奇怪千万からのお願い

このサイトの記事が面白かった、役に立ったと思って頂けたら、一つお願いがございます。
Amazonで何か買う予定があるとき、その前に下のボタンから入って頂いて買い物をしていただくと
サーバーの運営費と心霊スポットやパワースポットの取材費になります。

ここから入って買い物をすると、金額の数%が紹介料として私に入ります。
貴方様の支払いが増えることは一切ありません。買う物も何でも構いません。
記事をもっとたくさん増やしたいので、ご協力をお願いします。

当サイトではアマゾンアソシエイト以外のアフィリエイトは使用しません
(記事が見づらくなるから・・・)

ノストラダムスの大予言 ― 「1999年7の月」に日本だけが本気で震えた、あの26年間の話

## 「1999年7の月」、この七文字でいまだに背筋がヒヤッとする世代がいる
昭和の終わりから平成のはじめにかけて子ども時代を過ごした人間に「1999年7の月」と言ってみてほしい。たぶん、半分くらいは一瞬だけ真顔になる。笑い話にしながらも、目の奥がちょっと泳ぐんだよな。あれは本当に妙な体験だった。国民の相当数が、それも子どもを中心に、「自分は大人になれずに死ぬかもしれない」と半分本気で思っていた時期が、この国には確かにあった。しかも根拠は、16世紀フランスの医者が書いたとされる四行の詩、たった四行だ。それが海を越えて400年以上経ってから、極東の島国で数百万部規模のパニックを引き起こした。冷静に考えると、これ自体が相当な怪談である。今日はその26年間を、最初から最後まで全部ほじくり返す。
## そもそもノストラダムスって誰だったのかという話
本名はミシェル・ド・ノートルダム。1503年に南フランスのサン=レミ=ド=プロヴァンスで生まれた。ラテン語風に名乗ったのが「ノストラダムス」だ。職業は医師。当時ヨーロッパを何度も薙ぎ払っていたペストの流行に立ち向かった医者として、それなりに名を上げている。薬草を使った処方や、当時としては衛生観念に近い指導をしていたらしく、少なくともインチキ一本で食っていた男ではない。
ただし彼が生きたのは、医学と占星術がまだ地続きだった時代だ。星の配置で病気の見立てをするのが普通で、王侯貴族はお抱えの占星術師を持っていた。ノストラダムスも占星術の暦本、いわゆる年鑑を出して当てていた。カトリーヌ・ド・メディシスに気に入られ、宮廷に呼ばれるところまでいく。つまり彼は「予言者」というより、当時の知識人の一形態として星読みをやっていた医者兼文筆家だった。ここを押さえておかないと、後の話が全部歪む。
## 『予言集』は、そもそも読ませる気がない本だった
彼が遺した『予言集』、日本では『諸世紀』の名で広まった本は、四行詩を100篇ずつ束ねた構成になっている。この「100篇の束」がフランス語でサンチュリ、それを日本語で「世紀」と訳したせいで『諸世紀』という珍妙な邦題が定着してしまった。本当は「百詩篇集」くらいの意味なんだよな。この最初のボタンの掛け違いが、あとで効いてくる。
中身がまた強烈で、書いてあることがほぼ全部ぼんやりしている。地名なのか人名なのか分からない固有名詞、古フランス語とプロヴァンス語とラテン語とギリシャ語が混ざった綴り、時制も主語も曖昧な構文。誰が何をどうしたのか、確定的に読める詩がほとんどない。これは彼が下手だったわけではなく、たぶん意図的だ。当時、王の死や国家の転覆を名指しで「予言」するのは命に関わる。ぼかす必要があった。結果として、400年後の読者が何とでも読める、恐ろしく耐久性の高いテキストが出来上がってしまった。
## 問題の第10巻72番、あの四行はこう書かれている
全部の元凶がこれだ。第10巻の72番。原文はおおむねこうなっている。「L’an mil neuf cens nonante neuf sept mois」で始まる四行詩で、続けて空から偉大な恐怖の王が来る、アンゴルモアの大王を蘇らせる、その前後にマルスが幸福の名のもとに支配する、といったことが書かれている。
一行目を素直に訳せば「1999年、7つの月」あるいは「1999年、7番目の月」。ここに西暦の年がドンと書いてある詩は『予言集』全体でも極めて珍しい。ほとんどの詩は年を明示しない。だからこそこの一篇だけが異様に目立ち、標的にされた。二行目の「un grand Roi d’effrayeur」を「恐怖の大王」と訳すか「恐怖させる大王」と訳すか、あるいは綴りの揺れを踏まえて別の語と読むか。三行目の「Angolmois」をどう扱うか。この二つが、以後の全論争の火種になる。
## 「恐怖の大王」という訳語が持っていた、必殺の破壊力
訳語の話を軽く見ちゃいけない。「恐怖の大王」という日本語、これは発明だ。原文のニュアンスとしては「人を怖がらせる偉大な王」くらいで、しかも版によっては綴りが揺れていて「支払いをする者」の意味に読める可能性まで指摘されている。要するに確定していない。
なのに「恐怖の大王」と四文字漢語で並べた瞬間、それは固有名詞になった。何か巨大で黒い、人格を持った災厄の主体が空にいる、というイメージが一発で立ち上がる。子どもでも意味が分かるし、忘れられない。もしこれが「恐るべき王が来る」みたいな訳だったら、ここまでの現象にはならなかったと思う。日本のノストラダムス騒動は、翻訳のキャッチコピー力によって半分は作られている。
## 「アンゴルモアの大王」をめぐって、人類は400年揉めている
もう一つの謎ワードが「アンゴルモアの大王」だ。これがまた面白いくらい説が割れている。
最も古典的で、実証寄りの研究者がだいたい支持しているのが「アングーモワ地方説」。フランス南西部にアングーモワという地方があり、そこの出身であるフランソワ1世を指しているという読みだ。1672年にテオフィル・ド・ガランシエールという医師が、綴りを「Angoumois」として、大王はフランソワ1世だと注釈をつけている。17世紀末のバルタザール・ギノーもだいたい同じ線で、フランス王の別称として扱った。つまり少なくとも17世紀の時点では、この詩は「フランス王がらみの何か」として読まれていた。世界滅亡の話ではまったくなかったわけだ。
そこに、20世紀に入って派手な説が出てくる。1930年代のマックス・ド・フォンブリュヌは、アングーモワが古代にフン族の侵攻を受けた土地であることに注目して、これはアッティラの復活だと読んだ。息子のジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌがこの路線を継いで、1980年代のフランスでベストセラーを飛ばしている。
さらにケレン味のあるのが「モンゴル説」。Angolmois の綴りを並べ替えると Mongolois になる、というアナグラム読みだ。1961年のエドガー・レオニの注釈にこの説への言及があり、コリン・ウィルソンも導出のやり方を紹介している。これに乗ると「アンゴルモアの大王」は蘇ったチンギス・ハーンになる。空から恐怖の王が降りてきて、チンギス・ハーンが蘇る。字面のインパクトが強すぎて、日本のオカルト誌ではこの説がやたら好まれた。
そして日本で最も広まったのが、五島勉が紹介した「ジャックリー説」だ。中世フランスの農民反乱ジャックリーと結びつける読みで、これはアメリカのヘンリー・ロバーツあたりに前例があるものの、海外ではほとんど追随者がいない特異な説とされている。日本の読者の大半は、世界の主流とは違う読みを主流だと思って26年過ごしたことになる。
## 1973年11月25日、祥伝社から一冊の新書が出た
すべての起点は、この日だ。祥伝社のノン・ブックというシリーズから、五島勉『ノストラダムスの大予言 迫りくる1999年7の月、人類滅亡の日』が刊行された。著者の五島勉は東北大学法学部の出身で、1958年創刊の週刊誌『女性自身』でライターをやっていた人物だ。皇室ものから事件ものまで幅広く書く、腕のいい雑誌記者だった。
本人はのちに、この本について「毎年たくさん出る新書版の中の1冊という感じです。ほとんど機械的に」と語っている。当てにいった大勝負ではなかったらしい。ただ執筆の底には個人的な下地があって、ロシア正教の信仰を持つ母親から幼い頃に黙示録や予言の話を聞かされていたことが、後年の題材選びに効いていると本人が振り返っている。
本の作りは、はっきり言って学術書ではない。四行詩を紹介しては、それがどの歴史的事件に的中したかを畳みかけていく構成で、途中には実在が疑わしい研究者の名前や、原典に見当たらない詩、出所不明の史料がしれっと混ざっている。後年、と学会周辺の書き手、とりわけ山本弘の検証によって、五島が滅亡説の根拠にした引用の多くが創作だったことがほぼ確実視されている。要するに、あれは資料本の顔をした小説だった。
## 3カ月で100万部、最終的にシリーズ全10巻という化け物になる
それが、とんでもなく売れた。刊行から3カ月で公称100万部を突破。1998年8月の時点で発行部数209万部、版を重ねること450版。シリーズ全体では初巻だけで250万部級とされ、全10冊が刊行された。1986年に出た第5巻には「完結編」と銘打たれていたのに、結局そこで終わらず、1998年の『最終解答編』まで続いた。予言の期限が近づくたびに、なし崩しに巻が増えていったわけだ。
この数字の異常さを味わってほしい。当時の日本の人口を考えれば、家に一冊はあってもおかしくないレベルで流通した本ということになる。実際、多くの家庭で親の本棚に背表紙が刺さっていて、子どもがそれを勝手に抜き出して読み、夜眠れなくなった。感染経路としてこれ以上ないほど効率がいい。
## なぜ日本人にここまで刺さったのか。公害とオイルショックの空気
1973年という年号がまた絶妙だった。第一次オイルショックの年だ。トイレットペーパーを求めて人がスーパーに殺到する映像が茶の間に流れ、物価は跳ね上がり、高度経済成長の勢いに急ブレーキがかかった。同時に、水俣病や四日市ぜんそくといった公害が社会問題としてピークにあり、川は泡立ち空はくすんでいた。「このまま行ったら日本は駄目になるんじゃないか」という漠然とした不安が、社会の空気にべったり張り付いていた。
そこに「実は400年前から決まっていた」という物語が降ってきた。不安に形と名前と日付を与えてくれる本だ。国立国会図書館が1999年に組んだ展示でも、第一次ブームはオイルショックと環境汚染への社会不安を背景に、若者層を中心に浸透したと整理されている。人は、正体不明の不安より、正体のある破滅のほうを選ぶ。これは今も昔も変わらない。
## 翌年、東宝が映画にした。そして封印された
1974年8月3日、東宝が映画版『ノストラダムスの大予言』を公開する。丹波哲郎が環境学者・西山良玄を演じ、由美かおる、黒沢年男、司葉子、志村喬といった顔ぶれが並ぶ、堂々たる東宝の大作だ。しかも文部省推薦がついている。国が推した終末映画である。
内容は公害と核の恐怖を全面に押し出したもので、異常気象、放射能汚染による生物の変異、そして核戦争へ向かう人類という筋立てだった。主人公が娘とその恋人に「結婚しても子どもは作るな」と告げる場面があるあたり、当時の絶望の温度がうかがえる。
ところが公開から数カ月後の1974年11月、被爆者団体と反核団体から東宝に抗議が入った。放射能で異形と化した新人類の造形や、食人の描写が、原爆症の患者をデフォルメしたもので差別的だという指摘だ。東宝は約1分45秒をカットした修正版に差し替え、その後、この作品は事実上封印された。完全版の正規ソフト化は現在に至るまで実現していない。1980年代に出た予告編集のビデオが国内正規商品としてほぼ唯一のもので、近年の関連書籍でも問題のシーンの写真は載らない。日本の終末ブームは、最初期に自ら生んだ映像作品を自分で棚の奥にしまい込んだことになる。
## 教室で、子どもたちは真顔で滅亡の話をしていた
ここからが本題みたいなところがある。当時の子どもたちの、あの生々しい空気の話だ。
休み時間、後ろの席の男子が「俺の寿命、あと25年かー」とぼやく。九歳がだ。九歳が自分の残り時間を計算している。別の男子が「隕石が落ちてくる瞬間にジャンプしてれば助かるんじゃね」と言い出して、そこから真剣な議論が始まる。ジャンプしても地面と一緒に自分も動いてるから意味ない、いや空中にいれば衝撃が来ない、みたいな物理の話を、誰も答えを知らないまま延々やる。今思えば微笑ましいが、当人たちは真顔だ。
女子のほうも深刻で、幼稚園の子が「キティちゃんになれないまま死ぬ」と本気で絶望していた話や、セーラームーンの設定年齢である14歳になる前に世界が終わるのが嫌だと泣いた話が残っている。三歳の頃に恐怖を煽るテレビ番組を見せられて、そのまま長く尾を引いたという証言もある。中には嫌いな教科書を切り刻んだ子もいた。どうせ終わるなら勉強なんかしても仕方ない、という論理は、子どもの頭の中では完璧に筋が通ってしまう。
極端なところでは、1999年に地球が滅ぶと信じ込んで学校に行くのをやめた人がいる。当時それを綴った書き手は、後年になって「テレビや雑誌も人類滅亡を煽るようなものばかりだった」と振り返っている。児童向けの雑誌にまで終末の特集が組まれ、自称予言者が次々に現れて、もうすぐ世界が終わると語っていた。子どもが自衛できる情報環境じゃなかった。
## テレビの作り方が、とにかくえげつなかった
この現象を語るなら、テレビの演出は絶対に外せない。あの時代の終末特番は、今のコンプライアンス基準ではまず作れない代物だ。
定番の型があった。まず低いストリングスが鳴る。ナレーションは重く、間を溜めて喋る。画面には赤い文字で「1999年7の月」とテロップが焼き込まれ、四行詩の原文が古文書風の紙に重ねて表示される。そこから再現映像だ。空が赤黒く染まり、都市のビルが崩れ、人々が逃げ惑う。CGがまだ拙い時代だから、逆に手描きの絵やミニチュアの禍々しさが効く。合間にスタジオへ戻ると、大真面目な顔をした研究者らしき人物が「この解釈は動かしがたい」などと断言し、司会が「では我々に残された時間は」と受ける。CMに入る直前に必ず一番怖いカットを置く。もう完全に様式美だった。
子どもはこれを、親と一緒に夜のリビングで見ている。逃げ場がない。番組が終わって布団に入っても、あの音楽が頭の中で鳴り続ける。次の日、学校でその話をすると、クラスの半分が同じ番組を見ていた。こうして恐怖は横に共有され、増幅していく。
## 親たちの反応は、意外なほど冷たかった
面白いのは、大人の温度差だ。子どもが真剣に怖がって「ねえ1999年になったらどうなるの」と聞くと、親はだいたい「そんなもん当たるわけないだろ」と一蹴した。あるいは「その頃にはお前も働いてるよ」と、まったく話を聞いていない返しをする。子どもからすると、この世の終わりが決まっているのに親が呑気に晩酌しているのが理解できない。この断絶が、当時の子どもの孤独をさらに深くした。
もちろん例外もいて、地球が滅ぶならもう働かなくていいと本気で仕事を辞めて遊び倒した大人や、娘たちを学校に行かせず一緒に過ごすことを選んだ親の話も伝わっている。ただ全体としては、大人は日常を回すのに忙しく、終末に付き合っている暇がなかった。1999年当時、政府が地域振興券を配っていて、それを見ながら「人類滅亡の年にやることかよ」と少年が思った、という証言もある。この温度差の記憶が、あの時代の妙な味わいを作っている。
## 90年代、第二次ブームが来る。湾岸戦争とソ連崩壊が燃料になった
一度落ち着きかけた熱が、1990年代に入ってまた燃え上がる。国会図書館の整理でも第二次ブームとして扱われている波だ。きっかけは湾岸戦争とソビエト連邦の崩壊。世界地図が実際に描き換わり、テレビには中東の夜空を横切るミサイルの緑色の映像が流れた。冷戦の終わりという歴史的な地殻変動と、期限が10年を切った予言が、きれいに噛み合ってしまった。
この時期、関連書籍は爆発的に増える。日本で刊行されたノストラダムス関連書は、1973年から1999年までのあいだに200冊を超えたとされる。書店にはコーナーができ、ムック、児童向け、マンガ版、批判本まで揃った。面白いのは、批判本まで一緒に売れていたことだ。国会図書館の展示でも、予言本と批判本が並行して売れるという奇妙な現象が指摘されている。信じたい人も、信じないと言いたい人も、同じ祭りに参加していたわけだ。
## 「恐怖の大王」の正体当てが、完全に謎解きゲームになった
第二次ブームの特徴は、恐怖の大王の中身を当てるコンテストみたいになったことだ。書き手ごとに答えが違い、それぞれが自説の根拠を四行詩から引っ張ってくる。
巨大隕石や彗星の衝突説。これは「空から降ってくる」という字面に一番素直で、支持も多かった。次に核戦争説。冷戦の記憶がまだ生々しい。地球規模の環境破壊説、新種のウイルスによるパンデミック説、巨大火山の噴火説、太陽活動の異常説。さらに攻めたところでは、宇宙人の襲来説や、地球に接近する未知の惑星の説まで出てきた。テロによる都市攻撃を想定する読みもあった。
どれも「四行詩のここがこう読めるから」という理屈がついている。しかし全部が同じ四行から出ているという事実が、この遊びの本質を教えてくれる。テキストが何も言っていないから、何でも言える。読者の側もそれを薄々分かっていて、それでも次の号を買う。あの頃の熱は、恐怖であると同時に娯楽だった。
## 終末を語る空気が、社会の別の場所に流れ込んでいった
ここは慎重に書きたいところだ。1990年代の日本では、終末思想を掲げる新宗教が社会問題化した。とりわけオウム真理教が起こした一連の事件は、日本社会に決定的な傷を残した。この団体を含め、1980年代以降のいくつかの新宗教が、ノストラダムスをめぐる終末ムードから少なからぬ影響を受けていたことは、後年さまざまな検証で指摘されている。オウムによる事件の遠因のひとつにあの本があったのではないか、という論じ方も繰り返しなされてきた。
もちろん、一冊の本が事件を起こしたわけではない。特定の団体が何を教えていたかを紹介する気もない。ただ社会現象の記録として言えるのは、「もうすぐ世界が終わる」という前提が広く共有された社会では、その前提を利用する集団が現れやすいということだ。終わりが決まっているなら、今の常識も法律も暫定的なものにすぎない、という理屈は危険な方向に転がる。四行詩の解釈遊びと現実の事件のあいだには長い距離があるが、空気という媒介はその距離を縮めてしまう。あの時代を振り返るとき、ここは笑い話で済ませてはいけない部分だと思っている。
## そして1999年7月31日が来た。そして、過ぎた
1999年の7月。テレビ各局はさすがにお祭り扱いで、深夜の特番を組み、街頭インタビューで「今日で終わりだと思いますか」と聞いて回った。ネットはまだ黎明期で、掲示板には冗談半分のカウントダウンが立ち、深夜0時をまたぐ瞬間に書き込みが集中した。空を見上げた人が全国に相当数いたのは間違いない。
何も降ってこなかった。
拍子抜けの感覚を、当時中高生だった人たちがよく書き残している。7月が過ぎて、8月になって、学校が始まっても誰も滅亡の話をしていないことに気づく。あんなに教室を支配していた話題が、跡形もなく消えている。それが妙に寂しかった、と語る人が多い。恐怖が消えたことより、みんながあっさり忘れたことのほうがショックだった、というやつだ。
言い訳のバリエーションも即座に出回った。旧暦なら8月だ、いや「7の月」は7番目の月ではない、時差がある、いやすでに大王は降りていて我々が気づいていないだけだ。この「まだ終わっていない」構文は、外れた予言の定番の延命装置だ。
## 8月、新聞のトーンはどうだったか
1999年8月の紙面は、おおむね穏やかな苦笑いだった。社会面や文化面に「恐怖の大王は来なかった」式のコラムが並び、ブームを消費してきたメディア自身の反省めいた文章もいくつか載った。同時に、この26年で何が売れて何が語られたのかを振り返る特集が組まれた。国立国会図書館が7月27日から8月30日まで「終末をむかえて」と題した常設展示を組み、出版物からブームを検証したのも象徴的だ。予言の当否ではなく、ブームの背景と意義を考えてほしい、というスタンスだった。
そして関連書の刊行点数は、2000年以降ぴたりと激減する。26年続いた祭りが、日付が過ぎた瞬間に市場ごと消えた。この落ち方の急さも、日本のノストラダムス現象の特徴のひとつだ。
## ヒトラーを予言していた説の中身。「ヒステル」問題
外れた1999年の話ばかりでは片手落ちなので、「当たった」とされてきた事例も見ておく。最も有名なのがヒトラー説だ。四行詩の中に「Hister」という語が登場し、これがヒトラー(Hitler)を指しているという読みが、20世紀を通じて広く信じられた。第二次大戦中には連合国側も枢軸国側も、それぞれ都合よく解釈した予言のビラを撒いたという話まで伝わっている。
ただし種を明かすと、Hister は当時ドナウ川の下流部を指すラテン語由来の地名だ。ノストラダムスの時代の地理書に普通に出てくる語で、彼自身も別の箇所で地名として使っている節がある。人名ではなく川である可能性が極めて高い。文字が一字違うだけで名前に見えてしまう、というのは典型的なパターン認識の罠で、これに気づかなければ「ノストラダムスはヒトラーを名指しした」という強烈な説得力が生まれる。実際、この一件が20世紀のノストラダムス信仰を支える最大の柱になっていた。
## そして9.11。世界を一周した偽の四行詩
2001年9月、あの事件の直後にインターネットを駆け巡ったメールがある。「神の街で大きな雷が鳴り、二人の兄弟が混沌によって引き裂かれる」といった調子の英文が、ノストラダムスの予言として大量に転送された。日本語にも翻訳されて広まった。
これは複数の出所から切り貼りされた合成品だった。検証者たちの追跡によれば、後半の三行はカナダの学生ニール・マーシャルが、曖昧な予言というものがいかに何とでも読めるかを示すために自作した例文で、ノストラダムスとは無関係だった。最終行に至っては完全な創作とみられている。皮肉にも「予言は事後に当てはめられる」ことを証明するために作られた文章が、まさにその現象の燃料として世界を一周したわけだ。
さらに、実在する四行詩を無理に当てはめる試みもあった。ある論者は第2巻83番を持ち出してワールドトレードセンターだと読んだが、同じ詩は以前、1795年のリヨン包囲戦の予言として解釈されていた実績がある。「北緯45度の空が燃える」という一節をニューヨークだと言い張る解説も出回ったが、ニューヨークは北緯41度だ。45度あたりはモントリオールやベオグラードになる。
## 「予言は事後に当てはめられる」という、身も蓋もない構造
ここまで見ると、仕組みは単純だ。まず、極めて曖昧なテキストが千篇近くある。次に、歴史上のあらゆる出来事という無限のサンプルがある。あとは事件が起きてから、その事件に一番よく似た詩を探せばいい。必ず見つかる。見つからなければ、翻訳の段階で少し寄せればいい。「煙」とも「霧」とも取れる語を「煙」と訳し、「高い建物」を「塔」と訳す。それだけで的中率は跳ね上がる。
人間の脳は、この作業が得意すぎる。確証バイアスというやつで、仮説に合う要素だけが目に飛び込み、合わない要素は視界から落ちる。しかも予言解釈は事後に行われるから、外れようがない。「事前に、具体的に、検証可能な形で」当てた例が一つでもあるかというと、それが出てこない。これが決定的な弱点なんだよな。1999年7の月というのは、実は珍しく事前に日付が確定していた稀有なケースで、だからこそ外れたことがはっきり分かってしまった。
## 実は、日本以外ではそこまで熱狂していなかった
意外に思われるが、あの「1999年に世界が滅びる」という熱狂は、かなり日本ローカルな現象だ。
フランスでは『予言集』は18世紀末までに130版以上を重ね、これまでに確認されている版は少なくとも220種以上あるとされる。つまり数百年かけて、ゆっくり長く読まれ続けてきた古典に近い。1980年代にはジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌの本がベストセラーになったが、それでも「国民全体が特定の一日に怯える」という形にはならなかった。英語圏でも予言解釈本は継続的に出ていたし、1990年代にはテレビのドキュメンタリーもあったが、社会現象としての体温は日本より明らかに低い。
対して日本は、実質的に1973年から1999年までの26年に集中し、その間に200冊超が刊行され、そして期限が過ぎた瞬間にぱたりと止んだ。しかも欧米で積み重ねられてきた実証的な研究はおろか、向こうの愛好家のあいだで通説になっている解釈すら、ほとんど輸入されなかった。日本人が読んでいたのは、ノストラダムスというより五島勉だった。この構造の歪さが、日本の現象を世界的にも特異なものにしている。
## 五島勉はその後、何を語ったか
仕掛け人だった五島勉は、外れたあとどうしたのか。彼は沈黙しなかった。2010年のインタビューでは、1999年7月に何も起きなかったことについて、2001年9月11日の同時多発テロは誤差の範囲と考えていいという趣旨を述べている。ノストラダムスが四行詩を書いたのが1555年前後だと考えれば、2年のずれなど誤差だ、という理屈だ。そのうえで、9.11をもとに詩を読み返すと辻褄の合う部分が多く出てくると語っていた。ここまで来ると、まさに事後的当てはめの実演である。
一方で、社会に不安を広げたことについては「申し訳ない気持ちは大いにあります」とも述べている。ただし彼の言い分としては、本の最終章は「残された望み」というタイトルで、備えれば大丈夫だという警告のつもりで書いた、それなのにマスコミがそこを取り上げず「1999年7月に人類が滅亡する」の部分だけを強調した、という反発があった。この自己認識が正当かどうかは読む人によるだろうが、当時の売り方の空気を知る手がかりにはなる。
五島勉は2020年6月16日、90歳で亡くなった。日本の戦後最大級の予言ブームの震源だった人物が、予言の期限から21年後まで生きたというのは、なかなか含みのある話だと思う。
## 令和の予言ブームは、形を変えて戻ってきた
じゃあ日本人は予言に懲りたのか。ぜんぜんそんなことはない。2025年、ある漫画家の作品に描かれた「2025年7月」の大災難という話が、SNSを通じて爆発的に拡散した。今度は本ではなく、投稿と切り抜き動画と翻訳ツールがエンジンだった。日本語の投稿が中国語圏でも共有され、香港や台湾からの訪日旅行のキャンセルが出るところまでいった。気象庁が予知は不可能だと異例の見解を出す事態にもなった。そして、その日には何も起きなかった。
構造は1999年とまったく同じだ。曖昧なテキスト、具体的な日付、それを増幅する媒体、そして期限後の「まだ終わっていない」という延命。違うのは速度と国境だ。書籍と週刊誌とテレビが数年かけて温めた熱を、いまは数日で世界規模に届けてしまう。しかもアルゴリズムは、怖がっている人にもっと怖い情報を差し出す。26年かけて起きたことが、今なら2週間で起きる。
## なぜ人は「終わりの日付」を欲しがるのか
最後に、根っこの話をしたい。終末の予言が刺さる相手は、いつも決まって不安を抱えた社会だ。1973年はオイルショックと公害、1990年代前半は湾岸戦争とソ連崩壊、そして今は今で、災害と経済と国際情勢がそれぞれに重い。共通しているのは、不安の対象が茫漠としていて、いつ終わるか分からないことだ。
人間はこの「いつ終わるか分からない」に一番弱い。だから日付をくれる物語に飛びつく。日付があれば、それまでの過ごし方が決まる。覚悟もできるし、諦めもつく。逆説的だけど、終末の予言は不安を煽ると同時に、不安に輪郭を与えて安心させる装置でもある。だからこそ何度でも売れるし、何度外れても次が出る。
そして、もう一つ。予言を信じた時間は、当人にとって決して無駄ではなかったりする。1999年に怯えていた子どもたちの多くは、いま笑いながらあの頃の話をする。滅びないと知ってから始めた勉強や、どうせ終わるならと思って手を出した趣味が、その後の人生を作っていたりもする。あの26年間は、日本社会が集団で見た、壮大に長い夢だった。
## あの騒ぎの主役は、ノストラダムスじゃなかった
ここまで書いてきて、改めて浮かび上がるのは「あの現象の主役はノストラダムスではなかった」という一点だ。第10巻72番の四行詩は、確かに存在する。1999年という年号が明記された、極めて珍しい詩でもある。だが16世紀から20世紀半ばまで、この詩を「人類滅亡の予告」として読んだ人間は、ほとんどいなかった。ガランシエールもギノーも、フランス王がらみの何かとして淡々と注釈をつけていた。実証寄りの研究者は今も、アンゴルモアの大王をフランソワ1世と見る線で概ね一致している。ロジェ・プレヴォのように、1099年のエルサレム占領を下敷きにした詩で「effrayeur」は言葉遊びだと読む研究者もいるし、ピーター・ラメジャラーのように1526年のカール5世とフランソワ1世の関係に出典を求める説もある。要するに、この詩は本来「過去の出来事を下敷きにした、フランス史的な連想の産物」として読むほうが自然なのだ。それを未来の破滅の予告に組み替えたのは、20世紀のわれわれのほうである。
この組み替えが日本でこれほど強力に効いたのは、いくつかの条件がきれいに重なったからだと思う。第一に翻訳の断絶だ。「諸世紀」という誤解を含んだ邦題、「恐怖の大王」という強烈な訳語、そして海外の主流解釈が輸入されないままの情報鎖国。読者は比較対象を持たなかった。ある一冊が提示した読みが、そのまま「ノストラダムスの言っていること」として受け入れられる環境が整っていた。第二にメディアの垂直統合だ。新書がヒットし、映画になり、テレビ特番が量産され、児童向けの学習雑誌にまで降りてきた。子ども向けの媒体に載るということは、批判的な読解のできない読者に直撃するということだ。あの世代のトラウマの多くは、大人向けの本ではなく、子ども向けのページから来ている。第三に、日本の宗教的な地形だ。強固な教義体系を持つ宗教が社会の背骨になっていない代わりに、雑多な超常への好奇心が娯楽として流通する余地が大きい。終末論は宗教の枠を通らず、直接エンタメの回路に流れ込んだ。だから広く浅く、ものすごい速さで浸透した。
そして忘れてはいけないのが、この「広く浅い終末気分」が、ある局面で危険な方向へ吸い込まれたという事実だ。1990年代に社会を震撼させた事件の背景に、終末が近いという前提を共有した空気があったことは、繰り返し指摘されてきた。特定の団体が何を教えていたかを語る必要はないし、その気もない。ただ、社会全体が「どうせ終わる」を薄く共有していると、その前提を強く言い切る人間に人が集まる、という力学は記録しておくべきだと思う。娯楽としての終末と、実害を伴う終末の距離は、思っているほど遠くない。ここが1999年騒動の、笑えない部分だ。
構造の話をもう一段掘ると、予言というジャンルの強さは「反証不可能性」にある。曖昧な四行詩は、外れることができない。当たったと言い張ることだけができる。ところが第10巻72番は、うっかり年号を書いてしまった。あれは予言産業にとって自爆的な一篇だったわけだ。だから1999年8月以降、日本のノストラダムス市場は一気に蒸発した。刊行点数が2000年を境に激減した事実が、そのまま「検証可能な予言は死ぬ」という法則を証明している。逆に言えば、生き延びている予言はすべて、検証を回避する形をしている。日付を言わないか、言っても後から動かせる余地を残すか、あるいは「心の準備の話です」と抽象へ逃げるか。予言の生存戦略を観察すると、それがどれだけ巧妙に反証を避けているかがよく見える。
最後に、いまこの現象を振り返る意味について書いておく。2025年に起きた騒動が示したのは、われわれが1999年から何も学んでいない、という単純な話ではないと思う。むしろ学べない構造のほうが更新されたのだ。かつては本を買い、番組を待ち、雑誌の発売日まで数週間かけて恐怖を育てた。いまは通知が届いた瞬間に恐怖が完成し、翻訳を経て国境を越え、旅行のキャンセルという実害に変わるまで数日しかかからない。しかも当時のように「批判本も一緒に売れる」という自浄作用が働きにくい。反証は反証としてタイムラインを流れていくだけで、恐怖と同じ強度では拡散しない。恐怖のほうが常に速い。
だからこそ、あの26年間をきちんと覚えておく価値がある。教訓は「予言を信じるな」みたいな薄い説教ではない。もっと具体的だ。日付が明示された終末の話を見かけたら、まずその日付がどのテキストのどの部分から出ているのかを確認すること。そのテキストの原文が何語で、誰の翻訳を経て自分の目の前に来ているのかを疑うこと。そして、その解釈が事件の前に出されたものか、後から当てはめられたものかを見分けること。この三つだけで、たいていの予言は溶ける。1999年に空を見上げた子どもたちが、身をもって払った授業料がそれだ。恐怖の大王は降りてこなかったが、代わりに、なかなか実用的な護身術を置いていった。

タイトルとURLをコピーしました