死を直接には言わない言葉が、なぜこれほど増えたのか
ネット上には「死因・死に方の表記の種類 一覧99種類」というエンタメ記事がある。先に言っておくと、ここで扱うのはあくまで言葉の話であって、死そのものを面白がる話ではない。
ネットスラングや掲示板文化の中で生まれた「死因の婉曲表現」は、一見ふざけたブラックユーモアのようにも見える。だが、その根っこには意外に深い言語文化が隠れている。そこでは、日本語が古くから持っていた「忌み言葉(いみことば)」の伝統と、インターネット特有のブラックユーモアが交差する。
忌み言葉という日本語の伝統
日本語には古くから「忌み言葉」という考え方がある。婚儀では「切る」「別れる」のような縁起の悪い語を避ける。訃報でも、死因や亡くなった状況を直接には言わず、もっとやわらかい表現に置き換えることがある。
相撲界で元力士の死因が「心不全」と公表される例が続くと、ネットではその言い回し自体が話題になる。死をぼかす言葉は昔からあった。ところが、匿名掲示板やSNSはそれを独特なスラングへと変えていった。
ネットスラングとしての死因婉曲表現
2ちゃんねるをはじめとする匿名掲示板文化で広まったのが、「急性ヘリウム中毒」という言い方だ。死を直接言わずに済ませるためのブラックユーモアだ。「声が高くなりすぎた」という冗談を挟む。重い話題をまともに口にしない言い方だ。
「力尽きた」は、活動を続けられなくなった企業や人物に使われる。「天に召された」は死を宗教的な言葉へ置き換える。報道の側にも「不慮の事故」のように、詳しい状況を伏せる表現がある。
形は違っても、直接言わないという点では昔の忌み言葉とつながっている。一方で、事故死を別の物にたとえる言い方もネットにはある。爆発事故を擬音のような言葉で呼ぶ表現もある。悲惨な出来事を直視せずに済む反面、実際の被害を娯楽に変えてしまう危うさもある。
書き込む側にはショックを弱めるための冗談でも、遺族や関係者にとっては侮辱になり得る。「言いにくいからぼかす」ことと「笑いの材料にする」ことは、はっきり分けて考えたい。
なぜ人は死を「ぼかす」のか
死を直接名指しするのを避ける感覚は、日本だけのものではない。英語圏には「pass away」や「go to a better place」という婉曲表現がある。仏教文化圏では「往生」という言葉が使われる。悪いことを口にすると本当に現実になりそうだ。日本では、そんな言霊の感覚も死を遠回しに語る習慣と結びついてきた。
心理学の側にも「恐怖管理マネジメント理論(Terror Management Theory)」という枠組みがある。直接的な死の想起を、人はどうしても避けようとする。そのとき心理的な不安を緩和する手段として、婉曲表現やユーモア化が機能している。そう説明する理屈らしい。
「急性ヘリウム中毒」のようなブラックユーモアは、古典的な忌み言葉とは逆の道を選んだ。あえて珍妙な表現で笑いに変換する、という方向だ。古い伝統とはまるで正反対のアプローチになる。それでも、果たしている目的は同じだとも言える。
SNSへ流れ込んだあとの、線引きの話
X(旧Twitter)やTikTokでは、訃報やニュースの死因表現を集めた投稿が話題になることがある。古い忌み言葉を知る入口にはなる。ただし、実際の事件や事故まで面白がれば、遺族への配慮を欠く。重い事実をどこまでやわらげて伝えるか。その線引きを巡るやり取り自体が、いまのネットに生まれた言葉の習慣なのだろう。
