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夜の川辺で女が泣いていたら、絶対に振り向くな――我が子を沈めた母ラ・ヨローナ、中南米五百年の怪異を骨の髄まで解剖する

夜、川のそばを歩いていて、女の泣き声が聞こえたとする。遠くから聞こえるなら、まだいい。近づいてきたら、走れ。中南米では、これは冗談ではなく生活の知恵として通っている。

ラ・ヨローナ。訳せば「泣く女」。我が子を川に沈めた母親が、死んでも成仏できず、夜ごと水辺をさまよって子どもを探し続けている――という話だ。メキシコからグアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、コロンビア、ベネズエラ、エクアドル、ペルー、ウルグアイ、プエルトリコ、そして米国のテキサス、ニューメキシコ、アリゾナ、カリフォルニアまで。ざっくり言えばスペイン語が話される土地のほぼ全域に、この女はいる。分布の広さでいえば、世界の怪談の中でも最上位クラスだ。

しかもこの話、ただ広いだけじゃない。古い。五百年は確実にさかのぼれる。下手をするともっと古い。そして今も生きている。二〇二〇年代に入ってからも、国境地帯の子どもたちは真夜中に泣き声を聞いたと言い続けているし、映画は作られ続けているし、母親は今日も「言うこと聞かないとヨローナが来るよ」と子どもを脅している。

長い記事になる。腹をくくって読んでほしい。まずは物語そのものから。

川辺の女――物語の完全再話

舞台はメキシコのどこか。時代は植民地期、十六世紀か十七世紀。町の外れの、川に近い集落だ。

そこにマリアという娘がいた。名前はバージョンによってルイサだったりロサリアだったりするが、圧倒的に多いのはマリアだ。彼女は貧しい家の生まれで、しかし美しかった。ただ美しいのではなく、村の男が振り返って足を止めるほど美しかった。伝承の語り手たちは決まってここに時間をかける。肌の色、髪の長さ、歩き方。その美しさが、この話では災いの起点になるからだ。

マリアは自分が美しいことを知っていた。そして、それを使う気でいた。村の若い男たちが言い寄っても相手にしない。彼女が待っていたのは、村の外から来る男だった。

やがて男が来る。馬に乗った、身なりのいい男だ。多くのバージョンでは、この男はスペイン系の裕福な牧場主か、貴族の息子か、軍人だ。つまり、征服する側の人間である。ここが重要だ。彼は銀の飾りのついた鞍にまたがり、上等な布の上着を着て、川沿いの道を通りかかった。そこで水を汲んでいたマリアを見た。

二人は恋に落ちる。というより、男が落ちた。マリアはすぐには応じなかった。これも語りの定番で、彼女は焦らし、男は通い詰めた。何か月も。男は父親に「あの娘と結婚する」と言い、当然反対された。身分が違う。血が違う。それでも男は押し切った。あるいは、押し切ったふりをした。

二人は結婚し、子どもが生まれる。二人が定番だ。男の子二人、あるいは男の子と女の子。数年は幸せだった。マリアは川辺の小さな家で子どもを育て、男は町と家を行き来した。

そして、ここから崩れていく。

男の帰りが減った。最初は月に何度か。次は季節に一度。マリアが問い詰めても、男は「仕事だ」としか言わない。そのうち、噂が耳に入る。町に女がいる、と。しかもそれは、自分と同じ階級の女ではない。男の家柄にふさわしい、白い肌の、教育のある女だ。

決定的な日が来る。夕暮れ、マリアは子ども二人を連れて川沿いの道を歩いていた。向こうから、見慣れた馬車が来る。夫の馬車だ。マリアは子どもの手を引いて道の真ん中に立った。馬車が止まる。夫が窓から顔を出した。

そして、こう言った。「元気か」。

たったそれだけだ。多くの語りでは、この場面での夫の台詞はひどく短い。マリアには目もくれず、子どもたちにだけ何か声をかけ、隣に座っていた女に「では行こう」と言って、馬車を出させた。あるいは、はっきりとこう言ったバージョンもある。「子どもたちは引き取る。お前は要らない」。

馬車が土埃を上げて去っていく。マリアはその場に立ち尽くした。子どもたちが「おかあさん」と袖を引く。

ここからの数分間を、語り手たちは異様に細かく語る。マリアは笑い出した、というバージョンがある。声を上げずに泣いた、というバージョンもある。共通しているのは、彼女がその場から動かず、しばらく何もしなかったことだ。日が落ちて、川面が黒くなるまで。

そして彼女は子どもの手を取って、川へ降りた。

上の子が先だった。マリアは子どもを抱き上げ、そのまま水に沈めた。子どもは暴れた。伝承によっては、上の子が「おかあさん、なんで」と言ったところまで語られる。それでも彼女は手を離さなかった。水が静かになるまで。

下の子は、それを見ていた。逃げようとした、というバージョンが多い。岸を這い上がろうとする小さな背中を、マリアは追いかけて捕まえ、同じようにした。

全部が終わったとき、川は元通りに流れていた。何事もなかったように。

そこで、彼女は正気に戻る。

叫び声が上がった。それが、この伝説の中心にある音だ。「アイ、ミス・イホス」。ああ、わたしの子どもたち。彼女は水に飛び込み、暗い川底を手探りで探した。何度も潜り、何度も浮き上がり、そのたびに叫んだ。だが子どもは見つからない。流されたのだ。

その後どうなったかは、地域によって分かれる。彼女もそのまま溺れた、というのが最も多い。岸に上がって歩き続け、数日後に川下で死んでいるのが見つかった、というものもある。町まで歩いていって、教会の前で息絶えた、というものもある。中には、彼女が自分の喉を掻きむしって血まみれになりながら川岸を歩き回り、飢えと消耗で倒れたという生々しいものもある。

いずれにせよ、彼女は死んだ。そして、天国の門で止められる。

門番――多くの語りでは聖ペトロだ――が問う。「お前の子どもはどこにいる」。マリアは答えられない。「見つけてくるまで、ここには入れない」。

こうして彼女は追い返された。地上に戻され、水辺をさまようことになった。子どもを探して。永遠に。

ここから先が、怪談としてのラ・ヨローナだ。彼女は夜、川や湖や運河や灌漑用水路のそばに現れる。白い服。長い黒髪。顔は見えない。髪で隠れているか、ベールをかぶっているか、あるいは――近づいて見上げると、そこには顔がない。あるいは馬の頭蓋骨のようなものがある。地域によっては目がない。

そして泣きながら歩く。「アイ、ミス・イホス」。

彼女は子どもを探しているので、子どもを見つけると連れて行く。自分の子と間違えて、あるいは代わりとして。水の中へ。だから中南米の親は、日が暮れたら子どもを川に近づけない。

もうひとつ、恐ろしい仕様がある。声の距離だ。グアテマラのバージョンで特に強調されるが、彼女の泣き声は「遠くに聞こえるときほど近く、近くに聞こえるときほど遠い」。つまり、耳元ではっきり聞こえたなら、まだ距離がある。かすかに、遠くから聞こえたなら――彼女はすぐ後ろにいる。

この一点だけで、この伝説は他の追随を許さないと思う。音の遠近という、人間が本能的に信頼している感覚を、まるごと裏返してくる。夜の川辺で泣き声が聞こえたとき、その人は自分の耳を頼りにできなくなる。

この話はいつ、どこから来たのか

ここからは起源の話をする。結論を先に言うと、ラ・ヨローナには単一の起源がない。少なくとも三つの層が重なってできている。征服前のメソアメリカの神話、征服そのもののトラウマ、そしてスペインから持ち込まれたヨーロッパの幽霊譚だ。この三つが十六世紀のメキシコでぐちゃぐちゃに混ざった。

順に見ていこう。

第六の凶兆――征服前夜に響いた声

一番古い層は、スペイン人が来る前の話だ。

メシカ、いわゆるアステカの都テノチティトランには、征服の前に八つの凶兆が現れたという伝承がある。空に燃える穂のようなものが立った。神殿が理由もなく燃えた。湖の水が沸き立った。奇怪な鳥が捕らえられ、その頭の鏡に星空と軍勢が映った――といった具合だ。

その六番目が、これだ。

夜ごと、女の声が聞こえた。都の上を、泣きながら通り過ぎていく声だ。彼女はこう叫んでいた。「わたしの子どもたちよ、わたしたちはもう行かなければならない」。あるいは「わたしの子どもたちよ、わたしはお前たちをどこへ連れて行けばいいのか」。

これを記録したのが、フランシスコ会修道士ベルナルディーノ・デ・サアグンだ。彼は先住民の古老たちから聞き取りを行い、ナワトル語とスペイン語の対訳で膨大な民族誌をまとめた。いわゆるフィレンツェ絵文書、正式には『ヌエバ・エスパーニャ諸事全誌』である。編纂は一五四〇年代から始まり、一五七〇年代後半に完成した。聞き取りの中心は一五五〇年代から六〇年代だ。

つまり、征服から三十年ほど後に、征服を実際に体験した世代の口から出た話ということになる。彼らは「あのとき、夜に女が泣いていた」と語った。そして、あれは我々の滅びを告げていたのだと。

冷静に考えれば、これは後知恵の可能性が高い。帝国が滅んだ後で、過去の出来事に意味を貼り直す作業だ。人間はよくやる。だが、ここで効いてくるのは事実かどうかじゃない。征服から三十年後の先住民が、自分たちの世界の終わりを「泣く女の声」というイメージで語ったという、その事実のほうだ。

失われた世界を悼む声。子どもを奪われる母。この二つが、ラ・ヨローナの核にある。

シワコアトルとシワテテオ――夜の辻に降りてくる母たち

第六の凶兆で泣いていた女は誰か。サアグンの記述をたどると、それは女神シワコアトルだとされる。

シワコアトル。ナワトル語で「蛇の女」。大地と豊穣と出産の女神であり、同時に戦いの女神でもある。サアグンはその姿をこう書き残している。宮廷で使われるような装束を身につけた貴婦人として、しばしば現れた。白い衣。額の上で小さな角が交差するように結われた髪。そして彼女は空中で叫び、吠えた。

さらに強烈な話がある。シワコアトルは市場に現れ、赤ん坊を入れた揺りかごを置いていく。人々が気づいて中を見ると、そこにあるのは黒曜石の生贄の刃だった――という伝承だ。子どもを求める女神が、子どもの代わりに殺しの道具を残す。この転倒はラ・ヨローナのメンタリティにそのまま接続する。

そしてシワコアトルは、シワテテオを従えている。

シワテテオ。出産で死んだ女たちの霊だ。メシカの世界観では、出産は戦闘だった。女は子を産むとき、敵と組み合う戦士と同格の営みをしている。だから出産で死んだ女は、戦死者と同じ栄誉を受ける。彼女たちはモシワケツケ、つまり「立ち上がった勇敢な女たち」と呼ばれ、太陽を天頂から西へ運ぶ役目を負った。

ここまでなら美しい話だ。だがシワテテオには裏の顔がある。

彼女たちは暦の特定の日に地上へ降りてくる。一の鹿、一の雨、一の猿、一の家、一の鷲。この五つの日だ。降りてきた彼女たちは辻に集まる。十字路だ。そして通りかかった子どもを盗み、人に発作や麻痺や狂気をもたらし、男を惑わせて不義に走らせる。だから辻には彼女たちを鎮めるための小さな祠が置かれ、供物が捧げられた。

図像として残るシワテテオの像は、はっきり怖い。骸骨のようにむき出しになった歯と歯茎。鉤爪のように曲げた手。乱れた髪。垂れた乳房。蛇を巻いた腰布。母性の表象と死の表象が、一体の像の中で溶け合っている。

さらに、チョカシワトルという存在も伝わる。「泣く女」という意味だ。ナワトル語のチョカ、泣く。シワトル、女。これが出産死した最初の母とされる。名前からして、もうラ・ヨローナである。

水の側にも先行者がいる。チャルチウトリクエ。「翡翠のスカートをはく女」。川と海と嵐を司る女神で、同時に出産にも関わる。そして彼女は水辺で人をさらう。漁師や渡し守を水に引き込むという伝承がある。民俗学者のバシル・カートリーは、ラ・ヨローナの源流としてこの水の女神を重視する説を立てた。

メシカだけではない。メキシコ各地の先住民文化に、似た存在がいる。プレペチャにはアウイカニメ。飢えの女神であり、出産死した女たちの女神だ。サポテカにはショナシ・ケクリャ。死と冥界の女神で、男を誘惑し、抱き合った瞬間に骸骨に変わる。ラカンドン・マヤにはシュタバイ。美しい女の姿で現れるが、背中側は洞になった枯れ木で、中は空っぽだ。

つまり、征服前のメソアメリカには「水辺か辻に出る、母性と死をあわせ持つ女の怪異」というテンプレートが、すでに各地に大量に存在していた。ラ・ヨローナはゼロから生まれたのではない。既存の土壌に、新しい種が落ちただけだ。

ラ・マリンチェ習合説

三つ目に、最も政治的にややこしい説を扱う。ラ・マリンチェ説だ。

マリンチェ、洗礼名ドニャ・マリーナ。ナワトル語ではマリンツィン。彼女はナワトル語とマヤ語を解する先住民の女性で、エルナン・コルテスの通訳となり、愛人となり、その子を産んだ。征服の成功にはこの女性の言語能力が決定的に寄与した。そのため、後世のメキシコ・ナショナリズムの中で彼女は「裏切り者」の代名詞になる。同胞を白人に売った女、という位置づけだ。

そして伝承はこう言う。あの泣く女はマリンチェだ、と。

なぜか。物語の骨格が同じだからだ。外から来た権力ある男。身分違いの結び付き。生まれる混血の子。そして捨てられる女。マリンチェは実際、コルテスによって部下の一人に譲り渡されている。この「使われて、捨てられた」という筋は、ラ・ヨローナのマリアの物語そのものだ。

しかも、ここに民族の記憶が乗る。マリンチェが泣きながら子を探しているとしたら、その子は誰か。彼女とコルテスの子は、記録上の最初期のメスティーソ、つまり混血児のひとりとされる。すなわち、マリンチェが失った子どもとは、メキシコという国民そのものになる。母が自分の産んだ民族の運命を嘆いて泣いている――そういう読みだ。

十九世紀末から二十世紀初頭のメキシコの文人、ルイス・ゴンサレス・オブレゴンは、著作『メキシコの街々』でこの接続を明確に記している。アステカ征服の後、ドニャ・マリーナが死んでから、人々はあの泣く女こそ彼女だと言い出した。先住民を裏切った罰として、苦しみに戻ってきたのだ、と。

もちろん、これは歴史ではない。マリンチェが子を殺した記録などない。だがこの習合は、伝説に「民族の傷」という次元を追加した。ラ・ヨローナはただの子殺しの幽霊ではなく、征服そのものの化身になった。

一方で、この読みには強い反論もある。二十世紀後半以降のチカーナ・フェミニズムの書き手たちは、マリンチェを裏切り者とする語り自体が女性嫌悪の産物だと指摘してきた。彼女は自ら選んで通訳になったのではなく、そもそも奴隷として贈与された女性だ。責任を女に押し付けているだけではないか、と。この議論は後の節でもう一度扱う。

植民地メキシコ市の記録――白い女が広場を横切る

先住民の神話と、征服の記憶。そこにスペイン側の要素が加わる。

ヨーロッパには「白い婦人」の幽霊譚がある。ドイツの伝承では、貴族の未亡人が恋人に捨てられた末に子どもを殺し、狂気に陥り、修道院で贖罪し、死後は白い姿で現れる。カートリーはこの型とラ・ヨローナの一致を早くから指摘していた。捨てられ、子を殺し、永遠に泣く。骨格が完全に同じだ。

ギリシャ神話にはメデイアがいる。夫イアソンに裏切られ、その報復として自分の子を殺した女。同じくラミアがいる。ゼウスに愛されたためにヘラに子を奪われ、子を喰らう怪物に変えられた女。旧約聖書には、追放されたイスラエルの子らを泣くラケルがいる。ケルトにはバンシー、スラヴにはルサールカ、東南アジアにはポンティアナック。母と水と泣き声のセットは、人類の広い範囲で反復されている。

そのうえで、植民地メキシコ市の記録に入る。

ゴンサレス・オブレゴンの記述によれば、征服からしばらく後、およそ十六世紀半ばから、メキシコ市の住人は夜ごとの怪異に悩まされるようになった。白い服の女が、顔を厚い白いベールで隠して、眠った町をゆっくりと、音もなく歩く。そして鋭く悲しい呻きを上げる。

その声を聞いた者は動けなくなった。歴戦の征服者たちですら、大理石のように青ざめ、冷たくなり、口がきけなくなったという。

彼女は毎晩ちがう通りを歩いたが、行き着く先はいつも同じだった。中央広場だ。かつてウィツィロポチトリの神殿が建っていた、破壊された聖域の跡地である。そこで彼女は東を向いて跪き、最後の慟哭を放つ。そして立ち上がり、湖のほとりへ向かってゆっくり歩き、影のように消える。

この記述は、いろいろな意味で出来過ぎている。破壊された神殿の跡地で、東を向いて泣く女。湖に消える女。テスココ湖はメシカの都を浮かべていた水であり、後にスペイン人が排水して埋め立てていく水でもある。失われた世界が、水に還っていく。

注意しておくと、ゴンサレス・オブレゴンが書いたのは十九世紀末から二十世紀初頭だ。一五五〇年という年代は、彼が後から地元の伝承にもとづいて割り当てたもので、同時代の一次史料で裏付けられているわけではない。ここは正直に言っておく。ただし、彼が採録した伝承そのものは、間違いなく長く語られてきたものだ。

名前を与えられた日――十九世紀の文学化

伝説が「ラ・ヨローナ」という固有名で書き言葉に定着するのは、意外と遅い。

確認できる最も早い時期の一つが、メキシコの詩人マヌエル・カルピオのソネットだ。一八四九年ごろの作とされる。面白いのは、この詩のヨローナには子殺しの要素がないことだ。ここで彼女はロサリアという名の女で、夫に殺された。その霊が川辺で泣いている。それだけだ。

つまり十九世紀半ばの段階では、「泣く女」は必ずしも子殺しの母ではなかった。単に、無念の死を遂げた女の霊で、水辺に出るもの。子殺しという最強のフックは、後から標準装備になったのだ。

ここは伝説の進化を見るうえで極めて重要なポイントだと思う。より恐ろしく、より道徳的に痛い設定のほうが生き残る。捨てられた女が泣くだけの話より、自分の手で子を沈めた女が泣く話のほうが、圧倒的に語り継がれる力がある。淘汰が起きている。

スペイン側にも文学化の系譜がある。カディス出身のイエズス会系の書き手、ホセ・マリア・レオン・イ・ドミンゲスによる『エルビラ、ラ・ヨローナ』がその一つだ。こちらではエルビラという女が悲惨な人生の果てに変貌する。同じ書き手の系譜には「ヨローナの井戸」という題の物語もあり、一八六六年ごろとされる。水辺という舞台がここでも保たれている。

二十世紀に入ると、民俗学の対象になる。ベティ・レディが一九四〇年代に発表した論考、バシル・カートリーが一九六〇年に発表した比較研究などが、この伝説を学術の俎上に載せた。カートリーの功績は、メソアメリカ起源説一本槍だった議論に、ヨーロッパの白い婦人型の伝承という補助線を引いたことだ。

そして現代の決定版が、ドミノ・レネー・ペレスの研究である。十年をかけた調査をもとにした著作『ゼア・ワズ・ア・ウーマン』で、彼女はこう述べる。ラ・ヨローナは、人であり、伝説であり、幽霊であり、女神であり、誘惑者であり、教訓譚であり、隠喩であり、物語であり、象徴である。しかもそれらは交互に現れるだけでなく、同時に成立しうる。

この定義は、ずるいようでいて正確だ。ラ・ヨローナが五百年生き延びた理由は、まさにそこにある。何にでもなれるから、どこでも生きられる。

地域ごとの顔――同じ女、ちがう物語

ここからは、地域別のバージョンを一つずつ見ていく。同じ骨格に、その土地の歴史と地形と社会がどう肉づけしたかを見ると、この伝説の生態がよく分かる。

メキシコ中央部。ここが最も正統派とされる版だ。身分違いの恋、裏切り、川、そして子殺し。舞台はしばしばテスココ湖や、ソチミルコの運河、あるいは町を貫く用水路になる。首都の運河文化と結びついたことで、ラ・ヨローナは「水路の女」として都市化した。ソチミルコでは一九九三年から、死者の日に合わせた野外劇が毎年上演されている。そこで演じられるヨローナは、少し違う。彼女は自分の土地と民を捨てて連れ去られることを拒み、自らと我が子を殺し、スペイン人への復讐を誓う女戦士として登場する。子殺しが、屈服の拒否として描き直されているわけだ。

メキシコ北部。乾燥地帯である。ここでは彼女は砂漠や涸れ川に出る。興味深いのは、北部の一部の版には子殺しのモチーフがないことだ。単に白い女が荒野に立っている。水がない土地では、水にまつわる罪の物語が薄れる。

メキシコ南部。ここでは彼女の泣き声が自然災害の予兆になる。洪水が来る前に、彼女が泣く。水害の多い地域で、伝説が気象警報の役割を引き受けた形だ。

グアテマラ。彼女はマリアと呼ばれる。クリオーリョ、つまりスペイン系の家系か、混血のメスティーサとされることが多い。彼女が沈めるのは婚外子で、名はフアン・デ・ラ・クルスと具体的に伝わる。名前が付いているのが生々しい。そしてこの国の版で最も有名なのが、先に触れた距離の逆転だ。声が近いほど遠く、遠いほど近い。グアテマラの子どもは、この一文と一緒に育つ。

エルサルバドル。彼女は町の目抜き通りから入ってくる。目指すのは墓地か教会だ。声を聞いた者は悪寒に襲われる。そして最も恐ろしい禁忌がある。彼女を見て、その姿を追ってしまった者は、永遠にさまようことになる。見るなではなく、追うな。この国のシグアナバという別系統の女怪とも混ざり合っている。

ホンジュラス。ここではラ・スシアという存在と融合することがある。汚れた女、という意味だ。汚れた白い服をまとい、男の前に現れて破滅させる。ヨローナの母性が薄れ、性と復讐の面が濃くなっている。

ニカラグア。オメテペ島の先住民の女が、男に捨てられてニカラグア湖に我が子を沈めた、という土着化した版がある。舞台が国内最大の湖に置き換えられている。

コスタリカ。二系統ある。ひとつは無害な版で、彼女はただ子を探しているだけであり、人には手を出さない。もうひとつは危険な版で、彼女は人を殺す。ただしその動機が独特だ。彼女は目の前の人間を、自分を裏切ったあの男と取り違えて殺す。つまり事故なのだ。標的は自分ではないのに巻き込まれる、というのが恐ろしい。

コロンビア。谷と山を、川と潟のほとりを、白い長衣でさまよう。長く波打つ黒髪。そして顔は恐ろしい頭蓋骨だ。アンティオキア地方ではマリア・パルド、パストの地方ではタルママという別名で呼ばれる。赤ん坊を腕に抱いていて、顔は隠されているという版もある。二〇二〇年代に入ってからも、地方の町で夜の泣き声の報告が続いている。

ベネズエラ。舞台は植民地期のリャノス、つまり大平原地帯だ。この国で最も知られた変奏がラ・サヨナである。彼女は不貞を働く男、夜遊びする男の前に現れる。若く美しい女として近づき、振り向いたときには巨大な牙をむいている。ヨローナの子探しの側面はほぼ消え、貞操を監視する女怪になっている。社会が伝説に何をやらせたいかが、露骨に出ている例だ。

エクアドル。この国の版は細部が突出して不気味だ。彼女は現れた相手の小指を切り落とす。理由は、川から見つかった我が子の遺体に小指がなかったから。喪失した部位を、他人から回収しようとしている。

ペルー。彼女の声は死の予告になる。とくにワカ、つまり先住民時代の聖なる遺構に立ち入ろうとする農民の周辺で死者が出る前に、彼女は泣く。遺跡への侵犯を戒める番人として機能している。

ウルグアイ。首都モンテビデオのリベラ公園に伝わる版では、彼女と子どもは嵐の夜に湖で事故死したことになっている。殺人ですらない。ただの事故で、ただ悲しい。

プエルトリコ。ここでは消えるヒッチハイカー型の都市伝説と融合した。コアモのラス・カラバサス橋で、女が現れて乗せてほしいと頼む。乗せて走り、後ろを見るともう誰もいない。十九世紀の大洪水と結びつけて語られることもある。

そして米国南西部。これは章を改める価値がある。

学校怪談になった日――テキサスとカリフォルニアの水路で

米国南西部でのラ・ヨローナは、明確に「子どもを水から遠ざけるための装置」として機能している。

テキサス、ニューメキシコ、アリゾナ、カリフォルニア。この地域には灌漑用水路が張り巡らされている。コンクリートで固められた、細くて深くて、流れの速い水路だ。見た目には浅そうに見える。だが一度落ちると、壁が垂直で滑らかなので、大人でも自力では上がれない。米国南西部では、毎年この用水路で子どもが命を落としている。

ここに、五百年の歴史を持つ幽霊がはまり込んだ。

親は子どもに言う。用水路に近づくな。ヨローナがいるから。子どもは水路のそばで泣き声を聞いたと言い合う。教師も知っている。地域の消防も知っている。この伝説は、事実上の安全教育になった。

さらに、学校という空間そのものが伝説を増幅した。校庭の隅の排水溝、体育館裏の側溝、放課後の女子トイレ。米国南西部の学校では、ラ・ヨローナの目撃談が世代を超えて更新され続けている。日本の学校の花子さんや、口裂け女が校区単位で伝播したのと、構造としてはまったく同じだ。休み時間に語られ、下校時に検証され、翌日に増幅される。

地名も伝説に食われている。テキサス州ベア郡、サンアントニオとセギンの間で州間高速道路と交差する小さな川は、ウーマン・ホラリング・クリークという名前だ。訳せば「叫ぶ女の川」。スペイン語のラ・グリトナ、あるいはラ・ヨローナのゆるい英訳だと考えられている。地図に印刷された公式の地名が、幽霊の名前なのだ。

この川を題材にしたのが、チカーナ作家サンドラ・シスネロスの短編集『ウーマン・ホラリング・クリーク』だ。一九九一年刊。表題作の主人公は、メキシコから国境を越えて嫁いだ末に夫の暴力に囚われる。彼女を助け出す女性が、車でその川の橋を渡るとき、雄叫びを上げる。悲嘆の泣き声だったものが、解放の叫びに反転する。

同じ流れで、グロリア・アンサルドゥーアの仕事も外せない。彼女の詩と物語の中で、ラ・ヨローナは脅威ではなく導き手になる。森で迷った少女の前に現れ、母を救う薬草の在り処を教える。恐怖の対象が、知恵を持つ先祖に読み替えられている。

こうしてラ・ヨローナは、二十世紀後半のチカーナ文学の中で、家父長制に抗する象徴として再定義された。加えて近年は、国境で子どもと引き離される移民の母たちの象徴としても語られている。ペレスも指摘するとおり、この伝説の核は結局「喪失」であり、喪失が続く限り彼女は現役でいられる。

目撃談――夜の水辺で何が起きたか

ここからは実際に語られている体験談を扱う。信じるかどうかは各自に任せる。ただ、細部の生々しさは味わってほしい。

ひとつめ。テキサス州エル・パソ、ロウアー・バレー地区。一九九〇年代の終わりごろの話だ。

語り手は当時十一歳の少年だった。家はトレーラーハウスで、すぐ近くに灌漑用の水路が走っていた。ある晩、午前四時ごろに目が覚めた。理由は分からない。ただ、目が開いた。

最初に聞こえたのは、遠くの叫び声だった。水路のほうからだ。彼はそれを、後年こう表現している。廊下の向こうで女が内臓を吐き出す勢いで悲鳴を上げているような音だった、と。

やがて外の様子がおかしくなった。近所の犬が一斉に吠え始めた。猫も鳴き出した。動物が全部起きた。そして叫び声は大きくなり、近づいてきた。近づくにつれ、それが単なる悲鳴ではなく、言葉であることが分かった。

アイ、ミス・イホス。

少年はベッドから飛び出し、両親の寝室へ走った。母親を揺すって起こした。母親が目を覚ましたとたん、叫び声は薄れて消えた。母親は「夢でも見たんでしょ、寝なさい」と言って、また眠った。

彼はその夜、一睡もできなかったという。

ふたつめ。同じくエル・パソ、二〇〇〇年代初頭。同じ語り手が成長して働き始めてからの話だ。

彼はロウアー・バレーのスーパーマーケットで、午前三時から昼までのシフトに入っていた。午前四時ごろ、店の裏口から外に出て、牛乳のケースを取りに行った。搬入口の前だ。街灯はあるが、その先は暗い。

背後から、悲鳴が来た。

近づいてくるのが分かった。彼はこう言っている。背筋を氷が走って、それと同時に、どうしようもない絶望感が来た、と。恐怖ではなく絶望だった、というのが妙にリアルだ。

彼は裏口に走ったが、扉は施錠されていた。オートロックだ。彼は扉を叩き続けた。叫んだ。中の同僚が気づいて開けてくれるまで、どれくらい叩いていたか覚えていないという。

みっつめ。二〇一五年、エル・パソのセダー・グローブ小学校のあたり。リオ・グランデ、つまり米国とメキシコの国境をなす川のすぐ近くだ。

深夜零時前後、川の方角から大きな叫び声が上がった。またしても、近隣の動物が一斉に反応した。犬が吠え、遠吠えを始めた。語り手は今回は大人で、しかも冷静だった。彼はスマートフォンを取り出して録画しようとした。

録画ボタンを押した瞬間、叫び声はぴたりと止んだ。

その少し後、国境警備隊の車両が現れて、川沿いを照らして回った。彼らも音を聞いたのだ。何かを探していたが、何も見つからなかったという。

よっつめ。時代をさかのぼる。ニューメキシコ州、モーラとグアダルピータの間を流れる小川。語り手はパトリシオ・ルガンという男性と、その家族だ。

夕暮れ時、一家は荷馬車で移動していた。小川にさしかかったとき、背の高い、痩せた女が水辺に立っているのが見えた。白い服だった。距離があったので、最初は近所の誰かだと思った。

近づくにつれ、おかしいと気づいた。女は動いていないのに、少しずつこちらに寄ってくる。足が見えなかった。そして声を上げた。

馬が暴れた。これは複数の目撃談に共通する要素で、動物のほうが先に反応するというパターンは中南米の体験談で異様に多い。

一家は馬を叩いてその場を離れた。振り返ったとき、女はもういなかった。

いつつめ。これは幽霊を見た話ではなく、伝説と現実が接触した話だ。

アルバカーキ南部のバジェ地区、パハリート小学校の近く。語り手は当時七歳の女児で、のちに牧師になった人物だ。彼女は学校の近くの灌漑用水路で、同級生の男の子が溺れるのを目撃した。子どもが水に落ち、垂直のコンクリート壁を這い上がれずに流されていく。大人が駆けつけたときには遅かった。

その日から、地域の親たちは前より強い口調で言うようになった。あの水路には近づくな。ヨローナがいる。

彼女は後年、こう振り返っている。あれは幽霊の話じゃなかった。あれは、本当に起きたことに名前をつけただけだった。

むっつめ。祖母の話として伝えられているものだ。語り手はメキシコ系の家庭で育った女性で、自分自身は霊感などない。ただ、祖母は迷信深い人ではなかった、と念を押している。

ある日、祖母は町でヨローナの泣き声を聞いた。すると町中の犬が一斉に吠え始めた。祖母はそれを凶兆だと受け取った。

その日のうちに、親戚のいとこ二人が喧嘩を始めた。取っ組み合いでは済まず、それぞれが刃物を掴んだ。一人は片手の指をすべて失った。もう一人は顔に深い傷を負った。

祖母は言った。あの声は、これを知らせに来ていたのだ。

これがラ・ヨローナ体験談の重要な一面だ。彼女は必ずしも直接手を下さない。声を聞くこと自体が不幸の前触れになる。バンシーの機能とまったく同じである。

実在の事件、地名、そして時代背景

伝説と現実は、何度も接触してきた。

まず水難だ。米国南西部の用水路、メキシコの運河、中米の増水した川。これらは実際に子どもを飲み込んできた。乾いた土地の農業は水路なしには成立しないが、その水路は素人には制御できない速さで流れる。降雨のあとの鉄砲水は、数分で人を運ぶ。子どもが川で死ぬという出来事は、この地域では抽象的な恐怖ではなく、数年に一度は近所で起きることだった。

その現実に、伝説は張り付いている。子どもが流されたあと、大人たちは「ヨローナが連れて行った」と言う。これは責任逃れではなく、たぶん処理の仕方だ。理不尽な死に、物語という枠を与える作業である。

次に、母親による子殺しだ。これは扱いが難しいテーマなので、慎重に書く。

伝説を現実に引き寄せた事件として、しばしば言及されるのが一九八六年五月にテキサス州ヒューストンで起きた出来事だ。メキシコからの移民女性が、バッファロー・バイユーで複数の我が子を水に沈めた。二人が亡くなり、他は救出された。この女性は長期にわたる家庭内暴力の被害者だったことが報じられている。そして取り調べの際、自分はラ・ヨローナだと述べたと伝えられている。

裁判記録上は殺人罪での有罪判決が下されている。だが、この記事でその人の是非を裁くつもりはない。注目したいのは、追い詰められた人間が、自分の行為を説明する言葉として五百年前の幽霊の名前を持ち出したという一点だ。

伝説が現実を形づくった、と言うと強すぎるかもしれない。だが少なくとも、伝説はその人が自分を理解するための語彙になっていた。物語は無害な装飾ではない。

犯罪心理の側から見ると、母親による子殺しの動機分類には「報復型」と「利他型」がある。報復型、つまり配偶者への当てつけとして子を殺す類型は、実は極めて稀だとされる。逆に最も多いのは利他型で、「この子をこの苦しい世界から救ってやらねばならない」という歪んだ確信にもとづくものだ。

ここでラ・ヨローナを見直すと、面白いことに気づく。表向きの筋は報復型だ。夫に裏切られたから子を殺した。だが彼女はその直後に自分も死ぬ。そして永遠に後悔する。これは報復型の行動として一貫していない。むしろ、深い絶望と自己破壊の物語だ。

つまりこの伝説は、表面では「浮気されて逆上した女」という分かりやすい図式を提示しながら、その内部に、まったく違う種類の絶望を抱え込んでいる。だから五百年も刺さり続けるのだと思う。

地名の話もしておく。テスココ湖はメキシコ市の原型を浮かべていた巨大な湖で、植民地期以降に排水されて、今はほぼ消えた。ラ・ヨローナがそこへ向かって消えるという記述は、失われた水そのものへの郷愁とも読める。ソチミルコの運河は、そのテスココ湖水系の生き残りだ。だからこそ、あそこでの野外劇には意味がある。

米国側では、リオ・グランデ、サンアントニオ川、サンタフェ川、コロラド州のヤンパ川、ニューメキシコのシマロン渓谷のトルビー川といった具体的な水系に、彼女は貼り付いている。北はモンタナ州のイエローストーン川のほとりで見たという報告まである。移民が北へ動けば、幽霊も北へ動く。

ネットと考察界隈は何を言っているか

現代のラ・ヨローナは、掲示板と動画プラットフォームの上でも生きている。

まず、体験談の投稿は途切れない。中南米系のコミュニティでは、田舎の祖父母の家で聞いた、川辺で聞いた、深夜のドライブ中に聞いた、といった報告が定期的に上がる。ベリーズのシャイベ村では二〇二〇年代に入ってからも、十字路の間を白い服の女が浮いていた、あれは近所の人の死の予兆だった、という話が出ている。同じくベンケ・ビエホ・デル・カルメンでは、午前二時のバスケットコートのそばで、目のない白い女に出くわしたという報告がある。

一方、懐疑派も充実している。彼らが挙げる説明はおおむね次のようなものだ。

夜間の水面は音を異様に遠くまで運ぶ。しかも屈折の関係で、音源の方向感覚が狂う。だから川辺では「近づいてくる声」という錯覚が起きやすい。

コヨーテやフクロウ、とくにメンフクロウの声は、人間の女の悲鳴とほとんど区別がつかない。実際、動画サイトにはメンフクロウの鳴き声を録音したものが山ほどあり、コメント欄はだいたい「これがヨローナの正体だ」で埋まっている。ネコの発情期の声も同様だ。

金縛りと入眠時幻覚。ベッドサイドに黒い服の女が立っていたという報告の相当数は、これで説明がつく。

そして、文化的プライミングだ。生まれたときからこの話を聞かされて育った人間の脳は、夜の川辺で正体不明の音を拾ったとき、真っ先にヨローナの引き出しを開ける。これは頭の悪さではなく、脳の正常な動作である。

調査系の立場では、超常現象の実地調査を行ってきたクリストファー・チャコンが、二千五百件を超える目撃報告を分析したとされる。そのうち約千七百五十件が非超常的な事象、六百四十三件が誤認と分類され、超常的と確認できたものはなかったと報告されている。

こういう数字を見て「じゃあ終わりだね」と思う人と、「でも残りは何なんだ」と思う人がいる。だいたいそこで話がループする。

考察界隈でもう一つよく議論になるのが、この伝説の政治性だ。

一方の陣営は、ラ・ヨローナを「社会統制の装置」として読む。彼女は、身分違いの恋をするな、婚外子を作るな、母は母らしくあれ、夜に出歩くな、という規範を子どもと女性に叩き込む物語である。植民地体制下では、支配される側を従順にするための道具でもあった。

もう一方は、フェミニズム的な再読を採る。彼女は、家父長制に押し潰された女が最後に残した怒りの声であり、抑圧された者の記憶そのものだ、という立場だ。チカーナ文学の系譜がこちらである。

第三の立場もある。象徴的読解、あるいは寓意読解だ。ラ・ヨローナが泣いている子どもとは、征服によって滅ぼされた先住民世界そのものであり、彼女の慟哭は声を奪われた集団の代弁である、という読みだ。

反証というか、こうした読み全体への冷ややかな指摘もある。要するに、いろんな解釈が成立するのは、この伝説の中身がスカスカだからではないか、という見方だ。骨格が単純で余白が広いから、誰でも自分の主張を投影できる。そこに深い意味があるのではなく、器の形が良かっただけかもしれない。

個人的には、その指摘は半分当たっていると思う。だが「器の形が良い」というのは、民話にとって最大級の賛辞でもある。

映像化の歴史――スクリーンの中の泣く女

映画とラ・ヨローナの付き合いは長い。

一九三三年、ラモン・ペオン監督による同名作品が公開された。これはメキシコ映画史における最初期のトーキー・ホラーであり、ホラーというジャンル自体がメキシコに根付く出発点となった作品だ。伝説はサイレントの時代が終わったその瞬間に、もう映画になっていた。

一九六〇年、レネ・カルドナが再び映画化。一九六三年にはラファエル・バレドン監督による『泣く女の呪い』が作られる。この五十年代から六十年代のメキシコ・ホラーの隆盛は、後の世界のカルト映画ファンに再発見されることになる。

二〇〇六年、リゴベルト・カスタニェダ監督の『キロメートル31』。メキシコの高速道路の特定区間を舞台にした現代ホラーで、伝説を交通事故と都市空間に接続した。

二〇一一年には、より柔らかい扱いのアニメーション作品が作られる。ここでは子どもたちは母に殺されたのではなく、事故で死んだことになっている。子ども向けに角を丸めた形だ。

二〇一七年のピクサー作品『リメンバー・ミー』では、民謡としてのラ・ヨローナが劇中で歌われた。これが日本の観客を含む世界中に「ラ・ヨローナ」という語を届けた影響は無視できない。ちなみにこの民謡は伝説とは直接の筋の関係がなく、失恋の歌である。それでも同じ名前を共有していることが、この語の浸透力を物語っている。

そして二〇一九年、二本の重要作が同じ年に出る。

一本は、ジェームズ・ワン製作、マイケル・チャベス監督のハリウッド版だ。日本では『ラ・ヨローナ 泣く女』の題で公開された。時代は一九七〇年代のロサンゼルス。児童福祉の職員である女性と、その子どもたちが標的になる。世界興行収入は一億二千万ドルを超えた。批評的な評価は割れたが、この作品が果たした役割は明確だ。中南米のローカルな幽霊を、世界規模の商業ホラーの棚に載せた。

もう一本は、グアテマラのハイロ・ブスタマンテ監督による作品で、日本では『ラ・ヨローナ 彷徨う女』の題がついた。こちらは方向性がまるで違う。

主人公は、先住民マヤに対するジェノサイドの罪で有罪判決を受けながら、その判決が上訴で覆された元独裁者の老人だ。モデルは実在の人物で、一九八二年から八三年にかけて政権を握った軍人である。二〇一三年に有罪判決が出たが、のちにその判決は無効化された。これは公的な司法記録として残っている経緯だ。

映画の中で、老人は抗議のデモに囲まれて自宅から出られなくなる。そこへアルマという名の若い先住民のメイドがやってくる。屋敷では水にまつわる怪異が起こり始める。老人は夜ごと女の泣き声を聞く。

終盤、老人の妻がトランス状態に入り、アルマの最期を追体験する。兵士たちに子どもを水に沈められ、自分は老人に殺された記憶だ。その幻の中で、妻は夫の首を絞める。そして現実でも絞めている。

ここでラ・ヨローナは、単なる幽霊ではない。虐殺された先住民女性たちの集合的な記憶であり、司法が果たせなかった裁きの執行者だ。子殺しをした母が、子を殺された母に反転している。

この作品はヴェネツィア映画祭でお披露目され、トロント国際映画祭にも出品され、アカデミー賞の国際長編映画賞にグアテマラ代表として出品されて最終選考の十五本に残った。批評家からの評価は極めて高い。

その後も、二〇二二年にダニー・トレホが出演する作品が作られ、二〇二五年には続編企画やドキュメンタリー的なシリーズが動いている。テレビでも、超常ものの人気シリーズの記念すべき第一話に彼女が登場して以来、数えきれないほどのエピソードに顔を出してきた。ゲームの世界でも、日本の有名な悪魔召喚シリーズに一九九〇年代から召喚可能な存在として実装されているし、近年は彼女を主役にしたホラーゲームも複数出ている。

音楽については先に触れたとおりだ。二十世紀前半から歌い継がれてきた民謡は、チャベラ・バルガスの歌唱によって伝説的な地位を得た。以降、リラ・ダウンズ、アンヘラ・アギラルら数えきれない歌手が録音している。カナダで活動したラサ・デ・セラは、この題名を冠したデビュー作でラテン民俗の闇を主題にし、賞を得た。

日本の産女、姑獲鳥、子育て幽霊と並べてみる

ここで日本の話をしたい。ラ・ヨローナと骨格を共有する怪異が、日本にもきちんとある。

まず産女だ。出産の途中で死んだ女が化けたものとされる。血に染まった腰巻きをまとい、赤ん坊を抱いて夜道に立つ。そして通りかかった人に「この子を抱いてくれ」と言う。

ここが日本版の独自性だ。ラ・ヨローナは子を探すが、産女は子を押し付ける。

抱いてしまうと、赤ん坊はどんどん重くなる。石のように重くなり、抱えきれずに落とせば祟られる。だが、耐え抜いた者には報酬がある。赤ん坊は石や藁打ち棒に変わり、抱えた者は五十人力とも百人力ともいわれる怪力を授かる。黄金の入った袋を与えられたという話もある。

この報酬の存在が、ラ・ヨローナとの決定的な違いだ。日本の産女は、交渉の余地がある。試練を受け、それに耐えれば恩恵に転じる。中南米の泣く女には、そういう回路がない。彼女はただ奪う。

地域差も豊富だ。福島県ではオボと呼ばれ、赤子を抱かせたあと女は成仏して消えるが、抱いた側は喉を噛まれる。対処法として、鉈の紐や手拭いを投げつけろ、赤子の顔を反対向きにして抱け、といった具体的な手順が伝わっている。佐賀県や熊本県ではウグメ。夜明けになると赤子だと思っていたものが石や藁打ち棒だったと分かる。長崎県の壱岐地方ではウンメ、ウーメと呼ばれ、不気味な青い光として現れることがある。茨城県ではウバメトリと呼ばれ、こちらは鳥だ。干してある子どもの服に毒の乳をつけていく。

水辺との関係も、ちゃんとある。愛媛県には、死んだ赤子を包みに入れて捨てた川から赤子の声が聞こえ、夜道を行く者の足がもつれるという伝承がある。ラ・ヨローナと同じ配置だ。

文献も古い。『今昔物語集』には、源頼光の四天王の一人である卜部季武が、肝試しの最中に川の中で産女から赤子を受け取るという説話がある。ここでも舞台は川だ。中国の『酉陽雑俎』や『本草綱目』にある姑獲鳥という妖鳥の観念が輸入され、日本の産女と重ねられて、うぶめに姑獲鳥という漢字が当てられるようになった。江戸期には『諸国百物語』『古今百物語評判』などの怪談集に載り、鳥山石燕の妖怪画によって図像が固定される。

そして、子育て幽霊。これは少し系統が違う。死んだ女が夜な夜な飴屋に現れ、一文銭で飴を買っていく。不審に思った店主が後をつけると、女は墓地で消える。掘り返すと、土の中で赤ん坊が生きていて、飴をしゃぶっている。母親は死後も子を養っていたのだ。

この話には、ラ・ヨローナと正反対の倫理がある。日本の母は、死んでも子を育てようとする。中南米の母は、生きているうちに子を殺し、死後は探し続ける。

同じ「死んだ母の霊」という素材から、これほど違うものが生まれるのは示唆的だ。日本の怪談は母性を賛美する方向に寄せた。中南米の伝説は、母性が壊れる瞬間を凝視した。どちらが怖いかは好みだが、社会に対する批評性という点では、後者のほうが明らかにきつい。

もう一つ、比較して面白いのが口裂け女だ。こちらは水辺ではなく路上に出るが、女の怪異が学齢期の子どもの間で爆発的に伝播し、通学路の恐怖として定着したという点で、米国南西部のラ・ヨローナと構造がそっくりだ。子どもの社会は、女の怪異を運ぶのに最適な媒体らしい。

なぜ「水辺」なのか

ここからは分析の章だ。まず、なぜ水なのか。

理由はいくつも重なっている。

第一に、実利的な理由。水は本当に人を殺すからだ。とくに子どもを。溺死は世界的に見て子どもの事故死の主要因のひとつであり、灌漑用水路や増水した川はその代表的な現場だ。危険な場所に幽霊を配置するのは、共同体にとって合理的な防衛策である。柵を作るより安い。しかも子どもに効く。

第二に、境界としての水。川は生活圏の縁だ。村と村の境、この世とあの世の境。日本でも三途の川があり、ギリシャにもステュクスがある。境界は霊が滞留する場所として世界中で扱われてきた。

第三に、痕跡が残らないこと。これは怪談として決定的だ。水は死体を隠す。地面に埋めれば掘り返せるが、川に沈めれば流れていく。ラ・ヨローナが永遠に子を見つけられないのは、水が忘却の装置だからだ。彼女の刑罰は、探しても絶対に見つからないという構造そのものに組み込まれている。

第四に、音響だ。夜の水面は音を遠くまで運ぶ。しかも川のせせらぎは、人間の耳にとって非常に「解像しづらい」ノイズを含んでいる。水音の中には、人の声に似た周波数成分がいくらでもある。人間の脳は曖昧な音の中に人声を見出すよう出来ているので、暗い川辺に立てば、誰でも高い確率で「何か聞こえた」と感じる。

第五に、メソアメリカの文脈。この土地の神話では、水は単なる自然物ではない。翡翠のスカートをはく女神が支配する領域であり、生贄が捧げられる場所であり、そして征服後には都市の下に埋められて消えた失われた湖でもある。ラ・ヨローナが湖に向かって歩き、影のように消えるという記述は、その土地の歴史そのものを演じている。

なぜ「泣き声」なのか

次に、なぜ音なのか。

ラ・ヨローナの最大の特徴は、視覚ではなく聴覚の怪異であることだ。多くの体験談で、彼女の姿は見えていない。聞こえるだけだ。

これが強い理由は明白だ。姿は目を閉じれば消せる。音は消せない。

しかも泣き声というのは、人間にとって特別な音だ。乳児の泣き声に対する反応は、ほぼ生得的な回路として組み込まれている。人は泣き声を無視できない。放っておけない。だから彼女の声は、逃げようとする者の背中を掴む。近づきたくないのに、耳が離れない。

そして先に触れた距離の逆転仕様である。「遠く聞こえるほど近い」。これを組み込んだ瞬間、この怪異は聴覚を武器から罠に変えた。

さらに言えば、泣き声には主体がない。誰が泣いているのか分からない。姿を持たない悲嘆だけがそこにある。輪郭のない恐怖ほど処理しづらいものはない。

つけ加えると、この伝説には「声を聞くこと自体が災厄」という層もある。ペルーやグアテマラや、先の祖母の話のように、彼女の声は不幸の前触れとして機能する。バンシーと同型だ。この場合、恐怖の対象は幽霊ではなく、これから起きる何かになる。幽霊は、予告編にすぎない。

なぜここまで広まったのか

最後に、伝播の話をする。五百年、二十カ国以上、いまだ現役。この持続力の理由は何か。

まず、教育的な有用性。子どもを水から遠ざけ、若い女に貞操を説き、夜歩きを戒める。親にとって、これほど便利な話はない。実用品は捨てられない。

次に、骨格の単純さと余白の広さ。捨てられた女、死んだ子、水、泣き声。四つの要素しかない。だから覚えやすく、語り直しやすく、土地に合わせて改造しやすい。乾燥地帯なら砂漠に置ける。運河の町なら運河に置ける。学校があるなら校庭の側溝に置ける。国境があるなら国境に置ける。

三つ目に、歴史的な傷への接続。征服、混血、支配、暴力。ラテンアメリカの歴史そのものが、この物語の中に折り畳まれている。マリンチェとの習合、ジェノサイドを描いた映画、国境で引き離される移民の母。同じ形の傷が繰り返し発生する限り、この容器は使われ続ける。

四つ目に、感情の普遍性。取り返しのつかない選択をして、その後の人生を後悔だけで生きること。これは幽霊でなくても分かる。むしろ、生きている人間の多くが薄めた形で経験している。ラ・ヨローナの慟哭は、聞く者の中の何かと共鳴する。

五つ目に、人の移動。移民は幽霊を持って歩く。メキシコからテキサスへ、テキサスから中西部へ、そしてモンタナのイエローストーン川まで。人が動けば話が動く。伝説の分布図は、そのまま人の移動の地図になる。

そして最後に、単純に、怖い。夜の水辺で女が泣いている。近づく音がする。振り向いてはいけない。これ以上シンプルで効く設計は、そうそう作れるものではない。

起源を一本に決めようとすると、必ず間違える

ここまで書いてきて、あらためて整理しておきたいことがいくつかある。総括と、書ききれなかった追加の考察をまとめて置いておく。

まず、この伝説の「起源探し」という営み自体について。

ラ・ヨローナの起源を求める議論は、これまでおおむね三つの型に分かれてきた。実際にそういう事件があったのだとする実話派。神話や実在の人物の話が変形したのだとする変形派。そして、これは象徴であって史実を求めること自体がナンセンスだとする象徴派だ。

この三つは対立しているように見えるが、実のところ、全部正しいのだと思う。というより、伝説というものは複数の起源を同時に持てる。単一起源を仮定すること自体が、たぶん間違っている。

ラ・ヨローナの中には、少なくとも次のものが同居している。出産死した女を戦士として祀り、同時に夜の辻に出る怪物として恐れたメソアメリカの二重の女性観。帝国が滅ぶ直前に空から聞こえたという声の記憶。征服者の子を産んだ通訳の女に投影された民族の自己嫌悪。スペインから持ち込まれた白い婦人の型。植民地都市の夜に響いた実際の噂。十九世紀の詩人がつけた名前。二十世紀の民俗学者がまとめた枠組み。用水路で死んだ子どもたち。国境を越えた移民。ハリウッドの興行収入。

これらは層になっているのではなく、むしろ絡まっている。どれか一本を引き抜けば、全体がほどける。そういう編み物だ。

次に、この伝説の「怖さの設計」を、もう少し細かく分解しておきたい。

怪談の恐怖にはいくつか種類がある。単純な驚き。得体の知れなさ。汚穢への嫌悪。そして、倫理的な居心地の悪さだ。ラ・ヨローナが持っているのは、最後のものが圧倒的に強い。

この話を聞いた人間は、どこかで彼女に同情してしまう。捨てられて、屈辱を受けて、正気を失った。そこまでは分かる、と思ってしまう。だが次の瞬間、彼女は子どもを水に押し込む。同情の回路が開いた直後に、絶対に許容できない行為が来る。この落差の処理に、人の頭は失敗する。

そして、その失敗が恐怖になる。怖いのは幽霊ではなく、自分が一瞬でも彼女に寄り添ってしまったという事実のほうだ。

さらに悪質なのは、彼女が後悔していることだ。もし彼女が悪意の塊であれば、話は単純になる。倒すべき敵として処理できる。だが彼女は泣いている。永遠に。加害者と被害者が同一人物であるという構造は、恐怖の解決を不可能にする。祓うべきなのか、救うべきなのか、決められない。

日本の怪談と比較すると、この点がはっきりする。日本の怨霊は、たいてい「筋が通っている」。四谷怪談のお岩も、番町皿屋敷のお菊も、恨む相手が明確にいる。だから供養という出口がある。ラ・ヨローナには恨む相手が自分しかいない。出口が構造的に存在しない。

三つ目に、この伝説の未来について。

近年のラ・ヨローナは、明確に政治的な方向へ拡張されている。ジェノサイドを扱った映画。国境で子と引き離される母たちの象徴。家父長制への抗議。行方不明になった女性たちの記憶。

これを「本来の伝説からの逸脱だ」と言う人がいるかもしれない。だが、伝説に本来の姿などない。彼女は最初から、そのときどきの社会が抱えている「取り返しのつかないこと」を受け止める器だった。征服の記憶を受けたのも、用水路の死を受けたのも、同じ機能の発現だ。

だから今後も、社会が新しい種類の喪失を経験するたびに、彼女は新しい姿で出てくると思う。次に彼女が泣くのは、どこの水辺だろうか。

四つ目に、体験談の質について、少し踏み込んだ話をしたい。

集められた目撃談を眺めていると、一定のパターンが浮かび上がる。時刻は午前二時から四時に集中する。動物が先に反応する。声は最初遠く、次第に近づく。そして、絶望や無力感といった感情が身体感覚として襲ってくる。

このパターンは、実は生理学的にかなり説明がつく。深夜二時から四時は、人間の体温とコルチゾールが最も低い時間帯で、覚醒の質が落ちる。中途覚醒からの入眠時幻覚が起きやすい時間でもある。動物の反応は、単に人間より聴力が広いからで、遠くの犬が吠えれば連鎖して近所中が吠える。これは幽霊がいなくても毎晩起きている。

だが、それを踏まえてもなお、興味深い点がある。「絶望が来る」という記述の一貫性だ。恐怖ではなく、絶望。これは複数の無関係な語り手が、ほとんど同じ言い方をしている。

これは文化的な脚本の共有かもしれない。ラ・ヨローナとはそういうものだ、と教えられて育ったから、そう感じるし、そう表現する。だとしても、その脚本が数百年にわたって細部まで保存されてきたこと自体が、この伝説の完成度を示している。

五つ目。この伝説を語るとき、避けて通れない倫理の問題がある。

母親による子殺しという実在の悲劇を、エンターテインメントとして消費してよいのか、という問いだ。

正直に言えば、この問いには簡単な答えがない。だが、少なくともこの伝説の内部には、その問いへの一つの応答が埋め込まれている。ラ・ヨローナの物語は、加害者を怪物として切り離さない。彼女は永遠に泣いている。共同体は、彼女を追い出しながら、同時に彼女の声を聞き続けることを選んだ。

これは冷たいようでいて、ある種の誠実さでもある。なかったことにしない。忘れない。だが許しもしない。中間の状態を、五百年維持している。

そう考えると、この伝説が水辺に置かれていることの意味が、もう一段深く見えてくる。水は流れる。過去を運び去る。だが川はいつも同じ場所にあり、水音は絶えない。忘却と持続が同時に成り立つ場所。それが川だ。

彼女がそこにいるのは、たぶん、偶然ではない。

最後に、実用的な話をして終わろう。

もしあなたが中南米や米国南西部を旅していて、夜、川辺で女の泣き声を聞いたとする。地元の人が教えてくれる対処法は、驚くほど一致している。

振り向くな。走るな。声に返事をするな。そして絶対に、彼女を追いかけるな。

エルサルバドルの伝承が言うとおり、彼女を見ることそのものは致命的ではない。致命的なのは、追うことだ。泣いている誰かがいたら助けに行きたくなる、その人間らしい衝動こそが、この罠の作動条件になっている。

つまりこの伝説は、最終的にこう言っている。同情には距離が要る、と。

五百年前に湖のほとりで泣いていた声が、今も国境の川で聞こえている。その事実だけで、この話は十分に価値がある。信じるかどうかは、また別の問題だ。

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