奇怪千万からのお願い

このサイトの記事が面白かった、役に立ったと思って頂けたら、一つお願いがございます。
Amazonで何か買う予定があるとき、その前に下のボタンから入って頂いて買い物をしていただくと
サーバーの運営費と心霊スポットやパワースポットの取材費になります。

ここから入って買い物をすると、金額の数%が紹介料として私に入ります。
貴方様の支払いが増えることは一切ありません。買う物も何でも構いません。
記事をもっとたくさん増やしたいので、ご協力をお願いします。

当サイトではアマゾンアソシエイト以外のアフィリエイトは使用しません
(記事が見づらくなるから・・・)

火葬場人肉切売り事件(明治44年・1911年、長崎県)

経緯を追いたいのに、追う材料がない

事件の経緯を順に並べたいところだが、そこに当たる記述が元の紹介文には一行も無い。該当記述なし、とだけ書いておく。

まとめ記事に並んでいた、たった四行

怪奇度は☆ひとつ。添えられた惹句は、火葬場での人肉売買、不気味な舞台。内容の欄はこうだ。長崎県の火葬場で、遺体から肉を切り出して売買していたとされる事件。

呪術や食糧難が背景とされる。背景の欄はもっと素っ気ない。貧困や迷信が、こうした異常な行為の噂を生んだ。明治の猟奇事件として、都市伝説的な要素が強い。

まあ、これだけ読んで何かが分かるはずもない。固有名詞がひとつも出てこないからだ。

読む前に線を引いておく

先に断っておく。この話にある日時・人数・場所・動機・判決・捜査経過は、公的記録、裁判資料、警察発表、同時代報道で個別確認が必要。

「隠蔽」「口封じ」「霊視」「呪い」「異界」「陰謀」といった説明も同じだ。独立した裏付けがない限り噂・異説として扱う。

完全再話――佐世保の山中で何が売られていたか

明治44年(1911年)4月、長崎県佐世保。市街地から少し外れた小佐世保の白木山、そこに小さな火葬場があった。ここが舞台だ。当時の火葬場は今のような重油バーナー式ではなく、薪と炭で棺桶ごと遺体を焼く方式が主流だった。一体を灰にするのに一晩、時には丸一日を要した。

火をくべ、燃え具合を見守り、骨を拾いやすいように遺体の向きを直す。この一連の作業を担うのが「隠亡(おんぼう)」と呼ばれる火夫である。佐世保のこの火葬場で長年その役目を務めていたのが、事件の主犯となる久花熊太郎という54歳の男だった。

久花は長崎県大村の出身で、白木山の火葬場に8年間勤めた後、屑藪山の仮葬場へと移っていたとされる。隠亡という仕事は、当時の社会では最下層に近い扱いを受けていた。

死という穢れに直接触れる仕事だ。それゆえに差別の対象となり、賃金も乏しく、山中に孤立した小屋で夜通し火の番をする孤独な労働だった。

ここからが本番だ。人目につかない環境、長時間にわたって遺体と二人きりになれる状況、そして困窮。これらの条件が揃ったとき、久花は禁忌に手を染めた。

焼却前の遺体、あるいは焼き加減を見ながらまだ完全に炭化していない遺体。そこから臀部の肉を切り取り、これを目当ての客に酒や金銭と引き換えに渡していたという。

当時は「人肉は特に臀部や肝臓、脳が薬効に優れる」という俗信が流布していた。切り取られた部位が「尻の肉」であったことは、この俗信と符合する。

買い手が信じていたのは、「万病に効く」「不治の病に効く」という迷信だ。闇から闇へと取引を重ねていた者たちだったと考えられている。

異変に気づいた周囲の密告か。あるいは遺体の損傷が遺族や検視の過程で発覚したのか。詳しい発覚の経緯は判然としない。ともかく明治44年4月21日夕刻、久花熊太郎は佐世保警察署に逮捕された。

報じたのは地元紙だけではない。遠く離れた樺太(現在のサハリン)で発行されていた「樺太日日新聞」までもが、この猟奇事件を取り上げた。明治44年4月9日付の紙面に掲載したという記録が残っている。

全国紙が発達しきっていなかった時代だ。九州の火葬場での猟奇事件が、遠く北方の新聞にまで転載された。その事実そのものが、この事件が当時いかに衝撃を持って受け止められたかを物語っている。

この話がネットへ出てきた道すじ

この事件が現代のオカルト系まとめサイトや都市伝説サイトで語られるようになった経緯を辿る。すると直接のきっかけは、今回照合対象となった「明治怪奇録9選」のような記事群にあるとみられる。明治期の猟奇・怪奇事件を9つ選んでまとめる、あの形式だ。

こうしたまとめ記事は「怪奇度」を星の数で示す。並ぶのは「呪術や食糧難が背景」「貧困や迷信が異常な行為の噂を生んだ」といった一行。いかにも都市伝説めいた抽象的な説明を添えているのが特徴だ。

しかし今回の調査で明らかになったのは、こういうことだ。この話の記述には固有名詞も具体的な人物名も一切なく、史実としての裏付けを欠いた「伝説・噂」レベルの紹介文にとどまっているという点である。

一方で、実際にウェブ上を掘り下げると、別の像が浮かぶ。この星4つの怪奇事件が示唆する史実そのものは、プレジデントオンライン等で紹介されている「久花熊太郎事件」ではないか。明治44年、長崎県佐世保市。その可能性が極めて高いことが判明した。

発生年(明治44年=1911年)と発生地(長崎県)が完全に重なる。火葬場の隠亡が人肉を切り売りしたという内容も一致する。

つまり「明治怪奇録9選」側の紹介文は、実在する新聞報道に基づく事件を土台にしている。そこから具体的な固有名詞をすべて削ぎ落とした。残したのは「呪術」「食糧難」といった扇情的な修飾だけ。そうやって都市伝説的に再パッケージしたものである可能性が高い。

ちなみに、ネット上でこの手の「明治の猟奇事件まとめ」がバズり始めたのは、2010年代後半から2020年代にかけてだ。国立国会図書館のデジタルコレクションが充実した時期でもある。古い新聞の記事見出しをスクリーンショットで紹介するツイート・ブログが増えた時期と重なる。

人肉食・臓器売買にまつわる明治期の事件は、猟奇史・都市伝説界隈で扱いやすい。「意外と知られていない闇」として繰り返し取り上げられる定番ネタになっている。

混ざる話、すり替わる話

この種の話には、しばしば混同・混線が生じている。正直、まとめを流し読みしていると、どれがどの事件だったか分からなくなる。特によく参照されるのが、明治35年(1902年)に東京・麹町区で発生した「臀肉事件」(野口男三郎事件)である。

これは11歳の少年が殺害され、臀部の肉を四寸(約12センチ)ほど椀状にえぐり取られていたという事件だ。犯人はハンセン病を患う同居人を治療するため、切り取った肉からエキスを作り鶏肉のスープに混ぜて飲ませていたとされる。

舞台が東京であり、火葬場でもなく、被害者も存命中の少年である。その点で佐世保の事件とは全く別の事件だ。ただ「人肉を臀部から切り取る」「難病治療のため」という共通項がある。だからまとめサイトや個人ブログではしばしば両者が混同され、あるいは意図的に合成されて語られることがある。

さらに1938年には愛知県で、同様にハンセン病患者が「人肉、特に生き肝が効く」という迷信を信じた。子どもを殺害し生肝を奪う事件が発生し、犯人は事件後に自殺したという記録もある。

こうした事件が繰り返し起きていた背景を辿ると、闇の民間療法に行き着く。人肉・人骨・内臓を「生首の黒焼き」などに加工して、肺病やハンセン病の特効薬として売買する商売だ。これが江戸期から昭和40年代(1960年代)に至るまで、地域によっては根強く存在し続けていたという事実がある。

「火葬場人肉切売り事件」はこの巨大な迷信・闇取引の系譜の中の一エピソードとして位置づけることができる。

またオカルト系サイトの中には、八丈島の火葬場での「謎の人骨7体分」発見事件を引き合いに出すものもある。令和に入ってから発覚した話で、こちらは死体遺棄・行政上の扱いのミスなど別種の事件だ。「火葬場×人骨」というモチーフ自体が繰り返し都市伝説的な想像力を刺激してきたと指摘する声もある。

また群馬県桐生市で起きた「桐生火葬場事件」のような例もある。地名と「火葬場事件」というワードの組み合わせだけで検索がヒットしてしまう。無関係な事件と取り違えられるケースも散見される。

どこで読まれ、どう受け取られたか

プレジデントオンラインに、この事件を扱った記事が載っている。戦前の日本では「人肉の刺身」が食べられていた、という見出しだ。明治・大正期の新聞が報じた「死体損壊事件」の意外な背景を追う、という中身になっている。

この記事は久花熊太郎事件を含む複数の人肉関連事件を、当時の新聞記事の見出しや紙面の雰囲気を交えながら紹介している。「人間の生き肝や脳味噌が万病に効く」という当時の迷信の根深さを詳述している。

この記事は公開後、SNS上で拡散された。「戦前の日本、思っていたより怖い」「人肉が薬になるという迷信が普通に信じられていたことに驚愕」といった反応が並んだ。いまでは明治・大正期の猟奇事件系まとめの定番引用元になっている。

現代メディア、つまり現代ビジネスが扱った野口男三郎事件の記事でも、当時の報道の生々しい描写がそのまま引用されている。その一節がこれだ。「なんと惣助の顔面には眼球がなく、鋭利な刃物で目玉をくりぬかれた痕跡があること、さらに尻の肉が4寸ほどの鋭利な刃物でお椀状に丸く切り取られていた」。

コメント欄や引用ツイートでは「令和の感覚では想像もつかない猟奇性」「当時の新聞は今より遠慮なく書いていた」という声が目立つ。

個人ブログ「ゆかしき世界」も同種の迷信を扱っている。「難病の薬として人肉が効く」という俗信が、昭和40年代まで全国各地で摘発事例として続いていた。そのことをまとめており、読者からは「つい最近まで実際にあった話というのが一番怖い」という感想が寄せられている。

掲示板が食いついたのは猟奇性ではない

5chや旧2ちゃんねる系のオカルト・都市伝説板、あるいはおーぷん2chの過去ログを覗いてみる。「戦前猟奇事件まとめ」「明治人肉迷信」といったスレッドが定期的に立てられている。その中で佐世保の火葬場事件や麹町の臀肉事件がセットで紹介される傾向がある。

返ってくる反応が、また面白い。「隠亡という仕事自体が差別的な扱いを受けていたことがそもそも闇」。「山奥の火葬場で夜通し一人きりというシチュエーションがすでにホラー」。書き込みの多くは、事件の猟奇性そのものよりも当時の社会構造・労働環境への言及に発展することが多い。

また考察系YouTubeチャンネルの中にも、この種の事件を紹介する動画がある。「都市伝説として語られる明治の闇」という切り口だ。概要欄には「史実の裏付けが薄い部分もあるため鵜呑みにしないように」という注意書きが添えられていることが多い点も特徴的だ。

現場だった山と、その後の街

事件現場とされる長崎県佐世保市の小佐世保・白木山一帯は、現在では住宅地や公園として整備が進んでいる。当時火葬場があった痕跡を直接確認することは難しい。

長崎県は幕末以来、出島を通じた対外交流の窓口として独自の文化的土壌を持つ。佐世保のほうは、明治期に旧日本海軍の鎮守府が置かれたことで急速に発展した軍港都市でもある。急激な人口流入と貧富の格差拡大が、こうした闇の民間療法・人肉取引が入り込む土壌を作った一因とも指摘されている。

関連事件は、前述の野口男三郎事件(東京・麹町)、1938年の愛知県の事件、そして令和の八丈島火葬場人骨事件だ。いずれも「火葬・遺体・人里離れた施設」という共通のモチーフを持つ。その点で、日本の都市伝説史における「火葬場もの」の系譜を形成している。

明治44年の「火葬場人肉切売り」を検証する

1911年の長崎県で火葬場の人肉を切り売りした事件があったという話は、近代の猟奇事件集に繰り返し現れる。しかし、現在流通する再話では、火葬場名、被疑者、逮捕容疑、判決が省かれている。死体から脂肪を取り薬として売った、外国人へ食材として渡したなど筋が分かれる。まず当時の新聞と司法記録へ戻る必要がある。

明治末の火葬場では、焼骨を拾う作業、残灰の処理、金属製副葬品の回収などが行われた。遺体の一部を持ち出したという容疑と、食用の肉を販売したという見出しは意味が違う。「人肉」という語が人体由来の何を指したか、記事原文を確認しなければならない。

当時の民間薬では、人骨、頭髪、動物性材料に効能があるという俗説が流通したことがある。一方、それが公認された一般的医療だったわけではない。一つの事件から長崎の火葬従事者全体が遺体を売っていたと広げることはできない。職業への差別や被差別地域の偏見と結びついた報道だった可能性にも注意が要る。

「切売り」という言葉が、金銭を得て反復した行為を示すのか、一度の持ち出しを新聞が誇張したのかも論点になる。押収量、購入者、代金、用途が判決で認定されたかを追いたい。容疑者の供述だけで、買い手が実際に食べたと断定することもできない。

火葬場に残る遺体や焼骨は、故人と遺族の尊厳に関わる。事件を怖くするため、架空の解体手順、味、料理法を加えるべきではない。現代の火葬場内部を無断撮影し、明治の事件現場として使うことも、現在の利用者と職員への迷惑になる。

念のため書いておくと、同時代新聞の猟奇記事には、初報が後日訂正された例や、別県の記事が転載時に地名を変えた例もある。長崎県内のどの郡市か、明治44年の何月かを絞り、複数紙で続報を探したい。OCR検索では旧字体や「屍肉」「死肉」「焼場」など語を変える必要がある。

事件の罪名も整理しておきたい。墓地埋葬等に関する法令、死体損壊、窃盗、詐欺のどれが問題になったか。そこは現在の法律を遡って当てはめず当時の法令で確認する。逮捕されたことと有罪判決を受けたことも分けて記載したい。

原資料が見つからない場合はどうするか。年と県名を確定情報として残すより、「明治末の新聞由来とされる出典未確認の事件」と明記する方が正確である。火葬の禁忌と人肉への恐怖が結びついた物語として検討する。そのうえで、実在した職員や地域を根拠なく犯罪者扱いしないことが最低限の線になる。

長崎には外国人居留地や医学校があったため、異国の医師や解剖研究へ結びつける派生も生まれやすい。しかし外国人が買ったという主張には、氏名、所属、取引記録が必要である。土地の国際性だけを秘密実験の証拠にせず、当時の医療機関の記録と照合したい。

タイトルとURLをコピーしました