1984年から85年にかけて、食品会社を狙う脅迫事件が相次いだ。犯人側は「かい人21面相」と名乗り、企業、警察、報道機関を巻き込むように文書を送り続けた。グリコ・森永事件と呼ばれるこの一連の事件は、最後まで実行者が特定されず、公訴時効を迎えている。
社長誘拐から企業脅迫へ
始まりは1984年3月、江崎グリコ社長の誘拐だった。社長は自宅から連れ去られたが、数日後に自力で逃げ出して保護され、身代金は渡らなかった。本人だけでなく、突然押し入られた家族にも大きな恐怖を残した事件だった。
その後、報道機関などに「かい人21面相」を名乗る文書が届くようになる。犯人側はグリコ製品への毒物混入をほのめかし、店頭から商品が撤去された。標的は森永製菓、丸大食品、ハウス食品などにも広がり、実際に毒物が入った菓子が見つかった例もあった。ただし警告が付けられており、購入者の被害は確認されなかった。
企業側は商品の回収や販売停止を迫られ、店舗の従業員や消費者も不安にさらされた。犯人側は金銭の受け渡しを細かく指示し、警察が追跡する様子まで見越したような動きを見せたが、身柄の確保には至らなかった。
捜査で残った手がかり
捜査では、受け渡し場所の近くで目撃された「キツネ目の男」と呼ばれる人物像が注目された。似顔絵は広く報道されたものの、その人物が犯人グループの一員だったかどうかは確認されていない。目撃情報は重要な手がかりだった一方、似た容貌の人が疑いの目を向けられる問題も起きた。
犯人側が送った文書は、関西弁を思わせる言い回しや、警察と報道を挑発する調子が特徴だった。文体、印刷方法、録音された音、受け渡しの手順などが調べられたが、書き手の出身地や人数を確定できるものではなかった。
1985年8月、滋賀県警本部長が亡くなった後、犯人側は事件を終わらせる趣旨の文書を送った。それ以降、大きな動きは途絶えた。誘拐や毒物混入に関する時効は順次成立し、2000年には最後に残っていた事件も公訴時効を迎えた。誰も起訴されておらず、現在も未解決である。
犯人像を決めつけない
事件については、企業内部に詳しい人物、株価の動きを狙った集団、暴力団関係者など、さまざまな説が語られてきた。特定の地域や出自を犯人像と結びつける説もあったが、裏づけがないうえ、無関係な人々への偏見を広げる危険がある。
どの説にも、それだけで実行者を特定できる証拠はない。文書の方言も意図的な演出だった可能性があり、目撃された人物についても犯人と確定していない。推測を紹介する場合でも、捜査で確認された事実と同じ重さで扱うべきではない。
この事件は「劇場型犯罪」という派手な言葉で語られがちだが、その裏では誘拐された本人と家族、対応に追われた従業員、商品を手に取れなくなった消費者、捜査に携わった人々が長く振り回された。犯人の演出を面白がるより、未解決のまま残った被害と、根拠のない犯人視を繰り返さないことに目を向けたい。
