受話器の向こうの沈黙
あの無言電話は、彼女からのSOSだったのか。それとも、まったく別の存在の仕業だったのか。
数分で消えた主婦と、大阪と米子からの電話
ミステリアス度が高いと言われる理由は、短時間での失踪と無言電話という組み合わせが、どうにも超自然的に見えるところにある。
神隠しの概要はこうだ。1998年5月3日、群馬県前橋市三夜沢赤城神社で、主婦・志塚法子さん(48歳)が家族と訪れ、「お賽銭をあげてくる」と車を降り、数分後に消えた。
神隠しと呼ばれる理由も分かりやすい。娘が遠くに母を見た直後、数十秒で姿が消え、警察犬が追跡を放棄している。
後日、大阪や米子からの無言電話が届き、神隠しの不気味さが際立つ。神社の霊的な力が働いたか、異界への入り口に迷い込んだ可能性、という語られ方をする。
突き合わせられる記録はどこまであるか
同名または強く関連する独立資料項目が存在することは確認できている。失踪事件として、事件・人物・制度の概略を照合することは可能だ。
先に一つ断っておきたいこと
この話にある日時・人数・場所・動機・判決・捜査経過は、公的記録、裁判資料、警察発表、同時代報道で個別確認が必要になる。
「隠蔽」「口封じ」「霊視」「呪い」「異界」「陰謀」などの説明は、独立した裏付けがない限り、噂・異説として扱う。
雨の駐車場から、六分の空白まで
1998年5月3日、ゴールデンウィーク真っ只中の群馬県宮城村、現在の前橋市三夜沢町。標高千メートル近い赤城山の中腹、参道の脇にひっそりと佇む三夜沢赤城神社に、一台の車が到着した。乗っていたのは、千葉県白井市に暮らす志塚家の一行七人。
夫、娘、生まれたばかりの孫、さらに義母や叔父・叔母までもが同乗する、ごく普通の家族旅行だった。目当てはツツジ見物。境内は雨に濡れ、参拝客もまばらだったという。午前十一時半、一行は駐車場に車を停めた。雨脚が強く、多くの家族は車内に留まり、傘をさして参道を登っていったのは、まず夫と叔父の二人だけだった。
残された志塚法子さんは、当時四十八歳。しばらく車内で孫をあやしていたが、正午前後、ふと「お賽銭をあげてくる」と言い残して車を降りた。持ち出したのは、財布から抜いたわずか百一円だけ。財布そのものは車内に置いたままだった。
赤い傘をさし、ピンクの長袖シャツに黒いスカート、目立つ配色のサンダルという出で立ち。法子さんは持病のメニエール病を患い、右耳がほとんど聞こえず、低気圧の日は強い眩暈に襲われることがあった。ところが、この日に限って、頼みの補聴器は車の中に置き忘れられていた。
娘が赤ん坊をあやすためにふたたび車外に出たとき、母の後ろ姿を目にしている。ただしそれは、夫たちが登っていった参道の方角ではない。境内から外れた雑木林のほう、およそ百メートル先だった。
ここからが、この話の芯にあたる部分だ。娘が視線を外していたのは、証言によれば数十秒から長くても六分ほど。その一瞬の空白の後、志塚法子さんの姿はどこにもなかった。家族はただちに周辺を捜し回ったが手がかりはなく、まもなく警察に通報している。
県警は延べ百人規模の態勢を組み、警察犬まで投入し、十日間にわたって山狩りに近い捜索を敢行した。それでも、傘一本、サンダル片方すら発見できなかった。ゴールデンウィークで参拝客も少なくなかったにもかかわらず、悲鳴を聞いた者は一人もいない。争う物音を耳にした者も、不審な人影を見た者もいなかった。
寄せられた目撃情報二十件あまりも、いずれも空振りに終わった。失踪から日を置かず、志塚家には大阪と米子、あるいは鳥取とも伝わる市外局番からの無言電話が、複数回かかってきたという。誰も名乗らず、ただ受話器の向こうで沈黙が続き、やがて切れる。家族はこれを法子さんからのSOSではないかと考えた。しかし逆探知は行われず、真相は分からないままだった。
この話はどこから広がったのか
事件そのものは1998年当時、地元紙や県内ニュースで小さく報じられたに過ぎなかったとされる。名前が広く知られるようになったのは、2000年代半ば以降のテレビ番組がきっかけだった。
火をつけたのは「奇跡の扉 TVのチカラ」、2006年前後の放送で組まれた特集だ。視聴者から提供されたホームビデオに、失踪時の服装や髪型と酷似した女性が偶然映り込んでいた。これが紹介され、大きな話題を呼んだ。
同番組では、アメリカの著名な霊能力者ゲイル・セントジョーン氏が招かれている。氏が遠隔透視で語ったとされるビジョンは、かなり生々しい。怪我人を装った二人組の若い男に助けを求められる形で車に連れ込まれ、山中のアジトのような場所で暴行を受けた後に解放された。だが絶望のあまり山中をさまよい、崖から転落して死亡した。そういう趣旨の内容が語られたと伝えられる。
ネット上での本格的な拡散は、2010年代の2ch・5ch文化の中で進んだ。5ちゃんねる「絆」板には「赤城神社主婦失踪事件」と題したスレッドが複数回にわたって立てられた。「2拝目」を名乗るスレッドが確認できるほど、この話題は息が長い。
火種になったのは、まとめサイト「うしみつ」である。「『赤城神社主婦失踪事件』という全てが謎に包まれた事件」というタイトルで記事化され、これを皮切りに複数のオカルト系まとめブログが後追いした。「なんJコレクション」のような掲示板まとめサイトも同じだ。「赤城神社主婦失踪事件が怖すぎる」といった形で、繰り返し取り上げられてきた。
YouTubeでも「ずんだもん&ゆっくり解説」形式の解説動画が投稿されている。「たった6分で消えた女性が未だに見つからない理由が闇深すぎた」というタイトルで再生数を稼いでいる。
note、ameba、はてなブログなど個人ブログでの再検証記事も後を絶たない。事件から四半世紀を経てなお、新しい考察記事が定期的に投稿され続けている。オカルト系の話題としては、かなり稀有な事例だ。
七つの異説、それぞれの生々しさ
ネット上でこの事件が語られるとき、必ずと言っていいほど並べられるのが「七つの説」である。まあ、順に見ていこう。
第一に、駆け落ち説。前述のホームビデオに映る人物が法子さん本人ではないか、という疑惑を軸にした見立てだ。不倫関係にあった相手と示し合わせて姿を消したのではないか、というわけだ。ただし、当日の神社訪問自体が直前に決まった予定だった。事前に相手と連絡を取り合う余地がなかった、という反証がしばしば持ち出される。
第二に、北朝鮮による拉致説。根拠として持ち出されるのは、娘が目撃した「帽子を目深にかぶった三人組」の存在だ。さらに、失踪直後にかかってきた大阪・米子方面からの無言電話、海に近い地理的条件も添えられる。こうした材料から、工作員による連れ去りを疑う声がある。
もっとも、時はゴールデンウィークの昼間である。多くの参拝客がいる神社の境内という状況で、これほど大掛かりな拉致を人目につかず実行できるのか。そんな疑問も同時に語られている。
第三に、事件、つまり拉致や性犯罪に巻き込まれたとする説。ゲイル・セントジョーン氏の霊視内容が、そのまま流布した形だ。「怪我人を装って呼び寄せられ、車に押し込まれた」というシナリオが、半ば定説のように語られることもある。
第四に、宗教出家説。法子さんが生前、ある種の信仰に熱心だったという周辺情報がもとになっている。新興宗教への出家のために、失踪を偽装したのではないかという説だ。賽銭として持ち出した百一円という中途半端な金額に、宗教的な意味を見出す考察者もいる。
第五に、保険金目的の狂言説。家族ぐるみで失踪を偽装し、2008年の失踪宣告によって生命保険金を得ようとしたのではないか。七つのうち、もっとも身も蓋もない説である。ただし、同行していた親族の中には保険金の受取人になり得ない者も多く含まれており、成立の難しさが指摘されている。
第六に、事故説。メニエール病による激しい眩暈で林の中をふらつき、崖から滑落したのではないか。あるいは急な便意でやぶに分け入った際に、足を滑らせたのかもしれない。もっとも「日常的」な悲劇を想定する説である。
中にはツキノワグマに遭遇し、遺骸ごと持ち去られたためいまだ発見されないのではないか、という推測もある。山岳地帯ならではの発想だ。
第七に、自発的失踪・解離性障害説。長年の介護疲れ、義理の家族関係の重圧、持病への不安といった慢性的なストレスが引き金になったとする。一時的な解離状態に陥ったまま、自分でも自覚のないうちに山中へ足を踏み入れてしまったのではないか。警察の捜索が十日ほどで縮小されたことも、事件性が薄いと判断された傍証として語られる。
この説をさらに踏み込ませたのが、note上で公開された個人考察記事「ハイビスカスのサンダル」だ。法子さんが履いていた派手なサンダルは、当時流行していたギャル系ブランド「アルバローザ」を象徴する品だった。山道を歩くにはあまりに不向きな履物である。そのまま、彼女が「まっすぐに、意図して」山の奥へと歩いていったのではないか、という解釈を提示している。
著者はこれを「ゆるやかな自殺」という言葉で表現した。事件性のない、しかし救いのない結末として結んでいる。
下駄の足音と、林の奥の声
赤城神社をめぐる話は、この事件単体にとどまらない。「神隠しの山」としての言い伝えがもとから存在していたことも、ネット上ではしばしば語られる。地元では、大正時代に十八歳の娘が参道近くで姿を消し、二度と見つからなかったという話が伝わる。
昭和十九年には老夫婦が揃って山中で消息を絶った、という伝承も根強く語り継がれているとされる。こうした「土地に染み付いた神隠しの記憶」が、志塚さんの事件をより一層不気味なものとして印象付けているわけだ。
事件後に三夜沢赤城神社を訪れた参拝者の体験談も出回っている。曰く、駐車場から参道を歩いている最中、背後で明らかに大人の女性のものと思われる下駄の足音が続いていた。ところが、振り返ると誰もいなかった。
もう一つの体験談はこうだ。雨の日に限って、林の奥から「ここです」という細い女性の声が聞こえた気がした。そんな書き込みが、複数の心霊系まとめサイトや個人ブログのコメント欄に投稿されている。
真偽は確かめようがない。それでも、事件を知った上で同じ参道を歩く体験そのものは、やはり特別だ。多くの参拝者にとって、緊張感を伴うものになっていることは間違いない。
掲示板で真っ二つに割れる態度
5ちゃんねるや個人ブログのコメント欄を通覧すると、この事件に対するネットユーザーの態度は大きく二つに分かれる。一つは、「霊的な神隠し」を半ば本気で信じる層だ。赤城山という霊山の持つ磁場や、地元の神を軽んじた祟りといった超自然的な説明を求める。
もう一つは、あくまで人為的な犯罪、あるいは解離性障害のような医学的な説明を志向する層である。霊能者の透視結果を「情報の再構成に過ぎない」と切り捨てる、冷静な考察勢だ。後者の代表的な論者は、テレビに出演した霊能力者の「的中率90%」という触れ込み自体に懐疑的である。
視聴者の期待に応えるための物語的な脚色ではないか、というのが彼らの分析だ。それでもなお、双方に共通しているものがある。「たった数十秒から数分の間に、遺留品一つ残さず人間が消えた」という、核心部分への強烈な違和感である。この一点があるからこそ、四半世紀以上経った今も新規の考察記事や動画が絶えず生み出され続けている。
三夜沢の地形から読み直す
赤城神社の主婦失踪は、短い映像やまとめ記事の中で「山奥の霊域から忽然と消えた話」へ変わりやすい。だが、舞台になったとされる三夜沢赤城神社について、神社公式サイトが示す所在地は前橋市三夜沢町だ。標高は約五百七十メートルである。赤城山の山頂付近と境内を同じ場所のように扱い、「標高千メートルを超える秘境」と描くのは正確ではない。
境内は杉木立に囲まれ、周囲には道路や集落、山林がある。参拝場所として整備されている一方、舗装された境内から外れれば、斜面、沢、草木に視界を遮られる場所もある。人が見えなくなったことだけをもって、通常の移動では説明できないと決めることはできない。
雨天なら傘で顔が隠れ、足音や呼び声も聞こえにくくなる。家族の視線が途切れた時間についても同じだ。時計で計測した記録なのか、後から思い返した体感なのかで、意味はまるで変わる。
広く流布している話はこうだ。一九九八年五月三日、家族と参拝に来た四十八歳の女性が賽銭をあげに車を離れ、そのまま戻らなかったとされる。ただし、現行の警察公開ページや裁判記録で、衣服、所持金、捜索日数、警察犬の反応まで一括して確認できる資料は見当たらない。
数字や服装が複数の記事で一致していても、同じテレビ番組や先行記事を書き写した結果かもしれない。反復された回数は、独立した裏付けの数ではない。
無言電話は発信者を示していない
失踪後に大阪や米子から無言電話があったという話は、この件の不気味さを大きくしてきた。ところが、電話の着信記録も、発信地点を調べた通信事業者の回答も公開されていない。家族が警察へ届けた時期といった一次資料も同じだ。仮に着信自体が事実でも、発信者が失踪した女性だったとは限らない。
無言電話には、間違い電話、いたずら、機器の不具合、事件報道を見た第三者の接触など、いくつもの可能性がある。公衆電話からかけられたという説明が正しいとしても、「その地域に本人がいた」ことまで証明するものではない。電話を受けた側が息遣いや周囲の音をどう記憶したかも、時間の経過や番組での再現によって変わり得る。
テレビ番組で行われた霊視も、捜査資料とは分けて扱う必要がある。地図上の場所、服装、事故や監禁といった語が、後の検証で一致したように編集されることもある。それでも、的中率は算出できない。霊視者へ事前に渡された情報、外れた発言の総数、撮影から放送までの編集過程がわからないからだ。
捜索の手掛かりとして提供された話と、現実に発見へ結びついた証拠は同じではない。
七つの説を同じ重さで並べない
事故、第三者による連れ去り、自発的な失踪、体調不良による混乱。どれも、行方不明事案で検討される一般的な方向ではある。しかし、この女性に起きたと確認された出来事ではない。持病や家庭関係を根拠に心理状態まで断定すれば、本人や家族の尊厳を傷つける。
北朝鮮による拉致、宗教団体の関与、保険金目的の偽装といった説には、さらに強い根拠が必要になる。似た年代に別の事件があった、失踪宣告の制度が利用された、神社が信仰の場だった。それだけでは結びつかない。捜査機関の発表、送金や連絡の記録、関係者の具体的証言などが示されない限り、疑いを事実のように書くべきではない。
「神隠し」は、理由のわからない失踪に昔から与えられてきた呼び名だ。原因を説明する鑑定結果ではない。大正期に娘が消えた、戦時中に老夫婦がいなくなったという三夜沢周辺の逸話も同じである。氏名、年月日、当時の新聞や村の記録へたどれなければ、伝承の域を出ない。
後から語られた怪談を、一九九八年の出来事の前兆として扱う。すると、二つの話が互いを裏付けているように見えてしまう。
不明のまま残すことも誠実さである
この失踪を読む上で最も重いのは、細部の奇妙さではない。一人の生活者が家族の前からいなくなり、確かな結末が伝わっていないことだ。不可解な空白を埋めたくなる気持ちは自然だろう。それでも、空白へ刺激的な説を詰め込めば真相へ近づく、とは限らない。
確認できる場所の情報、出典をさかのぼれる報道、家族や捜査機関の公式発言を土台にする。それ以外は「広く語られているが原資料を確認できない話」と明示する。そうすれば、雨の境内、短い見失い、電話、霊視という要素を、一つの超常現象へ無理に束ねずに済む。
証拠がないから怪異だ、という結論は成立しない。証拠がないから特定の犯罪だ、という結論も、同じように成立しない。
