル、アール・ヴァン・ベスト・ジュニア。それぞれ異なる時期に、別の捜査班や独立系の調査者、あるいはジャーナリストによって「有力容疑者」として取り沙汰されてきた。
近年でも、この手の発表は続いている。2021年10月、元法執行機関関係者らで構成される民間調査団体「ケース・ブレーカーズ」が名乗りを上げた。2018年に死去したゲアリー・フランシス・ポステなる人物こそがゾディアックだった、という発表である。世界的なニュースになった。だがFBIおよび地元警察当局は、証拠不十分として懐疑的な姿勢を崩していない。
このように、ゾディアック事件の容疑者リストは常に「疑惑止まり」であり続けている。DNA鑑定という科学的手法が発達した現代においてすら、決定打を欠いている。その事実こそが、この事件が単なる猟奇殺人を超えて半世紀に及ぶ「解けないパズル」として語り継がれる最大の理由なのだろう。
映画、模倣犯、そして比べられる未解決事件たち
ゾディアック事件を語る上で欠かせないのが、2007年公開の映画『ゾディアック』である。監督はデヴィッド・フィンチャー。ジェイク・ギレンホール演じる新聞社の風刺漫画家が、事件に取り憑かれるように独自捜査にのめり込んでいく。派手な演出を排し、膨大な資料をもとに捜査の泥沼と焦燥感を淡々と積み重ねる作風が高く評価された。
特に、湖畔での惨劇や地下室での恐怖演出は、実際の証言や現場写真を忠実に再現したとされる。映画公開後、ゾディアック事件への一般認知度は世界的に急上昇した。日本でも本作をきっかけに事件を知ったという声が多い。各種映画レビューサイトやオカルト系ブログでも、繰り返し紹介される定番コンテンツとなっている。
一方で、事件の恐怖は現実世界にも影を落とした。当時から今に至るまで、ゾディアックを名乗る愉快犯や模倣的な脅迫文が、全米各地の新聞社や警察に断続的に送りつけられている。その多くは悪質ないたずらと判定されている。ただし中には、本物の脅迫と見分けがつかず捜査が混乱したケースも報告されている。犯人自身が「模倣されること」自体を楽しんでいたのではないかと分析する専門家もいるほどだ。
劇場型犯罪特有の連鎖反応が、ここにも見て取れる。また、同時代にアメリカを震撼させた「BTK(バインド・トーチャー・キル)」事件。あるいはイギリスの「ヨークシャー・リッパー」事件。ゾディアックは、この手の事件としばしば比較の対象になる。
BTK事件の犯人デニス・レーダーもまた、警察やメディアに挑発的な手紙を送り続けた。そして犯行から30年以上経った2005年に、ついに逮捕された。ゾディアックはそのBTKとは対照的に、逮捕にすら至らないまま今日を迎えている。その点が、両者の最大の違いとして語られる。
捜査技術やDNA解析は飛躍的に進歩した。それでも現代でもなお、身元は特定できない。その事実が、ゾディアック事件を「アメリカ犯罪史上最大の未解決ミステリー」たらしめる象徴的な要素となっている。
ネットが放さない事件――解読の夜と、いまも続く考察
2020年の340暗号解読は、インターネット上のアマチュア暗号解読コミュニティにとって歴史的な出来事だった。海外の掲示板サイトRedditには、古くから「r/Zodiackiller」のようなスレッドが存在する。世界中の愛好家たちが、独自の解読案や容疑者リストを日夜投稿し合ってきた。
解読成功が発表された際には、長年この謎に挑んできたユーザーたちから興奮した書き込みが相次いだという。「ついにこの日が来た」「これで残るはZ13だけだ」。日本語圏の反応も大きい。5ちゃんねるのオカルト板やサイエンス系板では、速報スレッドが立った。
「51年越しの解読、鳥肌が立った」。「これAIが解いたわけじゃなくて素人3人が趣味で解いたのがすごい」。そんなコメントが飛び交った。まとめサイトやオカルト系ブログ、noteの個人記事などでも、本件は繰り返し取り上げられている。
事件の時系列や暗号内容を独自の視点で整理し直したコラムは、今なお高いアクセス数を誇っている。文春オンラインのような大手メディアも、「DNA解析で浮かび上がる新事実」といった切り口で継続的に特集記事を組んでいる。事件そのものが半世紀を経てなお、「現在進行形のニュース」として消費され続けている。そういう稀有な存在であることが分かる。
オカルト・都市伝説系のまとめサイトでは、犯人の暗号やシンボルをオカルト的な儀式性と結びつけて考察する記事も人気だ。「ゾディアック=十二星座を意識した殺人」といった説。複数犯人説、警察内部の関係者による隠蔽説。真偽不明ながらも刺激的な仮説が、今なお量産され続けている。
真相にたどり着く手がかりは、実質的に尽きている。にもかかわらず、これほど長期間にわたって世界中の人々の好奇心を刺激し続けている。その事実こそが、ゾディアック事件という物語の最大の恐ろしさなのかもしれない。
最初の銃声から半世紀以上が過ぎた今もなお、ゾディアックの正体は闇の中にある。暗号は少しずつ解かれ、容疑者の名前は幾人も挙がった。だが決定的な答えだけは、誰の手にも渡っていない。DNA鑑定も筆跡鑑定も、この事件の核心にはついに届かなかった。だからこそ人々は今日もパソコンの画面に向かい、古い暗号文と睨めっこを続けている。
解けない謎は、解けないままであり続けることによってこそ、最も雄弁に恐怖を語り続けるのかもしれない。
