相模原障害者施設殺傷事件(津久井やまゆり園事件)

2016年7月26日未明、神奈川県相模原市緑区にある知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で、元職員の男が入所者19人を刺殺し、職員を含む26人に重軽傷を負わせるという事件が起きた。単独犯による殺人事件としては戦後日本で最多の犠牲者数を記録し、しかも犯人が「意思疎通のできない障害者は不要である」という優生思想に基づく主張を臆面もなく展開したことで、事件は単なる猟奇的殺人としてではなく、日本社会が抱える障害者観そのものを問い直す出来事として長く記憶されることになった。

事件までの道のり——一人の青年はなぜ凶行に至ったのか

犯人は1990年、図工教師の父と漫画家の母のもとに一人っ子として生まれた。友人たちの証言によれば、子どものころから絵や工作が得意で、教員を志して帝京大学教育学部に進学し、小学校教諭の免許も取得している。しかし在学中から素行に変化が生じ、大学3、4年ごろには刺青を入れ、大麻に手を出すようになったと指摘されている。2012年に大学を卒業した後、教員採用試験は受けずに、同年12月から津久井やまゆり園で介護職員として働き始めた。 施設で働くうちに、彼の中で「重度障害者は生きている意味がない」という考えが徐々に先鋭化していったとされる。

同僚らの証言では、入所者に対して乱暴な発言をすることがあったといい、次第に「障害者は不幸を生む」「安楽死させるべきだ」という主張を周囲に漏らすようになった。2016年2月、彼はついに衆議院議長公邸を訪れ、障害者を殺害する計画を記した手紙を職員に手渡すという行動に出ている。手紙には具体的な人数への言及や、実行後に自首する意思などが記されており、周囲は強い衝撃を受けた。この一件を受けて彼は措置入院となったが、担当医は大麻精神病性障害やパーソナリティ障害を疑いつつも、約12日間の入院で退院を許可してしまう。退院後、彼は失職し、大麻の使用も継続していたとみられ、思想はむしろ先鋭化していった。

彼が心酔していたとされるのが、当時のアメリカ大統領選候補者による過激な発言や、ネット上に流布していた優生思想的な言説であり、こうした情報に触れる中で「自分が世界を変える存在になる」という誇大な使命感を募らせていったと指摘されている。 この動機について本稿ははっきりと立場を示しておきたい。意思疎通の可否や障害の重さによって人間の生きる価値に優�劣をつけるという発想は、事実の指摘としてここに記す以外のいかなる意味においても是認できるものではない。

障害の有無にかかわらずすべての人間には等しく生きる権利があるという近代社会の根本原則に真っ向から反する主張であり、この記事はその思想を事件の背景事情として紹介するに留め、断じて共感や称揚の対象とはしない。

2016年7月26日未明——凶行の時系列

犯行当日、彼は深夜に自家用車で施設に向かい、日付が変わって間もない時間帯に敷地内に侵入した。施設の窓ガラスを割って建物内に入り込み、就寝中の入所者が集団生活を送る各居室を回った。午前2時38分、施設から「刃物を持った男が暴れている」という趣旨の119番・110番通報がなされている。彼は複数の刃物を用意しており、抵抗できない状態で眠る入所者を狙って次々と手にかけていった。物音に気づいた職員を結束バンドで拘束するなどして行動の自由を奪い、通報や制止を困難にしていたことも捜査で明らかになっている。

犯行後、彼は現場からいったん立ち去り、自身のSNSに事件をほのめかすような投稿を残した上で、午前3時過ぎに津久井警察署に自ら出頭し、「私がやりました」と申告して身柄を確保された。届け出から出頭・身柄確保までは2時間に満たない短時間の出来事であり、その間に19人の命が奪われ、26人が傷を負うという凄惨な結果を招いた。 死亡した19人は男性9人・女性10人、19歳から70歳までの入所者であった。負傷者は職員を含む26人にのぼり、多くが刃物による刺創や切創で、一部は生死に関わる重傷を負っている。本稿では、犠牲者となった方々の氏名や個々の人柄、生活の様子について立ち入って書くことは意図的に避ける。

それは彼らのプライバシーと尊厳を守るためであり、また遺族の多くが実名や詳細の公表を望んでいないという事情を尊重するためでもある。

捜査・起訴、そして裁判——争点は「責任能力」

身柄を確保された犯人は当初殺人未遂容疑で逮捕され、その後、被害者の死亡が相次いで確認されるにつれて容疑は殺人罪に切り替えられていった。捜査段階では、女性9人の殺害容疑、男性9人の殺害容疑と段階を分けて再逮捕が繰り返され、同時に多数の殺人未遂や逮捕監禁致傷の容疑についても立件が進められた。2017年に入ると、精神鑑定のための鑑定留置が実施され、大麻の慢性使用による影響や自己愛性パーソナリティ障害の傾向が指摘されたものの、犯行時の是非弁別能力や行動制御能力には問題がなかったとする結論に至り、同年2月、検察は殺人罪19件、殺人未遂罪24件などで起訴した。

起訴から初公判までは異例の長期間を要し、約3年にわたる公判前整理手続を経て、2020年1月に横浜地方裁判所で裁判員裁判の審理が始まった。最大の争点は、大麻精神病などによる心神喪失・心神耗弱を主張する弁護側と、完全な責任能力があったとする検察側との対立であった。初公判では被告が謝罪の言葉を述べた直後、自らの指を噛みちぎろうとする行動に出て法廷が一時混乱するなど、公判は当初から異様な緊張感に包まれた。被告人質問では、「意思疎通のできない重度障害者は不幸を生む」「税金の無駄を削減するために正しいことをした」といった趣旨の発言を繰り返し、遺族や社会に強い衝撃と怒りを与えた。

2020年3月16日、横浜地裁は被告の完全な刑事責任能力を認定した上で、検察の求刑通り死刑を言い渡した。弁護人は控訴したが、被告本人がまもなく控訴取り下げの意思を明確にし、同年3月末をもって一審判決が確定した。その後、拘置先の東京拘置所から再審請求が行われたものの、裁判所はこれを退けている。

社会に何を残したか——制度の欠陥と匿名報道をめぐる模索

この事件が明らかにしたのは、措置入院制度の運用における深刻な欠陥であった。犯人は事件の約5カ月前、障害者殺害を予告する内容の手紙を国会議員に提出したことを契機に措置入院となったが、退院後の医療・生活支援体制が整わないまま、わずかな入院期間で社会に戻された。この反省を踏まえ、厚生労働省は退院後支援計画の策定を義務づける精神保健福祉法の改正案を国会に提出したが、「本人の同意なき情報共有が監視につながりかねない」とする障害者団体などの強い反対に遭い、法案は複数回にわたって廃案となった。措置入院制度の在り方をめぐる議論は今なお決着を見ておらず、精神医療と人権保障のバランスをどう取るかという難題を社会に突きつけ続けている。

もう一つ大きな議論を呼んだのが、被害者の実名報道の是非である。神奈川県警は当初、遺族の意向を踏まえて被害者全員を匿名で発表するという、大規模事件としては極めて異例の対応をとった。この判断の背景には、障害を理由に社会から見下されることを恐れる遺族の思い、逆に「娘が生きた証を残したい」として実名公表を望む遺族の思いなど、立場によって大きく異なる感情があった。実際に、19歳で亡くなった女性の母親が「娘の名前を心に留めておいてほしい」という手記を公表したことをきっかけに、裁判は第3回公判から一部で実名審理に切り替わるなど、匿名か実名かという単純な二者択一では捉えきれない、遺族一人ひとりの複雑な思いが可視化されることとなった。

この事件を境に、大規模事件における被害者情報の公表のあり方――集団としての匿名性を守りつつ、個としての存在をどう記録するか――は、その後の事件報道においても繰り返し参照される論点になっている。

ネットの反応、獄中結婚という異例の出来事

事件発生直後、インターネット上では犯人への強い非難が広がる一方で、一部の匿名掲示板やSNSにおいて彼の主張に部分的に同調するかのような書き込みが見られたことも事実として記録されている。こうした反応は障害者団体や有識者から強く批判され、優生思想の残滓が現代社会にもなお根深く存在することを示す事例として、繰り返し議論の的となった。共同通信が事件から1年後に遺族らを対象に行った調査では、回答した家族の約7割が「障害者を取り巻く環境が事件後に悪化したと感じる」と答え、その具体的な内容としてインターネット上の中傷、施設職員への不安、精神障害者への偏見の高まりなどが挙げられている。

死刑確定後には、彼が拘置先で獄中結婚をしたことが報じられ、大きな驚きをもって受け止められた。相手はかつて性暴力被害を経験し障害を抱える女性で、面会を重ねる中で関係を深めたとされる。死刑確定者の婚姻は面会制限を実質的に緩和する手段として過去にも例があるとされ、この一件も単なる私的な出来事としてではなく、死刑制度と拘置運用の制度的な隙間を映す事例として報じられた。

追悼と再建の歩み

事件現場となった津久井やまゆり園は、2016年9月に全面建て替えの方針が示され、入所者はいったん横浜市内の仮施設に移った上で、2021年8月に防犯カメラや強化ガラスなど安全対策を大幅に強化した新施設として再開している。園では毎年7月26日前後に犠牲者を悼む式典が営まれ、遺族や関係者、地域住民が集い、静かに祈りを捧げる時間が持たれている。2021年には東京パラリンピックの聖火の採火地の一つに選ばれるなど、事件の記憶を悼みつつ共生社会の理念を発信する試みも続けられてきた。

現在の見方

事件から10年近くが経過した現在も、この事件は「優生思想がなぜ現代に再燃したのか」「精神医療と犯罪予防はどう両立させるべきか」「大規模事件における被害者の匿名性と尊厳はどう守られるべきか」という、いずれも簡単には答えの出ない問いを社会に投げかけ続けている。犯人の発言をきっかけに、多くの障害者団体や当事者が自らの言葉で「共に生きる」ことの意味を発信し直す契機にもなった。悲劇そのものを美化することは決してできないが、事件をきっかけに障害者の地域生活支援や虐待防止の議論が改めて前進した側面もあり、犠牲者一人ひとりの命の重みを忘れずに制度を見直し続けることこそが、この事件から社会が学び取るべき最大の教訓だといえる。

津久井やまゆり園事件を「異常者の犯行」で終わらせない

2016年7月、神奈川県相模原市の障害者支援施設・津久井やまゆり園へ元職員の男が侵入し、入所者19人を殺害、多数を負傷させた。男は逮捕され、横浜地裁の裁判員裁判で死刑判決を受け、控訴を取り下げたため確定した。日本の犯罪史上でも被害の大きい事件だが、数字だけで被害者を一つの集団として扱うべきではない。

加害者は重い障害のある人の命を否定する優生思想を語り、事件前に衆議院議長公邸へ犯行を示唆する文書を持参していた。警察の対応後、措置入院となった時期もある。しかし精神疾患があったから優生思想を持った、退院したから犯行が起きたと単純化できない。裁判では責任能力、薬物使用、犯行計画などが審理された。

事件を「意思疎通できない人を安楽死させた」と表現することは、加害者の主張を繰り返す。入所者にはそれぞれ生活史、好み、家族や支援者との関係があった。言葉による表現が限られることと意思がないことは同じではない。障害の程度を他人が命の価値へ置き換えること自体が、事件の背景にある差別とつながる。

刑事裁判では、被害者の氏名の多くが匿名で扱われた。家族が匿名を選んだ背景には、障害への偏見や報道被害への懸念もあった。一方、実名で生きた証しを伝える選択をした家族もいる。記事が一律に氏名を掘り起こしたり、匿名だから存在を省いたりせず、家族と本人の尊厳に配慮する必要がある。

事件後、園の建替えや小規模化、地域生活への移行が議論された。大規模施設を再建すれば安全か、地域で暮らせばすべて解決するかという二択ではない。本人がどこで誰と暮らしたいか、支援体制や防犯をどう整えるかを考える必要がある。事件現場を保存すべきかという議論も、入所者、家族、地域で受け止めが異なる。

加害者の発言を長く引用し、顔写真や法廷での態度を反復すると、差別的な主張へ新たな舞台を与える。事件を扱う際は、判決が認定した事実、行政の検証、障害当事者や家族の声を中心に置きたい。精神障害のある人一般を危険視する説明も、重度障害者の生を哀れみだけで描く説明も避けるべきである。

この事件は過去の施設内犯罪だけでなく、社会に残る優生思想を問う。SNSの「生産性」や介護負担の議論に、命を選別する言葉が入り込んでいないかを見直す必要がある。被害描写を増やすのではなく、誰も排除されずに生きるための支援と権利保障へつなげることが、事件を記録する意味になる。

参照:神奈川県「津久井やまゆり園事件」https://www.pref.kanagawa.jp/docs/dn6/cnt/f535096/

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