介護のニュースの裏に、もっと重たい前例があった
介護施設で高齢者が虐待されたというニュースは、今もときどき流れてくる。見るたびに思い出す事件がある。埼玉県南埼玉郡の庄和町、いまの春日部市にあった精神科病院での一件だ。名前は朝倉病院事件といって、規模も中身も最近の報道とは比べものにならないくらい重たい話なんだよな。
専門は精神科。受け入れていたのは、主に東京から移されてきた高齢の患者たちだった。認知症の症状があるホームレスのお年寄りや、身寄りの少ない人が多かったとされる。そういう人たちが県境を越えて運ばれ、ひとつの建物に集められていたと思うと、それだけで背中が冷たくなってくる。
元職員の告発で、中の様子が表に出た
発覚のきっかけは、元職員による告発だった。元になった記事は、2000年11月に高齢の患者40人の不審死が明るみに出たと伝えている。時期には少し幅がある。別の資料では2000年から2001年にかけて発覚したとされ、2001年に告発で明らかになったとまとめる資料もある。
40人という数字は重い。元の記事の数字をそのまま受け取るなら、一つの病院の中でそれだけの高齢者が不審な亡くなり方をしていたことになる。書き手もこの人数を話の真ん中に置いていた。ひとつの病院の不祥事という枠には、とても収まりきらない規模だと感じてしまう。
告発のあと、病院には立ち入り調査も入った。見えてきたのは、病院と呼ぶのもためらうような光景だ。想像するだけでしんどい。多くの入院患者がベッドに拘束され、自由に身動きが取れない状態に置かれていたと、調査と証言の両方で確かめられた。
自分で食べられる人にも点滴を入れていた
拘束だけなら、似た話はほかの施設の報道でも耳にする。問題はその先だ。元の記事によれば、自分の口でちゃんと食事が摂れる患者にまで、必要のない静脈注射を打っていたという。資料によっては、これを静脈栄養、いわゆるIVHの投与として伝えている。
口から食べられる人にIVHを続けたことが体の働きを弱らせ、死亡にまでつながったのではと疑われているんだ。ここはまだ疑いの段階。因果関係まで確かめられた話としては扱えない。それでも、食べられる人にわざわざ管をつなぐ理由があったのかと考えると、首をかしげるしかない。
手術の話も出てくる。ほかの患者がいる普通の病室で、そのまま手術をしていたというのだ。衛生管理が不十分な環境で手術が行われていたとする証言が残っていて、元の記事もこの点をはっきり取り上げている。同じ部屋のベッドで横になっていた患者たちは、その間ずっとそこにいるしかなかったことになる。
帳簿の中身まででたらめだった
調査が入って、別の問題も出てきた。診療報酬の不正請求。5年間で1億円を超える額を不正に請求していたとされ、患者の扱いだけでなくお金の面でもでたらめだったことがはっきりした。患者を縛りつけていた病院が、同じ時期に報酬までごまかしていたわけで、呆れて言葉も出てこない。
お金の話は地味に見える。でも、保険医登録が取り消された理由は、まさにこの不正請求だった。患者の死や拘束よりも、帳簿の不正のほうがはっきりした処分に結びついたところに、この事件のいびつさがよく出ている。命よりお金の不正のほうが処分の決め手になったと考えると、どうにもやりきれない気持ちばかりが残る。
殺人事件としては扱われなかった
ここからが本当に怖いところだ。これだけの話が報じられながら、当時の院長は刑事責任を問われなかった。殺人罪でも傷害致死罪でも立件されず、起訴にも至っていない。病院そのものは2001年7月に廃院になり、診療報酬の不正請求への行政処分として保険医登録が取り消された。
医師免許も、この時点では剥奪されていない。制度の上では、刑事事件にならなかった医療機関の中の人権侵害として扱われている形だ。書き手の怒りもわかる。元の記事の書き手は、殺人事件として扱われてはいないけれど、これは立派な殺人事件だと言い切っていた。
立件されなかったこと自体が、この事件にオカルトや陰謀論めいた関心を呼び寄せている。気持ちはよくわかる。表の手続きで決着がつかなかった分、人はつい裏で何かあったのではと勘ぐりたくなるものだ。裁判という形で事実が一つずつ確かめられていれば、ここまで噂が膨らむこともなかったのではと思えてくる。
もとは南埼玉病院という名前だった
病院の成り立ちにも触れておく。もとは南埼玉病院という名前の、家族で経営する病院だった。1990年代の半ばに朝倉重延氏が院長の座に就き、それに合わせて名前が朝倉病院へと改められたという流れだ。看板が掛け替えられてから廃院までの年月は、決して長くない。
院長のその後が、いちばん背筋を冷やす
元の記事が本当に怖いと強調していたのは、患者が大勢亡くなったことだけじゃない。院長の朝倉重延氏は医師免許を剥奪されておらず、数年前の情報では、まだ医師として働いているとされていた。これには絶句した。大勢の患者が亡くなった病院の院長が、その後も医師として患者の前に立ち続けていたとすれば、やはり穏やかではいられない。
怖さの質が違う。病院の建物が閉じられても、そこを切り盛りしていた人は医療の世界から退いていなかったことになる。元の記事の書き手が、事件の本当の怖さとして挙げたのはこの点だった。
その後の足どりも報じられている。東京都内の別の精神科病院、滝山病院の院長に就いたというんだ。耳を疑った。ここも家族で経営する病院で、2023年2月には看護師が入院患者に暴行を加えたとして逮捕される事件が起きている。
当時の報道は、この病院の経営者であり院長でもある人物の経歴として、朝倉病院事件との関わりを改めて取り上げた。同じ名前が、時を隔てて別の事件の記事にまた出てきたわけだ。これはさすがにこたえる。
元の記事の書き手は、これ以上被害者を出さないためにも、この事件を風化させちゃいけないと訴えていた。その気持ちはよくわかる。滝山病院の件を見ると、なおさらそう思う。事件が忘れられていけば、似たような病院が出てきたときに、誰も前例として思い出せなくなってしまうからだ。
裏付けが取れるところ、取れないところ
事件の骨格は、ほかの資料でも確かめられる。多数の患者の不審死、違法な拘束、不正請求、そして刑事責任が問われなかったという結末。ここまでは揺るがない。元の記事とは別の資料と突き合わせても、この骨組みの部分にはきちんと裏付けが取れているところなんだ。
ぼやけている部分もある。40人が不審死したという具体的な人数や、一人ひとりの死因は、実ははっきりしていない。公的な裁判記録がないこともあって、当時の捜査の中身や行政処分の全体像は、断片的な報道をつなぎ合わせてしか見えてこない。当時の埼玉県や厚生労働省による調査報告、報道記事の原本などの一次資料で、今後の検証が望まれている。
数字の扱いは慎重に。この記事の40人も、元の記事が伝えた数として受け止めておいてほしい。本当の人数がこれより少ないのか多いのかは、今ある断片的な報道からは、どちらとも言い切れないところだ。
ネットで膨らんだ噂の数々
この事件は、オカルト系のまとめサイトや個人ブログ、YouTubeの事件解説チャンネルで繰り返し扱われてきた。日本で最も凄惨な医療系事件のひとつ、表沙汰にならなかった大量殺人。そんな呼ばれ方をしている。ここから先は、裏付けのない噂や考察、体験談として聞いてほしい。
大量殺人という言い方は、あくまでネットで付けられた呼び名だ。裁判で殺人と認められた話ではない。そこは線を引いておく。元の記事の書き手が立派な殺人事件だと言い切ったのも、書き手自身の見方として受け取っておくのがいい。
よく見かけるのが、警察や医療行政の腰が引けていたから刑事責任を問えなかったのでは、という批判だ。医療過誤や患者虐待を扱うブログや掲示板で、繰り返し語られている。あくまで推測の域。書き込んだ人たちそれぞれの受け止め方の一つとして、少し距離を置いて読んでおくのが筋だと思う。
この手の考察は、精神科病院の身体拘束が長くグレーゾーンとして扱われてきた問題と一緒に論じられやすい。日本の医療行政が抱える構造の話だ。根っこが深い話だよ。一つの病院だけの悪事で片づけず、仕組みの側に穴があったと見る声が多いのも、この事件ならではの特徴だ。
5ちゃんねる、昔の2ちゃんねるや医療系の掲示板でも、この事件はよく引き合いに出される。介護や精神科の病棟での虐待事件の代表例として、滝山病院事件などあとから起きた病院の虐待事件と並べられるのだ。特に目立つ構図がある。
同じ人物が、別の病院でまた問題を起こしたという構図。一度問題を起こした経営者や医師が、処分の甘さのせいで医療の現場に居座り続けられる。そういう医療行政への不信感を象徴する例として、考察系のまとめや個人ブログで何度も引用されているんだよな。これは重い。
一部のオカルト系サイトには、もっと踏み込んだ話も載っている。口封じのために事件が揉み消されたとか、当時のカルテや証拠書類がわざと処分されたとか。どれも陰謀論めいた内容で、それを裏付けるような一次資料や報道は、今回の調べでは確認できなかった。噂は噂のまま。
幽霊話はおまけに近い。なぜこれだけの人権侵害が刑事事件にならなかったのか。この制度への問いこそが、日本の精神科医療史に残る未解決の暗部として、事件が今も語られるいちばんの理由になっている。2023年の滝山病院の報道は、この問いが昔話じゃなく、今の医療現場の課題だと改めて突きつけた。
有刺鉄線に囲まれた廃墟のその後
事件のあと、病院は廃業した。取り残された建物は、やがて心霊スポットとしても名前を知られる存在になる。解体が進む前の2010年代には、地元の若者や廃墟好きの間で、肝試しの場所として話題になっていたという。病院として使われなくなった建物が、事件の記憶ごと肝試しの舞台にされていたわけで、なんとも複雑な気持ちになる。
廃墟を訪ねた人のブログには、生々しい記録が残っている。敷地には有刺鉄線が張りめぐらされ、まるで刑務所みたいだったという話。建物の中に入ると、当時の医療器具や書類があちこちに散乱したままになっていたと書いている訪問記まである。ぞっとする光景だ。
ただ、幽霊を見たとか声を聞いたとかいう目撃談は、今回確かめられた範囲ではそう多くない。どれも訪問した個人の体験談にとどまる。人が怖がっているのはお化けよりも、ここで大勢の患者が劣悪な環境に置かれて亡くなった場所だという重さのほうなんだ。そこが妙にリアルだ。
ここは両方挙げておく。建物のその後は、資料によって少し話が食い違う。元になった記事は、2017年の時点で、廃業した病院の建物はすでに解体が進んでいるようだと伝えていた。
別の報道の話はもっと具体的だ。長く放置された建物は、2021年頃に取り壊されて更地になったという。更地になったその跡地には、2022年12月になってドラッグストアが開業したと、当時の報道が伝えている。
