「ティッシュを取っていいですか」
2014年12月7日は日曜だった。名古屋市昭和区のアパートの一室に、77歳の女性が招き入れられた。招いたのは部屋の住人。名古屋大学理学部に入って8か月ほどの、19歳の女子学生だ。
女性が暮らしていたのは千種区で、学生の部屋は隣の昭和区にあった。ちなみに、学生が通う理学部は、千種区の不老町にある東山キャンパスの中だ。夫が捜索願を出した千種警察署も、千種区にある。どれも市の東側だ。
二人は、女性が宗教の勧誘で部屋を訪ねたことで知り合い、この日の午前も、そろって団体の集会に出ていた。集会は10時ごろから11時45分ごろまで。判決は、その場の学生について「いたって普通に会話をしていた」と認めている。
集会が終わると、学生は教えを聞きたいと申し出て、女性を自室へ誘った。先に断っておくと、ここから先は一審の名古屋地裁判決が認定した経過だ。部屋に入ると、学生は「お茶どうですか」と勧めた。
女性に断られて、背後に回り込む口実がなくなった。学生は動揺する。聖書の話を聞くうちに、女性の後ろのティッシュの箱に気づいた。「ティッシュを取っていいですか」。そう声をかけて、学生は立ち上がった。
バッグから手斧を取り出したのは、その直後。頭を殴った。倒れた女性の写真を撮り、カーテンを閉めている。続けてマフラーで首を絞め、殺している。息絶えたあとに撮った写真の時刻は、午後0時59分。
学生は遺体を浴室へ運び、持ち物はクローゼットにしまって、携帯電話の電源が切れているのを確かめている。午後2時9分には、仙台にいる家族へ「今から宮城に行っても良いかな」とメールを送っている。
その夜の9時半ごろ、集会で一緒だった団体の二人が、妻が帰らないと女性の夫から連絡を受けて、部屋を訪ねてきた。学生は動揺を見せなかった。女性は午後3時ごろに帰り、通路を歩いていくのを見送った、と話している。浴室には、遺体があった。
同じ日のうちに、学生は閲覧を制限していないアカウントへ「ついにやった」と書き込んだ。翌8日の午前5時ごろに部屋を出て、朝一番の新幹線で仙台の実家へ向かっている。手斧やナイフ、血のついたズボンも一緒だった。
遺体は年をまたいで、50日ほど浴室に置かれたままだった。夫の捜索願を受けた警察は、女性が最後に会った相手が学生だと突き止める。2015年1月26日に学生が名古屋へ戻り、翌27日に千種署で任意の事情聴取を受けた。署員とアパートへ入ると浴室で遺体が見つかり、殺人の疑いで逮捕される。
六日後の郵便受け
学生は仙台の実家で、12月14日の集会までに殺害が発覚すると考えていた。その前にやり残したことが、一つあった。8月に失敗した放火。
この年の8月30日、午前2時49分。学生は仙台市内の民家の縁側に、ペットボトルで作った火炎びんを置き、火をつけた。窓ガラスにひびが入った。損害額は、1万800円。火は、家を焼くところまで届かなかった。
狙ったのは、知人の家だと思い込んでいた民家だった。実際には、その知人とは無関係の家だ。判決が認めた動機は、焼死体を見てみたいという興味。きっかけは、高校のころに読んだ法医学者の本だった。
12月13日、午前3時25分ごろ。学生は同じ家の玄関へ、自転車で向かい、郵便受けから引火性の高い薬品を流し込んで、火のついたマッチを入れている。家にいたのは、66歳の住人ら3人。気づいた住人が自分で消し止め、けが人は出なかった。
その夜、学生は佐世保の事件の少女が着ていた服をまねて、自作のパーカーを着ていた。防犯カメラを避けて小道を走り、途中でライトを消してフードをかぶっている。いずれも判決が認定した事実だ。2014年7月に長崎県佐世保市で起きた同級生殺害事件を、学生は半年足らずのうちに、服の形で身にまとっていたわけだ。
判決は、殺人の「わずか6日後」に放火殺人を企てた経緯を、厳しい非難は免れないと評した。同じ家を三、四か月の間を置いて再び狙った点も、「執拗」と見ている。殺人から6日で、同じ家に二度目の火。
「白い粉」を持ち歩く子
時計を2年半ほど戻す。2012年、学生は仙台市の高校の2年生だった。高校1年の冬ごろ、化学の成績をきっかけに薬品へ興味を持ち、水酸化ナトリウムや硫酸銅、酢酸鉛、水銀などを買い集めていた。
4月ごろには、硫酸銅を学校へ持っていき、同級生になめさせて反応を見て楽しんだ。5月10日には、山形県天童市の薬局で、金属樹をつくる実験に使うと話し、19歳だと偽って硫酸タリウムを注文している。毒物及び劇物取締法は、18歳未満の者への交付を禁じている。品は、それでも10日後に店頭で手渡された。
5月27日、仙台市内のカラオケ店で、中学時代の同級生の女性の飲み物に混ぜた。翌28日と7月19日には、高校の教室で、隣の席の男性のペットボトルに混ぜている。判決は、二人とも死んでもかまわないという「弱い殺意」があったと認めた。学生本人は、取調べで「飲ませて観察したかった」と話している。
女性には約2年10か月、男性には約3年、足の神経障害が残った。男性の視力は大きく落ち、2017年2月の時点で0.01から0.02。その後、特別支援学校に転校している。後遺症は重かった。
2017年2月9日、男性は名古屋地裁の証言台に立った。腹痛と脱毛のあと、7月から視界に「白くもやがかかったような」見え方が出たと話す。研究の道を目指していたが、勉強が困難になり、まったく違う道を考えるしかなくなったという。「思い描いていた夢を台無しにされ、自由を奪われた」。その言葉を、日本経済新聞が伝えている。
名前は浮かばなかった、と県警は言った
2015年1月27日に逮捕された学生は、取調べで「高校時代、同級生に毒を飲ませたことがある」と話した。5月15日、愛知県警などは殺人未遂の疑いで学生を再逮捕する。宮城県警の説明が反転したのは、その直後。
5月26日、県警は「女子学生の名前は捜査で浮上しなかった」としてきた説明を改め、最初から存在を把握していたと認めた。6月1日に公表した調査結果は、さらに踏み込んでいる。被害届を受理した2013年2月ごろから、仙台市内の警察署の刑事1課長が、学生の名前を知っていた。「白い粉」の話も、耳に入っていた。河北新報の整理による。
この食い違いが、何度読み返しても引っかかるんだよな。被害男性が警察に伝えたのは、「ほかの女子生徒に白い粉をなめさせているのを見た」という話だった。日本放送協会の報道による。調書は作られず、学生に事情を聴くこともなかった。県警は、薬局などを調べても購入の記録が見つからなかったからだ、と説明している。
父親の相談も、行き場を失っていた。2012年5月、父親は娘が勝手に薬品を買っていると警察署に相談している。判決は、5月31日ごろに父に連れられて署を訪ね、警察官から厳しく注意を受けたと認めた。それ以上の処分はなかったという。
5月27日、県警の刑事部長は報道陣に、「当時、女子学生は容疑者として浮上せず、『変な子』という認識だった」と述べた。隠す意図は全くなかったとも言い、仮定の話と断りつつ、情報が共有されていれば捜査は違う方向に進んだと認めている。検挙できていれば名古屋の事件は起きなかったかもしれない、とも述べたうえで、コメントはできないと付け加えた。
河北新報は6月1日、仙台市内で毒劇物を扱う薬局やドラッグストア94店に、県警から照会があったかを尋ねた結果を報じた。64店が「照会はなかった」と答えている。「あった」と答えた店は、ゼロ。30店は、覚えていない、または無回答。県警の捜査1課長は、基礎捜査の段階で市内の大半の薬局に当たったと説明していた。
高校の校長は5月18日の会見で、「学校に劇物が持ち込まれるようなことは予測ができない」と強調した。6日後、河北新報は学校関係者の話として、別の事実を報じる。在学中の学生が、白い粉末の入った袋を制服のポケットから出して見せびらかしていた。教諭は別室で「何を持ってきているんだ」と厳しく注意したという。高校側は、薬品への執着を知ったのは逮捕後だと主張している。
毎日新聞の記者の目は、タリウム事件のあとで高校側が学生の関与を疑った、と書いている。疑いは、一部でしか共有されなかった。学生は友人に、混入を打ち明けてもいたという。
ここまでが、確かめられた事実だ。ここから先は筆者の見立てになる。父、教諭、被害男性、高校。同じ一人の生徒の異変が四つの窓口に届いていたのに、報じられた範囲では、それを一枚の紙に束ねた人は見当たらない。落ち着いて並べ直すと、足りなかったのは知識の量より、一か所に集める手順だったと思えてくる。
顔写真の載った号
2015年2月5日、『週刊新潮』2月12日号が店頭に並んだ。殺人の疑いで逮捕された19歳の女子学生の、実名と顔写真が載っていた。少年法61条は、少年のときの事件について、本人と推知できる記事や写真の掲載を禁じている。罰則規定は、ない。
編集部は、事件の残虐性と重大性に鑑み、19歳という年齢も総合的に勘案したと産経ニュースに答えた。記事の冒頭には、2000年2月の大阪高裁判決が引かれている。社会の正当な関心事で凶悪重大な事案なら、実名報道が認められる場合がある、という判断だ。
日本弁護士連合会は、同じ5日のうちに会長声明を出し、翌6日には東京弁護士会と第二東京弁護士会も続いている。東京弁護士会の声明は、新潮社が1997年から何度も同じ掲載を重ねてきたと指摘した。「明白な違法行為」が繰り返された、という批判だ。
翌3月には、川崎市で見つかった中学1年生の男子の事件でも、同じ雑誌が少年の実名を載せた。東京弁護士会は、声明を重ねている。学生の裁判が始まった2017年にも、同誌は2月16日号で被告人の実名を載せた。3月2日号では実名と顔写真。東京弁護士会は2月27日に、また声明を出した。
ネット上の受け止めは割れた。ハフポストは、「事情があっても法律違反はまずい」という書き込みを伝えている。「18才以上は大人扱いで良いと思う」という書き込みも、並べて紹介した。後者は、選挙権の年齢を下げる議論を引き合いに出していた。
公判中の2017年3月には、同誌のネット版が記事を載せている。題は「大メディアの『19歳殺人鬼』顔・実名隠しに何の意味があるのか」。匿名で報じる側への、真っ向からの問いかけだった。
名古屋大学は、逮捕から2日後の1月29日に総長名でコメントを出した。故人の冥福を祈り、遺族に哀悼の意を表したうえで、「学生のみなさんの心のケアに努めてまいります」と書いている。学生は、2015年12月の時点で大学を退学していた。
同じ2015年の9月には、取材をまとめたノンフィクション『人を、殺してみたかった』が大手出版社から出た。書名は、取調べでの供述として報じられた言葉をそのまま借りている。この文章では、判決が確定した今も本人の名前を書かない。
論争は、のちの法改正に跳ね返った。2022年4月施行の改正少年法で、18歳と19歳は「特定少年」になった。起訴されれば、実名や顔写真の報道ができる。それが今の決まりだ。
最初の例は、甲府市の夫婦殺害事件で起訴された19歳の男。共同通信が在京の新聞、通信、放送10社を調べると、実名は9社、匿名は東京新聞だけだった。同じ事件が2022年4月以降に起きていれば、起訴後の実名報道は、法の上で認められていたことになる。
「少年のうちに」
2014年11月2日から5日にかけて、学生は閲覧者を制限したツイッターのアカウントに書き込んだ。大学院に進みたいけれど、そうすると「少年のうちに殺人することを諦めなければならない」という内容だった。判決は、この書き込みを認定した事実の中に引いている。正直、この一文は読み返すだけで背筋が冷える。
同じころの書き込みには、「少年犯罪って、現役合格と同じ感じの輝きがあると思います」ともある。殺害の2日前の12月5日には、出身大学から死刑囚はまだ出ていないという趣旨の書き込みを、制限のないアカウントに残した。判決は、少年だから刑が軽くなるという考えも抱いたうえでの犯行だった、と認めている。
学生が少年事件に触れたのは、中学のころだった。毎日新聞の記者の目によれば、母親から1997年の神戸の連続児童殺傷事件の話を聞いて、関心を持った。高校では、2005年に静岡県で女子高校生が母親にタリウムを飲ませた事件を知る。自分も他人に投与したいと思うようになった、という。
制度のほうは、少年だから軽くなるという筋書きに乗っていなかった。少年法は、16歳以上の少年が故意に人を死なせた事件を、原則として検察官へ送り返すと定めている。名古屋家庭裁判所は2015年9月29日、学生を逆送した。理由は、人を殺してみたいという好奇心を満たす「いわば実験で、酌量の余地はない」というもの。
決定が出たのは、学生が20歳になる5日前だった。弁護側は、逆送が少年法の理念を無視した違法なものだとして、公訴棄却を求めた。地裁は退けている。時間がかかったのは、捜査機関と家裁がそれぞれ精神鑑定をしたため、というのが理由だ。家裁の手続中に20歳になった少年は、審判を受けずに検察官送致になる、とも指摘した。
ここから先は筆者の見立てだ。少年のうちに、という締め切りは、法の上では存在しなかったわけだ。読み集めた少年事件の中に、学生が自分で線を引いたのだと思う。入学した2014年は、その期限まで1年半を残すだけの年。大学院まで待てば、少年ではなくなる。
「人が死ぬところを見たかった」
起訴は2015年10月。裁判員裁判に向けた公判前整理手続きは、13回を数える。2017年1月16日の初公判には、77の傍聴席を求めて366人が並んだ。金属探知機による荷物検査で、開廷は予定より約25分遅れた。
学生は白いマスクをつけて入廷した。起訴内容を問われると、タリウムの件について「被害者が死んでもいいと考えたことはありません」と述べ、殺意を否認する。殺人事件については、争わなかった。傍聴した遺族は、被告は殺人事件について一切話さず、裁判は意味がなく何にもならないと感じた、と語っている。
弁護側は、事件当時は重い精神障害で責任能力がなかったとして、起訴された全部の事件で無罪を主張した。検察側は、発達障害は動機の形成に影響したが、双極性障害の躁状態は軽かったと反論している。物差しは、刑法39条。心神喪失なら罰せず、心神耗弱なら刑を減らす。
1月19日の被告人質問で、学生は動機を「人が死ぬところを見たかった」と述べ、殺害は約1週間前に決めたという。首を絞めた理由は「首を絞めたらどうなるのか見てみたかった」。遺体をどうするかは「あまり考えていなかった」。
逮捕の翌年、2016年5月から、学生は医療施設で薬の治療を始めている。「まだ人を殺したいとの思いはあるが、頻度が少なくなった」と話した。産経新聞によれば、その衝動の対象は、家族や友人だけでなく、検察官や弁護人にまで及んでいた。審理の最後には「今でも人を殺したい気持ちが湧き上がってきて不安になる」とも述べている。
学生は取調べで、タリウムは「飲ませて観察したかった」と話した。判決は、科学実験というにはお粗末で、手に入れた薬を人に飲ませたらどうなるか見たいという好奇心にすぎない、と見ている。同級生のいない教室を狙い、忘れ物を口実に一人で戻る。判決は、こうした行動を冷静な判断の表れと見た。社会的に許されない行為だと、十分に分かっていた、という認定だ。
精神鑑定の結論は、二つに割れた。検察側の鑑定医は、発達障害は重度でなく、双極性障害も軽躁状態にとどまると見るが、弁護側の鑑定医は、どちらも重いと見る。判決が採ったのは、前者だった。
弁護側の鑑定医は、面接でこう尋ねたという。「こんなうつがあったらこういうハイテンションの時もあったんじゃないの」。質問者の意図が透けて見える聞き方だと、判決は「不相当」と断じた。念のため書いておく。発達障害があっても、それだけで事件を起こすわけではない、と毎日新聞の記者の目は強調している。
公判は21回、2か月余り。毎日新聞の記者の目は、この審理で、学生の異変や特異な言動が周囲に見過ごされていたことが明らかになったと書いた。傍聴券を求める列は、判決の日にもできた。
「違う接し方をしていれば」
2017年2月16日には、母親が証人として出廷している。娘は事件を起こすような子ではないと、「決めつけてしまっていた」と述べている。小学生のころ、気にくわないという理由で、担任の教諭にホウ酸を飲ませようとしたこともあった。中学では、神戸の事件を「自分と同じ年でそんなことができるなんて、すごい」と話したという。母は、事件を美化したことにがくぜんとした。
大学に入って帰省したときも、学生は犯罪を肯定する発言を繰り返した。母が注意すると「もっと早く、精神科に連れて行くべきだったね」と返したという。母は「私たちが違う接し方をしていれば、この場にはいなかった」と悔やんだ。被害者や家族への償いと娘の更生に、力を注ぎたいとも話している。
法廷では涙声で、こう振り返っている。事件を起こす子は、学力低下が著しかったり、過酷な家庭環境で育っていたりする印象があった。うちは違うと思っていた、と。判決は、生育環境に特段の問題があったとはいえないと見た。
遺族や被害者は、判決の日に厳しい言葉を残した。産経新聞によれば、「謝罪や反省はなく、人ごとのようだ」という声が漏れたという。タリウムの被害男性は、意見陳述で、これ以上反省や謝罪の言葉は求めないと述べた。一生刑務所に入って罪を償ってもらいたい、と。
学生は、謝罪や反省の気持ちを問われて「気持ちはあるが、方法が分からない」と答えている。うつむく理由を聞かれると、法廷で遺族らの言葉を聞くのが、自分の感覚とずれていてつらかったと説明した。判決は、謝罪の言葉がなかったことを非難した。ただ、共感性の欠如という特性から、反省の萌芽が現れているとみる余地も認めている。
「懲役30年に近い無期懲役です」
2017年3月24日、名古屋地裁は求刑どおり無期懲役を言い渡した。殺人は「執拗かつ残虐」、タリウムの件は弱い殺意の犯行と認定する。完全責任能力があったと結論づけた。有期刑の上限の懲役30年では軽すぎる、という理屈だ。死刑を選ぶ余地はないとも述べている。
判決は、この無期懲役を「有期懲役刑に近い最も軽い部類」と位置づけた。死刑に近い無期とは違う。30年の刑を受けた場合より、相応に長く服役する。そのあとなら、障害の克服状況に照らして、仮釈放を弾力的に運用し、比較的早い社会復帰を図るのが適切だ。判決は、そう意見を付けた。
裁判長は言い渡しのあと、学生に語りかけた。「有期刑の上限である懲役30年に近い無期懲役です」。「必ず社会復帰できると信じて努力してほしい」とも付け加えている。共同通信の編集委員の記事によれば、学生は目元までかかる長い前髪と白いマスクで表情が見えず、はっきりした声で「はい」と答えた。
弁護側は4月5日に控訴した。控訴審の初公判は8月24日、名古屋高裁。10月26日の被告人質問で、学生は一審のあとも人を殺したい考えが浮かんだと認めた。控訴の理由は、一審の内容では「人を殺さない自分になりたい」という目的が果たしにくいから。1日に5、6回、殺意が浮かぶとも話している。
11月9日には、京都大学の児童精神医学の専門家が証人に立った。正式な鑑定ではないと、証人は断った。判決や鑑定書を読んだ印象として、「精神障害は軽度」とした一審判決は適切でないと証言している。それでも高裁は、2018年3月23日に控訴を棄却した。躁うつ病の軽躁状態にとどまり、発達障害の影響も動機には限定的、という判断だ。
上告は2018年4月5日。最高裁第三小法廷は、2019年10月15日付で棄却を決めた。4人の裁判官は、全員一致だった。同じ月の22日、無期懲役が確定する。確定の時点で、学生は24歳。
共同通信の編集委員は、確定の2日後に記事を書いた。見出しは「無期懲役でも十数年で仮釈放」はうそ。法務省によれば、2017年末の無期懲役受刑者は1795人。同じ年に仮釈放された8人の平均服役期間は、33年2か月だった。2008年から2017年の10年間で、仮釈放は64人、獄中で亡くなった人は193人にのぼる。
法務省の令和7年版犯罪白書は、2015年から2024年の10年間を数えている。仮釈放された無期刑受刑者は延べ96人、刑事施設の中で亡くなった人は285人だった。2024年に仮釈放されたのは1人。年末に服役していた無期刑受刑者は、1,650人いた。
