- 森の奥に、やたら背の高い黒服が立っていた
- すべては「心霊写真を捏造しろ」というお遊びから始まった
- 2009年6月10日、Victor Surgeという名前の男が投下した2枚
- キャプションの何がそんなに効いたのか
- 翌日、彼は「もう一枚ある」と言った
- スレッドが化けた瞬間――みんなが勝手に設定を足し始めた
- /x/へ、DeviantArtへ、そして世界へ
- Marble Hornets――「オペレーター」と呼ばれた男
- totheark、あるいは返信してくる何か
- EverymanHYBRID:筋トレ動画のはずだった
- TribeTwelve:従兄弟の死を追いかけた男
- Creepypasta Wikiで増殖した「設定」たち
- スレンダーシックネス、そしてプロキシという発明
- 8枚の紙を拾うだけのゲームが世界を壊した
- 体験談その1:帰り道の街灯の下に立っていた
- 体験談その2:子どもの絵に写っていたもの
- 体験談その3:実況配信中に起きたと言われている出来事
- 日本にはどう入ってきたか――八尺様とくねくねの隣に座った怪人
- 2014年5月31日、ウィスコンシン州ウォキショー
- 法廷が出した答えは、「ネットのせい」ではなかった
- 「作者がいるのに伝承になった」という事件
- 掲示板と考察界隈が交わした議論
- なぜ「顔がない」が、こんなに効くのか
- 主役は怪物じゃない。受け取った側だ
森の奥に、やたら背の高い黒服が立っていた
最初に言っておくと、こいつには作者がいる。名前も生年月日もあるし、何時何分にどの掲示板へ投稿されたかまで分かっている。なのに今、世界中の子どもがこいつの絵を描いている。真夜中の森でこいつを探す連中もいるし、一部の大人は本気で「実在する」と思っている。異常な話だ。
普通、都市伝説っていうのは出どころが分からないから怖い。誰が言い出したかも、いつからあるかも分からない。だからこそ「本当かもしれない」という隙間が生まれる。ところがスレンダーマンは真逆だ。出どころが完全に分かっているのに、伝承化した。
これは怪談史のなかでもかなり珍しい事故みたいなもので、民俗学者が本を書くレベルの珍事なんだよな。姿そのものはシンプルで、異様に背が高くて、細くて、手足が長すぎる。黒いビジネススーツにネクタイを締めている。そして顔がない。
真っ白でのっぺりした、卵みたいな頭が乗っているだけだ。背中から黒い触手が何本も伸びている描写もあるが、これは後から足された設定だ。基本の三点セットは「高い・細い・顔がない」で説明がつく。これだけで人間は勝手に怖がる。今回はこの怪人が、たった2枚のコラ画像からどうやって世界規模の怪談になったのかを、最初から最後まで追いかけていく。
すべては「心霊写真を捏造しろ」というお遊びから始まった
舞台はSomething Awfulという海外の老舗掲示板だ。日本でいえば、悪ノリと自虐と内輪ノリが煮詰まった巨大コミュニティを想像してもらえばいい。ここの画像加工板では、昔から定期的にコンテストが立っていた。お題を決めて、みんなでPhotoshopの腕を競う。
優劣を決めるのはレス数と反応の熱量で、金は出ないが笑いと称賛は出る。それで十分だった。2009年6月8日、そのスレッドに新しいお題が立つ。「paranormal images」、つまり心霊写真や超常写真を作れ、というものだ。
ただし条件がひとつあった。単に不気味な写真を作るだけではダメだったのだ。それをオカルト系サイトに投稿して、「本物だ」と信じ込ませられるレベルの説得力を持たせろ。そういう趣旨だったらしい。つまり最初から「騙す」ことがゲームの目的だった。
ここがめちゃくちゃ大事なところで、スレンダーマンは生まれた瞬間から「本物っぽく見せる」ことに最適化されていた。デザインコンテストではなく、詐欺コンテストだったわけだ。最初のうちに投下されたのは、よくある感じのものだった。窓に映る影、墓地の白いモヤ、心霊写真のテンプレをなぞった加工。
悪くはないが、どれも既視感がある。スレッドはそれなりに盛り上がりつつも、決定打がないまま二日が過ぎた。
2009年6月10日、Victor Surgeという名前の男が投下した2枚
6月10日、Victor Surge というハンドルネームのユーザーが2枚の画像を投稿する。中の人はエリック・クヌードセン。当時20代の男性で、ホラー好きの一般人だ。プロの作家でも映画監督でもない。
1枚目は白黒写真で、写っているのは公園の遊具、そして子どもたちが数人。日常の記念写真にしか見えない。だが画面の奥、木立の手前に、異様に細長い人影が立っている。ピントは合っていないし、顔もはっきりしない。
ただ、明らかに背が高すぎるし、明らかに手足が長すぎる。子どもたちはそれに気づいていない。そこが怖い。2枚目には、今度は子どもの集団が写っている。やはり画面の隅、木々の間に、あの黒い縦棒みたいな人影がいる。
腕が異常に伸びているようにも見える。粒子が粗く、当時のフィルム写真特有のざらつきが乗っている。この「粗さ」が効いている。きれいな高解像度画像だったら一発でコラだと分かるが、粗い白黒だと脳が勝手に補完してしまうんだよな。
投稿された画像そのものは、正直に言えば技術的にそこまで飛び抜けたものじゃない。じゃあ何が違ったのかというと、添えられた文章だ。
キャプションの何がそんなに効いたのか
1枚目に添えられていたのは、こんな趣旨の文章だ。「僕たちは行きたくなかった。殺したくなんてなかった。でも、あの執拗な沈黙と差し出された腕は、僕たちを恐怖させると同時に、慰めもしたんだ」。
そこに「1983年」という年号が添えられている。撮影者はその後行方不明になった、という一文も続く。
2枚目のほうには、もっと具体的な説明がついていた。「スターリング・シティ図書館の火災現場から回収された二枚の写真のうちの一枚」。そこに「通称『スレンダーマン』と呼ばれるものが写り込んでいる」という趣旨の一文が添えられていた。14人の子どもが消えた事件に関連する、とも書かれている。
ここが天才的だった。普通、怪談を作る側は説明しすぎる。「こいつはこういう存在で、こういう能力があって、こういう目的で人を襲う」と全部書いてしまう。クヌードセンは逆をやって、何ひとつ説明していない。
誰が書いた手記なのか。なぜ「殺したくなかった」なんて言っているのか。差し出された腕とは何で、図書館の火災とは何だったのか。14人の子どもはどこへ行ったのか。全部、宙に浮いたままだ。
読んだ人間の頭の中には、書かれていない部分を埋めようとする力が働く。しかもその「埋めた部分」は自分で作ったものだから、他人から与えられた設定よりずっとリアルに感じられる。クヌードセンは怪物を作ったんじゃなくて、怪物のかたちをした穴を掘ったんだ。あとはみんなが勝手に落ちていった。
翌日、彼は「もう一枚ある」と言った
6月11日、Victor Surge は追撃をかける。新しい加工写真と一緒に、医師の診療記録っぽい偽文書が出てくる。精神病院の患者の証言めいたテキスト、目撃者の断片的な手記も並んだ。どれも完結していないし、途中で切れている。書いた人間がその後どうなったかは書かれていない。
この「追加投下」のリズムも上手かった。一度に全部を出さず、小出しにする。スレッドの住人は次の投稿を待つようになる。待っている時間に、彼らの頭の中でスレンダーマンは勝手に育っていく。ARGの手法を、本人がそう意識していたかは別として、完璧になぞっていたわけだ。
スレッドが化けた瞬間――みんなが勝手に設定を足し始めた
コンテストというのは本来、投稿して評価されて終わりだ。ところがこのスレッドでは、他のユーザーがスレンダーマンの写真を作り始めた。自分のオリジナル怪物じゃなくて、他人が作ったキャラクターの追加資料を、勝手に。
中世の木版画風の絵に細長い影を描き足した「14世紀のドイツの記録」が出てくる。ドイツ語で「Der Großmann(背の高い男)」と呼ばれていた、という設定が生えた。エジプトの壁画に見立てた画像も出た。1940年代の新聞記事風のもの、警察の捜査報告書風のもの、監視カメラの静止画風のものまで並んだ。数日で「数百年にわたる目撃史」ができあがった。
これは普通のキャラクター創作では起きない現象だ。普通は「他人のキャラを勝手にいじるな」となる。でもスレンダーマンは最初から「発見された記録」というかたちで提示された。だから追加する側も「自分が作った」ではなく「自分も見つけた」という体で参加できたのだ。
所有権の意識が発生しなかった。これがのちに、この怪物を伝承に化けさせる決定的な要因になる。
/x/へ、DeviantArtへ、そして世界へ
6月下旬には4chanのオカルト板、いわゆる /x/ にスレンダーマンが流入した。ここは「本物っぽい怖い話」を大量消費する場所で、出どころの検証なんて誰もしない。6月24日頃には /x/ 発のスレンダーマン語りが定着していた、と記録されている。
同時期にDeviantArtにイラストが上がり始める。絵師たちの絵は、元の白黒写真を見ていない層にも届いた。ここで「黒い触手」というビジュアルが強化される。原案の写真に触手なんて写っていない。
というか、写真という媒体の性質上、そんなものを描き込んだら一発でコラだとバレる。だがイラストなら描ける。描いた瞬間、それは設定になった。
投稿から2週間も経っていない。その時点でスレンダーマンはSomething Awfulの外へ出ていた。もう誰の管理も及ばない場所で、勝手に増え始めていた。早すぎるんだよな。
Marble Hornets――「オペレーター」と呼ばれた男
そして爆発の引き金を引いたのがYouTubeだ。2009年6月20日、最初の投稿からわずか10日後のことになる。トロイ・ワグナーとジョセフ・デレージという若者二人が、「Marble Hornets」というチャンネルを立ち上げる。予算は500ドル程度、アラバマ州でハンディカム一台で撮った。
設定はこうだ。映画学生のジェイが、友人アレックスの撮っていた自主映画『Marble Hornets』の未編集テープを譲り受ける。アレックスは何の説明もなく制作を放棄し、テープを燃やそうとしていた。ジェイはそれを止め、段ボール箱いっぱいのテープを預かる。
数年放置したあと、ジェイはようやくそれを見始める。そして、テープに映っているものに気づく。どのテープにも、フレームの端に顔のない黒いスーツの男が立っている。アレックスはそれに気づかず撮影を続けている。
カメラが近づくと映像がノイズで潰れ、音声が歪む。ジェイは異変を記録するため、テープの内容を「Entry」として一本ずつYouTubeにアップし始める。それが視聴者の見ている動画そのものだ、という構造になっている。
ここで彼らはひとつ賢い選択をした。作中でその存在を「スレンダーマン」と呼ばなかった。「The Operator(オペレーター)」と呼んだのだ。名前を伏せると、視聴者は「これはスレンダーマンの二次創作だ」ではなく「同じ何かに遭遇した別の記録だ」と受け取る。
目撃証言というのは、複数の独立した情報源から出てくると急に信憑性を持つ。彼らはそれを分かっていた。シリーズは全92本、三シーズンにわたって続いた。第1シーズンが2009年6月20日から2010年4月18日まで44本。第2シーズンが2010年11月23日から2011年11月13日まで37本。
第3シーズンは2012年3月10日から2014年6月20日まで続き、5年かけて完結した。チャンネルは現在70万人を超える登録者と、1億2500万回以上の再生を記録している。
totheark、あるいは返信してくる何か
Marble Hornetsが本当に恐ろしかったのは、別チャンネルの存在だった。「totheark」という名前のアカウントが、Entryが上がるたびに応答動画を投稿し始めたのだ。その内容がひどい。数十秒のノイズ映像に、逆再生された音声。一瞬だけ挿入される文字列。
「Regards」「Impurity」「Deluge」といった単語だけのタイトルが並ぶ。何を言っているのか分からない。だが明らかに、ジェイの動画を見た上で反応している。つまり、作中世界の誰かが視聴者と同じ画面を見ている。
視聴者はこの暗号を解読しようと必死になった。音声を反転させたら言葉が聞こえた、フレームを一枚ずつ止めたら文字が浮かんだ、色調を反転させたら人影が出た。そういう報告がコメント欄に殺到する。
作品を見るという行為が、調査という行為に変わった。これがARG(代替現実ゲーム)というやつだ。Marble Hornetsは、その手法をホラーに持ち込んだ最初期の成功例になった。
のちに totheark の正体は作中の登場人物だと明かされる。だが、リアルタイムで追っていた人間にとっては「誰が投稿しているのか本当に分からない」期間が数年あったわけだ。あれは体験としてかなり異常だったと思う。
EverymanHYBRID:筋トレ動画のはずだった
Marble Hornetsのあとに続いた派生シリーズも、それぞれ独自の路線を開拓した。EverymanHYBRIDは最初、ただのフィットネス系チャンネルとして始まる。三人の若者が「一緒に痩せよう」というノリで運動を記録している。冗談を言い、ふざけ合い、まったくホラー感がない。
それが数本進むと、背景に何かが写り始める。編集していないはずの映像にノイズが乗る。三人のうちの一人が記憶をなくす。カメラが向けられていない方向から音がする。
「日常系動画がじわじわ壊れていく」という構成は、いきなりホラーとして始まる作品より効く。視聴者は最初の数本で三人に親しみを持ってしまっている。だから彼らが壊れていくのが、単純に嫌なのだ。
ここには「Slender sickness(スレンダー病)」という設定が本格的に導入された。咳、鼻血、記憶障害、被害妄想。以後、スレンダーマン系の作品はほぼ全てこの症状を採用するようになった。
TribeTwelve:従兄弟の死を追いかけた男
TribeTwelveはまた違う。ノア・マクスウェルという青年が、自殺として処理された従兄弟の死に納得がいかず、遺品のビデオテープを調べ始める、という導入だ。こちらは家族史・血縁というテーマを持ち込んだ。祖父の代からその存在に付きまとわれていた、という設定が徐々に明らかになる。
ビジュアル面でも攻めていた。はっきりとした触手描写をアニメーションで入れたのは、このシリーズが最初期だとされる。それまで「見えそうで見えない」で持たせていたものを、あえて見せて、賛否は分かれた。だが、スレンダーマンのイメージが今の「触手つき」で固まったのには、この選択が効いている。
これらを総称して「スレンダーバース」と呼ぶ文化が生まれた。それぞれ独立した作品でありながら、同じ存在を扱っているという緩い共有世界。誰も権利を管理していない共有世界というのは、当時としてはかなり新しかった。
Creepypasta Wikiで増殖した「設定」たち
一方、テキストの側でも増殖は続いていた。Creepypasta Wikiという、ネット怪談を集積するサイトがある。ここに山のようにスレンダーマン話が投稿された。出てくる設定を並べると、正直めちゃくちゃだ。
身長は180センチとも3メートル超とも言われ、見るたびに変わるとされる。テレポートできるし、木も通り抜ける。見つめると視界がノイズになる。写真に撮ろうとすると機器が壊れる。
狙うのは子どもだ、いや大人もだ、と説が割れている。目的は捕食だという話もあれば、ただの観察だという話もある。いや代理人を作るためだ、というものまである。
全部が矛盾している。でも、これこそが伝承の証拠なんだよな。実在の民間伝承は、河童でも座敷童でも、地域ごとに設定がまったく違う。ひとつの正典が存在しないからこそ、それは「作品」ではなく「伝承」になる。スレンダーマンは投稿から数か月で、正典を失った。
スレンダーシックネス、そしてプロキシという発明
数ある後付け設定のなかで、いちばん影響が大きかったのが「プロキシ(代理人)」だ。スレンダーマンに接触した人間は、やがてその意志の下僕になる。そして本人の代わりに他人を襲うようになる、という設定だ。Marble Hornets系の作品で発展し、マスクをかぶった人間のキャラクターとして定着した。
これが厄介だった。怪物そのものは超常存在だから、現実には出てこられない。だが「プロキシ」は人間で、人間ならなれる。「あいつに認められるためにプロキシになる」という物語が、怪談の中に組み込まれてしまった。
この設定が、後に現実へ漏れ出すことになる。当時それに気づいていた人は、ほとんどいなかった。
8枚の紙を拾うだけのゲームが世界を壊した
2012年、個人開発者のマーク・ハドリーが『Slender: The Eight Pages』を無料公開する。ルールは信じられないほど単純だ。夜の森、手元には懐中電灯だけ。フェンスや廃墟や木に貼られた8枚の紙を集める、それだけだ。
武器はないし、戦えない。紙を1枚拾うたびに、背後から迫ってくる圧が増す。BGMがひとつずつ層を重ねていき、ドラムの音が加わる。
心臓の音みたいな低音が鳴り始める。そして振り返ると、そこにいる。画面がノイズで潰れて、ゲームオーバー。
このゲームは実況動画の時代と完璧に噛み合った。プレイヤーが絶叫し、その顔がワイプで映る。視聴者はプレイヤーの恐怖を見て笑い、同時に自分も怖がる。世界中の実況者がこれをやった。
ダウンロードが殺到して公式サイトが落ちた、という話まで残っている。翌年には『Slender: The Arrival』が出た。Marble Hornetsのスタッフが関わった作品で、ここでシリーズは商業化した。
ついでに言えば、Minecraftのエンダーマンがスレンダーマンの影響下にあるのは有名な話だ。これによって「元ネタを知らないまま姿だけ知っている子ども」が、世界中に大量発生した。
体験談その1:帰り道の街灯の下に立っていた
出回っている目撃談のなかで、繰り返し語られる型のひとつがこれだ。深夜、バイト帰りの若者が住宅街を歩いている。街灯がまばらな道で、次の街灯までの間が妙に暗い。その暗がりの真ん中に、人が立っている。
最初は電柱だと思った、と彼は書いている。細くて縦に長いからだ。だが電柱にしては位置がおかしい。歩道の真ん中に立っている。近づくと、それがスーツを着ていることが分かる。
サラリーマンが酔って立ち止まっているだけかと思った。声をかけようとして、顔を見る。顔がなかった。目も鼻も口も、そこにあるべき凹凸が何もない。街灯の逆光でそう見えるのかと思って角度を変えたが、変わらなかった。
彼はそこで走り出す。走りながら一度だけ振り返ったら、それは同じ場所に立ったままこちらを向いていた。動いていないのに、距離が縮まっていた気がした、と彼は書いている。
家に着いて鍵を閉めて、カーテンの隙間から外を見た。何もいなかった。だがその夜から一週間、鼻血が止まらなかったらしい。
この「鼻血」というディテールが、いかにもネットで共有された設定を知っている人の証言なんだよな。逆に言えば、それだけ設定が浸透していたということでもある。
体験談その2:子どもの絵に写っていたもの
もうひとつ、親からの報告としてよく流通している型がある。5歳の娘が最近、同じ絵ばかり描くようになった。家族の絵だ。母、父、娘。そこまでは普通だ。
だが必ず、右端に細長い黒い棒みたいな人が描かれている。「これは誰?」と聞くと、娘は「背の高いおじさん」と答える。「どこで会ったの?」と聞くと「公園」と言う。
母親は近所の不審者を疑って警察に相談し、公園を見に行ったが誰もいない。ある日、娘が「おじさんが、お母さんは来ないでって言ってた」と言い出した。母親は娘のタブレットの履歴を確認する。動画サイトで、あるゲーム実況を見ていた。そこに映っていたのが、あの黒い人影だった。
オチとしては合理的だ。だが投稿者はこう書いている。「安心したはずなのに、娘が最初にその絵を描いた日付は、履歴のいちばん古い日より二週間前だった」。
この手の「合理的な説明が一枚めくれる」構造は、スレンダーマン系の体験談にすごく多い。作り手側の技術が上がっている、とも言える。
体験談その3:実況配信中に起きたと言われている出来事
ゲーム実況界隈で語り継がれている話もある。ある配信者が深夜に『Slender』系のゲームを配信していた。カメラは配信者の顔を映している。プレイは順調で、紙を6枚まで集めたところだった。
そのとき、視聴者のコメント欄が急に荒れた。「後ろ」「うしろ見て」「窓」。配信者本人はゲーム画面に集中していて気づいていない。あとで録画を見返すと、配信者の背後にあるカーテンのかかった窓、その隙間に、白いものが写っている。
人の顔ほどの高さ、ではなく、そこよりずっと上だ。天井近く。配信者はその後、家族が帰宅した際にドアを開ける音がカーテンを揺らした反射だろう、と説明した。実際、そのタイミングで足音も入っている。
だが視聴者の一部は納得しなかった。「じゃあなんで、そのあと配信者は三日間音信不通になったんだ」と。三日後に戻ってきた本人は「風邪をひいていた」と言い、咳をしていた。
スレンダー病の症状に咳が含まれることを、コメント欄の全員が知っていた。この話が本当かどうかは、正直どうでもいい。大事なのは「設定を共有している集団は、日常の出来事を設定に沿って解釈する」という点だ。これが伝承の生き続ける仕組みそのものなんだよな。
日本にはどう入ってきたか――八尺様とくねくねの隣に座った怪人
日本での流入経路は、ほぼ完全にゲーム経由だ。2012年の『Slender: The Eight Pages』の実況動画が、動画サイトに大量に上がった。そこで初めてこの姿を見た、という人が大半だ。
つまり日本の多くの人にとって、スレンダーマンは「怪談」ではなく「ホラーゲームのキャラ」として入ってきた。ここが英語圏との決定的な違いだ。
そのあとで「あれ、元ネタは掲示板発の都市伝説らしい」という情報が回る。オカルトまとめサイトや個人ブログが、解説記事を書き始める。掲示板の海外怪談スレでは、こんな反応が並んだ。「これ完全に八尺様じゃん」「背が高い怪異って世界共通なんだな」といった調子だ。
実際、百科事典系のサイトでも「八尺様とくねくねを掛け合わせたような感じ」と説明されている。この比較は日本での定番になっている。八尺様は「背の高い女、狙われたら死ぬ」、くねくねは「見たら発狂する」。この二つを足すと、確かにスレンダーマンに近い。
ただ、日本での知名度は英語圏に比べればずっと低い。イラスト投稿サイトのタグ数も数百件規模で、日本産の怪異と比べれば全然だ。2018年に映画『スレンダーマン 奴を見たら、終わり』が公開された。
これも本国で酷評された作品で、日本での認知拡大にはあまり寄与しなかった。むしろ日本では「Minecraftのエンダーマンの元ネタ」として説明されるほうが通りがいい。そういう逆転現象が起きている。
2014年5月31日、ウィスコンシン州ウォキショー
ここからは笑えない話になる。2014年5月31日、アメリカ・ウィスコンシン州ウォキショーで、12歳の少女2人が同級生の少女を刺した。被害者の少女は自力で道路まで移動し、通りかかった人物が通報したことで一命を取り留めた。
捜査の過程で、加害者2人がスレンダーマンの存在を信じていたことが分かる。ネット上で読んだ話をきっかけに、「あの存在に認められるためには何かを証明しなければならない」と考えていたとされる。「従わなければ家族が殺される」とも思っていたという。プロキシという設定が、そのまま現実の動機として使われてしまった形だ。
事件は全米に衝撃を与えた。ここで注意しておきたいのは、この二人には別々に精神疾患の診断が下されていた、という点だ。事件を「ネット怪談を読んだから起きた」と単純化するのは無理がある。専門家も繰り返しそう指摘している。
だが世間の反応は、そこまで丁寧じゃなかった。「インターネットが子どもを狂わせた」という分かりやすい物語が、一気に広がる。同じ年の6月にはオハイオ州で13歳が母親を襲う事件が起きている。9月にはフロリダ州で14歳が自宅に火を放つ事件が起き、いずれもスレンダーマンとの関連が報じられた。関連の強さは事件ごとにかなり違うのだが、報道は横並びに扱った。
法廷が出した答えは、「ネットのせい」ではなかった
裁判は長引く。当初は年齢と精神状態をめぐって手続きが何度も止まり、成人として裁くかどうかが争点になった。2014年8月には一方が訴訟能力なしと判断され、手続きが停止する。同年12月には、両者とも能力ありと判断され直した。
最終的に2017年、有罪答弁が行われた。片方は精神障害を理由に責任能力なしと陪審が判断する。もう片方も含めて、刑務所ではなく州の精神医療施設への長期収容という結論になった。片方は2021年、もう片方は2025年に、監督付きの社会復帰が認められている。
事件の全容を追ったドキュメンタリー作品も制作され、2016年から2017年にかけて公開・放送された。そこで浮かび上がったのは、単純な「ネットが悪い」という図式ではない。
幼い子どもが現実とフィクションの境界を処理しきれなかったこと。その周囲で、それを察知できなかった環境。そして、精神疾患の兆候が見過ごされていたこと。そういうものの重なりが浮かび上がった。
創作者であるクヌードセンは、「ウィスコンシンの悲劇に深く心を痛めている。被害を受けた方々のご家族に心からのお悔やみを」という趣旨の声明を出した。その後は取材をほぼ受けなくなった。
生まれた場所であるSomething Awful自身も、かなり率直な文章を掲載している。「うちの――お世辞にも上品とは言えない――サイトから生まれたもののために、誰も殺さないでくれ」という主旨だ。
加工写真と揺れるカメラの動画に子どもが騙されるはずがない、というやや乱暴な論調も含まれていた。だが、生みの親のコミュニティが公式に「これは作り話だ」と言わなければならなくなった時点で、事態は完全に手を離れていた。
「作者がいるのに伝承になった」という事件
さて、ここが本題だ。民俗学者たちは、この現象をかなり真剣に研究している。伝承が伝承であるための条件として、よく三つのものが言われる。集団性、つまり一人の作者ではなく集団が作ること。可変性、つまり語り手によって内容が変わること。
そして上演性、つまり聞き手の反応によって語りが変わること。スレンダーマンは、この三つを全部満たしている。作者はいるが、現在流通している設定の99%は作者が書いたものではない。
地域や作品ごとに設定は矛盾している。そして語り手は、聞いている人が怖がるかどうかを見ながら語りを調整している。つまり著作権上は明確に一人の作者の創作物でありながら、機能としては完全に民間伝承なんだよな。
ある研究者は、この現象を「物語のオープンソース化」と呼んだ。別の研究者は、スレンダーマンの成功を「既存の型を借りつつ自分の分を足せる余地があったから」と分析している。
焚き火を囲んでする怪談と同じ構造が、掲示板とYouTubeという環境で再現された、という見立てだ。妖精譚との類似を指摘する説もある。姿がはっきりしない、人里離れた場所にいる、子どもをさらう。これは中世ヨーロッパの妖精にまつわる語りと、ほぼ同じ骨格だ。
人類は同じ怪物を何度も作り直しているだけなのかもしれない。ちなみに法的には、スレンダーマンは今も著作権のある創作物だ。映像化権は一時期第三者の手に渡り、その会社が解散したことで権利関係が曖昧になっている、という話もある。
伝承としては誰のものでもなく、法的には誰かのもの。この宙ぶらりんの状態そのものが、この怪物の性格を象徴している気がする。
掲示板と考察界隈が交わした議論
ネット上での議論は、大きく三つの陣営に分かれた。ひとつは「完全に創作である」派で、これは事実として正しい。投稿日時も投稿者も分かっている以上、議論の余地はない。
二つ目が「創作だが、それは重要ではない」派だ。彼らの主張はこうなる。人間が集団で信じたものは、実在の有無にかかわらず現実に影響を及ぼす。事件が起きた以上、スレンダーマンは社会的には実在している。この立場が一番議論として面白かった。
三つ目が「創作だと思われているが、実は以前から存在した」派だ。これがいちばん厄介だった。「ドイツのGroßmann伝承が先にあり、クヌードセンはそれを無意識に再現しただけだ」。そういう主張が、しばらく本気で流通した。
当然ながら、Großmannの設定はスレッド内で後から創作されたものだ。生成された偽史が、数年後に「原典」として引用される。これは反証としては完全に潰れているのだが、今でも定期的に蒸し返される。ネットロアが自分で自分の系譜を捏造する、なかなか見ない現象なんだよな。
なぜ「顔がない」が、こんなに効くのか
最後に、いちばん素朴な疑問を考えたい。なんでこの見た目が怖いのか。人間の脳は顔を読むようにできている。生後数か月の赤ん坊でも、顔のパターンに反応する。
相手が敵か味方か、怒っているか笑っているか、そういう情報を顔から高速で読み取る。それが生存に直結していたからだ。スレンダーマンには、その情報がない。読めない。だから脳は判定を保留し続ける。
保留された緊張は解消されない。しかも体型は明らかにヒトで、スーツまで着ている。「ヒトのようだがヒトではない」という判定は、いわゆる不気味の谷の底そのものだ。
さらに言えば、こいつは基本的に襲ってこない。ただ立って、遠くから見ている。この「何もしない」がとにかく効く。襲ってくる怪物には対処法がある。
逃げる、戦う、隠れる。でも、ただ立って見ているだけの存在に対して、人間は何をすればいいのか分からない。行動の選択肢が奪われる。
原案のキャプションにあった「執拗な沈黙」という言葉は、この怪物の本質を最初の一行で言い当てていた。作者は自分でも気づかないうちに、いちばん怖い部分を最初に書いてしまっていたわけだ。
主役は怪物じゃない。受け取った側だ
ここまで来て改めて思うのは、この現象の本当の主役は怪物ではなく、それを受け取った側の集団だということだ。2009年6月10日に投下されたのは、画像2枚と数行のテキストだけ。それ以上でも以下でもない。
ところが、その後の17年で積み上がったものは桁違いだ。映像作品数百本、ゲーム数十本、小説と論文とドキュメンタリー、そして裁判記録。作者が書いた分量と、その後に生まれた分量の比率は、たぶん一対数万を超える。作者はもはや、この巨大な構造物の基礎の隅にある小さな刻印でしかない。
この構造をもう少し細かく見ると、スレンダーマンには設計上の特徴があったことが分かる。参加のハードルが極端に低いのだ。姿が単純だ。細い、高い、黒い、顔がない。この四つを守れば、誰が描いてもスレンダーマンになる。
設定に正典がないから、「これは公式設定と違う」という批判が発生しない。そして提示形式が「発見された記録」だから、投稿者は創作者ではなく発見者を名乗れる。
創作の責任を負わずに創作へ参加できる仕組みが、最初から埋め込まれていた。意図的だったかどうかはさておき、これは驚くほど巧妙な設計だ。
もうひとつ考えたいのが、媒体と怖さの関係だ。写真の時代、この怪物は「遠くのぼやけた影」だった。映像の時代になると「ノイズと歪んだ音」になる。ゲームの時代には「振り返った瞬間の画面いっぱいの白い顔」になった。
同じ怪物なのに、媒体が変わるたびに恐怖の作法が変わっている。逆に言えば、この怪物は各時代の媒体が持つ「不完全さ」に寄生してきた。粗いフィルム、圧縮ノイズ、低解像度のウェブカメラ。技術が不完全であることそのものが、恐怖の素材になった。
今の高解像度・高フレームレートの環境では、あの粗さは自然には出てこない。だからこそ現代の作り手は、わざとノイズを足す。もはやノイズは技術的制約ではなく、様式になった。
2014年の事件をどう位置づけるかは、今も答えが出ていない。「フィクションが人を殺した」という言い方は雑すぎるし、事実としても不正確だ。事件に関わった子どもたちは精神的な問題を抱えており、その兆候は事件以前からあった。
スレンダーマンは動機の言語を提供しただけで、原因ではない。だが「言語を提供しただけ」を軽く扱うのも間違っている。人間が行動を起こすとき、その行動を説明する物語を必要とすることは多い。物語がなければ行動が起きなかった可能性は、否定できない。
この事件が残した実務的な教訓は、たぶん一点だけだ。子どもは「これはフィクションです」という枠を、大人が思うほど強く認識していない。特にスレンダーバース系の作品は、意図的にその枠を壊すように作られていた。
目撃証言のふりをした動画、実在の掲示板に投稿された偽の記録、視聴者に語りかけてくる謎のアカウント。「これは作り物です」というサインを消すことこそが、作品の技術だった。
その技術が想定していた受け手は、フィクションのルールを理解している大人だった。だが公開された場所は、年齢制限のないインターネットだ。ここに構造的なズレがある。
そして最後に、この話でいちばん奇妙な部分に戻る。作者が生きているのに伝承化した、という点だ。普通の伝承には作者がいない。だから語り直しに罪悪感が伴わない。
ところがスレンダーマンには、この現象を最初から最後まで見ていた人間がひとりいる。自分が数時間で作ったものが世界中に広がり、学術論文の対象になった。そして刑事事件の背景として語られるのを、当事者として見続けている人間がいる。
これは怪談の歴史上たぶん初めてのことで、そしておそらく最後ではない。今この瞬間も、どこかの誰かが新しい怪物を掲示板や動画サイトに置いている。そのほとんどは誰にも見られずに消える。
だが千に一つ、万に一つ、穴のかたちが完璧に空いているものがある。人がそこに落ちたくなる形の穴だ。スレンダーマンはその一例で、そして我々はまだ、どういう穴が危険なのかを見分ける方法を持っていない。
次に同じことが起きたとき、我々はまた事後に「なぜあれは広がったのか」を分析することになる。夜道で異様に背の高い影を見たら、たぶんそれは電柱だ。でも一度、その可能性を頭が検討してしまう程度には、この怪物はもう我々の中に住んでいる。
