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第5話 橋を渡るな。数を渡せ

※本記事は実話・体験談・聞き書き・現地の伝承をもとに、読み物として脚色を加えた怪談です。危険な場所への無断立入・夜間侵入・迷惑行為は行わないでください。

連載怪談「神流湖(琴平橋)— 網に残る鈴の音 —」

第5話 橋を渡るな。数を渡せ:連載怪談「神流湖(琴平橋)— 網に残る鈴の音 —」 僕らは、逃げるように慰霊碑へ向かった

僕らは、逃げるように慰霊碑へ向かった。
 夜のダムサイトは人の気配がない。管理所の灯りも遠い。
 慰霊碑の前に立つと、空気が少しだけ“乾く”。湖の匂いが薄まる。
 ここはまだ、弔いの場所で、罠の場所ではない――そう信じたかった。

 Tが膝をつき、震える指で鈴を持ち上げた。
「これ、返せばいいのか?」
 僕は答えられない。
 返す、戻す、帰す――その全部が危ない単語に聞こえる。

 僕は代わりに、手帳を取り出し、ペンで書いた。
 八本の線。
 そして、九本めの線を引きかけて、止めた。

第5話 橋を渡るな。数を渡せ:夜のダムサイトは人の気配がない

 弔いの数は八。
 つながりの数が九なら、九本めは“僕ら”だ。
 僕らがここに線を足せば、橋は十を数え始める。
 十から先は――“戻る数”。

 Tが嗚咽を漏らした。
「じゃあ、どうすればいい……」
 僕は思い出す。公式の言葉。
 献花と焼香。感謝。無事故と無災害を誓う。
 弔いは、数えるためじゃない。
 区切るためだ。ここまでを、ここで終わらせるための儀式だ。

 僕は花を買っていなかった。線香もない。
 けれど、できることはある。

第5話 橋を渡るな。数を渡せ:僕は代わりに、手帳を取り出し、ペンで書いた

 僕はTの手から鈴をそっと受け取り、ポケットからスマホを取り出した。
 録音アプリを立ち上げ、昨夜の橋の音――鈴の音が入ったデータを、最大音量で再生した。

 チリン。チリン。
 慰霊碑の前で、橋の鈴が鳴る。
 この場所に“橋”を持ち込む。
 すると、湖の糸がここまで伸びてくる。

 Tが叫ぶ。
「何して――」
 僕は首を振り、指を口に当てた。
 返事はしない。
 代わりに、僕は黙ったまま、頭を下げた。深く。何度も。
 言葉を使わずに、感謝と区切りを作る。

第5話 橋を渡るな。数を渡せ:弔いは、数えるためじゃない

 鈴の音が乱れる。
 チリン、チリン、チリン――早鐘みたいに。
 まるで、糸が引きちぎられそうに暴れる。

 僕は、鈴を慰霊碑の前に置いた。
 置く、という行為だけ。返すとも戻すとも言わない。
 そして、スマホの再生を止めた。

 静寂が落ちた。

第5話 橋を渡るな。数を渡せ:僕はTの手から鈴をそっと受け取り、ポケットからスマホを取り出した

 ……数秒後。
 慰霊碑の花立ての水が、同時に揺れた。
 風もない。地震でもない。
 八つが、同じタイミングで。

 その揺れの中で、ひとつの花立てだけ、水面に小さな泡が浮かんだ。
 ぷつ、ぷつ、と泡が弾けて、最後に――チリン、と、極小の音がした。

 僕は目を閉じた。
 聞こえたのは鈴ではない。
 糸が切れる音だった。

第5話 橋を渡るな。数を渡せ:僕は首を振り、指を口に当てた

 Tが肩で息をしながら、震える声で言った。
「……軽くなった」
 彼の顔色が少し戻っている。
 僕は頷いた。
 終わったのかもしれない。終わったと思いたい。

 帰り道、僕らは琴平橋を避けた。
 避ける、という行為だけ。渡らない。
 橋は“かえりみち”を渡してくれると言った女の声が、まだ耳に残っていた。

 数日後。
 Tから、一本の動画ファイルが送られてきた。
「編集した。公開はしない。君にだけ見せる」
 僕は再生した。

第5話 橋を渡るな。数を渡せ:そして、スマホの再生を止めた

 映像は、慰霊碑の前で頭を下げる僕の背中。
 音声は、ほぼ無音。
 けれど最後の数秒、画面が暗転する直前に――

 チリン。

 鈴が鳴る。
 しかもそれは、慰霊碑の前の鈴ではない。
 橋の鈴でもない。
 もっと近い。
 まるで、再生している僕の部屋の中で鳴ったみたいに。

第5話 橋を渡るな。数を渡せ:Tが肩で息をしながら、震える声で言った

 僕はヘッドホンを外し、息を止めた。
 部屋は静かだ。
 ……なのに、机の端に、小さな影がある。

 真鍮の鈴。
 新しい光。
 白い札。
 墨で書かれた数字。

 「一」

第5話 橋を渡るな。数を渡せ:橋は“かえりみち”を渡してくれると言った女の声が、まだ耳に残っていた

 その下に、小さな字が滲む。

 ――「かえりみち」

 僕は、返事をしなかった。
 ただ、鈴を掴まず、札も読まず、ライトを消して、窓を閉めた。

第5話 橋を渡るな。数を渡せ:君にだけ見せる」 映像は、慰霊碑の前で頭を下げる僕の背中

 暗闇の中で、鈴がもう一度だけ鳴った。
 チリン。
 それは、笑い声に一番似た音だった。

(終)

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