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坂本堤弁護士一家殺害事件――「オウムを許さない」と語った弁護士とその妻子はなぜ8年間見つからなかったのか

1989年11月、横浜市で坂本堤弁護士と妻の都子さん、幼い長男の龍彦ちゃんが自宅から姿を消した。当時、坂本弁護士はオウム真理教をめぐる相談を受け、家族や元信者を支える活動に取り組んでいた。一家の行方がわかったのは約6年後。教団による事件だったことが、関係者の供述と捜査で明らかになった。

教団と向き合っていた弁護士

坂本弁護士のもとには、家族が教団へ出家した、財産を渡して戻ってこない、脱会させたい、といった相談が寄せられていた。1989年10月には被害を訴える家族の会が発足し、坂本弁護士は教団側との交渉や法的な対応の中心を担うようになった。

教団にとって、相談者をまとめて法的手段を取ろうとする坂本弁護士の活動は大きな障害だった。教団幹部との面談でも、坂本弁護士は被害を受けた家族の側に立つ姿勢を崩さなかった。その直後、一家は自宅からいなくなった。

室内には普段と違う状態が残り、教団のバッジも見つかった。親族や同僚は事件への教団の関与を疑い、捜査を求め続けた。しかし一家の所在も、何が起きたのかも、長いあいだ確定しなかった。

約6年後に確認されたこと

1995年3月の地下鉄サリン事件後、警察は教団施設への強制捜査を進めた。その過程で関係者が坂本一家の事件について供述し、三人が亡くなっていたことが確認された。供述をもとに、新潟、富山、長野でそれぞれ捜索が行われた。

裁判では、教祖と複数の教団幹部が一家を襲い、三人の命を奪った経緯が認定された。実行に関わった者たちは、それぞれの役割に応じて刑事責任を問われ、有罪判決が確定している。ここは未確認の噂ではなく、司法手続を通じて確定した部分である。

一方、事件直後の捜査が十分だったのかという疑問は残った。教団との関係を示す手がかりが自宅にあり、家族や同僚も強く訴えていた。それでも一家を早く見つけることはできなかった。この遅れが後の教団事件とどうつながったかについては議論が続いているが、「こうしていれば必ず防げた」と結果から単純に言い切ることもできない。

TBSビデオ問題は分けて考える

事件前、TBSは坂本弁護士へのインタビューを収録していた。ところが放送前の映像を教団幹部に見せ、放送を取りやめていたことが後に判明した。報道機関が取材対象者の発言を、対立する相手へ事前に見せたことは重大な問題であり、TBSは後に事実を認めている。

この対応が事件へどのような影響を与えたかは、今も重い論点として語られる。ただし、映像を見せたことだけを事件の唯一の原因とするのは正確ではない。教団はその前後にも坂本弁護士の活動を把握し、直接交渉を行っていた。確認されている行動と、後から語られた因果関係は分ける必要がある。

三人の生活を事件だけで終わらせない

坂本弁護士は、相談に来た家族の話を聞き、法的な方法で状況を変えようとしていた。都子さんと龍彦ちゃんも、教団との争いを選んだ当事者ではない。一家を「オウム事件の前触れ」としてだけ扱うと、三人が送っていた日常が事件の材料に置き換わってしまう。

ネット上には、警察、テレビ局、教団をめぐる断定的な黒幕説や、確認されていない会話の再現もある。裁判で認定された事実、当事者が公にした証言、後年の推測を混ぜないことが大切だ。三人が見つかるまで家族や支援者が声を上げ続けたことと、同じ見落としを繰り返さないために事件を記録すること。その二つを中心に置いて読みたい。

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