## 店の隅に、見たことのない黒い筐体が置いてあった
ゲームの都市伝説は山ほどあるが、これほど完成度の高いやつはない。ポリビウス。日本では「ポリビアス」と表記されることも多い。
話の骨格はこうだ。1981年、オレゴン州ポートランド郊外の、特に有名でもないゲームセンターに、見たことのない筐体が入った。タイトルは「POLYBIUS」。古代ギリシアの歴史家の名前だ。画面は黒地に鮮やかなベクターライン。シューティングとパズルの間のような、抽象的なゲーム。タイトル画面の下には「© 1981 Sinneslöschen」の文字。聞いたことのないメーカーだ。
子供たちは列を作った。だがやがて、プレイした子の一部がおかしくなる。強烈な悪夢。不眠。夜驚。記憶障害。そして自殺衝動。さらに厄介なのが、黒いコートを着た男たちが定期的に店に現れ、金を回収するでもなく、筐体を開けて中のデータだけを抜いて帰っていく。そして1か月ほどで、筐体はすべて消えた。基板も、チラシも、企業の登記も、何ひとつ残っていない。
完璧な話だ。だからこそ厄介なんだよな。今回はこの筐体の話を、伝説の中身から、初出とデッチ上げ、実在した事件との関係、そして「消えたゲーム」という型がなぜ人を惹きつけるのかまで、全部並べていく。
## 伝説で語られる「ポリビウス」はどんなゲームなのか
まずゲーム内容の描写を拾ってみよう。これが意外と一貫している。
画面は黒。そこに光る線と多角形。当時のベクタースキャンモニタを使ったゲームによくある面構えだ。プレイヤーは自機を動かしながら、押し寄せてくる図形を撃つ。しばしば「Tempestに似ていた」と証言される。Tempestは1981年に実際に稼働していたベクターシューティングで、筒状のフィールドの縁を回りながら奥から上がってくる敵を撃つ。あのぐるぐる回る感覚を知っている人なら、「長時間やったら頭がおかしくなる」という話にリアリティを感じるはずだ。
伝説によれば、このゲームには奇妙な演出があった。プレイ中に一瞬だけ、ゲームと無関係な文字列がフラッシュする。「OBEY(従え)」「SUBMIT(屈しろ)」「NO IMAGINATION(想像するな)」。見えるか見えないかの速さでだ。もちろんこれはサブリミナルの定番ネタなのだが、ゲームという媒体と相性が良すぎる。プレイヤーは強制的に画面を見続けているし、集中していて意識のガードが下がっている。
そしてプレイ後の症状。不眠。悪夢。方向感覚の喪失。自分が何をしていたか思い出せない。目を閉じるとあのベクターの線が見える。一部の子どもはゲームをやめられなくなり、別の一部は二度とゲーセンに近づけなくなった。
## 黒いコートの男たちという、とどめの一手
この伝説の真の発明は、ゲームの内容ではないと思う。黒服の男だ。
伝説では、スーツ姿の男たちが定期的に店に現れる。彼らはゲームをしない。他の筐体にも目もくれない。まっすぐポリビウスのところへ行き、鍵を開けて中をいじり、何かを記録して帰る。店主は何も聞かない。もしくは、聞いてはいけないと分かっている。
金を回収しない、というディテールが重要だ。普通、ゲーセンの筐体に業者が来るのは売上の回収と保守のためだ。金を取らないのにデータだけ取っていくということは、この筐体の目的は商売じゃない。では何か。データ収集だ。プレイした人間の反応を集めている。
つまりこの一行を入れた瞬間に、話のジャンルが変わる。「なぜか人を狂わせるゲーム」というオカルト話から、「国家が一般市民を使って実験をしていた」という陰謀論になる。子どもの悪夢の話が、国家犯罪の話になる。このジャンプアップがあったからこそ、この伝説はゲーマー以外の層にも届いた。
## Sinneslöschen――「感覚を消す」という名の会社
メーカー名のセンスも良い。Sinneslöschen。ドイツ語で Sinne は「感覚」、löschen は「消す・消去する」。つなげると「感覚消去」みたいな意味になる。
ただし、これはドイツ語としてはかなりぎこちない語形だ。ドイツ語話者から見ると「辞書を引いて単語をくっつけた感じ」なのだそうで、この不自然さ自体が「ネイティブではない人間が付けた名前」の証拠として後に指摘されることになる。しかもネット上ではウムラウトが押されて「Sinnesloschen」「Sinneschlossen」など表記がばらばらになっている。伝説の拡散過程で綴りが崩れていくさまは、口承伝説が語り伝えで変形していくのと同じだ。
ちなみに実在のアーケード筐体で、旧東ドイツ製の「Poly-Play」という奇妙なマシンが存在する。複数のミニゲームを内蔵した、社会主義圏の筐体だ。この「Poly」とドイツ語の組み合わせが、ポリビウス伝説の元ネタではないかという説は根強くある。こちらは本当に存在するし、物も残っている。
## 初出は1998年のアーカイブサイトのエントリ
さて、追跡だ。この話はどこから出てきたのか。
現在確認できるいちばん古い痕跡は、コインオプという名のアーケードゲームのデータベースサイトだ。ここは世界中のアーケード筐体の情報を登録していくマニアックなサイトで、現在も稼働している。
ポリビウスのエントリの登録日は1998年8月3日と表示されていた。内容は短い。ポートランド郊外のゲーセン一・二軒にしか入らなかったこと、ギリシアの歴史家の名前がついていたこと、プレイヤーに記憶障害や睡眠障害が出たとされること、そしてあの黒いコートの男たちがデータを回収していたとされること。今日知られている伝説の骨格は、この短いエントリの段階ですでに揃っている。
ところがここに問題がある。のちの検証で、この「1998年」という登録日付が後から差し替えられたものであるという指摘が出ている。アーカイブを追った研究者によれば、ポリビウスのエントリが実際にサイト上で確認できるようになるのは2000年頃だ。つまり「もっと前からあったことにしている」可能性がある。伝説の自己古代化というやつだ。
## 紙媒体への初登場は2003年9月号
ネットの中だけなら、この話はマニアックなデータベースの隅に埋もれたまま終わっていたかもしれない。飛び出すきっかけは、アメリカのゲーム雑誌が2003年9月号でこの話を取り上げたことだった。
雑誌に載るというのは大きい。当時の読者の多くは、ネット上の投稿と印刷された記事を同じ重みで見ない。紙になった瞬間、「誰かのよそ話」は「取材された話題」に昇格する。この記事を見て「そんなゲームがあったのか」と思った人の数は、相当なものだったはずだ。
さらに重要なポイントがある。この記事の執筆者に対して、コインオプの運営者側から接触があったとされていることだ。これがのちに「サイトの宣伝のためにポリビウスは作られたのではないか」という説の根拠のひとつになる。
## 「CYBERYOGI」説と、もうひとつの初出候補
2000年前後、ネット上では別の初出説も回っていた。ドイツの CYBERYOGI を名乗るユーザーが、自分のサイトでこの話を書いていた、というものだ。
この人物は実在する。レトロコンピュータや電子楽器にめちゃくちゃ詳しい人で、ウェブに帯のような長さのテキストを置いているタイプだ。ドイツ語のメーカー名との相性も良い。だが本人は公に「自分が作った」とは認めていない。この説は今も宙に浮いている。
さらに、「もともとは1994年のニュースグループの投稿が起源だ」という主張もある。だがその投稿そのものは見つかっていない。ネット伝説によくあるパターンで、「もっと前からあった」という主張だけが伝言として残り、実物が残らない。目撃情報の代わりに「目撃したという噂」が流通する。
この段階で既に、ポリビウスは「存在しないゲームの噂の、存在しない初出を探す」という二重の入れ子になっている。
## 2006年、「私が作った」と名乗る男が現れた
2006年、伝説は大きく動く。コインオプのコメント欄に、スティーブン・ローチという人物を名乗る投稿が現れた。
主張はこうだ。自分は Sinneslöschen の関係者であり、同社は1978年に自分と他のアマチュアプログラマー数人で立ち上げた小さな会社だった。ポリビウスは政府の陰謀などではなく、しかしテスト中に十代の少年がてんかん発作を起こしたため、危険を懸念して筐体を回収した。だから短期間で消えたのだ――と。
この告白は極めてよくできていた。陰謀論を否定しつつ、伝説の中核(人が倒れた・すぐに消えた)は保存している。しかも「アマチュア集団の自主制作」なら、企業登記も著作権登録も残らないことの説明がつく。リアリティの穴をちゃんとふさいでいる。
だが、これは持たなかった。検証した人間たちによれば、彼の証言には時系列の矛盾が多く、さらに他所の文章からの盗用が含まれていた。ある調査者は、この名前を名乗っていた人物の背景を追っていき、別の問題のある人物像にぶつかったと報告している。結論として、スティーブン・ローチという人物は架空である可能性が高いとされている。コインオプ側も後にこの証言の信頼性を否定している。
面白いのは、この偽の告白が嘘だと分かったあとも、伝説の一部として定着してしまったことだ。今でも「元開発者が告白したらしい」という形で語られることがある。反証された情報が消えずに堆積していくのも、伝説の典型的な振る舞いだ。
## 実在した事件その1――1981年感謝祭、コーラを飲みすぎた少年
ここからがこの話の一番面白いところだ。1981年のポートランドでは、実際に「ゲーセンで人が倒れる」事件が起きている。
感謝祭の週末だった。地元の少年ブライアン・マウロが、マリブ・グランプリという娯楽施設のゲーセンで『Asteroids』の連続プレイ記録に挑んだ。目標は56時間。当時はこういう耐久プレイの記録挑戦が当たり前に行われていて、地元紙のネタになった。
体制は本格的だった。店員が交代で彼の手をもみ、専用のグローブが用意され、休憩のための家具まで運び込まれていた。コインは入れ放題。見物客が集まる。地元のスターだ。
だが28時間ほどで、彼はプレイを中断する。原因は超自然現象でも政府の実験でもなく、コーラの飲みすぎだった。とんでもない量の砂糖とカフェインを何十時間も流し込み続けた結果、胃が壊れた。彼は腕を押さえて店を出た。
ポリビウス伝説の「プレイしすぎた少年が具合を悪くして倒れた」の元になったのは、まずこの一件だと見られている。地元では「ゲームのやりすぎで子供が倒れた」という見出しで語られ、数年すればコーラの部分は落ちる。
## 実在した事件その2――同じ頃、Tempestで倒れた少年
もっと気味の悪いのは、ほぼ同じ時期に、別の少年が『Tempest』をプレイしていて具合を悪くしていることだ。激しい頭痛を訴えたとされ、発作だったとする記録もある。
ここでTempestが出てくるのが重要だ。さっき書いた通り、ポリビウスの見た目の描写は「Tempestに似ていた」なんだ。つまり「Tempestをやっていて倒れた子がいた」という実話が、何年か後に「Tempestのようなゲームで倒れた子がいた」になり、さらに「それはTempestではない別のゲームだった」になった――という変形プロセスが十分に想定できる。
実際、Tempest は発売当初から「目が疲れる」「長くやると気持ち悪くなる」と言われていたタイトルだ。ベクターモニタの高輝度な発光と、座標が回転し続けるゲームデザインの組み合わせは、実際に人によってはきつい。現代のVR酔いと同じようなことが、1981年のゲーセンで起きていた。
## 実在した事件その3――ゲーセンに本当に黒いコートの男が来た日
そしてこれが決め手なんだが、1981年11月、ポートランドの複数のゲーセンに、連邦捜査局の捜査官が一斉に入っている。
目的は超能力でもマインドコントロールでもない。違法賭博だ。当時、アーケード筐体を改造してスロットマシン同様の賭博機にする手口が広がっていて、捜査当局はそれを追っていた。で、捜査官たちは店に入って、筐体を開けて、中の基板を調べ、ハイスコアの記録を控えて帰った。
想像してほしい。ゲーセンにいる十代の子供から見たら、この光景はどう見えるか。スーツの大人が突然入ってきて、ゲームはしない。金も入れない。筐体を開けて中を見て、スコアの数字を控えて、帰っていく。
これ、伝説の黒いコートの男たちの行動とほぼ一致している。実際にあったことなんだ。意味を知らない子供が見たら、それは永遠に謎の光景として記憶に残る。その記憶が何十年か後、ネットの掲示板で別の話と結合する。
さらに1982年には、別のタイトルをプレイ中の少年が心臓の発作で亡くなる事故も起きている。「命を奪うゲーム」というイメージの土壌は、当時のアメリカに確実に存在していた。
## MKウルトラという、使い勝手のいい背景
もうひとつ、この伝説を支えている実在の背景がある。MKウルトラだ。
これはアメリカの情報機関が1950年代から進めていた、薬物や心理操作による人間の制御の研究プログラム。LSDを本人の同意なしに投与したケースなどを含む。ここが肝心なんだが、これは陰謀論じゃない。1975年に議会の委員会がきっちり暴いた、実在のプログラムだ。
つまり1981年の時点で、アメリカ人はすでに「政府は市民を使って心理実験をすることがある」という事実を知っていた。この前提があるから、ポリビウスの話は「ありえない話」にならない。「ありそうな話」になる。都市伝説が強いとき、その隣には大抵、本当にあった何かがいる。
加えて、当時のアーケード業界の事情も都合がいい。大手メーカーは新作を、無告知で小さな店に置いて反応を見る「フィールドテスト」をやっていた。ロゴもない、見たことのない筐体が突然店に現れて、数週間で消える――というのは、当時のゲーセンでは普通に起きていたことなんだ。ポリビウスの伝説は、この「普通に起きていたこと」に陰謀の意味を後付けしたものだとも言える。
## プレイ報告その1:「やったことがある」と書いた男
ネット上には、自分はポリビウスをプレイしたという人間の書き込みがいくつもある。どれも検証不能だが、読み物としてはやたら面白い。
もっとも有名な型はこうだ。当時小学5年生だった男性が、日曜に友達とゲーセンに行った。奇妙な筐体が店の奥にあった。アートワークがない。サイドパネルは真っ黒で、タイトル名だけが白い文字で入っている。上部のマーキーランプもついていない。コントロールパネルにはレバーとボタンが一つだけ。
プレイしてみると、ゲームは意外と面白かったという。だんだん難しくなっていくだけの抽象シューティングで、しかしやめ時の感覚が奇妙だった。コインが尽きて外に出たとき、夕方のはずなのに空が変に明るく見えた。帰り道、自分がどこを歩いているのか一瞬分からなくなった。住んでいる町なのにだ。
その夜、彼はベクターの線が格子のように並んでいる夢を見た。翌週もう一度行ったら、筐体はなくなっていて、店員に聞いても「そんなゲームは入ってない」と言われた。友達に確認したら、友達は覚えていた。だがタイトル名は覚えていなかった。
この手の報告は、楽しいところと不安なところのバランスが絶妙にできている。人間は「とにかく恐ろしかった」という証言より、「楽しかったんだけどなんか変だった」という証言のほうを信じる。
## プレイ報告その2:元ゲーセン店員の話
もうひとつの型は、店側の証言だ。
ある投稿者は、当時オレゴンの小さなゲーセンでアルバイトをしていたと書いている。ある日、オーナーが「この筐体には触るな」と言った。壊れているからではない。売上の集計をしなくていい、という意味だった。筐体の代金は店の売上に入らない。代わりに、月に何度か人が来て金を置いていく。
彼は一度だけ、その回収人を見たという。午前中、客がいない時間帯だった。スーツの男が二人。片方はケースを持っていた。筐体の背面を開けて、中に何かを差し込んで、数分待って、閉めて帰った。一言も口をきかなかった。
彼は当時、特に不思議とも思わなかったと書いている。新しい基板のテストなんてよくあることだと思っていた。奇妙に思えてきたのは、何年も経ってから、ネットで伝説を読んだときだった。自分が昔見た光景と、見たこともない伝説の記述がぴったり重なった。
この証言は、真偽はともかく、伝説というものの働き方をよく表している。人間は、意味を与えられて初めて過去を思い出す。タダの光景だったものが、フレームを与えられた瞬間に証言に変わる。
## プレイ報告その3:両親がゲーセンを禁止した子供
三つ目は、周囲から見ていた人の話。
ある投稿者には、当時仲のよかった友人がいた。ある週を境に、その友人はゲーセンに来なくなった。学校では普通に話すのに、放課後はまっすぐ帰る。理由を聞くと「親に禁止された」とだけ言う。
しばらくして、友人の母親が学校に苦情を入れているという噂が流れた。内容は「ゲーセンに危険なマシンがある」。子供が夜中に叫んで起きるようになった、学校での成績が落ちた、自分の名前を一瞬忘れたことがある、と。
投稿者はこう結んでいる。自分は同じ店に通っていたが、何もなかった。その友人が何をやっていたのかは知らない。ただ、彼はいつも同じ筐体の前にいた。店の一番奥だった。そして、自分はその筐体が何のゲームだったかを思い出せない。
目撃談としては非常に弱い。何ひとつ確定していない。だがこの弱さが逆にリアルだと受け取られる。もし具体的なタイトル名と日付と店名が揃っていたら、検証されて一発で崩れていたはずだ。
## なぜ一枚も写真がないのかという、致命的な問題
ここで冷静になろう。1981年のアメリカのゲーセンに、本当にこの筐体があったのなら、何が残っていなければおかしいか。
まず広告。当時のアーケード業界誌には、新作の広告が山ほど載っている。フィールドテスト中のタイトルでさえ、業界情報には名前が出る。ポリビウスの名前は、どの当時の業界資料にも見つかっていない。
次に著作権登録。当時のアメリカでソフトを商用頒布するなら、登録するのが普通だった。Sinneslöschen の名での登録は確認されていない。
最後に、ハードウェアそのもの。アーケード筐体というのは重い木箱と金属とブラウン管の塊だ。コレクターが世界中で廃倉庫を漁っている。珍しい基板なら高値で取引される。にもかかわらず、本物のポリビウスの基板は一枚も出ていない。筐体も、マニュアルも、フライヤーも、店の写真の背景に写り込んだものさえも。
「政府が全部回収したから」という説明は可能だが、これは反証不能な主張なので議論が成立しない。というか、反証不能にできていることこそがこの伝説の設計上の強さなんだ。
## 後年「発見された」ROMは本物なのか
2000年代以降、何度か「ポリビウスのROMが見つかった」という話が出ている。エミュレータで動くファイルが回ったこともある。
結論から言うと、現在知られているものはすべて後世の制作だ。有名なのは、あるファンプログラマーが「伝説の記述から復元した」として公開した版。これはレトロなベクターグラフィックで、フラッシュするメッセージも再現されている。良くできているが、作者はファンメイドであることを隠していない。
もっと厄介なのは、筐体のほうだ。レプリカ筐体を作る人がいる。しかも極めて出来がいい。アメリカのある、ゲーム筐体を並べたバーがハロウィン企画でポリビウス筐体を制作して店に置いたところ、SNSに上がった写真を見た人が本物だと信じて騒ぎになった。
日本語圏の解説でもこの点を面白がっていて、「存在しないもののレプリカが存在するのだから、もはやこれが本物なのでは」という皮肉のような指摘がされている。これは冗談のようでいて、かなり本質をついている。今やポリビウスは、物として存在している。ただし後から作られた形で。
## 映像・ゲームへの影響と、正規の『ポリビウス』
伝説が一定の知名度に達したことで、各方面で引用されるようになった。2006年にはアメリカの長寿アニメに、「米国政府所有物」と書かれたポリビウス筐体が背景に登場している。この一瞬のギャグで、伝説を知らなかった層の一部が伝説側に流れ込んだ。他にもドラマやオムニバス作品でちょこちょこ顔を出している。
そして2017年、ベテランゲーム作家のジェフ・ミンターが、その名も『Polybius』というゲームを発売する。この人は昔から光と音で脳を揺さぶるゲームを作り続けてきた人で、この企画はあまりにも適任だった。VR対応で、プレイすると本当に一種のトランス状態になるという評判になった。存在しないゲームの伝説が、本当に「意識をやるゲーム」を生んだわけだ。
この逆流が面白い。伝説が先にあって、実体が後から埋められていく。今後もし本物の基板が見つかることがあったとしても、周囲にはすでに何十という偽物が並んでいる。本物を本物と証明するのは、もはや不可能に近い。
## 日本での受容――ネタとしての完成度の高さで受けた
日本での紹介は、英語圏に比べるとかなり遅い。2010年代に入ってから、ネット百科事典系の項目や、ガジェット系メディアの記事を通じて広まった。表記は「ポリビアス」と「ポリビウス」が両方使われていて、これも検索性を下げている要因だ。
日本の反応で目立つのは、この伝説を「信じる対象」ではなく「できのいいネタ」として楽しむ姿勢が当初から強かったことだ。掲示板でも「これ絶対創作だけど設定が絶妙すぎる」「黒服の男がデータ取りに来るってのがいい」といった反応が多い。日本はゲーセン文化が非常に濃い国なので、「ロゴのない謎の筐体がある日突然入って、すぐ消える」というシチュエーションのリアリティが直感で分かる。実際、日本のゲーセンでもロケテストや版権不明の基板は普通に存在していた。
もうひとつ、日本固有の反応として、ポケモンショック事件と重ねて語られることが多い。1997年にアニメ番組の強い点滅で大量の子供が体調不良を起こした事件だ。これは実際に起きた、楽しい映像が人体に直接作用した事例だ。「画面を見るだけで人間は倒れる」という命題を、日本人は国内の事件で先に知っていた。だからポリビウスの話を聞いても「まあ、そういうことは起きるよな」という反応になる。
## 掲示板と考察界隈の気分
この題材をめぐるネット上の議論は、他の都市伝説とは少し雰囲気が違う。真面目に「実在する」と主張している人は、正直、そんなにいない。
代わりに盛り上がるのは「考古学」だ。当時の業界誌をスキャンして探す。ポートランド周辺の1981年の地元紙を追う。当時のゲーセンの営業許可記録を洗う。ファンの中には実際にポートランドに行って当時の店の跡地を回った人もいる。この手の調査は、成果としてはすべて空振りに終わっている。だがその過程で、さっき書いたような1981年の実在の事件が次々に発掘された。伝説を追った結果、実在のアーケード史が詳しくなった。悪い話じゃない。
もうひとつの論点は「誰が得をしたのか」だ。前述の通り、初出のサイトの運営側が自作自演で話題を作ったのではないかという説は、映像作家の検証動画などで何度も提起されている。データベースサイトにとって、「ここにしかない情報」は最強の集客コンテンツだ。動機としては十分に成立する。もちろん、推測の域を出ない。
反証側でもっとも強いのは、シンプルなやつだ。「1981年に自殺者が出るほどの事態が起きていたなら、地元の新聞が一行も書かないはずがない」。マスコミの目が届かない場所ではなく、アメリカの都市郊外のゲーセンだ。しかも当時は「ビデオゲームは子供に悪影響」というバッシング報道が大好きだった時代だ。報じない理由がない。
## なぜ「消えたゲーム」という型はこんなに人を惹きつけるのか
最後に、この型そのものについて考えたい。実は「存在しないゲーム」の伝説は、ポリビウスだけじゃない。世界中にある。日本にも「ロゴのない筐体」「存在しないはずのソフト」の話は山ほどある。なぜこの型が何度も生まれるのか。
ひとつには、ゲームという媒体が消えやすいからだ。本は残る。レコードも残る。だがアーケード基板は壊れるし、中古屋に回され、分解され、部品取りにされる。実際、現存が確認されていないアーケードタイトルは本当に存在する。名前だけは業界誌に残っているのに、実物が一台も見つからないタイトル。この「本当に消えたゲーム」が存在するから、ポリビウスの話にリアリティが宿る。
もうひとつは、子供時代の記憶の性質だ。ゲーセンに行っていた世代の多くは、「タイトル名は思い出せないけど、ああいうゲームがあった」という記憶を必ず持っている。子供はタイトル名を覚えない。覚えているのは画面と手の感覚と音だ。だから大人になってから探しても見つからない。この「思い出せないゲーム」の感覚は、だいたいの人が実体験として持っている。ポリビウスの伝説は、その実体験に名前をつけてしまった。
そして三つ目。ゲームは、人間を一定時間、強制的に画面の前に固定する装置だ。こんなに都合のいい実験装置はない。しかも対象は自発的に金を払って座ってくれる。この構造に気づいてしまうと、「もし誰かがこれを悪用したら」という想像は自然に出てくる。ポリビウスは、ゲームという媒体に元々内在していた不安を、そのまま形にしただけの話なんだよな。
## 掘れば掘るほど面白くなる、という反則
ここまで並べてきて、この伝説の一番の強みは何かを改めて考えると、「検証すると面白い」という一点に尽きる。
大抵の都市伝説は、検証した瞬間につまらなくなる。写真が合成でした、証言者が架空でした、はい終了。ところがポリビウスは逆だ。検証を進めると、1981年のポートランドで実際に何が起きていたのかがどんどん見えてくる。感謝祭の週末に56時間プレイに挑んでコーラで自滅した少年。同じ頃にTempestで具合を悪くした別の少年。違法賭博を追って店に入り、筐体を開けてハイスコアを控えて帰ったスーツの男たち。数週間で消えるフィールドテスト筐体。公に暴かれた政府の心理実験プログラム。
この部品を全部並べて、とにかく一本の線でつないだものがポリビウスだ。つまりこの伝説は、完全な創作ではない。実在の断片を集めて、間を想像で埋めたものだ。ゼロから作られた嘘より、こういう「事実の間を埋めた嘘」のほうがはるかに強い。どの部品を取っても本物なので、検証すると必ず何かが見つかる。見つかると人は「やっぱり何かある」と思う。
もうひとつ、時間の問題も大きい。1981年というのは、インターネット以前の時代だ。写真はフィルムで、現像しなければ見られない。地元の小さな出来事は、地元の人の記憶にしか残らない。つまり検証しようにも、検証の材料が決定的に不足している。もしこれが2005年の話だったら、携帯の写真もブログも掲示板のログも残っていて、一日で決着していたはずだ。ポリビウスは、記録が薄い時代の、記録が薄い場所を選んでいる。これを意図的にやっているなら、やった人間はなかなか題材を選ぶセンスがある。
歴史家の名前をタイトルに使っているのも、今見ると奇妙に効いている。ポリビウスという人物は、古代ローマの台頭を記録した歴史家で、「何をもって信頼できる記録とするか」を真剣に考えた人だ。目撃していない人間の証言を信じるな、現地を見てから書け、ということをやかましく言っていた。その名前を、一枚の証拠もない伝説が背負っている。ネタなのか偶然なのかは分からないが、相当に皮肉が効いている。
最後に、この伝説の現在地を確認しておきたい。事実としては、実在を示す証拠は一つもない。初出はネット上のデータベースのエントリで、その登録日付にも疑義がある。偽の告白をした人物はおそらく架空だ。名乗ったメーカーの登記もない。現存するROMや筐体はすべて後世の制作である。ここまではもう動かない。
だが、この話はそれでも死なないだろう。なぜなら、この伝説が本当に取り扱っているのはゲームではないからだ。取り扱っているのは、「楽しいと思って向かっている画面が、実はこちらを見ているのではないか」という不安だ。これは1981年より2026年のほうが、はるかに切実な不安だ。我々は今、一日何時間も画面の前に座っている。その画面は我々の反応を記録しているし、そのデータを定期的に取りに来る人間も実在する。黒いコートは着ていないし、店にも来ない。コードを書いて遠隔で取るだけだ。
だからこの伝説は、レトロな皮をかぶった現代の話として読める。存在しない筐体の話をしているつもりで、ちゃんと存在する何かの話をしている。こういう伝説は強い。これからも定期的に「実は見たことがある」という人が現れ、定期的に「発見された」基板が出てきて、定期的に否定されるだろう。そしてその循環のたびに、この存在しないゲームは少しずつ実在に近づいていく。もしあなたがどこかの店の奥で、アートワークのない真っ黒な筐体に出くわしたら、たぶんそれはレプリカだ。たぶんな。
ポリビウス ― 1981年のポートランドに現れて消えた、存在しない筐体の話
