## あの夜のミナミは、祭りじゃなくて暴動だった
1985年10月16日。神宮球場で阪神タイガースが21年ぶりのセ・リーグ優勝を決めた。ここまでは、ただのスポーツニュースだ。問題はこのあと、大阪ミナミで起きたことのほうなんだよな。
その夜の戎橋周辺を実際に見ていた人間は、だいたい同じことを言う。祭りじゃなかった、と。あれは暴動だった、と。道頓堀の南北はもう歩けるような状態じゃなくて、人と人の隙間がない。押されたら足が地面から浮く。そういう密度だ。ラジオを耳に当てた男が突然叫んで、その叫びが波みたいに周囲へ伝染していく。誰かが看板をよじ登り、誰かが他人の肩の上に立っている。歩道橋の欄干に人がぶら下がり、その真下では見知らぬ同士が肩を組んで六甲おろしを歌っていた。酒屋の前で瓶が割れる音がして、それすら歓声にかき消される。
そして川だ。戎橋の欄干から、次々と人が落ちていく。落ちる、というより、飛ぶ。当時の道頓堀川はきれいな川じゃない。ヘドロが堆積して、夏場は臭う。水深は場所によって二メートルほどで、飛び込むにはむしろ浅すぎて危ない。それでも人は飛んだ。しかもただ飛ぶんじゃなくて、独特のルールがあった。飛び込む前に、選手名を叫ぶんだ。「一番、真弓!」と宣言して欄干を蹴る。次の男が「二番、弘田!」と叫んで落ちる。優勝メンバーの打順を、生身の人間が順番に再現していく。あの夜のミナミでは、それが一番かっこいい遊びだった。
## 「次、バース!」——誰も名乗れなかった打順
で、ここからが伝説の入り口だ。打順を追っていくと、必ずぶつかる壁がある。三番、ランディ・バース。
1985年のバースは化け物だった。打率.350、本塁打54本、打点134。三冠王。しかも日本人選手にはいない、金髪で、髭を蓄えた、でかい白人。あの年の阪神は「ニューダイナマイト打線」と呼ばれて、チーム全体で219本塁打を叩き込んでいる。その中心にいたのがバースだ。ファンにとって、バースは選手というより神像に近い存在だった。
そこで問題が起きる。「一番、真弓」を名乗る奴はいる。「四番、掛布」も「五番、岡田」もいる。でも「三番、バース」だけは、誰も名乗れなかった。名乗ったところで様にならないんだ。周りが黒髪の日本人ばっかりのなかで、金髪で髭のガイジンを演じられる人間がいない。ここで群衆の意識が、妙な方向に向く。バースに似た「なにか」を探し始めるんだ。
答えは、意外なほど近くに立っていた。道頓堀のケンタッキーフライドチキンの店頭。白いスーツ、白い髭、丸い眼鏡、恰幅のいい体格。カーネル・サンダース像だ。あれをバースに見立てよう、と誰かが言った。言ったのが誰なのかは、いまだに特定されていない。というより、あの夜のあの場所では、誰が言い出したかなんて意味を持たなかった。言葉が出た瞬間に、群衆はもうそっちへ動き出していたからだ。
## 胴上げされて、そして落ちた
店員は止めた。これはいろんな証言で一致している。ケンタッキー道頓堀店のスタッフは、像に手をかけた集団を必死で制止しようとした。だが数が違いすぎる。押しのけられ、突き飛ばされ、なかには暴行を受けた店員もいたと伝わっている。祝勝ムードのなかで起きた、れっきとした傷害と器物損壊だ。あの夜がいかに歯止めを失っていたかが、この一点でわかる。
像は持ち上げられた。カーネル・サンダース像は等身大で、樹脂製とはいえそれなりの重量がある。それを何人かで担いで、人混みのなかを運んでいく。頭上を白いスーツの老人が流れていく光景は、いま考えるとかなり異様だ。そして戎橋のたもとで、群衆はそれを胴上げした。バースの胴上げだ。三回か四回か、その回数も証言によってまちまちだ。だが胴上げが行われたこと自体は、複数の目撃談で一致している。
最後の一投で、像は放物線を描いた。欄干を越え、黒い水面に落ちた。大きな水音がして、白い塊が一瞬浮き、そして沈んだ。その周りではまだ人間が飛び込み続けていて、誰も気にしていなかった。歓声が上がり、次の打順が呼ばれ、夜は続いた。あの瞬間に「これは後々えらいことになるぞ」と思った人間は、たぶん一人もいない。ただの悪ふざけの一場面として、その夜のなかに埋もれていった。
ちなみに、道頓堀にはもう一つ有名な人形がある。くいだおれ太郎だ。あれも同じ夜に狙われかけたという話が残っている。ただ、くいだおれの店員が体を張って店の前に立ちはだかり、太郎だけは川行きを免れた。もし太郎まで沈められていたら、大阪の呪いはもう一つ増えていたかもしれない。
## 「呪い」と言い出したのは、実は3年後のテレビだった
ここを誤解している人がめちゃくちゃ多い。1985年のあの夜に「呪いが生まれた」わけじゃない。呪いという言葉が付いたのは、もっとあとだ。
1986年、阪神は3位に終わる。この時点では誰も呪いなんて言っていない。優勝の翌年に3位なら、まあそんなもんかという空気だ。ところが1987年、阪神は勝率.331という球団史上最低の数字で最下位に沈む。全球団に負け越すという屈辱つき。ここでようやく、ファンのあいだに「なんかおかしくないか」という気分が生まれる。
決定的だったのは1988年3月だ。朝日放送の『探偵!ナイトスクープ』が放送を開始する。その記念すべき初回放送の依頼のひとつが、「道頓堀川に沈んだカーネル・サンダースを救え!」だった。番組は実際に川に潜って捜索する。当然、見つからない。そして初代局長の上岡龍太郎が、あの独特の理詰めの語り口で言い放つ。サンダース像を救出して祓い清めない限り、阪神の優勝は永遠に望めない、と。
これが効いた。関西では圧倒的な視聴率を持つ番組で、しかも上岡龍太郎という「もっともらしく喋る名人」が断言したわけだ。この日を境に、ただの悪ふざけの記憶だった人形投棄事件が、因果関係のある呪いへと格上げされた。都市伝説の初出をピンポイントで特定できるケースは珍しいが、この件に関してははっきりしている。1985年10月16日は事件の日で、1988年3月が伝説の誕生日だ。三年のタイムラグがある。呪いは、後付けで生まれたんだよな。
## そして阪神は、本当に沈んだ
問題は、後付けの呪いを裏付けるみたいに、その後の阪神が本当に沈んだことだ。ここが厄介なところで、事実のほうが伝説に加担してしまった。
1987年から2001年までの15シーズンで、Bクラスが14回。最下位が10回。1993年から2002年までは10年連続Bクラス。1998年から2001年までは4年連続最下位という球団ワースト記録。1987年にいたっては首位と37.5ゲーム差をつけられている。37.5ゲームだ。これはもう「弱い」とかいうレベルじゃなくて、リーグの構造から外れている数字だ。
監督も次々に替わった。吉田義男、村山実、中村勝広、藤田平、また吉田義男、野村克也、そして星野仙一。誰が来ても勝てない。名将と呼ばれた野村克也ですら3年間で最下位を脱出できず、「監督だけ替えてもチームは強くならん」という言葉を残して去った。1999年には2209日ぶりに首位に立ったのに、9月に12連敗して最下位に転落するという、笑うしかない落ち方をしている。
1988年には象徴的なことも重なった。呪いの当事者に見立てられたバース本人が、息子の病気をめぐる球団との衝突の末に退団して現役を退く。同じ年に掛布雅之が引退する。さらに球団代表が自ら命を絶つという痛ましい出来事まで起きた。1985年の輝きを構成していた要素が、まとめて崩れた年だ。ファンの目には、あの白いスーツの老人が川底から手を伸ばしているように見えた。
## 呪いの「証拠」として数え上げられたもの
呪い説が強かったのは、証拠が次々に補充されたからだ。ファンは律儀に数えていた。
まずドラフトのくじ運。1984年の嶋田章弘を最後に、阪神は指名が競合したときの抽選で当たりくじをまったく引けなくなった。十数回連続で外れる。確率の話をすれば別に異常でもないんだが、当時のファンは「またや」と天を仰いだ。特に他球団が引いた選手が大成すると、その悔しさが呪いの燃料になる。
次に2005年の日本シリーズ。この年の阪神はリーグをぶっちぎりで制した強いチームだった。ところがロッテとの日本シリーズで、4試合合計33失点、4得点という一方的な負け方をする。この「33-4」という数字は、その後ネット掲示板で完全に独立した記号になった。もはや野球と関係ない文脈でも「33-4」だけが貼られるようになり、阪神ファンにとって最も触れてほしくない四文字となる。呪いの信奉者にとっては、これ以上ないほど分かりやすい証拠だった。普通に負けるんじゃなくて、あり得ない形で負ける。それが呪いの作法だ、と。
2008年もよく引き合いに出される。7月には最大13ゲーム差をつけて独走していたのに、後半戦で読売に逆転され、優勝を逃した。いわゆるメークレジェンドをやられた側だ。さらにクライマックスシリーズでの弱さも語られる。出場を重ねても勝てず、ファーストステージで散る年が続いた。強い年ほど無残に終わる。これも呪い説にとっては都合のいいデータだった。
## 何度も捜された。何度も見つからなかった
『ナイトスクープ』以降、カーネル捜索はテレビの定番企画になった。バラエティ番組がダイバーを雇って潜り、水中カメラを沈め、磁気探知機を持ち込んだ。阪神が調子のいい年には必ずどこかの局がやった。
だが、24年間、一度も見つからなかった。これも呪いの神秘性を強化した。あれだけ大きな樹脂の像が、幅もそれほどない川から一体も出てこない。「カーネルは見つかりたくないんだ」「呪いを解かせないつもりなんだ」という語り方が定着していく。実際には、道頓堀川の川底はヘドロが厚く堆積していて、その中に沈み込んだものを目視で探すのはほぼ不可能だ。視界はゼロに近い。手探りで川底を這っても、泥に埋もれた物体には触れない。それでも、当時の視聴者にとっては「あれだけ探して出てこない」という事実そのものが不気味だった。
## 2009年3月10日、潜水士は「死体や」と思った
見つかったのは、捜索企画からではなかった。まったく別の作業の途中だ。
2009年3月10日。大阪市建設局が進めていた道頓堀の水辺整備事業のなかで、南海辰村建設の潜水作業員が川底の磁気探査をやっていた。これは本来、不発弾や金属残留物を調べるための作業だ。戎橋の下流200から300メートルほど、南側の護岸から約5メートル、水深およそ2メートルの地点で、探査機が反応を示した。作業員が潜って泥をかき分けると、白っぽい人型の上半身が現れた。
作業員は一瞬、これを人間の遺体だと思ったという。当たり前だ。真っ暗な川底で、ヘドロにまみれた人型が泥から出てくるんだから。腕を伸ばして触れて、樹脂の硬い感触で「これは人形だ」と分かる。そして顔を見た瞬間に、正体が判明した。眼鏡の枠こそなかったが、あの髭と笑顔は間違えようがない。24年間、行方不明だったカーネル・サンダース像だった。
連絡が回るのは早かった。翌3月11日、同じ現場から右手と下半身が引き揚げられ、前日の上半身と合わせて同一の像であることが確認された。ただし眼鏡と両足首、そして左手は見つからなかった。捜索は開始から50分ほどで打ち切られている。ちょうどプロ野球の開幕直前という時期で、この報せは阪神ファンにとって「今年こそ」を意味した。実際、この年の阪神は4位。呪いはまだ解けていない、というのが当時のファンの結論だった。左手と眼鏡が欠けているからだ、という理屈が出回ったのもこの頃だ。
## 手も足も眼鏡もない、灰色のカーネル
引き揚げられた像の写真を見た人は、たいてい絶句する。24年ぶんの泥をかぶった像は、真っ白だったはずのスーツが灰色に変色していた。表面には無数の傷。腕は肩から折れ、足首から先はない。左手も失われている。眼鏡は枠ごと消えていた。だが不思議なことに、顔だけはほとんど無傷だった。あの笑顔が、そのまま泥のなかから出てきた。
2009年3月13日、像は日本KFCホールディングスの社長に引き渡され、しばらく大阪市内の警備会社の金庫で保管された。呪いの人形を金庫に入れるという判断が、いかにも当時の空気を表している。同年6月25日、住吉大社で神事が行われ、「おかえり! カーネル」と命名されて、修復後の姿が公開された。失われた眼鏡は、福井県の製造元から同型のものが提供されたと伝わっている。
そのあとの像の旅程は、けっこう忙しい。2009年8月には水都大阪2009のイベントに出て、2010年3月から2012年1月まではKFC阪神甲子園店で常設展示。2012年には奈良大学博物館の企画展に貸し出されて、大学の展示ケースに収まるという珍しい経歴まで手に入れた。2013年からは東京のKFC本社へ移り、2017年以降は関西のオフィスで展示されていた。呪いの人形が、いつのまにか会社の顔になっていたわけだ。
## あの夜、そこにいたと名乗る人たち
### 「担いだ側」の男の告白
何十年もあとになって、自分はあの夜あそこにいた、と語る人間がぽつぽつ出てきた。ネット掲示板や地方紙のインタビュー、居酒屋の与太話まで含めれば、自称当事者の数はかなりのものになる。共通しているのは、みんな「悪気はなかった」と言うことだ。ある男の話はこうだ。当時大学一年で、友人四人とミナミに繰り出した。優勝が決まった瞬間、知らない人間と抱き合って泣いた。そのあと戎橋のほうへ流されていって、気がついたら白いものを担いでいた。何を担いでいるのか、最初は分からなかった。周りが「バース! バース!」と叫んでいるから、そういうことかと理解した。胴上げの三回目くらいで、腕から重さが消えた。水音がして、はじめて「あ、投げたんや」と思った。翌朝、二日酔いで起きて、テレビでニュースを見て、ようやく血の気が引いた。それでも当時は誰も咎めなかった。三年後にナイトスクープを見て、初めて背筋が寒くなった、と。この手の証言は裏が取れない。取れないからこそ、無数に増殖した。
### 落語家が語った「後輩がやった」
比較的しっかりした証言として繰り返し引かれるのが、落語家の桂福若の話だ。福若は1985年当時、高校生で、道頓堀に飛び込んだ最初期の人物として名前が出てくる。しかも面白いのは、彼が阪神ファンではなかったという点だ。好きな選手は王貞治。つまり読売ファンだ。友人と「阪神が優勝したら道頓堀に飛び込む」という賭けをして、負けたから飛んだ。祝勝でもなんでもなく、罰ゲームだったわけだ。道頓堀ダイブという文化の起点が、罰ゲームで飛んだ読売ファンだったという話は、それ自体が上等な都市伝説みたいな味わいがある。そしてこの福若が、カーネル像を実際に川へ放り投げたのは高校の後輩だった、と証言している。呪いの実行犯は、名前も出ない一人の高校生だった、ということになる。福若自身は現在、飛び込みについては絶対にやめてくれ、という立場だ。
### 潜水士が語った「泥のなかの顔」
2009年の発見時の作業員の証言も、読み物として強烈だ。道頓堀川の水中は視界がほぼゼロで、ライトを当てても数十センチ先が茶色く濁って見えない。作業は手探りになる。磁気探査で反応があった地点を掘り進めていくと、指先が硬いものに触れた。丸みがあって、人の肩のような形をしている。この瞬間に頭をよぎるのは、当然いいことじゃない。都市部の川底で人型に触れるというのは、そういう意味を持つ。心臓が跳ねたまま泥をどけていくと、灰色の顔が現れた。目を開けていて、笑っている。人間じゃないと分かった瞬間の安堵と、それとは別種の気味悪さが同時に来たという。24年間、この笑顔がずっとこの暗闇で笑っていたのか、と思ったらしい。
## 掲示板は「まだ足りん」と言い続けた
2009年の発見直後、ネット掲示板の野球板とオカルト板は同時に沸いた。だが、その熱の質はまったく違った。
野球板は素直に「今年は行けるかもしれん」だった。開幕直前という時期も相まって、ご祝儀相場みたいな空気があった。ところがオカルト板は最初から冷たい。曰く、体が揃っていない。眼鏡も左手も足首もない。呪いというのは対象が完全な形に戻らない限り解けないものだ、と。実際、この年の阪神は4位に終わり、翌年も日本一には届かなかった。そのたびに「だから言ったやろ」という書き込みが増えていく。
この「まだ足りん」理論は、都市伝説としては非常によくできている。なぜなら反証不可能だからだ。優勝すれば「呪いが解けた」で終わり、優勝しなければ「まだパーツが足りない」で説明がつく。どっちに転んでも呪い説は生き残る。左手を探せ、というスレッドが定期的に立ち、川底のどこにあるかを地形図から推測する書き込みまで現れた。もはや実在の人形の話じゃなくて、集団で遊べるパズルになっていた。
もうひとつ面白いのが、比較文化的な語り口の広がりだ。アメリカにはシカゴ・カブスの「ビリー・ゴートの呪い」がある。ヤギを球場から追い出された男が呪いをかけ、カブスは長く優勝から遠ざかった、という話だ。ボストン・レッドソックスの「バンビーノの呪い」も有名だ。日本のカーネルは、この系譜に自然と接続された。野球というスポーツは、なぜか呪いと相性がいい。試合数が多くて、確率の揺らぎが目に見える形で蓄積するからだと思う。
## 冷静な連中は、こう言っていた
呪い説にはずっと反証があった。当たり前だけど、こっちのほうが正しい。
まず、阪神の低迷には明確な構造的理由がある。ドラフト戦略の失敗が最大の要因だ。1983年から8年連続でドラフト1位に投手を指名し続けた結果、野手の育成がまるごと後手に回った。バースの穴を埋めるはずの外国人野手も、パチョレック、デービス、グリーンウェルと、期待された順に不発に終わっている。スカウトの評価制度が「確実に獲れる選手」を指名させる方向に働いていたという指摘もある。加えて監督の短期交代。中長期の改革が不可能な人事サイクルだ。呪いなんか持ち出さなくても、これだけで15年は沈む。
次に「呪いの発生タイミング」が変だ、という指摘。人形が投げ込まれたのは1985年10月16日で、その直後の日本シリーズで阪神は西武を破って球団史上初の日本一になっている。呪われたはずの日から数週間で、球団最高の栄光を掴んでいるわけだ。呪いの発動が遅すぎる。1986年3位、1987年最下位という流れを後ろから見て、原因を1985年に遡って設定したにすぎない。これは典型的な後知恵バイアスだ。
そして人形そのものについて。KFCの店頭に置かれているカーネル・サンダース像は、宗教的な由来を持つ像じゃない。宗教的いわれのない広告用のマネキンで、日本各地に無数にある量産品だ。魂が宿るという発想自体、日本の付喪神的な感覚から後付けされたものだ。ちなみに実在のハーランド・サンダース本人はかなり気性の激しい人物で、年齢を偽って従軍したり、商売敵と揉めて銃撃沙汰を起こしたりというエピソードを持つ。呪うくらいはやりかねない、という語りはここから出ている。だがそれは人物評であって、川底の樹脂像とは関係がない。
## あの川は、そもそもどんな川だったのか
道頓堀川についても押さえておきたい。あの川は自然河川じゃなくて、江戸時代初期に開削された人工の運河だ。安井道頓という人物が私財を投じて掘り始め、その名が川の名になった。かつては物流の大動脈で、両岸に芝居小屋が並び、大阪の娯楽の中心だった。
戦後、水質は悪化の一途をたどる。1985年当時の道頓堀川は、はっきり言って汚水だった。生活排水と工場排水でヘドロが厚く積もり、夏は臭う。飛び込んだ人間が結膜炎や皮膚炎を起こすのも珍しくなかった。おまけに水深が浅く、川底には自転車やら家電やら瓦礫やらが沈んでいる。飛び込んで首を打つ危険が常にあった。2003年の優勝時には約5300人が戎橋から飛び込み、逮捕者が出て、死者も出ている。楽しい風習として語られがちだが、実態としては死人が出る行為だ。
2000年代以降、水質浄化事業が進み、遊歩道のとんぼりリバーウォークが整備されて、川の見た目はかなり変わった。カーネルが発見された2009年の水辺整備事業も、この流れの一環だ。呪いを解いたのは祈祷でも供養でもなく、大阪市の公共事業だった、というのが実際のところなんだよな。
## 投げ捨てられた神様、という読み方
オカルト側の考察で一番面白かったのは、ヒルコ説だ。
日本神話にヒルコという神がいる。イザナギとイザナミの最初の子で、手足が不完全だったために葦の舟に乗せられて海へ流された。捨てられた神だ。ところが後世、このヒルコは流れ着いた先で祀られ、えびす神と習合していく。えびすは商売繁盛の神様で、大阪の商人が最も大事にする神格だ。今宮戎に十日戎で押し寄せる、あの信仰だ。
ここで話が繋がる。手足を失って水に沈められ、24年後に泥のなかから引き揚げられた像。そして像が沈んでいたのは、他でもない戎橋の近くだ。えびすの名を冠した橋のたもとで、手足のない人型が水に沈み、長い時を経て陸に戻り、住吉大社で神事を受けて祀られるように扱われた。神話の構造としては、これ以上ないほどきれいにヒルコの筋をなぞっている。オカルト誌が「呪いではなく、あれは福の神になったのだ」と書いたのは、この読み替えだ。
この解釈が優れているのは、事実関係を一切歪めていない点だ。起きたことは全部本当のことで、そこに神話の型を重ねただけ。都市伝説の再解釈としては、かなり上等な仕事だと思う。
## なぜこの話は、こんなに広まったのか
理由はいくつもある。まず、絵が強い。白いスーツの老人が群衆に担がれ、笑顔のまま黒い川に落ちていく。この一枚絵の喚起力が異常に高い。しかも滑稽で、同時に不吉だ。笑いながら背筋が寒くなるという、都市伝説として最強の質感を持っている。
次に、責任の所在が曖昧なこと。誰が投げたのか特定されていない。実行犯は「あの夜のミナミにいた誰か」でしかない。つまり、あの夜そこにいた全員が少しずつ加害者だ。関西人にとってこの話がずっと居心地悪いのは、罪が薄く広く分配されているからだ。自分が投げていなくても、あの熱狂の一部だった。そういう共犯感覚が、話を手放させない。
そして何より、検証可能な「答え合わせ」が毎年やってくること。普通の都市伝説は結末がない。だがこの呪いには、毎年ペナントレースという判定装置がついている。負ければ呪いが延長され、勝てば呪いが解ける。読者が当事者として毎年参加できる怪談なんて、そうそうない。18年、いや日本一から数えれば38年ぶん、この話は毎年更新され続けた。それだけの寿命を持てた理由は、そこにある。
加えて、失われたパーツの存在も効いている。眼鏡、左手、両足首。いまも道頓堀川の底のどこかにあるかもしれない、という宙ぶらりんが、物語を閉じさせない。完全に回収されていない都市伝説は、いつまでも生きる。
## 2023年11月5日、呪いは終わった(ことになった)
2023年。監督は岡田彰布。1985年の優勝メンバーで、あの年は五番を打っていた男だ。呪いの現場にいた当事者が、指揮官として戻ってきた。
阪神は2005年以来18年ぶりにセ・リーグを制し、クライマックスシリーズを勝ち上がり、日本シリーズでオリックスを4勝3敗で下した。1985年以来、38年ぶり2度目の日本一。決着がついた瞬間、SNSは「呪いが解けた」で埋まった。世界野球ソフトボール連盟までがこの話を報じている。
そしてその夜、道頓堀ではまた人が飛んだ。しかも、カーネル・サンダースのコスプレをした男性が現れて、群衆に胴上げされ、川に投げ込まれるという事件が起きている。38年前とまったく同じ構図を、今度は生身の人間が再演したわけだ。この男性は約30秒後に自力で川から上がり、無事だった。無事だったから笑い話になっているが、一歩間違えれば本当にまずい。呪いの物語が、こういう危険な再演を誘発するという点は、正直あまり笑えない部分だ。
## 2024年3月、カーネルは住吉大社で送られた
呪いが解けた翌年、像に幕が引かれた。2024年3月、日本KFCホールディングスは住吉大社で「人形納め」の神事を行い、像を供養したうえで手放した。理由は老朽化だ。24年の水没と、その後の15年の展示で、樹脂の劣化がもう限界に来ていた。これ以上の保管は難しい、という判断だった。
2009年6月に「おかえり! カーネル」と名付けられたのと同じ住吉大社で、今度は送り出された。呪いの人形として恐れられ、福の神として展示され、最後は感謝を込めて焼かれた。物としては消えたが、話としてはむしろ完成した。物証が消えることで、都市伝説は純度を上げる。これから先、カーネル像を直に見た人間はどんどん減っていく。そのぶん、話は語りやすくなる。
## 呪いが生まれたのは、事件の三年後だった
この話を一通り追い直して、いま一番引っかかっているのは、呪いの成立時期のズレだ。事件は1985年10月16日、伝説の誕生は1988年3月。この三年のあいだ、カーネル像はただの「行方不明の店頭マネキン」でしかなかった。KFCの店舗にとっては備品の紛失であり、警察にとっては器物損壊であり、大阪の人間にとっては優勝の夜の与太話のひとつだった。それが、テレビ番組の一本の企画と、司会者の一言で、因果を持った呪いに変わる。都市伝説の生成過程が、ここまで明確に観測できる例は本当に珍しい。多くの怪談は起源が霧のなかにあるが、カーネルの呪いは誕生日がわかる。この一点だけでも、日本の現代民俗として資料的価値がある。
もうひとつ考えたいのは、この呪いが果たしていた社会的な機能だ。1987年から2001年までの阪神の惨状は、ファンにとって理不尽そのものだった。金を出し、球場に通い、テレビに向かって叫んでも、チームは最下位に沈む。この理不尽をそのまま受け止め続けるのは、精神的にきつい。そこに呪いという説明が差し出された。呪いのせいなら、選手個人を責めなくていい。フロントの無能を憎み続けなくてもいい。自分の応援が無駄だったと思わなくてもいい。呪いは、敗北を人格から切り離して、外部の超自然的な原因に預けるための装置だった。しかも呪いには「解ける」という約束がついている。永遠に負け続けるのではなく、条件が揃えば終わる。この希望の設計が、暗黒時代のファンを支えたのは間違いない。呪いは彼らを苦しめた話ではなく、彼らを持ちこたえさせた話なんだよな。
そして、加害の記憶を保存する装置でもあった。あの夜のミナミは、いま冷静に見れば犯罪の集積だ。店員への暴行、器物損壊、水質の悪い川への集団飛び込み、それによる負傷と、後年には死者まで出ている。当時のマスコミは、これをおおむね微笑ましい熱狂として報じた。牧歌的な時代の甘さだ。だが呪いという物語は、その甘さを完全には許さなかった。あの夜おまえらは一線を越えた、その報いを15年ぶん払え、という道徳劇の骨組みを持っている。ファン自身が、自分たちの加害を怪談の形で保存して、毎年思い出し続けた。これは相当に珍しい自己処罰の形式だと思う。
実際、あの一件以降、道頓堀のファンは人形に手を出さなくなった。くいだおれ太郎もグリコの看板も、その後の熱狂の夜を無傷で越えている。呪いという話が、実質的な抑止力として働いたわけだ。法律でも条例でもなく、怪談が行動を変えた。都市伝説を「くだらない作り話」で切り捨てるとつまらないのは、こういう機能が実際にあるからだ。
最後に、この物語の閉じ方について。2023年に日本一になり、2024年に像が供養された。物語としてはきれいに終わっている。だが、細部を見ると終わっていない。左手が見つかっていない。眼鏡の枠も、両足首も、道頓堀川の底のどこかに沈んだままだ。2009年の捜索は50分で打ち切られている。50分だ。24年待った物語の決着にしては、あっけないほど短い。つまり、いま現在も、あの川底にはカーネルの左手が埋まっている可能性がある。呪いが解けたと言われるいまも、川は物証を握ったままだ。都市伝説が本当に死ぬのは、語る人間がいなくなったときで、物証が回収されたときじゃない。逆に言えば、回収されなかった破片がある限り、この話は完全には死なない。数十年後、また別の整備工事で泥のなかから小さな樹脂の手が出てきたら、そのときネットは間違いなくもう一度沸く。そして誰かが言うはずだ。呪いは、まだ終わってなかったんや、と。この話の一番いいところは、そういう続きの余地を最後まで残していることだと思う。
道頓堀は今日も人が多い。橋の上から水面を覗くと、いまはそこそこ整備されて、昔ほど臭くはない。それでも夜の水はやっぱり黒い。あの下に24年間、白いスーツの老人が笑ったまま横たわっていたと考えると、悪くない気分になる。大阪という街は、そういう笑い方をする街だ。
カーネル・サンダースの呪い ― 道頓堀に沈められた人形と、阪神タイガース18年の暗黒時代
