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フィラデルフィア実験 ― 消えた駆逐艦の話は、なぜ七十年も死なないのか

軍艦が消えた。しかも瞬間移動して、戻ってきたときには乗員が船体に埋まっていた。こんな話を、世界中の人間が七十年以上語り継いでいる。発端は、一人の男が送った手紙と、書き込みだらけの一冊の本だった。
## 一九四三年十月二十八日、その日に何が起きたとされているか
まずは伝説の側を、信じている人間の語りのままに再現してみる。舞台はフィラデルフィア海軍工廠。時は第二次大戦の真っ最中、大西洋ではドイツのUボートが連合国の輸送船団を食い潰していた。アメリカ海軍は、写真にもレーダーにも映らない艦を作れないかと考えた。そこで白羽の矢が立ったのが、就役したばかりの駆逐艦護衛艦エルドリッジだったという。艦には巨大なコイルが巻かれ、発電機が積まれた。理論的な支柱は、アインシュタインが未完成のまま放ったとされる統一場理論。十分に強い磁場を発生させれば、光も電波も艦を回り込んで通り抜ける――そういう理屈だったらしい。作戦名はレインボー・プロジェクトだと伝えられている。
## 緑の霧が艦を包み、船の形の窪みだけが残った
スイッチが入れられる。発電機がうなりを上げ、艦の周囲の海面が泡立ち始める。やがて青緑色の光を帯びた霧がのし上がってきて、艦体を下から飲み込んでいく。霧はむっちりとしていて、艦の輪郭をひとつずつ食べていく。数分後、霧が晴れると、もうエルドリッジはそこにいなかった。だが完全に消えたわけではない。水面には、艦の船底の形をした窪みが残っていたという。見えない何かが、確かにそこで海を押しのけている。岸壁にいた作業員たちは声も出せなかった。この「船の形の窪み」というディテールは、後発の語り直しの中で追加されていったものだが、あまりに絵になるので定番になった。
## 三百八十キロ先のノーフォークに、艦が現れた
さらに話は飛躍する。同じ頃、バージニア州ノーフォークの泊地に、見慣れない駆逐艦がふっと現れた。フィラデルフィアからは直線距離で三百八十キロ前後。平時なら一日以上かかる道のりだ。目撃した者が目を疑っているうちに、艦はまた消えて、数分後にはフィラデルフィアの元の位置に戻ってきた。往復してしまったわけだ。ここがこの伝説の一番美味いところで、単なる不可視化の話だったものが、一気にテレポーテーションと時空の話に拡張される。後のあらゆる派生は、このノーフォークの一件から枝分かれしていく。
## 帰ってきた船で、乗員たちに起きていたこと
しかし代償は惨かった。戻ってきたエルドリッジに乗り込んだ人間が見たのは、地獄だったという。何人かの乗員は、体の一部が鋼板と一体化していた。腕が壁に沈んでいたり、足が甲板に埋まっていたりする。銀のスプーンをゼリーに落としたような状態だったという表現を使う語り手もいる。もちろん助けようがない。生き残った連中の多くも、吐き気とめまいを訴え、一部は正気を失った。さらに伝説はこう続ける――彼らのうち何人かは、実験後もときどき“フリーズ”するようになった。人前で突然体が透け始め、数日戻らないこともあったという。他の乗員が手で触れて引き戻すしかなかった、という奇妙なディテールまで付いている。
## 実は、この話は一九五五年まで存在しなかった
さて、ここからが本題だ。これだけ壮絶な事件なのに、1943年当時の新聞も、直後の周辺住民の証言も、当時の軍内の噂も、何ひとつ残っていない。この話が世に出るのは、事件から十二年も経った1955年の末だ。しかも発信源はたった一人。この事実を押さえておかないと、この伝説の形は見えてこない。目撃証言が先にあって、あとから研究者が集まったのではない。逆だ。一人の手紙が先にあって、あとから目撃証言が生えてきた。
## 一冊の本に、三色のインクで書き込みがされていた
1955年のある日、ワシントンの海軍研究局に、差出人不明の小包が届いた。中身は一冊の本。モーリス・K・ジェサップの『ザ・ケース・フォー・ザ・UFO』だ。その年に出たばかりのUFO本で、古代の遺跡や重力制御の話にまで手を伸ばしている内容だった。問題は本そのものじゃない。余白だ。本のあらゆる余白に、三種類の色違いのインクでびっしりと手書きの書き込みがされていた。しかも内容が奇妙だった。重力、磁気、宇宙人の種族、海の下の都市。そしてその合間に、海軍が行ったという秘密実験の話が、さも当たり前のことのように淡々と書かれていた。
## Mr.A、Mr.B、そしてジェミ――書き込みの正体
三色のインクは、三人の人物の対話のように見えるよう書かれていた。付けられた名前は「Mr. A」「Mr. B」「Jemi」。彼らは互いの意見に反論したり補足したりしている。この仕掛けが差出人の天才的なところで、一人で書いた妄想より、複数の人間が共有している知識の方がはるかに本物らしく見える。内容も巧妙だった。全部を詳しく説明しない。「例の件」「あの実験」といった言い方を使って、読む側に「自分は知らないけれど、こいつらの間では周知なんだな」と錯覚させる。伏せ字と同じ原理だ。説明しないことが、最強の説得力になる。
## カール・アレン、またの名をカルロス・アジェンデ
差出人はすぐに名乗り出た。1956年1月から、ジェサップ本人に向けて手紙が届き始める。差出人の名はカール・M・アレン。ただし手紙によってはカルロス・ミゲル・アジェンデと名乗っている。彼の主張はこうだ。自分は1943年当時、商船 SS アンドリュー・フルセス号に乗っていた。そして甲板から、エルドリッジが消える瞬間をこの目で見た。手紙の文体は独特だった。大文字をやたらに使い、綴りは乱れ、話はあちこちに飛ぶ。だがその乱れ方がむしろ「本物の兵士が露骨な現実を書いた」という印象を与えた。アレンは生涯を通じて十数通から五十通以上とされる手紙を書き、そのたびに話は少しずつ肥えていった。
## 海軍研究局の二人の士官が、その本に食いついた
ここで一つ、伝説側にとって非常に都合のいい事実が発生する。海軍研究局のジョージ・W・フーバー少佐とシドニー・シャービ大佐が、この書き込み本に強い関心を示したのだ。二人はジェサップ本人を呼び出し、書き込みについて意見を求めている。この一件が後に「海軍が本気で受け止めた証拠」として使われる。だがここは冷静に見る必要がある。当時の海軍研究局は広い領域を担当していて、奇妙な情報に目を通すのは仕事のうちだし、二人は個人的にこの手の話題に興味を持っていたことが知られている。公式な調査命令が出た形跡はない。
## ヴァロ版――百二十七部だけ刷られた幻の本
二人の士官は、テキサスのヴァロ社に依頼して、この書き込みごと本を複写させた。手書きの注釈は赤いインクで再現され、タイプ打ちされ、製本された。刷られたのは百二十七部前後と伝えられている。これがオカルト史で伝説的な「ヴァロ版」だ。仕事の都合で少部数を刷っただけの複写物にすぎないのだが、「数百部しか存在しない、海軍が内部配布した本」という道具立ては、ものすごくロマンがある。後世の研究家たちはこの一冊を神聖視することになるし、現在は復刻が市販されている。伝説には「物証」が必要だ。この件における物証は、艦でも図面でもなく、一冊の奇妙な本だった。
## モーリス・ジェサップという人物
巻き込まれたジェサップというのは、もともと天文学と数学を教えていた人物だ。十分に学識があり、文章も書ける。そこへアレンからの手紙が届き続けた。彼は最初こそ懐疑的だったものの、海軍研究局から呼び出され、ヴァロ版の件を知り、徐々にこの話にのめり込んでいく。ところが並行して、彼の人生は崩れ始めていた。ベストセラーになった作品の後続が売れない。予定していた出版企画が止まる。私生活もうまくいかなかったとされる。この「行き詰まった研究者」というフレームが、後の展開に決定的な影を落とすことになる。
## 一九五九年四月二十日、駐車場の車の中で
1959年4月20日、フロリダ州デイド郡の公園の駐車場で、ジェサップは自分の車の中で亡くなっているのが見つかった。検視官の判断は自殺だった。ここが伝説の転換点になる。彼は長らく抱えていた仕事と生活の行き詰まりに苦しんでいたとされているし、知人への手紙にも強い落ち込みが見える。ところが、検視の手続きに不備があったこともあって、オカルト界はこの死を「口封じ」として読み始めた。知ってはいけないことを知ってしまった男が、公表直前に死んだ。この形になった瞬間、この話は単なる奇談から「隠蔽されている真実」に昇格した。一人の不幸な死が、伝説の燃料になってしまったというのは、やはりやりきれない話だ。
## 一九七九年、バーリッツとムーアが決定版を書いた
ジェサップの死後、この話は一部のマニアの間でのみ回っていた。一般に広まったのは1979年。チャールズ・バーリッツとウィリアム・L・ムーアによる共著が出たことで、一気に大衆化する。バーリッツはすでにバミューダトライアングルの本で世界的ベストセラー作家になっていた。つまり審美眼と発信力のあるプロが、この雑多な話を整理し、時系列を整え、読み物として成立する形に仕上げたということだ。この本で初めて、日付や固有名詞が整備された「フィラデルフィア実験」の定型ができあがった。今日人が語るバージョンのほとんどは、実質的にこの本の子孫だ。
## 一九八四年、映画になって世界に届いた
1984年、この題材は映画化された。主人公の水兵が実験の混乱のなかで十数年後の世界に飛ばされる、というタイムスリップものの作りになっている。この映画がでかかったのは、これ以降、一般の人がイメージする「フィラデルフィア実験」が、文献ではなく映像になったことだ。青白い光、うなる発電機、叫ぶ乗員。これらの絵は、元々の手紙にはない。映画の演出だ。なのに以降の証言や回想は、ここで見た絵に引っ張られていく。実際、後に登場する自称体験者は、この映画を見てから記憶が戻ったと公言している。
## エルドリッジの航海日誌が語る、退屈な真実
さて、反証側の話をする。エルドリッジは実在の艦で、航海日誌も人事記録も残っている。これを読むと、伝説の日程は一瞬で崩れる。まず、エルドリッジの就役は1943年8月27日。実験があったとされる十月下旬の前後、艦はニューヨーク周辺やバミューダでの訓練、そして護衛任務に従事している。フィラデルフィアに入港した記録は確認されていない。さらに海軍側は、そもそも海軍研究局自体が設立されたのは戦後の1946年であり、1943年に同局が不可視化実験を行うのは時間的に不可能だと指摘している。公式見解の文面は一貫していて、不可視化の実験は1943年にも他のいかなる年にも行っていない、というものだ。
## 消磁(デガウジング)――実際にやっていた技術の話
では全部が無から生まれたのかというと、そうでもない。当時の海軍工廠では、消磁、いわゆるデガウジングの作業が日常的に行われていた。軍艦は鋼の塊だから、地磁気を帯びてしまう。その磁気に反応する磁気機雷という兵器があったので、艦に大きなケーブルを巻いて電流を流し、磁気を打ち消す作業が必須だった。これをやると、艦は磁気的な意味で“見えなくなる”。現場の人間は普通に「あの艦を見えなくする作業」と呼んでいたはずだ。この言い回しが、工廠の外に出て、何度か人を経由するうちに「艦を見えなくする実験」になる。伝言ゲームの典型だ。なお、青緑の光については、船上ではしばしば見られるセント・エルモの火のような放電現象で説明できるとする見方が根強い。
## 「フルセス号から見た」という証言の検証
アレンの証言の根幹にあるのは、自分が商船アンドリュー・フルセス号の甲板から目撃した、という部分だ。ここは検証できる。フルセス号も実在の船で、乗組名簿も航海記録も残っている。アレンが乗船していたこと自体は確認されているらしい。だが、彼が主張する日時に両船が同じ水域にいたことを示す記録は確認されていない。さらに、フルセス号の他の乗組員からも、同様の光景を見たという証言は出ていない。これだけの大事件を目の前で見たなら、船中の話題になっていたはずだ。ひとりの証言者しかいない目撃談というのは、やはり苦しい。
## 別の駆逐艦の乗員が語った、酒場の喧嘩の話
この件で一番面白い証言をしたのは、当時エルドリッジの近くにいた別の艦の元乗員だった。彼の説明はこうだ。まず、艦は確かに“見えなくなった”。ただしレーダーと磁気機雷に対しての話だ。次に、フィラデルフィアとノーフォークの間には、一般には知られていない内陸の水路があって、千トン級の小さな艦なら一晩で抜けられた。一般の商船はこの路を使えないので、外から見れば「昨日フィラデルフィアにいた艦が、今朝ノーフォークにいる」という不可能に見える事態が普通に起きる。さらに、乗員が酒場で喧嘩を起こし、店の人間が彼らを店から“消した”――つまり追い出して店からいなくなったというだけの出来事が、伝わるうちに「乗員が店で消えた」になったのではという話までしている。この証言のいいところは、伝説の各要素に対してひとつずつ地味な対応物を用意していることだ。
## アル・ビーレクという「生き残り」の登場
1988年前後から、アル・ビーレクという人物が公の場に現れる。主張は壮大だ。自分は本名をエドワード・キャメロンといい、エルドリッジに乗っていた。弟のダンカンと二人で艦から飛び降り、気づいたら四十年後にいた。その後記憶を消され、別人として人生をやり直さされた――と。彼は自分の記憶が1984年の映画を見てから戻り始めたと公言している。この自白が致命的だった。さらに検証した研究者たちによって、彼が自サイトに掲げていた“エドワード・キャメロン”の写真が、実は1930年代の大学の卒業アルバムから取られた別人のものだったことが指摘された。しかも写真の下の名前さえ直さないまま使われていたという。この指摘で、キャメロン兄弟の物語は根元から崩れている。
## モントーク計画へ、話が接ぎ木される
ビーレクらの語りによって、この伝説はもう一回大きく形を変える。レインボー・プロジェクトは中止されたのではなく、ニューヨーク州ロングアイランドのモントークにあった旧軍事施設へと引き継がれた――という展開だ。ここでタイムトラベル、マインドコントロール、別次元との接触、魂の転送といった要素が一気に流れ込んだ。フィラデルフィア実験は、この段階で単体の奇談ではなくなり、巨大な陰謀論体系の「第一章」になった。これは伝説の延命という意味では非常に効いた。単体の話は反証されれば死ぬ。だが大きな体系の一部になると、反証されても「それも含めて隠蔽工作だ」で吸収できてしまう。
## アレン本人が「作り話だ」と言った日
この件で一番市井に知られていない事実がこれだ。カール・アレン本人が、後年、あるUFO研究団体に対して、一連の話は自分の作り話だったと語ったという記録がある。しかもその後、その撤回をまた撤回している。彼を知る人間の証言は一致していて、アレンは人を担ぐのが好きな男だったとされる。自分の話の真偽について、相手によって、日によって、平気で違うことを言った。この不安定さこそが、彼の話を反証不能にしている。否定しても「圧力を受けたのだ」と読めるし、肯定しても「やっぱり本当だった」と読める。完璧な構造だ。
## 乗組員たちの同窓会と、彼らの不機嫌
1999年、エルドリッジの元乗組員たちの再会の場がもたれ、報道関係者がこの件について尋ねている。回答はひとつで、自分たちの艦はフィラデルフィアに入港したことはない、というものだった。彼らの反応を伝える記事はどれも似たトーンを持っている。自分たちは大西洋で本当に命がけで護衛任務についていた。仲間を失った古参兵もいる。なのに、どこの誰が作ったかわからないオカルト話のせいで、自分たちの艦の名前がテレポーテーションと一緒に呼ばれる。孫に「おじいちゃんの船って消えたんでしょ」と聞かれる。この種の話を楽しむとき、ちゃんと覚えておきたい部分だと思う。
## 日本ではどう紹介されてきたか
日本への入ってき方は、だいたい1980年代だ。オカルト雑誌や子ども向けのいわゆる「世界の謎本」の定番ネタとして、バミューダトライアングルやノアの方舟と並べて紹介された。この時期の日本語の紹介は、ほぼ全部がバーリッツとムーアの本と映画を基にしている。だから、1943年10月28日という日付も、ノーフォークへの瞬間移動も、乗員の融合も、日本では最初からセットで定着している。逆に、アレンの手紙の奇妙さや、ヴァロ版の成立事情や、本人の撤回発言といった“台本の裏側”は、一般の日本語圏に届くのにかなり時間がかかった。ネットが普及して、海外の検証記事や公式文書に直接あたる人間が現れてから、やっと日本語の検証記事も充実し始めた。
## 掲示板と考察界隈で何が話されてきたか
日本語圏のオカルト掲示板でこの題材が出ると、だいたい三つの派に分かれる。一つ目は「消磁で全部説明がつく」派。二つ目は「でもアレンの手紙の中身が奇妙すぎる、あんなものを一人で思いつくか」派。三つ目は「実は当時の海軍にいたSF作家たちの雑談が元ネタでは」派。この三つ目はなかなか魅力的な仮説で、実際、戦時中のフィラデルフィア周辺の海軍施設には複数の有名なSF作家が技術者として勤務していた。彼らが休憩室でしていた「もし艦を不可視にできたら」みたいな雑談が、回り回って外部の人間の耳に入ったとしても不思議はない。もちろん確証はない。だが、この手の伝説の発生の仕方としては、十分にあり得る経路だと思う。
## なぜこの話は半世紀以上も死なないのか
理由はいくつかある。まず、実在の固有名詞が大量に使われていることだ。エルドリッジは実在の艦だし、フィラデルフィア海軍工廠もノーフォークも実在する。消磁作業も本当にやっていた。アインシュタインは実在するし、未完成の統一場理論も実在する。嘘の部分は「つなぎ方」だけだ。本当の部品を並べて、つなぎ目だけに嘘を入れる。これが一番反証しにくい。さらに、この話は「官僚組織の隠蔽」を前提にしているので、公式な否定が出れば出るほど信者にとっての証拠になる。否定すればするほど肥える伝説というのは、構造上、止められない。しかもこの話には“罪の意識”という情緒的なフックがある。国家が兵士を実験台に乗せて壊した、という物語は、技術論では崩せない。
## 物語が先にあって、記憶があとから生えてきた

この伝説を見直していて、一番面白いと思ったのは、「目撃者が実質ひとりしかいない」という事実だ。普通、これだけの大事件なら、艦の乗員だけでも何百人もいる。工廠の作業員もいる。周辺の艦船もいる。だが実際に声を上げたのは、十二年後に手紙を書いた一人だけだった。その後登場する“目撃者”は、全員がアレンの話が公になったあとに現れている。この順番は決定的に重要だ。実体が先にあって証言が集まったのではなく、物語が先にあって、その形に合う記憶が後から生えてきた。人間の記憶はこれを平気でやる。悪意も嘘も必要ない。強い物語を何度も読めば、自分の体験のように感じられるようになってしまう。ビーレクが「映画を見て記憶が戻った」と公言しているのは、皮肉にもこのメカニズムの正直な証言になっている。
もうひとつ、この件の不思議なところは、反証が極めてしっかりしているのに、それが伝説の人気にほとんど影響を与えていないことだ。航海日誌は公開されている。海軍の見解も公開されている。消磁による説明も、乗員の証言も、自称体験者の写真の出所も、全部検証済みだ。それでも、今日も世界のどこかで誰かが初めてこの話を知って、背筋を凍らせている。なぜか。俺は、この伝説が提供しているのが「知識」ではなく「情景」だからだと思っている。青緑の霧。水面に残った船の形の窪み。鋼板から生えている腕。この三枚の絵は、一度見たら忘れられない。一方で、反証が提供するのは日付と書類名だ。絵と日付が戦ったら、人間の脳の中では十回に九回、絵が勝つ。
## 中身が空っぽだから、何十年でも使い回せる

さらに考えておきたいのは、この伝説が持つ「時代の不安を入れる器」としての機能だ。登場した1950年代後半は、核とレーダーと宇宙開発の時代だった。国家は市民に知らせない技術を持っているらしい、という感覚が一般化していた。そこに「兵士を消した実験」の話がしっくり収まった。1979年の本や1984年の映画は、公的機関への不信が極まっていた時期に出ている。モントークへの接ぎ木は、マインドコントロールや隠蔽実験の話題が現実にも議論されていた流れと重なっている。つまりこの伝説は、そのときどきの人々の不安を吸って形を変えてきた。中身が空っぽだからこそ、何十年も使い回せる。
## 当の艦は、地中海を平然と航行していた

最後に、エルドリッジ自身のその後にも触れておきたい。この艦は戦後しばらく米海軍に籍を置いたのち、ギリシャ海軍に引き渡され、別の名前で長く現役を続けた。つまり、世界中が「消えた艦」の話をしている間、当の艦は地中海を平然と航行していたわけだ。実物が目の前に存在していて、見学もできたのに、誰もそれを見に行って“融合した乗員の痕”を探そうとはしなかった。伝説は、実物を必要としない。むしろ実物があると邪魔になる。この件を長年追いかけている人間の中にも、ギリシャ時代の艦の写真をじっと見て、ちょっと拍子抜けになったと語る人がいる。鋼板はただの鋼板だし、リベットはただのリベットだ。乗員の腕などどこにも生えていない。それでもこの話は、今夜もどこかで語られている。人は、退屈な真実より、あの青緑の霧の方を選ぶ。

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