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軍艦島(端島)の怪異譚

長崎港から南西へ約19キロ。端島は、海から見る姿が軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれるようになった。炭鉱の最盛期には5,000人を超える人々が暮らし、閉山後は無人の建物群が残った。

廃墟の窓に人影が見えた、子どもの声を聞いた、写真に光の玉が写った、そんな話も多い。だが、端島の産業史や労働被害は、怪談を怖くするための背景ではない。確認できる歴史と、出所の曖昧な体験談は、はじめから分けて扱う必要がある。

幽霊屋敷ではなく、炭鉱と生活の島だった

端島では明治期から採炭が本格化し、三菱の経営下で高層の鉄筋コンクリート住宅が建てられた。限られた土地に住宅、学校、生活施設がぎっしり集まる。そうして高い人口密度で知られた。島を覆うあの建物群は、もともと人が働き、家族が暮らすための場所だった。

落盤に、ガス爆発。海底炭鉱の仕事には、そうした危険があった。戦時期には朝鮮半島や中国から来た労働者が、過酷な条件で働かされたことを伝える証言や資料もある。これは労働と人権をめぐる歴史の問題であり、「苦しんだ人の霊が出る」と短絡させてよい話ではない。

1974年に炭鉱が閉じると、住民は島を離れた。家財や学校の備品が残る建物もあり、時間だけが止まったような景観になった。しかし、住民が一夜で謎の失踪をしたわけではない。閉山によって生活の場を移した、それだけの話なんだよな。

人がいない島に、人の話ばかりが集まる

無人になった島は長く立ち入りが制限され、外から想像されるだけの場所になった。波音の中に高層住宅が並び、窓の奥は暗い。人がいないのに生活の痕跡だけがある景色は、それだけで人影や声の物語を呼び込みやすい。

2009年に一部が整備され、上陸ツアーが始まると、観光客の写真や感想がネットへ増えた。窓辺の人影、風に混じる子どもの声、録音機器のノイズ。そうしたものが体験談として語られるようになった。けれど、ガイドが見たというカーテンや、撮影スタッフだけが聞いたという音には、公的な調査記録があるわけではない。再話されるうちに細部が足された可能性もある。

廃墟では、光と影、割れた窓、むき出しの柱が人の形に見えることがある。強い風や波、建物を抜ける空気は声に似た音を作る。写真に写る丸い光も、ほこりや水滴、レンズ内の反射で生じ得る。もちろん個々の写真を見ずに原因は断定できないが、霊以外の説明も十分に考えられる。

世界へ広がった「廃墟から伸びる手」

2013年、島内を撮影したストリートビュー画像が話題になった。窓付近に、人の手のようなものが写っている、というのだ。周囲に体が見えなかったため、「廃墟から伸びる謎の手」として国内外へ一気に拡散した。

後には、背負い式カメラで撮影していたスタッフの手が偶然入ったのではないか、という説明が出た。撮影現場に人がいなかったわけではない以上、まず検討すべき説明だろう。画像の一部だけを切り抜けば不自然に見える。ところが、撮影方法や連続する画像まで確認すると、印象ががらりと変わることがある。

この画像がネットで何度も紹介されたことは確認できる。一方、それが死者の手だったことは確認されていない。「説明できない一枚」と「心霊現象の証拠」は、そもそも同じものではない。

教室も階段も、誰かの日常だった

端島は世界文化遺産の構成資産となり、今は観光地として知られる。同時に、建物の老朽化が進む場所でもあり、見学は整備された範囲で行われている。廃墟へ自由に入り込んで怪談を確かめる場所ではない。

元住民にとっては、教室も階段も遊び場も、かつての日常の一部だ。無人の住宅を「幽霊だらけの島」とだけ呼べば、そこで暮らした人の記憶も、炭鉱を支えた人々の労働も消えてしまう。戦時期の被害を、観光の刺激に変えることも避けたい。

軍艦島の怪談は、強い廃墟景観と、写真や動画の曖昧な像から育った。史実は史実として記録し、体験談は確認できない語りとして読む。まあ、その線さえ守れば、端島は「怖い島」よりずっと複雑な顔を見せてくれる。産業と生活、繁栄と閉山の記憶を残す島として見えてくる。

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