夏の夜、ヘッドライトの先にいたもの
始まりは1970年の夏だ。7月20日の夜、8時をまわった頃だったと伝わっている。場所は広島県比婆郡西城町、今の庄原市西城町で、比婆山系の谷あいにあたる。農業を営む男性が軽トラックで農道を家路についていて、あたりにはそのエンジン音だけが響いていた。
ヘッドライトの先、道端の暗がりに黒い塊がうずくまっていた。最初は野犬かと思ったという。近所の家畜が逃げ出したのか、とも考えたそうだ。ところが車が近づいていくにつれて、その黒い塊はゆっくりと、本当にゆっくりと立ち上がったんだ。
子牛ほどの図体。黒褐色の体毛に、ゴリラを思わせる輪郭。そいつは慌てる様子もなく、ヒグラシの声が響く谷の斜面をゆったりした足取りで登り、森の奥へ消えていった。男性は家に飛び込むように戻り、家族に「とんでもないものを見た」と告げたという。
舗装された道には濡れたような足跡が残り、生き物が去ったとおぼしき斜面では草木がなぎ倒されていたという。気味の悪い置き土産だ。ヒバゴンという名が生まれる、そのいちばん最初の夜として伝わっている一件になる。
最初の目撃者の書き方は、資料によってずれる。比婆山麓の農道を走っていたトラック運転手が、道端にいる類人猿のような生き物を見た、とする資料もあるんだ。日付はどちらも同じ。1970年7月20日で揃っている。
三日後、墓地での鉢合わせ
話はここで終わらなかった。わずか三日後の7月23日、別の農家の男性が、自宅近くの墓地でよく似た生き物と鉢合わせしたという。証言では、背丈は人間の大人ほどで、頭が異様に大きかったそうだ。顔立ちはグロテスクなのに、どこか人間くさかったそうだ。
男性は「たまげて、恐ろしくなって」一目散に家へ駆け戻ったと話している。後の聞き取り調査では現場での再現にも協力し、真剣な顔で「本当に、この目で見たのだ」と何度も訴えたと伝わる。笑い話の空気じゃない。
この年の12月までに、目撃は十数件に積み上がった。中心は六の原ダムの周辺だ。1974年までのおよそ4年間で、総数は約30件にのぼったという。精査して「信憑性が高い」と判断されたものだけに絞っても、22件33人分もの証言が集まったという。
証言した人の多くは互いに面識のない地元の住民だったのに、細部はよく一致していたという。背丈は成人の腰から胸あたりの高さで推定1.5から1.8m、体は黒褐色の毛に覆われ、悪臭を放っていたそうだ。何より大きいのは歩き方。「二本の足で直立して歩いていた」という点が、何度も繰り返し語られている。
名付け親は地元紙の記者
名前の出どころも面白い。目撃地点の比婆山に、当時流行っていた怪獣映画の語感をくっつけた造語だそうだ。名付けたのは地元紙の記者だと伝わっていて、響きのよさも手伝って、この名前はあっという間に世間に定着した。テレビや週刊誌が相次いで取材に入り、一時は全国区の話題になったんだ。
役場が本気で動いた
役場の出番。騒ぎが広がるなか、西城町役場はUMA騒動としては前例のない対応に踏み切り、専用の窓口を置いたんだ。ただ、その名前が資料によって揃わない。「類人猿目撃対策本部」と書く資料もあれば、「類人猿対策本部」ないし「類人猿係」とする資料もある。
パトロールが巡回し、目撃情報は一か所にまとめて管理された。それでも決定的な物証は出てこない。いくら捜索を重ねても、だ。皮肉なことに、この行政の本気ぶりそのものが全国ニュースになり、ヒバゴンの知名度をさらに押し上げてしまった。
当時の担当者は恵木剋行氏だ。彼はこう証言している。「目撃者の多くは現地に暮らす大人で、野生動物には見慣れた人々だった」。山の暮らしを知らない素人のただの見間違い、という雑な片づけ方は、ちょっとしにくくなる証言だよな。
神戸大学探検部の調査員として、現地に入った人物もいた。大磯ユタカ氏だ。何人もの目撃者から聞き取りをした彼は、「みな心の底から怖がっていた」という印象を語ったと伝わる。
足跡は25センチか、21センチか
物証の候補なら、いくつか出ている。10月5日、県民の森で最初の足跡が見つかった。ところが見つけた作業員がうっかり踏み荒らしてしまい、石膏で型を取るところまではいかなかったという。もったいない話。
転機は同じ年の12月16日。比和町の吾妻山池ノ原で採れた足跡は形がわりあい鮮明で、全長約21センチ、幅約13センチあったそうだ。その場で石膏型が作られ、半世紀以上たった2023年5月には地元へ「里帰り」する形で改めて公開された。
ただ、足跡の大きさは資料によって食い違う。捜索のなかで長さ約25センチ、幅約15センチとされる足跡が見つかった、と書く資料もあるんだ。21と13か、25と15か。柔らかい地面の足跡は時間がたつと崩れて広がりやすく、見つけた時点の寸法が正確だとは言い切れない。
木の枝に引っかかった黒褐色の毛束も見つかった。分析にかけられて出た判定は「既知の動物のもの」だったが、当時の技術ではどの動物かまでは特定できなかったそうだ。決め手にはならなかった。
写真もある。1974年8月15日、三谷美登さんという人物が、ヒバゴンらしき姿の撮影に初めて成功したという。ところが被写体までの距離が7から8メートルあって、画像ははっきりしない。人影なのか本物なのかで、大論争になったという。
猿なら見慣れている
妙なのはここからだ。これだけの騒ぎなのに、山育ちでサルにもクマにも見慣れているはずの目撃者の多くが、「見間違いではない」と強く言い張った。彼らは「猿なら見慣れている」と言い、「クマなら尻ダコがあるはずだが、あれにはなかった」とも言ったという。既知の動物との違いを、具体的に挙げていたわけだ。
つらい後日談もある。目撃を話したある少年は、周りの大人たちから「見間違いだろう」と一方的に決めつけられて、深く傷ついたそうだ。彼はのちに「もうあの話はしたくない」と口を閉ざしてしまったという。熱狂の陰で、証言者一人ひとりが背負った心の重さがうかがえる。
ネッシーと雪男の時代
時代の追い風もあった。1960年代後半から、ネス湖のネッシーやヒマラヤの雪男、つまりイエティがテレビや雑誌で盛んに取り上げられていたんだ。未確認生物というジャンルへの関心は、一気に高まっていた。
1973年には、アメリカで撮られた「パターソン・ギムリンフィルム」が日本でも繰り返し放映された。ビッグフットの映像として知られるフィルムだ。直立二足歩行する類人猿型UMAへの興味がピークに達した時期と、ヒバゴンの目撃ラッシュはちょうど重なる。見事なタイミング。
舞台もできすぎていた。比婆山は、『古事記』でイザナミノミコトが葬られたとされる神話の山なんだ。由緒ある霊山に正体のわからない生き物が出るという構図そのものが、人の想像力をぐっと強く刺激した。
クマか、サルか
現実的な答えとして一番有力視されているのは、体格の大きなニホンザルか、ツキノワグマを見間違えたという線だ。サルの場合はこうなる。ニホンザルの雄には、体長60センチ、体重15キロを超える個体もいる。後ろ足で立ち上がれば、薄暗い山道では実際より一回り大きく見えても不思議じゃない。
クマはもっと話が合う。ツキノワグマには、威嚇や周りの確認のために後ろ足で立ち上がる習性がある。体重80キロを超える個体が直立すると高さは1.3から1.5mほどになり、ヒバゴンの推定身長とほぼ重なる。
怖さも目を狂わせる。恐怖を感じている人が相手の大きさを実際より大きく見積もりやすいことは、心理学の実験でも確かめられているそうだ。「黒褐色の毛」も「二足で立つ」も、証言の芯にあたる部分はどれもクマの特徴と食い違わない。
ただし、この二つの説で全部が片づくとは限らない。反論の材料もある。当時の西城町の周りでは、クマの目撃例そのものがほとんどなかったという。150センチを超えるニホンザルが見つかった例もなく、二説だけでは説明しきれないとする立場も根強いんだ。
先祖返りから町長の着ぐるみまで
ここからはロマン寄りの話。よく語られる異説が、「太古のDNAが目覚めた先祖返り」説なんだ。この異説の着想のもとになったのは、大森貝塚から出土している縄文期の大型のサルの顎の骨だった。
筋書きはこうだ。かつて日本列島にいた大型霊長類の遺伝子が、今のニホンザルの中にひっそり受け継がれている。それが何かの環境的な引き金で一時的に表に出たのではないか、という考察がオカルト系メディアの記事で語られている。
ほかの説も幅が広い。当時の新聞をにぎわせた「密輸された30頭のオランウータンが行方不明になった」という報道に結びつける説がある。原爆による突然変異説に、UFOが持ち込んだ異星の生物説も出た。「町おこしのために着ぐるみで町長がでっち上げた」という皮肉めいた俗説まであるんだ。こうした説はどれも、オカルトまとめサイトや個人ブログのあちこちで長いあいだ飛び交ってきたものだ。
ムーに載った死骸の写真
死骸の噂もしぶとい。かつて月刊ムーの誌上で、超常現象の研究で知られる論者が、ヒバゴンの死骸だという写真を紹介したことがあった。これを題材にしたnote記事には、考古学の専門家に画像を見てもらった顛末が載っている。
専門家の見立ては「サルの仲間には含まれるだろうが、既知の類人猿にも化石人類にもしっくりこない」というものだった。眼窩から鼻筋にかけての傾斜は、ニホンザルに近い。そのくせ顎が不自然に長い。
作り物では再現しにくい細部もたしかにあって、奥歯の咬頭がくっきりしているうえに、歯槽膿漏らしき骨の傷みまで見えるそうだ。それでも変な点が目についた。顔だけ骨が露出しているのに、ほかの部分は肉付きが保たれていたんだ。
歯の黒ずみも、人工的に塗られたものに見えたという。怪しい点がいくつも重なって、全体としての評価は「ヤラセの疑いが強い」というところに落ち着いた。本物なら大事件だ。
地元にはもう一つ、ぞっとする話がある。正体不明の獣の死骸を見つけて弔った住民がいたが、祟りを恐れて、埋めた場所は誰にも明かさなかったらしい。なんとも生々しい。体験談のような語り口で伝わる話だ。
コメント欄の定番バトル
この死骸写真の真贋論争は、オカルトまとめサイトや考察系動画のコメント欄で何度も蒸し返されてきた。「クマの毛皮に細工しただけでは」という疑いの声がある。「にしても妙にリアルだ」と擁護する声もある。せめぎ合いはもはや定番だ。
怖い獣人がゆるキャラになるまで
その一方で、ヒバゴンはゆるい見た目のご当地UMAとしても人気がある。ピクシブ百科事典やニコニコ大百科のような創作系の事典サイトでは、イラストやキャラクターの題材としておなじみだ。怖い対象というより、地域愛と結びついたネタ的な存在として親しまれているんだ。すっかり愛されキャラ。
町の動きもそっちへ向かう。騒動が静まったあとの1999年には、「西城ふるさと祭」でマスコットとしてお披露目された。2005年には重松清原作の映画『ヒナゴン』が西城町でロケをして公開された。2024年には、マツダのラグビーチームが同町にゆかりのマスコット「ういるすりー」を発表している。
庄原市の登山道には、ヒバゴンの案内板も立っている。今や観光の目玉だ。かつて住民を震え上がらせた「未知の獣人」は、半世紀かけて地域のマスコットに姿を変えたわけだ。
本家の北米ビッグフットと比べると、目撃件数は桁違いに少ない。決定的な映像証拠もない。それでも役場が本気で「対策本部」を立ち上げた面白さと神話の山という舞台の妙が、単なる見間違い以上の物語にしている。
1974年、ぱたりと消えた
目撃は1974年を境に、ぱたりと途絶えた。終わり方も謎めいている。本当に未確認生物がいたなら死んだかよそへ移ったかだが、遺骸は見つかっていないし、近くで似た目撃が急に増えた記録もない。
一番自然な説明はこうらしい。地元マスコミの熱が冷めてオカルトブームも落ち着き、山で大きな動物を見かけても「またクマだろう」と受け流す空気が広がった。話題としての引力そのものが失われていった、という見方だ。
正体は、ツキノワグマかニホンザルの見間違いだったのかもしれない。それが1970年代のオカルトブームとメディアの増幅装置を通って、「未確認生物の目撃」という物語に化けたという読みだ。とはいえ、100%そうだと言い切れる証拠もない。答えは出ていない。
令和に戻ってきた黒い影
ところが半世紀の沈黙を破るように、話がまた動き出した。2024年8月23日の昼過ぎ、庄原市西城町の自宅の畑で農作業をしていた男性が、約23メートル先に生き物を見たという。立ち上がると175センチほどで、毛は長く手足は細長く、全身真っ黒なのに顔は赤くなかったそうだ。地元紙などが伝えた話だ。
同じ8月頃には、匿名の情報も届いた。「普通のサルとは明らかに違う大きな黒い猿」を見たという。9月には動画まで撮られた。別の男性が近所の墓地へ続く坂道で、ニホンザルの群れの奥にひときわ大きな黒い姿を見つけて撮ったと報じられている。
これを受けて、かつての「類人猿相談係」という肩書きまでもが、半ば冗談まじりに復活した。テレビも動いた。地元テレビのニュース特集やYouTubeの考察系チャンネルでも、「ヒバゴン再来か」として取り上げられている。
半世紀前の恐怖の記憶に、令和の目撃情報が重なった。昔話では終わらない。比婆の山の中で今も「何か」が動いているんじゃないかという想像が、世代を超えてかき立てられている。
コメント欄はにぎやかだ。「クマの目撃情報が近年全国的に増えているのと関係があるのでは」と冷静に指摘する声がある。そのすぐ横には、「やっぱり本物がいたんだ」という興奮した書き込みがずらりと並んで、独特の盛り上がりになっている。
