確認できること
確認できる記録がある。事件・人物・制度の存在確認には使えるが、この話の細部・動機・霊視・陰謀説まで裏付けるものではない。
語られている事件概要
- 概要 千葉県鴨川市のおせんころがしで、母子3人を含む連続殺人事件が起きた。
- 犯人は捕まらず、未解決のまま1966年に時効成立。
- 戦後の混乱期に起きた悲劇として、薄暗い記憶に。
- タブーの理由 戦後間もない貧困と混乱の歴史的背景、母子殺害の残虐性が、地元で語るのをためらわせ、現代ではほぼ忘れ去られた存在に。
- 現在の状況 2025年、時効から約60年が経ち、公式な再捜査は皆無。
- 鴨川市の観光地(安房鴨川)のイメージを守るため、事件は地元の記憶からほぼ消滅。
- 残虐性と古い時代背景が、タブー視を今も維持している。
- 詳細はこちら
噂として語られる部分
- Xではまれに「未解決の恐怖」と囁かれるが、若い世代は知らず、都市伝説の域。
確認できること
- 同名または強く関連する独立資料項目が存在することを確認。
- おせんころがし殺人事件で事件・人物・制度の概要を確認できる。
- おせんころがしで事件・人物・制度の概要を確認できる。
確認に使える記録
- 概要: おせんころがし殺人事件(おせんころがしさつじんじけん)は、1951年(昭和26年)10月11日に千葉県安房郡小湊町(現:鴨川市)にある断崖、通称「おせんころがし」で起こった殺人事件である。母親が1人の男に強姦され、母子3人が殺害された。また、この事件の同一犯人の起こした合計7人の連続殺人事件の通称でもある。
- 概要: おせんころがし(漢字:お仙ころがし)は、千葉県勝浦市の西端から鴨川市にまたがる約4kmの崖の通称である。旧国道が崖の中腹を通り、古くは交通の難所であったが、現在は新国道が整備され解消されている。
読むときの注意
- 「隠蔽」「口封じ」「霊視」「呪い」「異界」「陰謀」などの説明は、独立した裏付けがない限り噂・異説として扱う。
事件が起きたのは1951年(昭和26年)10月11日未明のことだったと伝えられている。舞台となったのは千葉県安房郡小湊町(現在の鴨川市)と勝浦市の境目にあたる、太平洋に面した約4キロにわたる断崖の通称「おせんころがし」である。当時の旧国道はこの崖の中腹を縫うように通っており、街灯もまばらな夜間は徒歩の旅人にとって難所として知られていた。
この夜、行商や親戚訪問の帰りだったとみられる母親と、4人の幼い子どもたちが、暗い崖沿いの道で一人の男に呼び止められたとされる。男は道案内や親切を装って言葉巧みに近づいたとみられ、人気のない崖際へと母子を誘い出した。そこで男は母親に乱暴を働いたうえ、抵抗できない子どもたちを一人ずつ真っ暗な崖下へ突き落としたと裁判記録は伝える。
子どものうち複数人は崖下に転落してそのまま絶命し、母親も凌辱されたのち突き落とされて死亡が確認された。ただ一人、崖の途中の斜面に引っかかるようにして一命をとりとめた長女だけが翌朝になって発見され、この凄惨な事件の生き証人となった。
犯人として逮捕・起訴されたのは、後に「栗田源蔵」の名で報じられることになる男である。栗田は秋田県雄勝郡の非常に貧しい農家に、十数人きょうだいの一人として生まれたと伝えられる。幼少期から夜尿症に苦しみ、そのことで学校や奉公先でいじめや折檻を受け続けたという生い立ちが、後年の裁判資料や関係者の証言、本人が獄中で綴ったとされる手記などを通じて知られるようになった。
尋常小学校を数年で中退し、各地の農家への奉公を転々とするが、いずれも長続きせず、思春期を迎える頃には社会から疎外された生活を送っていたという。1945年に徴兵されたものの、わずか数カ月で敗戦を迎えて除隊し、その後は北海道の炭鉱で働くようになった。劣悪な労働環境と身寄りのない孤独な暮らしの中で、性格は次第に粗暴さを増していったとみられている。
