## 「トン、トン、トンカラ、トン」って聞こえたら、その時点でだいたい手遅れだ
夕方だ。塾の帰りでもいいし、友達の家から一人で帰る途中でもいい。とにかく空がオレンジから紫に変わっていく時間帯。住宅街の、車がすれ違えないくらい細い道。街灯はもう点いてるけど、まだ完全には仕事をしていない。そういう半端な明るさの中を歩いていると、背中のほうから軽い音が近づいてくる。チェーンが回る音と、ペダルの軸が軋む音。自転車だ。それだけならどうということはない。問題は、その機械音に混じって鼻歌みたいなものが乗っていることだ。
「トン、トン、トンカラ、トン」
抑揚がない。音程もない。子どもの声にも大人の声にも聞こえるし、男か女かも判別できない。ただリズムだけが妙に正確で、ペダルの回転とぴったり合っている。振り返るな、と言いたいところなんだが、たいていの子どもは振り返るんだよな。人間はそういうふうにできている。
そこにいるのは、全身を包帯でぐるぐる巻きにされた人型だ。頭も顔も首も腕も、隙間なく白い布で覆われている。露出しているのは片目と、口のあたりの裂け目だけ。服らしい服は着ていない。そして背中には、日本刀が一振り。鞘ごと斜めに背負っている。
一番おかしいのはそこじゃない。そいつは両手をハンドルから完全に離している。万歳するみたいに、あるいは踊っているみたいに、両腕を頭の上でゆらゆらさせながら自転車を漕いでいる。手放し運転だ。それなのに車体は一ミリもふらつかない。まっすぐ、こっちに向かってくる。
### 逃げても無駄だという、あの絶望的なルール
ここで走って逃げようとする子は多い。というか全員そうする。でもトンカラトンから逃げ切れたという話は、どのバージョンにも出てこない。自転車だから当たり前だと言えばそうなんだが、語られ方はもっと理不尽だ。全力で走って角を三つ曲がって、家の門扉が見えたところで後ろを見ると、すでに真後ろにいる。距離がまったく縮まらないんじゃなくて、距離という概念が最初から成立していない感じ。追いつかれるんじゃなく、いつのまにか隣にいる。
そして、そいつは自転車を止める。片目だけがこちらを見ている。包帯の裂け目が動いて、こう言う。
「トンカラトンと言え」
ここが、この怪談の心臓部だ。ここから先が、たぶん日本の学校怪談の中でも屈指に意地の悪いルール分岐になっている。
## 「答えたら胴を斬られる」——一番タチが悪いバージョンの話をしよう
一般に流通している基本形は「言えば助かる、言わなければ斬られる」だ。素直に「トンカラトン」と返せば、そいつは満足したように頷いて、また鼻歌を歌いながら自転車を漕いで去っていく。それだけの話なら、まあ理不尽なクイズ程度で済む。
ところが、子どもたちの口から口へ渡っていく過程で、このルールはどんどん歪んでいった。そして一番ゾッとする形で定着したのが、「答えたら斬られる」バージョンだ。
こっちの筋だと、そいつは「トンカラトンと言え」なんて親切なことは言わない。ただ自転車で並走しながら、ずっと「トン、トン、トンカラ、トン」と歌い続ける。あまりに繰り返されるので、子どもはつい合わせて口ずさんでしまう。あるいは怖さのあまり、教わったとおりの「正解」を先回りして口にしてしまう。その瞬間、背中の刀が抜かれる。抜刀から斬撃までが一動作で、目で追えない。胴を真横に薙がれる。上半身と下半身が別々に地面に落ちる。
なぜ斬られるのか。この派の説明はこうだ。あれは合言葉じゃない。あれは名乗りだ。トンカラトンが歌っているのは自分の名前で、それを人間が口にするというのは「自分もトンカラトンである」と宣言したことになる。だから同族として扱われる。つまり、包帯を巻かれ、刀を持たされ、自転車に乗せられる側に回される。そのための第一段階として、まず人間としての体を殺される。斬られるのは処刑じゃなくて、加工工程なんだよな。
### 「言え」と言われる前に言ったら終わり、という細則
基本形の側にも、実はえげつない但し書きがついている。「まだ質問されていないのに、勝手に先に言ってはいけない」というやつだ。
これ、聞いた瞬間は些細なルールに思えるんだが、実際の状況を想像すると相当えぐい。目の前に包帯だらけの刀持ちが自転車で近づいてくる。心臓が破裂しそうになっている。頭の中には、友達から聞いた対処法がぐるぐる回っている。「トンカラトンって言えば助かる」「言えば助かる」「言えば」——そして口が勝手に動く。まだ相手が何も言っていないタイミングで。
アウトだ。
知識があるほど死ぬ。対処法を知っている子ほど、緊張と反射で先に喋ってしまって斬られる。何も知らずにポカンとしていた子のほうが、質問を待てるぶん生き残る。この「知っているのに殺される」構造が、トンカラトンという怪談の性格を決定づけている。呪いのビデオでも、コトリバコでも、洒落怖の名作には「知ってしまったら手遅れ」という型が多いけど、トンカラトンはそれを一往復の会話だけでやってのける。所要時間、三秒。
### 複数体で来られたときの詰み具合
さらに厄介なのが、集団で現れるバージョンだ。
三体、五体、あるいは十体以上のトンカラトンが、縦一列になって自転車で走ってくる。全員が包帯で、全員が刀を背負っていて、全員が同じ歌を同じリズムで歌っている。そのうちの一体が停まって、「トンカラトンと言え」と言う。
ここで正解を返せば助かる。ただし、返す相手を間違えたら斬られる。質問してきた個体の顔を見て、そいつに向かって答えなければならない。ところが全員が同じ姿で、同じ包帯で、露出しているのは片目だけ。どいつが喋ったのか、視覚的にはほぼ判別できない。声の方向で当てるしかない。しかも十体が同じ歌を歌っているせいで、音の定位がぐちゃぐちゃになっている。
そして、これは語り手によって足されたり足されなかったりする追加ルールなんだが、「一体目に答えたら、二体目が同じ質問をしてくる」という無限ループ版もある。何回答えても次が来る。集団が全部通り過ぎるまで、正しい相手に正しいタイミングで正しい言葉を返し続けなければならない。一回でもミスったら胴が飛ぶ。これはもう対処法というより、拷問の一種だ。
## 1994年8月11日、竹書房の一冊から全部が始まった
さて、こいつがどこから湧いて出たのかという話をしよう。ここが面白いところで、トンカラトンは「昔から伝わる妖怪」の顔をしているくせに、初出の日付がほぼ特定できてしまう、かなり若い怪異だ。
オカルト研究家の吉田悠軌が丁寧に追いかけた結果として知られているのは、トンカラトンが世に出た最初の媒体は、1994年8月11日に竹書房から刊行された『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!!』の第1巻だということ。児童向けの怪談本だ。同名のテレビアニメが放送開始したのが同年8月15日。つまり、アニメより書籍のほうが4日早い。よく「トンカラトンはアニメ発の都市伝説」と言われるけど、厳密には書籍が先で、アニメがそれを全国に配ったという順序になる。
この4日というのは怪談史的にはけっこう重要で、要するにトンカラトンは「アニメスタッフが勝手に作ったキャラ」ではなく、企画段階からネタとして存在していたことになる。制作の中心にいたのはアミューズと竹書房の合同チームで、ネタ出し会議で持ち込まれた都市伝説のひとつがトンカラトンだったという証言が残っている。竹書房側のチームリーダーだった辻井清が、その会議の様子を語っている。
### 「創作じゃない、うちのスタッフの田舎の話らしい」
ここからが本題だ。超常現象研究家の並木伸一郎が、著書『最強の都市伝説4』のための取材で出版社に直接問い合わせたところ、返ってきた答えが「あれは完全な創作ではない。制作スタッフの一人の故郷で語られていた話が元になっているらしい」というものだった。
そのスタッフは、資料の中で「Sさん」とだけ呼ばれている。竹書房の社員ではなく、アミューズ側の制作チームにいた人物だった可能性が高いとされる。で、じゃあSさんに直接聞けばいいじゃないかという話になるんだが、ここで捜査は完全に行き止まる。Sさんとは連絡が取れなくなっているのだ。故郷がどこなのかも分からない。トンカラトンという名前がその土地でどう呼ばれ、どんな話として語られていたのかも、誰も知らない。
これ、怪談としてはあまりに出来すぎている。全国の子どもをトラウマに叩き込んだ包帯の怪人には元ネタとなる実話があって、その実話を知る唯一の人間は消息不明。トンカラトン本人が口封じしたんじゃないかと言いたくなるやつだ。当然、ネット上ではその手のネタが山ほど書かれてきた。
### 内田かずひろが描いた一枚が、怪異の姿を固定した
ビジュアルを決めたのは漫画家の内田かずひろだ。会議で出てきた「トンカラトン」というネタから、全身包帯・片目と口だけ露出・日本刀を背負う・自転車に乗る、というあのシルエットを起こしたのが彼だとされている。
この造形が異様に強い。包帯だけなら人体の傷を連想させるが、そこに日本刀が乗ることで一気に加害側の記号になる。さらに自転車が加わることで、生活圏に侵入してくる存在になる。妖怪でも幽霊でもなく、通学路を走ってくるもの。この三つの記号の組み合わせを最初に一枚に落とし込んだ功績はでかい。
ちなみに内田かずひろは福岡出身だ。この点は後で九州説の話をするときにまた出てくる。
## 派生バージョンを、ひとつずつ潰していこう
### 骨董屋の怨霊バージョン
トンカラトンの正体として語られてきた説の中で、わりと古くから出回っているのがこれだ。江戸だか明治だかの時代に、悪辣な骨董商がいた。ニセモノを本物と偽って売りつけたり、蔵の中身を騙し取ったりして稼いでいた。ある日、騙された客の一人が怒り狂って刀を持ち出し、その骨董商を斬り殺した。全身を斬られて血まみれになった商人の体に、慌てた家族が布を巻きつけたが間に合わなかった。その怨みが、包帯を巻いた姿のまま彷徨うようになった、という筋。
この説の弱点は、自転車の説明がつかないことだ。江戸時代に自転車はない。そこは「死んだ時代と現れる時代がズレているのが幽霊というものだ」で押し切られるんだけど、正直かなり苦しい。ただ「布を巻きつけたが間に合わなかった」というディテールはかなり生々しくて、包帯というモチーフに死の直前の応急処置というニュアンスを与えているのは巧い。
### 旧日本兵バージョン
もっと支持されているのがこっちだ。軍隊の訓練中、あるいは戦地で、上官に日本刀で斬られて死んだ兵隊の霊だという説。理不尽に殺された兵士が、自分と同じ目に遭う人間を増やそうとして刀を振るっている。
この説の強いところは、包帯・刀・そして「増殖」という三点セットに一貫した説明を与えるところだ。戦傷者は包帯を巻く。軍刀は日本刀だ。そして軍隊というのは「同じ格好をした者を大量に作り出す装置」そのものだ。トンカラトンに斬られた人間がトンカラトンになるという設定は、徴兵のメタファーとして読めてしまう。この読みは後で詳しく書く。
### 蔵に閉じ込められた弟バージョン
遺産相続で揉めた兄弟の話。財産を独り占めしたい兄が、弟を土蔵に閉じ込めた。弟は蔵の中で叫び続けたが誰も助けに来ず、そのまま餓死した。壁を掻きむしって指がぼろぼろになった弟が、自分の体に布を巻きつけたまま死んでいた——という筋で、この場合の「トンカラトン」は、弟が蔵の壁や扉を叩き続けた音の擬音だとされる。トン、トン、トンカラ、トン。閉じ込められた人間が助けを求めて叩く音。
個人的にはこの解釈が一番怖い。あの歌が助けを呼ぶ音だったとしたら、通り過ぎる自転車が延々と鳴らしているのは、誰にも届かなかったSOSということになる。
### 包帯を左手に巻けば助かるバージョン
言葉ではなく物理で対処する方法もある。トンカラトンの体から垂れている包帯の端を掴んで、自分の左手にぐるぐる巻きつける。すると相手はこちらを同族と認識して、斬らずに去っていく。
右手じゃなく左手というのがミソで、右手は刀を持つ手だから、左手に巻くのは「刀を抜く意思がない」の表明だという説明がついていたりする。ただしこの方法にも代償があって、一度包帯を巻いた人間は、以後もトンカラトンの側から仲間として認識され続ける。何年か経ったある日、家の前に自転車が停まって、包帯を差し出されるらしい。今度はお前が漕ぐ番だ、というやつだ。
### 徒歩で、しかも複数で来るバージョン
自転車という要素すら失われた形も存在する。心霊系のDVD作品『放送デキナイ 禁断 霊映像』では、奥多摩湖のロープウェイ廃墟を舞台に、徒歩で歩いてくるトンカラトンが複数体登場する形で描かれた。自転車がないぶん接近速度は落ちるが、逆に「歩いてくるのに絶対に振り切れない」という別種の圧が出る。廃墟という閉鎖空間との相性もよくて、映像作品としてはこっちのほうが撮りやすい。
ネット上では、この徒歩バージョンを「自転車が壊れたトンカラトン」と呼んでネタにする流れもあった。
### カランコロンさん
民俗学者の常光徹が採集した学校怪談の中に、トンカラトンと構造がほぼ同じものがある。現れて「カランコロンと言え」と要求してくる存在だ。ただしこちらには日本刀の記述がなく、要求に従わなかった場合にどうなるのかも伝えられていない。罰則が空白なのだ。
この「空白」がむしろ古い形を残している気がする。もともとは「変な奴が変な言葉を言わせてくる」というだけの、意味不明さそのものが怖い話だった。そこに後から日本刀という具体的な処刑装置が接続されて、トンカラトンになった。カランコロン版とトンカラトン版のどちらが先かは確定していないが、記号がシンプルなほうが古いという原則で言えば、カランコロン系のほうが原型に近いんじゃないかと思う。
### アニメ二期の「新米トンカラトン」
そして、忘れちゃいけないのが公式による自己解体だ。『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!!』の二期には、自転車に乗れない新米のトンカラトンが登場する。人間に自転車の乗り方を教えてもらって、お礼に包帯を分けてくれる、という微笑ましいエピソードだ。
一期であれだけ子どもを泣かせておいて、二期でこれをやるのがすごい。ただ、冷静に読むと「お礼に包帯をもらう」というのは、対処法バージョンで言うところの同族認定フラグそのものなんだよな。ほのぼのの顔をしてやってることは勧誘だ。ネット上でこの点を指摘する書き込みが定期的に湧いては、「気づくなよ」とツッコまれている。
## 語り継がれてきた「遭遇談」を三つ
### 団地の外周をぐるぐる回っていた
関西の郊外にある大規模団地で育ったという人が書いていた話。1990年代後半、小学四年生の頃だという。夏休みの夕方、友達三人と団地の外周をローラーブレードで滑っていた。棟と棟のあいだを縫うように走れる遊歩道があって、そこを何周もするのが定番の遊びだったらしい。
三周目に入ったあたりで、後ろから自転車のライトが照らしてきた。振り返ると、白っぽい格好の大人が乗っている。逆光でよく見えない。ただ、その人が何か歌っていて、それが「トンカラトン」と聞こえた気がした。友達の一人が「やば」と言って猛スピードで前に出た。三人とも滑って逃げた。遊歩道を一周して自分の棟の階段に飛び込んで、踊り場から下を覗いた。自転車は、棟の前をゆっくり通過していった。乗っていたのは白い作業着姿の男で、包帯なんか巻いていなかった。歌っていたのはたぶんラジオか鼻歌だ。
それだけの話なんだが、その人が書いていたのは「怖かったのは自転車の男じゃなくて、あのとき自分たちが一瞬で共有した確信のほう」だという一文だった。誰も口に出していないのに、三人が同時に同じものを想定して、同時に逃げた。トンカラトンという名前が子どもの集団に埋め込まれているというのは、そういうことらしい。
### 夜勤明けの国道で並走された
これは大人になってからの話として語られていたもの。地方の工場で夜勤をしていた男性が、明け方の四時過ぎに原付で帰宅していた。国道沿いの、街灯が数百メートルおきにしかない区間。眠気でぼんやりしていたら、車道の左端を自転車が走っているのに気づいた。原付とほぼ同じ速度で。
おかしいと思った。原付は30キロ出ている。自転車が並走できる速度じゃない。しかも、その自転車の乗り手は両手をハンドルから離していた。上着だか何だかが白くて、腕の輪郭が異様に太く見えた。男性はアクセルを開けた。速度計が50を指した。それでも横に並んでいる。恐怖より先に「これは物理的におかしい」という理系の困惑が来たそうだ。
次の街灯の下に入ったところで横を見たら、誰もいなかった。自転車ごと消えていた。その先の交差点で信号待ちをしている間、ずっと耳の奥で「トン、トン」というリズムが鳴っていて、それが自分の心臓だと気づくのに一分かかったという。この話がトンカラトンとして語られているのは、ラストで彼が家に帰ってから母親に話したら、母親が「あんた、それ子どもの頃に近所で言われとったやつやないの」と返してきたという部分があるからだ。土地に元々あった話と、後から流入した都市伝説が、家庭内で接続された瞬間の記録として面白い。
### クラスで流行った「トンカラトンごっこ」が止まった日
三つ目は遭遇談というより実践報告に近いやつ。アニメ放送直後の1994年秋、小学三年生のクラスで「トンカラトンごっこ」が流行ったという話がある。ルールは単純で、鬼役が「トンカラトンと言え」と言い、言われた子は「トンカラトン」と返す。ただし鬼が言う前に言ってしまった子はアウトで、定規で背中を軽く叩かれる。斬られる代わりだ。
最初はただの言葉遊びだったのが、だんだん過熱していったらしい。鬼が「言え」と言わずに黙ってじりじり近づいてくる無言バージョンが生まれ、我慢できずに口を開いた子が負けになった。休み時間のたびに、教室のどこかで子どもが無言で睨み合っている異様な光景になった。
それが止まったのは、一人の子が本当に泣き出して、しかも泣きながら「言え、言え、言え」と繰り返し始めたからだという。担任が飛んできて遊びは禁止になった。書き手は「あのとき泣いてた子は、たぶんゲームじゃなくて本気で誰かに言わせようとしてた」と書いていて、そこだけがやけに記憶に残っているそうだ。学校怪談が子どもの集団の中でどう変質していくかのサンプルとして、こういう記録はかなり貴重だと思う。
## 掲示板とSNSで、こいつはどう扱われてきたか
2ちゃんねるのオカルト板で「死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?」——通称・洒落怖のスレッドが回り始めたのは2000年代前半だ。ネット上には、放送当時に子どもだった世代が、20歳前後になってから当時のトラウマを持ち寄る場所ができた。トンカラトンはその波でリバイバルした。
面白いのは、掲示板での扱いが最初から二極化していたことだ。片方は純粋に「あれ本当に怖かった」というトラウマ告白。もう片方は徹底的なネタ化。特にネタ側の火力が高くて、あの手放し運転が集中砲火を浴びた。刀を背負って、包帯を巻いて、万歳しながら手放し運転をしている。冷静に絵にすると完全にギャグなんだよな。「バランス感覚だけは異常に高い」「体幹トレーニングの成果」「まず自転車の練習をした期間があるはず」みたいな書き込みが延々と続いた。二期の新米トンカラトン回の存在が知られると、この流れは決定的になった。
ただ、ネタ化されればされるほど「でも実際に道で聞いたらどうする?」という揺り戻しが来るのもこの怪談の特徴だ。名前がリズミカルすぎて、一度覚えると耳から抜けない。夜道で自転車の音を聞いたときに、頭の中で勝手に再生される。ネタとして消費されているはずなのに、身体反応だけは残る。この「笑えるのに怖い」という状態を長期間キープしているのが、トンカラトンが四半世紀以上生き残っている理由のひとつだと思う。
### 「答えたら助かる」派と「答えたら斬られる」派の抗争
掲示板でいちばん盛り上がったのが、対処法の正解をめぐる論争だ。答えれば助かるのか、答えたら死ぬのか。
書籍・アニメ版に忠実な「答えれば助かる」派は、原典を根拠にする。要求に従えば去る、というのがオリジナルの設定なんだから、それが正解だと。一方の「答えたら斬られる」派は、そもそもこの怪異には人間と交渉する動機がないと主張する。増殖することが目的の存在が、正解を出した相手をわざわざ見逃す理由がない。「言え」というのは罠で、応じた時点で同意とみなされる。契約書にサインさせる手口と同じだ、と。
この論争、決着はついていない。というか、両方が並立したまま流通しているのが現状だ。そしてそれこそが最強の状態なんだよな。どっちが正解か分からない以上、実際に遭遇した子どもは何をしてもいい判断ができない。答えても死ぬかもしれない、黙っても死ぬかもしれない。この「どちらの選択肢にも死が張り付いている」という状態を、二つの派閥が対立し続けることで自動的に維持している。
### 反証側は何を言っているか
もちろん、冷静な指摘も昔から出ている。いわく、トンカラトンには実際の目撃証言が一件も存在しない。1994年以前の文献にも、この名前は出てこない。並木伸一郎の調査で出てきた「Sさんの故郷の話」も、伝聞の伝聞でしかなく、Sさん本人に確認が取れていない以上は検証不能だ。
さらに、「昔からこの地方で言われていた」という証言が集まるのは、たいてい放送以降の世代からで、放送前に少年時代を過ごした世代からは出てこない、という指摘もある。これはかなり効く反証で、要するにトンカラトンは「伝承のふりをした新作」だという結論になる。
それでも面白いのは、この反証が出そろっても人気がまったく落ちていないことだ。むしろ「1994年8月11日に生まれた妖怪」という出自の明確さが、逆に売りになっている節がある。日本の妖怪の中で、誕生日が特定できるやつなんてそう多くない。
## 元ネタ探しは、どこまで進んだのか
### 熊本の「トンカラリン」という穴
名前の話をしよう。熊本県玉名郡和水町、かつての菊水町に、トンカラリンという遺構がある。清原台地にある全長464.6メートルの、自然の地割れと人工の石組暗渠が入り混じった細長いトンネルだ。用途が分かっていない。排水路説、古代人の祭祀施設説、道教由来説、古代朝鮮由来説などが乱立していて、2001年の再調査でも結論は出ず「謎の遺跡」のまま据え置かれた。石積みには布石積みという工法が使われている。
名前の由来は、穴に石を投げ込むと「とんからりん」という反響音が返ってくるからだという説がある。作家の松本清張が1975年5月にここを訪れ、『魏志倭人伝』を絡めて「トンカラリンは卑弥呼の鬼道の施設ではないか」という説を打ち出したことで、一気に全国区の謎スポットになった。
で、トンカラトンとトンカラリンだ。音がほぼ同じ。片方は九州の謎の地下通路、片方は九州出身の漫画家が造形した包帯怪人。吉田悠軌は、もし例のSさんの故郷が九州北部だと判明すれば、この語呂の一致が偶然ではなくなる可能性を指摘している。古代朝鮮語との関連や、戦のかけ声との関係を追う筋も残っている。現時点では状況証拠止まりだが、追いかける価値のある線ではある。
### 兵士型カシマさんという接続点
もうひとつの有力な線が、カシマさん経由の説だ。カシマさんというのは日本の学校怪談の中でも最大級に古株の怪異で、四肢を失った女性が現れて質問をしてきて、答えを間違えると同じ目に遭わされる、という構造を持っている。質問に正誤があり、失敗すると自分も同類にされる。トンカラトンとまったく同じ骨格だ。
さらに、カシマさんのバリエーションの中には、女性ではなく兵士として語られるものがある。戦地で負傷した旧日本兵の霊で、赤い自転車に乗って現れ、ノコギリで襲ってくる。自転車。刃物。負傷した兵士。トンカラトンの構成要素がほぼ全部入っている。吉田悠軌が注目したのがこの兵士型カシマさんで、トンカラトンはこの系統から枝分かれしたのではないかというのが彼の見立てだ。
### 傷痍軍人という、実在した記憶
そして、その根っこにあるのが傷痍軍人だ。戦後の日本には、白い衣に身を包み、包帯を巻き、手足を失った姿で街頭に立つ元兵士たちが実在した。駅前や神社の参道でアコーディオンを弾いたりハーモニカを吹いたりしていた人たちの記憶を持つ世代は、まだ普通に生きている。
子どもにとって、あれは強烈な光景だったはずだ。白い包帯、欠損した身体、そして音楽。トンカラトンの構成要素——白い包帯、人間離れした体、そして歌——と重なる。しかもその人たちは、戦争という国家的な暴力によって「そうさせられた」存在だ。トンカラトンに斬られた人間がトンカラトンになるという増殖設定は、無意識のうちにこの構造を写し取っているんじゃないか、というのが戦争トラウマ投影説だ。傷ついた軍隊のイメージが、四十年遅れで児童書のページに浮かび上がった、という読み。
### ミイラ男から志々雄真実まで、包帯怪人という系譜
視覚的な系譜も無視できない。ユニバーサル映画の『ミイラ男』が全身包帯のモンスターというテンプレートを世界に配り、日本では特撮や漫画に定着した。1994年当時、『るろうに剣心』の志々雄真実——全身に火傷を負って包帯を巻き、刀を持つ剣客——が少年ジャンプで暴れていた。包帯プラス日本刀という組み合わせは、当時の子どもにとってすでに見慣れた記号だったわけだ。トンカラトンの造形は、その記号を児童向け怪談に落とし込んだものと見ることもできる。
もうひとつ、1993年の児童文学に「包帯おじさん」という怪人が登場していて、これがトンカラトンの直接の前身ではないかという指摘もある。この包帯おじさんには、性暴力への恐怖と病気の感染という二つのメタファーが読み取れるとされている。包帯というのは、傷を隠すものであると同時に、その下に何があるか分からないという不安の装置でもある。感染するかもしれないし、伝染するかもしれない。トンカラトンの増殖設定は、そのまま感染の比喩でもある。
## で、なぜトンカラトンだけが生き残ったのか
1994年前後、日本は空前の学校怪談ブームだった。『学校の怪談』の映画も本もアニメも大量に出て、無数の怪異が量産された。その大半は消えた。トイレの花子さん級の知名度を得られたのはごく一部だけだ。その中でトンカラトンが三十年以上生き残っているのには、いくつか理由があると思う。
まず、名前が強い。「トンカラトン」という四音は、意味を持たないくせにリズムが完璧だ。手拍子で刻める。子どもが覚えて、口に出して、遊びに転用できる。怪談が生き残る条件のひとつは「子どもの遊びに変換できるかどうか」で、トンカラトンはこれを完璧に満たしている。実際、前述の「トンカラトンごっこ」のように、遭遇シミュレーションがそのまま鬼ごっこになる。
次に、ルールが一往復で完結する。呪いのビデオみたいに七日間待つ必要もないし、儀式の手順を覚える必要もない。相手が言う、こっちが言う、終わり。三秒で生死が決まる。この圧縮率の高さが、記憶への定着を助けている。
そして最大の理由が、そのルールが壊れていることだ。答えれば助かるはずなのに、聞かれる前に答えたら死ぬ。集団で来たら誰に答えればいいのか分からない。そもそも答えたら死ぬというバージョンまである。正解が存在するように見せかけて、実際には正解へのアクセスが遮断されている。人間は「対処法がある」と言われると安心するが、その対処法の適用条件が不確定だと、かえって不安が増幅される。トンカラトンはこの心理を、たぶん誰も意図しないまま完璧に踏んでいる。
最後に、姿がバカバカしいこと。これは真面目に理由になっていると思う。万歳しながら手放し運転する包帯男は、笑える。笑えるから語られる。語られるから消えない。そして、笑いながら語っているうちに、夜道で自転車の音を聞いた瞬間だけ、体が勝手に反応するようになる。恐怖は理性からは追い出せても、反射からは追い出せないんだよな。
## あいつの本体は、包帯でも刀でも自転車でもない
ここまで書いてきて改めて思うのは、トンカラトンという怪異の本体は、包帯でも刀でも自転車でもなく、「言え」という命令形そのものだということだ。あいつは殺しに来ているんじゃない。喋らせに来ている。刀は、喋らなかった場合と喋りすぎた場合の処理装置にすぎない。この構造は、日本の学校怪談の中でも際立って特殊だ。口裂け女は「私、きれい?」と質問してくるが、あれは判定を求める問いであって、命令じゃない。カシマさんは質問して答えの正誤を測る。トンカラトンだけが、内容のない言葉を、内容のないまま復唱させる。意味のないパスワードを、意味を理解しないまま口にさせられる。これは尋問でも試験でもなく、服従の儀式だ。
そう考えると、「答えたら斬られる」バージョンが生まれた必然性が見えてくる。服従を要求してくる相手に服従したら、その時点で相手の側の存在になる。だから斬られる。斬られるのは罰じゃなくて、加入手続きだ。逆に、拒否しても斬られる。拒否は敵対だから排除される。つまりこの怪異の前では、応じても拒んでも同じ場所に行き着く。これは詰みではなく、そもそも選択肢という概念が成立していない状況だ。子どもが大人の世界の理不尽と最初に出会うときの感触に、かなり近い。何をやっても怒られる、何を答えても不正解、というあの感じ。トンカラトンが小学生にあれほど刺さったのは、たぶんそこだ。
増殖設定についても、もう一段だけ踏み込みたい。トンカラトンに斬られた人間はトンカラトンになる。これはゾンビ映画の感染構造とまったく同じなんだが、決定的に違うのは、トンカラトンになった人間には「役割」が与えられる点だ。ゾンビは食う以外に何もしないが、トンカラトンは自転車に乗り、歌い、次の人間に「言え」と命令する。仕事があるのだ。つまりこれは感染ではなく採用で、増殖ではなく組織の拡大だ。二期アニメで新米が先輩に自転車の乗り方を教わっていたのは、公式が無自覚に真実を描いてしまった場面だと思っている。あれは新人研修だ。トンカラトンには組織があり、教育があり、継承がある。だとすれば、あの包帯の下にいるのは、かつて夕方の道で立ち止まって、正解を口にしてしまった誰かということになる。この読みを一度でも通してしまうと、あの間抜けな手放し運転が急に薄気味悪くなる。両手を上げているのは、もう自分の意思でハンドルを握る必要がないからだ。行き先は決まっている。
発生史の面でも、トンカラトンは日本の怪談が近代にどう作られるかの標本になっている。1994年8月11日という初出の日付があり、造形を担当した漫画家の名前があり、企画会議の証言があり、しかしその手前に「スタッフの故郷の話らしい」という埋められない空白がある。完全な創作でもなく、完全な伝承でもない。この中間状態こそが、現代の怪異が生まれる標準的な場所なんだと思う。メディアが伝承を拾い、加工し、全国に配り、配られた先で子どもたちが勝手に改造し、その改造版がネットに集積されて、また新しい原典になる。トンカラトンの「答えたら斬られる」バージョンは、どの本にもアニメにも出てこない。あれは完全に子どもたちの発明だ。原典より原典らしい顔をして、いまや検索すれば真っ先に出てくる。伝承というのは、こうやって出典を追い越していくものらしい。
最後に、熊本のトンカラリンのことをもう一度。あの穴は、誰が何のために掘ったのか分からないまま、いまも和水町の斜面に口を開けている。石を投げ込むと、とんからりん、と返ってくる。名前の由来がその反響音だという説を信じるなら、あれは人間が意味を与えられなかった音に、無理やり音写で名前をつけた例ということになる。トンカラトンも同じだ。意味のない音に、包帯と刀と自転車という形が後から与えられた。もし本当に、九州のどこかの土地で「トンカラトン」という音だけの怪異が語られていて、それをSさんが会議室で口にしたのだとしたら——1994年の夏に起きたのは、名前のない音がついに肉体を得た瞬間だったことになる。そしてSさんは、その直後に連絡が取れなくなった。この符合を、偶然の一言で片付けたくない気持ちが、この怪談の周りにはずっと漂い続けている。夕方、後ろから自転車の音がしたら、とりあえず振り返らないのが無難だ。振り返らなければ、質問されることもない。質問されなければ、答えなくて済む。答えなければ——まあ、そのバージョンもあるんだけどな。
トンカラトン ― 「トンカラトン」と答えたら胴を斬られる、洒落怖屈指の即死系怪談
