「かってうれしいはないちもんめ/まけてくやしいはないちもんめ」。校庭や公園で、子どもたちが二列に分かれ、手をつないで前へ後ろへ。「あの子がほしい」「あの子じゃわからん」「相談しよう」「そうしよう」。指名された子がじゃんけんをして、負けたら相手の列へ移る。誰もが遊んだ、あの「はないちもんめ」。だが、その歌詞の意味を知ったとき、子どもたちの手をつなぐこの遊びが、まったく別の、寒気のする光景に見えてくる。二列に分かれた大人たちが、子どもを一人ずつ「値踏み」して、買っていく光景に。
物語(怖い解釈)の完全再話
はないちもんめの「怖い解釈」の核心は、この遊びが人身売買――とりわけ貧しい家の子どもの身売りを模したものだ、という説である。「はないちもんめ」の「一匁(いちもんめ)」は、かつての重さと金銭の単位。花一匁ぶんの、ごくわずかな値段。つまり「花いちもんめ」とは、「花のように可憐な子どもが、たった一匁の安値で取引される」情景を歌ったものだ、と解釈される。 この読みに立つと、遊びの一つひとつの所作が、身の毛のよだつ意味を帯びてくる。「かってうれしい」の「かって」は、勝負の「勝って」ではなく、子どもを「買って」うれしい、という買い手の喜び。
「まけてくやしい」の「まけて」は、負けたのではなく、値段を「負けて(値引きして)」売らねばならなかった、貧しい親の悔しさ。「あの子がほしい」は、そのまま人買いが商品の子を選ぶ声。「相談しよう、そうしよう」は、いくらで手を打つかの価格交渉。じゃんけんで負けて相手の列へ移る子は、売られて連れて行かれる子ども。手をつないで前後に揺れる二列は、売る側と買う側が向き合う、取引の場そのもの――。無邪気な遊戯の下に、飢饉や貧困のなかで子どもを手放さざるをえなかった時代の、暗い記憶が塗り込められている、というのだ。
発祥・地域差・初出
はないちもんめは、江戸期以前にさかのぼるとされる古いわらべ歌・遊戯で、全国に驚くほど多くの歌詞のバリエーションが存在する。「たんすながもちどのこがほしい」「あの子がほしいあの子じゃわからん」「ふるさともとめてはないちもんめ」など、地域によって間に挟まる歌詞がまるで違う。これは、この遊びが特定の作者を持たず、各地の口承のなかで自在に変異してきた証拠である。 「人身売買説」は、この古い歌に後世が与えた解釈の一つだ。学術的に確定した起源ではなく、あくまで有力な俗説である点は押さえておきたい。だが、この説が広く信じられるのには理由がある。
かつての日本では、飢饉や貧困のたびに、子ども――とりわけ女の子――が奉公や身売りに出されることが現実に存在した。「一匁」という卑小な値付け、選び・値切り・引き渡すという遊びの構造は、そうした歴史の記憶と不気味なほど符合する。だからこの解釈は、単なる作り話としてではなく、「ありえたかもしれない過去」の手触りをもって、子どもたちの背筋を凍らせてきた。学校では、この「実は怖い意味」が、上級生から下級生へ、あるいは家庭で祖父母から孫へと語り継がれてきた。
遊女の身売り説
人身売買説の亜種に「遊女説」がある。「花」を遊女の隠語ととり、はないちもんめを、遊郭へ売られていく娘たちの歌と読む解釈だ。「あの子がほしい」は妓楼の主が娘を選ぶ声、列の移動は籍を移されること。「花」という語の華やかさと、その裏の哀しさが結びつき、より生々しい人身売買のイメージを描く変異である。
神隠し・口減らし説
もう一つは「口減らし」型。貧しさゆえに養えない子を「間引く」「里子に出す」という、身売りより一段暗い解釈だ。じゃんけんで負けて連れて行かれる子は、二度と元の列(家)に戻れない。この型では、遊びの最後に人数が合わなくなる――どちらの列にも属さない、余分な一人が増えている、という学校怪談定番の「人数のずれ」モチーフと接続する語りもある。
体験談
体験談その一。 「祖母がこの遊びを嫌ってた。孫の私がはないちもんめを歌ってると、『それは子どもを売り買いする歌だから、うちではやめなさい』って真顔で止めた。祖母の世代には、実際に近所で奉公に出された子の話が身近にあったんだと思う。あの真剣な顔を思い出すと、今でもこの歌を軽く歌えない」 体験談その二。 「小学校で放課後にはないちもんめをやってたら、いつの間にか、どっちのチームにもいない女の子が一人、輪の外でこっちを見てた。古い服の子で、『あの子がほしい』って歌うたびに、少しずつ近づいてくる気がした。誰も知らない子で、じゃんけんの列に入れようとしたら、もういなかった。
あとで先生に、その校庭は昔なにかあった場所だと聞いた」 体験談その三。 「意味を知ったのは中学のとき。国語の先生が『はないちもんめの一匁は、ものすごく安い値段だ』って教えてくれて、あの『勝ってうれしい』が『買ってうれしい』かもしれないと知った瞬間、小さいころ楽しく歌ってた記憶が全部、色を変えた。私たちはずっと、子どもを値切って売り買いする真似をして、笑ってたのかって」
考察――遊びが記憶する暗い過去
はないちもんめの怖さは、幽霊でも祟りでもない。「自分たちが無邪気にやっていた遊びが、実は残酷な現実の再演だったかもしれない」という、認識の反転がもたらす戦慄だ。これはさっちゃんの都市伝説と同じ構造を持つが、はないちもんめの場合、背後にあるのが架空の心霊ではなく、実際にありえた社会の暗部であるぶん、より重い。子どもの遊びは、しばしば大人の世界の縮図を模倣する。ままごとが家庭を、鬼ごっこが狩りや捕縛を模すように、はないちもんめは「選び・値付け・引き渡し」という取引の所作を、そうとは知らずに繰り返させる。
学校という場は、こうした古い遊びを世代から世代へ受け渡す装置であり、同時に「この遊びには怖い意味がある」という解釈もまた、そこで受け渡されていく。無邪気さと残酷さが同じ所作のなかに畳み込まれている点で、はないちもんめは学校怪談のなかでも特異な、歴史そのものが怪談になった例である。
全国の類話
「わらべ歌の隠された怖い意味」という系譜に、はないちもんめは「かごめかごめ」「とおりゃんせ」「あぶくたった」などと並ぶ。とりわけ「とおりゃんせ」の「行きはよいよい帰りはこわい」の神隠し・間引き解釈とは、子どもの消失というテーマで通底する。海外にも、疫病を歌ったとされる英語圏の「リング・ア・リング・オ・ローゼズ」のように、無邪気な子どもの遊び歌に暗い起源を読む伝承は広く存在する。はないちもんめは、その日本における最も身近で、最も遊ばれ続けてきた代表例である。
はないちもんめの「人身売買説」は、確定した史実ではなく解釈であることを、まず明確にしておく必要がある。歌詞のバリエーションは全国で膨大に分岐しており、「花いちもんめ」という語句自体、花の売買を模した売り買い遊びに由来するという穏当な説も有力だ。「勝って/買って」「負けて/値引きして」の掛詞的な読みは、後世に付与された解釈として広く流布したものである。 確度コード=S3/S5。
わらべ歌としての「はないちもんめ」が全国に古くから分布し、多数の歌詞変異を持つことは確認できる(S3)。一方、「人身売買を歌った」「遊女の身売りだ」という解釈は俗説であり、特定の起源を史実として断定する根拠は乏しい(S5)。この題材の価値は、真偽の確定ではなく、「無邪気な遊びに暗い意味を読み込む」という文化そのものの生々しさにある。
実在の被差別・貧困の歴史を軽々しく怪談の刺激として消費しないよう、あくまで解釈史として扱うのが妥当である。
参考: はないちもんめ|Wikipedia/「花いちもんめ」の悲しくて怖い裏話(ひまわり日本のうた)/[はないちもんめの意味は怖い?
人身売買の都市伝説(notecrux)](https://notecrux.com/hanaichimonme/)
歌より先に遊び方を見る
はないちもんめは、向かい合った二組が歌いながら前後に進み、相談して相手側から欲しい子を指名し、じゃんけんで仲間を移す集団遊びである。京都のわらべうたを紹介する資料でも「子もらいあそび」と分類される。この「子をもらう」という遊びの構造が、後年の人身売買説をもっともらしく見せた。
しかし、遊びの中で人を選ぶことと、歌詞が実際の奴隷取引を記録したことは同じではない。じゃんけんの勝敗で両陣営の人数が動き、最後には一方へ集まる。子どもは売買の値段を交渉しているのではなく、歌と問答を使って次の勝負相手を決めている。
古い採録では地域によって歌詞と旋律が異なる。「勝ってうれしい」「負けて悔しい」のほか、町名、花の名、誰を欲しいかの尋ね方が変わる。一つの現在形だけを原歌詞として、そこから暗号を解く方法では、長い口承の変化を捉えられない。
「一匁」は値札なのか
匁は重さや銀貨の単位として使われたため、「花を一匁で買う」「子どもに値段を付ける」歌だという解釈が生まれた。だが、歌の「花」が商品なのか、遊びに参加する子の比喩なのか、語調を整える語なのかは確定していない。「ふるさとまとめて花いちもんめ」など、売買の状況へ直訳しにくい異文もある。
わらべうたには、意味より音の面白さで残った語、時代が変わって意味を取りにくくなった語が多い。現在の子どもが匁を知らないことは、秘密の犯罪語だった証拠にならない。古語をすべて具体的な値段へ戻すなら、どの時代の貨幣制度と地域の取引慣行に合うかまで示す必要がある。
人身売買、遊郭への身売り、飢饉の口減らしを起源とする説には、歌詞を直接その制度へ結ぶ同時代史料が見つかっていない。貧困や身売りが歴史上実在したことを挙げても、この歌の起源証明にはならない。
選ばれる喜びと残される痛み
遊びには、欲しい子として名前を呼ばれる喜びがある一方、最後まで呼ばれない不安もある。人数が減れば、注目されている子と孤立する子がはっきりする。怖い解釈が広まる背景には、売買の記憶より、子ども自身が遊びの中で感じる選別の緊張があるのかもしれない。
この側面は、遊びを禁止すれば解決する問題ではない。誰を選ぶかで容姿、人気、運動能力をからかったり、同じ子だけを避けたりすれば、わらべうたとは別にいじめになる。大人が遊びを紹介するときは、人数や選び方を調整し、参加したくない子へ無理強いしない配慮が要る。
反対に、暗い起源説を事実として教えると、実際の被差別や貧困の歴史を怪談の驚きへ変えてしまう。歴史を学ぶなら、当時の法令、契約、生活記録を用い、歌詞の想像とは分けたい。
採録資料から見える広がり
国立情報学研究所のCiNii Booksでは、戦後の『わらべ唄110曲集』に京都の「花いちもんめ」が収録されていること、近年の京都の資料で子もらい遊びとして紹介されることを確認できる。別の音楽教材では、和歌山など各地のわらべうたとして編曲されている。これは全国に同じ歌詞が一斉に作られたのではなく、地域の歌と遊びが採録・放送・教材化を通じて共有された過程を示す。
起源を調べるなら、古い本に曲名があるだけで終えず、歌詞、旋律、遊び方、採録地、採録年を比べる。後年のレコードやテレビで標準化された歌詞を、江戸時代から不変の形と見なさないことが大切である。
はないちもんめに確かに残っているのは、二組が掛け合い、仲間を選び、勝負する遊びである。人身売買説は現代の暗い解釈として記録できるが、史実の起源欄へ置くには証拠が足りない。
歌詞を比較するときの単位
「あの子が欲しい」「相談しましょう」という句が同じでも、歌の前半、足運び、勝負方法が違えば別系統の可能性がある。学校で覚えた歌、祖父母から聞いた歌、放送やレコードで覚えた歌を一つの地域版として混ぜない。採録者は、一人の記憶か、実際の遊びを観察したのかも記す必要がある。
旋律は文章の検索だけでは比較できない。同じ歌詞でも音の高さ、拍、掛け声の位置が異なる。楽譜や録音の所蔵資料があれば、歌詞だけのウェブ記事より多くの変化を確認できる。戦後の教材で整えられた旋律が全国へ広まり、古い土地の歌に上書きされた可能性もある。
起源を一つへ決めるより、いつの資料にどの型があるかを並べる方が確実である。その作業によって、人身売買説が古い採録にも書かれているのか、近年の解説だけに現れるのかも見えてくる。
参照:CiNii Books『いっしょにうたいまひょ―京のわらべうた』https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB26411078
参照:CiNii Books『わらべ唄110曲集』https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA8391225X
参照:CiNii Books『童謡・わらべうたの言葉とこころ』https://ci.nii.ac.jp/ncid/BC01561599
参照:光華女子大学リポジトリ「『花いちもんめ』としての心理療法」https://koka.repo.nii.ac.jp/record/145/files/d48_03_tokuda.pdf
