奇怪千万からのお願い

このサイトの記事が面白かった、役に立ったと思って頂けたら、一つお願いがございます。
Amazonで何か買う予定があるとき、その前に下のボタンから入って頂いて買い物をしていただくと
サーバーの運営費と心霊スポットやパワースポットの取材費になります。

ここから入って買い物をすると、金額の数%が紹介料として私に入ります。
貴方様の支払いが増えることは一切ありません。買う物も何でも構いません。
記事をもっとたくさん増やしたいので、ご協力をお願いします。

当サイトではアマゾンアソシエイト以外のアフィリエイトは使用しません
(記事が見づらくなるから・・・)

イスダルの女――ラベルを剥がされた服と、名前を8つ持った女が氷の谷で燃えた話

一九七〇年十一月二十九日、氷の谷で娘が見つけたもの

ノルウェー第二の都市、ベルゲン。町を囲む七つの山のうち、いちばん高いウルリーケンの北面に、イースダーレンという谷がある。意味はそのまま「氷の谷」。秘境というほどではないが、ベルゲンの中心から歩いて入れる割には、人の気配がすっと消える場所だ。

一九七〇年十一月二十九日の午前。父親が幼い娘二人を連れてこの谷を歩いていた。岩場のあたりで、娘の一人が何かを見つける。黒い炭の山だと思ったものは、人間の遺体だった。女性で、ひどく焼けていた。

ここから、ノルウェーでもっとも有名な未解決事件が始まる。事件番号は134/70。半世紀以上たっても、彼女が誰なのか、なぜ死んだのか、まだ詰め切られていない。

前面だけが焼け、背中は焼けていなかった

遺体の状態が、この事件の全部を先回りしているようなものだった。

顔も髪も胸も、体の前面は完全に炭化していた。人相は分からない。だが背中側は、ほとんど焼けていなかった。仰向けに寝た状態で、上から火が回ったことになる。手足は熱で収縮して曲がり、いわゆるボクサー様姿勢になっていた。両手は胸の前で固く握りしめられていた。

この「前面だけ」という焼け方が、のちの議論の火種になる。自分でガソリンをかぶって火をつけたなら、こうなるのか。それとも、すでに動けなくなって倒れていた人間に、上から何かがかけられたのか。現場に入った捜査官の一人は、こう言っている。何かの儀式があったように見えた。

遺体のまわりに「並べられていた」もの

儀式という表現が出てくるのには理由がある。持ち物が、乱雑に散らばっていたのではなく、遺体の周囲に配置されているように見えたからだ。

あったのは、セント・ハルヴァルという銘柄のリキュールの空瓶。ガソリン臭のするプラスチックボトル二本。プラスチックのパスポートケース。ゴム長靴。ウールのセーター。スカーフ。ナイロンのストッキング。壊れた傘。財布。マッチ箱。銀のスプーン。一本の腕時計。イヤリングが二つ。指輪が一つ。燃え残った紙の断片。

宝飾類は身につけていなかった。外されて、そばに置かれていた。そして遺体の下から、毛皮の帽子が出てきた。この帽子からはガソリン反応が出ている。

自殺する人間が、指輪を外して地面に並べることはあるだろう。だが、その全部がここまで整っていると、どうしても「誰かが後から手を入れたのでは」という発想が出てくる。

ラベルが、全部なくなっていた

この事件を他のどんな変死とも違うものにしているのが、ここだ。

彼女の衣類からは、メーカー名やサイズを示すラベルが、すべて切り取られていた。一枚や二枚じゃない。全部だ。後に見つかるスーツケースの中身も同じだった。ヘアブラシのブランド刻印は擦り消されていた。湿疹の薬の容器からは、処方した医師や薬局を特定できる情報が削り取られていた。

これは衝動でできる作業じゃない。時間と、意志と、習慣がいる。日常的に「自分に戻る糸を切る」ことをやっていた人間の行動だ。一回限りの隠蔽じゃない。旅のルーチンとしてやっていた。

指紋を削るという発想

さらに、彼女の指先に手が入っていたとされる。指紋が意図的に削られていた。

一九七〇年のヨーロッパで、指紋を削るという発想に至る人間はそう多くない。普通の旅行者はやらない。家出した人間もやらない。やるのは、自分の存在が記録されること自体をリスクと見なしている人間だ。

ただし皮肉なことに、彼女の身元を引っ張り出すカギになったのも指紋だった。スーツケースの中のサングラスに残っていた指紋が、遺体から採取されたものと一致した。完璧に自分を消したつもりで、一枚のレンズだけ拭き忘れた。人間ってそういうもんなんだよな。

ベルゲン駅、手荷物預かりの二つのスーツケース

発見から三日後、警察はベルゲン鉄道駅の手荷物預かり所で、二つのスーツケースを見つけた。

中身を並べてみると、この人の生活の形がうっすら見えてくる。百ドイツマルク札が五枚。当時のレートで百三十七米ドル前後になる。百三十五ノルウェークローネ。ベルギー、イギリス、スイスの硬貨。衣類と靴。複数のかつら。化粧品。湿疹のクリーム。度の入っていない眼鏡。サングラス。地図。時刻表。櫛とヘアブラシ。銀食器。そして、暗号のメモ帳。

金はある。だが多すぎはしない。複数国の硬貨を持ち歩いている。地図と時刻表を常に携帯している。移動が生活の中心にある人間の荷物だ。

度のない眼鏡と、かつらと、花柄の服

とくに引っかかるのが、度の入っていない眼鏡だ。

見えないからかけるのではなく、顔の印象を変えるためだけにかける眼鏡。そこに複数のかつらが加わる。髪型を変え、眼鏡をかけ、服を変えれば、同一人物だと分からなくなる。ホテルのフロントに別の顔で現れることができる。

フランス・フォルバックの男性が二〇一九年に名乗り出て、「一九七〇年の夏に彼女と関係があった」と証言している。彼の話でも、彼女の持ち物にはかつらと派手な服があった。多国語を話し、バルカン訛りがあり、実年齢(彼の見立てでは三十六から四十四歳)より若い格好をしていた。自分のことを一切語らず、国際電話がかかってくる。馬に乗っている写真を持っていた。

この証言が本当なら、彼女は死の数か月前、フランスにもいたことになる。ただし裏付けは取れていない。

暗号のメモ帳――解いてみたら、旅程表だった

スーツケースから出てきたメモ帳には、意味不明な英数字の列が並んでいた。

警察はこれを解読した。仕掛けは、拍子抜けするほどシンプルだった。アルファベットが月と都市の頭文字、数字が日付。「O22 O28 P」なら十月二十二日から二十八日までパリ。「O29PS」なら十月二十九日にパリからスタヴァンゲルへ。「O30BN5」なら十月三十日から十一月五日までベルゲン。

つまりこの暗号は、工作指令でも情報メモでもなく、彼女自身の旅程表だった。ここがこの事件の奇妙なところなんだよな。スパイ映画なら、暗号を解いたら接触相手の名前が出てくる。現実に出てきたのは、自分がどこにいたかだけ。

だが逆に考えてほしい。どこに行ったかを、なぜ暗号にしなきゃいけないのか。普通の人は旅程を暗号化しない。このメモを誰かに見られたら困る、と彼女は思っていた。当時の警察の法律担当官は、まさにそこを口にしている。なぜそんな場所に行ったのか、なぜ身元と旅程の両方を隠そうとしたのか、と。

八つの名前、ぜんぶ嘘

捜査で確認された彼女の偽名は、少なくとも八つ。

ジュネヴィエーヴ・ランシエ(ベルギーのルーヴェン在住)。クローディア・ティルト(ブリュッセル、住所二つ)。クローディア・ニールセン(ヘント)。アレクシア・ザルネ・メルシェ(リュブリャナ)。ヴェラ・ヤーレ(アントワープ)。フェネラ・ロルク。エリザベト・レーンハウア(オステンド)。そしてもう一つ。

共通点がある。宿泊カードにはどれもベルギー国籍と書かれていて、記入はドイツ語かフランス語。住所はベルギーの都市が多い。だがすべて確認を取った結果、そんな人物は存在しなかった。ベルギー当局も、これらの名前の実在を確認できなかった。

八つの名前は、使い捨ての面だ。一つ使っては捨て、次の町で別の面をつける。ホテルの宿帳に残された筆跡は、だから彼女の足跡を追う唯一の手がかりになった。

三月のオスロから十一月のベルゲンまで

ホテルの宿泊記録を並べると、一九七〇年の彼女の動きが見えてくる。

三月二十一日から二十四日、オスロのヴィキングホテルに「ランシエ」で滞在。そのままベルゲンに移り、三月二十四日から二十五日はホテル・ブリストル、続けて三月二十五日から四月一日はホテル・スカンディアに「ティルト」で滞在した。同じ町で宿を移しているのが彼女らしい。

その後、長い空白がある。次に記録が現れるのは十月二十九日。スタヴァンゲルのKNAホテルに「ニールセン」で一泊。十月三十日から十一月五日はベルゲンのネプトゥーンホテルに「ザルネ・メルシェ」。十一月六日から八日はトロンハイムのホテル・ブリストルに「ヤーレ」。十一月九日から十八日は再びスタヴァンゲルのサンクト・スヴィトゥーン・ホテルに「ロルク」。

そして最後のページ。十一月十九日にベルゲンのホテル・ローゼンクランツ、同日のうちにホテル・ホルダハイメンに移って四〇七号室。十一月二十三日にチェックアウト。これが、彼女の確実な足跡の最終地点になる。

四月から十月まで、彼女はどこにいたのか

このリストで一番気になるのは、四月一日から十月二十九日までの約七か月だ。

ノルウェー国内の宿泊記録は、ここで完全に途切れる。国を出ていたのは確かだろう。暗号メモにはパリや、ハンブルク、バーゼルといった都市の痕跡が残されていたとされる。後の調査では、彼女は六月二十二日から七月三日にパリにいたとされている。

七か月あれば、人はいくらでも別の人生を生きられる。この空白の中で何が起きたのかを埋められない限り、なぜ彼女が十一月のノルウェーに戻ってきたのかは分からない。

ホテルでの奇妙なふるまい

彼女を覚えていたホテル従業員は、実はかなりの数にのぼる。

彼女は目立った。というより、目立たないようにしていて目立った。あるベルボーイは「雑誌や映画の中にしかいないような女性だった」と話している。二十一歳のウェイトレスは、彼女の優雅さと自信のある振る舞いを覚えていた。一九七〇年のノルウェーで、女性が一人でレストランに座って悠然と食事をするというのは、それだけで記憶に残ることだった。

そして、チェックインしたあとで部屋を変えたがった。入口が見渡せる部屋を希望したという証言もある。ドイツ海軍関係者と思われる客の近くに座るのに、一言も話さなかったという話も残っている。この手のふるまいを、警察は後に「陰謀的行動」と呼んだ。

長靴を選ぶのに、やたら時間をかけた女

スーツケースの中に、ショッピングバッグが一つ入っていた。それにだけ、店の名前が残っていた。スタヴァンゲルの靴屋だ。

警察が訪ねると、店の息子が彼女を覚えていた。数週間前にやってきた、とても身なりのいい、黒髪の美しい女性。ゴム長靴を選ぶのに、異常に長い時間をかけた。英語を話すが、訛りがあった。

このエピソードが奇妙なのは、長靴を買ったという事実そのものだ。彼女は発見時、そのゴム長靴を履いていた。つまり山に入る予定は、少なくとも数週間前にはあった。衣装の準備をしていた。衝動的に谷に入ったわけじゃない。自殺説を取るなら、計画的なものだったことになる。他殺説を取るなら、彼女は自分の意思で山に行くつもりだったことになる。どちらにしても、誰かに突然拉致されて連れていかれたという線は薄くなる。

ニンニクの匂いと、前歯の隙間

目撃者の記憶には、妙に生々しい細部が残っている。

前歯の間に隙間があったこと。朝食にポリッジを食べていたこと。毛皮の帽子をかぶっていたこと。そして、ニンニクの匂いがかなり強かったこと。

一九七〇年のノルウェーで、ニンニク臭い人は目立つ。当時の北欧の食卓にニンニクはほぼ上らない。この一点だけで、彼女が南欧か中欧、あるいはもっと東の食文化の人間だった可能性が浮かび上がる。ポッドキャストのリスナーの中には、このニンニクの証言だけを手がかりに仮説を組んだ人もいた。

遺体が語らないことを、人の鼻と記憶が覚えていた。この事件の調査が面白いのは、そういう断片が十数年ごしに浮いてくるからだ。

山道で見た「あきらめたような顔」

もっとも背筋が冷える目撃証言は、ある船長のものだ。

彼は十一月二十二日か二十三日ごろ、ベルゲンの山道で、黒髪の女性とすれ違ったという。場所は、フロイエンからイースダーレンに抜けるあたりだ。彼女の服装は、山を歩く格好ではなく、街に出るための軽い服だった。

問題は、彼女の二十メートルほど後ろを、コートを着た男が二人、ついて歩いていたことだ。北欧系には見えない、南欧風の顔だったという。船長は、彼女と目が合ったと証言している。彼の言葉を借りれば、彼女は怖がっていて、何かを訴えようとしているように見えた。そして「あきらめたような顔」をしていた。

この証言は、発見から何十年もたってから公になったものだ。当時、なぜ彼が名乗り出なかったのかという問題は残る。記憶の後付けも否定できない。ただし、一九九一年には匿名のタクシー運転手も、ホテルから彼女を乗せたときに途中で男が一人同乗し、そのまま鉄道駅まで行ったと証言している。彼女の周囲に、誰かがいた。その線を完全には消せないんだよな。

十一月二十三日、チェックアウト。そこで足跡が消える

ホテル・ホルダハイメンの四〇七号室を引き払った十一月二十三日から、遺体が見つかる十一月二十九日まで、六日間ある。

この六日間、彼女がどこにいたのかは分かっていない。ホテルの記録はない。スーツケースは駅に預けられていた。つまり、荷物を手放して、最小限のものだけを持って動いていた。選択肢はいくつかある。別の宿に偽名を使わずに泊まったのか。誰かの家にいたのか。国外に出て戻ってきたのか。

死後経過の推定では、発見の数日前には亡くなっていたと見られている。だからこの六日間のうち、彼女が生きていたのは前半だけだ。ホテルを出てから何日もたたないうちに、彼女は氷の谷に入ったことになる。

検死台の上で分かったこと

司法解剖の結果は、単純でも明快でもなかった。

公式の死因は、フェノバルビタールによる行動不能と、一酸化炭素中毒の組み合わせ。つまり、睡眠薬で動けなくなっているところに火が回り、煙を吸って死に至ったという絵だ。

効いてくるのは、肺の中に煙があったことだ。これは、彼女が燃えはじめた時点でまだ呼吸していたことを意味する。すでに亡くなっていた遺体が燃やされたのではない。生きながら、しかしおそらく意識はない状態で、彼女は燃えた。

睡眠薬五十錠から七十錠と、そばに落ちていた十二錠

胃の中からは、フェネマールという銘柄の睡眠薬が五十錠から七十錠相当見つかった。

はっきり言って異常な量だ。だが、一つ引っかかることがある。血中濃度は百ミリリットルあたり四・五ミリグラム前後と報告されていて、これは致死量には届いていない。飲んでから吸収され切る前に亡くなったのか、という読み方もできる。

さらに、遺体のそばには未服用の錠剤が十二錠落ちていた。ここも別れる。飲みこぼしたのか。飲み切る前に意識が飛んだのか。それとも、誰かが飲ませて、余った分をそこに置いたのか。そして、自分でガソリンをかぶり、マッチをするだけの手の自由が、この量の睡眠薬を飲んだあとに残っていたのか。自殺説に疑問を持つ人がもっとも強く叩くのがこの点だ。

首のあざが議論を割った

もう一つ、検死で見つかったのが首の打撲痕だ。

これについての説明は二通りある。転倒してぶつけた。もしくは、誰かに殴打された。当時の鑑定も、どちらとも断定していない。

ガタガタの岩場を睡眠薬でふらつきながら歩けば、転ぶだろう。その意味では自然な説明だ。だが、ラベルを全部剥いて、指紋を削って、偽名を八つ使っていた人間の遺体にある首のあざを、「転んだだけでしょ」で終わらせられるかというと、難しい。パーツの一つ一つは別の説明がつく。全部並べると別の絵に見えてくる。この事件をめぐる議論は、ずっとこの構造を繰り返している。

歯が語る、北欧ではありえない治療

身元特定のために、彼女の顎と歯は保存された。これがのちに決定的な意味を持つ。

彼女の歯は、かなりの量の治療を受けていた。十四本が部分的または完全に根管治療されていて、金冠が複数装着されていた。金冠は十本に及ぶとする記述もある。前歯の間にははっきりした隙間があった。

問題は、この治療のスタイルだ。当時のノルウェーや北欧ではまず見ないやり方だった。専門家は、極東、中欧、南欧、南米のいずれかの歯科医の手によるものだろうと見立てた。これは殺人の証拠にはならないが、「この人は北欧の人間ではない」という強い手がかりになった。

ちなみに警察が国際手配に回した人相書は、年齢はおよそ二十五から三十歳、身長百六十四センチ、痩型で腰幅は広め、長い茶褐色から黒の髪、小さな丸顔、茶色の目、小さな耳。この年齢推定は、のちに大きく修正される。

事件番号134/70、そして「自殺の可能性が高い」

ベルゲン警察は、比較的早い段階で捜査を終わらせた。結論は、自殺の可能性が高い。

この結論に、当時の捜査官の全員が納得していたわけではない。そのことは、のちの取材で次々に明らかになっている。ある元捜査官は、はっきりと「私は完全に殺人だと確信している」と語った。複数の身元を使い、暗号を使い、かつらをかぶる。これは警察が陰謀的行動と呼ぶものだ、と。

それでも捜査は閉じた。ノルウェーの地方都市の警察にとって、国をまたいだ謎の女の身元を割る作業は、現実的に限界があった。インターポール経由で各国に照会をかけ、すべて空振りに終わった。

一九七一年二月五日、亜鉛の棺と十六人の警官

彼女の葬儀は、一九七一年二月五日に行われた。

形式はカトリック。宿帳に書いていた偽名に聖人の名前が使われていたことから、カトリック圏の人間だろうと推測した結果だ。推測で宗派を決めて葬るしかなかった。

遺体は亜鉛の棺に納められた。これは将来、身元が割れて遺族が現れたときに返還できるよう、体をできるだけ保存するための選択だった。埋葬地はベルゲンのモレンダール墓地の、名前のない墓。

この葬儀には、ベルゲン警察の警官が十六人参列した。彼女にとっての参列者は、自分を調べていた人間だけだったことになる。さらに、式の模様は写真に収められた。いつか遺族が名乗り出たときに、こういう風に見送られましたと見せるためだ。この気遣いは、ちょっと胸に来る。

四十六年後、公共放送が墓を開けた

事件は長いこと忘れられていたわけではないが、具体的に動いたのは二〇一六年だ。

きっかけを作ったのは、ノルウェーの公共放送の取材チームだった。彼らが素材を掘り返し、警察本部の保管庫から未報告の荷物が見つかるなど、残されていた証拠が再発見された。そして遺体が掘り起こされ、DNA分析と同位体分析にかけられる。

報道機関が墓を開けさせる。これはなかなかのことだ。それができたのは、この事件がノルウェー社会で「未だに右も左も分からない国民的な謎」として共有されていたからだ。

歯のエナメル質が指した町、ニュルンベルク

二〇一七年に発表された同位体分析の結果は、この事件の最大の進展だった。

仕組みはこうだ。歯のエナメル質は、子ども時代のある時期に形成されて、そのあと入れ替わらない。だから、そこに含まれる元素の同位体比は、その子がどこの水を飲み、どこの土地のものを食べていたかの記録になる。地域ごとに署名が違う。

ノルウェーの国家捜査局とベルゲン大学、そしてオーストラリアのキャンベラ大学の専門家が加わった分析の結論は、およそこうだった。彼女は一九三〇年前後(誤差は前後四年程度)に、ドイツのニュルンベルク周辺で生まれた。その後子ども時代に、フランス、もしくは独仏国境地帯へ移動している。

分析に携わった化学者は「夢に見ていたよりもはるかに具体的だ」とコメントしている。別の担当者は、これを手がかりに特定地域を集中的に洗う理由ができたと語った。

二十五歳ではなく四十歳だった、という修正

同位体分析は、もう一つ大きなものを壊した。彼女の年齢だ。

一九七〇年の警察は、二十五から三十歳と見立てていた。しかし新しい分析では、死亡時におよそ四十歳。十数年のズレだ。

これは致命的に効いてくる。当時の行方不明者リストとの照合は、すべて二十代の女性を前提にやっていた可能性が高い。つまり、本当の候補は最初から検索範囲の外にいたかもしれない。

また、一九三〇年生まれでドイツ育ちということは、彼女の少女時代は丸ごと第二次世界大戦と重なる。戦争、避難、強制移住、家族の離散。記録が残らない人生を送った人間は、あの世代に山ほどいる。

身元不明のままになっている理由の一部は、彼女が自分を消したからではなく、歴史が先に彼女の出自を消していたからなのかもしれない。

ポッドキャストが世界中のリスナーを捜査員にした

二〇一八年、ノルウェーの公共放送と英国の国際放送が共同でポッドキャストを公開した。タイトルは「氷の谷の死」。

これがちょっと例のない作りだった。番組は結論を提示する形ではなく、調査の進行をそのまま流して、リスナーに情報提供を呼びかけた。ファンコミュニティができ、そこで仮説が検証され、実際に新しい情報が飛び込んだ。

二〇一六年には、放送局の依頼で法廷画家が六枚の復顔イラストを描いた。髪型やメイクのパターン違いで、同じ骨格から全く別人に見える顔が何通りもできあがる。これも、彼女がかつらを使っていたことを考えれば合理的なアプローチだった。

遺伝系図の専門家からも協力の申し出があった。商用DNAデータベースを使った遠縁探索は、欧米のいくつかの難事件を解決している。だがここで壁にぶつかる。ヨーロッパの個人情報保護法制は厳しく、警察が商用データベースを自由に検索することはできない。技術はあるのに、制度が追いついていない。

なお、ミトコンドリアDNAのハプログループはH24と判定されている。母系の系統をたどると、南東ヨーロッパか南西アジアに行き着くとされる。同位体が示すニュルンベルクと、ミトコンドリアが示す南東欧。矛盾ではないけれど、重ならない。彼女の家系は、どこかで国境を越えている。

地中十五センチに埋まっていたバッグ

ポッドキャストが生んだ具体的な成果のひとつが、これだ。

発見現場から四十メートルほど離れた地点の、地下約十五センチのところから、金属探知機でバッグが見つかった。青灰色に赤い縞の入った、当時のものと見られるバッグだ。

中身は、土だけだった。何か入っていたにしても、半世紀で完全に分解していた。だが見逃せないのは、そのバッグが意図的に埋められたように見えたことだ。

自分で埋めたのか。誰かが埋めたのか。もし彼女以外の誰かが、遺体を燃やしたあとで四十メートル離れた場所に穴を掘って何かを埋めたのだとしたら、自殺説は一気に苦しくなる。ところが中身が土なので、この発見は何も確定させなかった。この事件は、そういう中途半端な手がかりばかりが出てくる。

自殺説を最後まで支えるもの

ここからは主要な説を、一つずつ丁寧に見ていく。どれも確定していない。並べて見るしかない。

まず自殺説。これは一九七〇年の警察の公式見解で、意外に強い根拠がある。

胃の中に大量の睡眠薬があった。ガソリンと思われるものを入れたボトルを自分で持っていった形跡がある。山に入るための長靴を事前に買っている。現場に他人の強い痕跡がない。そして、持ち物のラベルを剥がしていたのは彼女自身なのだから、「誰にも身元を知られずに消えたい」という意志の延長で説明できなくはない。

弱点もはっきりしている。五十錠から七十錠の睡眠薬を飲んだあとで、ガソリンを自分にかけてマッチを擦るだけのコントロールが残るのか。宝飾を外して並べるという手順を、その状態でできるのか。首のあざはどこから来たのか。そして、なぜ前面だけが燃えたのか。

他殺説――「儀式のようだった」

他殺説は、現場に入った捜査官自身が持っていた直感から出ている。

現場を見て「何かの儀式があったように見えた」と述べた捜査官がいた。宝飾が外されて並べられ、毛皮の帽子は遺体の下にあり、瓶とボトルが配置されている。自然発生的な散らばり方ではない。

他殺説を取るなら、シナリオはこうなる。彼女は何らかの形で睡眠薬を大量に摂取させられ、山に連れていかれ、もしくは山で合流し、動けなくなったところで、身元につながるものを消すために燃やされた。山道で彼女の後ろを歩いていた二人の男の証言や、タクシーに同乗した男の証言は、この線にはまる。

こちらの弱点は、拘束や抵抗の明確な痕跡がないことと、彼女自身が事前に山用の靴を買っていることだ。拉致されたという単純な絵にはならない。

スパイ説と、ミサイル試験のタイミング

ネットで一番人気があるのは、間違いなくスパイ説だ。

根拠は揃っている。八つの偽名と偽造パスポート。暗号で書かれた旅程。削られた指紋。剥がされたラベル。かつら。ホテルで部屋を変える行動。複数国の通貨。多国語。これを、普通の旅行者の範囲で説明するのはかなり難しい。

さらに、彼女の移動先の面子が奇妙だ。スタヴァンゲル、ベルゲン、トロンハイム。このあたりは当時、ノルウェー軍が対艦ミサイルの極秘試験を行なっていた地域と重なる。冷戦の真っ盛りで、ノルウェーは北大西洋条約機構の最前線だった。一九六〇年代には諜報絡みとされる失踪事案も起きている。

反論もしっかりしている。彼女の荷物からは、カメラも通信機器も暗号表も、諜報活動に必須の道具が一つも出ていない。暗号も、解いてみれば自分の旅程のメモだった。機密解除された各国の記録にも、彼女に重なる工作員は見つかっていない。二〇二三年には、現在の主任捜査官が「スパイだったことを示す証拠はない」と明言している。

もっとも、これでスパイ説が死ぬわけでもない。道具を持ち歩かないのがプロのやり方だ、という反論もできてしまうからだ。この説は反証しにくい形をしていて、それが人気の理由でもあり、同時に限界でもある。

地味だが強い、もう一つの仮説

ある作家は、彼女が高級な娼婦だったという仮説を提示している。地味な説だが、実は説明力は高い。

目的地に直行する旅のしかた。匿名性への執着。ホテルを転々とし、部屋を変える行動。誰と会っていたのか語らないこと。複数の男性の影。現金と外貨。これらは全部、スパイでなくても説明がつく。

一九七〇年のヨーロッパで、この種の仕事をしながら国境をまたいで移動するなら、偽造パスポートは現実的な必需品だし、身元を消す動機も十分にある。家族に知られたくない、というだけでも。

ただこの説も、死の状況を説明しない。なぜ山に入ったのか。なぜ燃えたのか。身元の説明と、死の説明は別の問題で、この事件では両方が同時に未解決なんだよな。

二〇二三年、スイスの銀行家という名前が出てきた

比較的新しい展開として、二〇二三年六月にスイスの日刊紙ノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥングが報じた仮説がある。

登場するのは、スイスの銀行家で、ナチスの資金に関与し、戦後はパレスチナの過激派を支援していた人物だ。ベルンの連邦公文書館に残された監視記録を調べた人が、彼の移動とイスダルの女の移動が重なることに気づいた。

具体的には、一九七〇年の夏のパリだ。彼女は六月二十二日から七月三日までパリにいたとされる。銀行家のほうは六月二十六日から二十七日、そして七月三日から五日にパリにいた。重なっている。さらにこの銀行家は六月末のパリで、ポルト・マイヨとマラコフ大通りの角で、変装したパレスチナ人の指導者と会っていたとされる。

この仮説では、銀行家が彼女の旅費を出し、ベルギーのコネを使って偽造パスポートを供給し、ノルウェーからイスラエルへの重水輸出に関わる任務を与えたのではないかとされる。そして、ノルウェーもイスラエルも重水の秘密の取引を公にしたくなかったから、捜査が押さえ込まれた。

壮大な話だ。しかも、日程の重なり以上の直接証拠はない。ノルウェー警察も、肯定も否定もしていない。ただしこの説は、彼女をソ連側のスパイとして描く従来の図式とは全く別の、中東とヨーロッパの暗部につながる線を提示した点で新しかった。

「捜査に壁があった」と祖父は言っていた

もう一つ、伏せられたという証言を紹介しておきたい。

当時のベルゲン警察官の孫娘が、取材に対して語った内容だ。祖父は、この捜査について「自分たちの仕事に壁が置かれている」と感じていたという。そして、外国の情報機関とのつながりのせいで事件が閉じられたのではないかと疑っていた。

この種の証言は、扱いが難しい。家族の見聞きにすぎないとも言える。だが、当時の捜査官の中に、自殺という結論への収束の早さに違和感を覚えていた人間が複数いたことは、別のルートからも裏付けられている。少なくとも、現場を見た人間の体感としては、これで終わりという感覚はなかった。

氷の谷という場所そのものの話

場所の話もしておきたい。イースダーレンは、実はもともと不吉な評判のある場所だった。

ベルゲンの人々の間では、この谷は古くから「死の谷」と呼ばれていた。中世以来、ここで命を絶った人が多かったからだと伝えられている。つまり、一九七〇年のベルゲン市民にとって「イースダーレンで遺体が見つかった」というニュースは、それだけでは驚くに値しないものだった。

ウルリーケンはベルゲンを囲む山の中で最高峰で、頂上までロープウェイが伸びている。つまり、人里から完全に離れた秘境ではない。町から帰ってこない人間を隠すには中途半端で、だが離れすぎてもいない。彼女がこの谷を選んだのなら、ベルゲンをある程度熟知していたことになる。選んだのが他人なら、その他人がベルゲンを知っていたことになる。

彼女は今も、名前のない墓にいる

二〇二六年現在も、彼女の身元は割れていない。

DNAプロファイルは取得済みだ。同位体分析の結果もある。歯科情報もある。復顔イラストもある。それでも一致しない。問題は二つで、一つは候補になる行方不明者届がそもそも存在しない可能性。もう一つは、比較できる親族のDNAにアクセスする法的な道が狭いことだ。

この事件を追っている人たちの間では、次のブレークスルーは遺伝系図だという見方が多い。商用データベースには、ドイツ系のルーツを持つ人が何百万人も登録している。彼女の遠いいとこが、自分のルーツを調べてアップロードしている可能性は十分にある。あとは、そこを検索できるかどうかだけなんだ。

なぜ我々はこの女に取り憑かれるのか

未解決事件は世界中にある。なのになぜ、この事件だけが半世紀以上語られ続けるのか。

理由の一つは、この事件の謎が二重になっていることだ。普通の未解決事件は、被害者が誰かは分かっていて、犯人が分からない。この事件は、被害者が誰かも分からないし、そもそも事件なのかどうかも分からない。迷宮の入口が二つあって、どちらから入っても過去に戻れない。

もう一つは、彼女の行動に人間臭さがあることだ。ラベルを剥がし、指紋を削り、名前を八つ使い分ける。ここまで徹底しておいて、サングラスの指紋は拭い忘れる。ニンニク臭いと覚えられている。朝食にポリッジを食べている。靴屋で長靴を選ぶのに時間をかけすぎる。完璧な幽霊じゃなくて、ちゃんと生活の痕跡を残している。

そして三つ目。彼女は、自分の名前を自分で消した。でも、その結果として名前のない墓に入るのは、本意だったのか。その問いが、この事件を追う人間をもっとも強く引っ張っている。

事実と推測を、いちど分けてみる

ここからは、この事件を一歩引いて整理してみたい。

まず、事実と推測を分けるところから。確実に分かっているのは意外に少ない。

一九七〇年十一月二十九日の午前、イースダーレンの岩場で、前面だけが焼けた女性の遺体が見つかった。肺に煙があったので、燃えはじめたとき彼女は生きていた。胃からは大量のフェノバルビタールが出たが、血中濃度は致死量に届いていない。首にあざがあった。衣類のラベルは全部剥がれ、指紋は削られていた。ベルゲン駅にスーツケース二つが預けられていて、中に暗号の旅程メモとかつらと度のない眼鏡があった。

ホテルの宿帳には少なくとも八つの偽名が残っている。歯の同位体分析はニュルンベルク周辺での出生と、子ども時代の西への移動を示した。ここまでが、だいたい事実だ。

残りは全部推測なんだよな。自殺か他殺か。スパイか、別の何かか。この二つの問いは独立していて、組み合わせは四通りある。スパイだったが自分で死んだ、という組み合わせだってありうる。任務が破綻したときに自ら始末をつけるというのは、あの時代の諜報世界では十分にありえたシナリオだ。逆に、スパイでも何でもない普通の女性が複雑な事情で身元を隠していて、その事情の中で殺されたという線もある。

どの組み合わせも消せない。

この事件を難しくしているのは、証拠が少ないことじゃない。逆だ。証拠は異常に多い。スーツケース二つ分の持ち物、数ヶ月分のホテル記録、暗号メモ、歯の記録、多数の目撃証言。普通の事件なら、これだけあれば人一人の素性は割れる。割れないのは、すべての証拠が「彼女が自分を隠していた」という一点に収束してしまうからだ。

証拠を集めれば集めるほど、彼女がどれだけ周到に自分を消していたかが分かるだけで、中心には近づかない。

十数年後の技術が、地方警察の限界を押し戻した

もう一つ、この事件が後世に残したものについて書いておきたい。

これは、一九七〇年の地方警察の限界を、十数年後の技術とジャーナリズムがどこまで押し戻せるかの実験になった。同位体分析は、パスポートも住民登録もない人間の出自を、歯だけから地図上にプロットしてみせた。年齢推定は十数年も違っていた。これは、世界中の未解決の身元不明遺体について、当時のプロファイルを信じすぎるな、という警告でもある。

ポッドキャストがやったことの意味も大きい。従来、この手の報道は「取材して、編集して、完成品を出す」ものだった。ところがこのケースでは、未完成のまま公開して、世界中のリスナーに手伝わせた。実際に、リスナー由来の手がかりから新しい調査が動いている。これは未解決事件の扱い方を変えた。一人の天才探偵ではなく、何万人の雑談が少しずつ削る。時間はかかるけど、道はある。

ただし、この盛り上がりには危うさもある。ネットには「イスダルの女の正体が判明」という見出しが定期的に現れる。実名を挙げるものもある。だが、ノルウェー当局が身元を確定した事実はない。候補として名前が浮上した人物には、実在の遺族がいる可能性がある。二〇二三年のスイスの銀行家説も、日程が重なっているという以上のことは証明されていない。推理を楽しむのと、断定して拡散するのは別の行為なんだ。

消えるのに成功しすぎた女

最後に、この事件の一番奇妙なところを改めて指摘しておきたい。

彼女は自分を消すのに成功しすぎた。名前を消し、ラベルを消し、指紋を消し、顔まで火で消えた(あるいは消された)。その結果、彼女は完全に忘れ去られることを目指して、完全に忘れられない存在になった。世界中の人間が、彼女の朝食と靴のサイズと前歯の隙間について議論している。これほどの皮肉はない。

そしてベルゲンのモレンダール墓地には、今も亜鉛の棺がある。名前のない墓だが、あの棺は「いつか誰かが迎えに来る」という前提で選ばれている。当時のベルゲン警察が、身元不明の外国人女性のためにそこまでやった。葬儀に十六人で参列して、写真を撮って残した。五十六年たっても、その写真を見せる相手は現れていない。

だが、誰かは必ずいたはずなんだ。彼女を知っていた人も、彼女を育てた人も、彼女を待っていた人も。この事件が本当に終わるのは、犯人が見つかったときじゃなくて、あの墓に名前が入ったときなんだと思う。

タイトルとURLをコピーしました